TOPトーク専門家細野豪志の今日も元気に!日本の公教育は子どもを尊重しているか?モンテッソーリ教師あきえさんに聞きました【前半】40:00 2024年2月22日 10,494再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次子ども中心の教育とは?モンテッソーリ教育の魅力に迫る日本の公教育の課題とは?フィンランドと日本の教育、その違いは?日本の教育を変える鍵はどこに?AI文字起こし(β版) # 子どもの中心の教育とは おはようございます。細野剛史です。 今朝はモンテ総理教師アキエさんとの対談をお伝えをいたします。 昨晩やらせていただいたんですね。 アキエさんの口癖はですね、子ども中心の教育、これなんですよね。 放送の中でも何度か出てくるんですけれども、 日本の場合はですね、やっぱり子どものため、子ども中心、子ども発というよりは 社会が教育を規定をしているみたいなところがどうしてもあるんですね。 家事は切られていまして、子どものそれぞれの状況に応じた教育をやっていかなければならないと。 こういう大きな命題はもう出てるんです。 ところが実態がまだついてきていないということが対談をしているとですね、改めて見えてきました。 アキエさんの鋭い指摘、そしてですね、それを受けてやらなければならないことを私にも見えてきた対談になりましたので、ぜひ皆さんに聞いていただきたいというふうに思います。 前半は私の放送で、後半はアキエさんの放送で対談をしておりますので、次のチャプターにですね、後半のリンクを貼らせていただきます。 それではどうぞ。 # 後半はモンテッソーリ教師のあきえさんの放送で↓ 皆さん、こんばんは。衆議院議員の細野剛史でございます。 今日はスペシャル対談ということで、モンテ・ソーリー教師の秋江さんとお話をしていきたいと思います。 入っていただいておりますので、早速お話をいただきたいと思います。秋江さん、よろしくお願いいたします。 よろしくお願いいたします。とても楽しみにしておりました。 私もです。最初にモンテ・ソーリー教育というのも含めてですね、少し自己紹介していただいてもよろしいですか? そうですね。ありがとうございます。モンテ・ソーリー教師秋江として、Voicyではモンテ・ソーリー子育てラジオというのを4年間ほどさせてもらっているんですけれども、 もともとは公立の幼稚園教諭として働いてまして、その中で大人中心の子どもたちが中心に置かれていない保育や教育を目の当たりにして、 これではこのままでは日本の教育まずいなというふうに思いまして、そこから自身の出産もきっかけとなってですね、もっと日本の教育を変えていきたいという思いから、 いろいろな教育方法をその後学び直したんですけど、これがヒントになってくるというのか、一つのツールとして解決してくれるんじゃないかって、一番腑に落ちたのがモンテ・ソーリー教育だったんですね。 モンテ・ソーリー教育は子どもの自立というところを目標にしていて、やっぱりこの一人の人間の命が育まれていくという生命の援助を目指しているんですね。 なので、本当に自然な子どもの発達のメカニズムをいかに私たちは阻害することなく育んでいくことができるか、それが考えられているメソッドなので、とてもナチュラルで、人間のありのままの姿に沿っているなという思いから、そこからモンテ・ソーリー教師になって、 今は子どもが尊重される社会を作りたい、作るという思いで、いろいろな活動をしております。よろしくお願いします。 よろしくお願いいたします。モンテ・ソーリーというと、わりと幼児教育というイメージがあるんですけども、幼児だけではなくて、成長段階に応じた教育があるんですよね。 そうなんです。始まりは、乳幼児期といわれる0から6歳、その中でもコアとなる部分は3歳から6歳が一番コアな発達段階として作られていったんですけども、今はもう妊娠症のケアとかまで及んでいるんですね。 出産前の妊娠期のケアから始まり、誕生したらもちろんゼロ歳から始まって、メインはゼロから6歳なんですけど、その後エレメンタリーといわれる小学校、さらには中高まで、思春期までのプログラムがあって、その後妊娠症ケアということで、 妊娠症になったお年寄りの方たちからできることまで奪ってしまうんじゃなくて、その方なりの自立をどこまで助けていくことができるかっていう、文定総理の全く同じ考え方で妊娠症ケアというのも進んでいってます。 ちょっとピント外れの質問かもしれないんですけど、一般的には年齢が上がると国際バカロレや、子供の時だと文定総理よりもやや広がりは欠けるんでしょうけど、シュナイダーとかいくつかあるじゃないですか。そこの違いってどういうものなんですかね。 