TOPエンタメ映画・本荒木博行のbook cafe『なぜ古典を読むのか』イタロ・カルヴィーノ25:04 2021年7月20日 9,993再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次イタロ・カルヴィーノが語る古典「古典とは何か」多角的な定義人知の履歴として古典を捉える『習慣超大全』行動デザイン術自己責任と連帯の分水嶺とはAI文字起こし(β版) # タイトルコール あら黄色い木のブックカフェ。この番組は、わらを手に旅に出よう、ビジネス書図鑑、世界盗賛図鑑の出筆者であり、書籍予約サービスのフライヤーにてアドバイザーを務める、あら黄色い木のマスターとなり、書籍の内容を紹介していくカフェです。 # この放送は『IT/Web業界に強い 転職サイトGreen』の提供でお届けしています この放送は、実は火曜日に最もスカウトが来やすい転職サイト、グリーンの提供でお届けしています。 # 初めのあいさつ はい、みなさんおはようございます。7月20日、火曜日の朝になりました。 さて、今日はですね、なぜ古典を読むのかという本ですね。 川手文庫から出ておりますけれども。 まあ、タイトルがそのものズバリですけど、 みなさんは古典を読みますかと。 読むとしたらなぜなんでしょう。 そんなことをね、ちょっと考えるきっかけになるんじゃないかなというふうに思います。 ということで行きましょう。本編スタートです。 # 古典とは〜である それでは、なぜ古典を読むのか。 イタロウ・カルビーノですね。川手文庫から出ております。 このイタロウ・カルビーノさん、私は存じ上げなかったんですけれども、イタリア人の方でですね、 小説家なのかな、もうすでに1985年に亡くなっていらっしゃいますけれども、 この本の概要をちょっと説明するとですね、冒頭の第1章目に、なぜ古典を読むのかという、 タイトルの通りのですね、ちょっとしたエッセイがあり、 そこからですね、彼なりの古典の読み方、作品ごとのですね、古典の解釈みたいなものがいろいろ書かれていると。 オデュッセイヤとかですね、それからガリレオの本であるとか、ロビンソン・クルーソーであるとか、 スタンダールの本であるとか、バルザック、ディケンズ、トルストイ、マーク・トゥイエンとかですね、 そういった、いわゆるヘミングウェイとかですね、 いわゆる古典的名作を、彼なりにどう読んだのか解釈したのかみたいな、そんなことが書かれている本になります。 はい。私はこれ全部読んでない中で、冒頭のですね、なぜ古典を読むのかという、その序章がとても面白くてですね、 そこについてちょっとピックアップして、皆さんにですね、古典の意味みたいなことを一緒に考えたいなというふうに思っております。 古典、皆さん読みますか? ねえ、ダメですよ、ビジネス書ばっかり読んでたら。 ビジネス書ってものすごい歴史が浅いカテゴリーですし、そういう意味でですね、すごい実用的ではあるんですけど、 つまり今の目の前の課題に対するインスタントな解を与えてくれる存在ではあるんですけれども、やっぱり悔いの打ち方が浅いんですよね。 まあそれもビジネス書によりけりですけれども、一般論としてね、その古典的人文科学系の本だとか、そういったものっていうのはやっぱり歴史の風説に耐えているということもあって、 本質を問うような本というのがやっぱり多いわけなんですよ。 だから当然ビジネス書も読みますけれども、できるだけですね、古典的名作みたいなものも触れる機会があった方がいいというふうに思ってるんですけど、 さて皆さんは古典とは何かって聞かれたときに、何て答えるでしょうかと。 この序章にはですね、古典とはほにゃららであるということが、カルビーノさんがですね、いろんな角度から語るシリーズなんですね。 その表現がなかなか面白いということで、いくつかですね、これ何個くらい紹介されているのかな、古典とはほにゃららである。 14個ぐらい紹介されているんですけれども、その中のいくつかをね、皆さんにもご案内したいと思います。 まずですね、古典とは、読んでそれが好きな人になった人にとって一つの豊かさとなる本だ。 古典とは読んでそれが好きになった人にとって一つの豊かさとなる本だ。 しかしこれを良い条件で初めて味わう幸運にまだ巡り合ってない人間にとっても同じぐらい重要な資産だということですね。 なんとなくわかる気がする。 まだ古典的名作ってあるわけじゃないですか。読んでない本の方がやっぱ我々多いわけなんですけれども、その人間にとっても同じぐらい重要な資産であると。 古典とは最初に読んだ時と同じく、読み返すごとにそれを読むことで発見ができる書物である。 新たな発見が毎回ある。これが古典の定義である。 古典とは初めて読む時も本当は読み返しているのだ。 