TOPエンタメ映画・本荒木博行のbook cafe『尾崎豊が伝えたかったこと』須藤晃32:36 2023年4月8日 9,130再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次尾崎豊の歌詞に潜む16歳の視点「アスファルトに耳を当てる」真意若くして人生を語る尾崎の哲学経済学「物価」のユニークな解釈議論を活性化するグラファシの力AI文字起こし(β版) # タイトルコール アラキロ域のブックカフェ。この番組は、独学の地図の執筆者であり、書籍予約サービスフライヤーのアドバイザーを務めるアラキロ域がマスターとなり、本からの学びを楽しむカフェです。 # 初めのあいさつ はい、みなさんおはようございます。 3月…違うな、ごめんなさい。 4月9日ですね。 間違えた。4月8日の土曜日となります。 今日は引っ越しなんですよ。 長男がですね、新生活で引っ越しということで、それでちょっとバタバタした1日になりそうです。 ということで、みなさんいかがお過ごしでしょうか。 さて、今日なんですけれども、小崎豊が伝えたかったこと、という本ですね。 須藤明さん、主婦と生活者、ですね。 これはもう絶版になってるはず。 1995年に発売された本なので、もう30年くらい前の本ですね。 という本なんですけれども。 小崎豊というのは、ご存知の方も多いと思いますけれどもね。 アーティストでもう亡くなりましたけれども、だいぶ昔に。 熱狂的なファンがいるということで有名でしたね。 私も小崎は中学時代ね、本当に彼が元気だった頃ね。 よく聞いておりましたけれども。 この須藤明さん、プロデューサーなんですけれども、めちゃくちゃいいですよ。 本当にね、すごい言語火力だなと。 だから、小崎がいたのは須藤さんがいたからというのもすごくよくわかる気がします。 今日はその中で、ちょっと気になった部分を、小崎知らない人も含めてね。 お届けできればというふうに思います。 それでは行きましょう。本編スタートです。 # アスファルトに耳を当て…? それでは、尾崎豊が伝えたかったこと、この本をお届けできればと思います。 これはですね、尾崎が、彼がですね、10代の間に出したアルバムですね。 3本あるんですけど、17歳の地図、怪奇線、そして壊れた扉から。 僕もね、この3つのアルバムは本当にめちゃくちゃよく聞きましたね。 この3つのアルバム、合計29曲かな。 10代で3枚のアルバム作ったんですけれども、その歌詞が全部載っているというのと、 その歌詞の説明というのを、もうすでにこの本の発売当時にはなくなってしまっていた尾崎に代わって、 須藤さんがですね、その当時の記憶を振り返りながら解説をしていくという、そんな本なんです。 この、なんだろうな、須藤さんの眼差しがですね、本当に息子の成長を見る、懐かしむようなね、 そんな視点で尾崎のことを書いているので、そういう意味でですね、すごくいい文章なんですよ。 当然ね、尾崎の曲を知っていれば、それだけね、すごく染みてくるんですけれども、 なんか一人の青年の生き様を知るというだけで、文章だけでも楽しめる、そんな本かなと思います。 そして、今日ですね、中心にお届けしたいのは、「街の風景」という曲なんですね。 これ、最初に出したアルバムの1曲目なんですよ。 17歳の地図というですね、彼が17歳、この曲を書いたのは16歳なんですけれども、 その時に出したアルバムの1曲目にクレジットされている曲で、 僕もとても大好きな曲なんですけれども、この須藤さんの解説を見てですね、 あ、そういうこと?っていうことをちょっと理解できました。 で、ちょっと皆さん想像してみてくださいよ。 16歳だった時の自分ね、高校1年生ですね。 高校1年生のあなたが、「街の風景」というタイトルで歌詞を書くとしたら、 どんな歌詞を書くでしょうか?っていうことをちょっと想像してほしいんです。 いやぁ、僕何書くかなぁ。街って言葉に何かピンときてない気がしますね。 街。まあこれ街灯の街っていう字ですけど、街の風景かぁ。自分だったら何書くかなぁ。 まあ多分、都会。都会のことを書くのかなぁ。あんまり行ったことなかったんで、高校1年の頃ね。 新宿ぐらいにね。新宿にはちょっと用があってね。 