TOPエンタメ映画・本荒木博行のbook cafe『我慢して生きるほど人生は長くない』book labo LIVE振り返り 久保さん対談36:28 2023年2月6日 9,880再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次「自己開示ヤクザ」に潜む人間関係の罠「プロフェッショナリズム」が奪う身体の声心身の乖離を防ぐ「内重要感覚」の磨き方「内なる言葉」があなたの心を動かす秘訣混乱の時代に立ち返る哲学の本質とは?AI文字起こし(β版) # タイトルコール あらきる駅のブックカフェ。この番組は独学の地図の執筆者であり、 書籍予約サービスフライヤーのアドバイザーを務めるあらきる駅がマスターとなり、 本からの学びを楽しむカフェです。 # 初めのあいさつ はい、みなさんおはようございます。2月6日、月曜日の朝になりました。 そうですね、本が進んでまして、3月中旬発売の独学の地図なんですけど、 ゲラのチェックが2回目終わって、細々とした作業がいっぱいなんですよ。 本当にあれを描いてくれとか、イラストをこうしましょうとか、本当にいっぱいあるんですよね。 もちろんね、仕事はそれだけではなくて、いろんなものもあるんですけど、 本当に細かい仕事がいっぱいあると、一日振り返って何やってたんだろうって思うことが多くなりますよね。 固まりとして、これ描いたぜとか、これ作ったぜみたいなものがあればいいんですけど、 細切れというか、すごい小さい仕事の積み重ねみたいな、そんな日が最近続いておりますが、 みなさんいかがお過ごしでしょうか。 さて、今日なんですけれども、恒例ですね。 久保さんと毎月1回対話しておりますけれども、フライヤーブックラボという読書コミュニティがあるんですけれども、 毎月ゲストをお招きして公開対談ということをしておりまして、 先月は鈴木雄介さんでしたね。 診療内科医のお医者さんですけれども、 鈴木さんと対談をしております。 その振り返りということで久保さんと対談しております。 それでは行きましょう。本編スタートです。 # 自己開示ヤクザになってませんか? それではこれですが、フライヤーブックラボのライブの振り返りですね。 はい、ということでフライヤーの久保さんがゲストです。どうぞよろしくお願いします。 はい、お願いします。 はい、ということで先月末ですかね。 そうですね、1月末にやったライブですけども、 ゲストが鈴木雄介さんです。 社員内科医で診療内科医でもあるが、 我慢して生きるほど人生は長くないってちょっとかわいらしい真四角な本なんですけども、 そちら著者とのライブっていうことでしたが、 あれですよね、荒木さん、鈴木雄介さんとはもともとクロービスで、 そうですね、そうですね。 もう雄介とキングと呼び合う仲なんですけれども。 そうですね、荒木さんがキングと呼ばれる唯一のクラスなのかな。 そうですね、みんなであだ名ができた謎クラスなんです。 鈴木雄介さんが出された本で、我慢して生きるほど人生は長くないっていう本なんですけど、 ちょっと概略を伝えた後で、ライブの中の話をまた続けられたんですけど、 本は我慢して生きるほど人生は長くないと結構タイトルにドキッとする本ですよね。 明日とか将来とか、あるいは他人のために今を我慢して、 それが迷惑をかきたくないとか失望させたくないとか、 他人の思いを満たすための我慢で、誰の人生なのかっていうことに、 何かうまくいっているときはいいんだけど、そうじゃないときにバッと吹き出してしまう。 そういう人がクリニックにいらっしゃって、 本の中で繰り返しているのは、自分の物語というキーワードと境界線というキーワードですね。 自分の物語っていうのは、実はそれって他人が決めた価値観なんじゃないのっていうこと。 いい子であるとか、いい学校、いい会社でとかっていうのは、 順調にいっていればいいんだけど、そうじゃないときにふと後悔とか虚しさとか感じる原因が、 実は自分の物語ではないんじゃないのというのがあるのって。 あと境界線ですね。 境界線はラインオーバーっていう印象的な言葉で言われてますけども、 好ましい人間関係っていうのはフェアで相手に過剰に責められたりとか、 言うことなく自分のままでいいなっていう関係ですけど、 これをキープするのに、好ましい人間関係をキープするのに意識するといいよというのが境界線を守るっていうことで、 要は自分の心に他人が入りすぎることにも気を付けた方がいいし、 さっきの自分の物語と同じですけど、 他人の価値観に引きずられている状態にも気を付けた方がいいっていうことの本ですね。 