こんな表現がありました。 古典とはいつまでも意味の伝達を止めることがない本である。 古典とはその作品自体に対する批評的言説という細かい誇りを立て続けるが、それをまた自然に絶えず払いのける力を備えた書物である。 あと2つほどいきましょうか。 古典とは人から聞いたりそれについて読んだりして知り尽くしているつもりになっていても、いざ自分で読んでみると新しい、予期しなかった、それまで誰にも読まれたことのない作品と思える本である。 そして最後。時事問題の騒音をBGMにしてしまうのが古典である。 どういうことですが、いかがだったでしょうか。何かしっくりくすくる表現はあったでしょうか。 いい表現いっぱいありますね。最後の時事問題の騒音をBGMに変えてしまう。 今起きている問題なんていうのはBGMに過ぎない。 本質的な深刻な問題というのは古典の中の問いにあるのだ。 そんな風に読めるかもしれないですね。 古典とはいつまでも意味の伝達を止めることがない本である。 例えばプラトンの本を読みますが、これは二千数百年前の本であるわけですが、 いまだにその意味の伝達を止めることができない。受け止められきれないですよね。 これ何なんだろうな。答えが出せない。 解釈がいろんな形で生まれてくる。そんな感じかなと思います。 この定義に入っていれば古典だと言えるのかもしれませんね。 それは最近書かれた本であっても古典と呼んでしまってもいいという大胆な解釈もあり得るわけなんですよ。 いつ読んでも新しい解釈があるな、この本。 そしていつまでも意味の伝達を止めることができないな、と。 これは自分にとっての豊かさの源泉となる本だな、と。 これを読んでいるときに時事問題の騒音がBGMになっちゃうな、みたいな本というのは それは新しい本であっても古典と呼べるのかもしれないですね。 人間って限りがあるじゃないですか。長生きしても100年であると。 ところがこの本というのは永遠に残り続けるわけなんですよ。 例えば今私の本棚の目の前にダンテの新曲があります。 これ14世紀に書かれた本なんですけれども、1350年くらいだったかな、ダンテの本ですけれども もうすでに700年くらいの時を経て私の元に届いている イマニュエル・カントの純粋理性批判というものが今目の前に同じく鎮座しております。 さらに言えばサルトルの王と、風光の監獄の誕生とかレビストロス野生の志向みたいなものが今目の前にあるわけなんですけれども これ歴史の風説に耐えて人より長生きしている本ですよね、人の一生よりね。 僕はホテを見る時に人知の履歴だなというふうに思うわけなんですよね。 何か深く考えた人が後世に託してそれが履歴形式で残っていく。 その問いにまだ解明できないけれども必死になってその答えを後世に繋いでいく。 その時にこの本というのが履歴になっていくということなんだろうなというふうに思っているわけなんです。 この履歴というものを私たちが絶やしてはいけない。 後世の人に何とか答えを出してほしいというね、そんな思いでこの本たちを読み継いで伝えていくみたいな そんな感覚に僕は陥るわけなんです。 なぜならばそこに書かれている問いというのはとても自分で答え出せるとは思わないし 自分の世代で答え出せるとは思わない。 だからこそやっぱり後世のみんなしっかり考えてねっていうそんなメッセージとともにその本を伝えたくなる。 私なりにこのカルビーノのフォーマットによって古典とはほにゃららであるというふうに答えるならば 古典とは後世に履歴の抜刀として読み継いでいきたいと託したくなるそんな本である。 そんなふうに私は定義しましたが。 さて皆さんは古典とはほにゃららである。これは何と定義するでしょうか。 そんなことを考えるきっかけにもなる本かなというふうに思います。 ぜひこの本機会があったら読んでほしいと思いますし 何よりも古典と呼ばれる本に皆さん巡り会ってほしいなと思います。 # 『習慣超大全』 それでは、今日のフライヤーのコーナーに行きたいと思います。 今日は、「週刊超大全 スタンフォード行動デザイン研究所の自分を変える方法」という本になります。 B.J.Foggさんですね。 スタンフォード大学行動デザイン研究所創設者兼所長、行動科学者ということですね。 シリコンバレーのイノベーターに人間行動の仕組みを解いて、その内容はプロダクト開発に活かされているということですね。 本書はニューヨークタイムズのベストセラーということなんですけれども。 ダイヤモンド社から2021年5月に出ておりますね。 週刊系の本はいろいろ出てますけれども、 そういう意味で、これまさに研究者が研究をベースにして考えられたものであるということで、 キーワード、タイニーハビットということが書かれております。 