自分が音楽のね、大好きなタワレコとか、あと何だっけ、なんとかレコードとかあったんだよなぁ。 それでよく市役通ってたんで、その時に感じた、すごいこう、街の、なんだろう、高層ビルみたいな、 そんなことを書くのかもしれない。汚い言葉で。 いやぁ、尾崎はね、全然違うんですよ。これビビりますよ。ビビりますよ。本当にね。 えー、はぁ、と思ったんだけど。 えーっとね、どこを読めばいいかなぁ。 うん。じゃあちょっと1番だけ読みましょうかね。ちょっと長くなっちゃうかもしれないんですけど。 街の風に引き裂かれ舞い上がった夢屑が路上の隅で寒さに震え揉み消されていく。 立ち並ぶビルの中ちっぽけなおいらさ。のしかかる巨像の中で心奪われている。 あてどない毎日をまるで野良犬みたいに、愛に飢え心は渇きふらつき回るよう。 まだ続きますが。言っておきますけど、これ高校1年だからね。16歳よ。 灰色の壁の上かき殴った気持ちはそれぞれの在り方の虚しさに震えているんだ。 追い立てられる街の中アスファルトに耳を当て雑踏の下埋もれている歌を見つけ出したい。 空っぽの明日に向けて投げてやるさ。誰もが眠りにつく前に。 そしてサビですね。心のハーモニー奏でよう。ガラス作りの歌奏でよう。 無限の色を散りばめた街の風景。というね、歌詞なんですけど。 もうこの歌詞、読み上げていく中で歌いたくなっちゃうんですけどね。 いやー、高1でこの文章を書けるかっていうのがね。 本当に尾崎の自費室の歌詞がね、書いてあるんです。 消したりね、なんか入れ替えしたりね。すごい生々しいんですけど。 でね、まあ確かに表現とかすごいし、なんかこう普通の高1が書くような文章じゃないっていうのは直感的にわかると思うんですけれども、 そこでこの歌詞でね、注目したい箇所があるんです。それは何かというと、 追い立てられる街の中アスファルトに耳を当て雑踏の下埋もれている歌を見つけ出したい。 アスファルトに耳を当てっていうことなんですね。 アスファルトに耳を当て雑踏の下埋もれている歌を見つけ出したい。それを街の中でね。 これはどういうシチュエーションなんだって思いません? 聞いてるんですよね。地球の鼓動を聞くようにアスファルトに耳を当てて、 下に流れている雑踏の下に流れている歌を見つけ出したいって言っているこの感覚わかりますか? これは一体、須藤さん聞くんですよ。尾崎に。一体どこから出てきたの?って聞くわけですね。 そうするとこれまたビビりますよ。何が出てきたと思います? 高一ですよ。 読みましょう。結局彼に聞いた話では、よく酔いつぶれて道で寝ていたそうだ。 高校生になってからか中学生の頃からか、友達と酒を飲んで酔っ払ってひんやりとしたアスファルトに寝っ転がる。 やがて地面の冷たさに目が覚めると道で寝ている自分がいて、そのまま朝を迎えることも頻繁にあったという。 そこには非常に鬱赤したティーンエイジャーの不満が現れている。遊びたい。遊ぶために金が欲しくてアルバイトする。そうすると遊ぶ暇がなくなる。 でも仲間と遊んでいると、仲間と遊んで騒いでいても何か虚しい。しかも学校がある。親や先生は規則に縛られている。 不満を発散するためにまた遊んでも気づくと道端でひっくり返っている自分がいる。そういう悪循環の繰り返しの中で酔いから覚めて顔を上げた時に、 彼は何かを歌わなきゃいけないんだ。何かを表現しようと決意する。 いやー、これはね、これなんかも先日のね、プレミアム放送でお話しましたけど、僕がアーティストになれない理由みたいな、そういうところですよね。 ある意味ですごいこう鬱屈した感情の結果として出てくるのが、アスファルトの上で寝ている自分に気づくということですよね。 その姿を自分はこう、アスファルトに耳を当てという表現に変えて歌詞にするわけですよ。 耳を当てると、ざっと人が歩いている中で、それぞれの人の悲しみ苦しみみたいなものが聞こえてくるような気がする。 その声を僕は歌にしたい。 っていう、ある種決意の歌でもある。 だから表に流れていくような綺麗なメロディーではなくて、雑踏の下に埋もれているそこのメロディーを、僕なら聞くことができる。 なぜならば、僕はアスファルトに耳を当てて寝っ転がっているような、野良犬みたいなっていう表現がありましたけど、野良犬みたいな自分だからだっていう。 そんなこと、こう一で。 それがゆえに、彼は素晴らしい歌をどんどん生み出す。 