TOPエンタメ映画・本荒木博行のbook cafe『責任と判断』ハンナ・アレント134:12 2023年2月18日 10,582再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次ハンナ・アーレントが説く「思考の罪」自分と仲違いしない生き方の極意内なる自己との対話がもたらすもの信頼できる組織・個人の判断基準『世界インフレの謎』戦争は主因か?AI文字起こし(β版) # タイトルコール 荒木宏一のブックカフェ。この番組は独学の地図の出筆者であり、 書籍予約サービスフライヤーのアドバイザーを務める荒木宏一がマスターとなり、 本からの学びを楽しむカフェです。 # 初めのあいさつ みなさんおはようございます。2月18日土曜日の朝になりました。 さて、今日はですね、責任と判断。ハンナアレントの本ですね。 ちょっとね、ごっつい本なんで、なかなか手が出にくい本かもしれませんけれども。 こちら、ちくま学芸文庫から出ております。 これ、未完行論文集なんですね。だから、一個一個ランダムな感じなのかな。 ただ、それを編集で第一部責任、第二部判断という形で、時代バラバラです。 というね、そんな論文集みたいな感じかな。 中山源さんが翻訳されておりますけれども。 こちらの本、ちょっと見てみたいと思います。では、いきましょう。本編スタートです。 # 自分と仲違いしない はい、それではハンナ・アーレンと責任と判断いきたいと思います。 今日はですね、この中の一番最初の論文かな、独裁体制のもとでの個人の責任、 こちら1964年に書かれた論文になります。これについて触れていきたいと思います。 ちなみにですね、この話はすでにね、ニュースピックスのトピックスで、 こちら2022年の10月だからもう4ヶ月ぐらい前か、に書いた 内容をベースに語ってみたいというふうに思います。 これは何について語ってるかというと、ハンナ・アーレンと皆さんですね、このエルサレムナ・アイヒマン というですね、まあ書籍でご存知の方も多いんじゃないかなというふうに思いますけれども、 そのナチス時代のですね、その体制、そして国民がどんな行動をしたか、そんなことをですね、 そのアイヒマン裁判ということを通じてですね、つまびらかにしていったということで、 まあ今の言葉で言えば炎上したという感じでしょうかね。ふざけんな、ハンナ・アーレンと、 ということでまあユダヤ人からめちゃくちゃ叩かれたという、そんなアーレンとなんですけれども、 何で叩かれたのかというとですね、シンプルに言うと、 まあアイヒマンっていうのは決してそんな根っからの悪人じゃないよっていう、そんなことを言ったからなんですよね。 むしろね、正真面目で、 凡庸の悪ということを言いましたけれども、あんま考えなかった人だから、 そうなったのであると。もちろん彼に責任がないわけではないと。 あなたはまあ死んでお詫びをしなきゃいけない立場なんだけれども、 虚悪だったかというとそんなことではない。まあそんなことを書いたわけなんです。つまり何かというとですね、 構造的にそこにとらわれてしまったと。 そこで思考するということを放棄してしまった。そこに罪があるのであると。 まあそこから転じてですね、この思考しないということの罪ですよね。 私たちも 常にね、こう 何かを考えていくっていう、それこそ大事でありそれを怠った瞬間に、 皆さん自身も愛媛になりますよという、まあそんなあのメッセージでもある。 まあそんなアーレントがですね、この独裁体制のもとでの個人の責任ということを書いております。 1964年。まあ今の延長でまさにね、個人の責任で、 メッセージを平たく言うとですね、 独裁体制になって、その中で個人に責任があるのかないのかという話ですね。 ドイツ国民からしてみたら、 まあ、 あの空気に飲まれてしまったんだから仕方ないですわと。 悪いのはね、こう ヒトラーでありナチスドイツであり。 言いたくなるんだけれども、そこにね個人の責任がないわけじゃないよねっていう、そんな話ですよね。 で、えっと ここでですね、ちょっとねアーレントのコメントを引用しながら考えていきたいと思うんですけれども、 こんな風に書きます。 