TOPライフスタイル子育て対話の本棚(旧:特別支援の本棚)#1337 家族愛を、社会保障の代わりにしてはいけない18:50 9月25日 576再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次家族愛が社会保障の代償となる悲劇親のケア前提、障害者制度の歪み無料ではない家族介護、隠れたコスト家族が介護不要な社会、制度の課題親を介護者から親に戻す社会へAI文字起こし(β版) # 親を介護者から親に戻す おはようございます、沙織です。このチャンネルは日々の暮らしや子育て、障害児育児やシングルマザーの経験を通して感じたことを、私なりの言葉でお話をしていきたいと思います。 今日はですね、家族愛を社会保障の代わりにしてはいけないというお話をしていきたいと思います。 これは以前プレミアムでも話した重たい事件が、先日判決が出ましたので、そのニュースをもとにお話をしていきたいと思います。 そのニュースのことの発端は何かというと、今年の3月、柔道障害がある29歳の娘さんですね、長女さんを殺害したとして、58歳のお母さんが殺人罪に問われたんですね。 その判決が9月の17日に出ました。それが何かというと、銀庫刑3年の執行猶予5年の判決が言い渡されました。 なぜお母さんが娘さんをそんなことをしてしまったのかというと、そのお母さんの言い分としては、娘さんが生まれてから29年間、ほぼ一人で介護になってきたと。 長女さんの状況が本当に明かしてしまって、娘さんを殺害してから自分も死のうと考えたそうなんですね。 まず長女さんを車に沈めて死亡させた後、その後自らも死のうとしたんだけれども、死にきれず今回の事件に至ってしまったそうです。 このニュースは、SNSでも様々な意見が飛び交っていました。 母親なのにそんなことをするなんてひどいという意見だとか、それに追いかぶせるように、社会側の問題だよという声も飛び交っていたし、 その声がさらに飛び交うと、何でも考えても社会のせいにするなという声も飛び交っていたし、そもそも罪を犯したのは悪いことだろうという意見がかぶさったりしていて、 私もXで何か意見を言おうと思ったんだけど、140字ではまとめられないなと思って、こちらでお話をしようかなと思います。 私はとりあえず立場としては障害児のお母さんなんですよ。 なので、この今罪を犯されたお母さんの気持ちというのはすごくわかってしまう。 わかってしまうというと全然わかっていないのかもしれないけど、ちょっと共感してしまうんですよね。 でもそれを差し引いてお話をすると、私はお母さんの責任か社会の責任か、ゼロ役ではなくて、 私はこういう時、やっぱり母親の責任と社会の責任というのは両立すると思うんですよね。 同時に発生してしまう。 なぜかというと、お母さんが人を殺してしまったという事実をなかったことにはできないし、これを仕方ないことにも絶対にできない。 でもだからといって、このお母さんの一人が悪かったかというと、そうではない。 社会の問題でもあると思うんですよね。 だから一番問うべきなのは、なぜそこまで追い詰められるまでお母さんが一人で全てを追い続けてきたんだろう。 そこに力を注いで、私たちは考えていくことができるんですよね。 考えていく力がある。 考えていくというのは、進化させていくという意味よりは、深く化ける、進化させるということよりは、そうじゃなくて、これが二度と起こらないように。 どうしていけばいいんだろう。 どちらかというと、地上側に目を向けていかないといけないと思うんですよね。 そうした視点で私の考えを述べていくと、いくつかポイントがあるんですけれども、 まず一番に思うことは、私はなぜ障害児・育児は親がケアをすることが前提なのかというふうに思っています。 親なんだから当然という考え方そのものを、まず皆さんに疑ってほしいなと思います。 なぜそう思うのかというと、高齢者については、子どもがいても介護保険というものを使うじゃないですか。 介護保険というのは、子どもが親を扶養できるなら使えないという制度ではないんですよね。 その高齢になった親に現役でバリバリケアができる子どもがいたとしても、その人たちはまだ自分の人生があるから、 全てその人たちの責任ではないんだ、社会で高齢者を見ていくものなんだという前提で、介護保険というものが出来上がったんですよね。 それをもってして考えると、私は障害のある人の制度はちょっとおかしいなと思うんですよ。 なぜかというと、障害のある子どもたちというのは、18歳までは特別支援学校があったりだとか、さまざまな制度があったりするんですけれども、 障害のある人が政治してしまったら、ほとんど使えるものが激減するんですよね。 