TOPトーク専門家細野豪志の今日も元気に!戦前の普通切手と歴史・政治について語ります。切手は国家の公式メディア(プロパガンダ?)だった!!54:51 2025年12月13日 2,410再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次切手収集から学ぶ文化と歴史近代国家を象徴する明治初期切手国家の権威を示す大正・昭和切手海外に媚びた風景切手の意図とは戦時プロパガンダと消却切手の真実AI文字起こし(β版) # 手掘切手(桜切手)はこんな感じ 細野剛史の今日も厳禁ということで、週末、若干まったりと私の趣味の話でもしてみようかなと思っております。 以前も何度か話したと思うんですけど、実は私は子供の頃、切手を集めるのにすごく凝ってたんですよね。 きっかけはですね、小学校の2年生か3年生くらいの時なんですけど、母が集めていた切手を見せられたんですよね。 そんな大した量じゃなかったと思うんだけど、例えば東京オリンピックの切手とかね、大阪万博、もちろんこの間のじゃないですよ。 私が生まれる前にあった万博の切手とか、その中に結構戦後の面白い切手もあったりして、それが私にとっては非常に印象的で、 じゃあ自分も集めてみようかということで始めたんですね。 こういう話をしたら結構、集めたよっていう人結構いててですね、このリスナーの方の中にもそういうコメントをいただいた方もいます。 まあ男の子が多いのかな。私は何でも集める子でした。色々集めましたよ。切手も集めたし、あとはビー玉とかも集めましたよね。 あとは面駒やってて集めたな。あれカストもらえるんですよね。あとはミニカーとかね、そういうのも集めてまして。 まあ収集癖があったんでしょうな。そんな中で切手にむちゃくちゃ凝ってたんですよ。 ですから当時ね、駅前の平和堂に切手屋さんがあったんで、そこに小遣いを持っては行ってたこともありますし、お年玉なんかでも買いに行ってたということでね。 お年玉もらうと当時でも2万円ぐらいお年玉って集まってたかな、小学校の高学年。中学校の初めぐらいまで集めたと思うんですけど。 ですから例えば見返り美人とかも持ってたし、まあまあ資材を当時の小学生としては子供としては投じてたんですよね。 で、なんでまた切手に改めて鑑賞を持つようになったかというと、この私が子供の時に全財産をはたいて集めていた切手が、ものすごく私はお隣になってからも気になっていて、実家に置いてあったんですよ。 で、なんとかね、思いがこもってるから母から繋いで自分も集めたということで、誰か続けて集めないかなということで娘に見せてみたんですけど。 全く関心を示さず。 まあこれ女の子はダメなのかなと思って、私あの生いっ子がね、自分の生いっ子が2人いて、で妻の生いっ子もいるんですけど、まあ男の子なら関心を持つかなということで、私の生いっ子には見せてみたんですけど。 実は一瞬関心持ったんですよ。 お、いいなと思って、それでちょっと何ヶ月か置いて、これ全部持っていけ、やるよって言ったらですね、もうその時には興味を失っておりまして、彼の興味はすっかり小学校の高学年ぐらいになるとサッカーに移っておりまして、離向きもされなかったということなんですよね。 いろいろ考えたんですけど、やっぱりこういうものっていうのは大事にしてくれる人に持っててもらいたいなというふうに思いましてね。 身近にそういう人がいないならと思って、ちょっと思い立ってですね、実家から持ってきて、きっと誰かまた集めてくれるだろうと思って、そういう切手屋さんに持って行ったんですよ。 今もあるんですよね。 そしたらやがて誰かがね、それを持っててくれるだろうと思って、あんまりお金になることを期待したわけじゃないんだけど、そういうルートが一番いいと思ったんですよね。 ところが言ったら、本当にびっくりするぐらい安い値段なんですね。 当時私が買っていた、例えば戦後直後の切手とか、見返り美人とかもそうですけど、切手趣味習慣とかがあるんですけど、これあのビードロとかね、あとは月に狩りとか、いろいろ有名な切手があるんだけど、 それなんかもね、本当に十分の一ぐらいですから、一万数千円した切手が千円とか二千円で平気で売ってて、本当は余っててしょうがないんですよみたいなこと言われたので、ちょっと衝撃を受けたんですよね。 で、これね、さすがにそういうところに放置するのは忍びなくて、逆にこれはお金を売るんじゃなくて、一つの文化だと思って、もう一回ちょっと見直してみようということで、逆に集め出したということなんですよね。 で、なんでそういうふうに思うかなんですけど、私子供の頃からそうだったんだけど、いわゆる収集っていうよりは、切手に関してはうんちくっていうかな、その背後にあるものっていうことにすごく関心を持ったんですよね。 例えばね、戦後非常に人気のあった切手に国宝切手というのがありまして、今私目の前でそういう切手を見ながら喋ってるんですけど、これがねむちゃくちゃ出来がいいんですよね。 例えばね、奈良時代あたりからずっと切手が発行されてるんですけども、私がこれはすごいなと思ったのは、日光東照宮の陽明門の切手なんですけど、 これはね、戦後はかなり普通切手などにも使われた、日本の象徴的なものなんですけど、印刷がむちゃくちゃ綺麗なんですよね。 これはね、いつ発行かな。発行はたぶん1960年代、70年代ぐらいだと思う。もうちょっと後かな。 印刷がね、これは特殊なんですよね。横半印刷って言って、分かりますかね。切手のインクを埋めて、へこんでるところの切手を写すという印刷の仕方で、そういうふうにすると、逆に言うと紙の側からすると、切手の側からすると絵が浮き出てくるように見えるんですよね。 