TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティ自炊を繰り返さないと、見えてこないもの。ゲスト:自炊料理家・山口祐加さん27:49 昨日 215再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次自炊に潜む「繰り返し」の深い意味とは「つまらない」に気づく自炊のバロメーター二度とない料理体験が生む達成感人生の変化と食が織りなす「風景」現代社会の疲れを癒やす料理の役割AI文字起こし(β版) # チャプター1 はい、では今日はゲスト回ということで、自炊料理家の山口さんに再び来てもらいました。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 前回来ていただいたのがいつぐらいですかね、あれね。 3月後に3ヶ月だったから、6月とかじゃないかな。 3ヶ月前ぐらい。もう4ヶ月だったのかな、10月だから。 うん、4ヶ月前。うん、それぐらいだと思います。 それぐらいぶりということで。で、前回は、あ、急に具合が悪くなるのを話を。 あ、そうそうそう。して、その後に子育ての話をプレミアムでした。 はい。で、その子育ての話がめちゃくちゃ好評だったって話も後ほどしたいので、そっちは後半の方に撮っておいて。 今日は前半でちょっと話を聞きたかったというか、僕が山口さんにぶつけてみたいなという問いがありまして。 はい。 それが何かといえば、僕は別のポッドキャストで何でやってるんだろうっていう池内オーガニックさんと坂野途中さんの代表である小野さん。 池内代表と小野さんと、あと京都の店長の増田さんの3人でやってるポッドキャストのディレクションみたいなことをやらせてもらっているんですね。 うんうん。 で、その中で語られた問いでもあるんですけど、その繰り返すこととか反復することとか、何かそういったことが割とこのAI時代今すごく、何ていうのかな、キーワードというか。 うん。 それって意外と人間にしかできないことなんじゃないかみたいな。 うん。 だから何かそういう繰り返しとか反復の中にあるものじゃないと、それを深めていく行為じゃないともうAIに勝てないんじゃないかみたいなことを漠然と僕は思ってて。 うんうん。 で、京都の方々ってそれをすごく大事にするじゃないですか。 うんうん。 その祇園祭りだったりとか、もういろんな繰り返す年中行事が山ほどあって。 うんうん。 でもそこは何か発展していくわけではないっていうか。 うんうん。 いわゆる資本主義的に何か数字が増えていくとか、動員数が増えていくとか、そういう形ではなくて本当にタラタラ繰り返してる。 うんうん。 あ、日々恒例行事みたいな、ああいう映画的な世界観じゃないですか。 うんうん。 なんかあれすごくいいなと思ってて。 うんうん。 で、京都にいるお二人だし、池内雄介君代表の池内代表も愛媛県今治で活動されていて。 ちょっと東京とは違う価値観で働かれているので、お三方に聞いた話がすごく面白くて。 うんうん。 個人的にはあの会すごくいい会だったなと思ってて。 うんうんうん。 で、山口さんにもまさに同じ問いをぶつけてみたいっていうか、自炊ってまさにそういうことじゃないですか。 そうですね。繰り返すってことですよね。 ですよね。 うん。 なんかその繰り返す妙というかはどんな風に捉えてるのかなと思って。 なるほど。いやーでもその自炊の風景っていう本を今年の1月に出して、それも鳥井さんに読んでいただいたと思うんですけど。 はい。 なんかね、繰り返すことのつまらなさもあるんですよやっぱり。 うんうん。 もちろん面白さもあるんだけど。 うん。 なんかまたこれかーみたいなこともいろいろあるし。 でもなんかこう味噌汁とか作ってると、同じ、必ず同じ味にはやっぱりならないのがやっぱりほんと面白いなっていうのは思いますね。 うんうんうん。 なんかその面白さもあるし、つまらなさも同時にあるみたいなのが繰り返すことだなって思う。 それを揺れ動いてるんじゃないかなって思いますけどね、繰り返してる人たちは。 つまらないなーっていう感じでも、やめたってなんない理由はなんなんですか? うーん。 なんかつまらないなーって感じてきたら、自分が疲れてるんだなっていうことのバルメーターとして私は使ってるっていう感じですかね。 自炊がつまらないなーとかいうふうに思えてきたら、なんかスタンダードの自分が疲れてきてるなっていう判断をします。 