そのせいで今でも親が障害のある人をケアしていくことが当然のように扱われてしまっている。 介護保険と照らし合わせてみると、介護が必要な高齢者の方々は社会で見るのが当然、 けれども障害のある成人した人たちは家族がケアすることが当然のように扱われている。 これはちょっと疑問が出てきませんか。 私はなぜこうなっているのかというと、さまざまな要素はあると思うんですけれども、 家族愛が制度設計に使われていると思っているんですよね。 今日のタイトルでもあるんですけれども、 お母さんだから、もしくはお父さんだから愛情を持って世話するでしょうという前提で制度が作られている。 作っていないのかもしれないですよ。 これはあくまで私の仮説なので、そこら辺を違うよとか言われてもちょっと分からないですけど、 私はそういうふうに見えます。 そういう前提で制度を作ってしまうと、愛情がある人ほど逃げられなくなってしまうんですよね。 制度もこうなっているし、私はこの子を愛しているから頑張らなければってなっちゃう。 そこからなんですよ。 思考がどういうふうになっていくのかというと、私がやるしかないってなる。 私がやるしかないが続くと、他人に任せられないになってくる。 他人に任せられないなら仕事を辞めるってなってくる。 仕事を辞めると経済的に苦しくなってしまう。 そして、そのことで社会との繋がりも薄くなってしまう。 そして、私は働いていないんだから、これが仕事なんだからって 介護が一人で24時間になってしまうっていう、おかしな構造が出来上がってしまうんですよ。 おかしなっていうのは、人間としての生態形状、おかしい構造が生まれ上がってしまうってことなんですよね。 おそらく今回の事件も、そういう構造がもとで こんな悲しい事件が起こったんじゃないかなって私は思っています。 だから、私はね、障害児育児っていうのは、親の愛情の問題ではなくて 社会のシステム設計の問題として、みんなが見るべきだって思っているんですよね。 おそらくこの意見を言うと、どういっても親の責任だろう、産んだ責任だろうっていう意見も出てきそうなので もう少し私がそんな風に思う理由を深掘りしてお話をしていくと 私はですね、家族がやるっていうのは無料ではないと思っています。 これはいろんな意味での無料ではないってことなんですけども よく福祉サービスを使うと、それは私たちが払った税金でやってるんだぞっていう声も飛んでくるんですよね。 私も福祉サービスをたくさん使わせてもらってるから、 みんなが納めてくださった税金を使わせていただいて、我が家は生きることができている。 本当に申し訳ないな、無駄遣いなんじゃないかって何回も思ったことがあるんですよ。 こんな私たちが存在していていいのか?くらいのところまで思ったことはあるんですけれども でもその考えて少し上積みを救い取っただけではないかなって思うんですよね。 もちろん家族が福祉サービスを利用せずに障害のある子どもたちを見れば、 そこに介護サービスへの支出ってものは発生しないんです。 税金を利用するってことは発生しない。 けれども実際にはその親御さんたちの8時間っていうものは使われているんですよね。 例えばその親御さんたちが介護サービスを利用して仕事ができていたのならば、 そこには給料っていうものが生まれる。まず経済効果が生まれる。 あと所得税ってものも収められる。社会保障料だって収められる。 消費税だって収められる。その人たちはキャリアーだって築ける。 人間関係だって築ける。将来の年金だって収められる。 私はその税金を使うこと、福祉サービスとしての税金を使うこと以上に 大きなメリットがあるんじゃないかなって思うんですよね。 だから違う見方をすると、時には家族が無料でケアをしてくれている、 愛情でケアをしてくれているって言い換えることもできるんだけれども、 でも違う見方をすると、家族の時間を社会が無料で使っているっていう風にも考えられます。 ちょっとチャプター変えますね。 # 誰の人生も尊いのではないのか? だからね、物事っていろんな見方ができるから、私は障害児のケア、障害のある人のケアを家族だけで担うよりは、 その家族もまた人として仕事をしていったりだとか、生活者として世の中につながりを生んだりできる人でもあるんですよね。 だから、違う見方をすれば、尊い労働力を社会に取り戻すっていう発想で制度を設計していった方がいいんじゃないかって思うんです。 で、実際に制度を作る方々って本当に難しいと思うんですよね。 だって課題が山積みなんですもん。 