ヒトラー体制において尊敬すべき社会の人々が道徳的には完全に崩壊したという事実が教えてくれたのは、 こうした状況においては価値を大切にして道徳的な規範や基準を誇示する人々は信頼できないと言うことでした。 私たちは今では道徳的な規格や基準は一夜にして変わること、そして一夜にして変動が生じた後は何かを誇示するという習慣だけが残されるのだということを学んでいます。 まあちょっと堅苦しい表現なのでわかりにくかった、特に音声だとついていけなかった人もいらっしゃるかもしれませんが、 どういうことかというと、ある意味ですね、有料で道徳的な市民ほど信頼できないっていう、 そういうことを言ってるんです。で、そこでね、その道徳的な市民っていうことが意味していることは何かというと、 自分の外側にある価値基準を信奉している人なんです。道徳的だというのは。 で、そこには内面がないんです。自分の内面がないんです。外面、外的なものね。内的なものじゃなくて、外的なものを基準を、その基準を信奉すると、 なぜそういう人は信頼できないのかというとですね、その外的なものは一夜にして変わり得るということを言ってるわけなんです。 例えば、実際にナチ政権ができて、そしてね、戦争に突入したっていうこと、それは外的な変化なわけなんですけれども、 そうするとですね、今までの正しさっていうのがどんどんどんどん一歩ずつ、1ミリずつ、1メーターずつずれていく。 でも、やっぱりそれが大事っていうことになると、自分の内面の判断基準ではなくて、外に委ねているから、それが正しいっていうことになっちゃうわけなんです。 だから、そうした人は信頼すべきじゃないっていう、そういうことなんですよね。 じゃあ、どうすればいいのか。 また引用したいと思います。 このように習慣に従う人々よりも信頼できるのは、疑問を抱く人々、会議的な人々です。 会議主義が良いものだとか、疑うことが健全だとか言いたいわけではありません。 会議や疑念は、物事を吟味して、自分で決心するために使えるのです。 最善なのは、ただ一つのことが確実だと知っている人々です。 すなわち、どんなことが起ころうとも、私たちは生きる限り、自分の内の事故と共に生きなければならないことを知っている人々なのです。 さて、来ました。ここで大事なキーワードですね。 私たちは生きる限り、自分の内の事故と共に生きなければならない。 そんなことを知っている人々こそが、大事なのです。 これを理解できましたか? 疑うということが大事なんだけど、そこに本質的には、疑う行為そのものが重要というよりは、 結局は、自分は自分と共に生きなくてはならない。 そういうことを理解していますか? その外面の判断基準に盲目的に従ってしまうと、 とある瞬間、自分のことが嫌いになってしまう。自分と仲違いしちゃう。つまり、内面に話を聞いていないからね。 ちょっと別のところに言いをしたいと思います。 しかし、良心が自動的に機能しない人々は、最も別な基準に従っていたようです。 こうした人々は、特定の行為を実行した後でも、自分と仲違いせずに生きていける限度はどこにあるかと問うのです。 そして、これらの人々は公的な生活には全く関与しないことを決めたのですが、 それはこのことで世界がより良くなるからというのではなく、 そうしなければ自分と仲違いせずに生きていくことができないことを見極めたからです。 ちょっと意味不明な引用なんですけれども、公的な生活に全く関与しないことを決めたというのは、 これは何を言っているかというと、ヒトラー政権と付き合うのをやめたということです。 それはなぜそうしたかというと、ヒトラーと手を切ることで世界がより良くなるという対処のことを考えていたわけではなく、 そうでもしないと自分と仲違いしちゃうということです。 自分と共に生きていかなきゃいけないんだけど、仲違いしちゃうよ、このままだと。 そういう人々なんです。 これさっきの文脈で理解できますよね。 外的なものを信奉している人、内的な自分と向き合うことを大切にしている人、 どっちの方が信頼できますかというと、やっぱり内的なことを大切にしている人です。 