TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティ僕らは、人生の「落差」に感動してしまっている。09:42 6時間前 117再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次「正解」を追求する危うさとはなぜ人は人生の落差を求めるのか「聖」と「俗」が織りなす落差「晴れと褻」の繰り返しが意味するもの真に「生き切る」ための問いとはAI文字起こし(β版) # チャプター 1 こんにちは、鳥井博文です。 働くをテーマにした対話型オンラインコミュニティ、和製サロンを運営しています。 さて、本日のお題は、僕らは人生の楽さに感動してしまっているというテーマでお話ししてみたいと思います。 今日も昨日ブログに書いた内容です。 それでは早速本題に入っていきますね。 先日、Xにこんなことを投稿してみました。 正解を選ぶのではなく、選んだ道を正解にするという言葉自体は大事だけれども、 現代はむしろ選んだ道を正解にしなくてもいいと思える勇気の方が大事なんじゃないかと、 自分の選択は間違っていたと認めて立ち返る勇気の話です。 というのも、AIを使いながら自分の選んだ道を経済的な正解に近づけていく方法はこれからますます増えていくはずです。 でも、儲かっていることがそのまま自分の選択や信念まで正しかった証拠になってしまうと、 成功すればするほど逆に引き返せなくなってしまう。 お客さんは喜んでいるし、周囲からもぐんぐんと評価をされて、実際にお金もちゃんと入ってくるわけですよね。 そんな中でも、でも自分はこのまま進みたいわけじゃないんだよなというふうに漠然と感じたとしても、 その違和感の方を間違ったものとして僕らは処理してしまうんだろうなと、 そういう地獄への落ち方もきっとこれからの未来ではかなり高い角度で実現するんだろうなというふうに思うんです。 ここからもう少し考えてみたときに、一つ不思議に思ったことがあったんです。 例えば、細木一子を描いた地獄に落ちるわよや、レオナード・ディカプリオ主演のウルフ・オブ・ウォールストリートなど、 欲望に突き進むことの危うさや、その先に待っている破滅みたいなものを描いた作品は世の中に多数存在します。 でも、あれらの作品を見て、むしろ自分もそっち側に行ってみたいと願う人が世の中には一定数いるんですよね。 あれっていうのは本当に一体何なんだろうなって。 自分ならもっと上手くやれるというふうに思っている人たちももちろんいるとは思いつつ、 でもそれだけでもないような気がしているんです。 最後には破滅するっていうふうに分かったとしても、一度はあそこまで行ってみたいんだと。 つまり、あれほど自分の欲望に忠実に生きてみたいというふうに願ってしまうし、 何も起こらないまま人生が終わってしまうぐらいなら、最後に全てを失ったとしてもあんなふうに生きてみたかったってことですよね。 だとすると、別に破滅したいわけじゃないんですよね。 その破滅まで含めて、私の人生を生き切ったって思いたいんじゃないかと。 そんなことをモヤモヤと考えているうちに、ふと思ったんです。 人間というのはジェットコースターみたいな体験をしないと、自分の人生を十分に生き切ったって思えないところがあるんじゃないかと。 大事なのは意外にも楽さそのものなんじゃないのかなって思ったんです。 この辺りからが今日の本題にもなります。 というのも、ずっと幸せでずっと満たされていて、何一つ困ることがない。 それってのは間違いなく恵まれた人生だし、できることならそうありたいというふうにみんな頭では思うはずなんです。 でも物語として眺めたときには、それがどこか物足りなく感じてしまう。 一方で何かを失って絶望して、そこで誰かと出会い、もう一度立ち上がったり、 あるいは何も持っていなかった人が頂点まで登り詰めて、そこから一気に転落していったり、 そういう物語に人はどうしようもなく心を動かされてしまうわけですよね。 現実にその苦しみを引き受けたいかと問われれば、また別の話ではあるんだけども、 それでもそこに恋人生みたいなものを感じてしまう自分が間違いなく存在しているということです。 ここまで考えて思い出したのが、人生グラフとかモチベーショングラフと呼ばれているようなものです。 就職や転職の自己分析なんかで、調子の良かった時期と落ち込んでいた時期を一本の線で繋いでいくようなあれです。 僕はあれを見る度に、人生なんてそんな単純なものではないだろうというふうにいつも思ってしまうんですよね。 ガクンと落ち込んでいた時期にも小さな幸せはちゃんとあったし、絶頂期であっても不幸だと感じる出来事は山ほどあったはずなんです、本当は。 でも、あんなふうに単純化をされた線で眺めていると、不思議と自分の人生に納得感なんかも持ってしまうところがあるわけですよね。 あの時は本当に辛かった。でも、あの経験があったからこそ今の自分がいるみたいな感じです。 出来事をただ並べているだけでは、見えてこなかったものが、そんな浮き沈みのある一本の線になった途端に、急に自分の物語として立ち上がってくるというわけですよね。 落差を体験することだけじゃなくて、後からその落差を見つけ直すことにも、僕らは随分と控えてしまっているということです。 そんなことをむやむやと考えている時に、もう一つ繋がったのが、生と俗の話です。 自由より自在に生きるという本の中で、内田達部さんが聖なる場所について語っている箇所に、今も本当に強く印象に残っているフレーズがあるんです。 神社などである境界線を越えると、自分の中でざわついていたノイズがすっと消える、そこに感じるものについて内田さんはいかのように語っていました。 少し引用してみます。