そうですね、結構シュタイナー教育とか、レッジョエミリアって言われるようなものとか、あとイエナプランとかオルタナティブ教育っていうふうに括られる教育は文定総理教育も含めて、割と元となる主軸の考え方っていうのは似てるんですよね。 何かカリキュラムとか大人が中心になるんではなくて、子供を中心に置いてるっていうところがすべて始まりで、そこから例えばアートに重視を置いてるのかとか、より自立で現実的なところに重きを置いてるのかとか、感性に重きを置いてるのかとか、ちょっとそれぞれの特色が変わってくるかなというふうには思うんですけど、また国際バカロレや、また種類がちょっと変わってくるかなと思いますが、 いずれにしてもこういうのが広がりにくいのは、ちょっと話ずれちゃうんですけど、やっぱり教師を養成していくのが難しいというところもすごく課題だなとは思いますね。 実際に教育をできる先生って日本の場合はすごく少ないですよね。 そうなんですよ。ただでさえ、教師になる過程を、教育園もそうですし、幼稚園教諭もそうですし、小中高も、一般の日本で認められた教員になるだけでも、一つハードルがあって、そこからプラス、例えば門庭総理教育であれば、門庭総理教育のディプロマとして教師の資格を取っていかないといけないので、プラスアルファになってくるんですよね。 なのですごくハードルは上がっていってしまうので、かつそこから資格保有者から全員が100%実践者になるわけではやはりないので、実践者っていう先生の数はどうしても少なくなってしまいますね。 あきえさんはそういう先生を増やしていこうということで、もしくはそれに関心がある親かな、増やしていこうということでずっと活動されているわけですよね。 そうですね。まず教育の時点でどうしても子どもが中心において考えられていないということがすごく私の中で課題感なんですね。 本当に幼児教育といわれる保育園とか幼稚園もそうですし、小学校もそうなんですけど、この時期に何をやらなきゃいけないかとか、集団をまとめるためにあくまでも大人が中心に立って、 本当に一人一人を見てるかとか、子どもが今何に興味あるとか、その子の発達課題にどれだけ寄り添ってるかっていうと、すごくそれを実現するのは難しい現実が教育現場にはあるなというふうに思ってまして、 この話はもっともっと聞きたいんですけど、そこはアキエさんの番組でかなりいろいろ話をされているので、ぜひもし聞いてられない方がいたら聞いていただけるといいと思うんですけど、 今日私がお話をしたいのは、そういう教育をずっと見てこられたアキエさんからご覧になって、今の公教育ってどう見えるかということなんですね。 保育園、幼稚園の段階だと、最近は公立よりも私立という方が多いから、そこはそこで一つ課題があるんでしょうけど、小学校以上になると基本的には私立に行く人以外は公教育を受けるわけじゃないですか。 この公教育が今、とにかく不登校が増えてるし、それこそ家庭環境も様々でね。いじめ、虐待ということも従来から言われて、ヤングキャラが出てきてたりとか、子供の貧困も相当深刻だし、外国人も増えてるっていうね。ものすごく難しい時代を迎えてるんですよね。 この時期に公教育をどう変化させていくべきかっていう、ここが私の一つすごく大きな課題なんですよね。何とかしたいと思って。そこの話を今日伺いたいと思って、対談をお願いしました。 ありがとうございます。できること、できないこととか、いろいろあるとは思うんですけど、私、昨年の9月ぐらいに、子供が尊重されている社会を実際自分の目で見て体験したいと思って、フィンランドとスウェーデンに1ヶ月ぐらい子供と一緒に行っていたんですね。 その中でいろいろ感じるものとか、学びになるなっていうものもありまして、もちろん国の規模も状況も背景も全く異なるので、他国のことをそのままスライドしてきたらそれでOKというふうには思ってないんですけども、やはりそもそもの教育の捉え方っていうところもすごく違うのかなというふうに思ってまして、 結構日本だとみんな同じようなレベルをなるべく目指そうとしたりとか、クラスで例えば1年生ならばこれだけやらせなきゃいけないみたいな先生もすごくプレッシャーもあるでしょうし、やらせなきゃいけないことが圧倒的に多いんだろうなというふうに思ったんですね。 そうすると、毎日の学校運営で、もちろん人数が多いとか、分業生が進んでないという課題も根本にありますけども、そもそもやらせないといけないことがすごく多すぎて、子供もやらなきゃいけないことが多いし、先生側もやらせなきゃいけないことが多いし、でも果たして本当にそれが今その子に必要なのかっていうところが見極められてないまま、お互いにやらせなきゃいけないし、やらされてるしっていうのが、 すごく日本って抜け出せない状況なんだなっていうのを感じました。 