TOPトーク専門家細野豪志の今日も元気に!鈴木修会長に感謝を込めて語ります16:40 2024年12月28日 4,637再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次鈴木修会長の20年越しの夢とは?自民党入党を支持した会長の決断会長の経営手腕と政治への影響力トヨタとの提携、フォルクスワーゲンとの決別静岡の政治、そして未来への展望AI文字起こし(β版) # 雌伏20年という言葉を忘れない 細野剛史です。 今朝が今日も元気にという、こういう気持ちにはどうしてもなれません。 鈴木治会長がですね、お亡くなりになりました。 私にとってはね、やっぱりこの政治の世界に入ってから、本当に父親の存在だったんですよね。 その人を失った喪失感というのが、非常に重たく私の中でですね、今残っております。 実は2日ほど前からですね、お亡くなりになったという噂が流れていました。 ただ会社の方からはですね、明確にそれを否定をする、そういう情報が流れてきましたので、 それを信じたいなという思いでおったんですよね。 社長がインドに行っておられたということもあったんだと思いますけれども、 一昨日お帰りになって、そして昨日それを社外に発表するという形になりました。 お亡くなりになっていたのは、水曜日25日の15時53分ということでね、 まあ肺炎ということなんですけれども、 この2ヶ月ほどですかね、入院をされていたということでございました。 私が最後に会ったのは9月の半ばなんですよね。 ですから総選挙の直前に、今回の選挙について決意も含めてですね、 自分なりに報告をということでね、 参りまして、石場さん応援しているということも含めてですね、報告をさせていただきました。 まあいろんな思い出が巨大をしてましてね、 まあそれをこの数日搬送しながら、 特に昨日の夕方ですね、 不法が流れてからは考える時間を過ごしております。 以前私、地位選挙の時にですね、 鈴木予算部会長の名前が非常に大きく出ていたということで、 候補者でないのに静岡の県政にこれだけなぜ影響を及ぼしたのかという話をしたんです。 その放送をですね、ぜひ皆さんに聞いていただきたいと思いますので、 チャプターにリンクを貼っておきますね。 まあお亡くなりになりましたので、できれば無料にしたいと思ったんですけども、 設定上一回有料放送にすると無料にできないということですので、 価格を一番最低限の価格に落としておりますので、 まあそれに興味を持っていただける方は聞いていただければというふうに思います。 今あえて申し上げるならば、 鈴木予算部会長というのはご自身もね、政治家になるという気持ちを意識持っておられたんですよね。 私との間で言うと、早い段階ですね、今から20数年前にそのことをチラッとおっしゃったんですよね。 自分は政治家になりたいと思いあったけれども、やっぱり会社を持っているのでそれができないと、 当時大社長を取られましたので、 その中で政権交代をかけて、保守の改革政党として民主党が出てきていて、 そこに自分もかけたんだという、こういう話をされてましたね。 当時ですね、浜松には熊谷博史さんという大政治家がいたんですよ。 この熊谷さんとこの鈴木予算部会長が組んで、 西部では強い民主党基盤を築いていたんですね。 今静岡県知事をやっておられる鈴木康智さんもその浜松でですね、 熊谷先生と組んで出た政治家でして、 鈴木康智さんという政治家はですね、鈴木治会長が亡くしては誕生しえなかった政治家だというふうに思います。 今は鈴木康智さんは静岡県知事になられたんで、今年の春の県知事選挙というのが、 オサム会長がですね、政治家を生み出したという意味でね、 最後の一回ということになったのかなぁなんていうふうに思ってるんですけどもね。 もちろん鈴木オサム会長はですね、野党だけではなくて与党にもいろいろな人間環境を作っておられました。 特に民主党が崩れてですね、私が自民党に入るということに関しては、 何度も相談に行ったんですけれども、賛同をしてくれました。 私の中ではね、答えはもうすでに見出してたんですけど、 それをどっかでね、やっぱり鈴木会長に しっかり報告をして賛同してもらいたいなというふうに思ってたんですよね。 今年の春かなぁ、オサム会長のとこにいろんな報告に行ったときにですね、 当時も出団だったんですけど、 その紙ですね、赤いボールペンでですね、 私服20年っていうふうに書いてくださったんですね。 