『資本主義リアリズム』マーク・フィッシャー2
26:20
9,550再生
荒木博行のbook cafe
プレミアム放送配信中!
- 00:131.
タイトルコール
- 00:062.
この放送は『IT/Web業界に強い 転職サイトGreen』の提供でお届けしています
- 01:263.
初めのあいさつ
- 10:004.
代替アイデアのないシステムの呪縛
- 04:385.
『まちがえない採用』
- 09:366.
頂いたコメントへのお返し
- 00:227.
終わりのあいさつ
コメント

感想・質問・応援メッセージを書こう

問題や対象を擬人化して表現することで、あたかも自分がその言葉たちを掌握したような征服感に満たされます。でも、何も解決策は導き出されないと痛感しました。自分に酔いしれているようです。
また、リセットボタンを押す心理も大いに理解できます。
例えば、失敗は成功の母の言葉は、言葉の印象が先行して、繰り返される失敗の理由を見ないことも、無尽蔵に肯定してしまう一面もあると思いました。
一方で踏み留まって本質を見ようとする肯定的な姿勢こそに、問題を解決する力があると思いました。
『資本主義リアリズム』マーク・フィッシャー2、拝聴しました。
会社や部署など、特定の人をささない用語、使ってしまいますね。確かにそのような用語を使った会話で批判をする場合、そういうものだなと諦めてしまっていることが多い気がします。そこで立ち止まるのではなく、それをどう解決すべきか自分ごとにしていく姿勢が大切だと思いました。会社など抽象的なものをさす会話をしているときはそういう状態に陥っていないか確認したいです。
「父親不在のパターナリズム」は考えさせられました。
直接的に誰か特定の人を批判するのではなく、実態がないからこそ批判がしやすくなるという側面は日常的にあるように感じます。
Twitterはその典型だと思いますが、批判して炎上すればするほど、実はその対象が有名になっていくこという矛盾もあると思います。
一側面だけをみて短絡的に行動するのではなく、自分はその行動を通じて何をどうしたいのか、一度立ち止まって深く考えてみることが大事ですね。
「うちの会社さあ〜」って言っちゃいますね。本気で変えようとしてないのに。痛いとこ突かれたなあ。
今の境遇は、自分のせいじゃない、って思いたいんですよね。資本主義批判も、その類いなのかも。
自分のせいじゃない、と思いたい人が多いご時世だから、人新世の資本論が売れたのかもしれないですね。
体制に対する批判的な態度は中学生の非行と本質的に同じではないか、という問いかけは耳が痛く感じました。
資本主義という大きなテーマでも、
日々の仕事のような身近なテーマでも、
「リセットボタン」に手が伸びそうになる時は、
向こう見ずな思考に陥っていないか、
ボタンを押した時の副作用や代償に意識が及んでいるか、
立ち止まって自問すべし、と理解しました。
ボタンを押した結果大きな犠牲が払われた歴史上の出来事を、
我が事の相似形として捉えるべし、
とも言えると思いました。