それと引き換えに、彼は早くして亡くなってしまうわけなんですけれども。 そんな歌なんですよ、街の風景って。 これはね、僕は何十回何百回何千回って聞いてますけど、そうだったなって思いました。 ちょっとチャプター、次クロージングしていきます。 # 16歳で人生語っちゃう? それでですね またね須藤さんの素晴らしいアレがあるんですけれども この歌詞ね最後の方注目しましょうか 人生はキャンバスさ 人生は五線紙さ人生は時を演じる舞台さ っていうねこれどういう意味かというと人生はキャンバスというのは真っ白いキャンバスこれから自分を 描いていくっていうね人生は五線紙というのはこうあれですね楽譜の五線の紙ですよね でそこにまだ何も書かれていない五線紙であるとそこに自分がメロディを 書き入れていく 人生は時を演じる舞台さっていうことでまぁ舞台があり自分がその演者になるって まあこの3つ全部同じことを意味していると思うんですよね まだまっさらな何もないところで 自分が作者となってこの人生という舞台でどう何を演じるかそれは こうあなた次第であるということですね えっちょっと待ってってこれ書いたの何歳っていう話がまた来るんです なぜこの16歳の子が 人生はこれヨーゼフボイスみたいな話ですよね ねえ そんな ことを16歳の少年が人生ってこんなもんでしょって でそれに対してその須藤さんは引っかかりを覚えたと つまり16歳ぐらいで人生について客観したり悟ったり悟ったみたいなことを言うんじゃないって っていうふうに思うんですけれども一方で 自分の10代を振り返ってもなんかそういうわかったような口を聞きたくなっちゃうっていうのも この15、6歳ぐらいのことの特徴なのではないかと 本当はこれをちょっとあんまり気恥ずかしいよってこんなことをわかってない段階で わかってない人がそういうことを言うのは恥ずかしいことなんだよって 大人の須藤さんが 語ろうとするんですって なんだけれどもやめたと そしてこの歌詞をそのまんま 1曲目の最初に出した だからそれは彼がやがて振り返った時に気恥ずかしく感じるかもしれないつまり その中二病じゃないけれどもあのかつてのねその 書いた日記とかを自分が見て恥ずかしいなって思うその心境ですよね それがもう公開されてしまうんだから っていうでもそういう気恥ずかしさも含めて なんか人生生きてみたらっていう風に 須藤さんは思った だけれども 尾崎はですね あっという間にその人生を終えてしまったっていうね そして1曲目の最初でもうすでに人生という言葉を使っていたのは なんだかとても象徴的な気がするっていう風に須藤さんは 書いています つまり 人生ってさなんかあれじゃない これ須藤さんが言いたいのはね いや人生って長いから16歳の段階で人生なんか語れないさって 思うだっていう風に書いてんでそれは前提としてはですね 人生が100年あるっていう前提の100年だか80年だからわかんないけど長いっていう 前提の話じゃないですか でも彼の場合 尾崎の 人生はですね 26歳なんです 26歳 だから 26歳の人生だとしたら 16歳で人生語ってもおかしくないよねって まあ例えばですよ 仮に3倍78歳まで生きるとしたらこれ3倍 するとですね48歳の時に自分の人生を語ってるっていう話ですよ だから僕はね今47だから 人生ってこうだよねみたいなことを語ることあるけど 確かに それは なんかや当時の尾崎が人生を語るということと等しい行為なのかもしれないよね わかんないんだよっていうのも これもちょっと感じたところです 人生って なんか人によって長さ違うもんね 26歳で亡くなってんですよ というね 彼が長生きしてたらどうなんだろうなんていうのはもうね多くのファンが想像することだと思うん だけれども そんなことをねぼんやりと感じさせられる一曲でもあるんです ぜひ聴いてみてくださいそしてねやっぱりこの 同じ事象をどこからどの視点で見るのかっていうことで 見え方が全然違うっていうことを やっぱり感じませんか僕は 街の風景っていうタイトルで曲を書くとしたら 例えば新宿駅に降り立って で 当時の安田生命ビルでしたっけ 今もありますけれどもああいう あと都庁とかねああいうビルの前に立ちすくむその見上げる自分みたいな まあそんな絵を想像したんですよ これは人によってそれぞれだと思うんですけれども その見上げるみたいなそういう視点ですよね立ったところから見上げるみたいな まあある種凡庸な見方かもしれないね 尾崎の視点何かっていうとアスファルトに耳を当て 人々が歩く雑踏を見ているっていうその視点 そしてその雑踏の下にアスファルトの下に埋もれた 戦慄 足跡の中に刻まれているその一人一人の人生にある悲しい そして決して語られない戦慄みたいなものを すくい上げようともうこれ これすげー そこ見るみたいな この視点の傾差ですよね まあもちろんその視点というのは そういう生活をしていたというね 彼の人生ならではのね話があるわけなんですけれども まあそんなことを感じましたこれが詩人でありアーティストであり そういうことなんだなぁって ちょっと思ってしまいましたけれども皆さんはこの歌詞から何を感じるでしょうか そして皆さん尾崎豊は何か記憶がありますか 僕世代だったらね何らかの接点はあるかもしれませんけど若い人にとってはね 誰ですかっていうあのそんな人なのかもしれません まああのいろいろ人によってスタンス違いと思うんですけど ぜひですねあの尾崎豊街の風景という 曲を検索して機会があったら聞いてみてください はいということで今日はですね尾崎豊が伝えたかったこと こちらをお届けしました # 『物価とは何か』 それでは今日のフライヤーのコーナーです。 今日はですね、物価とは何かという本になります。 えーと、こちらは渡辺努さんですね。 日銀勤務、ひとつ橋経済研究所教授などを経て、現在東京大学大学院経済学研究科教授でらっしゃいます。 ハーバード大学のPhDも持ってらっしゃいます。 専攻はマクロ経済学ということで、はい。 えー、2022年1月に出た本ですね。 講談社選書メチェから出ています。 いや、これが話題になりましたね。結構売れましたよね。 ねえ、物価とは何かという講談社選書メチェの本が売れるっておかしくないですか。面白いですよね。 何の煽りタイトルもなければ、全くもってセクシーさがないじゃないですか。 いや、だからすごい中身がしっかりしてるっていうことで。 まあ、僕もその話題を聞いてですね、もうすぐに買いまして。で、まだに読んでないんですけど。 うん。すごい良い本で。 いや、これ僕が何で買ったかっていうと、初めのページをパラパラめくってですね。 この要約にも書いてありますけど、このタイトルね、物価とは何か。 物価とはカバシラであるって書いてあるんですよ。 これにね、ちょっとすごく惹かれました。 カバシラって、あの、分かりますかね。 蚊の群れが局所的に飛び交っている。 えー、その遠くからは見えないんだけど、近く行くと蚊が固まってるみたいな、そんな状態ってあるじゃないですか。 これカバシラだと言われて、遠くからだと文字通り柱のように見えると。 物価とはこのカバシラのようなものだということですね。 世の中の商品はカバシラにおける一匹一匹の蚊に相当する、すごい速さで移動する蚊もいれば、ゆっくりと移動する蚊もいるが、 カバシラ全体としてはまとまっている。 商品も個々の商品の動きが多少揺らいでも、全体的に一箇所にとどまっていれば、それは物価が安定しているということであると。 もし全体が急速度で移動していたら、インフレやデフレに陥っているということだということですね。 個々の価格が全く動かない場合も問題であると。 1ミリも動かない蚊が安定しているのではなくて死んでいるように、売り手買い手の事情にある価格変動のような経済の健全な動きが止まっていたら、そこは問題が起きているということで。 つまり、ある意味動的並行みたいな感じですよね。 動いていながら止まっているみたいな。 止まっていて止まっているんじゃなくて、それは死なんですけど、 動いている結果として止まっている状態に見えるというのがこのカバシラの本質。 だから一個一個の物価はやっぱり微妙に変動するわけですよね。 しかし全体としては調和が取れている状態というのが物価安定の状態。 これがインフレとかデフレとか、カバシラそのものが動いて見えるという話。 このメタファーがとても面白くて、これは買いだ。 こういうメタファーを書ける人は、この物価みたいな捉えがたいものをとても分かりやすく説明してくれるに違いないと思って買った記憶があります。 