TOPエンタメ映画・本荒木博行のbook cafe『中動態の世界』國分功一郎129:59 2022年10月25日 10,595再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次中動態の核心に迫る問い能動と受動が生む責任の所在への疑問「意思」と「自己責任」に潜む息苦しさ言語体系が規定する思考と行動の発見中動態を巡る哲学的な探求の旅へAI文字起こし(β版) # タイトルコール アラ・キルイキのブックカフェ。この番組は、自分の頭で考える読書の執筆者であり、書籍予約サービスフライヤーのアドバイザーを務めるアラ・キルイキがマスターとなり、本からの学びを楽しむカフェです。 # 初めのあいさつ みなさんおはようございます。10月25日火曜日の朝になりました。 さて今日はですね、国文広一郎先生の「中道体の世界」という本を読みたいと思います。 医学書院から出ておりましてですね、ダエル16回小林寺夫賞受賞作ということですけれども、 中道体という言葉を聞いたことがない方もひょっとしたら多くいらっしゃるかもしれません。僕はこの本を読む前から中道体という概念は この本のおかげだと思うんですけれども、見聞きしておりました。しかしそれもですね、ものすごい誤解があったということをこの本を読んで改めて知りました。 なので読んでなくてですね、中道体という言葉だけを知っている人は一度読んだ方がいいかもしれないですね。 結構誤解があると思います。まあ本編の中でどういう誤解があるのかということをお伝えしていきたいというふうに思いますけれども。 そして初めて聞きましたっていう方ですね。中道体何?何?みたいなことなんですけれども、これはちょっとまた本編の中で説明しようと思うんですけれども、 この世の中の息苦しさということをちょっとですね、この中道体と補助線を引くことによって何らかの形で見えてくるものがあるんじゃないかなという気がしております。 この本そのものはですね、かなり哲学書でもあるので、かなり哲学書、まあ日本語いいや、かなり哲学的な要素が多文に含まれているので簡単ではないです。 なので僕もですね、あまり理解せぬままに分かったところだけを中心に語っていく形になりますので、 まあ気になったら読んでくれというのが最大のメッセージかな。 はい、というそんなことで、またねこれはねコメント職人仲瀬、コメント職人仲瀬のですね、会になるかもしれません。 はい、しんぼうずーくお付き合いいただければと思います。では行きましょう。本編スタートです。 # 中動態って何? それでは行きたいと思います。中導体の世界、国文広一郎先生ですね。 国文広一郎先生は以前もヒマリンですね。ヒマと退屈の倫理学で触れたと思います。 それ以外にも何回か紹介しているかな。確か本もいろいろ紹介していたと思いますけれども。 改めましてですね、東大で専攻哲学ですね。現在は東高大学リベラルアーツ研究教育院教授でらっしゃいます。 スピノザですよね。研究者としても有名でらっしゃいます。 さてそんな国文先生なんですけれども、この中導体という話ですね。 まずちょっと言葉の定義だけ知っておきたい。それが一番難しいかな。 中導体って何?カタカナとして漢字も当てられないという方もいらっしゃると思うので、その説明からしていきたいと思います。 中ですね。中に動くに。その体。態度の体ですね。 これは何かというと、能動体受動体ってあるじゃないですか。日本語の文法に。英語もそうですよね。 能動受動、B動詞プラス過去形、過去分子になるみたいなのが受動体みたいな形じゃないですか。 その2つの体しかないですよね。日本語も英語も。多くの言語はその2つの体しかないらしいんですけれども、 実はかつては中導体というその体があったと。 そういうことなんですよ。 で、例えばなんですけれども、受動体、能動体の世界で生きてるじゃないですか。私たちって。 だから、そうするとですね。これ今、私は、ボイシーの収録を表現するならば、これは能動体として表現されますよね。 私は話す。ボイシーの収録に向けて話す。 