TOPライフスタイルくらしたけちゃん@大阪へーほーCH(たけすけ”武資"の部屋)#1755 【へーほー】枚方宿歴史散策②(西見附跡から京街道を東へ〜本陣跡まで)20:15 2024年5月20日 26再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次江戸時代の町並みを歩く、鍵屋資料館明治洪水碑と郵便屋の渡し跡の謎京街道西見附跡から歴史を紐解く旧木南邸と浄念寺が語る枚方宿枚方宿本陣跡に隠された秘密とは?AI文字起こし(β版) # 枚方宿〜江戸時代の町屋が残る鍵屋資料館は「宿」の役割 こんにちは、たけちゃんです。 始まりました、たけちゃんの大阪平放チャンネル。 たけちゃんとつながりのある方のヒューマンドキュメンタリーと、 大阪観光プロガイドとして案内しているライブや、 街のスポット情報をお話しするチャンネルです。 パーソナリティは、奥村たけすけです。 毎日19時半から配信して、3年ハマり版。 今日もどんなネタが飛び出すか、お楽しみください。 # 明治18年洪水碑、郵便屋の渡し碑 今日は大阪府平方市に来ております。 大阪と京都のちょうど中間辺りになります。 淀川の南側になるんですけれども、大阪平方市、 京都と大阪を結ぶですね、東海道53次の続きと言われています。 京海道を歩いております。 # 京街道西見附跡 今、平方市に来ておりまして、 京阪電車で言いますと、平方公園駅という駅がある平方のところにあるんですけれども、 今、淀川沿いを歩いておりまして、 桜町という京都森口線から一番淀川の縁を走っているところなんですけれども、 その場所に来ております。 今日はですね、ちょっと平方の淀川とか、一級の平方塾界隈の街歩きをブラブラっとしてみたいと思います。 まず桜町の交差点のすぐ南側のところに、大きな石碑が建っておりまして、 明治18年、淀川洪水の日、 明治18年、1885年、6月15日朝から17日夜まで降り続いた豪雨によって、 18日午前3時、平方市になっていますけれども、今三谷村、 伊加賀村の淀川堤防が決壊しました。伊加賀切れというそうです。 その切れ口は約180メートルで、濁流はたちまち全く一円を水没させ、 そさらかたの東成郡の一部から大阪市中にも及びました。 7月にも再び豪雨に見舞われ、切り口から水が流入し、 大阪府内では755村、7万戸余りが浸水するという未曾有の被害をもたらしました。 決壊箇所は水深が約5.5メートルもあり、水性も水の勢いも激しいことから 旧堤防から交代して弓形に仮堤防が築造されました。 土砂は御殿山、万年寺山付近から採取され、 大勢の妊婦を動員して、全長約400メートルに及ぶ大規模な工事でした。 この工事費は明治19年に混流されたもので、洪水と復旧の経過が記され、 淀川地水の重要性を今に伝えていることから、平成26年に平方市登録文化財に登録しました。 なお弓形の仮堤防は旧堤防の完全復旧によりその役割を負え、 今は桜町の道筋に名残を留めています。 ということで大きな火ですね。 竹ちゃんの身長の2倍以上あります。3メートル以上、5メートルくらいあるんじゃないかね。 それくらいの火が淀川に向かって立っています。 淀川の川沿いに立っているような、そんな場所です。 これはなかなか淀川の決壊を見るというものすごいびっくりするようなものがありました。 そしてですね、ここから少し南に入る平方公園の駅の方に行きますと、 淀川、ごめんなさい、平方塾というのがあるんですけれども、 ここにはもう一つ火がありましてね、郵便屋の渡し跡って書いてあるんですけど、 この火の中に入ることができるようになっています。 この火の中に入ることができるようになっています。 ここにはもう一つ火がありましてね、郵便屋の渡し跡って書いてますね。 昔、淀川には橋がなく、対岸の節の国に行く唯一の交通機関は渡し船でした。 ここ、三谷には平方地方で最も利用が多く親しまれた平方の渡し、 かっこ大塾の渡し、向こう側大塾という高槻になるんですかね、ありました。 