エビデンスとナラティブの間にも、大きな川が流れている。Evidence Based Medicine提唱者の著書には、患者さんの背景や医療者の経験といったナラティブ要素を考えた上で、そのエビデンスを適用することが書かれています。そうであるにも関わらず、エビデンスばかりが一人歩きした結果、Narrative Based Medicineが誕生しました。EBMからNBMへの歴史的背景からも、概念レベルで、エビデンスで見るか?ナラティブで見るか?の間に大きな川が流れていると、改めて感じました。
book cafeのマスターを務める荒木です。 書籍要約サービスを提供するフライヤーにてアドバイザー兼エバンジェリストを務めるとともに、「努力の地図」「構造化思考のレッスン」「裸眼思考」「独学の地図」「自分の頭で考える読書」「藁を手に旅に出よう」「世界失敗製品図鑑」「世界倒産図鑑」「見るだけでわかる!ビジネス書図鑑」の執筆者でもあります。
人材の育成も将来性やポテンシャルのような期待値でなく、過去の実績や傾向などの確率論理で、捉えがちです。
あの人は過去の実績による確立論で考えるとNGと判断するのでなく、本来の能力が今の職場では活かせていないと考え、将来性で、人材育成をしていきたいですね。
最近、後輩教育をするようになり、自戒の念を込めた、コメントです。
確率論ではなく、期待値で考える大切さ、よくわかりました。
期待値が大きければ、どうすれば確率を上げられるか?という思考になる。さらにstakeを持てば、本気度も上がる。
であれば、如何にしてstakeholdersを増やすかが、成否を分けるポイントかもしれないですね。
会社のプロジェクトも、如何に関連部署の協力を得るか。関連部署をただの関連部署ではなく、stakeholdersにすることで、前向きに協力したいという関係性にするのが肝だと思いました。
それも夢を追うことに対する期待値は、金銭的な側面だけでない、人生の価値や享受できる幸福の全体なのだなと思いました。
自分も最近になって、叶えられる確率が極々小さい事柄の実現のために、時間をつやしていますので、そのことを見つめ直す上でも、とても示唆深い内容でした。また頑張れそうです!ありがとうございました!
博打みたいな感じでしょうか?
一方で期待値で考えると言うことは働きかけることで何かが変わるかもしれないと言う可能性を見ることができるかどうかなのかな、と。
ゴールの解像度が高ければ、そこへの引力が強まる人もいれば、逆に冷める人もいたりする。
その人にとっての「実現までの近さ」感覚と距離を縮めるために自分からどこまで動く気があるのかにかかってるような気もしますけど…
どうなんでしょうね?