これは、私は話されているっていう話ではないじゃないですか。受動的ではないですよね。 能動的なんだけれども、果たして本当に能動かというと、これ、かなり哲学的な話にどんどん深まっていく。 いやいや、アラキーが能動じゃなくて何なんだと。アラキーは何かに動かされているのかと。 ということで言うならば、動かされている側面もある。私は本当に意図を持ってこの話をしているのだろうか。 いやいや、意図を持ってますよ。だけどそれは多分に怪しい。 だって、過去に引きずられて、私はこの動きをやっているわけであって、毎朝放送するみたいな。 その中で何を話すか決めてるかもしれないけど、このボイシーという営みそのものはですね。 多分に引っ張られている感がある。何かのフォースに。みたいな話だったりとか。 喋る内容はどうかということなんですけれども、私自身ですね。今何か喋る内容を決めて話しているかというと、決してそんなことはない。 何か口が動くままに喋っている。これは能動なのか受動なのかというと、極めて怪しいですよね。ということなんですよね。 なんだけれども、言語にはこの2つの対しかないから、受動か能動かと言われたら、それは能動ですよねっていう話なわけですよ。 でもこれ対って結構怪しいよなって思うことって多くないですかっていうのが、やっぱり最初の問いかけなんですよね。 ここには多分に責任論というのがついて回るわけなんです。 例えばですね、ボイシーで何か今日ですよ。この放送の中で不適切な発言がもしあったとします。 そうしたら、これ責任誰取るの?っていう話になったら、それは私以外に誰もいないわけであって、荒木の責任であるということですね。 この受動能動というのは、やっぱり責任の所在を明確にするみたいな部分があって、経営の意思決定もそうですよね。 何か経営で責任問題が起きてしまいましたという時に、誰が責任を取るんですかって言ったら、まさに能動体を持った人になるわけですよ。 例えばですよ。その事業の責任者だとするじゃないですか。その事業で何かお客さんにものすごい大きな悪影響を与えてしまったと。 どうしてくれんだってクレームが来たら、その事業の責任者はやっぱり責任を取らざるを得ないですよね。 そうすると、そこに体としては能動体が与えられるわけですよ。 これって、因果関係が非常に難しくて、能動体だから責任を取るのか、責任を取らなきゃいけないから能動体になるのかって、これ結構怪しくて、 実際、その事業の意思決定って、本当にその人がそういう風に意図を持って決めてるのかっていうのは、結構怪しかったりしますよね。 私がこのビジネスをこうやれと決めたのである、みたいな。 まあ、いやいや、責任者がそうじゃなくて誰がそうするのさ。 いや、実はこれはもう前の部分から決まっていたものがあり、そして周りのプレッシャーもあり、そしてお客様からの要望もあり、みたいな。 かなり周りとしてはそういうものもあり、自分としてはほぼ決められる余地がなかった。 というのが、実情かもしれないわけですよ。 私はもう犯行をしただけである、みたいな。 なんだけれども、それは多分に受動的ですよね。 受動的なんだけれども、責任の所在という意味で、あなたはいいと思って犯行をしたんでしょう。 あなたはそのポジションにあって認めたわけですよね。 だからそれは能動であり、そして責任者である。責任を取らねばならない、みたいな。 そんなロジックで、我々のビジネス文脈においては何ら疑問を差し挟む余地もなく、 受動能動という言葉、言語体というのは使われているというのが現状だと思います。 だから誰もここに疑問を持たないでしょう。あんまり。 今まで生活していて。 それはそうだよな、受動化能動しかないよな、と思うわけじゃないですか。 しかし、繰り返しになりますけれども、本当に能動なのかと。 もしくは本当に受動なのかと。 ここにはもう少しバラエティがあるのではないか、みたいな。 そんなことに問いをかけて、国文先生の探索がスタートするというのが、この第一章の部分ですね。 ここで誤解があるんです。 僕はここぐらいまでの話は、本を読む前は理解していた。 