タイニーハビット、小さな週刊ということですね。 よくベイビーステップとかも言われますけれども、 タイニーハビット、例えば健康的な生活を送る。 そんなことを大きな目標あるわけじゃないですか。 毎日腕立て何回やるとか、あったりするますよね。 その時に、トイレから出るたびに腕立て伏せを2回するというタイニーハビット。 この週刊は絶大な効果を発揮した。 小さな週刊。 逆に毎日昼食にオレンジを食べるように、合理的だと思えたのにうまくいかないものもあった。 こうした試行錯誤を繰り返していくうちに、だんだん新たな週刊が大きな変化になった。 小さな行動週刊をPBCしながら、自分に合った形でアレンジしていくみたいなものがいいのかもしれないですね。 だから1日30分の運動ってことじゃなくて、30秒もかからずにできる小さな行動ということをしていくということなんですけれども、 例えば、スマホ依存みたいなものも行動デザインしましょう。 例えば、夜はスマホをキッチンに置いて寝室では目覚まし、昔ながらの目覚ましを使う。 だからどうしてもベッドルームにスマホを持ち込んじゃう。それはなぜかというと、目覚まし代わりに使っているからであるみたいなことってあるじゃないですか。 そうすると、目覚ましのためにベッドの横に置こうって思ったら、ベッドルームに入ってまでスマホをやってしまうみたいな状態になってしまう。 だから、ベッドルームに持ち込まないみたいなことだったり。 だから、そういう構造に陥らないように環境を変えてしまうという話かな。 なるほど。そんなことがあるわけです。 結構、僕はこういうことを考えているかもしれない。 自分をメタ認知して、まず自分は弱い存在であるという自己定義から始まるわけです。 だからその弱い人間が無理しなくてもできるような仕組みって一体何だろう。 みたいな意思に頼らない、みたいなことを無意識で考えているかもしれないなんていう本を読んで思いました。 ということで、うまく習慣が定着しないという方はぜひ考えていただければと思います。 今日のフライヤー、習慣超大全でした。 # 頂いたコメントへのお返し それではコメント返し入りたいと思います。 Voicetech革命ですね、尾形さんとの対談2日目いきたいと思います。 出雲さん、一発撮りのコンテンツについてとても満足しています。 マスターの生の声はいつも新鮮です。 マスターの声質や息遣いからマスターの体調が分かるような気がしています。 また対談の緊張感も伝わってきて、目の前で対談を拝見しているように感じます。 心に響いたアーカイブを拝聴するのも、隙間時間に利用しています。 何度も心に染み渡ります。 Voicyの様々なサービスの提供とチャレンジに共感しています。 これからもVoicyを応援したいと思います。 ありがとうございます。 Voicyの思想がね、やっぱりちょっとポッドキャスト、編集文化があるポッドキャストと違うんですよね。 これがサービスを面白くしているのかなというふうに思います。 はい、ぜひ引き続きよろしくお願いします。 すーすーさん、尾形さんとの対談とても面白かったです。 ツッキンの帰りに何回も聞かせてもらいました。 音声配信はツッコミどころがあったり、ライトな会話の方が聞き心地が良くなる点はなるほどなと思いました。 確かにパーソナリティが賢まっていないので、物理的には遠くいるのに、そばで聞いている感じが不思議としますね。 その空気感が良くて、Voicyを聞き始めて10ヶ月経ちますが、やめられないですね、ということで。 なるほど、ありがとうございます。 賢まっていない。 だから、ポッドキャスト的なものはラジオの距離感があるのかな。 Voicyはそれより1、2歩こっちに来ているような気がしなくもないよね。 その辺が良いのかもしれません。 さて、翌日入ります。 7月7日、レベッカ・ソルニットのそれを真の名で呼ぶならば、 新自由主義と聞くと、距離を置きたくなる一方、解剖意的な生き様と言われればかっこよさを感じます。 孤立のイデオロギーのダイナミックな論理展開にハッとしました。 自己責任の価値観が行き過ぎると相互不干渉に繋がり、横の連帯が弱まるのは、例えば会社の組織でも感じます。 一方で、全く自己責任ですな個人やそんな個人が集まる組織、社会というのも、それはそれで想像しがたいです。 良い自己責任と悪い自己責任の分水嶺はどこにあるのだろう。 そんな問いが立ちました。 これは難しい問いですね。 社会デザインの話に繋がっていくと思うんですけれども、 自己責任がない、そんな社会も嫌ですよね。 ただ過度に、自分の責任であるというのも、やっぱり嫌であると。 だからセーフティーネットの問題になっていくわけなんですけど、 セーフティーネットが熱くなればなるほど、頑張っている人がアホくさ、みたいな感覚になっていくというのもわからなくもない。 