それは幼稚園、保育園段階ですか。もしくは小学校も含めて。 小学校も含めてですね。 むしろ小学校ってことですかね。 そもそも人数が一クラス分多いとか、インクルーシブルも日本は進んでいないので、多様性といいますか、あの子は例えば机の上に座ってたりとか、違う椅子に座ってたりとか当たり前なんですよね。 でもあの子は今、あのことをやることで自分で休憩をしてるとか、一人だけクラスから出てきて廊下で受けてる子もいて、その子が学ぶっていうことが叶うんだったら、それを互いに許し合うし、認め合おうっていう雰囲気がすごくあったんですね。 でもそれが叶ってるのは、そもそもクラスの人数も少ないですし、先生の分業生も進んでいて、かつ、先生になる時点での養成の段階で、やっぱりある程度先生をやっていけるだけの人しか残らないような養成システムになってるっていうのもちょっと話を聞いたんですよね。 この間ね、先生の待遇の問題とか、あとは忙しすぎるとかいう話は、ものすごく私のところに情報が入ってきていて、そこはここの方だとどうなんでしょう。相当できる人っていうか、少数衛生の人が先生になってるんですか。 はい、そうですね。そういう印象を受けました。必ず大学を卒業せたりとか、あとは大学の養成中に一回現場に出るっていうのがマスと必須で、現場に出てまた学業に戻ってから本当に教員になるっていうふうに、実地を踏んでるというか、重ねてから本当に先生になるので、そこでもう自分で適性がないと思えば、外れていくみたいなのが起きていて。 ただやりがいとか先生の地位みたいなのは、すごく大学卒業の人たちとして扱われている印象を受けましたけど、だからといってすごく特別賃金が高いかっていうと別にそうではない。ただ子供が休みなら先生も休みだし、子供が帰るなら先生という役割の人はそこで業務が終わるっていう。 やっぱり例えば学校の事務とか教育以外の部分の負担を軽減するとかですね。あとはそれだけ子供が自由に動けば、当然そのクラスのサイズとか支援体制、支援員みたいなもの、日本で言えばそういったものが充実してないとできないイメージですけれども、その辺はしっかりしてるんですかね。 そうですね。例えば幼稚園、保育園のところでいけば配置基準も違うので、向こうは7人に対して、年長さんとかでも7人に対して先生1人とかっていう割合でつけるようにすごく手厚く、日本から見ると手厚くなってますし、小学校もあれは何人だったんでしょう、20人以下だったのかなと思いますし、 1年生のところを見させていただいたときには、学道がありますよね、放課後に行く。学道が学校の敷地内にあって、敷地内ないし、建物のいつも使ってる教室が一部屋学道に変わるみたいな感じでなってたんですけど、 その学道まで通して教育という考え方なので、その学道では子どもに何を教育として支援するかっていう方針もしっかり考えられていて、かつそこの学道の担当の先生が日中学校にもいて子どもたちを見てるんですよね、アシスタント的に。 そこは専門としては学道だけど、昼間もいるわけですね。 いるんです。なのですごく学校と連携していて、実際私も上野子が小学校1年生で学道を利用していたんですけども、やっぱり学校との連携は少ないですし、かつ今すごく学道自体が日本は預けづらい。 受け皿が少ないとか、ただ預かってもらってるだけで、なかなか子どもの教育的なところまでは及んでないみたいな課題も多いにあるのかなというふうに思います。 印象としてはやはり相当しっかり予算かけてるんでしょうね。 本当にそうですね。特にフィンランドに関してはやっぱり教育が一つの国策といいますか、っていうお話も伺ったので、もちろん日本とは人口規模も違うっていうところはありますけども、 このまま行くとどうしても不登校率も30万近く、不登校の児童生徒の数もすごく多くなってますし、 学校が嫌なところだとかっていう印象になっていってしまうのは、子どもにとってもう一方、家庭よりも広い社会が学校で、 そこが楽しいとか受け入れてもらえたとか、適応していけるっていう経験は、これからの社会に生きてくる上でもすごく大事な体験だと思うんですよね。 今、不登校がいよいよ5%ということで、さらに不登校予備軍というか、不登校になりそうだという人も子どもを含めると、もっと実際は割合が多いと思うんですよね。 本当に日本の学校教育は曲がり角に来ていて、本当にちょっと柔軟にやっていかないと、みんな一緒できちんとしなさいよっていう教育はもはや破綻寸前だと思ってるんですけど、 一方でね、こういう話をしてると、やっぱりある種の文化的要素はあるんじゃないかっていうのもどうしてもあるんだよね。 