その中間体としての存在として、中動体があるんだなって僕は理解していた。 言葉も中、中じゃないですか、ミドルじゃないですか。 だから受動でも能動でもない、その中間体としての中動体があった。 そんな風に理解をしていたんですけれども、 ちょっと混乱させるようで申し訳ないんですけれども、 そうではないというのが、これを読み進めていく上での発見だったんですね。 これはちょっとどうしようかな。 今日はここまでに。 次のチャプターでフォローしますけれども、一旦本編の内容はここまでにして、 次回のお楽しみということで、 じゃあ一体中動体って何なんだみたいな話は、 お持ちになったままで次回の放送をお待ちいただければと思います。 次のチャプターで最後クロージングしていきたいと思います。 # いざ冒険の旅へ! はい、ということでですね、一応本の中身、第一章の始まりの部分しか話してないような気がするんですけど、 ただ、ちょっとね、初めにの部分で言った、その息苦しさみたいなことってやっぱりあって、 これはその以前お話しした弱さの話にもちょっとつながってくるんですけれども、 冒頭にもこの本そのものは医学書院から出てるんですけれども、 これ、アルコール依存とか薬物依存の話が一番最初に出てくるんですよね。 やる気ではどうにもできない問題だっていう話、下りが出てくるんですよ。 でも私たちはそういう人たちを見ると、 やめるという強い覚悟が必要だ、みたいな、 そういうことを言うし思うわけじゃないですか。 これはかなり、そういう意味でのですね、 意思っていう力に対する、ある意味での過剰な信仰みたいのがあるっていうのが、 これね、先日の中村秀夫さんの話でお届けしたことなんですけれども、 いやでもね、こう、なんだろうな、 必ずしもそうではない世界があるって、 本当にそう思えません? 過度にね、やっぱり自己責任論みたいなことが言われてしまって、 やっぱりこれ責任問題だから、 あなたが意思決定者でしょと、あなたが人生の意思決定者でしょと、 だってあなた以外に誰が責任を取れるの?っていう、 まあそういう話なんだけど、いやそれはそれでね、本当にね、 正しいんですよ。正しいんだけれども、 まあそればっかりだと息苦しくなってしまう? じゃあ私たちは無為な存在であり、何もできない、 あの哀れな子羊なのかというと、必ずしもそうではないという、 その、何らかの、こう、なんていうのかな、 もっと別の、世の中の見方というのがあるのではないかっていう、 まあそこにですね、国文先生がこの、 言語体系に注目してそこの扉を開けたっていうのが、 非常に面白いところですよね。 だから僕なんかからしてみたら、いやそうだよね、必ずしもそればっかりじゃないよね、 〇って終わっちゃうんだけれども、 いやそこは、必ず何か、歴史的な経緯もあるはずだと。 そこで言葉というものに着目してみようっていうのが、 そのこの本のやっぱ面白いところですよね。 普通そこ考えないもんね。 なんかね、体っていうのはね。 これはイトゲンシュタインを参考にしたっていうのが冒頭にあるわけなんですけども、 イトゲンシュタインはね、その、 そういう意味でのその言葉っていうのと我々の思考っていうものについて、 ものすごくこう、考えを深めた哲学者でもありますので、 まあしかし、まあ何が言いたいかというと、 私たちがこう日常的に喋っている言語体系に、 私たちの思考であり行動というのはものすごく規定されているのであるということですよね。 で、だから規定されているからこそ、 苦しさみたいなものが出てくる。 苦しさを感じたらどうすればいいかというと、 言語体系を疑ってみるっていう、ここなんですよね。 これがこの本の、なんつうのかな、思想的な面白さ。 そこ行くって。 いや、なんかこの世の中のさ、こうね、 動き方とか構造とかを見るよね、とか思うんだけど、 言語体系みたいなところ、この歴史を紐解いていくと、 なぜ我々がこんな堅苦しい、窮屈なまでの、 受動、能動の世界で生きているのかっていうのが、 見えてくるはずだよね、っていう。 いや、そこ行きますか、みたいな。 