TOPライフスタイルくらし長谷部祐樹の【散文礼賛】退屈マッチポンプしてる説18:13 4月2日 178再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次推し活ビジネスと宗教的熱狂の境界線人生の「退屈」と現代人の心理の危うさ便利さが生んだ「退屈」を埋めるマッチポンプ外部志向の成功が家庭にもたらす光と影AI時代に再考する「世話したい」欲求と豊かさAI文字起こし(β版) # 『イン・ザ・メガチャーチ』を読んで こんにちは、瀬戸裕樹です。 今日は、In The Mega Churchについて話をしようと思います。 このチャンネルですね、先日面接した方が聞いてくださっていたということが分かりまして、 そういう人にも届く可能性があると思うと、ちゃんとしなきゃいけないなと思って更新をしております。 In The Mega Churchは結構前に読み終えているんですけど、 今、たまたま目の前の本棚にあるので、In The Mega Churchについて話そうと思って回し始めました。 何にも考えていないですので、うまくまとまるか分かりませんが話します。 ネタバレはそんなにしないはずだと思います。 おしかつの話でした。 既に読まれた方とかもいらっしゃるかもしれませんし、 これから読もうと思っている人とかもいると思うんですけど、 おしかつビジネスを仕掛ける側とのめり込む側と、 のめり込んでいた人と、 押される側のアイドル的な視点と、 いくつかの登場人物、各種の登場人物の視点で物語が進んでいく、転がっていくような話で、 明るいか暗いかというと決して明るくはないという話かなと思いますが、 のめり込んでいく感覚はあるし、非常に面白くて、 どんどん進んでいく。終わるのが寂しい気持ちになる。 これどうやって最後終わるんだろうみたいな一冊でした。 僕自身、すごいおしかつビジネスかと言われたらそうじゃないんですけど、 発信をする人とそれを受け取る人と、 それを仕掛けるというわけじゃないですけど、 その場を用意する人という立場にいる。 端くれとしては、非常に考えさせられる部分が多かった一冊だなと思ったのと、 あとはその登場人物側の、仕掛ける側の中に出てくる男性社員の方ですね、 40代後半とかだったかな、 登場人物側の久保田という登場人物の一冊に関してもすごく考えさせられたので、 その辺の話を今日できたらなと思います。 まずおしかつの話で言うと、 今回インザメガチャーチというチャーチ、宗教ですね、教会みたいな話が出てくるんですけど、 この線引きってすごく難しいというか、 おしかつというものが市民権を得ているよね、みたいな話も中に出てくるんですけど、 オタクみたいなものとか、おしかつみたいなこととかって、 以前の感覚、昔の感覚だと非常にアンダーグラウンドなものだったのが、 今はそうではない、みたいな風になってきているんですけど、 そういうものを、 どこの線引きで、人それぞれだよね、みたいな話になっちゃうのかもしれないですけど、 どこまでがヘルシーで、どこからがヘルシーじゃないのかみたいなことは、 すごく考えますよね、僕も普段仕事をしながら。 そのヘルシーとか、それによって救われるとか、人生が楽しくなるみたいなこととかの、 楽しくなっているからいいじゃん、みたいな話もあれば、 いや本当にそうなんでしたっけ、みたいな、 要するに中毒性みたいなものとかってどこまで追い求めるんでしたっけって、 すごい考えさせられる部分だし、 それをすごい考えさせられた一冊でもあるなという風に思いました。 中毒症状がある方が苦しくないんだよ、人生は、みたいなですね、話も出てくるんですけど、 なかなか日々忙しくしているんですけど、 なんでそんなに忙しくしているのか、みたいなことを言われたときに、 そのなんで、みたいなことって、どんどん冷静になっていくほど、 意味あるんでしたっけ、みたいな風になっていっちゃうんだと思うんですよね。 これ暇と退屈の倫理学的な話もあるんですけど、 退屈である、みたいなことが一番人生において結構しんどい。 