TOPエンタメ映画・本荒木博行のbook cafe【4周年記念雑談】京都市在住の哲学者 谷川嘉浩さんと交わす哲学的雑談141:17 2022年12月13日 8,710再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次執筆における思考の深め方とリライト加速する社会で立ち止まる哲学分断を超える「雑談」の力とは鶴見俊介の「咀嚼する哲学」行動を制御する「恥」の考察AI文字起こし(β版) # タイトルコール 新城幸のブックカフェ。この番組は、自分の頭で考える読書の執筆者であり、書籍予約サービスフライヤーのアドバイザーを務める新城幸がマスターとなり、本からの学びを楽しむカフェです。 # 初めのあいさつ みなさん、おはようございます。12月13日、火曜日の朝になりました。 さて、今日なんですけれども、4周年記念雑談ということで何回目だろう。 今回のゲストは谷川よしひろさんです。 哲学者として友達なんですけど、友達と言っていいのかしら。勝手に友達と呼びますけど。 人類みんな友達ですね。それぐらいの言葉です。 また遊びに来てくれまして。 直近ではスマホ時代の哲学を出されましたし、あと鶴見俊介の言葉と倫理も出されました。 若き哲学者でいらっしゃいますけれども。 振り返るとですね、僕が谷川さんのポッドキャストを聞いて、 この人の喋り方めっちゃいいなと。 喋り方のみならず思想、思考がすごく共感して。 何だったかな。 それで、Twitterかなんかで僕からメッセンジャーを出したのかな。 ちょっと記憶が定かではないんですけれども。 なんかでご縁をいただき、そこから半年くらい前かな。 対談をさせていただいたというご縁です。 もう話しながら思いましたけれども、そこまで行くとまぶだちですね。 ということで、私のまぶだちである谷川さん。 今日から2日にわたる、まじでテーマを何も決めない雑談ですので。 また先週の近内さんと同様に、そんな雑談を楽しんでいただければというふうに思います。 では行きましょう。本編スタートです。 # 咀嚼し続ける面白がり方 それでは今日からまた新しいゲストを迎えした対談となります。 京都市在住の哲学者でお馴染みでいらっしゃいます谷川芳博さんがゲストです。どうぞよろしくお願いします。 よろしくお願いします。谷川芳博と申します。京都市在住の哲学者で京都一律芸術大学というところに今は所属しています。 お久しぶりです。 はい、お久しぶりです。そしてこの… 4月ぐらいですかね。 そうですね。この記念雑談にお付き合いいただきまして本当にありがとうございます。 いやもういくらでも雑談大好きなんで。 はい。何か… 何でも雑談をキーワードにしてるぐらい、とにかく関係あることもないことも喋るのが大事だなと思って生きてるんで。 へえ、そうなんですね。 ちょっとこの期間に谷川さん連続で出版されまして。 そうです。 まず鶴見俊介の言葉と倫理。これが人文書院。これかなりね、固めな本だと思うんですけれども。 そうですね。論文テイストで読みやすくは書いたんですが本格的な本ですね。学術寄りの。 かと思いきや最近出ましたがディスカバーからスマホ時代の哲学ということでこれ想定もめちゃポップで。 そうですね。なんかイラストレーターさんが漫画も書く方で、 漫画って自然の動かし方とかすごくいい感じだし、小回りがモニターみたいじゃないですか。 なので漫画風に書いてもらったんですよ。表紙が小回りになってて。 という感じの本を立て続けに9月、11月と。ちょっと今年は仕事しすぎた感がありますね。 いやすごいですね。もうずっと書いてたって感じですか? 鶴見俊介の言葉と倫理の方は、実は博士論文と並行してちょっとずつ論文とか書き溜めてきたものを整理して、 あといくつか書き下ろした。いくつかっていうか3分の1ぐらいの書き下ろしなんですか。 その書き下ろしをやって全体を再構成し直したという感じなので、執筆期間がすごく長いんですよね。 だからずっと書いてたというよりは、あるタイミングでコンツ目で書いたっていうわけではなくて、長距離層でしたね。 それに対してスマホ時代の方はかなり短距離層でガッと一気化せいに書き上げてっていう形なので、 たまたまに撮影近いタイミングで出たっていう感じですね。 スマホ時代はいつぐらいから執筆? 画的に書き始めたのは多分5月とか、いや6月ぐらい。 うわ、じゃあすごいスピード感ですね。 その代わりかなりリライトに回数を稼いで早めに仕上げて繰り返し書き直すって感じで、 原型が残っているような残っていないような感じですね。 私はリライトがすごく多いので、その分すごく書いていて誤字なんかも増えちゃうんですけど、 書き直しながら考えるっていうところがありますね。 