例えば、私がひらめく限りで言うと、24時間ケアが必要な人に何時間まで公費で支援するのかっていう問題が出てくる。 あと、親が税に手を回していたらマンパワーもないし、お金だって尽きちゃうから、親が同居していても利用できるのかどうかっていうのも考えていかないといけない。 あとショートステイだとか、成人後の住まいだとか、支援職の待遇をどれだけ確保するのかっていうのも考えていかないといけない。 で、それを考えていくのであれば、地方の人手不足、どうするのか問題だって出てくる。 で、これらをしっかり作り込まないと、作り込むことができないから家族を大切にしましょうっていうね、居場所作りみたいなもので終わっちゃったりします。 でも本当はこれらをしっかり考えて、家族が介護しなくても成立社会をどうやったら作れるかっていう問いをね、もう本当に考えていかないといけない時期に私は来ていると思っています。 で、何が難しいのって思うかもしれないんじゃないですか。 さっきの一つだけ例を挙げていくと、例えば24時間介護が必要な人に何時間交費で支援するのか問題が出てくると思うんですよね。 そう、例えばですけども柔道障害がある人の中には食事だとか入浴・排泄、移動も着替えも服役も夜間の見守りも全部全部必要になってくるんですよね。 で、今の設計だと支援からこぼれ落ちてしまった人は家族がケアをすればいいっていうような設計にはなっているんですけれども、 これを変えていくってなると家族がやらない場合、社会がどこまで支えるのかっていう話に変わってくるんですよね。 で、何でしょう。例えば1日24時間でその障害のある人、柔道って言われる障害のある人が1日8時間はまあ寝れていたとしましょう。 そうすると残り16時間っていう時間、介護が必要になってきます。ケアが必要になってきます。 で、この16時間のうち公的サービスが8時間しか使えなかったら、やっぱり残り8時間は誰がやるのか問題になってくるんですよね。 結局親がやることになってしまいます。だから公費で8時間支援していますって数字だけ見ると制度自体は存在しているんですけれども、 でもその足りない8時間を誰が埋めているのかって言ったら家族が埋めているんですよね。 だからこうした問題一つとってもどれだけサービスを利用したかじゃなくて、家族が介護しなくてもその人の生活が成立するところまで支援できているか問題を 今本当に考えていかないといけないなって思っています。 他にもさっき挙げた色んな細やかな問題があるんですけれども、もう一度まとめておくと、 家族が介護すれば安上がり、税金を使わないっていう問題をもう一度論点として社会全体で考えていく時期に入ってきていると思います。 もう一度まとめますね。 例えば家族がすべて介護する、ケアをするだと政府が直接払うお金は少ないですよ。 けれど一方で公的サービスを使って成人した障害のある人たちのケアが家族のものでなくなっていくと、そこには当然税金が発生します。 だからそこだけ見ると家族がやってくれる方が安いってなりやすいんですよね。 でも本当にそうなんでしょうか。 家族がすべての介護になってしまうと、まず家族が仕事を辞めないといけません。 そうするとその家族は収入が減る。収入が減ることで税金を払えなくなる。社会保険料も減ってしまう。 その家族はキャリアってものも失ってしまう。 そうするとその家族は病気になるかもしれない。病気になるとまたそこで税金が発生してしまう。 その親が亡くなってしまったら今度は兄弟が支援を担うことになる。 そうするとその兄弟もまた仕事を辞めないといけないかもしれない。 そういうのを繰り返していると家族が社会から孤立する。 ここから発生してくる問題ってすごく多そうじゃないですか。 だから社会全体で見れば本当に安いのか。 家族に福祉財をやってもらうってことは本当に安上がりなのかっていう話になってくるんですよね。 だから福祉の費用を考えるときは行政がいくら支援したかだけではなくてもちろんそれも考えないといけないんですけども 家族にどれだけの無償労働をさせているかっていうのも見ないといけない。 だから支援の手を差し伸べるっていうことは家族を救うと同時に本当に尊い労働力だとか その人が生きる力、病気にならない力っていうのを社会に戻していくことにもつながるんですよね。 こんな風に言うと福祉を利用することは家族を働かせるためって思われてしまうかもしれない。 そこで働いてない親を見るとなんで働いてないんだって思うかもしれないんですけども それもまた違うと思っていて 私は障害福祉の目的っていうのは家族を働かせるためでも 社会に役立つ人間を生み出すためでもない増やすためでもないと一方で矛盾しているようですけど思っています。 