その中で、その退屈さみたいなことを埋めてくれるものにどう出会うのか、 それが仕事なのか、趣味なのか、お仕方なのか、みたいなことだと思うんですけど、 そののめり込んでいったり視野が狭くなることによって、 その退屈だとか、何のためにやっているのか、みたいなことを考えずに済むっていうことは、 一種のその、現実逃避っていうと、ちょっと言葉があんまりよくないですけど、 そこをおやめにすることによって生きていられる。 あまりそこを冷静になって俯瞰しすぎちゃうと、 何なんだろうか、みたいなことになっていっちゃいますよね。 その辺をすごい描写している一冊だなというふうに思いました。 本来は、本来はって言い方もおかしいけど、 生物学的に言うと、ホモサピエンスみたいな時代に遡ると、 自然の摂理の中にいて、その摂理の中で生きて、 生態系の中で子孫を残すことによって回ってきた、巡ってきた、みたいなものだったものが、 どんどん社会性を帯び、 不便だったことを解決していったのが人類の歴史だと思うんですけど、 産業の歴史でもあるかなと思うんですけど、 もともと自然と共に生きていくと忙しいんですよね、めっちゃ。 日暮れるまでに何かし終えなきゃいけないし、日が昇ったら活動しなきゃいけないし、 夜は危ないからって歩かないし、食べ物も取りに行かなきゃいけないし、作らなきゃいけないし、 そんなことをしているとあっという間に日が暮れてしまう。 でもそれの大変さみたいなことをどんどん便利・快適にすることで解決していった結果、 どんどん自分たちに時間ができて、 そのできた時間を埋めるためにコンテンツみたいなものが無限に生み出されていて、 そういうサイクルで便利になる、快適になる、退屈になる、 退屈なのは嫌だから埋めたいっていう、 自分たちが作った時間を埋めたいっていう、そのサイクルになっていってるっていうのがあって、 AIとかがするとどんどんそれがより加速していくと、どんどんみんなが退屈になっていって、 それを退屈を埋めるために生きて、何をしてるんだろうみたいな、 自分たちで自分たちの時間を生み出して、それを埋めるためにまた仕事をしているっていう、 何なんだろうみたいな感じになっていっちゃうみたいなことだと思うんですよね。 忙しくしてる、忙しいって言ってるんだけど、そんなに忙しくする必要あるんでしたっけみたいな、 そんなことにふと気づいてしまうということがないように、 そういった推しみたいなことができてくると、そういったことにふと冷静に気づかなくてよくなるみたいなことだと思うんですよね。 その辺が、じゃあどの塩梅でそれをのめり込んでもらうことが本当に幸せなのか、 めちゃくちゃのめり込んで視野が狭くなりまくることが本当に幸せなのかみたいなことは、 非常に難しい塩梅だなと思うし、 これからどんどん時間が生まれていく中で、こういった隙間を埋めてくれるということが求められるけど、 その隙間を埋めるために忙しくするっていう、 そのマッチポンプみたいなことがこれからどんどん起きてくるんだろうなーなんてことをぼんやり思ったりしました。 次のチャプターいきます。 # 注いだエネルギーが還ってくる先はどこ さっきちょっと話した久保田ですね。 ある会社員の方が言ってた、 言ってたというか考えてた描写の中に、 40後半、50、人生半分かな、40後半以降に、 自分に返ってくるものは、これまで注いできていた 外部へのエネルギーではなくて、 外側に注いできたエネルギーじゃなくて、 内側に注いできたものが返ってくるんだ、 みたいな話をしているんですよ。 これどういうことかというと、 20代とか30代とかは、 それこそキャリアとか、 ビジネスのスキルみたいなこととかですね、 仕事上の付き合いとか、いろんな観点で、 要するに家庭とか家族とか、 家族とかということよりも、 会社とか取引先とか、 そういったところに外側に向けて エネルギーを注いできていると。 それによってビジネススキルが身に付いたり、 役職が上がったりとか、 そういうふうなことで返ってくる、 還元されてくるということがあるんだと思うんですけど、 一方で30代とか40代とかになって結婚するとか、 子供が生まれるとかですね、 もしくは子供がいなくても、 家族の中の人間関係ですね、 それは親とかも含めてかもしれませんし、 もしかしたら地域みたいなことがあるかもしれないですけど、 もしくは友人とかかもしれないですね。 