ちょっと本題に入る前に雑談的にお聞きしたいのは、 僕も今まさに執筆していて、来年2月、3月ぐらいに出版されるので、 僕も半年ぐらいかけて書いているんですけど、 最初に書いていた頃の本が読むのも嫌ぐらいな、 何これみたいな状態に感じられちゃったりもして、 ものすごい根本的に書き直したりもしているんですけど、 谷川さんもそんな気持ちって、 他の方がどういう書き方をするか、 特に論文とか本格的な文章じゃなくて、 やや軽い文章を書く人たちもがどんな風に書くかわからないんですけど、 私は基本的に一旦書き上げて書き直すっていうのがスタートラインな感じがするんですよね。 書き直すところが、 一旦書き上げて書き直すっていうのがスタートラインな感じがするんですよね。 書き直すところから始まるんですけど、 荒木さんも確か言及していた、 スティーブン・キングの書くことについてでしたって、 あれ私もすごく好きな本で、 あれもあそこで言われてたことなんですけど、 自分の文章が他人の話に聞こえるようになったら書き直すチャンスだって言ってあって、 私はすぐ他人に聞こえるんですよね。 だからずっと書き直すんですよね。 本当に1日とかだけ開けて、 あるいはモニターを変えてとか、 iPadで見てみたりスマホで見てみたり、 印刷してみたり、 あるいは表示するのをPDFに変えてみたり、 いろんな感じで表情を変えるだけで他人の文章に見えるので、 めちゃくちゃ書き直して原型なくなっていきますね。 スマホ時代の哲学でも書いたんですけど、 そうやって他人に見えるようになって、 自分の文章と特組み合うことで、 ようやく思考が進むみたいなところがあるんですよね。 レベル感は違うんですが、 谷川さんのそういう話を聞いて、 ちょっと安心した気がします。 どれだけ捨てられるかみたいなことがポイントだなって感じがしなくはないなって思いますけどね。 もちろん最初から一気に綺麗な文章を書けるに越したことはないんでしょうけど、 これは願いとか祈りに近いのかもしれないですけど、 見えないところでどれくらい考えてアイデアを捨てたかっていうことが、 結果アウトプットに反映されるんじゃないのかっていうのは、 文章であれ、他のアート作品とかデザインであれ、 言えることなんじゃないかなっていうふうに思います。 スマホ時代の哲学も正式にはまだ背読中ということなので、 あと3分の1くらい残っているんですけれども、 とても楽しんでいます。 読書探検として。 ここにはモノマネがあるんですけど、 読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては、 読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書� 探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検 に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関しては読書探検に関して 考えてないなって思いましたね いやいやそんなことない やっぱり何と比較するかなんですよ 結局考えてる考えてないっていうのも 絶対的に考えてるってことを定義するのはできないじゃないですか 必ず参照点みたいのがあって それと比べて考えてる考えてないみたいなことがあるんですよね 僕の参照点は何かっていうと 例えばスタートアップのビジネスパーソンとか経営者とか 結構付き合っている中で もしくは社員と付き合っている中で やっぱり結構何か大きな言葉に対してそれを鵜呑みにして それをベースに熱狂的に短期間でやってみたいな部分がある そこにある種のイノベーションの種も感じるんだけど危うさも感じるみたいな ちょっと考えようぐらいの感じなんですよね 僕の参照点っていう意味では その世の中で言われてることって本当なの? 自分の思考投入どれぐらいした?ってね なんかそのままメディアの言葉を受け売りにしてなんかやっちゃってない?みたいな そんなニュアンスでの考えようなんだけど やっぱ谷川さんの深さって全然違うんですよね でもそうですね 参照点は結構もっと広いかもしれないです 念頭に置いてるのは書いたのがだいぶ前なので うろ覚えなところもあるんですが 世界は全般的にスピードを上げているっていうのは直感的にも理解できると思うんですけど もやもやしたりじっくり考えたりするよりも ともかく元気に明日仕事をするとか エナジードリンクを飲んでシャキッとするとか 悩みを愚痴ってさっぱりするとか そういう方がありがたがられているところがあるわけですよね テレビドラマとかでも恨みをすっきり晴らして 悪役が退場みたいなものとかって結構多いし そういうドレンドを見ていると やっぱ確保しがたいけど でもやっぱり大事なのは 一旦じっくり立ち止まって解決しきれないものを 自分の心の中に飼っておくみたいなことなんじゃないかなと思うし 