そういうことを言っているわけです。内的なことというのは何かというと、 自分と、事故と共に生きていかなきゃいけない。 自分の内側にある事故と。そして自分と仲違いできない、仲違いするというのは最低のことであるということを自認している人。 そんなことを言っているわけなんです。 さて皆さんどうでしょうか。自分と仲違いせずに生きていますかという問いがここで浮かびますよね。 次のチャプターではそんなことを深掘りしていきたいと思います。 # 荒木博行とヒロユキアラキの対話 外的なものではなくて、自分の内的なものを判断基準に置いているか。 道徳的なドグマみたいなものではなくて、あなたにとって大切なものは何かというのを常に問うて、 そして答えを必死に出そうとしている人なのかということですね。 例えば、これからの会社をどうしていこうという場面で、 コンサルとか第三者に答えを出してもらおうとしている会社がもしあるとしたら、 その会社ってやっぱり弱いよねって思いますよね。 だってコンサルがAじゃなくてBやれって言ったら、あなたたちはBやるんですねって言う。 そういう意味において信頼できないっていうことになるわけですよ。 じゃあその文脈で何をしたらいいかというと、答えはシンプルですよね。内側に問うってことですよ。 それは私たちは、社員も含めて、私たちはどういう存在でありたいのか。 そんなことを真っ先に議論できる組織っていうのは、多分信頼できる。 しかしね、世の中はこうだからとか、コンサルがこう言ってるとか、偉い人がこう言ってるからということで、 意思決定をしてしまうような会社は信頼できない。 外にバレなければいいやとか思っている組織は信頼できない。 そんなこととも同じかもしれません。 そこにそういうメタファーで考えるとすごくわかりやすいですよね。 ただそれを個人レベルに落としたときに、果たして私たちは内面にちゃんと問うているのか、 内側とコミュニケーションしているのか、自分の中にいる自己と対話しているのかっていうと、 実は鼻肌怪しいみたいなね、そんな自覚も湧き上がってくるわけなんです。 だからこれ結構大事なことでね、意思決定のキロってめっちゃ些細なこといっぱいありますよね。 僕がここで書いたのは、例えば、これは高校時代を思い出しているんですけれども、 そのグランドを回るときにですね、何週目って言われたときに、部活のときで、 ラグビーのグランドって四角いわけですよ。 トラックじゃないから。四角いときにですね、この角をショートカットするかみたいな話が必ず角を曲がるたんびに問われるんですよね。 この角を外側に回って大回りしていくか、ちょっと斜めにショートカットするかみたいな。 こんな些細な意思決定の連続なんです。人生は。 そんな時に、きっついなぁと思いながらも自己対話する。 自分の中の自己と対話しながら、基準を求めて答えを出す。 そこはね、必ずしも高潔でこういう人間であれっていう話だけではなくてね、 現実的な基準ってあると思うんですが、時にショートカットもありだと思うんですよ、僕は。 実際僕はそんな高潔な人間じゃないから、全てのコーナーを外側回ってきました、そういう人生ですなんていうつもりさらさらないし。 しかし、そんなショートカットした僕でもですね、結構自分の中の自己とうまくやっている自信はあるんですよ。 あんまり仲違いしてないんですよね。それはなぜかというと、そういったことも含めて自分としっかり対話してきたからなんじゃないかって思うんですよね。 だから等身大の自分をある種、まああんた自分に弱いよね、と。 弱いけど、まあでも、俺と対話してくれてるよね、っていうね。俺っていうのは、それはまあじゃあうちの中にいるのがヒロイキ・アラキだとしたら、 ヒロイキ・アラキとアラキ・ヒロイキが対話してるんですよ。 っていう感覚がやっぱり振り返ってみて、ある。内省めっちゃ僕大事にしてるんで、 そういう意味では、大事な意思決定であったり、もしくは瞬間瞬間の場面でも、なんか対話してるなって思ったんですよね。 だから、自分のことが別に決して大好きっていうわけでもないんだけど、 ヒロイキ・アラキはアラキ・ヒロイキのことをちょっと信頼してると思うし、アラキ・ヒロイキも何かあった時にヒロイキ・アラキに相談してると思う。 