TOPトーク専門家細野豪志の今日も元気に!哲学者の苫野一徳先生とSNS時代の民主主義を語る【前半】29:40 2024年12月18日 4,184再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次民主主義の本質とは何か?多数決と一般意志のジレンマSNS時代の民主主義の課題教育が担う重要な役割とは?民主主義の未来への展望AI文字起こし(β版) # 後半は苫野一徳先生の放送で↓ 皆さんこんばんは。細野剛史の今日も元気にということで、今日はスペシャルバージョンでお伝えをしてまいりたいと思います。 哲学者の富野一徳先生においでをいただきました。先生よろしくお願いいたします。 よろしくお願いいたします。ご無沙汰しております。 ご無沙汰しております。 対談、本当久しぶりですが楽しみにしておりました。 私のほうこそです。 いろいろ先生にお伺いしたいことがあるんですけど、まずそもそも論として、民主主義というものの大切さを先生がどう考えておられるかというのを聞きたいんですよね。 哲学の世界でいうと、例えば古くはプラトンが鉄人政治って言ったりですね。 東洋哲学なんかでも、むしろそちらを重視するという流れがあるじゃないですか。 私はもちろん民主主義という仕組みが優れてると思うし、この世界に身を置いて、かれこれ25年経つんですけど、 時に多数決の難しさも感じていて、 例えば郵政保護法みたいなのがあって、障害者の皆さんの人権侵害をしていた歴史もありましたし、 あとは最近で言うと選択的夫婦別姓みたいな議論をするときも、 なかなか少数者の自由とか権利とか、そういったものに対する配慮って多数決では難しいんですよね。 その辺をまず先生がどう考えておられるかっていうのをお伺いしたいと思います。 ありがとうございます。 まず多数決から少しお話をすると、 私自身は民主主義の源流であるジャン・ジャック・ルソーもはっきりと言っているんですけども、 多数決は一つの意思決定手段であって民主主義の本質ではないという言い方をするんですよね。 それは当然で、多数決はどうしても少数者を排除することになってしまうので、 そうではなくて、民主主義の一番大事な根本は、 私は二つの原理で民主主義については説明をするんですけども、 一つ目が、前回も細野さんと議論させていただいた自由の相互承認ですよね。 お互いの自由を認め合う。 他者の自由を侵害しない限り、何を考えてもいいし、何をしてもいいし、どんな価値観を持ってもいいという自由の相互承認。 この自由の相互承認を支えるために基本的な自由を誰も例外なく、 特権者はどこにもおらずに、みんな自由を享受しているんだということをお互いに認め合うというルールですよね。 これが民主主義の一番大事な原理だと言っているんですけれども。 もう一つ大事な原理が、ジャンチャ・クルソーが言った一般意志という、 この自由の相互承認と一般意志が民主主義にとって一番大事な二つの根本原理であるという言い方をしていて、 この一般意志が、これはおびただしい誤解にさらされてきた言葉なんですけれど、 ちゃんと言っていることを理解すると、 これはみんなの意志を持ち寄って見出し合った、みんなの利益になる合意のことなんですよね。 この合意だけが、みんなの利益になる合意だけが、 この国家、社会、あるいはその法とか権力とかの正当性の根拠であると。 一般意志の対概念を特殊意志と言いますけれども、要するにこれは一部の人たちの意志ですよね。 その大金持ちとか権力者とか、特権階級とか、こういった人たちの意志で社会が、あるいは多数派もそうですね。 そういった一部の人たちだけの意志で、この社会が運営されてはいけない。 みんなの利益になる合意を目指し続けるところにしか、民主主義の正当性はないという、 これは非常に私は優れた原理だと思うんですけども、 この一般意志という観点からすると、 多数決はやっぱり少数者の意志を無視してしまうことになるので、 本当にそれがみんなにとっての利益になる合意なのかというのを常に試し続ける、 確かめ続けるというところに民主主義の本義があるというふうに私は考えるので、 多数決は民主主義の本質とは言わないというふうに私はよく言うんですけども。 議会においても最近は塾議みたいな言葉が使われてですね。 これは少数与党になったってことももちろん影響してるんですけども、 多数決の前に双方が歩み寄れないかということをとにかくやっていこうと。 