それに気づけるから、それのバルメーターとして自炊があるとも言えるって感じですかね。 じゃあ健康ですごいかの時は基本的には自炊は楽しいものとして自分の中で作業するから、むしろちょっとつまんないなって感じるときは、 作業が単純でつまんないんじゃなくて、自分自身の変化の方が。 毎回違うお味噌汁とか、毎回違う味になってるはずなんだけど、それに気づけなかったりとか、そういう変化に気づけない方が、 自分が疲れてきてるんだなとか、ちょっとしんどいんだろうなみたいな目安になってるっていうか。 でもそれこそ子供も本当にそうで、子供可愛いなって思えるのってこっちの余裕がある状態だから、 可愛くないとは思わないんだけど、やっぱちょっとしんどいなみたいな時は、 ちょっと疲れすぎてるから仕事を入れすぎですよって言って夫に相談するみたいな。 私の時間が欲しいですって言って相談するみたいな。 そういうつまらなさが顔を出してきた時は、そういう調整としての調整が必要になってくるっていう感じですけど。 でも何が言いたいかっていうと、繰り返してないと分かんないってことだと思う。 イベント的に料理をしてても気づかないことだと思いますね。 日常の中で毎日あるような仕事で、そこが一つの基準になってるから、そこでのズレみたいなものが自分を図るバロメーターになってるっていう。 そうそうそうそうだし、やっぱり例えばもう過ぎちゃったけど夏とかになるじゃないですか。 季節が巡ってくるでしょ。そうすると、去年の私何食べてたっけ?とか思って、 インスタとかグーグルフォト上から遡ってみたりとかするんですけど、 なんかすごいこの時期これにハマってたなみたいなのもあって。 でもなんか全然今はそれを食べたくなかったりとかして。面白いですよね。 それが思い出して、あ、そうだ私これ好きだったと思って作ることもあるし、 今は全然気分じゃないなみたいなこともあるし。 料理をするっていうことは変わってないんだけど、 でもなんかそれをやってる自分はどんどん変わっているみたいなのもすごい繰り返すことの面白さだなって思いますけどね。 やっぱその繰り返してるんだけどしっかり変わってる部分もあるっていうところが。 基本的に食材側はあんま変わってないわけじゃないですか。 去年のトウモロコシと今年のトウモロコシがものすごい味が違うとかはないと思うんだけど、 なんか一時期トウモロコシご飯にすごいハマってたり、 今年の夏はトウモロコシはただ蒸しただけみたいな、そういうのをよく食べた気がするし、 使い方が違うのも、実際は続けてるっていうことは変わらないけど、 なんかすごいセイロっていうものが導入されることによって、 蒸したトウモロコシうまいなぁみたいなことに気づいたり、 また来年は違うトウモロコシ料理を作ってるだろうし。 でも本当に磨いてってるみたいな話がね、ボトキャストの中でもありましたけど、 腕を磨いてってるっていう感覚っていうよりかは、 まず素材ありきの料理しか私は基本しないので、 素材があってどうしようかなって言って、 出てくる答えが毎年違うっていうのが面白いなって思いますけどね。 じゃあやっぱりそこにはちゃんと自分なりの変化があって、 そこに気づいていけること自体がすごく楽しいから、 それは反復というよりかは、 どんな感覚なんですか?発展とか進化でもないですよね? 反復、全く同じことをしている。 味噌汁を作るっていうことは変わってないんだけど、 具が変わっているとか、 変わってる部分と変わってない部分が結構あるっていう感じなのかな。 でもやっぱり二度と同じ料理は本当にできないと思ってるんで、 食材も絶対一個ずつ違うし、 同じ売り場に売ってるジャガイモも一個ずつ違うと思ってるし、 私の体調も唯一無二だから、 それがバチッと合う料理が作れるとめちゃくちゃ気持ちいいですよね。 今の体調と感覚とかと、 これめちゃくちゃ食べたかったなみたいなものが作れると、 すごい嬉しい。 そこに嬉しさというか楽しさがあるわけですね。 うん、ピタッとハマったみたいな。 ルービックキューブ完成みたいな時があって。 それはすごい嬉しいかな。 それでどれくらいの頻度で訪れるんですか? 月2回とかじゃないですか。 結構少ないと思う。 だって1日にね。 うん、1日に2回くらい料理してるから。 60回中の2回ですね。 そうそうそうそう。 60分の2って結構ですもんね。 結構。 