結局ビジネスもものすごく抽象化してみると 差異が価値を生むってことだと思うんですよね 違いが みんながスピードを上げているなら 自分の中にはスピードを上げない部分を どうやって作っていこうかって考えることが 結果的に回り回って価値を生むことにも つながるんじゃないかなと思うし そういう意味で 自分自身をどう本当の意味で施行させるか 本当の意味で取り戻すかっていうことを考えた本だな と言えるかなと思いますね そうですね だからある意味この本の中にもあるように 情報がものすごく多く そして常にアップデートされていく その中に取り残されてしまうみたいな フォーモっていうんですか FOMO フィアオブミスイングアウト みたいな感覚は 多分意識していないけど 僕にもむちゃくちゃあると思うし 私にもあります もちろん だからそこに意識ずっと持っていかれちゃってるんだろうな って気もしますよね 必ずそれが悪いかっていうと 多分人間ある程度現代社会に来てると 避けられないところでもあると思うんですよね インターネット教授みたいな人たちは かえってネット辞めても 世界についていける人たちって 世の中にはいると思うんですけど でも多くの人はそうじゃないわけですよね だからスマホ立ちなんてことは実際にはできないし 情報をキャッチアップすることが不必要かというと そうではないわけで そのバランスをどうとるかっていう話をしてるつもりですね スマホのほうとかもヒットしましたけど 割とあれを批判してます そうですよね スウェーデンの精神科医の人が書いたのですけど あれめちゃヒットしましたよね 特編も出て 結局運動しようみたいなそんな感じですかあれは 新しいほうの続編はそうで スマホのほうはとにかくスマホやばいと そして辞めたらいいことづくめ そんな感じ ひたすらソーシャルメディアのアカウントを消そうみたいな とにかくいろんなデータとかを使ったりして 説得しようとするっていう どんだけメリットあっても辞めないんですよね人は多分 スマホを辞めることにメリットがあっても っていう話とかも紹介してます 今年読んで一番よかった本のうちの一つが ソーシャルメディアプリズムっていう本なんですよね プリス・ベイルっていう人のスマホ時代の哲学の中でも 少し紹介したんですけど これはキャス・サンスティーンの インターネット民主主義の的下を呼んだ時ぐらいの衝撃でした なんかそのよく分断を超えろとかって言うわけですけど ちょっと話しちゃってますけど 分断を超えるために アメリカの民主党の中道的な支持者の人に 共和党員のツイートを定期的に見せたら もっと民主党審判になっていったみたいな そういう調査結果とかが出て 本当に分断を超えろとかって言って 試行錯誤してるのマジでよくないなって思いましたね そのスマホをやめられない問題とかも ここで調査が紹介されて スマホとかソーシャルメディアを立ってみるってことに チャレンジした実験参加者たちが よかったその間にすごいこんなメリットあったとか すごいたくさん報告しているにもかかわらず 9割の人はまたソーシャルメディアのアカウントを復活した っていう話が何かも紹介されています このソーシャルメディアプリズムという本 僕も谷川さんの本の中に引用されてたのかな だから買ったような気がするんですけど ミス図から出てますのでぜひリスナーの方も これは本当に面白いもので読みやすいですね 聞きたいのは今の中でちょっとあった 民主党と共和党の話なんですけれども その分断みたいな話あるじゃないですか お互い分かれ合おうというのって そのスローガンとしてはとてもきれいなんですけど 分かった結果分断が広がるみたいなことっていうのが リアルにあるじゃないですか そこにソリューションはあるのかっていうのが ちょっと絶望感もあったりして もっともっとお互いのことをよく知るっていうことが 分断の溝を埋める一つの鍵だと 私たちは思っていると思うんですよどこかで でも分かれば分かるほど こいつらクソだなと思うとか そうですね 単なる隣の人やと思って挨拶してたら 実は陰謀論者だったとかって知ったら そりゃゾッとしますよね 隣の人だと思ってにこやかに挨拶してたら ワクチンを打ったら トカゲ人間になると信じ込んでる人だと分かったら それはなんかやっぱり これまで通り接することができなくなりますよね 分かんないですけど 反対意見に接するとかっていう時の 一つのポイントは このソーシャルメディアプリズムで 提案されている簡易の一つなんですけど 立場をはっきりさせるところから決して入らないってことですよね お前はオバマ政権をどう評価するのかとか 日本で言うと安倍政権をどう評価するのか とかっていうところから入ると あなたは赤色ね 私は青色ねみたいな 党派の塗り分けになっちゃって