当日私印象的だったのは、ラインオーバーっていうところから議論をスタートしたんですけども、 ちょっとキーワード二つ。 自己開示役者。 自己開示役者ね。 あともう一つは身体制の回帰。身体ね。身体制。 っていうのがちょっと印象的だったんで、その辺を思い出しながら、 ライダープラスアルファで話せたらなって思ってます。 自己開示役者。印象的でしたね。 ちょっと補足的に解説をすると、 何だろうな、心理的安全性みたいな話があったと思うんですけれども、 その中で、やっぱり自己開示って大事だよねっていう話が、 一般的にはあるじゃないですか、 心を閉じてしまって、というよりは、 自分のことを開示することによって、 ああそういう人なんだっていう、 そういうことで開かれた関係性を作るみたいなね。 そうするとお互いの理解につながって、 いろんなことを言える関係性になるみたいな、 そういう理想的なイメージがあると思うんですけど、 それもやっぱりちょっと勘違いしちゃうと、 やばいよねっていう例としての自己開示役者ということで、 勝手に脱ぎ始めるってことかね。 ちょっといいですかって勝手に脱ぎ始めて、 脱いでるあなたは気持ちいいかもしれないですけど、 私脱ぐ気ありませんからみたいな。 だから唐突にリーダーとかが、 いや俺もね、みたいなセキララな話とかをして、 周りがめんくらっちゃうみたいな。 俺もこんぐらいの話したんだから、 君たちも自己開示しなさい的な圧をかけられる。 あんた好きで脱いだんでしょみたいな。 そうなんかちょっとその話印象的だったのが、 そういう場にいるとうまい具合にビジネス本音を語る。 はいはいはい、ビジネス本音も印象的でしたね。 本音のふりした、 ビジネスコミュニケーションですね。 上司のための本音っていうのかなって。 こんなところが印象的でしたとか、 すごい勉強になりましたとかっていうのは、 まるで感情込めたかのように言えちゃうようになっちゃうみたいなね。 そうですね。 お互いにとって何かメリットない状況ですよね。 人間関係の距離の取り方の難しさっていうことで、 別にそこに何らかの甲斐があるわけじゃないんだけど、 それぐらい境界線が理解するのが難しいっていう話があって、 その前段で時代性みたいな話と、 あとそれから本人の俗人的な理由みたいなことがあったと思うんですけれども、 例えば僕と久保さんが今同じ部屋で話してますけれども、 ここの境界線もやっぱりあるわけですよね。 なんだけど、まず一つ時代性っていうのがあって、 それは2000年代前後ぐらいからハラスメントみたいな言葉が出てきましたけど、 あれもやっぱり時代的に今まではOKだったのが、 時代とともにそこやったらダメですみたいな、 そういうことっていうのが出てきて。 そうか、だからあれか、 自己開示ヤクザじゃなかった、 まあ自己開示ともかくとして、 その境界線自体のラインとか、 変わっちゃってる環境があるってことか。 時代によって変わってる。 例えば僕なんかが若かりし頃なんて、 若手のプライベートについてどんどん聞いていくっていうのは、 飲み会のネタとかですごい上等的じゃなかったですか。 良いとか悪いとかなく普通にあったってことですか。 そう、お前彼女はいるのかみたいな、 いつ結婚するんだみたいな、 そんな話は当たり前のように聞かれていたし、 そこで隠したりするとノリが悪いとかね、 なんかそんな話がありましたし、 それは男女問わず結構普通に語られてたような気がしますよね。 語られてたというか語らざるを得なかったっていうのかな。 そうですね。 でもそれは今の時代においては明らかにラインオーバーみたいなね。 そうですね。 だから時代とともにオフサイドラインがどんどん変わってきているっていうのと、 あとは個人の中でも、 昔はちょっと前までは自分のプライベートのことをセキュララに語っていた人でも、 環境変わるじゃないですか。 そうすると語りたくないとか、 そういうことも出てきたりしたりする。 そうするとオフサイドラインの変更が読み取れないと、 そうにもかかわらず何かラインを越えてしまっているみたいなのが、 そこに上下関係みたいな構造があると言い出しにくいとかね。 あんたライン越えてるんですけど、みたいな。 そんなことが起きうるみたいな。 そんなことがありましたね。 