で、この切手なんかを見て、日光東照宮って行きたいなとかね。 奈良のですね、例えば、いろんなのがありますけど、法隆寺とか当然ありますし、くだら観音像とかもね、初期に出てたりとかですね、京都で言えば銀閣なんかも出てます。 で、私、あの京大の時代に、大学時代に、このお寺を回るみたいなことをすごくよくしたのは、そういうね、あの、経験があったってすごく大きいんですよね。 で、考えてみたら、この切手っていうのはね、小さいものだと2センチ四方ぐらいでしょ。大きいものね、5センチないと思うんですよね。 その中にこれだけの情報量があって、そしてそこから背後にある文化とか歴史を学べるっていうのは、またとない機会だなと思って、そういう目でもう一回切手を見つめ直してみようというふうに思ったんですね。 で、何度かのシリーズでちょっと話をしてみようと思っていて、今日は戦前のですね、普通切手について話そうと思うんですけど。 これね、見てるとね、思うのは、やっぱり切手っていうのは、特に戦前なんかはある種の、まあ国家の、まあなんていうかな、近代国家としての定裁を整える権威そのものっていう感じですよね。 ですから、紙幣と並ぶ柱だったんですね。 日本が明治時代に近代国家としての合意を始めてですね、まず郵便制度を整えると。そして郵便制度を整えるためには、まあ郵便のこの料金というのは払ってもらわなければならないので、それを切手にするという、まあそういうプロセスが非常に酷命に明治時代、大正時代、そして昭和の初期ということに出てるんですね。 で、後で説明しますけど、ある種の国家のプロパガンダの手段にもなるんですよね。 特に対戦が始まってからの普通切手っていうのは、そういう色がすごく出ていて、ですから、まあなんて言ったらいいかな、まあ国家としての公式メディアとも言えるし、まあコミュニケーションの手段ですからね、切手っていうのは。 そうすると必ず、まあ当然手紙でやり取りしたわけだから、コミュニケーションの手段でもあるし、そして国家が大きく動くときについては、それがですね、まあある種のプロパガンダにもなるというね、まあこういうことが背景になるということなんですね。 で、切手の歴史に入りたいと思います。 日本のですね、切手の歴史というのは、1971年に遡ります。明治維新が1968年ですので、これは結構驚くべきことなんですよね。わずか3年で日本は郵便制度を整えたんですね。 言うまでもなく、この盾役者は前島秘書家です。彼はずっと一円切って長く使われていましたし、郵便といえば前島秘書家ということで有名ですので、彼が留学をしてですね、この制度を作るのに奔走したのは、歴史上や事実としては非常に有名なんですよね。 で、まあこの郵便制度を確立するためには、当然ですけれども、運ぶ人、あと郵便局的なものですよね。それが必要じゃないですか。 これをね、明治時代ですよ。からわずか3年で確立させたっていうのは、本当に日本はその日ではもう本当にスピードが速かったんだと思いますね。 おそらく、江戸時代に発達をしていた被却制度みたいなものも、法がというか、それも影響したというふうに思うんですが、いずれにしてもそういう制度が確立をしたと。 最初にできた切手が、明治4年の3月ですから、1871年かな。だから私が生まれた1971年のちょうど100年前に日本の切手は誕生しています。 当時の切手は高くて、竜切手っていうんですけど、竜が形取られた切手で、これはちょっと高価で持ってないんですけど、ちょっとどっかで使用済みでもいいので入手しようかなと思って。 最近ヤフーオークションなんか時間あるとき見てるんですけど、その後出てるのが、竜の後は桜切手って出てるんですけど、桜切手は1972年だから、もう次の年には桜切手が出てるのか。 おそらくこの時代の郵便物の数はすごく限られたと思うんですよね。そのことも影響してるんだと思うんですけど、影響してるというかそれしかできなかったんだろうけど。 これね、先ほど説明した黄版印刷で、本当に手作りで作っててですね、銅版に実際に彫刻をしてですね、それを一枚一枚手作業で彫刻されたものを写してるんですよね。 アーカイブにはちょっと私が持ってる桜切手の方なんですけど、皆さんにお見せしたいと思うんですけど、なかなか印刷ではピンとこないんだけど、切手が浮き出てくるのがよくわかるんですよね。 あと一枚一枚違うんですよ。ちょっと違うんですよね。文字が違ったりとか桜のマークが違ったりとかしていて、手作り感満載。 日本は当時通貨も同じような形で作ろうとしてるようなんですけど、あとは金貨とかね。おそらくそれは貯金の技術とか江戸時代のね、もしかしたら版画の技術みたいなことも含めて、いろんな技術が元々パーツとして日本に存在をしていたと。 あとは日本人がやっぱり器用だった。金貨なんかのところで、おかかい外国人が日本人の器用さに驚いたみたいな逸話がいくつか残ってるんだけど、それが影響したと思いますね。 いずれにしても、この71年から始まったこの竜切手、はじめ竜紋切手っていって、通貨の単位が紋なんですよね。後にすぐに線になってるんだけど、1線2線の線になってるんですけど、から桜切手っていうのは、今でも極めて貴重で枚数が少ないもんだから、切手の価格が暴落してるんですけど、 その中では非常に高価な切手として、長くこれまで取り扱われてきたというこういう歴史があるんですよね。この切手はね、本当に面白いですよ。色合いも面白いし、あとは明治時代の、一言で言うと、 近代国家として歩み始めた時に、自国で作るんだという心意気ね。