TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティ損切りと訂正可能性。黙って見守ってくれる他者の存在。09:48 2025年11月10日 361再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次損切りと訂正可能性の意外な繋がり人はなぜ古い物語に固執するのか市場指標が突きつける客観的現実「役に立つ」という価値観への問い他者の存在が促す古い物語の手放しAI文字起こし(β版) # チャプター 1 こんにちは。鳥井博文です。 働くをテーマにした対話型オンラインコミュニティ、和製サロンを運営しています。 さて本日のお題は、損切りと訂正可能性、黙って見守ってくれる他者の存在というテーマでお話ししてみたいと思います。 今日も昨日ブログに書いた内容です。 それでは早速本題に入っていきますね。 先日、言論カフェで配信されていた250億の哲学、個人投資家の人生を聞くという動画を見ました。 そこに出ていたゲストは、250億円の資産を持つ個人投資家の片山昭さんと、後半には田畑慎太郎さんも飛び入り参加していました。 今回も5時間超えの有料動画だったんですが、本当にあっという間でとても面白かったです。 個人的には特に株式投資における損切りの話と、あずまひよきさんの訂正可能性の話が繋がるという視点が意外でめちゃくちゃ面白かったです。 つまり古い物語を終わらせること、その重要性の話ですよね。 最近ずっとご紹介してきた、藤畑海人さんのカウンセリングとは何かの本の中に書かれてある話なんかとも見事に通じる話だなと思いながら僕は聞いていました。 古い物語を終わらせて、新たに再出発することのその価値や勇気について、今、ジャンルを関係なく第一線でご活躍する方々が口を揃えて語っていること自体が本当に面白い現象だなと思うんです。 もちろんこれは僕が最近ずっとこのボイシーでも言い続けている、弔いの話にも近いと思うんです。 言い換えると、この弔いという感覚が株式党首における尊厳の価値観とも紐づくのかもしれないというところに個人的にはものすごく深い衝撃を受けました。 今日はこの動画を見た感想と、そこから新たに考えてみたことをこのボイシーの中でも語ってみたいなと思います。 この点まず、なぜ古い物語を終わらせることが大切なのか。 その理由は過去に散々繰り返し語ってきたんですが、今回の動画を見ていて僕が新たにハッとした部分は、 人間というのは黙って生きていれば自然と古い物語に固執していく生き物だからという点なんです。 これは東さんが海上との質疑応答の際に、東さんはなぜ定性可能性にこだわるのかといった趣旨の質問に対して、 東さんは人間はどうせ保守的であり、自分の国を愛する方向へと勝手に向かう生き物なんだみたいな話を語られていました。 そこでどうやってバランスをとるのかが重要であって、保守の側が保守を唱えていると保守でガチガチになってしまうんだと。 だから定性可能性の方向へと意識的に傾けておくことが大事という話を語られていたんですよね。 これは言われてみるととても深い説得力のある話だなというふうに思いながら僕は聞いていました。 さらに興味深いなというふうに思うのは、そこで大切になることが反証可能性であって、 つまり自分が古い物語に執着をせずに、新しい物語へとちゃんと踏み出すことができているかどうか、 そのための何かしらのテスト、つまり指標がないといけないというふうに語っていたんです。 ここで先ほどお話しした株式投資の損切りの概念なんかとも繋がってきます。 根点、いついかなる時であっても株っていう勝負の世界においては、マーケットの方が圧倒的に正しいんだというのはよく語られる話です。 自分の読みが合っていればちゃんと結果が出るし、想定した期間内に想定した結果が出なければ、それは100%自分の読みの方が間違っていることになる。 つまりそうやってマーケットや株価の変動というのは、日々自分の判断を査定してきて、否定してくれる存在なんだというふうに片山さんはおっしゃっていました。 これこそまさに市場の評価に晒されることのプラスの側面だなというふうに僕は思うんです。 うまくいっていないとしたら、それは単純に自分のやり方が間違っているそれだけ。だとしたら損切りをしてトライアンドエラーを繰り返すしかないわけですよね。 もちろん個人投資家や株式をやっていない人であっても、売上や数字、何かしらの指標みたいなものがきっと存在するはずであって、 その指標と向き合うことからはやっぱり決して逃げてはいけないんだろうなというふうに思います。 過去に何度も語ってきたように、大事なことはブレない力でもなく、すべてをリセットしてしまう力でもなく、過去を引き受けて古い物語は終わらせて再出発する力なんです。 だとしたら自分が自然と固執してしまっている、または執着してしまっている古い物語とは一体何なのか、それを丁寧に考えてみたいなというふうに思うんですよね。 さらにそこから、今の自分にとって一体何の損切りが必要なのかを丁寧に考える。その思考の傾向とそれを客観的に評価をしてくれる指標、 そのどちらも常に持っておかないと、いつでも簡単に人間は保守の方向、つまり古い物語に固執する方向へと流されてしまうってことなんだというふうに思います。 でも当然なんですが、古い物語に執着するには、それ相応の理由もあるわけですよね。 また損切りという言葉が表しているように、なんだかものすごく冷たく冷淡な響きなんかもそこにはあるわけです。 株式のような生き馬の目を抜くような世界だからこそ受け入れられるような言葉であって、 人間関係を損切りするとか言えば、やっぱりそれはどこか間違っているってふうに思われるはずなんです。 そして東さんもイベントの最中におっしゃっていたんですが、僕らが一番損切りしたいと思っているその対象、 でも決して損切りすることができないもの、それは自分自身でもあるわけですよね。 