そうですね。 俗人的なところの印象的なのは、 今の人間関係だけじゃなくて過去のトラウマとか、 過去の育った環境や人間関係によっては自己開示がしにくい。 そこを自分を守るために開示しない表情とか言葉とか、 そういったものを出さない。 あまり反応しない自分で自分を守ってきたっていう防御反応を持つ人もいるから、 そういうところが大人になってパッと会ったときに、 一つのチームになったときに、 みんなこれは大丈夫だよねっていくと、 そういったいろんな環境の違いで生まれてくる、 人間の性質上防御反応って普通にあることだから、 そういうことも起きてて、 そこを見極めるのが難しいってことです。 わからず触れてしまう。 そうだよね。 これってさ、人間同士が組織を作ると、 ある意味理想的になろうと目指すんだけど、 みんながハッピーになるってさ、 まず無理じゃない? どう思う? だったら逆にもう何もしない方がいいみたいな、 仕事だけのお付き合いみたいな、 割り切りみたいなものも一つの甲斐かもしれないよね。 それってダイナミズム生まなかったりするじゃない? すごい人間関係が気迫で、 体調が悪いとか仮にあったとしても、 言い出しにくいとか、逆に聞きづらいとかね、 そういうふうにもなってしまう。 だからあまりにも臆病になりすぎると、 ちょっと違うし、 でもそこで勇ましくやろうとしちゃうと、 ラインオーバーが出てくるとか、 むっちゃ難しいなって。 むっちゃ難しいですね。 でももうこれは何というか、 荒木さんのいつも言うことだと思うんですけど、 肉野菜問題ではないが、 人はもう時によって変わるものであるって思うしかないなって、 ラインも時に、自分もそうですけど、 すごい自分を出しても大丈夫って思える、 相手が荒木さんと同じ荒木さんでも、 ある日は私すごい話して大丈夫って思える、 勝手な私のモードがあって、 でもある時に、 荒木さんとの関係とは全然関係ない理由で、 人間の体のホルモンの話かもしれない、 全然わけわかんないところで、 今日あまり会議したくありませんみたいなこともあるけど。 あるよね。本当にあるよね。 なので、お互い変わるよねっていうことを知っているっていうぐらいで、 悲しいかなっていうか、 常時常に、幸せとはみたいな話ですけど、 常時常に人と繋がっていることが幸せか?だし、 常時常に、 幸せというものを感じていることが幸せなのか?でもあるし。 でも、2つ目のキーワードとだんだん近づいてくるんですけど、 ある意味、私たちは機械じゃない、ロボットじゃないってことですよね。 何か成果をあげるために集まったマシーンみたいなね。 そういう期待値ももちろんあるんですけど、 一方で、動物であるという運命から逃れられない。 だから当然のことながら好調不調みたいなのもあるし、 好き嫌いみたいなものもある。 ただ、過度にマシン性みたいなね、再現性みたいなものが求められる。 ちょっとそのマシーンみたいな言い方は、 誰もが良くないと思うんだけど、 それに代わる言葉として、プロフェッショナリズムみたいな言葉がありますよね。 プロとして、そこはやっぱり歯を食いしばってでも成果を出すべきだよねみたいな、 そういうことってあるじゃないですか。 それって多分に、動物性みたいなものを捨て去った上でマシーンになれみたいな、 そんな文脈で使われたりもしますよね。 そうすると、今もうちょっと無理なんですけどとか、 気分乗らないんですけどとか、 そういう体が訴えているサインを、 いわゆる内重要感覚みたいなものを麻痺させて、 ゆうすけが言っているのは、乖離みたいなね、 そんな乖離状態ですよね。 体と脳みたいなものを乖離させて、 理性だけで働くみたいな、 そんな状態が続いちゃうと、 これはちょっとやばい状態になると。 やばいですね。 これが行き過ぎると乖離性、ほにゃららみたいな、 そういうちょっとした病名がついてしまう状態になってしまうと。 これでもね、昔はそれ自体の現象を病気と捉えてなかったじゃないですか。 つまり鬱とかいう状態があったにもかかわらず、 きっと大昔からあったと思うんですよ。 それこそ江戸時代とか、 昔でも農耕とかそういう時代でもあったと思うんですね。 でも鬱っていうものが病気であるっていう風にするってこと自体も、 やっぱりあるべき状態を能力社会だったり、 できるっていう、成長できるということにあるから、 できない状態を病気とするってことじゃないですか。 そうですね。 