あとはこれは後の切手にも多分受け継がれていくんだけど、特に近代国家として、当時は不平等条約なんかも結ばれた時期ですから、欧米に舐められたくないっていう意識も非常に強く働いていたんじゃないかというふうに思いますね。 そこが一つの歴史の区分と切手についてはなります。ただ、この辺の切手が難しいのは、紙が和紙だったりするんで、途中から用紙になってるんですけど、弱いんですよね。 当初はどうも、いわゆる化芯を押すっていう文化もなかったようで、使い放しできないように、剥がすと破れるように作ったみたいな時代もあったみたいで、なかなか綺麗な切手が残ってないんですよね。 残っているなと思ってみると、実はこれ本物じゃないんじゃないかみたいな願作も一部あってですね。逆に、化芯が押してある方が本物っぽかったりね。その化芯も今みたいにどっから送ってますみたいな化芯じゃなくて、すごい化芯もあるんですよね。 次に切手として登場するのが、これが私が一番好きで集めてるんですけど、比較的入手もできるんですよ。 これはおかかい外国人が深く関わったと言われていて、キオスソーネって皆さん聞いたことありますかね。これイタリアの人かな。確かイタリアだと思うんですけど。私もちょっといろんな資料を見ながら見てるんですけど、イタリアの人ですね。 この小判切手はむちゃくちゃ綺麗ですよ。出てきたのが1976年かな。明治の初期なんですけど、92年まで使われてましてね。皆さんもご覧になったことがある方もいると思いますね。 まずは国家としての体を示している。安い記事にはついてないんですけど、ちょっと高額になるとね、例えば5000円くらいからかな。 ジャパニーズ・エンパイアって書いてあるんですね。エンパイアって書いてあるのは天皇陛下ということなんだけど、要するに大日本帝国の郵便だっていうことが書いてあるんですよ。 小判切手というぐらいだから、丸い小判みたいなのが入っていて、そこに金画が書いてあったり、いろんな衣装がそれぞれ印刷をしてるんですよ、違う形で。それぞれの切手によって。 すごくバラエティに飛んでる。デザインも楽しいし、あとは国際的にも通用するようにできていて、すごく収集してても楽しいのがこの小判切手なんですよね。 小判切手は3種類ありまして、旧小判切手というものなんですけど、これも非常にいいんですけど、間に有小判っていうのが入っていて、これは国際的に郵便連合みたいなのがあって、そこからいろいろルールが決められて、それで作った切手ということなんですけど、赤い2線のものなんかはよく出回ってますので、私の手元にもその切手は結構たくさんあります。 この時代になると、いわゆる化身がはっきりしてくるんですよ。 なので、これ明治のまだ初期だと思うんだけど、私の手元にもね、香川の金沢から出された切手とかね、あとは何があるかな、越中の高岡とか福井とかね、まあなんか参院の方の切手が流れてきてるんですけど、判が押してあって、逆にこの時代の切手はこういう判が綺麗なものほど値段も張るみたいなこともやられてます。 新古板というのもあって、新古板になるとだいぶまた印刷も綺麗ですね。ですから確実に古板切手は長く割と使われてるんですけど、1890年前後になってくると非常に切手が綺麗で、それが印刷でもよく表れてまして、集めるならこれがおすすめですね。 その後出てくるのが菊切手なんですけど、これが1899年から出てくるんですけど、この時代になるとね、またちょっと時代が変わってきてるっていうのはわかるんですね。 まずね、ジャパニーズ・エンパイアみたいな、こういう英語がここからなくなってるんだな、逆に。これはね、当時の提審大臣ですね、こういうね、海外に媚びるようなことをするべきではないっていうね、こういう考えもあったらしいんですよ。 逆に日本語だけになってるんですね。おそらくね、これは1894年に日清戦争が始まってるじゃないですか。その後日露戦争が1904年ってことで始まってるんですけど、国家としてのアイデンティティというか、逆に戦争が始まる中で非常に国家意識が強くなっていることの反映じゃないかと。 ちなみに私はコバン・キッテとキク・キッテでいうと、どちらかというとコバン・キッテの方が好きですね。キク・キッテはね、キク・キッテで非常に美しいんですけどね。何でかな、デザインがちょっと画一的なんですね。ちょっとそれは時代を移してるかもしれない。明治の時代で近代化をして、おかかい外国人もいて、その中で非常に美しいキッテを作った時代と。 こうやってキク・キッテということで、戦争もやってましたので、その中で国家意識が高まった時代と、おそらくね、それが現れてるんだというふうに思います。 ちなみに今日は話しませんけど、記念キッテというのもそろそろ発行されだしてます。最初の記念キッテはですね、明治天皇の銀婚式の明治銀婚というキッテなんですよね。次がね、ちょっとこれは記憶なんですけど、確かね、日清戦争勝利なんですね。時代ですね。 ですから、もともとキッテというのは郵便を出す手段だったので、そういう考え方を取ってなかったんだけども、欧米にはどうも記念キッテもあるらしいということで、そういう非常に国家意識を高揚させる記念キッテが出だしたわけですね。明治天皇の銀婚式ですとか、日清戦争勝利ですとか、後に日露戦争についてのキッテも出てるんですけど。 これもまたどっかで説明しますけど、ある意味非常に見どころもあるし、あとはキッテとしての背景にある価値みたいなものも非常に面白いキッテなんですけど。そういう中で話し元に戻して、記憶キッテというのが出てきてます。 1円キッテなんかもついに出るんですよね。これなんかはね、私使用済みのが1枚あるんですけど、新古板か、古板キッテの1円キッテ、記憶キッテの1円キッテがあるんですけど、これなんか非常に美しいですね。