まあ20年っていうことは私52でしたから当時。 72かぁなんと思ったことが思い起こされますけれども、 50代なんていうのはね、鈴木会長からすれば放たれ小僧だったんでしょうね。 そして70代というのも、まさにもう経営の最前線で走り続けておられた年なので、 十分やれるというふうに思われたんだというふうに思います。 逆にその言葉は、私に焦らずにやれという意味なのかなぁなんていうね、今も思ってるんですけど、 これまでね、ここ2年ぐらいかなぁ、鈴木会長が出団になったのは、 その前はね、もう本当に大演説をする方でしたので、 ちょっともどかしい思いを持っておられたと思うんですけど、 出団で会話をしてきたんですけど、 その紙をね、私お願いをしてもらってきたんですよ。 出団っていうのはね、ご本人、ご本位だと思ったので、 そんな失礼なことはできないというふうに思ってきたんですけども、 なんかね、その書いていただいた私服20年っていう言葉は、 私の中で違った意味で重みがあるなぁと思ってお願いをしたら、 それを渡してくださいましてね、今も大事にその何枚かの用紙を取っております。 いろいろ思うところがありますのでね、 もう少し話してみようかな、次のチャプターに行きたいというふうに思います。 # 自民党に行くという決断を支持していただいた 昨日はですね、その一報を受けて、共に鈴木治虫会長からご指導いただいた二人と電話で話をしました。 一人はね、鈴木靖知事。私ね、今回、結局ご本人はですね、もう26日、27日でこれを有言だったということなんですけれども、 おつやと葬儀を済ませて、もう仮葬が終わってたんですよね。なので昨日、まあ夕方に発表されましてね、浜町にすぐに行こうと思ったんですけれども、 鈴木麻生さんや大岡さんですね、大岡俊貴さん、Voicyのパーソナリティもやってられますけれども、話したところ、 いやもう実は仮葬は終わっていて、お顔を見ることはできないんだということを聞きまして、断念をしたんですけどね。 そんな中で、なんといっても鈴木麻生さんだったので、治虫会長は。鈴木麻生さんは顔を見れたのかなと思って、ちょっと状況を聞こうと思って電話したんですけれども、 私と全く同じ状況だということをおっしゃっていました。 まあ二人でね、もう気持ちを整理はできないけれども、我々ももう一本立ちしなければならないということだろうという話をしたんです。 麻生さんの場合はもう60代ですし、私の場合も50代ということですのでね。 もちろんもう当然一本立ちしなければならない年なんですけれども、これまでどこかで、やっぱり治虫会長に頼っていたところがあったんですよね。 その後ろ盾を失ったということで、共通する思いでした。 もう一人が大岡俊貴さんだったんですね。 彼は浜松に行ったと言ってました。もう何もできないって多分分かってたと思うけれども行ったと。 そしてお家誰もいなかったと言ってましたね。そして会社に行ってですね、状況を聞いてきたということをおっしゃってましたね。 経営者としてね、拉致を振るった方で、鈴木という会社をですね、 小さい会社からおむこさんで入ったんですけど、ここまでの大企業に育てたわけですよね。 当時誰も注目をしてなかったというよりは、とても怖くて手を出せなかったということなのかもしれないけれども、 インドに着目をしてですね、そして圧倒的なシェアを要するところまでインドでマーケットを広げていったわけですね。 ですから、インドに行くと鈴木治虫会長がものすごく寛大されると。 大統領も、総理だな。インドの場合は総理も出てきて寛大されるというのは有名な話なんですけど、その経営判断ですね。 あとは最後にやっぱり治虫会長が大きな決断をしたのは、あのトヨタと組むということだったと思うんですよ。 私ね、その決断をされる前後に食事をしながらね、ゆっくり話す機会がありましてね。 その時に、もう自分しかできないんだと。 当時トヨタ・ショウイチロウ会長がまだおられた時期ですので、 自分とトヨタ・ショウイチロウさんとの間でしか、これまでのものすごい濃密なですね、人間関係、 そしてお互いにいろんな当然、利害、可視化利みたいなこともあったんでしょうね。 その関係がある今しかできないんだということをおっしゃっていた。 経営がなくなるかもしれない。経営ってカテゴリーって世界の中でも日本で極めて特殊なんですよね。 