パチパチパチパチって お互いの立場が自動的に決まってしまうわけですよね アメリカだとリベラルだからこう 保守だからこう 日本でも多分そうだと思いますけど 党派から決して入らない そこのシグナリングから入らないというのが 最低限のことで フューシャーデザインと哲学っていう 傾向書法から出てる論集に 人は本当に対話したいのか っていう正式なタイトル忘れちゃったんですが 私は文章を書いたことがあるんですけど そこでもそういう話をしたんですけど ポイントはやっぱ雑談するって どこなんじゃないかなと思うんですよね 関係のない話をする この人は人だって思うみたいなことですよね 相手を共和党員として扱うんじゃなくて 人やなって 雑談から入って だんだんお互いのグレーゾーンが 明かせる関係性になるかどうかみたいなことが 本当は分断を超える上では 大事なんじゃないかなと思うんですよね 自分の立場を守ることに 注力したところがきっとあるんじゃないかなと 知らないとかっていうのと モードを変えるっていうのが 一つかなと思いますね 本当その通りだなと思いつつ 雑談の結果として 共和党員だと分かっちゃったと 共和党審査だと思っちゃった 分かったってなったら それまでの雑談が全部 共和党審査との会話だったという風に 後塗りで塗りつぶされてしまうみたいな そういう認知って なかったりしません? あったりしません? 多分でも最初から 民主党員共和党員として 会話するよりは ブレーキがかかるんじゃないかなと 期待したいですよね 最初から多分 言い合い 例えばある最近の出来事事件に対してとか 政策に対して 論評し合うとか 選挙で論評し合うみたいなことよりも お互いの子供とか 例えば最近 物価高いよねみたいな そういう話を あるあるの話から入って あることないこと 身近な話から入った上で でもこの人は共和党員だったな 民主党員だったんだ 後から知る方が ちょっと党派的な物言いに 逃げにくくなるんじゃないかな とは思いますね これは絶対的な防波堤ではないと思いますけど 本当そう思います だから この前別の文脈で そういう組織のあり方みたいなことを 対談したんですけれども やっぱりね 他者をどう見るかの問題に やっぱり究極的には 帰結していくっていう話に 寄せつしてなったんですよね だから組織としての 例えば心理的安全性をどう高めるかとか 組織をフラットにするにはどうすべきかとか そういう話があったんだけど 結局 相手を 記号的に見るか 人として見るかの この入り口の第一歩目が 全てであるみたいなね この人は何歳で 管理職何級であるという そういうものの見方から入っちゃうと いくら後で制度的に やろうとしても ダメであるみたいな でも多分その時に 押さえておいた方がいいのは 私たちは基本的にずっと 記号的に見てるんだっていう前提をむしろ もっと意識することだと思いますね 人として見ようって 意気込んだところで 実際は偏見を持って 見てしまう 例えばこの人は男性である 背が高い人だとか 声がでかいとか その程度は偏見を持って見るわけですよね でも声がでかい人っていう ただそれだけでも 連想していろんな性格であるとか 私たちは意識しちゃうじゃないですか だからどこまでいっても 記号的に見ちゃうんだということを 前提にした上で あとはその差というか ズレがあった時 自分の認識とのズレがあった時に それをキャッチできるかどうか ということじゃないかなと思いますね 前回4月ぐらいの時に話した 考えるなカンチロ ブルースリーの話みたいなことじゃないかな とは思いますね ブルースリーのが本にちゃんと書かれてる そうですね どっかでちゃんと残しとこうと思って 本にも出てきます あの時の対話が ブラッシュアップされた形で 書籍に載ってます でもね今の話 僕その姿勢を 谷川さんにすごく感じる部分が あるんですよ その姿勢そのものが 鶴見俊介の本も まだ全然読めてないんですけど ちょっとね 背読はしているんですけれども なんていうのかな 人として見てるっていう感じがするんですね だからこういろいろ手垢がついてる人じゃないですか そうですね だって生誕100年ですからね 100年前生まれの人ですから あんなにたくさん本出してると いろんな人が好きかって言うんですよね いやこれって すごい当たり前のことなんだけど すごい難しいことのように思って でもそういう視点から ある人であるとか思想とか そういうのに触れるって 実は簡単で難しい 記号がいっぱい出てるからね それで言うとちょっと 今書いてる本 書こうとしてる本がいくつかあるんですけど そのうちの一つは 鶴見俊介が エピソードって言うんですよね 哲学の方法として エピソードを使ってて 例えば 安田たけしっていう評論家がいると 鶴見俊介が話すんですけど 安田たけしはね