だから今日鳥居さんに私が作った料理出したんですけど。 はい、めちゃくちゃ美味しかったです。 茹でたささみをほぐして、 スライスした玉ねぎを、 玉ねぎって辛いじゃないですか、スライスしたやつ。 生で食べると。 あれ、酢水につけると辛さ抜けるんですよ。 だから酢水につけといて、 ザルにあげて、ちょっと絞ったやつと、 あとみょうがと、 みつ葉と、 あとヘベ酢。 カボスとかいわゆる柑橘とお醤油と、 ちょっとだけごま油で和えたんですけど、 私的にはもうちょっと酢が効いてる方が良かったなとか、 なんか山椒入れても良かったかもなとか、 なんかその妄想が膨らむわけですよね。 自分の想像してた味ぴったりではなかったなって、 美味しかったけど、 あともうちょっと塩が効いてたら良かったなとか、 そういうことを無意識のうちに反省してるっていうか。 でもそれと同じ料理はあんまり作んないわけですよ。 今日食べたから。 作るとしたら1ヶ月後ぐらいかなみたいな感じだから。 っていう意味で、 本当の反復はあんまりしないのかもしれないですね。 ずっと同じことを続けてる人もいるじゃないですか。 365日同じもの食べるみたいな。 それは私はできないかな。 客観的に言えば毎日自炊して、 自分の派手な自炊じゃなくて、 11歳的な自炊をしてるから、 なんか反復してるように見えるけど、 でもその中にはものすごく今みたいな形の思考作業とか、 創意工夫的なことがあって、 その中で自分がついつい思考が深まっていく、 その瞬間みたいなものにめちゃくちゃ面白い感じする。 面白いですよね。 今日も、例えば、 さっき言ったささみの和え物以外に、 茄子とピーマンの味噌炒め作ったんですけど、 あれもすりごまを入れて、ちょっとコクを出して、 すりごまが入ってるんですね。 そう、すりごまが入ってるんです。 なんかちょっとコクがあるんでしょ、香りというか。 それがメインとして2つあって、 スープはささみを茹でたスープにお塩して、 ちょっとだけ刻んだニラと、 ゴロコショウをひいたんですけど、 本当だったら卵とか入れたくなるじゃないですか。 でも普通になかったから、 シンプルでいいかと思って、 料理のこんだけ的なものを考えるときに、 柑橘を必ず私はつけたいなと思って、 鳥居さんが以前私の家にご飯食べてきたときに、 韓国料理のジョンっていう、 野菜の周りに卵つけて焼いたみたいなのを出して、 塩つけて食べてくださいって言ったら、 鳥居さんがただそのままバクバク食べて、 塩いらないですみたいなことを言ってて、 味がいらないんですみたいなのを言ってて、 だから外食の疲れって、 多分全部に味がついてるってことだと思うんですよ。 私この間自分の誕生日に、 仕出しのお弁当を取って、 家族で食べるみたいなのをやったんですけど、 量も多いし、 全部に味がついてて、 半分ぐらいでみんなお腹いっぱいみたいになってて、 残してたんですよね。 それを食べたんですけど翌日に。 味のついてるものってやっぱ疲れるんだなと思って。 しっかり味のついてるもの全部っていうのは。 っていう意味で、 今日のやつはナスの味噌炒めは濃いめ。 ささみの合い物は味ちょっと薄めで、 酢が効いてるからちょっとサラダ的な感じ。 最後の汁物はほぼお酢物みたいな感じで、 何だろう、箸休みじゃないけど、 そういう風になってるみたいな感じで考えて、 バランス的にはすごく良かったなみたいな。 バランスは合格みたいな。 なるほど。 だけど一個一個のところへ行くと、 もうちょっと改善できたなみたいな。 でもなんかそれは、 人から点数つけられるのは、 マジで不服ですけど。 でも自分で内省して、 こういう風にできたなとか思う瞬間はすごく面白いですね。 じゃあもう完成して食べ始めてる時には、 それで100点じゃなくて、 そっからまたさらに、 もっとこうできたのにっていうところがあるわけですね。 あるし、追加できる調味料とか、 それこそ塩ちょっと足すとかは、 普通に日常的によくやるけど、 でもそれこそ世界で水気候で、 世界でいろんな家庭料理食べさせてもらって思ったのは、 美味しさを追求することは、 時としてとても疲れるなっていうことを思って、 子どもが生まれて、 ぬるい味噌汁とかを日常的に食べるようになって、 ご飯食べてたら授乳が発生したりとか、 バタバタして食べられなかったりとか、 そういうのがあると、 ぬるいご飯を食べれるようになったんですよ。 ぬるいご飯をもう一回温め直したら美味しいかっていうと、 また別問題なんですよね。 