でもそこって、こう道で行くとですね、 誰もあんま入ったことのないような、 なんか獣道なわけですよ。 人が歩いた気配があんまりないと。 そこを、国文先生はどんどん、 でも分け入ったことがないとは言いつつ、 ちょっとね、先人の哲学者たちが分け入った形跡があると。 そのか弱き手がかりを頼りに、 その道なき道をですね、探検していくみたいな、 そんなような本ですね。 だからその、この探検というのがね、面白いね、本当に。 誰かここ入ったことあんの?みたいな感じなんですけれども、 そんな冒険の世界でもある。 えー、ちょっとね、今日はここまでにしたいと思います。 まあちょっと、なんだろうな、 聞いた人にとっては何のこっちゃっていう放送になったかもしれない。 コメント職人の皆さん、ちょっとね、申し訳ないんだけれども、 まあ、あの、頭出しとして、はい。 ここまでの話で、いや、なんか興味ありそうと思った方は、 ぜひ本読んでみていただければと思いますし、 なんだかよくわかんねえなということであればですね、 また引き続きちょっと放送をしたいと思いますので、 そちらをぜひお楽しみにということで、はい。 えー、今日はですね、国文広一郎先生の中道体の世界初日をお届けしました。 # 『脳の地図帳』 それでは今日のフライヤーのコーナーです。今日はですね、仕事も人間関係もうまくいく脳の地図調という本になります。 著者ですが加藤俊則さんですね。脳内科医、医学博士、株式会社脳の学校代表でらっしゃいます。 はい 結構ねフライヤーでも要約がいろいろ出ておりますけれどもその加藤先生 今回は脳の地図調というタイトルで三笠処方から2022年9月に出た本になります。 はいコミュニケーションですね脳とコミュニケーションの関係まあそれについて 語っている本になりますけれども はい 自分の意見が伝わらないのは口下手だからとか 言葉遣いこれがうまくないとコミュニケーションうまくいかないと思っている人もいるだろうと しかし脳科学の検知からするとそれは誤解であるということですね ここで言いたいことは何かというと言葉以外のやり取りというのがないがするにされている ということですね はいコミュニケーションにおいては相手に応じた言葉以外 ノンバーバルと言われますけれどもそのやり取りが大事であると そのためには言語以外の脳エリアを見る聞く感じる考える記憶する行動するなど の全体を使ったコミュニケーションを意識する必要があると いうことですねはい これねほんとその通りだなぁと思いますよね なんか我々はその コミュニケーション通じて感じるっていう部分があるわけじゃないですか 言葉は確かにこの人は やりたいと言っていると しかし伝わるのはやりたくないというメッセージみたいなね そういうことってあるじゃないですか じゃああなたこれやりたいですかやりたいですよやりたいですけど まあちょっといくつかその前に質問させていただいてもいいですか いや私やりたいんですよ私やりたいんですけど なんかこの辺がすごく引っかかるんですよねみたいな話で やりたくないのっていう風にまあ直球でもし聞くとやりたいって言ってるじゃないですか みたいな感じになるだが言葉としてはやりたいと言っているしかし 全体のコミュニケーション通じて浮かび上がってくるメッセージはやりたくないということですよね こういうなんつーのかなこう 言っている言葉とその態度が矛盾がある場合っていうのは大抵コミュニケーションねじれ現象が 生じていて うまくないですね本人もそれを自覚している場合としてない場合があって大半の場合自覚して ないんですよね つまり 言葉でやりたいと言っている から自分はやりたいのであると思ってんだけど しかしもやりたくないオーラがにじみ出ちゃってるよみたいなそういうの我々はこの脳として 察知しているわけですよね だからこの人やりたくないんだという言葉とは違うメッセージを感じている そうするとねコミュニケーションにややこしくなるんですよ私はやりたいと言いました あの時に 部長にやりたいと言いましたしかし彼はそうに受け取ってくれませんでした 確かにやりたいと言ってますよね まあそう言葉としてはそうなんだけど だからね言葉にどれぐらいこう重きを置くのかっていうところのズレがあったりね するんですよね まあそんなこともそのコミュニケーションにおいて重要なことかもしれません はい 今日のフライヤーは農の地図帳でした # 頂いたコメントへのお返し はいそれでは今日は考えのストラクチャーズシンキングね。