インフレとは何か、デフレとは何か、そんなことも丁寧に書かれておりますので、 ちょっと距離感があると感じる方もいらっしゃると思いますけど、ぜひこの機会に要約からでも読んでいただければと思います。 今日のフライヤーは物価とは何かでした。 # 頂いたコメントへのお返し はい、コメント開始します。前回は先週ですね、グラフィックファシリテーションの教科書でしたけれども、 イタルさんです。外から見たグループの状況を言葉ではなくビジュアルで表現することで視点を変えたり俯瞰が起きて対話が促進されるようにするのがグラファシなのかなと聞きながら思いました。 議論のファシリテーションはゴールがある分だけ仕込みが大切ですが、対話のファシリテーションはその場で何が起きているのかを捉えるのが大事であり、 言葉で表現しきれないものをビジュアルにすることで今ここで話しやすくなるのはあるなと思います。勉強になりますということですね。 確かにね、ゴールがある議論って仕込みが大切なんですけど対話って本当その場なんで、なんだけどやっぱり仕込みが重要だということは変わらない。 ということでもある。このバランス感覚大事ですね。 泉龍太郎さん、図解を駆使してカオスの議論の交通整理をリアルタイムですることかなぁなんて単語から想像した上で本編を聞きましたがちょっと違いそうですね。 むしろ小綺麗な言葉で下手にまとめたりせずカオスをカオスのままえぐり出して共同化表質化を促すというか、 そやだったり不恰好だったりするかもしれないがそれでこそ意味があるというか、一見グロテスクにも見える現代アートとかにも通じるのかも。 そうかもしれないですね。その綺麗さではなくて、 醜さを出した上で収束していくみたいな、その醜さをちゃんと醜く、 出し切れる状態を作るっていうのが、このファシリテーターの一つの役割なのかもしれないですね。 ぐるぐる鈴木さん、予定調和を壊すには。僕は制限時間内でぐちゃぐちゃの会議の流れをマネジメントする方向でファシリしてしまうので、 面白くないと感じられるのかもと今日の話を聞いて感じました。 端的に言うと大人の会議にしてしまうのです。 一方で挑発するような一言で怒鳴り合いの感情の叩き合いのカオスに入り、そのエネルギーで怯えるメンバーも出た会議で立ち往生した苦い経験もあります。 参加メンバーが感情を剥き出しに泣き出すような道をうまく導くのがファシリなのか、講座もありそうなので検討してみますということですけれども。 これは本当に 胃が痛いですよね。ヒヤヒヤするし。 でも結果的には、あそこでカオスになったからって、 これありません?人間関係でも子育てでも何でもある。なんか本音を出してぶつかったからこそ今の私たちがあるっていうそういう人間関係ってありません? でもそれやりたくないんだけどね。 大事ですね。ブライアンさん。予定調和を壊すという話が非常に面白かったです。確かに組織が大きくなるとみんな大人に振る舞うようになり、縦割り化が進んでいきます。一方でそれによって全体のバランスが欠けたり、顧客視点を失ったり、日々のオペレーションでは感情的になることを抑止されることが多い中で、議論を引き起こし参加者の感情を引き出しつつ、グラフィックがその間を取り持つ、具体的にどんなグラフィックを使うのかが興味が湧きました。 これ実際本を読んでいただくと、山田夏子さんなりのグラフィックが出てくるんです。本当に人それぞれだと思います。 人のパーソナリティがグラフィックにも出てくるということでもあったので、ブライアンさんなりのグラフィックをチャレンジしてみてください。 ETさん、腹の底から感情を叫ぶ。組織がぐっと一丸となる瞬間には数字やロジックじゃない。うーん、なるほどと思いました。 振り返れば僕は仕事を感情で表すことはまずありませんし、周りを見ても感情を表す人が減ってきているなぁと。 ただ感情を表すと言っても、できない部下を怒ったり、個人のイライラをぶつけたりはダメですよね。 チームを持って嬉しい、悔しい、悲しいという素直な感情が組織を動かすのだろうと思います。 そうそう、何か人にぶつけるという話ではないんですよね。 そうすると本当にハラスメントみたいになっちゃう。 でもこのハラスメントという言葉がはびっこりすぎちゃって、逆に縮こまっちゃってるみたいなそういうところもあるのかもしれないなぁなんて、ETさんの文章を読みながら感じました。 