分かります? はい。 だから固くなっちゃうし、チンとかすると。 最近は離乳食とかも始まって、 子どもが、赤ちゃんとかってうまく食べられないから、 顔とか手とかベチャベチャにするわけですよ。 気が散るじゃない、純粋に。 そういうのを見てると、 自分が味わえてないんですよね、食事を。 それに対して悲しさもある一方で、 人生のこういう時期なんだな、みたいな。 諦めみたいなのもある種大事だなって思っていて、 本当に繰り返してるんだけど、 子どもを産んだとか、季節が変わったとか、 自分の体調が変わったとか、 新しい調理道具をGETしたとか、 美味しい醤油を手に入れたとか、 そういう小さい変化が大量にあるんで、 ずっと同じではないみたいなのも面白いなぁとは思いますけどね。 実は自分自身もどんどん変わってるからってことですよね。 自分も変わってるし、 自分を取り巻く、自炊を取り巻く食材も変わってってるし、 道具も変わってってるし、 だから二度と同じ料理はないと思ってるから、 この間それこそ北海道でお会いした、 新しい日常料理っていうテーマで、 瓶詰めのいろいろ調味料とかを作ってる、 藤原直さんっていう女性がいらっしゃるんですけど、 その方のお家でご飯食べさせてもらって、 藤原さんが最近本出してそれ読んだんですけど、 美味しい料理が作れると、 綺麗な夕焼けを見たような気持ちになるって言ってて、 うわ、めっちゃわかるわと思ったんですよ。 だから自分の力が及ばない、 自然みたいな領域の美しさが見れたみたいな気持ちになるなと思って、 いい自炊ができると。 それはすごく繰り返しの中で見えてくる景色みたいなのはありますね。 それが多分自炊の風景ってことなんだと思うけど。 でも本当に夕焼けの日々なんてまさにですよね。 夕焼けなんて毎日来てるわけじゃないですか。 でも毎日違う夕焼けが見えるはずじゃないですか。 それは自分自身も変わっていくし、 雲の流れとかいろんなことによって、 同じ夕焼けは一度もないっていう。 そう考えると、繰り返したことなんて何もないっていう風にも思いますよね。 でもなんだろうな、子供を産まれたいのはすごく大きいですね、自分の中でも。 今話しててすごい気づきましたけど。 毎日が違うんだなっていうことをすごい思う。 毎日が違うし、 昨日はもうないっていうか。 自分は本当前に、一日一日ずつ前に進んでるのかどうかわかんないけど、 とにかく違う日を過ごしてるんだなっていう感じはするし。 去年の私と今年の私はもちろん出産って大きな変化があったから違うんだけど、 物理的には見た目的には何も変わってないわけで、 そんな思考も変わってない気がするんですけど。 でも確実に子供っていう存在がいることによって、 違うものなんだなっていうことが感じられるっていうのもあるし。 それは何をもってお子さんと一緒にいることによって、 一日一日が違うものと思えてくるようになったんですか? 子供の成長とかが如実に変わってくるので、 そういうのを近くで見てると、 この子にはもう二度と会えないんだなって思うわけですよ。 このサイズの子には。 でもそれって夫も同じだし鳥居さんも同じなわけじゃないですか。 人間いつ死ぬかわかんないんで、 あれが最後だったってことも全然あり得るわけじゃないですか。 今日会った全ての人に対して。 そうっていうのはすごい思うし。 だから何だろうな。 繰り返しのつまらなさって、またこれかみたいなことだと思うんですけど、 実はもうないかもしれないっていうことも、 同時に子供が生まれることによってすごい感じるようになったっていうか。 でもかといって一触入魂的な、 一触一触を絶対大事にしないと無理っていうことでもないっていうか、 そんなこと言ってられないみたいな余裕がなさるのもあるし。 本当は身近なところにめちゃくちゃ大きな変化は山ほどあって、 ただそれを見過ごしてるっていうか、 それは昨日と同じものだと思う自分がいるっていう話だと思うので。 でもやっぱりそれは外食してたらわからないんじゃないかな。 特にチェーン店とかコンビニ弁当とかで食べてたら気づきにくいと思う。 でもやっぱりそういう外食って平均点、 特にチェーン店的なところは、 その基準としたおいしさに持っていくっていう多分料理のやり方なんで。 なんか不足が出たときに他から調達するとかになるじゃないですか。 だけど自炊はそういうことじゃなくて、 あるものでやるっていう料理だと思ってるんで。 