何言ってんすか?みたいな感じですね。ここだけ聞くとね。なんだけれども、そういう意味でですね、 アーレンとか言ってるのは、そういう意味で、外的な何かの基準ばかりに気を取られている人っていうのは信頼できん。 まさに社会がトランジションするタイミングで、そういう人は平気で橋を渡ってしまうのである。 ということが彼女は言いたいんじゃないかなと思います。 だから、価値基準はあなたの内側にありますか?という問いだよね。 そんなのいきなりできるわけじゃないんですよ。なんだけれども、内面と対話してさ、 いや、マジ超きっついんだけどさ、ヒロイキ・アラキどうする?みたいな。 俺ちょっと楽していい?ヒロイキみたいな。 そしたらヒロイキはね、まあまあ許容範囲だねと。今回いいんじゃない?って。 クリステンセンはね、イノベーション・オブ・ライフで100%と99%は大違いだと。 この1%の妥協が全ての妥協になるみたいな。 彼は経験のモルモン教徒ですからね、やっぱりそういうことを大切にしてるんだよね。 それは、自分、そのクリステンセンの中にいるね、ミニクリステンセンと相談するとそういう対話になるってことだと思うんですけど、 僕の中のヒロイキ・アラキはですね、結構若干そのユーズ効くんですよ。 そういう意味においては。 まあ90%ぐらいだったらOKじゃない?みたいなね。 そんなぐらいのアバウトさなんで。 でも88%にはならない、80%にはならないみたいな、そんな感覚はあるんですよね。 だから僕は、そういうヒロイキ・アラキと付き合ってる感覚はあるんですよね。 だからそれはもう皆さん次第だと思うんですよ。 ただ、その対話を忘れ、「お前100%でなければならないのだ!」って100%に盲目的に従ってる人っていうのは、怖いということだね。 この価値観もものすごく急激に変わり得る、この時代において。 そういう人は怖いよ。つまり内省してない人って結構怖いよっていうメッセージでもあるんだと思う。 だから疑い続けるっていうのはその形式でしかない。 本質は何かっていうと、自分の中の小さな事故と対話をしている。 ブツブツ言ってる。そんなことなんじゃないかなというふうに思います。 さあ、今日ですね土曜日でござる。 土曜日、一般的には休日、お休みなんですけれども、 今日という日の中においてもいろんな意思決定の機会あると思うんですよ。 その中であなたの中にいる小さな事故とどれくらい対話できますか? そんなことが問われているんじゃないでしょうか。 そんなことをハンナアレンとはここで語っているということですね。 ということで責任と判断。この中の独裁体制のもとでの個人の責任という論考についてお届けしました。 また今後気が向いたら別の論考とかもお話ししていきたいなというふうに思いますが、 しばらくは放送しないかなということでハンナアレンと責任と判断でございました。 # 『世界インフレの謎』 それでは今日のフライヤーのコーナーです。 今日はですね、世界インフレの謎という本になります。 著者ですが渡辺努さんですね。 現在は東京大学大学院経済学研究科教授、 株式会社ナウキャスト創業者技術顧問でらっしゃいます。 ハーバード大学PHDですね。 えーと、物価とは何か? これ、抗断者戦勝命知恵から出ましたけれども、 これね、とても話題になりましたよね。 僕も買ってまだ読んでませんけれども、 その後ですね、こちらの本ですね。 抗断者から新章ですね、出ております。 2022年10月に出た本になります。 さて、世界インフレの謎ということなんですけど、 日本にもインフレ来てますね。 食料品とかのきなみ値上げになってます。 ガソリンも値上がりしということなんですけれども、 何が原因ですかと言われたときに、 まず直感的に思うのはウクライナ、戦争ね。 この戦争によってっていうことは何となく想像ができる。 タイミング的にも近しいものがありましたし。 しかし、この渡辺さんの説明によれば、 戦争はインフレの主原因ではないと。 じゃあ何なんでしょうかということなんですね。 