日本社会ってやっぱり、言葉が適切かどうかわからないけど、とにかくきちんとしてるってことが重要じゃないですか。 成長してもね、社会においても。それがある種、特定の人たちにとっては、ある特徴を持ってる人たちにとっては、生きづらさとかにつながってるんだけど、 この要素っていうのが、どうしても教育段階でもあるなと。社会がそうだから教育がそうなのか、教育がそうだから社会がそうなのかってあるんだけど、それを切り離せないんですよね、なかなか。 そうですね。本当におっしゃる通りだなって思ってまして、大人の許容度が圧倒的に異なるんですよね。 どういうことかというと、例えば座り方一つでも、絶対日本だったら注意を受けるだろう座り方も、向こうでは注意されないとか、本当に些細なことですけど、そういう本当にちょっとした立ち振る舞いとか、いろいろなルールが、 どんなに日本でゆるくやっても、それでもやっぱり日本っぽいと言えるんですよね。本当にきっちりしていて、それゆえに大人も子どもも、許容度、許容範囲が狭いので、それがもちろん社会でそういうふうに育てられていくことが求められてるから、 親も先生もそれをやらないといけないと、リンクしている部分はおっしゃる通りあると思うんですけども、そういうところにおいては、もうちょっと子どもに関してはもっと寛容な心を持つ社会全体の意識変容はすごく重要なのかなとは思います。 もう一つ感じるのはですね、子どもを一つの人格として見るという感覚が、やっぱりヨーロッパの人たちと喋ってると、ちょっと日本は違う。 ある程度言えば、親の持ち物っていうかな。今そんなこと言う人いないんだけど、感覚的にそういうものがまだ残ってる感じがしていて、本当にその教育は子どもを主役にする。 子どもにはそれぞれの当然個性もあれば、好みもあれば、違うものであるということを前提にやる出発点が違うっていうかな。それを見ていると感じるんですよね。 おっしゃる通りで、本当にモンテスル教育は子どもと大人は実力の差はあるけれども、人格としてというのか、この世界に存在するそれぞれの人間としてあくまでも対等なので、相手が子どもだったとしても尊重するというのか、リスペクトを持って関わるということを大前提にしてるんですよね。 怒るとか罰を与えるとかはもちろんしないんですけれども、それをフィンランドスウェーデンの先生方に、なぜこんなに子どもが中心で、子どもが尊重された教育が国がやりましょうって言ってるだけじゃなくて、なぜ実現されてるのかっていう話を伺ったときに、 皆さん口を揃えて、人権ですって。これは子どもの人権守ってるにすぎませんっていう話をされたんですよね。 やっぱりその人権という意識が、子どもに対してだけじゃなくて、我々大人の人権も守られてるかっていうところのアンテナが、そもそも高いっていうのはすごく感じましたし、その中ですごく感じたのは、 日本も例えば、学校の教育要領とか国が出してるような保育所保育指針とか見てると、すごくいいことというか、モンテソリ教育にも近しい、とても子ども中心的な指針が書かれているんですよね。 でもそれが現場まで落とされてるかっていうと、どうしてもイエスとは言い難い現実があるなっていうふうに思っていて、ここの周知の部分というのか啓蒙というのか、それが規模が大きいがゆえになのだろうか、なんていうことはすごく考えてました。 正義の世界にも若干それは残ってましてね。例えば子ども家庭庁を作るときに家庭というのが入った経緯とか、子どもの人権とか、子どもをレスペクテする、子どもから直接意見を聞くみたいなことが議論されると、必ずある種の反発があるんですよね。 民主主義だから、やっぱり政治家がそういう考え方を持つという一つの背景には国民の中にもそういう意識がある。 だから、子どもをレスペクテする、子どもを尊重するっていう根っこの部分がやっぱりちょっと違うんですよね。そこが一番私やってて難しいなと思うんです。 もちろんある年齢になれば当然レスペクトするんですよ。それは例えば18とか、もしくはどうなんだろうな、感覚的に言うとやっぱり中学校から高校ぐらいに入ってから。 でも小学生は、まず寺小屋じゃないけど、まずはもうそれこそ先生が言うのをそのままついてきて読みなさいみたいなね。そこから教育みたいなところっていうのは、日本の一つのこれまでの社会の在り方だったのかもしれない。 でも違うんですよね。何歳であってもその子どもをレスペクトすべきだという考え方になるわけでしょ、文座総理って言うと。はい、おっしゃる通りです。そこなんですよね、一番の違いは。 そうなんですよね。それがやっぱり社会全体の意識変容でもありますし、でもそれは結局教育の世界にもあるので、例えば最近入ってきた先生とかは割とそういう意向を持っているけれども、例えば上野校長先生とかがあまりそういう思いじゃないとなかなか教育現場は変わっていかないみたいなのも現実としてあるのかなとは。 