それこそ養老先生のああすればこうなるじゃないけど、 コンビニでお金を払うとこの幕の内弁当が買えるみたいなのって、 ああすればこうなるじゃないですか、ある意味。 だけど自炊って、 今日は予算が1000円あって、 それで何を買うかみたいなところから、 その人の手に任されてるし、 それでどういうふうに、 じゃあブロッコリーと鶏もも肉を料理するってなっても、 それを蒸すのかスープにするのかとかによってどんどん変わっちゃうし、 同じスープにするでも前回と同じようにできるっていうことの保証はないし、 なんかその揺らぎみたいなのがめっちゃ面白いなって思いますけどね。 外食行ってるとそれには気づけないですよね。 季節が巡ってることも気づけないと思う。 逆に変わりすぎてるじゃないですか。 例えば昔だったらサイゼリアとかでもメニュー大体一緒っていうか、 サイゼリアに多分シーズンメニューってあるのかな最近は。 でも今ってどこ行ってもシーズンメニューで、 2週間ごとに変わるじゃないですか。 スタバとか分かりやすいですけど。 どんどんその時の季節物だったりとか、 ハロウィンとか、今ピカチュウとかやってますもんね。 こうやってちょっとでも味変えてやろうと、 もう一回やってきてほしいっていうことをやってて、 こんだけ変わり映えがあって、 しかもその変わり映えを良しとしてる世の中になったら、 そりゃ変わり映えのない反復みたいなものが何かしらにされちゃうけど、 でも本当は自分の変化を楽しめるようになったら、 そんな表側の変わり映えは特に必要ないってことですよね。 あれこそ自炊。私が言ってる自炊って、 多分これは自炊じゃないって呼んでる自炊も、 自炊だと私は思っていることが多いんで、 え、これ自炊なんですかって言われると、 途端に悪くないって気がしてくるみたいなのも、 すごい面白いなって思うんですよね。 悪くないって、山口さんは悪くないって。 いやいや、その人本人が、 例えばインスタントラーメンにもやしをぶっこんで作った、 もやしのみのインスタントラーメンみたいなものがありそうじゃないですか、 例えばですけど。 でもまあそれもそれで、もやしを入れようっていうのは多少ないとも、 安く野菜的なものを取ろうという努力が感じられるじゃないですか。 なんかそれってとってもその人らしいっていうか人間らしくて、 素敵だなって私は思うんですけど、 それも自炊の一つだと思うし、 それをなんか恥ずかしいとかこんなものっていう気持ちで食べるのと、 自炊したぜっていう気持ちで食べるのとではなんか違うと思うし、 心持ちみたいなものがすごく反映されると思うんですよね、料理は。 さっき言ったように自分のコンディションとかも料理によってわかるとか。 夫が例えばじゃあ、すごい事務帰りに、 私が作った料理に塩を追加して食べたりするわけですよ。 で、多分運動的なことに私がうどかったら、 何やってんの?みたいな感じで思うかもしれないけど、 汗かいたんだねみたいな。 そういうのも面白いですよね。 そっか、それも旦那さんがジム行ったっていうある種の文脈があるから、 そこに対して理解も深まるし、楽しいですもんね。 私、やっぱり食卓に塩を置いておくのいいなとか、 薄味で作っておくのいいなとか、そういうのもいろいろ思ったりするし、 なんか本当に地味。 そうですよね。地味だけどめちゃくちゃ文脈を組んでるってことでもありますね、 そう考えると。 なんか本当に食べ物って食のその一瞬の、今何を食べるかみたいな、 目の前のこの出てくるメニューだけを思い出したけど、 でもその前後にはものすごいそれぞれのストーリーとか物語があるわけじゃないですか。 そうですね、本当にね。 ライフステージの変化の話もそうですけど、 みたいな形で文脈をついていけば、 その反復でさえもやっぱり違うものになっていくってことでしょうね、自然と。 そうならざるを得ないんじゃないかな。 だって、どう考えても40人もなって50人もなってずっと唐揚げ食べられる100個とか、 100個はいないけどさ、10個とか食べられないでしょ。 もう今10個は唐揚げとか無理ですよ。 そうですよね。 20代前半とかだったら喜んでたかもしれないけど。 体が老化していくから、それに応じて食べるものも変えていかないと、 いつまで経ってもずっと太ったままになっちゃうじゃないですか。 昔は代謝が良かったからとかいろいろあるけど、 そういう変化に気づくみたいなのも面白いですけどね。 