そういう時代が汎用されたということですね。 もう一つ面白いのは、その後にタザワキッテが出てくるんですけど、この時代になると結構、私も子供のときから持ってました。大正時代のキッテなんですね。 多分ね、私の祖父の時代、明治生まれで昭和で育った世代とか、そこには手紙なんかで結構残ってたので、タザワキッテは結構皆さんもご覧になったことあると思います。大正時代になってから作られたのがタザワキッテですね。 当時おそらく、大正という新しい時代になったので、その時代に合わせて国家として新しく生まれ変わるという発想があったと思うんですよね。ですから、大正天皇に合わせて作られたキッテということですね。 これ面白いのは、タザワキッテは民間の公募なんですね。タザワさんという人がデザインしたらしいんですけど、図案が公募されていて採用されたキッテということですね。 この辺りから一つね、興味深いというか、これは一つの歴史なんだけど、キクキッテの時代から若干あるんだけど、仮殺というのが行われているキッテがあるんです。どういうことかというと、日本以外でキッテが使われる場合に、それを押してキッテが発行されてるんですね。 例えば、シナとか、あとは朝鮮って書かれてるんですね。どういうことかというと、日本が朝鮮半島とか、中国の一部ですよね。そこを支配下に収めていて、そこから出す郵便にこの仮殺をするんですよ。 これなんかやっぱり国家の象徴ですよね。そこから手紙を出すときは元々現地で使われていたキッテではなくて、日本のキッテを使うのであるっていうね。これなかなかすごいと思いません? そして日本のキッテに、まさにその上に仮殺するんですよ。印刷ね。そこで発行して、そこからの手紙が結構生き生きしていたっていう。これもね、古番キッテの最後くらいから、タザーキッテくらいではいくつかあります。 非常に面白いので、興味深いので、私もそういう仮殺キッテは手に入れたいなと思ってるんですけど、ちょっと値が張るので、値段を見ながら。値段が張るって言っても、本当に今安くなってるので、以前はそういうの高かったんですよね。むちゃくちゃ高くて手が出なかったんだけど、今だとどうだろう、1000円、2000円くらいで。 もうちょっとするかな。物によりますけど手に入るので。そういうキッテもこの時代はかなり出回っていたということですね。国家としてのある種の権力の象徴だったんでしょうね、キッテが。そういう時代です。 もう一つ面白いのが、その時代、同時代に国内でタザーキッテが出回っていた頃に、富士鹿キッテが出回っているんですよね。これはその名の通り、富士山と鹿のキッテが印刷をされているんですね。 後に同様のキッテとして風景キッテというのも出てまして、富士山とかね、あとは日光の陽明門とかさっき言った後に国王キッテになるんですけど、最初にできたのはこの時代ですね。あとは名古屋城なんかも作られてるんですけど、こういうキッテが出てるんですよ。 ちょっと不思議な感じがするんですよね。タザーキッテとか、コバンキッテとか、キクキッテとかこういうのが出てる中で、なんで突然風景が出てくるのかっていうことが気になるんですけど、これを海外向けなんですよね。 海外向けのキッテっていうのは少し前にも出ていて、それは鳥キッテって言って、これはむちゃくちゃ古い時代なんだけど、鳥ですよね。鳥で世界に飛んでいくっていう、こういうキッテで、これはむちゃくちゃ高価なんだけど、これは1875年かな。 滅多なことでは手に入らないキッテ、カリとか、セキレーとかタカとかで作ってるんですけど、そういうキッテがあって、少なかったんだと思うんですけど海外便ですよね。おそらくこの1920年代、30年代ぐらいになると海外との郵便もかなり出てきていて、そのために先ほど説明した富士鹿キッテ、富士山が左にあって、菊の大門が上にあって、右側に鹿がいるみたいなキッテが結構出回ってます。 私はこのキッテはわりと好きだったんだけど、ちょっと最近、ちょっと軽いなと。一言で言うと、言い方はちょっとあんまり良くないんだけど、海外に媚びを売ってるというかな。 中では非常に、例えば田沢キッテ、田沢キッテもそうなんですけど、菊キッテとかっていう非常に重厚なデザインにして、外向きにはこういうね、日本ってこういうところがありますよみたいな、こういうキッテにしてるんですよね。 なんか国家としての外面と内面の違いみたいな。内弁系で、外にはよく見せたいみたいな。ところがちょっとね、垣間見えるのが気になるんですね。 後に飛行機キッテって出ていて、飛行機で海外に行きますっていうキッテなんだけど、それはそれでまたちょっと興味深いんだけど、普通キッテとして出てる富士鹿キッテとか風景キッテっていうのは、もちろん一色ずりで戦後のようなキッテではないんだけど、ちょっと私はね、むしろ国内で流通してるキッテの方が非常に興味を惹かれる存在という風になってます。 ここからなんですよね、キッテが非常にプロパガンダとして使われるようになるのは、途中震災キッテっていって、関東大震災の後、キッテが一気にちょっと全部作れなくなったということで、一時的に非常に質の悪いキッテが出たりしてるんですけど、それを飛ばして昭和キッテというのが発行されます。 3回発行されてるんですけど、第一次昭和キッテっていうのは1937年かな。もう15年戦争が始まってるんですよね。満州事変も始まり、日中戦争も始まるという、この時期にできてるのが昭和キッテというものなんですよ。 ここで目立つのは、やっぱり軍人の姿なんですね。乃木マレスケ。これはもちろん陸軍の英雄ですよね。天皇権にも非常に深い関係にあった、今でも乃木神社ってありますけど、乃木マレスケがまず二円キッテとして登場します。