あいつは飯食うときに 喋らないんだよって言うんですよね で終わるんですよ その背後に仏として これは戦争体験から来てるんだよ 来てる身振りなんだよって話ぐらいはするんですけど むちゃくちゃ普段は喋るのに 食事中は全然喋らないと それはどういう意味で喋らないかというと 決して人の悪口を言わないんだって言うんですよね それは戦争中に身につける必要のあった身振りで それを戦後になっても続けてる で終わる これ結構 面白い哲学の方法だなと思って それがどういう意味を持ってるかっていうのを 言わないんですよね 踏み込んで ある人のこういう身振り こういう言語表現 こういう行動動作に すごく面白さがある っていうのを延々と語るだけで どういう意味かっていうのは つまり解釈は開いておくんですよね これ結構面白い人との関わり方だなと思います 鶴見がやってるのはそのエピソードを 何年も経ってずっと吟味するってことなんですよね あるタイミングでは解釈するけど 人生の別のタイミングではまた解釈する そういう咀嚼を延々と続けるっていう 哲学の方法をやっていて っていうのを第三部で書いてるので よかったら見てみてください 面白いな 咀嚼を延々と続けるか だから今語るのも仮決めでしかなくて そうなんです っていうことなんですよね それはなかなか知的体力のいることですね そうなんですよね 息の長さが本当に必要で よく面白がるって大事だよみたいなことって ビジネス書でも書いてありますけど その意味での面白がり方って 誰も教えてくれないですよね 教えられるのかどうかもわからないんですけど 10年経ってみんながこの話題を忘れても あの時見たあのブログのあの一説が ずっと心に引っかかってるみたいなことって 咀嚼したって言い訳ですよね なんか15年前見たあのブログの一説 もう辿ることすらできないけど 小学校の頃のあのなんか 山の上から見た光景を 今でも反復して咀嚼してるとか 咀嚼するっていう時にしかも解釈を 更新していくってことはあんまり人はね できないというか難しいことで できたらすごいなって思うんですけどね そういう意気の長い面白がり方 はいあっという間に時間になっちゃったんで 初日はここぐらいで ちょっと余韻を残す感じで皆さんにも咀嚼 そうですねこれが何年か後にまた思い返す 対話になってくれると嬉しいですよね ということで明日も引き続き お越しいただければと思います 今日はここまでということで 谷川よしひろさんでした どうもありがとうございました ありがとうございました # 『快眠習慣』 それでは今日のフライヤーのコーナーです。 今日はパフォーマンスを劇的に変える会員週刊という本になります。 著者ですが、松本美恵さん。 睡眠セラピスト、睡眠デトックス、姿勢美強性サロン、プロスパービューティーのオーナーでいらっしゃいます。 こちらの本、自由国民社から2022年9月出た本になります。 フライヤーでもですね、よく取り上げられますね。 睡眠がテーマの本なんですけれども、 もうね、これはね、本当、何回、こう、なんだろうな、どれぐらい声を大にしても、 何デシベルで話しても過言ではない。 何デシベルで話しても過言ではないって日本語的にどうよって感じですけど、 とにかく睡眠が大事だってことですね。 僕はですね、本当に幸いなんですけれども、 このブックカフェ続けて少なくとも4年、毎日やってますけど、 副反応以外でですね、体調崩したことないんですよね、幸いなことに。 これは、なんでしょう、もう親にね、そういう体をもらったということに対して感謝しなきゃいけない。 以上おしまいなんですけれども、 プラスアルファもしあるとすれば、 睡眠はね、本当守ってます。 もうどんな忙しくても寝る。 ごめん、寝るっていう。 ワールドカップがあろうが寝るっていうね。 寝る男なんですよ。 なので、もうなんでしょう、規則正しく寝てますね。 だから、それはこう、フォーミーなんですけどね。 フォーユーは多分いろいろ、また何時間寝るのがいいかとかどういう風に寝るのがいいかっていうのは多分違うと思うんですけど、 本当ね、何かこう、 需要競争剤飲むとか、 そんなことよりも何しろ寝る。 運動食事寝る。以上。みたいな。 なんか、そんな感じかもしれません。 まあ、なんだろう、 もうね、昔から言われていることで何らそこに新しいことないんですけど、 本当そうだと思います。 じゃあ、どういう風にしたら質の良い眠りが取れるのかというのがこの本の主題ですよね。 解眠のための昼の過ごし方みたいな。 もうね、目的はよく寝るためなんですよ。昼も。 いいですよね。 人生の目的は寝ることであるというぐらい。 部屋を掃除する。みたいなね。 部屋や机の上が散らかっているのは脳が疲れ切っている際。 これね、本当そうですよ。本当そうですよ。 是非、片付けやりましょう。 