そもそも選挙で多数派は形成されてしまえば何でもできてしまうので、 その前のプロセスを大事にしようという空気はもちろん永田町にもあるんですけどね。 本当に大事なことですよね。 本当少数与党になって、本当の意味で議論がなされて、 民主主義の腕の見せどころだなと感じているところはありますけれども。 これもルソーが面白いことを言っていてですね。 多数決は民主主義の本質ではないとはいえ重要な意思決定の一つではあって、 じゃあなぜ多数決が許されるのかというと、 事前にこれこれこういう場合は多数決で決めて良いということを、 全員が合意すれば多数決を使っていいって言うんですよね。 なるほど。上手い言い方をするなと思うんですけど。 なので国会の議決とか選挙とかは、これだけの人数がいて時間的制約もあるので、 多数決を使わざるを得ないと。 でもその場合、今のところはこういう場合は多数決で決めて良しと、 全員の合意があるものとしてなされているということと、 あとはそこに至るまで当然熟記を重ねて、 対立意見がちゃんと擦り合わされていって、 みんなの利益になる合意を対話を通して見つけていくというのがまず前提だし、 あと一度決まってもですね、 何度も異議申し立ての機会にはちゃんと開かれていく。 そうやって民主主義が成熟していく。これが大事だと。 それが民主主義のやっぱり根本原則と言えるかなと思いますね。 そういった一般意志をどう探っていくかという、 国会議員の中にある意味のコンセンサスというかな。 それをやっぱりもう一回作らないと、 国会議員自身がね、地方議員も含めてそうなんですけど、 やっぱり最後は多数決だねっていうところに 目標を置きすぎてきた歴史はあると思うんですね。 本当におっしゃる通りですよね。 なので、今回テーマで大園さんがくださったSNS時代のことを考えてもそうなんですけれど、 民主主義ってやっぱり我々自身が成熟させていかなきゃいけない、 成長させていかなきゃいけないと思うんですよね。 実際にずっと実験を重ねてきて、 それこそ代表性民主主義だって20世紀になってから起こったことですし、 近代民主主義の考え方自体はまだ200数十年前に生まれて、 その時代に応じてどんどんどんどん進化しているわけですよね。 選挙権も、お金持ちだけが持ってたとか、男性だけが持ってたとかいうところから少しずつ進化していったし、 そういう進化していく中で、我々が成熟させていかなきゃいけないと思うんですけど、 その際にやっぱり最も大事なのは、民主主義の本質をみんなが理解していくってことだと思うんです。 自由の総合省民と一般市っていうのが、言葉は難しいんですけれど、 簡単に言うと、お互いに対等な仲間として認め合いましょうねっていうことと、 みんなで合意を見つけ出し合っていきましょうねっていう、 要するにこの二つだけだと思うんですね。 このことの理解を深めることで、国会にしても、あるいは市民社会にしても、 民主主義を成熟させていくことができるんじゃないかなと思ってるんですけどもね。 今日の主題は、そこにSNSが入ってきたときにどうなるかなんですけど、 私がこの世界に入ったときと今と比較をすると、やっぱりかなり変わっていて、 それぞれの議員の背後に非常に極論も含めて、 かなり強い意思を持ったグループがいたりするわけですよね。 それがやっぱりSNSになって、圧倒的に存在感があって、 それこそテレビよりもSNSの影響があるっていうことすら言われる時代になって、 フィルターバブルっていう状態になっていて、 だんだん一般意思みたいなものから国民の世論が離れてきてる感じがするんですよ。 例えば、右の主張を受け入れると、 TikTokとかYouTubeの動画でも、そういうのだけが流れてくるから。 逆もしかりね。左も右もそうなったときに。 だからより一般意思みたいなものを国民の中でコンセンサスを作ることが難しくなってるし、 それが長田町にも持ち込まれていて、 お互いに歩み寄るっていうことが非常に難しくなってますね。 本当にそうですよね。 まさに先ほど民主主義がずっと実験を重ねてきたっていう話をしましたけれども、 今最前線で起こっている実験に、 誰ももうついていけない状態になっちゃってるっていうところがあると思いますね。 何をどうしたらいいかわからなくなっちゃってる。 