赤いぎょろっとした目の乃木マレスケ。皆さんも印象を持ってらっしゃる方いらっしゃるかもしれません。 あと四円キッテで、今度は海軍の英雄、東郷平八郎が登場するわけですね。 ちなみに、戦争が終わった戦後のキッテというのは、とにかく生きてる人はキッテにしないという、ものすごい大原則が確立することになるんですよ。当時、軍人で活躍した人がキッテになって、ある種プロパガンダというか、永住したというのもあるんでしょうね。 ですから、天皇陛下とご家族を除けば、キッテには顔が登場しないっていうね。そういう生きてる人は登場させないっていうのが後に大原則になるんですが、戦中っていうのはこういった形でキッテが作られてるんですね。 第一昭和キッテは、プロパガンダといっても、それほどものすごくそういう圧力を感じるという感じはしないんですけどね。 それでも、例えば、六円キットは、オーロワンビ東大っていって、台湾の景色が出ているキッテで、これなんか興味深いなと思って、私も手元にありますけれども、あとは朝鮮半島の金剛山ですね。これが七円キッテになってます。 ですから当時、もう日本が支配してたってことは日本になってましたので、そこも日本団だよっていうことをすごく印象付ける意味があったんでしょうね。 あとは、八円キッテが明治神宮ですね。これなんかもなかなかよくできたキッテですけど、あとは十四円キッテが笠賀大社、あとは二十円キッテが富士と桜かな。 法隆寺もありますね。徳島神社もあるかな。あと面白いのはね、五円っていう高額キッテなんですけど、藤原の鎌足りなんですよね。面白いでしょ。大化の戒心をやって、蘇我氏をやっつけたということで、天皇陛に非常に忠誠を尽くした人という解釈で、キッテになっているということです。 で、楠木正重はなぜキッテになってないのかなと思ったら、楠木正重は葉書のあれになってたみたいですね。楠木正重といえば天皇陛に使われた忠臣と言われてますけど、こういうのが第一次昭和キッテ。 で、キッテの進歩というのを考えると、第一次昭和キッテは一部そういう国家主義的なところが垣間見えますけれども、それ以外は出来は非常にいい感じがしますね。 で、雰囲気が徐々に変わってくるのが、第二次昭和キッテということになるんですけど、ここに来るとね、曰く因縁つきのキッテが結構出てくるんですね。 例えば、十選キッテは大東亜共栄圏地図ということで、当時日本が支配をしていたエリアがずっと書かれている、そういう地図になっているんですね。 1942年から46年に発行されているので、これはもうまさに戦争真っ当な中、第二次世界大戦真っ当な中のキッテになってます。 ちなみにこの時期は世界各国で日本の支配のもとでキッテが発行されています。 それこそ満州国なんかは有名ですけどね。 フギのいた満州国との関係というのは極めて密接でして、例えばフギが日本に来た時の記念キッテなんかも日本にありますし、 あとは、満州国と日本が共存共栄みたいな記念キッテは盛んに出たんですよね。 ですから日本においてもそうなんだけど、海外においても日本が支配してる地域についても、そういうプロパガンダが盛んに出された時期ということですね。 ハングル語の仮殺がされたキッテなんかも結構ありますし、私も手元に持ってるんですけど、 これは東郷平八郎かな、私が持ってるのは。 この二次昭和キッテでいうと後援になってるんですけど、東郷平八郎は。 そこに韓国、ハングル文字で仮殺されて、向こうから出されたキッテなんですよね。 その他にもついに登場するのは靖国神社なんですけど、これは十七千キッテかな。 これも登場しますし、あとは十五千キッテでいうと少年航空兵というね、 若い少年が日本国旗をバックに敬礼をして、まさに出陣戦としてる。 ちょっと特攻隊を回せるようなキッテも出てます。 一番戦後物議をかましたのが、これが敵国降伏というキッテでして。 これはちょっと待ってくださいね。 どこの地域だったかな。 そうだそうだ。 これはね。 箱崎偶だ。 箱崎偶っていうのはね、これ今もあるんですけど、 福岡市の東区に神社をする、日本三大八幡偶の一つということで、 箱崎で書かれた、これはね、 この箱崎偶というのはね、 三大八幡偶の一つということで、箱崎で書かれた、 これはね、亀山城口が直筆、自分で書かれたのを額にしたと言われてて、 今もあるみたいですね。 これ鎌倉時代なんで、原稿で相手を降伏させるんだっていうふうに書いたのを、 この時代にどうも使ったようなんですよね。 これは戦後、JHQが日本を占領しますよね。 その時に日本側が慌てて焼却したキッテというふうに言われてます。 ですから、それはそうなりますよね。 ただ民間に出回っていたので、結構それが使われたらしくて、 かなりJHQがそれに激怒したというような話も聞いたことがありますが、 ちょっとそこは正確じゃないんですが、 これらのキッテは使用禁止になっているんですね。 使用禁止にしたんだけど、やっぱり出回ったんでしょうね。 ですから、何て言ったんだっけな。 追放キッテって言ったのか。 キッテそのものが追放されるんですね。 軍国主義の象徴ということで。 先ほど私がご紹介したのはキッテもそうなんですけど、 使用禁止になります。 ただ戦後は戦後でキッテ使わなきゃならないので、 一部流通していたということで騒ぎになったキッテということですね。 この手の話っていうのはキッテだけではなくて他にもあって、 私の地元で防衛技術博物館を作ろうという人たちがいて、 私もそれをお手伝いしているんですけど、 戦中のいろんな使われた戦車なんかも集めてるんですけど、 面白いのはね、戦中に使われた戦車って、 戦後ですね、ブルドーザーなんかで使われたりしてるんですね。 