僕もそんなね、あんまり偉そうに言えるほど綺麗ではないんですけど、 一応ね、オーガナイズされた机になってます。 なので、 整う。散らかった部屋にいるとストレスホロモンであるコルチゾールの分泌量が増えてしまい、睡眠の質が低下する。 片付けの第一歩として寝室やベッド周りにはできるだけ物を置かないようにしよう。 これは本当そうだと思います。 埃の多い環境では自然と呼吸が浅くなり、質の高い睡眠を取ることができない。 埃やカビ、花粉といった異物を吸い込んでしまうと、その除去に身体のエネルギーを使われてしまう。 いや、本当にその通りだな。 はい、ということで、皆さんいい睡眠とれてますか? ちょっとここ、結構いいヒントがあると思いますので、是非ご覧になってください。 今日のフライヤーは、開眠習慣でした。 # 頂いたコメントへのお返し それではコメントを返します。 近内さんの対談の2日目のコメントですね。 ぐるぐる鈴木さん、恥と透明化が我々の行動を制御する。 今日のお話はとても本質だなと思いました。 恥は失敗したくないというダウンサイド側ではなく、 挑戦するというポジティブなアップサイド側でも、 挑戦しないことを恥と感じる文化が生じそうです。 例えば企業が当たり前なシリコンバレーのコミュニティで、 みんなが起業する方向に行くとします。 それは環境が整っているという面もありますが、 起業しないことで恥をかかないようにすることなのか。 様々なところで恥が駆動してそうです。 そうですね。それは恥と呼ぶか何と呼ぶか、 いろんな表現あると思うんですけどね。 フォーモーとか言われますよね。 フィアオブミッシングアウトみたいなね。 だからそういうところで人間の行動っていうのは、 規定されているのかもしれないですよね。 イタルさん、人の数が多くなると、 統制のためにルールを作らざるを得ない。 ルールは人を内側から動かすべく恥を感じるように デザインされているというお話に聞こえました。 でも恥って生まれた時にはない感情ですよね。 誰かが植え付けているもので、恥の底には恥となる行動を取ることによる 仲間外れへの恐れがあるのかなと思います。 遊びを入れると恥による仲間外れがなくなるみたいなことが あるのかもしれないですね。 学生賞の話、陣ときました。 優しさって無機質なルールの中に、 人間味を入れ、生きた心地を作るものなんでしょうね。 本当に学生賞の話よかったですし。 生きた心地っていうのをね。 ゆーちゃん言ってましたけれども。 まあそうなんですね。 生きた心地をするために生きているのである。 なんかちょっとね、トートロジー的なものもあるんですけど。 面白いですね。 泉龍太郎さん、恥アプリがフロントで起動するのってどんな場合でしょうね。 多数派の同調圧力が強く働く中、 少数派として晒し上げられて、 村8部の扱いを受ける。 例えばこんな場合でしょうか。 誰もそんな扱いは受けたくないので、 村人1人1人が掟に過剰適応した損落が爆誕する。 けれども内集団、内集団の過剰適応は、 外部環境の変化に調和する力を弱める。 集団に秩序をもたらす恥アプリが効きすぎると、 集団自体の存続に対するリスクを高める。 そんな皮肉な状況にハマりうると思いました。 内ばっかり見ちゃって外をケアしない、みたいなことね。 あるあるですね。 まあだから組織が大きくなるってことは、そういうことなのかもしれないですよ。 やっぱね、組織はね、ある程度の規模感の小ささが必要なんだと思う。 外への関心を向かせるためにね。 一本旅アマノッチさん、当然ご存知だと思いますけど、とか、 釈迦に説法ではありますが、という言葉は、 時にやばい、知らないぞ、という恥の感情を相手に持たせて動揺を誘い、 マウントを取る道具として使われますね。 グレーバーの不才論で語られたような恥の感情という不才の応酬、 より大きな恥を欠かせた方が勝つという不毛の争い、 同じような道具としては恩というものもありますね。 恩を着せるというのはまさに不才ですが、 恩に感じるというのもまた軸を縛り付けているかもしれません。 至高の旅に誘うたら楽しい雑談でした、と。 確かにね、当然ご存知だと思いますけど、とかね、 営業トークとかでね、言ってくる人いますよね。 いや、まあもちろんね、当然ご存知だと思うんですけど、 最近の業界的なイシューってこういうことじゃないですか、とか言われて、 えっ、そうなの?みたいな。 そんな、なんすかその言葉、みたいな。 いやー、やっぱり今時代、ね、ご存知だと思うんですけど、 時代はやっぱオートポイエーシスですよね、とか言われて。 はあ、ね、みたいな。 ETさん、ギルティ対シェイムの比較が興味深かったです。 個人的にはギルティはルールを破ったというニュアンスに対して、 シェイムは人間として道徳的にやるべきことをやらなかったというニュアンスです。 