明治10年、対岸に鉄道が開通したことにより、 淀川左岸一帯の郵便物は、 邸送婦さんがこの渡しで淀川を渡り、国鉄高槻駅まで運んでいました。 この渡し場はこれより上流約570メートルのところにありました。 ということで、郵便屋の渡しの日があります。 この辺りすごいですね、なかなかいろんな歴史が物語る場所がたくさん残っております。 淀川の堤防もすごく綺麗です。 広い堤防が、向かい側は高槻なんですけど、 さすがは淀川という感じの、なんとなく広いイメージが残っておりますので、 ぜひこちらは覗きに来ていただきたいなと思います。 高槻側からは、今、郵便屋さんじゃないんですけれども、 京阪バスというバスが、結構10分おきぐらいに走っていまして、 この桜町の交差点の前の平方公園口というところで降りますと、 すぐ今の目の前が桜町の交差点で、さっきの洪水の日があるところになります。 ではこれから少しだけ、堤防が高いのかな、 少し下がっていく形に南側に降りていきたいと思います。 そしてこちら側は、不動森口線と国道175線ですね。 大阪では言う、割と外環状線という、すごく交通量の多い道路があるんですけれども、 そちらに向かう国道175線なんかもありますので、結構歩きにくい道なのかな。 はい、一歩中に入るとめっちゃ静かですね。 石畳もちょっと雰囲気が出ているような、そんな感じになります。 そして坂を降りたところに西三つ家という、また歴史街道の案内板があります。 三つ家は、違う階で東三つ家の方をご案内したから、 西に向かって歩いている方向をご案内したと思うんですけれども、 江戸時代を通じて多くの旅人が平方塾を通行しましたが、 時には外国人の旅行者が平方塾のことを記録に残しています。 ケンペル、シン・ユハン、ツンベルク、シーボルト、アーネスとサトウなどです。 大阪京都間のほぼ半ばにある平方塾では、休憩食事をとることが多かったようです。 彼らのうち平方塾の様子を詳しく記録しているのは、ケンペルとシーボルトです。 両人ともドイツ人で、オランダ・東インド会社の将官庁の江戸三部には医師として随行しました。 シーボルトは、平方の環境は非常に美しく、 与度川の流域は私の祖国のマインの谷を思い出させるところが多いと想起しています。 ということで、今から旧の平方塾を東に向かって歩いていきたいと思います。 この辺りを平方市包町といいますね。 堤防の堤というですね、包町といいます。 はい、一歩入ると本当にスクバ町のちょっとイメージがありますね。 灯篭がどうなったり。 そして目指す鍵屋資料館は、もうすぐ目の前に見えております。 ひらがなで鍵屋と書いてますね。 もう見えてきました。 雰囲気ですね。 のれんがかかってましてね、外が。 縁側みたいな感じのところも見えております。 平方市立平方塾鍵屋資料館というところに到着しました。 この後ですね、鍵屋資料館の中の部分に関しましては 別の回でお送りいたしますので、お楽しみにお待ちください。 # 旧木南邸〜浄念寺 そして教会道を東に、平方市駅の方に向かって歩いていきたいと思います。 平野別館 平野別館というのは隣にあるんですけども こういう使い方をしているんだ。 いろいろ小さい小さいお店がいっぱい入っているんだ。 この辺りはそれらしい雰囲気があって 町をうまく利用して一級の開いた宿を雰囲気を出しているという感じがします。 なるほどね。 この辺りは本当に古い建物が残っています。 町によりましたらものすごく教会道から引っ込んでいるところがあるので さっきの鍵屋さんみたいに支着とかを置く場所を見た目に作っていたのかもしれないですね。 旧の平方宿を東に向かって歩いております。 やはり東の道化から西に歩いた時もそうだったんですけども 一軒家というかお家とか商店さんとかは わりと協力的に町づくりをされているみたいで 後戸のドアガンにしたりとか 瓦屋根を前まで出したりとか 結構そんな雰囲気になっているんですけども やはり新しいお家とか配通みたいなところはちょっと難しいんでしょうね。 左に ほどなく包み道を これはずっと街道ですね。歩いているのがね。 