例えば北海道なんかでブルドーザーとして雪を除去するように使われたり、 林業で一部使われたりして改造したりしてたんですけど、 構成戦車っていう言い方をして、構成する。 戦車が構成するわけないんだけど、 まあやっぱり時代なんでしょうね。 で、キッテも構成させられたということで、 使用禁止になったんですね。 追放されたキッテというのが第2次昭和キッテということです。 いよいよ戦争が終わらんとしているときの第3次昭和キッテというのが1945年に出てまして、 これも私何枚か入手して持ってるんですけど、 まあこのキッテは一言で言うとね、 キッテとしてはものすごく質が悪い。 質が悪いというのは中身が悪いというよりは紙の質なり、 もうあれもないんですよね。 目打ちもない。だからキッテってギザギザしてるじゃないですか。 あれはちゃんとパリパリパリッと折れるようになってるんですけど、 それもないんです。ハサミで切るんですよ。 そしてそれをそのまま貼る形になってます。 デザインは基本的にあまり変わらないんですけど、 敵国降伏もあるし、あとはフジワラの鎌足りもあったりとかね、 富士と桜とか、戦闘機なんかもね、 ヒエンかな、5戦であったりしますけど、 いよいよこれを見てると、 いやあ、国力が劣れてきたなと。 印刷所も焼けたみたいなんですね、キッテを。 実際に作るんですね。 もうずっと綿々と、 今日私、長々と説明しましたけど、 それこそね、手彫りのキッテの時代。 手で彫って、横半印刷で、 竜キッテとか桜キッテとか作って、 そっからずっと小判キッテありの、 そしてタザキッテもありの、 昭和キッテに至るこの歴史の中で、 まあここまで国力が一時的に落ちたか、 って思わせるようなキッテが出てますね。 いやあ、こうやってみるとね、 一枚一枚がね、ものすごく歴史的な意味があるんですよね。 ちなみに、今日はここまでにしますけど、 戦後発行されたキッテも、 新昭和キッテって言うんですけど、 最初のキッテは本当に貧しい。 1946年からね、 日本がまた新たにキッテを発行しだすんだけど、 まあかつてこの大正時代から、 国家の一瞬をかけて作った、 この綺麗なキッテの見る影もないキッテが、 戦後再び作られることになるんですよね。 もう、いわゆる軍事的なキッテは作れませんから、 作られてるのは、前島秘荘家とか法隆寺とか、 西手富士山ぐらいなんですけど、 いやー、一回ここまで落ちてしまったんだなっていうことが、 ここから分かるという感じですが。 ちょっと長々喋りすぎましたけど、 このようにキッテっていうのは、 ものすごく歴史を背負うんですよね。 私がこのキッテを見ながら、 ちょっと感じてるのは、 それが今、ものすごく投げ売りをされて、 粗末に扱われてるのが残念なんですよね。 いくつか要因があるんですけどね。 例えば、正直言うと、 郵政省が、今は公社ですけど、 そうか、会社か。 郵政省の時代からですよ。 キッテ発行しすぎ。 これはね、私もどっかで指摘しようかと思うんだけど、 やっぱり昭和の私が生まれた頃からなんですけどね、 キッテがすごいブームになって、 儲かったんでしょうね。 本当はキッテっていうのは、 流通することが前提なので、 売ってもその後、実際にロームが発生するわけだから、 そこに十分対応しきれないキッテっていうのは、 発行すべきじゃないんだけど、 記念キッテっていうのはものすごく多くなったから、 おそらくそこで利益を上げるっていうこともあったと思うんですけど、 戦後、相当日本はキッテを発行しすぎたんですよね。 結果として一時期非常にキッテは高くなったんですけど、 1960年代とか、 50年代、60年代ってキッテが大人気だったんですね。 私が育った70年代くらいはまだキッテ人気ありました。 80年代、90年代くらいになって、 キッテの価格が下がったのは、 やっぱり一つは発行しすぎね。 あとはいろいろで集めるものっていうのは、 いろんなカードとかね、 出てきたから、 キッテから人々の興味が移ったこともあっただろうし、 あとは手紙書かなくなったっていうのもあるでしょうね。 年賀状に象徴されますけど、 手紙を書く人が少なくなって、 キッテの需要が非常に少なくなった。 結果として今ね、キッテが投げ売りされてるのは、 おそらく当時キッテを集めた人たちが、 ある程度年齢になって手放してるんですよ。 今回私も手放そうとしたんだけど、 結局ホールドすることにしたのは、 手放す人が多ければ多いほど受給ですから、 キッテの値段は下がるんですよね。 もう一回こういうキッテの価値をみんなに分かってもらって、 キッテを通じて歴史を学ぶとか、 国家を学ぶみたいなことができれば変わるかなと思って、 ホールドした上で、 そんなにお金かけられませんけど、 これはと思うキッテは購入をしてですね、 整理をして持ってるということなんですね。 多分キッテの人気がそんなにものすごく上がるってことはないと思うんだけど、 見直されるとすれば単なる収集じゃないと思うんですよ。 フィラテリストって言葉があるんですけど、 フィラテリってね、 これはいわゆるキッテを、 趣味として理解をするっていうことかな。 なんて表現したらいいのかな。 私が説明したような歴史的なバックグラウンドとかキッテの意味とか、 そこも含めて関心がある人は、 キッテに価値を感じるわけですね。 一方で、とにかくキッテに人儲けしてやろうとかね、 あとは、とにかくたくさん集めることに関心があるんだという、 私ももともとはそうだったんだけど、 小学校の高学年ぐらいになって、 国宝キッテとかね、 あとは浮世絵とかね、浮世絵美しいですよ。 