発作さん、プレゼンさせていただきましたが、スマートに時間内に議論をまとめることを良しとしていた自分にとって学びの多い時間でした。 私も初めはグラレコとグラフ発信の違いがよくわかってませんでした。 著書を3、4回読むうちにこれは開けてはいけない扉をバンバン開けている行為と気づき、リアルタイムに感情を書き出していく本当の意味がわかりました。 拡散は恐怖、どうしても収束を考えがちですが、場の活性化や共感、エネルギーをどれほど生み出せたかという目的に恐れずに立ち向かっていく姿勢に感動しました。 発作さんは本当にこの機会を活かしたと思います。 これね誰もが平等にオープンになっていた機会だったんですけど、それで拒否されてプレゼンにまとめられて実践もされて、 そしてね、それをまたコメントに入れられて、このすごいちっちゃな機会がものすごく発作さんにとってひょっとしたら人生を変えるきっかけになったかもしれない。 それぐらい貴重な機会だったんじゃないですかね。 良かったです。本当にありがとうございました。 山下さとるさん、予定調和を壊すファシリテーション。真逆の考えでとても興味深い内容でした。 議論が対立した場合セッチュアに持って行きがちですが、AでもBでもないCを出すために有効相。 グラフィックファシリテーションという言葉自体を初めて聞きました。ぜひ読んでみたいと思います。 綺麗にうまくまとめるんじゃないっていうね、その辺が僕も勉強になりました。 本当に大事な概念だと思います。 すっすーさん、予定調和を壊すファシリテーション。 ファシリテーターが強く波風を立てることで議論が紛糾し一旦カオス状態になったことで結果的に大きな課題を解決してきたことを覚えています。 その時は目的に向かってメンバーが一体感を持って大きな山を登り切った感がありました。 一方で予定調和で議論がスムーズに進んだ場合、大きな課題に直面すると考える余地が残っていたので問題解決まで行かなかった経験があります。 ファシリテーターとしては予定調和を壊す議題を取り上げること。大切ですね。 そうなんですね。これね、スキルかセンスかと言われたらセンスのような気がしてしまうんですけど、 この間の取り方、表情の作り方、言葉の選び方、そんなものがですね、ごじゃっと組み重なってその一瞬に、 えっ、でも本気じゃなくないですか、その意見みたいなね、そんなことを差し挟めるかどうかみたいな、そんな気がします。 町田勝利さん、最近グラレコという言葉を聞くたびに面白そうだなと思ってたら、今度はグラフィックファシリテーションになるものまで。 その違いは何かというか、そもそもファシリテーションとは何か、お二人の話を聞き興味が湧いてきました。 グラレコの本と一緒にグラフィックファシリテーションの教科書を購入して読んでみようと思います。 グラフィックという言葉の強さで書き消されそうなことなんですけど、本質はファシリテーションの方にあるというところが発見ですよね。 ぜひその違いをちょっとしっかりね、理解していただければと思います。 ということで、コメント返し以上になります。いつも皆さんありがとうございます。 # 終わりのあいさつ はい、ということで、今日は 尾崎雄坂なんてね みんなが関心あるかどうかわからない 私の青春時代を振り返ってしまいましたけれど はい、いかがだったでしょうか 明日は相談カフェですね はい、ということで今日はここまで また明日 もっと見る #アーティスト #歌詞 #尾崎豊 #街の風景 荒木博行のbook cafeプレミアム放送配信中!00:111.タイトルコール01:542.初めのあいさつ09:533.アスファルトに耳を当て…?https://music.youtube.com/watch?v=FlFaL2VX4CI&feature=share08:114.16歳で人生語っちゃう?04:035.『物価とは何か』08:066.頂いたコメントへのお返し00:217.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう ゆきのん2023年4月13日こんにちは、初めてコメントさせて頂きます。