#107 軍事的世界観は、人間を道具化する。組織とキャリアに”野生”を取り戻す
19:35
4,974再生
図解
https://x.com/yukianzai/status/1812968394704183645?s=46&t=BL6HXfeQaLypQ2RO0Xxiag
これまで「軍事的世界観のから冒険的世界観へ」というスローガンを掲げて、人の可能性を活かした組織づくりや探究的なキャリアデザインについて論を重ねてきました。
このパラダイムの転換の論点について深める上で、フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースが1962年に発表した歴史的名著『野生の思考』があらためて参考になります。これは、僕が大学院でワークショップデザインの研究をする際にも下敷きにした文献のひとつです。
本書が出版された当時、西洋では科学が発展し、近代合理主義的な思考法(エンジニアリング)こそが、人類の歴史的進歩の象徴だと考えられていました。しかしレヴィ=ストロースはそれを批判的に問い直し、それまで未熟で野蛮とされてきた「未開民族」のフィールドワークを通じて、人間の思考が普遍的な構造を持つことを発見し、それを「野生の思考」と名付け、その象徴的な例として「ブリコラージュ」を挙げました。
エンジニアリング(合理的思考)とは、概念としての設計図が先行して、計画に即した「最適な道具」を調達する考え方。他方で、ブリコラージュ(野生的思考)とは、ありあわせの素材の可能性と対話しながら、それらを組み合わせて目的に合った"完成品"を生成してしまうアプローチです。※エンジニアリングは原文では科学的思考とされますが、ここでは悩みつつ「合理的思考」と表記しています
行きすぎた軍事的世界観の経営とは、まさに合理的思考への傾倒であり、”野生が消失した経営”といえます。経営が定めた目標を”完成図”として、従業員はそれを達成するための”最適な道具”として期待される。道具として不適切な人材は矯正や解雇の対象となり、外部から調達された新たな人材に代替され続ける。これは、人間の主体性や創造性を根本的に抑圧します。
ここから脱却していくのが冒険的世界観へのシフトなわけですが、しかしそれは合理的思考を放棄して、完全に野生に戻そうということではありません。合理はうまく使いながらも、適度に野生を取り戻して、バランスを保つこと。組織に計画⇄創発のパラドキシカルな力学は働くことで、「経営が人の探究を触発し、人が経営の探究を触発する循環」をつくること。野生の余白があることで、合理が人間の可能性を解放する手段になる。それが冒険する組織づくりの思想なのではないか..ということを本日のVoicyでは話しています。
クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』
https://amzn.to/3W2yvYE
#8 これまでの「選択と集中」に代わる、「分散と修繕」という新しい考え方
https://voicy.jp/channel/4331/768144
https://x.com/yukianzai/status/1812968394704183645?s=46&t=BL6HXfeQaLypQ2RO0Xxiag
これまで「軍事的世界観のから冒険的世界観へ」というスローガンを掲げて、人の可能性を活かした組織づくりや探究的なキャリアデザインについて論を重ねてきました。
このパラダイムの転換の論点について深める上で、フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースが1962年に発表した歴史的名著『野生の思考』があらためて参考になります。これは、僕が大学院でワークショップデザインの研究をする際にも下敷きにした文献のひとつです。
本書が出版された当時、西洋では科学が発展し、近代合理主義的な思考法(エンジニアリング)こそが、人類の歴史的進歩の象徴だと考えられていました。しかしレヴィ=ストロースはそれを批判的に問い直し、それまで未熟で野蛮とされてきた「未開民族」のフィールドワークを通じて、人間の思考が普遍的な構造を持つことを発見し、それを「野生の思考」と名付け、その象徴的な例として「ブリコラージュ」を挙げました。
エンジニアリング(合理的思考)とは、概念としての設計図が先行して、計画に即した「最適な道具」を調達する考え方。他方で、ブリコラージュ(野生的思考)とは、ありあわせの素材の可能性と対話しながら、それらを組み合わせて目的に合った"完成品"を生成してしまうアプローチです。※エンジニアリングは原文では科学的思考とされますが、ここでは悩みつつ「合理的思考」と表記しています
行きすぎた軍事的世界観の経営とは、まさに合理的思考への傾倒であり、”野生が消失した経営”といえます。経営が定めた目標を”完成図”として、従業員はそれを達成するための”最適な道具”として期待される。道具として不適切な人材は矯正や解雇の対象となり、外部から調達された新たな人材に代替され続ける。これは、人間の主体性や創造性を根本的に抑圧します。
ここから脱却していくのが冒険的世界観へのシフトなわけですが、しかしそれは合理的思考を放棄して、完全に野生に戻そうということではありません。合理はうまく使いながらも、適度に野生を取り戻して、バランスを保つこと。組織に計画⇄創発のパラドキシカルな力学は働くことで、「経営が人の探究を触発し、人が経営の探究を触発する循環」をつくること。野生の余白があることで、合理が人間の可能性を解放する手段になる。それが冒険する組織づくりの思想なのではないか..ということを本日のVoicyでは話しています。
クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』
https://amzn.to/3W2yvYE
#8 これまでの「選択と集中」に代わる、「分散と修繕」という新しい考え方
https://voicy.jp/channel/4331/768144
安斎勇樹の冒険のヒント
プレミアム放送配信中!
- 01:331.
イントロ:軍事的世界観から冒険的世界観へ
- 08:032.
クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』
- 10:003.
エンジニアリング(合理的思考)とブリコラージュ(野生的思考)
コメント

感想・質問・応援メッセージを書こう
いかに軍事的資産を活用していくか。
今の業務にとてもシンクロしました。
以前職場で自分が今興味があることを自由に深掘りして皆に共有するという勉強会を実施したところ、すごく盛り上がり、かつその場で出た知や既存の知を組み合わせると顧客にこんな提案もできそうだ!等、創発が起きました。
それぞれ自由に探究していいよというルールによって合理的思考に囚われにくい状態になっていたこと&その会が日頃の業務と少し離れた非合理の場であったことの掛け合わせが有効だったと感じています。
エンジニアリング的な上司は、最初に決めたことを淡々とやっていくので、安心感はあった気がしますが、面白みはなかった気がします。
ブリコラージュ的な上司は、進めながらドンドン計画がアップデートしていくので、仕事は面白かったのですが、一方で着地点がギリギリまで見えず、相応のネガティブケイパビリティが必要だなぁと思った記憶があります。
どこでバランスを取るか。そこはメンバーの好みだったり、組織カルチャーだったりに影響されそうですね。