今もキッテ趣味習慣なんかで、 葛飾北斎とかね、宇多川弘重とか出てますけど、 いやこれはね、本当に日本の浮世絵美しい。 で、そういった中で、 例えば歴史とか美術とか文化とかに興味を持つ若者が出てきたら、 いいんじゃないかなっていうふうに思うんですけどね。 そんな話をこの間もすぐにしたら、 いや、そういうのに関心を持つのはいいけど、 別に本買って見たらいいんじゃないの?って言われて学位しちゃいましたけど、 違うんですよ。 手元にあるとね、見ますよ、了解しますよ。 今私今手元でまさに見てますけど、 いや普通キッテにしてこれだけ語れるわけだからね。 それは、例えば文化的なキッテもあるし、 スポーツもありますしね、 あとは歴史ですよね、戦前のキッテなんかもすごいですよね、面白い。 で、それを世界に広げるとね、さらに視野が広がるんだけど、 私ね海外のキッテも結構持ってたんだけど、 それはね、ちょっともう管理しきれないので、 興味持ってくれそうだったので、そこは手放しました。 で、逆にまたこれはと思う海外のキッテは、またちょっと入手してるんだけど、 世界に目を広げることにも、視野を広げることにも、 もしかしたらそういうことをやると繋がるかもしれませんので、 そういう意味でキッテにもう一回目が向いてくるといいなと思うんですけどね。 いかんせんね、今SNS時代、AIの時代、どうだろうな、 キッテに皆さんの興味が戻ってくることはないのかもしれませんが、 私自身はフィラテリストとして、 ちょっとしばらくキッテの関心を失わずにやっていこうかなと思っておりますので、 そんな話をさせていただきました。 いや、これ1時間ぐらい喋ったか。 はい、皆さんからいろいろコメントいただいております。 声が安定しない。 メルカリも時々利用しますけど、 メルカリよりはやっぱりヤフオクションの方が出てますね。 やすぅさんからは、 大倉庶印刷局によるお札と同じ技術力で作っているのでとても綺麗ですよね。 そうですね。 印刷局っていうのがあってずっとそれでやってましたので、 キッテそのものはすごく美しいですね。 一時期民間に任せた時代もあったんですけどね、 結局安定しなかったんですね。やっぱりこっからやった方がいいってことでね。 ひであきさんからは、 幼少期の趣味がキッタツミでした。 大人になってキッテは貨幣を吸っているのと同じで、 未使用は郵政省の小屋紙になると学び複雑です。 そうなんですよ。 結構ね、海外だとこの、 優秀化、郵便を趣味にするね。 優秀化って言い方するんですけど、 その人たちに配慮して、 キッテの発行枚数を制限したりしている国もあるらしいんですけど、 うーん、これはね、 日本はちょっと猛気すぎに走ったんでしょうな。 清須奏で明治天皇や、 西郷隆盛小僧など手掛けた方でしたっけ。 あ、そうなのかな。そうかもしれませんね。 結構日本でね、活躍をした、 おかかい外国人として名前を知れてますね。 竹田和明さん、 ご趣味の話はいつにも増して念がこもっていて、 良いですねということで。 竹田さん、やりましょう。 中国のキッテ面白いですよ。 私今ね、中国のキッテも一部持ってるんだけど、 ちょっと見てみようか。 いやー、例えばね、中国のキッテで面白いのはね、 竹田さんに向かって喋ってますよ。聞いてますか? 尊文は出てくるんだよね。 面白いですよね。尊文って、 中華民国の祖なんだけど、 やっぱり、いわゆる共産党にも、 もともと民主化をした人ということで、 尊文誕生100年のキッテなんか私持ってますけど、 これは1965年かな。 尊文って日本に来ていろいろ学んだ人ということでもあるんだけど、 今は大陸でも尊文はね、非常に尊敬されてるんですね。 紹介席はダメなんだな、あれ。 共産党と戦ってるから。 あとは霊人の死んだ1年後にキッテなんか出てるんですね。 霊人に死去1年のキッテとか、面白いなと思って買ったんですけど、 あとマルクスの死後100年のキッテとかね。 マルクス霊人は、あ、ごめんなさい、スターリンだ。 スターリンの死後1年のキッテ、1954年出てますね。 あとは人民解放軍のキッテとかね。 あとチベット平和解放って1952年出てるんですけど、 チベットを中国が支配をした時代ですよね。 果たしてそれが平和解放だったかどうかっていうのは、 そうはどうなのかっていうことなんですけど、 チベット自治区が成立して20周年のキッテなんか見てるとね、 ああ、これまさにプロパガンダだなっていう感じがします。 そして中国と日本っていうのは繋がってるなって聞いてみてると感じますよね。 シナカサツの話はしましたけど、 中国の中でもやはりマンシュは日本が支配をしていたということで、 マンシュのキッテ、日本とは極めて友好的な関係だったということで、 ずいぶん関係のキッテが出てますしね。 あとは日中友好の歴史ということで戦後、 国交正常化から平和条約ということでいくつかキッテが出てるんですけど、 それなんか見てると面白いですよ。 はい、ということで竹田さんもぜひと思います。 はい、あとは竹野さん、デジタル化するとキッテもなくなるんですかね。 少し寂しい気持ちもありますが、 そうね、出す人が少なくなってきたんでしょうね。 梶間赤さんから美術品を投資のために使うのか、 鑑賞のために買うのかみたいな違いと似てますね。 まあそうですね。 やっぱり持ってるとこの数センチ、 場合によっては2センチ四方ぐらいのところにこれだけの情報があると、 それを所有できてみれるってこれね、面白いですよね。 竹田さんから、キッテってキッテ手形の略なんです。 まあそうキップ手形、そうなんですよ。 手形なんですよ。 