TOPトーク専門家毎朝の思考「戦争の記憶」を維持することの重要さと困難さ09:32 2025年6月26日 8,379再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次終戦80年、記憶の風化と語り継ぐ難しさ「語り部」の継承と、その限界とは?昭和16年、真珠湾攻撃当時の世相とは?『この世界の片隅に』に見る、記憶の改変真の反戦へ、歴史的リアリティの重要性AI文字起こし(β版) # 「戦争の記憶」を維持することの重要さと困難さ おはようございます。佐々木としなおです。 8月が近づいてくるにしたがって、新聞やテレビでは 修正記念日に向けた平和報道みたいなのがだんだん目につくようになってきました。 昔からそうなんだけど、僕がいた頃から だいたいどこの新聞社では、夏前の5月6月ぐらいから 平和報道取材班みたいなのを組むんですね。 それで数ヶ月取材していろんな記事を作って これを修正記念日前後に連載するというのが、丸い毎年の恒例になっていた。 そこで取材する内容というのは 決して現在のウクライナ振興やイランで起きているイスラエルとの紛争みたいな そういうところから学ぶというような、現代安全保障的な観点ではなくて 常に太平洋戦争の時に一体どんな悲惨なことが起きたのかということを 当時の経験者、体験した人から聞き書きをするという そういうやり方だったんです。ずっと一貫してそう。 これが平和報道の本質なんだけど でもさすがにもう今年80年ですからね。 当時出生して戦争に戻った人、戦場に赴いた人はもう100歳ぐらいになっている。 ご存命の方も非常に少ない。 かろうじてまだ子供で、本当に10歳に満たない子供だったら80代ぐらいだから 今の日本の平均寿命を考えればまだまだいらっしゃるんだろうけど でも10歳に満たない、物心つかない頃に経験したことを 80年経って鮮明に覚えている人はそういないよね。 覚えているとしたらそれはもう記憶がどこかで固定されてあるいは改ざんされて あるいはメディアから入ってきた情報とごっちゃになって ある種の物語になってしまっているというケースが多いんじゃないかな。 だからそういう語り部みたいなものはもうやめた方がいいんじゃないっていう話を 先日Xで投稿したら、ある方からリプライがあって それって平家物語を語り継ぐ美話法師みたいなもんですかね。 確かにそうですよね。美話法師だよね。 だって実際もうその語り部自体がだんだん減ってきているので 語り部の継承みたいなことを言っていて 語り部に異性とか出てきている。 つまり本人は戦争を経験していないんだけど 親から聞いた話を語り継ぐんだっていうね。 もはや経験者でもなんでもない。 まさに美話法師が何代にも渡って平家物語を語り継いでいるのと同じで それはエンターテイメントとか作品というかコンテンツとしては面白いかもしれないんだけれど 決して戦争の記憶を語り継ぐ話にはならないんじゃないかなと思うんですよね。 そもそも語り部と言っている人たちが語っている戦争ってどういう戦争なのかって 常にそれは悲惨なものである。ひどいものである。 加害者であったり被害者であったり。 でもそれって本当に当時の正しい認識だったのかっていうのはあるんですよね。 確かに太平洋戦争が始まった時と比べて終わりの頃は 日本の本土にも空襲が相次いでだんだん排出濃厚になってきて これはもうダメかもわからないねみたいな空気になってきている。 周りでどんどん人が死んでいき、神風と後退みたいなものが起きる。 っていうところの悲惨さは確かにあったんだけど でも昭和16年に12月に真珠湾を攻撃した時にそんな空気だったかというと そんなことは全くなくて、これは様々な記録が残っているんだけど 当時の知識人、作家とか評論家とかはいろいろなことを書いている。 結構な数が、これは明るい戦争だとか、ついに突破口が開けたみたいな 非常に盛り上がっている感じだったんですよね。 