だからさっきの新木さんの話は、 自分が不調に気づかないみたいな話で狂ってしまうっていう風に言われたけど、 そことちょっと違う論点として、 このできない状態を病気っていうこと自体がすごく特徴的だな、 現代のっていう感覚もあるんですよね。 だから病気ってスペクトラムというか、非常に曖昧なものですよね。 だから線引きが非常に難しくて、 その線引きそのものも変わってきているし、 鬱の定義とかも2000年以降すごい変わってきたみたいな事実もあったりするから、 非常に分かりにくいものだったりします。 やっぱりさっき言ったプロフェッショナリズムみたいな、 気持ちで片付けられるよね、みたいな側面もあったりするじゃないですか。 これきついよね、なかなか。 そうですね。 結局、限度があるっていうかね、 交換神経、副交換神経みたいな話で言うと、 自分の意図で副交換神経、ちょっと落ち込んだりリラックスしている状態から、 興奮して何かできるみたいな交換神経モードに、 自分が何かできるようになって、 興奮して何かできるみたいな交換神経モードに、 自分が何かで切り替えられるかってそうじゃないから、 気持ちだよとかって言われたって、 いやいや、できないなっていう。 そうなんですよね。 だから、ゆうすけが結構面白い、 まさに臨床でいろんな人を見ているからこそ、 やっぱり身体勢みたいなものをもうちょっと勉強しなきゃいけないみたいな、 彼も言っていて、 足をマッサージすることによって、 足をマッサージすることによって、 足をマッサージすることによって、 何とかとか言ってたよね。 何とかとか言ってたよね。 ちょっとあんま覚えてないんだけど。 でも、さっきの内重量感覚と近いと思います。 触れられているってことが、 実は分からない状態にまでなっていたら、 そうそう、だからあれ言ってたね。 今、リスナーの皆さんも聞いていたら、 ぜひ、お茶でも何でもいいんですけど、 飲み物を飲んでほしいんですけど、 その飲み物をどこまで感じることができますか? 当然のことながら、 舌先とか喉ぐらいまでは感じますね。 でも、それが食道を通って胃を通ってみたいな、 で、その内重量感覚が鈍っちゃっていると、 ほとんど感じないみたいな、 そのことを言ってたね。 そうなんですってね。 だから、全てにおいて体の酸位を麻痺させるっていう、 そういう状態になって、 自己防御になっていると、 正常に機能しなくなっている。 だから、どれくらい体が敏感かみたいなことっていうのは、 とても大事であるみたいな話。 そうですね。 まあ、よくね、 ちょっと今飲んでみよう。 飲んでみて。 分かるかなーっていう。 極。 ああ、でも、 胃の辺まで。 胃の辺まで分かる。 結構ストーンと落ちるね。 早い早い。 っていうのを、 胃中心の時はこうだなーって把握しておいて、 あ、そうだね。 それをモニタリングの対象にするっていうことですけど、 なんか問題起きて、 まず休めっていうことあるけど、 ストレスが過敏になっていると、 交換神経病になっているともう休めないって。 いや、物理的にね、 会社に行ってないみたいなことでも、 全然休んでいる状態になってないみたいな、 そんな話もあって。 そうですね。 休んでいる自分がダメだって、 自分自身が、 お尻叩いてたりして、 自分がストレスに原因になったりね。 そういう、 本当、だから、 直接関係なさそうだけども、 体っていうものを、 意識することで、 取り戻す自分になったり、 異常を察知できる自分になったり、 っていうことを。 ですね。 もっともっと、 体のことを知らなきゃダメだなっていうのは、 ちょっと改めて思いましたね。 はい。 ということですが、 今月は? 今月は佐藤邦竹さん。 佐藤さんだ。 の、いくつも本ありますけども、 模様と想像を。 模様? 模様。 はい。 模様と想像ね。 副題が13歳からのクリエイティブの教科書です。 はい。 こちらを取り上げて、 お話聞きます。 佐藤さん、結構その、 もともと個人のっていう、 クリエイティビティっていう印象あったんですけど、 あの、 ビオトープっていう会社さんがやっぱり、 組織のとこにすごくフォーカスされてるんで、 はいはいはい。 その本は結構個人のクリエイティブによってるんですけども、 そっから、 じゃあその組織のとか会社がとかっていう単位で、 イノゲーティブ、クリエイティブであるにはっていう話にも発展しそうで、 ちょっと楽しみにしてます。 