だから国会が発行する手形なんですよね。 郵便出せますよって手形なんですよ。 なので、本当発行しすぎは良くないんですけどね。 でも悲しいからね、1960年代ぐらいからは、 当時は郵便が15円とかだったでしょ、20円とか。 ってことは今110円だから5分の1ぐらいの物価だったわけですよ。 5分の1とか倍の10分の1ぐらいの物価だったわけですよね。 今でもそれがね、例えば15円のキッテが15円でそのまま買えたりするんですよ。 本当であればそれはね、価値からすれば110円になってなきゃならないんだけど、 なってないんだよね。 だからキッテの価値が下がってるっていうところがそういうところで出てるかなという風に思います。 これでキッテがちょっと人気が出るといいんだよな。 そんなに甘くないですかね。 はい、ということでここで終わりたいと思います。 また時間があるときに、今度は記念キッテ編戦前という話をしてみたいし、 戦後は戦後でキッテは山ほど出てますので、 またその辺で私のお気に入りのキッテは皆さんにお知らせをしたいという風に思っております。 はい、お休みにお付き合いをいただきましてありがとうございました。 私もこれで仕事に復帰をいたします。 それでは皆さん良い週末を。 もっと見る #切手 #細野豪志 #郵趣 #フィラテリスト 細野豪志の今日も元気に!プレミアム放送配信中!54:511.手掘切手(桜切手)はこんな感じコメント感想・質問・応援メッセージを書こう グローバル走るん2025年12月16日1975大阪万博、1964東京五輪、国宝の切手……と長男(中2)に話したら「すごい! ほしいっ」と即答でした。切手屋さんに譲るかもしれなかったもの、もしよろしければ、お代はちゃんとお支払いしますので頂きたいくらいです!!! でもここですと競争率高そう…😖1返信 細野豪志/衆議院議員2025年12月18日中二の男子が切手に興味を持ってもらえるのは嬉しいです!年末年始で時間があるときに、noteに写真付きで切手の記事をあげようと思っています。1 乃凡亭2025年12月15日細野さんの政治・政策に対するソレと比較しても同等かそれ以上のアツイ語りに驚きました。が、よく聞くと明治維新以降の日本国の成り立ちとの関わりがあることが大きいのですね。私の父のコレクター系で切手も集めていましたが、コイン、紙幣の方が沢山ありますコレクター魂は全く受け継いでいません😊1返信 細野豪志/衆議院議員2025年12月18日コインも奥が深いと思うんですが、当時はお金がなくて買えませんでした… つっくん2025年12月14日切手の話、興味深いですね!出来たら映像で実際の切手を見ながら聞きたかったところです。Youtubeとか是非検討ください!1返信 細野豪志/衆議院議員2025年12月18日年末年始、noteに写真付きであげようと思います。是非、ご覧ください! プ キ2025年12月14日切手のお話、とても興味深く拝聴いたしました。続きも楽しみにしております。2返信 シング2025年12月14日切手の奥深い魅力、とても楽しく興味深く拝聴しました。手紙を書く機会は減って切手も注目されることが減りましたね。私は昔は文通を頻繁にしていたのでしょっちゅう郵便局へ行ってその時その時の記念切手シートを購入して使っていました。キャラクターのものや花など綺麗な柄のものがシールになっているものもあり使いやすかったです。集める事より手放す方へ頭がいっていましたが夢中になって集めたり大切にするものがあるって豊かで素敵な事ですね。5返信 細野豪志/衆議院議員2025年12月18日切手にメッセージを託して手紙を書くというのも、良い文化ですね~ もっと見る
沖縄県知事選挙で古謝玄太氏が圧勝――沖縄でも「イデオロギー」の時代は終わった 7分・昨日・ 1,455再生AI目次沖縄知事選 古謝玄太氏圧勝の背景若年層に広がる「イデオロギー卒業」沖縄経済と安全保障への影響国政に直結する知事選の重要性野党分裂と全国的な若年層の動向
災害の教訓を生かすために。防災庁の役割と期待 10分・9月11日・ 2,686再生AI目次高速道路橋桁落下 断層上の備え南海トラフと新道路計画の課題東名高速と富士山噴火 迫る危機特定都市河川 指定拡大で水害対策防災庁に期待されるレジリエンス戦略
長期入院する子供と親をどうやって支えるか? 14分・9月10日・ 2,739再生AI目次長期入院児の実態と親の重圧支援の狭間にある親子の現実坂上和子氏 35年の献身と支援未就学児ケアと親の食事問題政治家が向き合うべき課題と共助
中道改革連合は残し、立憲系と公明系議員が離党へ? 4分・9月9日・ 1,491再生AI目次寺田学氏が語る野党の現状分析中道改革連合解体と新党構想の行方一人残る議員と政党助成金問題の焦点生活保護家庭の進学を阻む壁とは現役東大生が語る困難な進学の現実
玉木代表続投の国民民主党、混迷深まる中道改革連合――野党再編はどこへ向かう? 8分・9月7日・ 1,669再生AI目次国民民主党 玉木代表続投と新路線野党第一党 国民民主党の戦略とは中道改革連合の行方、分裂の深層DPFPと新中道勢力、連携の可能性与党内の人事、政権の重要局面へ
切手屋さんに譲るかもしれなかったもの、もしよろしければ、お代はちゃんとお支払いしますので頂きたいくらいです!!! でもここですと競争率高そう…😖
年末年始で時間があるときに、noteに写真付きで切手の記事をあげようと思っています。
が、よく聞くと明治維新以降の日本国の成り立ちとの関わりがあることが大きいのですね。
私の父のコレクター系で切手も集めていましたが、コイン、紙幣の方が沢山あります
コレクター魂は全く受け継いでいません😊