武士道精神が根付く日本におけるシェイムは、 他の国々でのシェイムよりも重たく捉えられているように感じます。 僕も恥をかかないということが、 様々な場面で行動のモチベーションになっていると感じます。 良くも悪くも、ということです。 うん。 いや、ほんとそうね。 うん。 恥を、いや、僕もそうですね。 うん。 シェイム。 これね、日本的な感情の部分ってやっぱりあるのかな。 その辺は僕は比較文化論をしたことがないので分からないですけど、 少なくとも僕は結構恥で駆動している部分があるように感じるかもね。 うん。 処方器業で社会を変えるさんですね。 ルールを破ってまで目の前で人を助けてしまうという利他性についてすごく共感できました。 しかし一方で難しいなと思うのは、 そのことを言語化した瞬間に、 じゃあルールを破って良いのかという批判や、 他にも同じ例があったときに行われなければ不公平ではないかなどという、 脅迫観念的なマニュアル化の影が浮かび上がってくるのも事実です。 近渕さんの言う、利他的造詣のある世界が人間の本質的なものの一部なのではないかと観測、 希望的観測を抱きつつ、非言語的なグレーな状態にしておくことも大切にしたいと思う。 いや本当そうね。本当そうよ。 マニュアル化、これやったらなんか自分だけやったら後の人たちがとかね、 もう余計なこと考えちゃう。 だからこそ優しさっていうのはね、 それを乗り越えてでもやってしまう行為という意味において尊いんです。 ね。ね。 そんなことなんですよ。 北村直文さん、 遊びが利他や優しさにつながる。大学生のお子さんをなくされて学生証返還の際のエピソードはこれだと思いました。 大学の事務の方の学生証なくされたなら返還不要。 これはマニュアルにガチガチに縛られ、予約がないと出てこない対応ですね。 マニュアルがあれば考える手間も省けて楽な側面。 反面、遊びから遠ざかりちょっとした息苦しさを感じてしまうかもしれません。 遊び取り他、自分はどれだけ遊びがあるだろうか。 マニュアルに頼っている部分が多いなぁと改めて考えました。 お二人の対談から遊びに問いが立ちました。 うん。素晴らしい。 ね。その遊びへのインサイトもとても面白いです。 ね。 いやぁ、こういう話ってね、余白がいっぱいある絵画なんで。 まあ、超相対性理論もそうですけど。 ね。 どんどん塗りつぶしていってください、余白。 えー、松田和志さん。いやぁ、近内さんとの対談めっちゃ良かったです。脳内を刺激させられまくる感覚最高でした。 恥の考察は大変興味深いですね。 知識という観点で言うと、知らないと恥を書く一方、世の中には知らないことが多すぎるので、恥を書かない状態って無理だよなぁと感じました。 OSとしての恥について自分も文献などに当たっていきたいです。 お二人の恥についての考察を聞き、思い出したのは、確か石渡さんとの対談の中で、ゲームっていくらでも失敗できるじゃないですかとおっしゃっていたことです。 ゲームだったり、スポーツが教育の観点で語られるのは、恥とも関連していそうだなぁと思いました。 ゲームやスポーツでないと失敗を許容し、恥に対するアプローチを取り得ないのかもしれません。 おしむさんが、サッカーは人生であるといった言葉を語っていたかもしれませんが、恥や失敗という観点で捉えてみると、また違った解釈ができそうだなと感じました。 ゲームか。これまたいい余白のところに、いい色を持ってきてくれたなと思います。確かにその通りで。 これは、ゲームっていくらでも失敗できるじゃないですかと。 この辺のゲーム性ってやっぱり必要なんですよね。社会をより良くするために。 そんなことも感じました。ありがとうございます。 ということで、コメント返し以上です。いつも皆さんありがとうございます。 # 終わりのあいさつ はい、ということで谷川さんとの対談初日終わりです。 明日もね、またこの愉快な雑談続きますので、 明日はね、本の紹介とかあるんで、谷川さんが今年読んで一番良かった本は何か、 そんなことも含めて、楽しみにしてみてください。 それでは今日はここまで。また明日。 もっと見る #哲学 #鶴見俊輔 #スマホ時代の哲学 荒木博行のbook cafeプレミアム放送配信中!00:111.タイトルコール01:582.初めのあいさつ26:003.咀嚼し続ける面白がり方04:234.『快眠習慣』08:255.頂いたコメントへのお返し00:226.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう 町田和敏(変な髪型をしたポンコツ薬剤師)2022年12月16日マスターと谷川さんとの雑談は、どれも興味深く、考えさせられまくりのひと時でした。最後の記号化、分断、雑談のお話をきき、頷きまくってました。