はい。 はい。 ということで、 はい、楽しみにしております。 はい。 はい、ということで今日はライブの振り返り、 久保さんでした。ありがとうございました。 ありがとうございました。 # 『「言葉にできる」は武器になる』 それでは、今日のフライヤーのコーナーです。 今日の本は、「言葉にできるは武器になる」という本になります。 著者ですが、梅田聡さんですね。 EMCでご一緒させていただいておりますけれども、 コピーライター、武蔵野大学アントレプレナシップ学部教授でらっしゃいます。 元電通ですね。 そして、ICJ、ベンチャーキャピタルのICJに参画し、 2022年4月からコピーライターとして独立されたということですね。 ジョージア、世界は誰かの仕事でできている、とかですね、タウンワーク、バイトするならタウンワーク、など、 有名なキャッチコピーですね。 これを梅田さん手がけられましたけれども。 梅田さん、Voicy来ていただきましたね、以前ね。 私と対談させていただきましたけれども。 こちらの本、日本経済新聞出版から2016年8月出ております。 これめっちゃ売れましたね。 本当にいい本だと思います。 そして最近、君の人生に作戦名を。 という本、こちらも出ましたけど。 ちょっとね、梅ちゃんとまた話そうぜっていう話をしていまして、 以来お話できてない。 やばい、ちょっとまたお招きしたいな。 君の人生に作戦名をで、ちょっと対談しようかな。 しちゃおうかな。 来てくれるかしら。 という梅田さんですけれども。 こちらの本ですね。 言葉にできるは武器になる。 本当にその通りだと思います。 内なる言葉というキーワードが出てますけれども。 なぜ言葉は伝わらないのか、どうすれば伝わる言葉を生み出せるのか。 鍵となるのは、あなたの頭の中に生まれている内なる言葉だと。 相手の胸に響く言葉を生み出すためには、書いたり話したりする、 外に向かう言葉そのものを磨くのではなく、 内なる言葉に幅や奥行きを持たせる必要があると。 本当その通りですね。 外側だけ整えるみたいなね。 そんなことやっちゃうんだけど。 いやいや、もうちょっとさ。 あんた何言いたいのと。 もっとディープに掘り探ろうよと。 頭に浮かぶあらゆる感情や考えは、内なる言葉によってもたらされている。 その事実に気づき、内なる言葉に意識を向けよう。 今自分が何を考えているのか。 頭の中にどんな言葉が生まれているのか。 これを正確に把握することで、外に向かう言葉が自然と磨かれていき、 言葉に重さや深さが生まれる。 これ大事ですね。内なる言葉。 じゃあどうやって内なる言葉を出していくのか。 というので、7つのプロセスですね。 頭にあることを書き出す。 T字思考法で考えを進める。 同じ仲間を分類する。 足りない箇所に気づき、埋める。 時間を置いてきちんと寝かせる。 真逆を考える。 違う人の視点から考える。 というですね、7つのプロセスがあるんですが、 こちらの本で、ようやくでも紹介されています。 という事で、めちゃくちゃタメになる本だと思いますので、 是非皆さんに見て頂ければと思います。 という事で、今日のフライヤーは、 言葉にできるは武器になる、でした。 # 頂いたコメントへのお返し さて、コメント返し先週はエチカ、スピノザでしたね。 ぐるぐる鈴木さん、混乱からの立ち直りのための一丁目一番地。 先日1周年で訪問した小永川で聞いた震災と復興の話と重ねてこのエチカを聞いていました。 震災による混乱があった後の街づくりに、そもそも自分たちはどうなりたいのかという問いがある。 その問いに向き合った結果、若い方の考えで進めようという意思決定をしたと聞いています。 混乱はとりあえず解決策に結びつきたい時だが、そもそもの問いに戻れるチャンスでもある。 言葉で書くとその行間の言語化できない部分はまだ空っぽと感じますが、まず第一歩です。 本当にその通り。小永川の話多かったですよね。 でも本当にいろんな意味で混乱になった時に根本に立ち戻れる。 そういう意味ではスピノザの時代はまさにそういう時代だったのかもしれないですよね。 イタルさん、哲学書の構成ってどんなパターンがあるのだろうと思いながらお話を聞かせていただきました。 時代背景もあるのでしょうけど、混乱の時代に土台を立てるための一丁目一番地の合意。 ぶれない柱のようなものを最初にガンと立て、そこから次論を展開させる。 読む側はそれに疑問を持たずにそうだと仮定して読み進めていく。 