でも、100年200年のスパンで民主主義を考えると、 きっとこれをいい方向へと転用していく道は見えてくるだろうなとは思ってるんですけど、 まだみんな新しい道具の使い方を、 どうやって民主主義に資するように使いこなせるかっていうのが見出せない条件あると思うんですけど、 道は見えるかなと思っていて、 そのあたり、今日は私も細野さんにいろいろとお伺いして、 どうやって打開していけばいいのかっていうのを考えたいなって思ってるんですけど。 私自身は哲学者であり教育学者なので、 どうしても教育のところに目を向けがちではあるんですけど、 さっき言った民主主義の本質の理解ってまずは最も大事だと思うんですね。 みんな対等なメンバーシップを持っていて、 そして民主主義というのは、みんな異なる考え方なのは当然で、 だからこそ、お互いを認め合いながら合意形成していくものなんだっていう、 この感度を育むことが何より大事だと思っているんですね。 これはそんな簡単なことじゃないようにも一見思えるんですけど、 ただ歴史を振り返ると、 ついこの前までですね、本当についこの前まで、 人種が違えば同じ人間と思わないとか、身分が違えば同じ人間と思わないとか、 こういう感受性をほとんどの人類が持っていたことを考えると、 わずか200年ぐらいでも、私たちどんな人種だろうが生まれたろうが 対等な人間だっていうこの感覚を持っているっていうのは驚くべきことで。 ということを考えると、全然そこは批判しなくていいのかなと。 批判しなくていいように教育が頑張らなきゃいけない。 これ教育しかないと思うんですよね。 教育で、やっぱりみんな同じ人間なんだっていうこの感覚が育まれると思うので、 ここももう一度教育は大きな出番だなと思ってますね。 先生が楽観的に思っておられるのは、 人類はそうやって民主主義を導入し、 そしてその中で、ある意味民主的な社会と言っていいのか、 それぞれが自由が享受できる社会を作ってきたっていう歴史を信用しておられるってことですか。 そうですね。 まだまだまだ二百数十年のよちよち歩きなので、 大事に大事に育てていかなきゃいけないと思うんですけど、 それ以前の一万年の歴史を考えると、 とにかくひたすらその命を奪い合うか、 あるいはこの命の奪い合いの果てに誰かがてっぺんを取って、 巨大なピラミッド型の社会を作って、支配、服従の関係を作るか。 でもこれしかやってなかったんですよね、人類って。 ようやく二百数十年前にこの近代デモ暮らしの考えが生まれて、 みんな同じ人間で共に認め合って、 そして一緒に社会を作っていくっていうこの考えが現れて、 やっぱりちょっとずつちょっとずつそれが進化してきたのは、 もう本当に何度も間違いは犯しましたけれどもね。 だけれども、やっぱり少しずつそういった感覚が広がっているっていうことに関して、 私は希望を持ちたいなと思って、 それを希望を持てるために何ができるかを考えたいなっていう感じですかね。 戦後ってことを考えると、 戦時中にドイツでYマル憲法があったにも関わらず、 ナチスが出てきたって強烈な体験だったわけですよね。 だからそういう社会には戻したくないっていう、 ある種の人権を認め、それぞれの自由を尊重していくんだっていうコンセンサスが、 おそらく戦後は通手してたと思うんですよね。 ただちょっと日本から離れて考えたときに、 今では世界中がそういう方向に向かっているかっていうと、 やっぱりそうは思えないですね。 ロシアもしかり、 残念ながら例えばこの10年ぐらい見てきたときも、 アセアンの国々が民主化してきたようにあまり見えないですよね。 やはり例えばタイなんかでも軍事政権になってきたし、 インドネシア、シンガポール、フィリピンなんかも含めてですよね。 きっと民主化するだろうと20年ぐらい前は思ってた、 アセアンが拡大してきたときからすると、 むしろ民主化ということに関して言うと、 後退しているようにすら見えないですね。 そうですね。その一等で中国もそうですし、 アメリカさえももう民主国家と言っていいんだろうかと言いたくなるような現状だなとは思うんですけども。 ヨーロッパもそうですよね。 やっぱり非常に大きなバニーが働いている感じがしますね。 これも単なる能天気な楽天主義であってはいけないと思うんですけども、 これを希望の可能性を見出すためにやっぱり条件を整える必要があると思うんですね。 どういう条件が整っちゃうと独裁的になっていって、 どういう条件が整うと民主的な方向に動くのかということをですね、 ちゃんと考えていく必要があると思ってるんですけども。 特に経済的理由っていうのは本当に大きいですよね。 