じゃあどうやったらそれが冷たいものじゃなくなっていくのか。 ここで一気に話が揃えてしまうんですが、最近老人が主人公の物語が世の中に一気に増えてきているなというふうに感じます。 段階の世代が老人になったことで、老人文学とか老人映画とか老人が主役で、 その老人が頑固なまま、それがそのまま社会や世の中の役に立つという物語が百花繚乱なタイミングがまさに今だなというふうに思うんです。 でも個人的にはこの役に立たなければいけないというその思考には強い違和感があります。 逆に言えば価値観を変えるかどうかはどうでもいい。昭和的な価値観で頑固なら頑固のままでもいいというふうに思うんです。 ただし役に立たなければいけない、生産性がないと無価値というのは何かが間違っているなというふうに思うんです。 役に立たないまま社会に存在してもいいんだという物語を作る必要があるというふうに思うんですよね。 また最近よく思うんですが、65歳と75歳では全く保守的な姿勢や態度が異なるなというふうに感じます。 たった10年の違いなんですが、保守という文脈においてはこの10年間でまるっきり変わってしまう。 労働力という意味においては老人にもこれから働き続けてもらった方がいいというふうには思うんですけども、 そのことによって社会全体が保守化したり受け入れ化することになってしまうのも同時に間違いないことだよなというふうに思うんです。 65歳以上が働くこと自体は一切否定をしないから、その権力だけは手放してほしいなというふうにも同時に感じるんです。 令和の陰境みたいな形で新たな働き方を推奨するなど、いつまでもトップや幹部の地位に居座り続けることはやっぱりどこか違うんじゃないのかなというふうに僕は思います。 こんなにも今日の本題から話を脱線させて、一体ここで僕が何を言いたいのか。 それは数字や指標という客観的な評価だけでは人間、特に年齢を重ねた世代にとっては焦りみたいなものを生み出し、逆に意固地にさせる原因にもなり得てしまうということです。 だって数字や指標に結果が出るということは、すなわち経済的な側面において役に立ったということと同義なわけですから。 そう考えると、その数字や指標だけでは決してわからないんだってことですよね。 言い換えると、自ら置かれている状況から見える景色だけでは、そこには必ず資格があると言ってもいい。 自分が欲しかをしていて、古い物語に固執していることに気づかせてくれるのが、史上の指標であることはまず間違いない。 それと素直に向き合えということが損切りの概念だというふうには思うんですが、そうすると年齢を重ねると余計に焦らされてしまう原因にもつながるようなというふうに思うんです。 また、その指標だけが人生じゃないって感じてくるタイミングも、老いの中では必ずやってきてしまうわけですよね。 だから僕らはそんな時に、信頼できる他者の存在が必要となるんだろうなというふうに思うんです。 この辺りが今日僕が一番主張したい独自の意見でもあります。 他者と共に歩むことによって、相手に正しく受け取って燃えるからというふうに思えるから、素直に手放せる古い物語もあるということです。 そうすると、ただ数字に追われて枯れ、つまり老いによってどんどんと意固地になり、余計に手放せなくなってしまう。 これは過去に何度かご紹介してきた映画ハウルの動く城における荒地の魔女と同じ構図だなというふうに思うんです。 ハウルの心臓を奪った荒地の魔女がソフィーから何か強い言葉で説得されるわけではなくて、 ただ黙って抱きしめてもらえるから古い物語、つまりそのハウルの心臓を手放すことができるわけですよね。 ハウルの動く城ってのはまさにそんな映画だったなというふうに思います。 その上でみんなで新しい家族、つまり新しい共同体を作って再出発していくというような映画です。 透明性の高い市場の数字による評価と、それだけではなくて、ただ黙ってそばで見守ってくれるような他者の存在。 その全く相入れない両方の要素、そのどちらとも向き合う勇気が生まれた時に、 僕らは本当の意味で古い物語を終わらせて、新たに再出発することができるのかもしれないなと、少なくとも僕は今そう信じています。 どちらか一方だけでもきっとダメだってことなんでしょうね。 というか、どちらか一方に偏りすぎているから、今の現状の社会がある。 つまり日本全体が追い込まれている古い物語に執着してしまっている構造があるんだというふうに思います。 だからこそ、和製サロンにおいては、それらと素直に向き合っていける場をゼロから構築していきたいなというふうに思うんです。 数字に晒されるオープンな世界と、黙って見守ってくれるクローズの世界の両立。 そしてまさに喫茶子精神みたいなものは大事であって、クローズの空間に帰ってきたときには、黙ってようこそゆっくりとお茶を飲んでいってくださいというふうにお茶を差し出してくれる。 でも一方で同時に、ここに居続けるんじゃない。お茶を飲んですぐに立ち去れというふうに追い出してくれもすること。 社会が突きつけてくる、地表に向き合う機会も必然的に作ってくれるそんな空間です。 この行ったり来たり問い続ける過程や姿勢が本当に大事だなというふうに思っています。 さて、今日のお話は以上となります。 いつもこのボイステーを聞いてくださっている皆さんにとっても、今日のこのお話が何かしらの考えるきっかけとなっていたら幸いです。 それでは今日はこの辺で。また明日。 もっと見る鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!09:481.チャプター 1コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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