確かに年齢のことを言う人は結構いて、やっぱりある一定の年齢以上の先生にこの考え方を理解しているのは難しいねって話はよく聞きますよね。ただ一方で若い先生がみんないいかって言うと、結構最近先生の成り手が少ないものだから、そっちも結構課題を抱えていると言われていて、 どこから変えればいいと思います?そもそも言ってると50年、100年かかりますっていう話で、何代も何代も教育が終わっちゃう話になってくるんだけど、今変えられるとすればどこからでしょう? それは公教育をより良くするためっていうところですか? それもあるし、例えばモンテソーリーとか、あとバカロリアなんかはかなり公立もやりだしてるじゃないですか。公立学校もね。そういう手法でもいいし、それはこだわりません。何を変えればいいですか?どこから変えるのがいいんだろう? そうですね。やはり先生になりたいとか、教育を変えていこうと思って教育者になる一番最初のスタート地点ってやっぱり大学での教員課程なので、そこをどれだけ充実したいとか、かつ選択肢、オプションとか必ず日本だけの先生じゃないですけども、その中でどういう教育がしたいとかは正直私考えられなかったんです。 それしかないと思ってたんですよ、その時は。 教育を受け取るのって、結構タイムをたくさん取らなきゃならないし、あと教育受信もあるから大変じゃないですか。 そうなんです。私も4年間で、保育園、幼稚園、小学校3つの免許の課程を取ったんですけど、すごく忙しいのもあって、どういう教育とかって考えることなく、それこそこっちの受け身、この与えられている教育を次が提供者としてやるのみみたいな、それぐらい結構思考停止だったなって反省するんですけど、 でもそこでいろんな教育が、さらっとは教育のいろんなオプションを紹介される程度で、それを深めるとか、今のこの時代に何が求められていて、何が教師として必要なのかとか、もっと自己の部分を向き合って、教師の人間としてのところをもっともっと磨くということもなかったですし、 本当に与えられた教材をどう子どもに次は与えるかっていう、ただそれをバトンタッチしているだけの話で、もうティーチする先生の役割も変わってきていると思うので、もっとガイドしたりとかコーチしたりとかファシリテーションしたりとか、いろんな役割があることも学んでいかないといけない。 かつそこで素質がある人がちゃんと残って、志を持った人がちゃんと志を持ったままついていくことができるようにするためには、最初のやっぱりなる前の養成過程に私は鍵があるんじゃないかなーって最近のことを。 確かに先生にそういう根っこの部分での考えなり、ある種のノウハウなりが全くないと教育が変わらないですよね。 そうなんですよね。 例えば日本には教育大学って結構あるし、学友大みたいなのもあるじゃないですか。 なかなか国の教育がいきなり変わらないのだとすれば、私はいつでも先生養成たくさんやってる学校ありますよね。 結構そういうのを取り組んでいる大学もあるのかな。バカロリアなんかは結構取れるようになってきてますよね。 バカロリアの教育をするみたいなことをやってる大学は結構私立も国立もある程度あると思うんですけど、大学はそういう過程ですかね。 そうですね。最近ちらっとお話ししてた中で聞いたのは、保育の方の大学の養成課程のところでは子どもの権利について結構ちゃんと学んだっていうお声もここ最近聞いたことがあって、 大学によってとか教授によってだと思うんですけど、教授が何を大事にしているかによってその中の授業は変わってくるので、そこで取り入れている教授に当たればラッキーみたいな、そういう今は一律のスキルとしては獲得できないですよね、いろいろなことは。 あとはやっぱり教員養成の課程において、例えばきちっと子どもの権利条約について教えるとか、その本当に意味するところをそれぞれがみんな少なくとも1回は考える機会を設けるとか。 本当にそれは大事ですよね。 でいいというか、なきゃダメですよね。 マストですよね。 そうじゃないと先生自体が凝り固まってしまうし、変わりようがないっていうかな。 本当に大事だなというふうに思います。 あとは実際に働いて後に、例えばこれも保育園のところになるんですけど、ピーナッドの先生とお話をしていたときに、すごくリフレクションとして振り返りのミーティングを本当に頻度高くやられていたんですね。 私の経験でいうと、どちらかというと次の行事のために何するとか、次の季節の政策のために何作るっていう、今後やることに対してのミーティングはすごくやってたんですけど、これを今日1週間やってどうだったっていうのを振り返るミーティングって本当に貴重というか限られていたなというふうに思うんですね。 