人を記号で見てしまうのが本能レベルの話だとして、相手に対して多種多様な記号を持つことが大切なのかな、と感じました。多種多様というのは、例えば、仕事上得たものだけでなく、家庭だったり、趣味だったり、そんな感じでしようか。人間くさい記号が多ければ、そして、その中に共感するものがみつかればいいのかもしれないなと。返信 町田和敏(変な髪型をしたポンコツ薬剤師)2022年12月16日めっちゃ完璧で近寄り難いと思っていた人が見せる意外な一面を知り、心理的な距離が縮まる感じでしょうか。そうした多種多様で人間くさい記号が多ければ、党派で分けてしまいがちな、大きな記号に対して、安易に分断にいかないよう、重しの役割をするのかなと。嫌いなところは多いけど、嫌いになりきれないみたいな感じですかね。そんなことを考えました。 きたむらなおふみ2022年12月13日俺が正しく、お前が間違っている」などの「正しい」「正しくない」論争。正義のぶつかり合いから生まれる論破や説得の応酬。対立構造の原泉かもしれません。フィーリングの合う合わないはあるものの、雑談には潤滑油的な役割があるのかもとも考えました。今日の配信は雑談との事ですが、雑談から勝手に自分なりに妄想してコメントする。「難しさ」と「うねうね感」が魅力ですね。1返信 泉 龍太郎2022年12月13日谷川嘉浩さん対談1スマートな思考と野暮ったい思考。こんな対比が浮かびました。前者が、物事をクリアにデジタルに分解・分類する思考。次々と飛んで来る情報の意味を次々と確定させる、直線的で効率的な捌きの思考。後者が、寄り道や停泊や後戻りを厭わない思考。未消化のままの沈殿物が貯まりゆく思考。沈殿物が堆肥となって知的な土壌を育む。スマート君によるプレスがかかる環境に晒される中、野暮君の陣地を守ろう。そんな風に解釈しました。1返信 E•T2022年12月13日哲学者 谷川さん雑談1まずは相手に付いているラベルは取っ払い、「人」として対話する、雑談する。自分としては意外とできていると思います。逆に自分の課題は、「違いに目が向かないこと」です。人の違い、街の違い、色々あるはずですが、基本はみんな同じだと感じてしまうのです。以前、家族でアメリカを旅行した際、訪れた2つの都市の違いを妻に聞かれ、「アメリカは基本同じだよね〜」と答え、「つまんない回答だなぁ」と言われてしまいました。抽象化と具体化、どちらもできないといけませんね(汗)1返信 いたる2022年12月13日出てくる話題がことごとく興味深い対談でした。マスターが仰ってた「分かれば分かるほど分断」は悩ましいですね。「多様性を尊重する」と言うのは簡単ですけど、部分的に記号化して人として見なくなってしまうのは誰にでも起きることかなと思います。その根っこには、「自分の立場やアイデンティティが侵略されないように守る」みたいなものがありそうで、もう本能レベルの話ではないかな、と。続きもとても楽しみです!1返信 もっと見る
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などの「正しい」「正しくない」論争。正義のぶつかり合いから生まれる論破や説得の応酬。対立構造の原泉かもしれません。
フィーリングの合う合わないはあるものの、雑談には潤滑油的な役割があるのかもとも考えました。
今日の配信は雑談との事ですが、雑談から勝手に自分なりに妄想してコメントする。「難しさ」と「うねうね感」が魅力ですね。
スマートな思考と野暮ったい思考。
こんな対比が浮かびました。
前者が、物事をクリアにデジタルに分解・分類する思考。
次々と飛んで来る情報の意味を次々と確定させる、
直線的で効率的な捌きの思考。
後者が、寄り道や停泊や後戻りを厭わない思考。
未消化のままの沈殿物が貯まりゆく思考。
沈殿物が堆肥となって知的な土壌を育む。
スマート君によるプレスがかかる環境に晒される中、
野暮君の陣地を守ろう。
そんな風に解釈しました。
まずは相手に付いているラベルは取っ払い、「人」として対話する、雑談する。
自分としては意外とできていると思います。逆に自分の課題は、「違いに目が向かないこと」です。
人の違い、街の違い、色々あるはずですが、基本はみんな同じだと感じてしまうのです。
以前、家族でアメリカを旅行した際、訪れた2つの都市の違いを妻に聞かれ、「アメリカは基本同じだよね〜」と答え、「つまんない回答だなぁ」と言われてしまいました。
抽象化と具体化、どちらもできないといけませんね(汗)
マスターが仰ってた「分かれば分かるほど分断」は悩ましいですね。
「多様性を尊重する」と言うのは簡単ですけど、部分的に記号化して人として見なくなってしまうのは誰にでも起きることかなと思います。
その根っこには、「自分の立場やアイデンティティが侵略されないように守る」みたいなものがありそうで、もう本能レベルの話ではないかな、と。
続きもとても楽しみです!