尾崎豊は私が幼い頃に亡くなってしまいましたが、高校の倫理の教科書で「15の夜」に出会い、それからしばらく夢中でした。「シェリー」など大好きで、「街の風景」もしっかり覚えていました。でも、そんな背景があったとは…!視点の特異さもさることながら、やはり優れたアーティスト、ミュージシャンというのは、他人の人生を心から想える人なのだな、と思いました。この自分を表現したい、ではなく、人々の語られない悲しみを歌いたい、そんなことを16歳で…涙が出そうです。1返信 町田和敏(変な髪型をしたポンコツ薬剤師)2023年4月11日カラオケで尾崎豊を真似して歌ったなぁ。何だか懐かしい気持ちが蘇りました。『街の風景』は知りませんでした。実際に、アスファルトに寝っ転がることで、身体性が駆動し、尾崎豊の天才的な表現力の末に顕現した歌詞なのかな、そう感じました。自分の足で立って見上げるビル。アスファルトに寝て見上げるビル。視線の先にあるビルは同じでも、両者では認知が異なり、表現に違うが生まれるのかな。と言っても、たとえ認知が異なっていても、それを表現できるか否か。そんなことを妄想しました。1返信 eiko2023年4月10日尾崎豊!私は卒業に衝撃を受けました!本当の自由とは?自分の怒りはどこにぶつければいいのか?尾崎以外誰がいえただろうか、と。色々な生き方があっていい、デビューからそう伝え、生きづらさを抱えていたようにも聞こえる魂の叫びのような歌声が心に刺さりました。命を削るように歌うとYouTubeに書いてる人もいたり。他の方が書いていたようにマスターの解説を聞いた後の街の風景は、あの頃と一味違い、尾崎の刹那な想いが一層強く、でも、見過ごしてほしくない日常だと訴えているようで、少しの苦しさを感じました2返信 E•T2023年4月9日「同じ事象をどんな視点で見るか」尾崎豊、僕も中学時代によく聴きました。僕の好きな歌は「僕が僕であるために」です。「僕が僕であるために、勝ち続けなきゃならない。正しいものはなんなのか、それがこの胸にわかるまで」ん〜 この一節は深い。尾崎豊の苦悩が凝縮されている気がします。それにしても、何に勝ち続けるのか?社会? 大人? 自分?色々想像させてくれるところがいいですね!3返信 はっさく2023年4月9日天才の断片が垣間見れる素敵な放送ありがとうございました。話が変わりますが、最近、大物アーティストの訃報が多くあります。普段何気なく聞いていたYMOの音楽が「歴史」になってしまう。現在進行形が過去形になってしまう感覚でしょうか。自分が感じ取れるのは「天才の思考の一部」でしかなかったですが「現在進行形」のもと「歴史となったもの」とで、触れた時の感覚が少し変わってくると感じがします。2返信 もっと見る
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視点の特異さもさることながら、やはり優れたアーティスト、ミュージシャンというのは、他人の人生を心から想える人なのだな、と思いました。この自分を表現したい、ではなく、人々の語られない悲しみを歌いたい、そんなことを16歳で…涙が出そうです。
実際に、アスファルトに寝っ転がることで、身体性が駆動し、尾崎豊の天才的な表現力の末に顕現した歌詞なのかな、そう感じました。自分の足で立って見上げるビル。アスファルトに寝て見上げるビル。視線の先にあるビルは同じでも、両者では認知が異なり、表現に違うが生まれるのかな。と言っても、たとえ認知が異なっていても、それを表現できるか否か。そんなことを妄想しました。
尾崎豊、僕も中学時代によく聴きました。
僕の好きな歌は「僕が僕であるために」です。
「僕が僕であるために、勝ち続けなきゃならない。正しいものはなんなのか、それがこの胸にわかるまで」
ん〜 この一節は深い。尾崎豊の苦悩が凝縮されている気がします。
それにしても、何に勝ち続けるのか?
社会? 大人? 自分?
色々想像させてくれるところがいいですね!
話が変わりますが、最近、大物アーティストの訃報が多くあります。
普段何気なく聞いていたYMOの音楽が「歴史」になってしまう。
現在進行形が過去形になってしまう感覚でしょうか。
自分が感じ取れるのは「天才の思考の一部」でしかなかったですが「現在進行形」のもと「歴史となったもの」とで、触れた時の感覚が少し変わってくると感じがします。