追い立てられるみたいにやってるわけですね。 そうです。やらなきゃいけないこととやらせなきゃいけない行事とか、タクスクが多すぎるっていうのもそうですし、でも実際その振り返りで何をやってるのかって伺ったときに、これを見てこれに沿って保育ができてたかを照らし合わせてるんですっておっしゃってた。 それっていうのが日本でいう保育所保育指針とか、幼稚園教育療養って言われる指針なんです。それが本当に冊子みたいな、すごい読み返しやすいやつで、常にこれを見て自分たちの保育が適切か、これに沿って子どもの権利や尊重をしてすべき教育を子どもに提供できてなかったとすれば、どれが改善されいいかを毎週、週末、金曜日にこれを元に振り返ってるっておっしゃっていて。 なるほど。それを学生の段階で先生になるときだけではなくて、先生になってからもやるわけですね。 そうなんです。しかもそれが現場までしっかり啓蒙というか、もうしっかり周知されてるっていうのがすごいなっていうふうに思いました。指針が生きてる指針になってるっていうのが。 そろそろ時間なんですけど、ちょっとコメントをいくつかご紹介すると。 マルナさん。この方はいつも私に対しても教育にしてご意見いただくんですけど、 何年ながらいい大学からも実習生は年間通じてたくさん来られますが、 素質ありそうで賢明な子ほど賃金の低さから保育士にはならないというような話ですね。 悲しいですね。 トーンさんからはフィンランドの教育視察ツアーに参加したそうで、子どもが真ん中が揺るぎないものでしたと。 先生のウェルビーも高いですとか。非常に専門的なコメントをいろんな方からいただいてますね。 さらにこんな話をお伺いをしたいので、これから秋江さんの放送にお邪魔してよろしいでしょうか。 お願いいたします。 帰ってきてそのままやったんで、ちょっと5分だけ時間をおいてやっていただくということでよろしいですか。 大丈夫です。ごゆっくりお願いします。 もう若干リセットしてから5分後にお伺いしますので。 皆さまありがとうございました。 どうも皆さんありがとうございました。 それでは秋江さんの方に皆さんお引越しください。 ありがとうございました。 # 深刻な先生の多忙化 コメントにできるだけお答えをしていきたいと思います。 まずヤギさん、プレミアムリスナーになれば、 二階さんのいわゆる裏金の問題について保存さんの思っていること、 フローレンスと子供家庭調について解説、お答えをしていただけますかということですね。 このヤギさんという方は、里親と養子園組の違いなど、私の放送を聞いていただいて、 学びがあるよということで前向きにコメントをいただいているんですけれども、 申し訳ありません。こういったことについてプレミアムリスナーになっても、 私はこういう話をしておりませんので。 なんていうかな、このVoicyというこのプラットフォームで、 あんまり私は誰かをディスるとか、悪く言うということをしたくないんですよね。 Xのようではこの手の情報があふれているじゃないですか。 そちらでご覧いただいた方が、そういったことに本当にご関心があるのであればいいような気がします。 一言だけ申し上げると、私は二階さんにお世話になったので、この義理は裏切るつもりはありません。 あとはフローレンスですけれども、 医療的ケアが必要な子供さんについて、本当に一生懸命やってきた団体ではあるんですよね。 いろんな私もよく不確定な情報を目にすることがありますが、 私はそれについては個別に調べたことがありません。 私は活動そのものについては、 駒崎さんですけれども立派にやっておられるというふうに考えていますので、 八木さんがお尻になりたいような話はいたしませんので、そこはご了承ください。 タケノムさんからは本を買っていただいたということで、政治家への道をコメントいただいております。 みかたのにじさん、私自身、モンテの幼稚園に通っていました。 そうなんですか。今でも幼稚園での毎日を思い出します。 アキエ先生との対談、とても楽しみにしていますということで、 先ほど聞いていただいていかがだったでしょうか。 幼稚園の体験を今でも覚えておられるんですね。素晴らしいことだと思います。 チャパダさん、早速政治家への道、購入しましたと。 パラシューターも読んでいただいたのかな。 2つはつながっていますのでね。早速ありがとうございます。 シングさん、教育現場も昔より良くなった面と難しくなった面がありますね。 私が子供の頃はかなり厳しく失跡している先生もいて、見ているだけでもストレスだった面もありますが、 そのおかげで育てられたという人もいると思います。 