でも毎日のことだから、例えば完食はやめられないとか、 仕事終わりのビールはやめられないとか、 そういうのに気づいてるけど終わらせられないみたいな、 それもやっぱり日常の難しさっていうか、だなって思いますけどね。 そうですよね。 だからやっぱりその刺激が欲しくなってしまうことも一つの、 現代で生きてたら避けられないというか、 植林語と馬鹿気話あるわけじゃないですか。 マジで。 最近本屋行くと、休む話か何もしない話かしか本屋にいなくて、 ほんとマジでみんなめっちゃ疲れてるんだなっていうのは思いますね。 でもその疲れが自分によって疲れさせてるから、 そういうドバーキ的なこともそうだけど、 疲れたらYouTube見るとか、疲れたらSNS見るとか、 現実逃避的な感じで使う人が多いじゃないですか。 そうするとまたそこで目が疲れるでしょ。 いろんな情報が目に入ってきて、脳に入ってきて疲れる。 だから何もするなって書いてあるけど、 でも何もすることはできないみたいな。 何かしてしまうみたいな。 って時に私は料理したらいいんじゃないって思いますけどね。 私も黙ってずっとじっとしてるみたいな、 瞑想とか全然向いてないんで。 だったら料理したらいいと思うなっていう。 スマホ見れないし物理的に料理しながら。 確かに。 音楽とかは聴けるけど。 でも僕も家で最近の仕事の仕方だと、 早いにお願いしたら後は出てくるまで待つみたいな時間あるじゃないですか。 あの細切れな時間とかって普通に果物とか向いてますからね。 そうなりますよね。 でもあの時間なんかいいなっていうか、 考えるところからちょっと思考停止して。 だからなんかそういう風な、 でもそれは家で仕事できるからっていう良さもあったりもしますからね。 なんか料理のいいところって、 やっぱり料理をしてるんだけど脳は停止してるっていう状態っていうか、 あんまり脳みそを働かせなくてもできる料理をやればいいなって思いますけどね。 だからそれは定番を作るってことだと思うんですけど、 あんまりいろいろ手を出さないっていうか。 確かに。 そっちをぶらさないからこそむしろ生活の方をぶらしていっても いくらでも対応できるみたいなところもありますもんね。 いわゆるな、何でしたっけ、 11歳の生徒の土井先生の自粛の思想じゃないですけど、 そこが一つの基準としてあるから、 むしろ生活とかに多少のブレというかね、 晴れ時計があってもまた戻ってこれるっていうところがLINEとしてもできるから。 それはほんとそうですよね。 疲れたら料理作ればリセットできるみたいなのは、 強制リセットスイッチみたいなのが自分の中にあるのはいいですよね。 それはお風呂の人もいるだろうし、たぶん鳥さん散歩なんだろうし。 よくご存じだね。 そうそう。 でもそれを罪悪感のあるものにしないっていうか、 体が疲れるものにしないっていうのはすごい大事だと思いますけどね。 デフォルトラインもですよね。 ありがとうございます。 これすごくいい話を聞けたなっていうふうに。 地味な話だったけどいいのかな。 いやでも反復って地味さを深めるって話だと思うので、 僕は本当に上とか高さじゃなくて、 今は奥を深掘っていくことの面白さの方が、 たぶん人間的なことだと思うので、 こういう話をしたいなっていうのはすごく。 ドパガキの逆だよね。 本当に。 地味だからね、料理ってね。 地味ババみたいだね。 本当、本当、本当。 マジでね、本当に。 でもやっぱりおばあちゃんが作る料理って、 圧倒的な安心感があるのはやっぱりそこだと思いますよね。 奥深さがね、ありますよね。 人生の深さがね、料理にあふれてるから。 茶色、みたいなね。 本当に、ああいう料理いいですよね。 いいですよね。 じゃあこれ、後半は一気に話変わっていくから。 でも今の延長も。 そうですね、あると思います。 山見さんのオリジナリティがあふれる。 子育ての話ね。 子育ての話。 じゃあ聞かせてください。 ありがとうございました。 ありがとうございました。 もっと見る鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!27:491.チャプター1コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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