今電車と踏切の音が聞こえたと思うんですけども 京阪電車の線路にだいぶ近づいてまいりまして 平方公園駅も近い感じの場所になってきました。 そして 旧平方塾敦矢役に 大南全米門家矢後 太陽小那矢 何だろう。田んぼ根谷葉っぱに小那矢ですね。 東海道平方塾泥町村の木並家は 楠木一族の皇商と考えられる 江戸時代の初期で商矢と問矢役人を兼ねていた。 幕末期には農業経営を発展させ金融業をも営んでいた。 また蔵湾下船の茶船観察を所持し 宿駅と村の運営に大きな影響を行使した。 本建物は明治期と推定される長い間口に 礼豪紙と虫籠窓が連なる伝統的な構成を持つ 表屋づくりで広い敷地内に4棟の土蔵を配している 大規模な町屋であるということで 平方塾敦矢役に 木並全米文化館 文化ということですね 一発見ではちょっと読めなかったですけど そういうお家がこの角に残っております そして左の分岐があるんですけど そこを左に曲がって本陣宿に向かいたいと思います ここに来ると人通りが多いですね 三谷町になりました ほどなく行くと正面に常年寺 常水浜 常年寺というお寺が見えてまいります 常年寺の手前をこう 教会路はカーブしています カーブというか黒字型に曲がっています お寺を避けるみたいな形でね 曲がっております 常年寺の前にも案内看板がありますので ご案内したいと思います 旧三谷村屋形寺 町名そのまま残ってますね三谷町というのがね 常年寺前の教会路 三谷寺前の教会路 常年寺前の教会路 浄土新宿本願寺派 小封山常年寺 平方は浄土新宿とゆかれの深いところでした いきなりですね 平方と浄土新宿の出会いは 戦国時代の順光寺混流にさかのぼります A62年1559年に 蓮女第27名氏の実中が ここに入寺し 一家宗本願寺宗宗の一族 寺院として栄えます 実定は私心記 私に心の記という日記を残しており 平方に住む人々の様子を生き生きと描いています これによると順光寺を中心に 蔵野谷神野町下野町など 町場が形成され 油や塩や味噌などの野豪を持った商人等 多くの人々が住んでいたことがわかります このような新宿陣を中心とした 集落を地内町といいます 平方地内町は 現在の平方上野町上野町を中心に 大地上にありました しかし本願寺の勢力の低下とともに 順光寺は廃され地内町は衰退します この時代になると 淀川沿いに平方塾が形成され 大地上にあった都市機能も 宿営と移ってきたと考えられます その後本願寺は東西に分離し 天和4年、天和2年には 東本願寺は平方に再興した寺院に 願祥坊の名を与え また西本願寺も常年寺を本寺敬大賞 本座に直轄の寺院として特別な扱いをしました 地域の人々は 天和を東御房、常年寺を西御房と呼んでいたのです 東本願寺と西本願寺ですね というようなところになります これをさらに東に向かいます そうするともうしばらくしますと 本塾ですね 平方塾のなどの跡 平方の本寺跡に到着 # 枚方宿本陣へ お聞きいただきありがとうございます。 タケちゃんの大阪平放チャンネル、いかがでしたでしょうか。 リスナーの皆様からのコメントをお待ちしております。 また、Voicyには差し入れ機能がありますので、 もしこの放送良かったと思われましたら、 差し入れをいただきますとめっちゃ喜びます。 タケちゃんの大阪平放チャンネル、パーソナリティのタケスケでした。 ほな、さいなら。 もっと見る #大阪府枚方市 #郵便屋の渡し跡 #京街道枚方宿 #本陣跡 #枚方宿 #江戸時代の町屋が残る #鍵屋資料館 #枚方宿歴史散策 #西見附跡 #洪水碑 たけちゃん@大阪へーほーCH(たけすけ”武資"の部屋)奥村武資(たけちゃん)@大阪00:281.枚方宿〜江戸時代の町屋が残る鍵屋資料館は「宿」の役割00:202.明治18年洪水碑、郵便屋の渡し碑09:243.京街道西見附跡09:374.旧木南邸〜浄念寺00:285.枚方宿本陣へコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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