軸や柱を最後に持ってくるような構成にする方が読者はついていきそうな気がしますけれども、あえてそうしないのが哲学書なのかしら。 なにそれ、どういうことからスタートするのが哲学とか。 どうなんでしょうね。僕もパターンを知ってるわけじゃないんですけど、 やっぱり柱を最初に持ってくるからこそ分かりにくいっていうのがあるんですよね。 読者を寄せ付けないみたいな。 あまりにも当たり前なことなのか、ちょっと抽象度が高いのか、ちょっとよくわからないみたいな。 そんなありますよね、感覚。 泉龍太郎さん。 シーツとシワの比喩からシワに対する過剰な意味付けが起こりそうだと思いました。 偶然のシワに必然を見出そうと試みがち。 そこにシワがよる必然の物語らしきものに触れるとコロッと飲み込みがち。 結果としてこうなったの自然現象のたるシワに、こうであるべきだったの規範を乗っけて語りがち。 規範を表現する言葉に科学の皮をかぶせがち。 幻の必然探しにいたずらにリソースが増やされる現象が仕事上の分析や意思決定等の場面でも起こり得ると思いました。 人間の歴史ってこうじゃないですか。 何らかのストーリー理解をするっていうことなんですけどね。 いや結局は偶然だぜみたいな。 身も蓋もないこと言われてしまうと、いやいやそんなはずはないみたいな。 偶然の事象に必然のストーリーをかぶせる。 それが人間であると。 畜産。混乱した時代だから基礎に立ち戻って考え始めた。 仕事でも同じだとマスターはおっしゃってましたが、自分を振り返るとそうではなかったと思います。 人間関係や仕事がうまくいかない時は何をすればよいのかを先に考えてがむしゃらに構造してしまいがちです。 そうではなくどうしたいのか。 じらさず基礎に戻って思考することでその上に立てる建築物の出来に影響するのではないか。 混乱した時に基礎に戻るということ自体が難しいとは思いますが大切なことだと感じました。 ほんとそう。いやいやなかなか出来ることではないんですよ。 基礎に戻るって結構めんどくさいししんどいからね。 だから混乱した時に戻りやすいと。 混乱に乗じてですよ。 土作作に紛れてみたいな。 ETさん。うまくいかなかった時に戻れるところまで戻るのが哲学の営み。 土台の大前提を合わせておくことが大事。 うーん。なるほどと思いました。 会社が業績不振になったからそもそものビジョンミッションに立ち替えて次の一手を考える。 夫婦関係が危うくなったら結婚とは?に立ち替えて相手の期待値やコミュニケーションの取り方を修正する。 哲学を共有共感できていれば関係の継続と組織の生き残りの道は何かしら見出せるような気がします。 これほんとあのか。夫婦関係が危うくなったらとかね。結婚とは?に立ち替えると。 いやほんとそういうことですよ。 結婚とは何かとかね。 共同生活とは何かみたいな。 そういうことをやっぱり考えざるを得ない。 それこそが哲学的瞬間なんだよね。 うーん。ほんと。 ヘグさん。ちょうどエチカの解説書を読んでいるときでしたので嬉しくなってコメントしました。 エチカにたどり着いた起点にあったのはこのブックカフェであり、 ブックカフェ超相対性理論、ひまと退屈の倫理学、国文講一郎さん、 エチカ、学びのというプロセスですね。 学びの巣を広げていただいていることに感謝です。 私がスピノザの考えで特に好きな箇所は自由の捉え方です。 完全な自由は存在せず、自分のこなつつを知り少しずつ自由になっていく。 解説書の3週目でも新たな気づきが多いエチカ。 本編に手を伸ばせることはいつになることや。 これね。自由っていうのはね。ほんとに大事な概念ですね。 完全な自由はない。完全な自由というのは神しかいないってことなんですよ。 だから我々は神の下にいる存在だからこそ自由足りない。 しかしその中で自由を自己認識することができるっていうことなんですよね。 完全な自由ではないけど。 この辺もちょっとまた後日改めて語ってみたいと思います。 山下さとるさん。混乱の状況下では大元に立ち返るのが大事。 人間関係仕事あらゆることに適応する考えだと思います。 ただし当事者は立ち戻れないから混乱している。 立ち返れないことを混乱と呼ぶ気もする。 混乱していることに気づかせてくれる第三者の存在はとてもありがたい。 これがない組織は消滅していくんだと思います。 周りの人に感謝しつつ後ろからポンポンと肩を叩ける存在になっていきたいと思います。 混乱の意味合いみたいな。混乱があるからこそみたいな。