『社会契約論-ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ』重田園江4
29:08
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荒木博行のbook cafe
プレミアム放送配信中!
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タイトルコール
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初めのあいさつ
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ヒュームさん、あんた間違ってるよ
- 10:005.
テクノロジーを通じて無知のヴェールは実装できないか?
- 03:076.
『人的資本の活かしかた』
- 04:527.
頂いたコメントへのお返し
- 00:288.
終わりのあいさつ
コメント

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例えばこのbookcafeも放送の雰囲気が好きで、私も偶然出会いました。
一方で、世の中の流行に敏感でいたいですし、影響を受け、取り入れたい気持ちになったり、何かの食べ物がブームになったり、音楽やファッションには時代の潮流・変遷もある。
もし、テクノロジーが変化していく個を精密に捉え出し、未来を描きだしてしまった時、コミュニティやブームの生成の仕方も、社会経済と共に変わっていくのかもしれず、今が過渡期なのかもと思いました。
一応読み終えました。通読して、何となくわかったようなわからないような、そんな感覚です😅
私がこの本を読んで考えたのは、私にとっての具体の話である薬剤師についてです。薬剤師の一般性と特殊性とは何か?そこから立ち現れる薬剤師の存在意義とは何か?私自身、ずっと追いかけている問い『薬剤師とは何か?』に紐付けてしまいました😅
他には、功利主義についても考えるキッカケをいただき、他の本や論文を読んでいます。功利主義や『最大多数の最大幸福』という言葉は聴いたことがありました。
この本を読み、功利主義と公衆衛生って近いものがあるなぁと感じた次第です。今回のパンデミックを経験して連想しました。歴史的背景や、思想の流れなど、自分なりに調べてみようと思います。
部分最適より全体最適と、あまり疑わずに言葉にしますが、
部分が犠牲を払う・全体が潤えば部分に染み出す等と、
功利主義的な前提に立った規範の表現な気がしました。
そうした前提に拠らずに、無知のヴェールの方を実装するには?
中国哲学の本で、「礼」の概念について、
現実の自分ではない何者「かのように」振る舞う儀礼空間を持つ、
「かのように」のレパートリーを増やす、
と説明されていました。
脱ポジショントークのヒントになるかもと思いました。
今日のお話を聴きながら、貞観政要の中の器の話を思い出しました。
世の中、ぜんぶ理解することは不可能なので、むしろ、自分の器をカラにすると言うお話があった記憶があります。今日の無知のベールに近いでしょうか。
何かへのこだわり、ポジションをとった瞬間に、全体を偏りなく見ることはできなくなる。
では、このポジションを消すには、例えば、思考のプロセスにある、寝かせるに近いかも、、
なんてモヤモヤ考えました。
ありがとうございました。
ヒュームが響感的(ニュアンスは響くの字の方が良さそう)社会契約とロウルズが合理的社会契約という対比のように聞こえました。
無知のヴェールの話は、考えてしまいますね。
よく判っていないかもしれませんが、仮に社会的に実装できたとして、それでは角が取れた石ころみたく小さくまとまった社会になりはしないか、と。
ん、待てよ?
「より良い社会」ってなんだろう?
それって合理的に決まるものなんだろうか?
やっぱり読まないと、ですね。