お母さんとの対談でしたけれども はいグルグル鈴木さんです。構造と感性 お母ちゃんが本編に何かニヤニヤしてしまう 本編に出たっていうね何かニヤニヤしてしまいました 今日は悩みと質問が繰り返し出されていて先生と生徒の構造のような気がします 僕自身も生徒させていただいたので復習できました この考え方を使う中で僕は目的と制約条件が行き先と転向みたいなメタファーに変わって いったりします フィット感がある方がすぐ出てきやすい広がりやすい 感情が安定しているとかある気がします なんて抽象的ですね今日もありがとうございましたと そうですね 目的と制約条件で初めの2つの p ということなんですけれども 行き先と転向 確かに面白いなぁ 行き先と転向もしくは行き先と まあそうか登山の場合転向が制約条件なのか そうするとそれに向けて行くルートみたいなね そんなことが決まってくるみたい 面白いなぁ いたるさん目的と構造の間か先に仕掛けのようなものがあるかもとお話を聞きながら 思いました組み立てのた構造の使い方みたいなイメージが浮かんでいます 全体を解き明かしたり分かったりする楽しさの一方で受け取り手が考えもしない結果に 行くと面白いですねピタゴラスイッチみたい あるいは構造のどこから見せるのか仕掛けると謎かけみたいな になって受けては 探る楽しみを持てるのかも何回も見に行かれる映画とかそんなところもありますよね いずれにしてもまずは構造ですね正確な講座になりそうですねと うん そう まあまずはこうまあなんかねケースはケースなんですよね本当に こういうことをあのあーそうねだから僕はようやく使いこなしというのができるようになってきた かなという なんかそんな気がしていてまずは構造みたいなそういう高モードで入る場合と構造なんて いらんと 構造があるから世の中3見えにくくなっているのだみたいな そういうね2つのモードを行き来できる そんなフェーズになってきたような気がしています a 何となくねなんとなく 会長ないさん目的からずれた構造かあるあるの感じがしました 家の作りの話をしているのによく見てみると街の雰囲気と調和してないよねみたいな ツッコミが入ることよくあります自分もしがちですここで想像したのがメールの分体です 私の職場ではチャットでもあてな本文署名という構造でメンションしてくる人がいます これもチャットの機能の目的を無視したビジネスマナーというストラクチャーに支配された状態 ということですよね 今していることの目的は何なのか自分にリマインドしていきます 面白いなぁこれ確かにそうかもしれない うん ねぇ こうチャットになるとこう前提が買うんだよね だからそのねコミュニケーションの構造というのも変わってくる 確かにそういうのありますねこれもそうこういう文脈で理解できると思います tmt 2さん目的のない構造か 構造が見えたと思ったら上から見上げ上を見上げたらもう一段高いところに別の構造が 見えてくることがあります それは目的の前ままなないまま構造化しようとしていたのだと腹落ちしました 数字や目の前で起こる現地症は具体の引力が強いと視野も狭くなります これを防ぐため何のためにある数字かこの受賞から何が言えるのか自己突っ込み力が必要 目の前に山があるから登るのではなくそもそもどの山に登るのか 何かを考え出すときにこの問いは自分の中にホールドしておきたいと思います これねあるんですよ構造が見えたと思ったら上を見上げたらもう一段高いところに別の構造 これはねそうだんだんメタ化して言ってるんですよね 目的そのものが抽象化して言ってこれはね実はね成長のフェーズでよくあるんですよ 自分の仕事はこうでこういうプロセスでこんな手順でこんな構造なんですって思ったら あれ自分の仕事のって何だったんだっけみたい