霊的なパワーという言い方はよくしますが、あれはパワーではないと思うんです。 むしろ静けさなんです。霊的なサイレンスなんです。 さて、いかがでしょう。この説明が僕にはなんだかとてもしっくりきました。 パワースポートと聞くと、何か強いエネルギー源みたいなものがそこにあって、それを自分の中に取り込むようなイメージを抱きがち。 でも内田さんがここで語っているのは、むしろその静けさに触れることなんですよね。 まさにノイズキャンセリングのような世界観です。 この話を思い出した時に、神社の周りの賑わいまで少し違って見えてくるから不思議です。 一度、山道のようなめちゃくちゃ賑やかな、そんな俗っぽいところを通ってきたからこそ、その後の静けさが、ただ音が少ないというだけの状態ではなくて、身体に染みてくるものになるわけですよね。 生徒と俗が隣り合っていることで、こんな風に楽さを感じ取れるようになるんだと。 この生徒と俗の話から僕は、晴れ時計の往復についても同時に考えたくなりました。 日常を離れていつもとは違う時間を過ごし、そしてまた日常へと戻ってくる。 その往復をどうやって意図的に作っていくのかということですよね。 自分は楽さに心を動かされてしまう、そんな生き物なんだ。 そう分かった上で、自分にとっては健やかな晴れ時計を作っていくことでどういうことなんだろうかと。 そのことにもう少し意識的になってもいいんじゃないのかなと思ったんです。 ただここで言う健やかさは、休日に思い切り遊んで、また平日に頑張れるようにするという話だけでもないと思うんです。 それだけだと日常が次の晴れの日までの我慢する時間になってしまうし、 同じ体験では物足りなくなって、もっともっと強い刺激を求めるようにもなってしまう。 僕が考えたいのは、その往復を繰り返す中で自分自身がどこへ向かっていくのかということなんですよね。 そしてここで以前もこの防衛士の中でも語った反復とその奥を目指す姿勢の話にもつながってくるなと思うんです。 例えば、映画オデュッセイヤーのような作品を見て、ものすごく強く心を動かされたとします。 映画館を出ればいつもの生活が待っている。帰ってご飯を食べて寝て、そして翌朝にはまた昨日とまた同じような仕事をする。 でもその生活の中に映画で出会った問いが残り続けることみたいなことがあるわけですよね。 なぜ自分はあの場面にあれほど心を動かされてしまったのかとか、どうしてあの登場人物の選択がずっと自分は気になっているのかとかです。 そんなことを考えながら暮らしていると、昨日までの自分だったら素通りをしてしまっていた日常の何気ない会話や、 自分の小さな選択がその問いへとつながってくる瞬間があるというふうに思います。 つまり晴れで受け取ったものを毛に持ち帰り、毛の中で生まれてきた問いをまた晴れへと持ち帰っていく。 この反復が僕はとても面白いなというふうに思うんです。 同じところを往復しているように見えて、その問いへの触れ方やそれを引き受ける自分の方は以前とはガラッと変わってしまっているわけですから、 こう考えてみると人生グラフにはもう一つ描けないものがあることに気づかされます。 上がって下がってまた同じような高さに戻ってきたグラフの上ではそう見えていても、そこから見える景色までが以前と同じとは限らないわけですよね。 つまりその変化には上下の落差だけでは決して表せない奥行きがあるんだというふうに思います。 そしてここで最初の選んだ道を正解にするの話にも戻り、自分が選んだ道を正解にしようとするあまり、そこで感じた違和感まで成功の物語の中に無理やり押し込めてしまう。 あの苦労があったから今の私があるとか、最後に報われたのだから決して間違っていなかったとかそういう話です。 そう思えることで救われる場面も間違いなくあるんだというふうには思います。 でも経済的にうまくいったというだけでは答えの出ない問いもそこにはちゃんと残っているはずなんですよね。 だから僕は、なるほど自分という人間は落差という刺激が欲しいんだなということを分類して、それを満たすためだけの予定だけでカレンダーを全部埋めていくということは絶対にしたくないなというふうに思うんです。 そうじゃなくて、なぜ自分はこの落差にこんなにも惹かれるのか。 そして何があれば私の人生を生き切ったというふうにそんなふうに思えるのか。 その問いを抱えたまままた日常を体験し直してみることすると、分かったつもりになっていた自分の欲望みたいなものがもう一度分からなくなるということもあるんだというふうに思うんです。 僕にとって健やかな晴れ時計というのは、そういう往復や反復を、弾力を持って続けられる暮らしのことなのかもしれないなというふうに思ったんです。 そんな晴れ時計の反復からたどり着けるその奥とか奥行きの中にあるものにちゃんと目を向けていきたいなというふうに思ったんです。 そうすることによってジェットコースターのような人生だけではなくて、そんなふうに地獄に落ちなくても私の人生を生き切ったというふうに思えるような将来というか未来みたいなものがちゃんとやってくるというふうに思うからです。 さて、今日のお話は以上となります。 いつもこのボイスを聞いてくださっている皆さんにとっても、今日のこのお話が何かしらの考えるきっかけとなっていたら幸いです。 それでは今日はこの辺で。また明日。 もっと見る鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!09:421.チャプター 1コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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