その盛り上がっている感じがだんだん戦争後半に入っていくと 排出濃厚になっていって暗くなっていったっていう流れなんだけれど この当時明るかったっていうのが本当に描かれているのかというと 描かれてないんだよね、今の語り部の報道の中には。 結局それは戦争を肯定してしまうからいけないんだっていう現代のイデオロギーに基づいて ホーズルからそうなっちゃうわけで、決してリアリティがあるわけではない。 そういう事例で一番有名なのは、これ僕は何度もいろんなところで書いてるんだけど この世界の片隅に っていうアニメがあったじゃないですか。 片渕直監督の非常にヒットした素晴らしい作品だったんだけど あれって元は河野文雄さんの漫画で2008年ぐらいに描かれたもの。 最後に敗戦が決まってラジオで主人公の鈴が日本が負けたってことを知って 家を飛び出して畑にひれ伏す。 この時に河野さんの原作ではこう書いている。 この国から正義が飛び去っていく。 暴力で従い取ったいうことか、邪気や暴力に屈することか、それがこの国の正体かね。 うちも知らんまま死にたかったな。 暴力で従い取ったってどういう意味なのかというと このシーンで後ろに韓国の大狂気が広がるのが見える。 つまり大日の人たちが日本の敗戦を祝ってるってことが描かれていて その中で、そうだ私たちの国は結局正義なんかなくて 暴力で大日を従い取っただけじゃないかっていう風に鈴が言葉を発するっていう意味だった。 ところがこれってものすごくリアリティがないんですよね。 アジアへの加害って言葉があって、韓国が中国に対する加害があったっていう事実は確かにあるんだけど それが問題になってきたのは1970年代以降なんですよ。 戦争が終わった瞬間から本当に1960年代ぐらいまでは アジアへの加害なんてことが日本のメディアでも あるいは一般の人たちの間でも問題になったことは一度もなくて どちらかというと常に被害者だって意識しかなかったっていうのが実際で だから1945年8月の終戦の日に鈴がそんなこと言うわけがないんだよね。 そこを片渕監督が非常によくわかっていて アニメ化するときにこのセリフを全面的に改編してるんですよね。 こう言ってる、鈴は。 飛び去っていく。うちらのこれまではそれでいいと思ってきたものが。 だから我慢しようと思ってきたその理由が 海の向こうから来たお米、大豆そんなものでできてるんじゃない、うちは。 邪気、暴力にもくせんとならんのかね。 何も考えない。ぼーっとしたまま死にたかったな。 だから戦争、鈴は肯定していて それで私たちも頑張って生活をやっていかなきゃ その頑張ることが戦争を勝つための一つの手段だなっていうふうに思ってたのに それが飛び去っちゃったというふうに考えた。 そのセリフをそのままのっけたんです。 これ片渕さん自身がですね、後にあるメディアのインタビューで 実際そういうふうに意図して変えたんだとか語ってるんですよね。 片渕さん曰く、ほとんどの人がどうも正義とか大義とかで負けたと思ってなくて 単純に科学力と物量で負けたっていう悔しさがあるとしか当時の人たちは言ってなかった。 だからそういうセリフにしたんだっていうね。 でもこの当時、このアニメのこの世界の片隅でが公開された当時は なんでアジアへの加害問題をこっちに出せないんだっていうふうにすごい批判されたっていうね。 結局それは戦後日本の現在のイデオロギーに従いさせろって話でしかなくて リアリティは全くなくてもいいからとにかく反戦を訴えればいいだった話なんですよね。 こういうとにかく反戦を言っておけばいい、悲惨な戦争だったと言っておけばいいっていう リアリティを無視した言説がずっと続いてきたからこそ、この語り部 この世界の片隅だけじゃなくて様々な語り部報道みたいなものが 価値を失っていた背景の一つとしてあるんじゃないのかな。 だから我々が考えるべきはなぜ当時の人たちは 戦争が始まった時にこの真珠湾攻撃を喜んだのか なぜ勝てると思ったのかっていうところをもっと緻密に考えていくことであり それをリアリティを持って受け止め、それを理解することである。 