そこがパンデミック、そしてその後の後遺症、 そんなことなのではないかということが こちらの本で解説されています。 パンデミック、天災と言えますけれども、 この天災というのは企業が物やサービスを生み出す供給に ダメージを与えると。 パンデミックは労働者を働けなくする、 つまり労働者に与えるダメージの方が大きいのだと いうことですね。 パンデミックが起きましたけれども、 経済被害には必ずしも直結しているわけではないと。 そこで著者が考えた仮説は、 情報が経済被害を生み出したのではないか ということですね。 情報主判説。 感染者数や死者数の情報がメディアを窃監し、 それによって、 人々は自主的に外出を控えたり解釈をキャンセルした ということですね。 そんなような情報によって、 直接的にパンデミックによって人が亡くなったとか そういう話ではなく、 パンデミックの情報、 これが大きいのではないかということですね。 そしてこれによる後遺症ということがね、 3つの後遺症。 1つ目は消費者の行動変容ということですね。 そして2つ目が労働者の行動変容。 そして3つ目はグローバルに広がった企業の サプライチェーンがズタズタになったこと。 こんなことにより、 消費者、労働者、企業のことが 変化に伴ってさまざまなものやサービス価格 これも変わっていったのではないかということですね。 いずれ時間がかかったとしても このインフルは終わるでしょうと。 しかししばらくはこれが続くのではないかというね、 そんなことです。 これによって、 消費者、労働者、企業の行動変容、 しかししばらくはこれが続くのではないかというね、 そんなことが書かれています。 すごくようやくでもロジカルでわかりやすい。 いやー、これは読みたい。 そんな本でございました。 今日のフレイヤー、世界インフルの謎でした。 # 頂いたコメントへのお返し はい、コメント返します。今回は先週ですね、 豊洋経済の宮崎さんと、独学の地図について進捗をお話した回になります。 ラムさん、コロナ禍のマスターにどのようなお告げがあったのか気になりすぎて、 その後の話が全く入ってきませんでした。 ぜひ改めて配信をお願いいたしますということで。 わかりました。ちょっと需要がどこにあるのかわからないんですけれども、 プレミアムとかで配信しましょうかね。 誰と食うコンテンツになりそうですが。 はい、ご期待ください。 イタルさん、マスターの独学の定義に唸ってしまいました。 確か、学校や本で同じインプットがあっても、その人の中に残るものは人それぞれ。 それぞれが何を学びとして吸収したのかが独学であるということですかね。 つまらないのは説教くさいから、生々しい部分を出すことこそ面白くなる。 ノートを書いてて多く読まれるのってそうだよなと思います。 おもっともな理屈よりも心揺さぶるものに人は興味を持つのかもしれませんね。 コロナによる極限状態で受けたお告げ。悟りの力すごいですね。 3月23日の発売が楽しみです。 ということで、ありがとうございます。 確かにね、わかってるんだけどね、なかなか自己開示って難しい部分があって。 今回は本当そう、僕もここまで自己開示するかと思いましたけど、楽しみにしていてください。 泉龍太郎さん、ゲラチェッカーズの一ペーストだったので、ぼやっとコメントするとネタバレしそう。 独学という言葉が想起される一般的な意味の広がりがあると思います。 書斎にこもって渦高く積まれた専門書と格闘する様とか、古事成語の敬説の功が当てはまる様とか、 本書は独学の概念の拡張を試みた一冊だと思いました。 あるいは独学の解放、独学の民主化、人類皆独学族だぜという連携の呼びかけ、 お告げの下りに引っ張られてマスターを思想家に見立てるようなコメントになりました。 ということで、泉龍太郎さんはゲラをチェックしていただいて、20人くらいの引っかたでチェックしていただいたんですけど、そのうちのお一人ということで。 はい、ありがとうございました。 本当に皆さんのチェック能力があったからこそでしたね。 アンパンさん、荒木マスターこんにちは。 遅ればせながら私は現在進行形で自分の頭で考える読書を講読中です。 