その特殊な、しかしものすごく日本の地方の文化を代表している経営を維持をして、 そして経営というのはね、特にある時代はですね、女性の社会進出をものすごく貢献したんですよね。 地方において車を一人一台乗れるということが、女性が例えばアパートに出たりとかね、 そして自由にいろんな趣味を楽しんだりすることにつながったと。 昔、お父さんがもう会社に行ったら、車がないから女性が動ける範囲ってすごく限られてた。 そこに経営という車が出てくることによって女性を解放することができたんだ、こういうこともおっしゃってました。 あとはね、選挙の時に本当に役に立つのは経営に乗っている人だっていうことも言ってましてね。 大きな車に乗ってくる奴は大して選挙で役に立たんみたいなね、これはおさむぶしですけどもおっしゃってましたね。 そしてその経営という日本の文化を守ろうということで、ずっと政治にもアプローチをしてきた中でトヨタと組むという決断をしたわけですね。 車はね、もう本当に100年に一度という大転換期と言われてまして、大きな投資が必要になってます。 トヨタが投資をする分野、それを鈴木に取り込んで、逆に鈴木が持っているマーケットですね。 国内はもちろんですけども、インドをはじめとした大きなマーケットだと思ってますから、そこをトヨタにしっかりと提供するところは提供するという、まさに相互補完的な連携というのをですね、あそこで実現されたんだろうというふうに思いますね。 大きな判断、これはね、政治にも相通ずるところがありましてね。 見事な経営手腕、本来であれば政治にも大きな手腕を発揮された方だったと思うんですが、その夢を我々若い政治家に託してくださったことの重みを感じております。 経営手腕についても以前の放送で言ってまして、これも本当に無料で皆さんに聞いていただきたいと思ったんですけど、ちょっとそれができないので、このチャプターにリンクを貼っておきますのでね。 興味のある方はそちらも聞いていただけばいいのではないかなというふうに思います。 いやーもうね、なかなか言葉で語り尽くすことができないんですけどね。 静岡の政治も変わると思います。 本当に我々がこれから静岡そのものをですね、みんなで考えて動かしていかなければならないという、こういう時期ですね。 そして我々政治に関わってきて、オサム会長に育てていただいた人間一人一人がですね、いざという時に大きな判断ができるように。 さらに言うならばその判断を誤らない、そういう政治家としてしっかりと自立をしていくと、これも大事なことだというふうに思いますね。 あと思い起こすのは、フォルクスワーゲンとの提携解消ですね。 これはね、非常に大きな判断だったと思うんですよね。 様々な提携で相当踏み込んでいたのはですね、鈴木の意向とフォルクスワーゲンの意向というのは違うものになっていたわけですね。 鈴木の側としては、フォルクスワーゲンの判断というのは、従来の信頼を覆すものだったということだと思うんですよね。 そしてその時にですね、一気に提携を解消したんですよね。 この判断もすごかった。 まあね、私もその時も少し話をしたんですけども、もうこれは組んでも、鈴木にとってメリットがない。 まあ提携そのものの判断が誤っていたということを言わざるを得なかった。 まあそれも含めて苦しい判断だったと思うんですけれども、決めたら早かったですね。 全然違う判断なんだけど、私自民党に行くという判断を2017年から18年にかけてしたんですね。 その時は私は相談をしませんでした。 自分で決めたんですね。もうこれで行きたいということで決めて、どうだろうかということで鈴木会長のところに行ったんですけども、 まあ今でもよく覚えてます。はっきりもう行けというふうに言ってくれました。 決めたらもうそれで行かないかと。 とにかく選挙で勝って自民党に入って頑張れというふうに言ってくれましたよね。 まあ実際に一番厳しかった2021年の選挙、所属で戦ったんですけれども、 あの選挙の時はわざわざ私の地元に来てくださって、一緒に鈴木の販売店を回っていただいて、 細野豪史を頼むということでね、支持を訴えていただいたと。 その時に思い起こすのは、どの販売店に行ってもですね、 もう本当に社長さん、もしくは会長さんですね、知りづいてる鈴木会長と同世代かその下の世代の方々が出てこられて、 いや本当に嬉しそうにお迎えをされていたのが印象に残ってますね。 各販売店に必ずね写真が貼ってあるんですよ。 鈴木会長とこれはインドに行った時だとかですね。 