もっと大きな目的があるんじゃないのみたいなね そうするとこれすごい細部を細かく分解しているだけであってもっと大きくダイナミックに 捉えた方がいいんじゃないのみたいなね これ成長の途上あるある 泉竜太郎さん目的あっての構造では目的側が歪んでいたらそんなまの弱な発想が思い浮かび ました 銀行あるあるの言葉遣いに整理があります物事に執事は分類を与えるという受賞的な意味から はみ出て浮世から離れたある物語意味付けを思い込むことに決めるみたいな 複数の部署で出似たような施策が走っている状況に対して 墨焼きができていると整理するとか 波風を立てない摩擦を避けるといった目的が作本来のピュアな目的にとって変わり 妙な構造化が起こってやいいないやしないか これねおっしゃる通りでね目的が歪むと構造も歪むんですよね だからやっぱりね上をちゃんと考えなきゃいけない ちょの上位概念をね そう 上位概念が歪むと開口像は ねより変な形になってしまうと 変な形になっちゃうと上に戻れないというのもこれまたあるある ね 松田勝さん今回の放送を聞きドキッとしましたというのも私のコメントはひたすら 自分の経験を語っているなぁと気づいたからです チャプター16分45秒ぐらいから始まったマスターの話を聞き これ俺のことじゃんかと思った次第です マスターの優しさでコメント返ししていただき改めて感謝するとともに ご参経の皆さんのようなコメントをできるように頑張らねばと思ったり そんな肩肘張った張って考えても仕方ない気もしたり そして結局このコメント自体私自身の話をしていることに気づきました多分失礼しました だからこれもその松田さんの目的次第なんですよ このコメントがね目的が自分にとってのですね なんかそういうこうある意味こう癒しだったり ね気づきみたいな話だったら全然いいわけですよね しかしもっともっとそのコメントを書く目的そのものが不可価値とか なんだろうなこういう不可価値つかね こう 違いを出すみたいなそんなことであったらあのやっぱもうちょっと違う 話になるのかもしれないここは本当ね目的次第 でこのコメントの場というのはその自己目的ができるということなんですよね だから私はこの場を意味づけてないので皆さん好きなように親書きしてくださいと言ってる ねなので 全然失礼でもなんでもない という感じでしょうかはいということでコメント返し以上になりますいつも皆さんありがとうございます # 終わりのあいさつ はい、ということで今日はですね、国文校一郎先生の中道大の世界、 「意思と責任の考古学」という本でしたけれども、はい、いかがだったでしょうか。 まあ、なんだろうな、分かんねえなって感じですよね。 多分そうだと思います。 はい、また引き続き、なんか、でも、分かんないまま終わると思います。 はい、なぜならば僕もあまり深く理解できた自信がない。 まあ、そんな状態でね、放送しております。 えー、ということで、引き続きお楽しみください。 今日はここまで。また明日。 もっと見る #哲学 #言語 #ウィトゲンシュタイン #中動態 荒木博行のbook cafeプレミアム放送配信中!00:111.タイトルコール02:172.初めのあいさつ09:343.中動態って何?https://amzn.to/3gzsFwY05:294.いざ冒険の旅へ!04:105.『脳の地図帳』07:456.頂いたコメントへのお返し00:367.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう 町田和敏(変な髪型をしたポンコツ薬剤師)2022年10月25日『中動態の世界』は、以前、音楽的読書にて通読し、フィルム付箋が貼られまくるも、よくわかりませんでした。読むキッカケとなったのは、私の尊敬する友人が、Twitterにて中動態という言葉を使っていたからです。その知的な表現に惹かれ、購入した次第です。『居るのはつらいよ』にて『中動態の世界』が引用されている箇所を読み、いくらか理解が進んだものの、まだまだわからず。もっと中動態の概念を理解したいと思い、國分功一郎先生と熊谷晋一郎先生の共著『<責任>の生成』を購入するも、積んだまま。