『ルポ 誰が国語力を殺すのか』石井光太1
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コメント

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言葉に出来ない歯痒さ。
見過ごさずに抱え続けたいですね。
子供の頃は、歯どころか全身が痒いレベルゆえに、スポンジの如く語彙を吸収する。
年を取るにつれ、限界的なちょっとした痒みを「大人の対応」で呑み込んだり、伝わらなさの責めを受け手のリテラシーに帰したりして、語彙を豊かにする可能性を自ら閉ざしてしまう。
こんなこと、ありそうです。
痒みを忘れぬ為の環境。
ここのコメント欄は、皆さん言葉のブレイクダンスを躍り狂っておられるので、良き環境だと改めて感じました。
ものごとに言葉を与えるということは、解像度を高めることだ。そう受け取りました。
専門分野に固有の言語があり、それがこの分野の思想体系をつくる。これを連想しました。
拡げると、日本語、英語といった粒度でも、それぞれの言語によって、解像度の高い部分がある。
ちょっと飛躍すると、その言語族が体験した経験が、その言語族の言葉になっている記憶されているのでは?という思いつきが生まれてきます。
例えば、黒船という言葉は、その具体的事例と言えそうです。
モヤモヤ考えてみました笑。
一昔前は、漫画やテレビばかり観てるからとか言われてました。
言葉で世界を表現せずとも観ればなんとなく分かってしまい、そこから先へと深めない…
そんな感じだったのかな、と。
そも、国語力とは何のことを言ってるのかを考えると、抽象化や語彙力を包み込むもうちょっと大きな概念のようにも思えて来ます。
なんと言うか、言語を通じての創造性、みたいな…
言葉は生きていて移り変わってゆくものだとしても、多彩に豊かに使えるようになりたいものですね。
続きも楽しみです。
一方、教えている側の私も書くことが苦手で小論文に苦労してきたタイプです。視野を広く、理解を深く、語彙を高めるために大人の今も勉強の連続です。
今、目の前で教えている子たちもいつか、言葉の大切さに気づいてくれたらいいなと願いつつ教壇に立っています。