具体的中小の往復運動がまだうまくできていない私は日々筋トレに励んでいます。 3月から転職して業種での仕事がスタートする私として。 このタイミングで荒木マスターの方に巡り会えてよかったと思います。 ページをめくり、イラストがお目見えすると癒されるところもお楽しみの一つになっています。 体調を無理せずお体にお気を付けください。自作も楽しみです。 ありがとうございます。 ゆっくり読み進めてください。 自分の頭で考える読書。 結果的に続編っぽくなった感じがありますね。 なんか言ってるすごい中小度の高いメッセージあんま変わんないかも。 なんて思ったり。 げんさん、学びは結局一人で行う。 一人という単位への言及がこのネット社会において新鮮だと思いました。 そこに自分の性格やこうなりたいという理想の姿や動物的修正などいろいろ入ってくるのだろうなと。 外的環境と調整し折り合いをつけ自分のものにする。 私もマスターの発信する波紋に連なる一滴の雫ですね。 改めてマスターの活動の新規性を感じました。 ありがとうございます。 この独学の定義をいろいろ考えましたけどね。 本当に独学って名付けるのか、もうちょっと新しい概念の言葉を付与するかと思ったんですけどね。 あえて分かりやすいキーワード、しかしそれに違う意味を載せてみた。 そんな感じです。 山下さとるさん、学びイコール経験後の自分の状態-経験前の自分の状態。 以前マスターから頂いた素敵な言葉です。 自分の状態の変化が学びなので、独学と学びはほぼ同義なんですね。 それからもう一つ、問いが立たずに学びに行くと支配される。 学びに行く際のとっても大事なマインド。 多くのことに当てはまるが、私にはほぼ欠落してたマインドです。 私の座右の銘です。 ありがとうございます、そういうことを言っていただいて。 ぜひ、ちょっと本が出るのをお楽しみにということで。 すっすーさん、リボン新木の内面の告白。 宮崎さんとの対談の中で、独学の地図の中で、新木さんがセキュララに自分のことを話しているとのコメントがとても印象に残りました。 僕も新木さんはひょひょとしていて、割と何でもスマートにこなせる方なのかなと思っています。 そうした中で、その作品を配読する中で、おそらく新木さんが日々抱える心の葛藤などが垣間見れて、 より新木さんが身近に感じられるのを期待しています。 西間の仮面の告白ではないですか、リボン新木の内面の告白ですかね。 3月23日が楽しみです。 ということで、町田さんがリボン新木と反抗にしているところが流石すぎということなんですが。 いや、何でもこなせるわけではないんですよ。 いろんな葛藤の末なんですよね。 その辺もこの本を読んでいただければ感じられるんじゃないかなというふうに思っています。 リボンは反抗なのかどうなのかはまだ定義できていませんけどね。 ありがとうございます。 ぐるぐる鈴木さん、オツゲとリボン。 主論点ではないかもですが、オツゲは極陽状態で降りるというお話に反応してコメントしてみます。 いくつかの宗教で断食は取り入れられ続いています。 おそらく脳へのエネルギーも減少することから、特に消費の多い前投与の機能が低下するのかと感じました。 前投与は認知的に情報を清流するフィルター機能だとするとその低下で、 普段無自覚に知覚できない情報が流れ込んでくるのでは?って仮説を考えてみました。 生まれたての子はこの前投与は未発達なので類似が言えるでしょうか。 リボン正しいかも。専門家望むということで。 いや、これは本当そうかもしれない。ちょっとよくわからないけど。 なんかいろんなことが重なると、 まあだからね、そういうのに結構ドラッグが使われてたりするわけじゃないですか。インスピレーションのためにね。 そう、まあそんなところもありますね。 ETさん、気軽なトークができる余裕。本編の趣旨から外れてしまいますが。 マスターとアラキさんの気軽なトークが面白かったです。 裸になるとか、名前を変えてみるとか、放送中にウィットに富んだジョークを自然に飛ばせる余裕がかっこいいなと。 本題である独学の地図はとても興味がわきまして絶対読みたいと思いますということで。 はい、まあこれはね、もう宮崎さんはね、本当に。 