私も結構怒られましたね。まあまあやんちゃんでしたからね。 これは時代もあったと思うんですよね。 これからの教育は、もちろんね、本当に社会的に間違ったことをした時にはバシッと怒った方がいいと思いますよ。 ただやっぱりね、むやみやたらにとにかく叱りつけるみたいな、この教育はもう限界が来てますのでね。 新たな時代に対応した子供のですね、この個性であるとか、子供のいいところを引き出せるような、そういう教育をぜひ広げていきたいというふうに改めて秋江さんと対談をして思いました。 ついでジャイ子さん、昨晩22時30分ぐらいに高校生の娘が近くのコンビニに行った際、中学の時の担任とばったり会ったという話を聞きました。 公立中学校の先生ですが、卒業してからたびたび先生に会いに学校に行ったりしている中です。 夜22時過ぎまで仕事をして、さらにそこで娘と大学受験の話やら近況などを10分ぐらい立ち回してくれました。 遅くまで仕事をしていた先生を心配していた娘に、俺は好きでやってるからいいんだよと言って帰って行ったそうです。 まんざら捨てたもんじゃない素敵な先生はたくさんおられる、昨晩のほっこりエピソードですという。 いい先生ですね。やっぱり教育というものが価値を失っていないし、本当に素晴らしいものだったなということを思いますね。 ただ、22時過ぎまで仕事をしておられたのかな。ちょっとそこは気になりますよね。 いやでも本当にいいエピソードをジャイ子さんから教えていただきました。ありがとうございました。 無料学習塾日野素群れ塾の二藤さんですね。先日もコメントいただいておりましたね。 不登校のお子さんが本当に増えているのを学習支援の現場からも必死感じます。不登校のお子さんが増えて不登校のハードも下がっていますと。 以前、高地町中の学校改革した中のクラス担任制はなく、学年担任制はすぐ取り込めるのではと思っています。 そうなんだ。3年生の担任はこの5人で月ごとのローテーションをするなどしたら、担任の先生と会わないための不登校は少し緩和されるのかなと思ったりしますと。 お、なるほどね。高地町中学校ってね、私も長田町のすぐ近くにあるのでしょっちゅう前通りますけど、あそこの学校改革はよく話題になりますね。 そうか、担任制を学年にしたんだ。そしてローテスルね。これありかもしれませんよね。私、固定的な環境を作るのが本当にいいのかなということを最近感じていましたので、非常にいい示唆をいただきました。 続いて、さらださん。40代夫は高校教師、週末も部活でほぼ家にいることはなく、その上コロナ禍以降帰ってきてからも実質で授業準備に多重対応、それに加え、高校評価や大学入学入試制度の変化に伴い、激務がついております。 この数ヶ月、頭痛が取れず検査をしてほしいのに、その時間すら取れません。保護者や他教諭とのやり取りなど、石田先生との対談でも上がりましたが、授業以外の責任が多すぎます。 これちょっと心配ですね。40代の男性の方ですよね。これは本当に是非とも、まずはもう少し休んでいただきたいと思いますね。部活があるから週末も休めないということですけれども、そこは本当にお互いの補い合いというのがあると思うんですよね。 責任感の重い方だとご推察します。そういった方に仕事が集中するという面もあるし、特に40代だと責任のあるポジションにもおられるので、いろんな要素が集まっていると思うんですけれども、やっぱり体調を崩すとその後が大変ですから、むしろ現場も大変になりますので、何とか職場の話し合いで休んでいただきたいと思いますね。 もちろん私は政治家ですから、そういった状況にならないようなサポートを政治面からしなければなりませんけれども、今直近という意味では現場で解決していただくしかない面がありますので、是非休んでいただきたいと思います。 最後に2個3ですね。不登校の子供が増えてきている理由として、昔より今がきつい。今は行かない自由も認められつつある。2、3、昔より生き方の選択肢がさらに増えている社会だから。4、我慢して通学していた親も知見を得て子供に我慢を押し付けたくなった。5、あっけなく命を絶つ事例が増えて、学校無事を認めてくれるようになった。6、その他。 まあ確かにね。東京都がフリースクール利用支援に月2万円出すようになったのか。そうなんですね。少ないけれども、小さいけれども大きな一歩だと思いますということですね。フリースクールにお金出しているのは少ないと思いますね。東京都はそれだけ充実した支援をできているということですよね。 いろいろコメントを見ると気づきがあります。今日は秋江さんとの対談も含めてほぼほぼ教育特集という形になりました。ここから教育現場を少しでも変えることができるように私も頑張りたいというふうに思っております。