そういったものも含めて、 もう少し近い、 自分自身に近い半径5メートルみたいなところに対しては、 外側に培ってきたエネルギーみたいな、 注いできたエネルギーが、 そこに還元されないということが、 如実に出てくるみたいな話なんですよ。 要するに、課長だか部長だかは分かりませんが、 そういったものに昇進したみたいなこととかって、 もちろん給与が上がるみたいな面で、 家庭内とか内側に還元されるみたいなことが、 あるのかもしれないですけど、 課長とか部長とか、 どの会社で働いているかみたいな、 要するに会社員である以上、 そこの還元される金額の差なんて、 たかが知れているというか、 爆発的に何かが変わるみたいなことではないと思うんですよね。 多少家が広くなるとか、 いい車を乗れるとか、 そのレベルであって、 前沢さんみたいになるとか、 そういうことじゃないじゃないですか。 そういうときに、 そんなことよりも、家族からしたらですよ、 ちゃんと家に帰ってきてくれるとか、 子どもの面倒を見るとか、 家庭、夫婦生活が円満であるとか、 親との関係が円満であるとか、 そういうことのほうが、 よっぽどその人生後半においてとか、 もしくは友達関係がちゃんと継続されているとか、 維持されているみたいなことのほうが、 ちゃんと帰ってくるみたいなことですよね。 そこに気づいてしまうみたいな話なんですよ。 これもすごく、 久々に飛ぶ話だなというか、 具体的な話で言うと、 私の友人とか、僕の友人が、 奥さんに離婚を迫られたみたいな話があって、 それ別に本気で離婚とかじゃないけど、 半分冗談で出たみたいな話を聞いたんですけど、 その友人は、 会社員とかじゃないんですけど、 転職がある人で、 収録ぐらい働いているんですよね。 毎日忙しくしていて、 収録働いていると。 たまの週一の休日に関しては、 家にいるんだけど、 ゆっくりしたいみたいなことで、 なかなか家族との時間だったり、 取れてなかったりする。 本人からしたら、 家のためにも頑張って働いているんだけど、 奥さんからしたら、 そんなに働かなくていいから、 もっと家のこととか、 家族の時間を使ってほしいと思っている。 そこにずれがあるんですよね。 本人、男性、私の友人からしたら、 そこをもっと分かってほしい。 働いていることをもっと分かってほしくて、 ゆっくりしていることも、 多めに見てほしいと思っているんだけど、 そこはずれているということ。 まさにさっきの話じゃないけど、 自分からしたら、 頑張って働いて、 外側にエネルギーを注いでいるものを、 ことによって、 自分自身の、 もしかしたら仕事のスキルとか、 職場でのポジションが 上がっているかもしれないですけど、 家庭内では、 むしろポジションが どんどん下がっていっている ということなんですよね。 その辺は本当に、 それこそ団塊の世代とか、 自分の親祖やとかが、 奥さん専業主婦で、 とにかく子どもの面倒とかも、 家のことは丸投げして、 働いてきた、 みたいな結果、 定年後に、 なかなか寂しい人生だったりする、 みたいなことが、 人を分けてみたら、 そうだった。 当時は別に、 それを働いていること、 専業主婦で、 家のことを奥さんに任せている、 みたいなことが、 当たり前の時代だったので、 それをやっていたこと自体を、 今このタイミングで否定するとか、 間違っていたとか、 ということはできないし、 するところもないんですけど、 どうやら、 それを続けてきた親の世代が、 定年後に、 結構寂しそうであるとか、 熟年離婚みたいな言葉もありますけど、 家の中でも、 ポジションが非常に微妙で、 家のことができなくて、 なんなら若干、 お荷物みたいな感じになっている、 というのを見た時に、 どうやら、 外側のエネルギーを、 60年間、 65年間、 注ぎ続けた結果、 あんまり良い未来が待ってなさそうである、 みたいなことが、 なんとなく見えてきた、 という時に、 そのバランスみたいなものも、 非常に大事なんだろうな、 というふうに、 これを読んでいて思った、 ところですかね。 