難しい。 ぐるぐる鈴木さん、カウボーイと職人の類似性、カウボーイのイデオロギー、これに近いイデオロギーが日本の技術、職人の世界にもあると思いました。 言葉は不要、物を見ればわかる。この方法は純度を上げられる。 ただ、世の中から確実した技術になる危うさがある。 研究者をやっていた自分を振り返ると、当時は言葉足らず、これが人間環境を壊してしまったことをふと思い出しました。 話が内線になり失礼しました。今日もありがとうございました。 面白いですね。 研究者気質、そんなことにもつながるのかもしれない。 だから自分が何かをやってやると、その確実感というのが世界観を形成してしまって、 世の中で何が起きていても、自分は虚空の存在、虚構の存在であると思ってしまう。 ちょっとした勘違いですよね。 TMT2さん、カウボーイ的な生き方の話から環境問題へのつながりは意表つかれました。 現在の意思決定において過去の現体験が大きく影響していることはよくあります。 過去に自転車で坂道から転げ落ちたことが強烈に恥ずかしい思い出として残っていることで、 ちょっとしたチャレンジに尻込みしてしまうのも、振り返るとその時の体験が少なからず影響しているように思います。 自分が何かで迷ったとき、自分の過去を振り返ってみると、その迷いの根源が理解できるかもしれないですね。 このトラウマというのを突き詰めるべきなのか、 それともトラウマはすべてやらない理由作りであると、意味付けであると、 アドラー的に考えるのか、みたいによってもまた解釈が変わってくる。 過去のイベントの意味合いが。 タダツバスさん、アイデンティティをどこのレイヤーで捉えるかによって共通点も見出せるし、 お互いの違いもあらわになるなと理解しました。 着想を広げていくと、自分の理解、相手の理解にもつながる話だと思いました。 そのために、まずは自分にとって大事なアイデンティティは何かを改めて築き、認識していくことから第一歩だと思っています。 アイデンティティの元になっている現代圏は何で、それが今の自分をどう形作っているのかですね。 そうですね。 なんか、人間みんな自分と同じ考えをだろって思っちゃう瞬間ってあるじゃないですか。 これ誰しもあると思うんですけど。 でも実は全然そんなことはないと。 自分の意見もマイノリティであると。 そうすると、そのマイノリティの範囲というのは一体何なんだろう。 自分はどういうアイデンティティ、そのアイデンティティの自己定義。 書いていただきましたけど、とても大事なことじゃないかなと思います。 出雲さん、男性がヒーロー像に憧れるのは万国共通なのかもしれないと思いました。 ヒーローは一人になったり負けそうになったりしても勝って何も言わずに去っていきます。 ヒーローは責任感が強いと思われますが、支配欲が強くなると悪役に変わってしまうと思いました。 私も経験者という理由だけで、唯一感を感じた場合がありました。 この気持ちは水や壁を作ることにつながると思いました。 天気のような共通点から話し合うことができれば、よりフラットに世界を感じることができると思いました。 ヒロイズムは性別関係ないと思います。 男性も女性もある話だと思います。 それが強すぎるとマイナス方向に作用するということも同じだと思います。 ヒーローもありますが、冷静に考えると危ういです。 子供がヒロイズムに目覚めることは全然悪いことではないと思いますが、それを大人まで引きずるのは怖いです。 孤立することの反対は群れることです。 没個性で良いイメージはありません。決して孤立を肯定しているわけではありません。 自己を確立し、かつ周りを頼る生き方を目指したいです。難しいバランスです。 気候については危機感を持ち、自分の仕事や生活でできる行動をしているつもりです。 この問題でも群れとそれを扇動する羊飼いの構図がはっきり、自分が群れの中で思考停止に陥っていないか定期的な点検が必要と感じました。 孤立と群れのバランスって確かに難しいね。 これね、なかなか簡単な話じゃないと思った。 外交問題も一緒ですよね。 大山すすむさん、面白いですね。カーボーイやトランプさんは気候変動を認めない。自然に生かされているのではなく、自然と戦い生き抜く俺が好きって感じですかね。 西洋的個人体自然に対立的に描くことの限界かということで。 まあ、そうなのかもね。 何でも支配したいという、コンクアーの対象にするっていうのが、いわゆる西洋的な自然観みたいなことをよく言われますけれども。 まあそういう負の側面はこの辺にあるのかもしれない。 はい、ありがとうございます。ということでコメント会社ここまでです。 # 終わりのあいさつ はい、ということで今日は古典の話でしたけれども いかがだったでしょうか えーっと、引き続きソロ活動続けられそうかな はい、ということでまだまだ紹介したい本いっぱいありますので 明日もお楽しみにということで 今日はここまでまた明日 もっと見る #読書 #人文学 荒木博行のbook cafeプレミアム放送配信中!00:131.タイトルコール00:072.この放送は『IT/Web業界に強い 転職サイトGreen』の提供でお届けしていますhttps://www.green-japan.com/00:343.初めのあいさつ10:004.古典とは〜である04:205.『習慣超大全』09:296.頂いたコメントへのお返し00:227.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう いずも2021年7月21日私にとって古典とは、言霊です。夕方の蛍の光のような、時代世代をつなぐ調べ、です。ただ、実の所はあまり読んでいません。普遍的な真髄が古典にあると思います。私も後世に語り繋ぎたいと思いました。返信 ブライアン2021年7月20日古典の射程距離の長さについて改めて考えさせられました。その古典の寿命が長ければ長くなるほど、人間社会で問われている「問い」について考えるキッカケを得れるんだと思います。一方で、小難しいことを考える頭デッカチになってはいけないなとも思いました。今の自分が会社や社会から期待されている「問い」は射程距離の短い本で。自分が考えなくてはいけない「問い」の射程距離によって、読む本の寿命の長短を決めると良いのかなと思いました。返信 おにぎり@ゴーヤチャンプルー🌺2021年7月20日古典と聴いて「コテンラジオ」と「高校の古典の授業風景」が想起されました。古典の授業内容は覚えていませんが、、、先生が期末テストに書いてくれた「物事を多面的に見られる人になってくださいね」が今でも心に響いています。当時は「ふーん」と考えていましたが、今の自分に対して「多面的な視点を持てているのか?」と自問自答すると、穴に籠りたくなりますね(笑)マスターの思い出に残っている先生からのお言葉はありますか!?返信 多田 翼2021年7月20日古典は時代を超えた一つの真理が書かれています。とはいえ、読み方によっては真理が当たり前すぎたり、あるいは逆で、抽象的すぎて自分事ができないこともあります。時代を超えて読み継がれているからこその価値を改めて考えさせられる放送内容でした。紹介頂いた古典とは ~ であるの表現が、言葉の持つ表現の幅広さと奥行きを感じしてくれました返信 tmt _22021年7月20日『なぜ古典を読むのか』イタロ・カルヴィーノ古典は、「読みたい」「読まなきゃ」という本というよりは、1週間くらい山に籠って、本と対話するようにじっくり読みたいですね(今のところ妄想ですが。。)色々な古典がありますが、共通点があるとすると、「具体と抽象」の行き来を通じて、自分にとってどんな意味合いがあるのか考えること。今は優先順位として難しいですが、一度読んで浅い理解のままになっている古典は、時間をとって再度じっくり読み耽りたいです。返信 もっと見る
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一方で、小難しいことを考える頭デッカチになってはいけないなとも思いました。今の自分が会社や社会から期待されている「問い」は射程距離の短い本で。
自分が考えなくてはいけない「問い」の射程距離によって、読む本の寿命の長短を決めると良いのかなと思いました。
古典の授業内容は覚えていませんが、、、先生が期末テストに書いてくれた「物事を多面的に見られる人になってくださいね」が今でも心に響いています。
当時は「ふーん」と考えていましたが、今の自分に対して「多面的な視点を持てているのか?」と自問自答すると、穴に籠りたくなりますね(笑)
マスターの思い出に残っている先生からのお言葉はありますか!?
とはいえ、読み方によっては真理が当たり前すぎたり、あるいは逆で、抽象的すぎて自分事ができないこともあります。
時代を超えて読み継がれているからこその価値を改めて考えさせられる放送内容でした。
紹介頂いた古典とは ~ であるの表現が、言葉の持つ表現の幅広さと奥行きを感じしてくれました
古典は、「読みたい」「読まなきゃ」という本というよりは、1週間くらい山に籠って、本と対話するようにじっくり読みたいですね(今のところ妄想ですが。。)
色々な古典がありますが、共通点があるとすると、「具体と抽象」の行き来を通じて、自分にとってどんな意味合いがあるのか考えること。
今は優先順位として難しいですが、一度読んで浅い理解のままになっている古典は、時間をとって再度じっくり読み耽りたいです。