格差がどんどん広がって、 対等なメンバーシップということを感じられなくなってしまうと民主制は崩壊しますよね。 なのでアメリカなんかを見ていると、 本当に私はよく、アメリカは民主主義というか、 金権政治のプルートクラシーであり、 下等政治の折り書きであるという言い方をしてるんですけども、 ちょっと民主制と言っていいのか、ヨーロッパの近いものがあるところはあると思うんですけど、 これってやっぱりどんどん格差が広がったりすると、 対等なメンバーシップを感じられなくなるので民主制が崩壊していく。 だとすると、どうやったらそこを公正な形で経済システムを作り直すかっていうことを考えるとかですね。 どういう条件を整えれば民主化して、より民主主義が成熟するのかということに、 たぶん人類はこれから本当に英知を注がなきゃいけないなというのを感じてます。 アメリカはちょっとトランプさんというトリッキーな人っていうこともあるんだと思うんだけど、 アセアンの国なんかはいろいろあっても全体が豊かになってきてるじゃないですか。 ところがアジアの中では、きちっと民主的な仕組みを整えてる。 言論の自由も含めて確立してるというと、 日本と韓国と、ちょっとややいびつな形だけれども、台湾。 次は上がってこないんですよね。 そうですね。 世界全体あるいは歴史全体を見たときに、 ちょっと冤大なというか無言な話にはなるかもしれないんですけれど、 国際的な不安競合というのがそこにさらされていると、 民主化ってとてもしにくいっていうことはあると思うんですね。 かつても共同体が大きくなって、他の共同体と競争関係になると、 不安競合が起こって、巨大勤力を作って対抗していく。 軍事共同体になっていくというのは、歴史ずっと一番年間続いたことで。 戦後に国際的な協調体制を作ろうとしたけれども、 経済的な非常に激しい競争にさらされていくと、 権力を集中させて共同体を強くするという動機が一定程度生まれるんだろうと思うんですね。 アセンがそれに当てはまるかどうかは分析必要だと思うんですけれど、 不安競合が国際的にずっと続くと、 そういう利品格が働くというのは必然かなと思いますね。 なるほどね。 例えば中国とインドの関係とか、 アスティアムから見たときの中国との関係みたいなものはあるかもしれません。 もしくは中国も国内でもある種の不安競合みたいなのがあるのかもしれない。 それに加えて、やっぱり中国に行ってみると非常に強く感じるのは、 今のテクノロジーの変化っていうのは、 それをむしろ支配者側からすると国民を盗聴するのを容易にしてるわけですね。 ひとつは監視カメラでありね。 あとは、ビッグデータも含めたSNSなんかもそれにある種の貢献をしてるというか、 型も担いでると言ってもいいかもしれないけど。 技術の発達というのは、 きっと権力の分散化に向かい民主化につながるだろうと思っていたんだけど、 むしろ権力の集中に非常に寄与する形になってるんですよね。 そうですね。 それは間違いなくそういう力学が働いちゃってますもんね。 なのでですよね。 時計の針を戻さないために何ができるかっていうのは、 私も結構真剣にここのところは考えているところで。 そこで私自身のフィールドとして大事にしてるのは教育なんですけども、 決して教育万能説ではなくてなんですが、 民主主義の本質の理解と、あと経験ですよね。 特に日本の学校教育の中で多様な人たち、価値観の異なる人たちが、 対話を通して合意形成していくっていう経験が、 やっぱり圧倒的に不足していると思うんですね。 これは大人もそうですけれども。 小さな小さな積み重ねで、学校の校則なんかもそうですし、 あとは行事なんかもそうですし、授業さえもですね。 子どもたちが自分たちで対話しながら合意形成しながら、 学校生活を作っていくという、こういう積み重ねがですね。 それがやっぱり根本かなと思うんです。 本当に地道な話なんですけれども、 ひとつはそういった方向で、民主主義をちゃんと守って成熟させていくということかなと。 あとは他にどんなアイディアが可能かなっていうのを、 ぜひ細野さんにお聞きしたいなと思ってたんですけれどもね。 中国にちょっとだけ話を戻させてもらうと、 今留学生なんかも、もちろん欧米に行く人も多いんだけど、 日本に安定的には中国から来ていて、 彼らはこわだかには言わないんだけど、 やっぱり中国のある種の相互監視体制みたいなものに関しては、 非常に息苦しさを感じていて、 日本で勉強したいとか、日本でビジネスをやってみたいとか、 人ってかなり増えてるんですよね。 