それでは今日も元気にいってらっしゃい。 もっと見る #子育て #モンテッソーリ #モンテッソーリ教師あきえ #義務教育 #細野豪志 #学校は私立か公立か 細野豪志の今日も元気に!プレミアム放送配信中!01:181.子どもの中心の教育とは30:152.後半はモンテッソーリ教師のあきえさんの放送で↓https://r.voicy.jp/GQVQBRdWKkW08:273.深刻な先生の多忙化コメント感想・質問・応援メッセージを書こう sai2024年2月25日対談大変興味深く拝聴しました。あきえさんの方の対談ですが、学童の問題は私の地区でも問題になっています。先生方の指導の仕方が微妙で、生徒は先生を全く信用していない。信頼関係がないから生徒は好き放題、秩序がゼロで子どもたちのストレス発散の場となっています。活発な子だけならいいのかもしれませんが、静かに遊びたい小1の娘は、夏休みが終わる頃に「辞めたい」と泣きながら訴えてきてやめました。とはいえ、長期休みはその学童を利用するしかないので、親としてはなかなか心苦しいところがあります。改善を望みます😭1返信 ヤギ2024年2月24日大学を卒業したら就職しなといけないみたいな空気感がありますよね。それが変われば教育も変わっていくのかなと思ったりします。1返信 コウチャンマン2024年2月23日皆さん、こんにちは。初コメです。コラボ配信ありがとうございます。不登校、いじめなど課題は多くあります。その中でも、配信の中にもあった子供が主語となり、子供が選択できる教育が必要と考えます。そのためには子供、教員、保護者ともに余裕が必要です。そのことを実現したく、学校現場を離れて教育行政に来ました。何かとマスコミに言われてしまいがちですが、現場の教員も教育行政も皆必死で取り組んでいると思います。まずは、もう少し余裕を持てるような状態にしたいものですね。3返信 チョコレート2024年2月23日初めまして。保育園児と小学生を育てながらフルタイムで働いています。あきえ先生の放送も聞きました。今は共働きが当たり前の社会となってきましたが、私はそんな社会に生きづらさを感じます。子供と一緒に過ごす時間をもっと取りたいのに、フルタイムで働いているから取れない。出来るなら仕事量を抑えたいが、それが出来ない。正社員、パート、専業主婦など家庭にあった役割が誰でも選択できる社会になって欲しいです。4返信 Tomoko2024年2月23日息子は子ども中心の保育の幼稚園から公立の小学校へ進み、子どもの話を聞かず、頭ごなしに言われる事に違和感を持ち、2年で不登校に。子どもの人格、人権を大切にしてくれないことに不満を持ったようです。途中5.6年生は登校しましたが、中学は最初の半年のみの登校でした。春からは通信制高校の毎日登校するコースへ進学予定です。そこの先生方は1人の人としてちゃんと話をしてくださるので選んだそうです。友達との関係もよく、勉強も得意なのに義務教育は半分も学校へ通えなかったという現実。公教育が変わる日を切に望みます。6返信 もっと見る
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あきえさんの方の対談ですが、学童の問題は私の地区でも問題になっています。
先生方の指導の仕方が微妙で、生徒は先生を全く信用していない。信頼関係がないから生徒は好き放題、秩序がゼロで子どもたちのストレス発散の場となっています。
活発な子だけならいいのかもしれませんが、静かに遊びたい小1の娘は、夏休みが終わる頃に「辞めたい」と泣きながら訴えてきてやめました。とはいえ、長期休みはその学童を利用するしかないので、親としてはなかなか心苦しいところがあります。改善を望みます😭
みたいな空気感がありますよね。
それが変われば教育も変わっていくのかなと思ったりします。
コラボ配信ありがとうございます。
不登校、いじめなど課題は多くあります。その中でも、配信の中にもあった子供が主語となり、子供が選択できる教育が必要と考えます。そのためには子供、教員、保護者ともに余裕が必要です。そのことを実現したく、学校現場を離れて教育行政に来ました。何かとマスコミに言われてしまいがちですが、現場の教員も教育行政も皆必死で取り組んでいると思います。まずは、もう少し余裕を持てるような状態にしたいものですね。
あきえ先生の放送も聞きました。
今は共働きが当たり前の社会となってきましたが、私はそんな社会に生きづらさを感じます。子供と一緒に過ごす時間をもっと取りたいのに、フルタイムで働いているから取れない。出来るなら仕事量を抑えたいが、それが出来ない。正社員、パート、専業主婦など家庭にあった役割が誰でも選択できる社会になって欲しいです。