まあちょっとね、面白いキャラでしょ。 ちょっとね、いろいろ宮崎さんそのもののキャラも打ち出していきたいなという風に感じています。 トンさん、いつもありがとうございます。お話を聞いて串山さんの詩、学ぶということの冒頭を思い出しました。 学ぶということ、それは誰のものでもない私の問いを生きること。 詩の最後はそのようにして私もあなたも元気になることで締めくくっています。 学ぶことイコール元気になること。 勉強は嫌いでしたが学ぶことは楽しい。 そして何か理不尽だったり辛いことが起こっても学んでおくことで乗り越えられそうです。 よりつつが欲しいです。筋トレしながら御著書を楽しみにしています。 いい詩ですね。 私の問いを生きること。 まあでもそんなメッセージを書いているんでね、ぜひお楽しみ。 北村直文さん、本好きな方々が集まるこのブックカフェ。 ただこの場での学びや気づきは人それぞれ全く異なっているように思います。 なるほど。このコメント欄に書き込む中身も一つの独学家。 今日の配信の感想です。 独学の地図からも読者一人一人の独学生まれてくるなんて想像できます。 そんなことを考えながら3月23日を待ちたいです。 うん、ほんと。 このコメントも独学だね。ほんとにね。 いやほんとその通り。ありがとうございます。 中川さん、フライヤーのキャンプ参加中です。 知識は構成されるもので俗人的なものであるということですね。 思わぬところで点と点が繋がっていくそんな経験があると学びの角がどんどん広がっていくのでしょうね。 私はまだ経験していないので未来の自分に期待しつつ本の発売を楽しみにしています。 後半の自己開示のくだりで自己開示ヤクザを思い出しました。 そうか、今求められている積極的な自己開示はのみの席ではなく文章でアウトプットしていけばいいですね。 そう、そう、まさに。そうやってね、ナチュラルにやっていきましょう。 発作さん、新刊本3月23日まで筋トレして楽しみに待ってます。 独学には必要な5つの筋肉を読み上げていただきましたが、自分はどれもまだまだだなと思いました。 おそらく一部でも鍛えてもダメで、かつ自分で目的定めて決めて動かないと鍛えられないのではと感じました。 まあね、この辺はね、最初のうちに糸を持つことは大事かもしれないね、その辺はね。 松屋担当さん、いやー毎回のことですが宮崎さんの対談にて独学の時代の期待が爆上がりです。 途中の本を書ける人は人前で逃げる人というのは先日の久保さんとの振り返り対談にて、自己開示ヤクザの話を思い出しました。 自己開示ヤクザだからといって本は書けなさそうですよねということで、すでにAmazonで予約注文済みですが到着を心待ちにしております。 ありがとうございます。もう皆さんね、本当に。 まあね、まだ買ってない方もぜひ機会があったら本屋でも見ていただければと思います。 ということでコメント返し以上になります。いつも皆さんありがとうございます。 # 終わりのあいさつ はい、ということで今日はアーレントですね。 責任と判断をお届けしました。 いかがだったでしょうか。 はい、ということで明日は相談カフェかな。 はい、ということでお楽しみに。 ということで今日はここまでです。また明日。 もっと見る #対話 #内省 #ナチス 荒木博行のbook cafeプレミアム放送配信中!00:111.タイトルコール01:072.初めのあいさつ09:443.自分と仲違いしないhttps://amzn.to/3EcC2vu08:524.荒木博行とヒロユキアラキの対話04:085.『世界インフレの謎』09:556.頂いたコメントへのお返し00:177.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう なかがわ2023年2月22日ちょっと極端な例ですが、昔読んだ「ブラック・ジャック」のエピソードを思い出しました。生真面目な会社員が、上司から不正の罪を被って死ぬことを依頼される話です。結末は忘れましたが、「組織のため」「会社のため」「お国のため」と、自分ではない何かのために自分を犠牲にした話は多く目にします。