それこそ戦前にアジア主義者って結構バッコしましたけど、 あの時代って、ある一定の時代までは、 結構日本の社会で自由に中国人なんかがいろんな活動をした時代があったじゃないですか。 人によってはちょっとあの時代に似てるんじゃないかみたいなことを言う人もいるんですよ。 なるほど。 中国が自ら民主化することはもはやちょっとなかなか知れないので、 日本というところがね、中国をある種の人材育成みたいなことでも、 中から変えていくきっかけになればいいなってすごく私は思ってます。 本当にそうだと思いますね。 こんな話はあれなんですけど、 私の本で自由の相互承認っていうのを結構、 子ども向けの本で自由の相互承認を全面に出した本があるんですけど、 「勉強するのは何のため?」っていう本があるんですけど、 これが、中国語訳がついこの前出たんですね。 おー素晴らしい。 いや、ちょっと大丈夫かなって思ってて、 思いっきり自由の相互承認を全面に押し出した本なんですけど、 でもこういう考え方が、もともとは西洋から出てきたとはいえ、 別にこれは西洋が偉かったわけではなくて、 たまたま西洋でそういう発想が出てくる土壌があったというだけで、 おそらくその文化を越えて一定不変的な考えだと思うんですよね。 みんなが自由に共存したいと願うなら、お互いの自由を認め合うというこの発想はですね。 その考え方が、やっぱり新しい世代に少しずつ少しずつ受け継がれていくと、 たとえ中国であれ、その他共建的な社会であれ、 あるいは宗教的な国家等であれ、 少しずつ少しずつ、本当に長いスパンで200年ぐらい考えなきゃいけないかもしれませんけれども、 民主主義の浸透というのは実現させていけるんじゃないか。 そうさせていきたいなと、決して暴力的にもちろんやるわけじゃなくてですね。 そういった考え方の輪を広げるというかですね。 哲学者ってずっとそういうことをやってきたと思うんですよね。 中国の若い人と話してると、日本に来てるですね。 やっぱり日本の子供ってわりと遊ぶ時間があっていいねとかね。 あと大学生も自由でいいねみたいなことを言う人はいるんですよね。 それは非常に彼らは慎重に言葉を選んで、自国の批判にならないように言うんだけど、 そういう要素はまだ日本にはすごくあるんだろうなと思うんですよね。 ただ一方で、日ごろ私が接している公立の学校の子供たち、 国会見学によく来るので、毎週のように子供たちの様子を見てるんだけど、 やっぱり基本的には非常に団体活動を上手にするように育てられていて、 あまり変わっていない。 先生は熊本でもうすごく努力しておられるし、 全国にそれを波及しようってことでやっておられるんだけど、 社会全体の中にはある種の大らかさみたいのはあるんだけど、 教育に関してはそういう感じはしないですよね、まだ。 大きな流れにはなかなかなってない感じはしますね。 非常に残念ながら本当にそうなんですよね。 あと15年でなんとか変えていきたいと思ってますけれども、 本当におっしゃるとおりですね。 私の問題もやっぱりそこで、今ちょうど次の学習指導要領の改定なんかもあるんだけど、 長田町も結構色が分かれてて、 いやいやもう一回一言でしまっていこうぜというかね。 ガチッとやろう派の人と、いやいやもう多様性の時代なので、 それこそ不登校なんて言葉はつかないほうがいいと思う。 それもすべて自由なんだ、いろんな選択肢があるんだという派と、 ちょっとやっぱり色が分かれちゃってて、 そこもまだなかなか理想的に言う一般主義にたどり着いてない感じがするんですよね。 いや本当ですね。 そういう議論がなされること自体はとても大事なことだと思うんですけど、 この議論をするにあたって、やっぱり私ポイントがあるなと思ってるんですね。 それがいつも、本当哲学者なのでめんどくさいことばかり言うんですけど、 いつもそもそもに戻るってことですね。 何のための学校なのか、何のための教育なのか、 ここに戻ればそれぞれの信念とか主義主張とか、ほとんど趣味みたいな考えが抜こして、 単なる対立を続けるんじゃなくて、そもそもに立ち戻れば、 じゃあどうしていけばいいかなっていうのを建設的に合意にめがけて、 話し合っていけると思うんですよね。 このそもそも論がですね、 やっぱり私もいろんなところで行政等々関わらせていただいている中で、 やっぱりストンって抜けてるんですね、多くの場合に。 そもそも論からやっぱり考えたいですね。 