なぜかというと人間というのが家族の犠牲によってしか生きられない状態を生み出すのが一番良くないと思っているからです。 だって障害がある本人の人生も大事、そして障害がない人たちの人生も大事 けれども障害者をケアする人たちの人生だってみんなと同じように大事なんですよね。 だから私は制度を作る人じゃないから軽々しく言ってる部分もあるんだけれども 経済の合理性と人権の両方を考えた制度をこれからは本当に考えていかないといけないと私は思っています。 だから話を戻すんですけども 今回の判決が下りた事件 ジャッジはみんないろいろできると思うんですよ 親が悪いとか社会が悪いとかいろいろ言えると思う でもこの事件をきっかけに社会が考えるべき問いみたいなものがあるとすれば 今回の起訴された母親の方が、お母さんが このもう無理ですって社会に訴えた時に 家族以外の誰かがすぐに吹き受けられる状態だったら っていうところを少しみんなで考えてみるといいかなって思います。 そしてその家族以外の誰かっていうのを 制度として誰がどのくらいのお金でどこまで用意できるのかまで踏み込まないと 結局のところよくポスターである家族を大事にしましょうとかね そんな精神論で終わってしまうんですよね なので家族を支援するっていう言葉の中身を本当に たくさんの人に考えてもらえると嬉しいなぁなんて私は思っております。 めちゃくちゃ力の入った放送になってしまったんですけれども 最後までお聞きください。ありがとうございました。 今日の放送は主語が社会になったお話で 私から見える社会構造のお話をさせていただいたんですけれども 明日はプレミアム放送で主語を私だとか親に戻した状態で 私としてのこの実感の、今回のニュースを聞いて実感のお話と 私はどう生きたいのかっていうお話を個人的に深くしていきたいと思います。 それでは今日は金曜日、いい1日にしていきましょう。さようなら。 # sukiyaraで岡田太郎先生のチャンネルに! 一回終わったんですけど、追加のお知らせとなります。 昨日の夜ですね、私と恩次まりさん、人生広範好きにやらせてラジオをVoicyで月に1回やっている私と恩次まりさんで、 岡田太郎先生のチャンネルにお邪魔しましたので、その時の生放送のアーカイブをこちらのチャプターに貼っておきたいと思います。 ぜひ太郎先生をフォローして聞きに行ってください。 それでは良い一日を、そして良い週末を。さようなら。 もっと見る対話の本棚(旧:特別支援の本棚)プレミアム放送配信中!09:571.親を介護者から親に戻す08:232.誰の人生も尊いのではないのか?00:313.sukiyaraで岡田太郎先生のチャンネルに!https://r.voicy.jp/6MmOMWX0gVEコメント感想・質問・応援メッセージを書こう 土屋綾乃9月25日こういう事件の度に胸が締め付けられます。どうしたらよかったのか、どんな制度があれば救われるのか、考えてはみるものの、何の力もない自分には何もできず…今回のさおりさんのお話は、国を動かす人物まで届けるべきだと思います。6返信 kajun9月25日初めてコメントします。このニュースは、私も胸を痛め経緯を見つめていました。こうした事件が起きるたびに、やりきれない思いとともに、お母さんやご家族が「助けて」と言えていたら、社会がもう少し早く気づいてなんとかできていたら…と思ってきました。一昨年、父に介護が必要になった際、電話一本で即日ケアマネさんに繋がり、即サービス利用に至ることができ、障害福祉サービスとのあまりの違いに愕然としました。(老人と違って票につながらないから?)さおりさんのお考えに強く同意します。その声を広く伝えたいです。5返信 AZ9月25日📕🧑🤝🧑🎶🏃3返信
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どうしたらよかったのか、どんな制度があれば救われるのか、考えてはみるものの、何の力もない自分には何もできず…
今回のさおりさんのお話は、国を動かす人物まで届けるべきだと思います。
このニュースは、私も胸を痛め経緯を見つめていました。こうした事件が起きるたびに、やりきれない思いとともに、お母さんやご家族が「助けて」と言えていたら、社会がもう少し早く気づいてなんとかできていたら…と思ってきました。
一昨年、父に介護が必要になった際、電話一本で即日ケアマネさんに繋がり、即サービス利用に至ることができ、障害福祉サービスとのあまりの違いに愕然としました。(老人と違って票につながらないから?)
さおりさんのお考えに強く同意します。その声を広く伝えたいです。