そんなこともありますよね。 組織としてこういうことの重要性を改めて思います。 町田勝人さんです。 こうしてマスターの話を聞きながら自分を振り返る機会を得る。 だから私はブックカフェに立ち寄り続けるのだな。そんなことを思いました。 なぜ私は哲学に惹かれるのだろうかと考えてみると 薬剤師として右往左往する中でこの世界の流れや懸疑のある人の言説に振り回され ある意味混乱していたのかもしれない。そんなことを感じました。 私の中で土台となる地平にまで考えを突き詰めていく。 そんなフェーズが必要だったのかもしれない。そう思います。 とかなんとか言いつつそこまでストイックに突き詰めることのできないポンコツ野郎ですが 少なくとも数年前よりは自分と向き合いながら数ミリパーセントは考えて行動できるようになってきたかなと 甘い自己評価をしつつまたブックカフェにいて トイとの出会いを楽しみたいと思いますということで ありがとうございます。 いやでもねこうしてね僕もね皆さんに感謝なんですよ エチカなんて話して聞いてくれる人ってあんまりいないじゃないですか普通には なんすかそれって美味しいのって感じじゃないですか でもねみんなこういうなんだろうな こう人分地に対してね喜んでくれる まあすごい嬉しいです はい ということで皆さん今後もぜひお付き合いください はいということで以上コメント返しでした # 終わりのあいさつ はい、ということで今日は久保さんとの対談、はい。いかがだったでしょうか。 昨日のクロージングで、いや明日はソロ活かなとか言っときながら、また対談でした。 ちょっとね対談がね色々不定期で入ってて、どうなることやらって感じなんですけど、 またね、ちょっとね年末とかかなり対談ラッシュでしたからね、はい。 また対談が色々入っております。はい。 まあ楽しみながら頑張っていきたいと思います。 ということで今日はここまで。また明日。 もっと見る #心理的安全性 #うつ #身体性 #乖離 荒木博行のbook cafeプレミアム放送配信中!00:111.タイトルコール01:522.初めのあいさつ22:083.自己開示ヤクザになってませんか?https://amzn.to/3wSJYOb04:004.『「言葉にできる」は武器になる』07:445.頂いたコメントへのお返し00:376.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう なかがわ2023年2月8日セクハラ、パワハラ、うつ病、なんでも境界線があいまいで、多分に属人的な要素がありますね。病名がついて逆に安心するということがあると思います。「うつと診断されたから休みます」のような。「内受容感覚が鈍ってきたから、休みます」と言える人が果たしてどのくらいいるのでしょうか。あいまいな境界の中で、例えばチェックリストで「5個チェックがついたら〇〇病」というような基準を設けたとして、では4個の人は?最近は「境界知能」という言葉もクローズアップされてきておりますが、定量化の限界を感じたお話でした。返信 町田和敏(変な髪型をしたポンコツ薬剤師)2023年2月8日自己開示という言葉の難しさを感じました。自己開示ヤクザ、私もなっていたなぁと、振り返って反省しました。今もやってるかもしれません。自己開示という言葉で、ヤクザ以外で、私が陥りがちな状態があります。それは、自己開示すると、その開示相手に対して「わかってくれてるよね」という認識になってしまうことです。それが度を越してくると、相手への甘えに繋がり、何度も失敗してきました。返信 町田和敏(変な髪型をしたポンコツ薬剤師)2023年2月8日そこで、今度は自己開示しないよう心がけたのですが、今度は別の悩みが出てくる。その悩みは、超相対性理論の篠田さんがゲスト回にも通じる話ですが、感情の行き場がなくなりがちになってしまいました。ほんとバランスって難しい。自分の中でのバランスも難しいのだから、他者のバランスを考えることなんてできないなぁ、と感じる今日この頃です。こうして、コメントにて自己開示ヤクザ状態になっている気もします😅いつもありがとうございます🙇♂️ 山下暁/yamashita satoru2023年2月7日我慢も社会との関係が大きな要因かなと思います。昔は社会が無知すぎて我慢が表面化しない、現代では徐々に表面化してきて別の我慢が生まれる。とても難しいテーマですが、おもしろワードで、スッと入ってきました。