返信 町田和敏(変な髪型をしたポンコツ薬剤師)2022年10月25日中動態を使いこなせるようになりたいので笑、もう一度読み返したいと思います笑 ベーシック2022年10月25日中動態。日本人のあり方に言葉が当てられた,そんな感覚を得ました。主語が欠けがちな日本語,責任が曖昧だとされる日本社会…中動態的な感覚があるためにそうなってしまっているのではないか。ただ「自」という漢字の使い方。「みずから」は「能動態」であるのに対し,「おのずから」は「中動態」と言えるのでは。意識せずに発露してしまう,中動態的現象を言葉にしているところをみると,中動態的感覚に実は自覚的だったのではと思いました。1返信 いたる2022年10月25日中動態の概念については、河合隼雄さんの言う「中空構造」に似てるなぁと思ってましたが、まだ本を読めてなかったので、理解してるマスターから話を聞けて助かるなぁ、と思いながら聞いてました。思うに、ある階層においては能動、ある階層においては受動であり、責任の階層をどこに置いて見るかによってどっちの態にもなり得るのかなぁ、と。うーん、ややこしい〜さて、ここで「中動態」の概念を持ってくると…あ、ここから先は次回以降のコメントで返した方が良さそうなので、一旦切りまーす。(笑)1返信 泉 龍太郎2022年10月25日『中動態の世界』1前菜だけで食レポする感じがして悶えました笑中動態を巡る冒険の旅はday2以降に譲るとして、自己責任論について。大企業だと、◯◯領域の責任部署はどこだ?という話が出易いと思います。そして勃発する熱い押し付け合い。当事者として巻き込まれると、醜く感じてしまいます。が、見方を変えると…責任部署のラベルを貼った途端、猫も杓子も能動態で勇ましく語る立場に祭り上げられる。そんな状況は耐え難いという、人として至って自然な防御反応かも知れないと思いました。2返信 会長9(ナイン)2022年10月25日中動態、勉強不足で恐縮ですが初めて聞きました。お話を聞いていて、決定論的な考え方かな?と解釈しています。つまるところ能動態も受動態もなく、あらゆる事象は中動態なのだと。ここで想起したのが、マイケルサンデル氏の「実力も運のうち」でした。自身の努力のような、多分に能動性を発揮しているように見えるものも、遺伝子や環境といったメタの視点で見れば、それは偶然ではなく必然、「そういうもの」として能動性をある種否定する。身も蓋もない話ですが、結局のところ「調子に乗んなよ」って話なんだと思いました。1返信 もっと見る
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思うに、ある階層においては能動、ある階層においては受動であり、責任の階層をどこに置いて見るかによってどっちの態にもなり得るのかなぁ、と。
うーん、ややこしい〜
さて、ここで「中動態」の概念を持ってくると…
あ、ここから先は次回以降のコメントで返した方が良さそうなので、一旦切りまーす。(笑)
前菜だけで食レポする感じがして悶えました笑
中動態を巡る冒険の旅はday2以降に譲るとして、
自己責任論について。
大企業だと、
◯◯領域の責任部署はどこだ?
という話が出易いと思います。
そして勃発する熱い押し付け合い。
当事者として巻き込まれると、醜く感じてしまいます。
が、見方を変えると…
責任部署のラベルを貼った途端、
猫も杓子も能動態で勇ましく語る立場に祭り上げられる。
そんな状況は耐え難いという、
人として至って自然な防御反応かも知れないと思いました。
お話を聞いていて、決定論的な考え方かな?と解釈しています。つまるところ能動態も受動態もなく、あらゆる事象は中動態なのだと。
ここで想起したのが、マイケルサンデル氏の「実力も運のうち」でした。
自身の努力のような、多分に能動性を発揮しているように見えるものも、遺伝子や環境といったメタの視点で見れば、それは偶然ではなく必然、「そういうもの」として能動性をある種否定する。
身も蓋もない話ですが、結局のところ「調子に乗んなよ」って話なんだと思いました。