これは賞をもらった時なんだみたいなことでね、写真を貼っておられて。 いや本当に販売店を大事にしてこられたからこそ、今の鈴木があるということなんだなということも感じました。 鈴木自動車がですね、会長を失ったわけですけど、 これからも日本の車を引っ張っていってもらいたいし、 あとは庶民に光を当てるですね、車を文化をということかな。 これからも継承していってもらいたいなと、今そんな風に思っております。 もっと見る #スズキ #鈴木康友 #細野豪志 #大岡敏孝 #鈴木修会長 細野豪志の今日も元気に!プレミアム放送配信中!06:471.雌伏20年という言葉を忘れないhttps://r.voicy.jp/wWK8r5xW9B709:532.自民党に行くという決断を支持していただいたhttps://r.voicy.jp/Gw9rN3nx9j3コメント感想・質問・応援メッセージを書こう なお / ゲストハウス経営2024年12月29日数日後に昭和100年を迎えますが、時代を支えてくださった方々が世を去っていくことに寂しさを感じます。当時聴き逃していた貴重な配信を低価格で提供していただき感謝いたします。軽自動車を武器に世界と戦い、まさにジャパニーズドリームを体現された鈴木修会長。もし政治家として活動されていたら、どのような偉業を成し遂げられていたのだろうと想像せずにはいられません。底抜けに明るいお人柄だったという鈴木会長の姿を思い浮かべながら、ご冥福を心よりお祈りいたします。筆談メモは細野さんにとって大切な宝物ですね。3返信 あにー2024年12月28日鈴木会長のニュースを目にして真っ先に浮かんだのが細野さんと大岡さんでした。寂しさの中にあっても貴重なお話を届けてくださり、ありがとうございました。軽自動車と女性進出の関わりは新しい視点でした。細野さんの放送を聞いていなければ知らないままでした。5返信 たけのむ2024年12月28日細野さん、おはようございます。まずは鈴木修さんのご冥福をお祈り致します。自動車業界で日本を牽引、こと軽自動車においては女性の社会進出の一助となった旨の放送を聞き、哲学と事業がセットだからこそ大成されたのだなと納得感がありました。これから現役世代の我々は引き継がれたバトンをしっかり受け継いでいく必要がありますね。細野さんもお忙しい年末年始かと思いますがお身体にご自愛ください。7返信 azukianko2024年12月28日細野さんの放送でしか伺えないような内容、いつもありがとうございます。軽自動車が女性の社会進出に貢献したというのは「目から鱗」でした。静岡知事選の際には色々マスコミ批判もあった鈴木修さんでしたが、グロービスで登壇されるなど若い人たちの育成に尽力されている印象を持っていました。心よりお悔やみ申し上げます。9返信 シング2024年12月28日大切な方を亡くされてお辛いですね。有名な偉大な方でも見えないお人柄やエピソードをお聞きする機会は貴重ですので有り難いです。軽自動車は昔から当たり前になっあったので改めて日本に合った独特の欠かせないものであると知り本当に誇らしい気持ちになりました。昔は軽自動車は税金が安い代わりに狭いとかパワーが無いイメージでしたが、今は広さも装備も充実してい普通車と変わらぬ人気、オシャレさですね。素晴らしい人生を生きられた方は亡くなったあとも沢山の方の心に残って愛され続けていくんだなと思いました。9返信 もっと見る
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筆談メモは細野さんにとって大切な宝物ですね。
寂しさの中にあっても貴重なお話を届けてくださり、ありがとうございました。
軽自動車と女性進出の関わりは新しい視点でした。細野さんの放送を聞いていなければ知らないままでした。
まずは鈴木修さんのご冥福をお祈り致します。
自動車業界で日本を牽引、こと軽自動車においては女性の社会進出の一助となった旨の放送を聞き、哲学と事業がセットだからこそ大成されたのだなと納得感がありました。
これから現役世代の我々は引き継がれたバトンをしっかり受け継いでいく必要がありますね。細野さんもお忙しい年末年始かと思いますがお身体にご自愛ください。
軽自動車が女性の社会進出に貢献したというのは「目から鱗」でした。静岡知事選の際には色々マスコミ批判もあった鈴木修さんでしたが、グロービスで登壇されるなど若い人たちの育成に尽力されている印象を持っていました。心よりお悔やみ申し上げます。