新しい視点をありがとうございます。1返信 E•T2023年2月6日「自己開示やくざに気をつけよう」境界線を守ることは大切、オフサイドラインは時代と共に変わる、というのは腹落ち感があります。僕は20年以上前の大学時代、サークルの仲間が飲み会に来ないと「ノリが悪いぞ」と言って強引に誘ったりしていました。でも今は、昔のように強引に誘うことはありません。人それぞれ置かれた環境が違い、飲み会への関心度も違う。無理に来ても、お互いが楽しくない。来れる人で集まって、来た人で楽しむ。自分も年を取り、時代の流れも価値観の多様性が重視され、徐々に変わっていきました。1返信 きたむらなおふみ2023年2月6日自分の心に対しては嘘をつかず正直になる。心と身体を自ら進んで解離させない事は、メンタルヘルス的に有用なのかなと感じました。 自己開示ヤクザは、確かに昔よくいたイメージがありますが、自分自身を惑わし、心をあさっての方向に向かわせ得る存在のようにも思ってしまいます。認知行動療法のように、自分を苦しませる考えを理解し、修正していく事が大事だと考えました。心と身体がなるべく一致できるような思考の枠。この中にいる事ができれば、心地よさや穏やかさに通じそうです。1返信 もっと見る
仕事が自然とできるようになる仕組みがあるんです/G-POPマネジメント実践講座 中尾隆一郎さん対談1 34分・16時間前・ 2,094再生AI目次仕事が自然と進むG-POPの正体GPOP:日報を越える自己成長ツール目標達成を促す振り返り術の真価心理的安全性を育むGPOP会議の力急増する導入企業が語る成功体験
感情を爆発させた後に何が残る?/絵本カフェ『なきむしなきこちゃん』 『ほげちゃん』絵本ナビ編集長 磯崎園子さん対談2 35分・9月8日・ 2,978再生AI目次大泣き体験から紐解く感情爆発の意義ホゲちゃんが暴れる!怒りの感情を解放する感情爆発後に残る「空白」その正体とはTLCが彩る90年代R&B、栄光と悲劇アート作品に投影される主観と客観の対話
やりたいことあるなら全部やっちゃえ!/絵本カフェ『ぜんぶやりたいまにちゃん』絵本ナビ編集長 磯崎園子さん対談1 31分・9月7日・ 3,070再生AI目次「ぜんぶやりたいまにちゃん」が問う大人社会の規範マルチな才能を肯定するキャリア思考マニちゃんに学ぶ「楽しむ」ことを最優先する生き方Radwimps「セプテンバーさん」に込められた想いPaul Smith展から探るアートの新たな価値
病名がついて逆に安心するということがあると思います。「うつと診断されたから休みます」のような。
「内受容感覚が鈍ってきたから、休みます」と言える人が果たしてどのくらいいるのでしょうか。
あいまいな境界の中で、例えばチェックリストで「5個チェックがついたら〇〇病」というような基準を設けたとして、では4個の人は?最近は「境界知能」という言葉もクローズアップされてきておりますが、定量化の限界を感じたお話でした。
自己開示という言葉で、ヤクザ以外で、私が陥りがちな状態があります。それは、自己開示すると、その開示相手に対して「わかってくれてるよね」という認識になってしまうことです。それが度を越してくると、相手への甘えに繋がり、何度も失敗してきました。
ほんとバランスって難しい。自分の中でのバランスも難しいのだから、他者のバランスを考えることなんてできないなぁ、と感じる今日この頃です。
こうして、コメントにて自己開示ヤクザ状態になっている気もします😅
いつもありがとうございます🙇♂️
境界線を守ることは大切、オフサイドラインは時代と共に変わる、というのは腹落ち感があります。
僕は20年以上前の大学時代、サークルの仲間が飲み会に来ないと「ノリが悪いぞ」と言って強引に誘ったりしていました。
でも今は、昔のように強引に誘うことはありません。
人それぞれ置かれた環境が違い、飲み会への関心度も違う。無理に来ても、お互いが楽しくない。来れる人で集まって、来た人で楽しむ。
自分も年を取り、時代の流れも価値観の多様性が重視され、徐々に変わっていきました。
自己開示ヤクザは、確かに昔よくいたイメージがありますが、自分自身を惑わし、心をあさっての方向に向かわせ得る存在のようにも思ってしまいます。
認知行動療法のように、自分を苦しませる考えを理解し、修正していく事が大事だと考えました。心と身体がなるべく一致できるような思考の枠。この中にいる事ができれば、心地よさや穏やかさに通じそうです。