それこそ民主主義の土台であり、みんなが自由になるということ、 生きたいように生きられるようになるということ、 そしてその自由をお互いに認め合うようになれるということ、 これが教育の一番重要な本質なので、 じゃあそのために学校ってどうやればいいか、 っていう筋道で議論したいんですけれどもね。 教育の場合、もしかしたら先生がそうなのかもしれないんだけど、 我々政治家はどうしても自分の体験の延長成長に考えるから。 ほんとですね。 そもそも教育とはこういうもんだっていう先入観だ。 みんな教育を受けてるだけに非常に色濃い分野ですよね。 まったくおっしゃるとおりですね。 本当にそうなんですよね。 だからそういうときこそそもそも論が大事になってくるなって。 教育なんて、本当政治もそうでしょうけど、 子ども館とか授業館とか教育館、学校館、みんなバラバラですからね。 これはそもそも論から話し合っていくっていう、こういう文化。 そういう議論のやり方を、それこそ子どもの頃から経験していればですね、 またもう一歩、民主主義の成熟にも近づくんじゃないかなとは思ってますね。 先生ちょうど30分経ちましたので。 はい。ありがとうございます。 前半はかなりディープな話にはなったかなと思うんですけど、 やっぱり教育に行き着くんですね。 そうですね。本当に大事なポイントですよね。 ありがとうございました。 じゃあこのあと先生の放送のほうに邪魔をさせていただきます。 すぐ私手を挙げますので。 あ、わかりました。失敗しないようにします。 よろしくお願いいたします。 ありがとうございます。 もっと見る #SNS #民主主義 #苫野一徳 #細野豪志 細野豪志の今日も元気に!プレミアム放送配信中!29:401.後半は苫野一徳先生の放送で↓https://r.voicy.jp/nEmN8gNWVXkコメント感想・質問・応援メッセージを書こう hideo2025年10月22日トークありがとうございました。前半を拝聴して、時間的制約もあって多数決になってしまっている機会が、AIをはじめとしたITで熟議の深化に向かえば良いなと思いました。web3.0 x 民主主義2.0の創発でワクワクする日本の未来を期待しています。1返信 よっつ2024年12月19日真面目に民主主義をやると、なんっにも前に進まなくなるのでは‥1返信 katsu2024年12月19日いつも有益な放送ありがとうございます。受け売りですが、選択的夫婦別姓は“強制的夫婦同姓の廃止”と言い換えて欲しいです。皆がそう言い換えれば、民法改正が早まる気がします。と言っても反対しているのは実際のところ自民党だけですが。3返信 ノリ チャン2024年12月19日諸外国内での分断や、日本国内においても、SNS上でも尊重し合わない事案で右だ左だと始まり、親◯とか媚◯などと荒れ狂ってる事がありますね😭今などゲルが、政府内で調整している状況下で足の引っ張り合いの退陣論を出す有様😅多数決とは一見フルタイムと見てとれるが、少数派からすれば数の暴力と感じる昨今でも感じ取れる社会的な事象がありますね。そう言う事を考えていく時代の変化に移り変われるか…自分自身も常にアップデートですね🧐4返信 シング2024年12月19日対談をきっかけに様々な分野の素晴らしい方を知り勉強になる機会を頂けて有り難いです。子供の頃から多数決はあらゆる場面で使われていますが、実際に自分が持つ一票を100%自分の意志だけで投じられる機会は少なく感じます。なんとなく周りの雰囲気を伺ったり合わせてしまって開票前に結果が分かっている事も多い気がします。細野さんのボイシーでは「みんな違ってみんないい」という感想をよく持ちますがまさに民主主義がみんな違ってみんないいなんだなと思い、色々な考えや生き方、文化を寛容に見られる人でありたいと思いました。5返信 もっと見る
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受け売りですが、選択的夫婦別姓は“強制的夫婦同姓の廃止”と言い換えて欲しいです。皆がそう言い換えれば、民法改正が早まる気がします。と言っても反対しているのは実際のところ自民党だけですが。
今などゲルが、政府内で調整している状況下で足の引っ張り合いの退陣論を出す有様😅
多数決とは一見フルタイムと見てとれるが、少数派からすれば数の暴力と感じる昨今でも感じ取れる社会的な事象がありますね。
そう言う事を考えていく時代の変化に移り変われるか…自分自身も常にアップデートですね🧐