それこそが戦争の理解であって本当の反戦になるんじゃないかなっていうふうに僕は思うんですよね。 全くリアリティを無視して 反戦だ、戦争は悲惨だっていうスローガンを叫んでいるだけでは決して僕は戦争はなくならないと思いますよ。 最近の日本映画でも戦争中を描くと 俺はこの戦争には反対なんだとかこっそり言うしみたいなのがいっぱい出てくるんだけど そんなことを言っている人は当時はほとんど、少なくとも戒戦当初はいなかったって現実は もっと我々は知るべきじゃないかなと思います。 というわけで今日は平和報道についてでした。 ではまた明日 もっと見る毎朝の思考佐々木俊尚09:321.「戦争の記憶」を維持することの重要さと困難さコメント感想・質問・応援メッセージを書こう おくら2025年6月28日太平洋戦争のことを知れば知るほど、戦争に突入した複雑な状況や、咀嚼に時間がかかる受け入れ難い事実が出てきます。でも、事実は事実として、受け止められる心の強度を持ちたいと思います。返信 俊尚 佐々木2025年7月3日おっしゃる通りだと思います。 よしこ2025年6月28日文字起こしをしていると、語り部問題は厄介だなと思います。自分が経験したことだけで世の中を評価するのも何だかなと思うし、記憶は簡単に置き換わる。置き換わるだけじゃなくて「こういうことにしておこう」という気持ちもきっと働いているからです。それに母親の岡山空襲の体験談だって徐々に洗練されて(笑)、物語として固定されてるんです。語り部の人たちはもっと多くのギャラリーの前で長年話しているんだから、もっと物語になってると、個人的には思ってしまうのです。1返信 俊尚 佐々木2025年7月3日時間がたつと過剰な物語化が進んでしまう問題、もっと議論されて良いテーマだと思います。1 Kensaku2025年6月27日大変興味深く拝聴致しました。ウクライナでも語り部が出て来ると思います。一方で様々な視点・切り口からの議論も出て来るでしょう。ネットやメディアの発達、何より膨大な映像と報道記事が特定のイデオロギーに偏らない役目を果たしているのかも知れません。健全なメディアの存在が問われるわけですね1返信 俊尚 佐々木2025年7月3日ありがとうございます。 北斎2025年6月26日私、考えないわけではないですが、忘れていかないと前に進めませんよ と思っています。検証も反省も、もう十分ではないですか?1返信 回鍋肉2025年6月26日先日の沖縄もそうですが、広島や長崎の式典でも年配の人達がヤジを飛ばして、親どころか祖父母でさえも戦争を経験していないような若者が静かに祈りを捧げているというようなこともありますしこれもアイデンティティポリティクスの一種なのか、「平和」と叫ぶことが目的化して、祈念ではなく溜飲下げになっている気がしますこういう状態こそ「平和ボケ」というのでしょうか8返信 もっと見る
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でも、事実は事実として、受け止められる心の強度を持ちたいと思います。
自分が経験したことだけで世の中を評価するのも何だかなと思うし、記憶は簡単に置き換わる。置き換わるだけじゃなくて「こういうことにしておこう」という気持ちもきっと働いているからです。
それに母親の岡山空襲の体験談だって徐々に洗練されて(笑)、物語として固定されてるんです。語り部の人たちはもっと多くのギャラリーの前で長年話しているんだから、もっと物語になってると、個人的には思ってしまうのです。
忘れていかないと前に進めませんよ と思っています。
検証も反省も、もう十分ではないですか?
これもアイデンティティポリティクスの一種なのか、「平和」と叫ぶことが目的化して、祈念ではなく溜飲下げになっている気がします
こういう状態こそ「平和ボケ」というのでしょうか