一方で、 外側のエネルギー、 仕事を、 そっちの家で、 家のこととか、 友達と会う、 みたいなことが、 本当にいいのかとか、 みたいなこととかを、 また考えると、 これも非常に絶妙なバランスで、 結論、 両方うまくやっていくしかないんですよね、 みたいなことなのかもしれないですけど、 そういったことが、 具体的に、 たまたま離婚を持ち出された、 みたいな話もあったりとか、 この本を読みながら、 声がかかるとか、 誰かの役に立つ、 みたいなこととかが、 非常に嬉しくて、 みたいなことを読むと、 いろいろ考えるな、 と思いました。 結局、誰かの役に立ちたいし、 誰かのお世話をしたい、 みたいなことが、 人間の根源的な欲求としては、 大切でないということですよね。 最初に続きますけど、 だから、 ラボットのような、 お世話をしなきゃいけないロボット、 愛護とかもそうですよね。 ロボットって、 便利・効率であるということが、 もともと生まれた危険だと思うんですけど、 ラボットも愛護も、 別に何かお世話をしてくれるわけでも、 便利になるわけでもなく、 むしろ、 ロボットを飼って、 こちらがお世話をしなきゃいけない、 卵餌もそうですよね。 面倒を見るゲーム。 面倒を見るためにお金を払うということだし、 公園で鳩に餌をあげているおじさん、 ごめんなさい、 おじさんじゃないかもしれないけど、 鳩をあげている人とかも、 自分が鳩に餌をあげていることによって、 鳩たちに喜ばれているという実感みたいな、 そういうこととかってやっぱり、 どこまで行ってもあるので、 これからAIが進んでいった先に、 仕事としてAI自体にどう生き残るのか、 みたいなこととかはよく語られていますけど、 間違いなく時間は生まれていく中で、 自分がどこにエネルギーを注ぎ、 それが自分の人生、生活豊かにしてくれるのか、 みたいなことは改めて考えなきゃいけないし、 そこにまた新たなビジネスのチャンスが 眠っているのかもなという、 チャンスというか、 求められてくるのかなというふうに 思いましたという話ですね。 とても面白い一冊ですので、 もしまだ読んでいなくて、 興味あるという方は読んでみてください。 ありがとうございました。 もっと見る #インザメガチャーチ 長谷部祐樹の【散文礼賛】長谷部 祐樹09:301.『イン・ザ・メガチャーチ』を読んで08:442.注いだエネルギーが還ってくる先はどこコメント感想・質問・応援メッセージを書こう ついてる×3🎧️人口内耳っ子と過ごす学校生活5月4日連休中に読みました😆去年のVoicyファンフェスタは出しきった感ありますね~2返信 長谷部 祐樹5月4日昨年はたくさん盛り上げていただきありがとうございました!1 Satoken4月3日その本は読んでないので外しているかもしれませんが思い出した事を書きます。 生活が効率化した結果、宗教を含む推し活に使う時間ができたのはその通りだと思います。 民衆の心を掴むイベントの役割は、かつては「癒しの役割が大きかった」と思います。7/5/3歳になる前に死去する幼児が多く、平均寿命が40歳前後だったニ百年前以前は死が身近であり「今年も(自分は)生き残れた」という嬉しさと(周囲の人が死んだ)悲しみが心の中から離れる事が少なかったでしょう。 それを癒すのが祭や宗教だったのだろうと思います。2返信 長谷部 祐樹4月3日なるほどぁ、そういった側面もたしかにあったんでしょうね。2 Satoken4月3日女性アイドル自身が、最も輝くのは17歳で定年が20歳と自覚しながら活動しているのを見ると、刹那的だし壮絶だなぁ〜と感じます。推す側もそんな状況は当然に知っているわけで、(アイドルとしての)生と死は割と短期間に訪れるから、推せる時に推せるだけ推せ!って事になるんだよね。 身近な「生と死」は通底する雰囲気な気がします。1
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去年のVoicyファンフェスタは出しきった感ありますね~
生活が効率化した結果、宗教を含む推し活に使う時間ができたのはその通りだと思います。
民衆の心を掴むイベントの役割は、かつては「癒しの役割が大きかった」と思います。7/5/3歳になる前に死去する幼児が多く、平均寿命が40歳前後だったニ百年前以前は死が身近であり「今年も(自分は)生き残れた」という嬉しさと(周囲の人が死んだ)悲しみが心の中から離れる事が少なかったでしょう。
それを癒すのが祭や宗教だったのだろうと思います。
身近な「生と死」は通底する雰囲気な気がします。