しかし、「内なる自分」が、心から信じられる「内なる自分」なのか、熱狂や世論の中で外発的に形成されてしまった「内なる自分」なのか。きっと、平時にいかに自分と対話をしているかが問われるのだと思います。返信 町田和敏(変な髪型をしたポンコツ薬剤師)2023年2月19日以前、孤独について調べていた際、ハンナ・アーレントの『孤独』についての考えがまとめられた論文と出会いました。確か、孤独を、隔離・孤立・孤独、の3つに分類し、自己との対話をする孤独の重要性が書かれていたと記憶しております。また、最近『スマートな悪』を読み直しているのですが、ハンナ・アーレントの考察が書いてあり、それを思い出しました。返信 町田和敏(変な髪型をしたポンコツ薬剤師)2023年2月19日自分事ですが、最近、悩むことがあり、その際に自分の感情の機微や、その感情がどんな場面で現れるのか、その結果の体の変化は何か、私はどうしたいのか、と対話していった結果、その悩みとうまく付き合えるようになりました。そんな実体験を思い出しました。 山下暁/yamashita satoru2023年2月19日自分の中の天使と悪魔の対話が内面との対話だと思っていましたが、今日の放送を聴くと、両方とも外的なものを基準として、作り上げたもののような気がしてきました。この2人のやり取りをメタ認知できるリトル山下が必要なんだろうな。2返信 すっすー2023年2月19日自己との対話話の趣旨とは離れますが、大型書店で、作品に手を取りながら、本編を聞いてました。そこでの自己との対話を紹介します。すっすー1は格好つけて、抽象概念の高い作品を読むと、満足度が高いぞと焚きつける自分。すっすー2は背伸びせず、等身大の自分で、実例が詳しく書かれたわかりやすい作品を求める自分。その2人の自分を戦わせ、書店で、購入する作品を決めました。すっすー1とすっすー2は体調やその時の関心事で、違う人格になります。本屋でその2人を戦わせるのは意外に楽しみの一つです。1返信 やまもと ひろき2023年2月19日「イカゲーム」の回を想起しました。-勝ちが一切なくとも、勝ちすぎてしまうのもクソゲー、ゼロリセットしたとて、単一尺度で勝ち負けがあるものはクソゲーに向かう-今、現代は、いつゼロリセットされるか分からないですが、「世の尺度に踊らされない、自分の中の確かな尺度はあるのか。現実をクソゲーか否かを決められるのは、実は自分だけなのだ…。」そんなメッセージに読み解けました。2返信 もっと見る
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生真面目な会社員が、上司から不正の罪を被って死ぬことを依頼される話です。
結末は忘れましたが、「組織のため」「会社のため」「お国のため」と、自分ではない何かのために自分を犠牲にした話は多く目にします。
しかし、「内なる自分」が、
心から信じられる「内なる自分」なのか、
熱狂や世論の中で外発的に形成されてしまった「内なる自分」なのか。
きっと、平時にいかに自分と対話をしているかが問われるのだと思います。
また、最近『スマートな悪』を読み直しているのですが、ハンナ・アーレントの考察が書いてあり、それを思い出しました。
話の趣旨とは離れますが、大型書店で、作品に手を取りながら、本編を聞いてました。そこでの自己との対話を紹介します。
すっすー1は格好つけて、抽象概念の高い作品を読むと、満足度が高いぞと焚きつける自分。すっすー2は背伸びせず、等身大の自分で、実例が詳しく書かれたわかりやすい作品を求める自分。
その2人の自分を戦わせ、書店で、購入する作品を決めました。
すっすー1とすっすー2は体調やその時の関心事で、違う人格になります。本屋でその2人を戦わせるのは意外に楽しみの一つです。
-勝ちが一切なくとも、勝ちすぎてしまうのもクソゲー、ゼロリセットしたとて、単一尺度で勝ち負けがあるものはクソゲーに向かう-
今、現代は、いつゼロリセットされるか分からないですが、「世の尺度に踊らされない、自分の中の確かな尺度はあるのか。
現実をクソゲーか否かを決められるのは、実は自分だけなのだ…。」そんなメッセージに読み解けました。