TOPエンタメ映画・本荒木博行のbook cafeゴッホの前にいるカワウソに注目!/アートカフェ「ゴッホ展」静香さん・マイさん対談136:05 2025年11月10日 4,430再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次有名画家ゴッホを創り上げた家族の力『画家としての自画像』が持つ磁力とはキュレーターが織りなすゴッホ展の妙デビュー曲『異邦人』に隠された秘密非効率が長期の効率に繋がる理由とはAI文字起こし(β版) # お品書き 原木隆之のブックカフェ11月10日版になります。 さて今日からですねまたアートカフェですね はい 静香さんと前さんと行ってまいりましたご褒典 こちらについてオンエアしていきたいとおもいます。 そしてコメント返しは先週の効率の追求 がね あえてめんどくさいことをやるというそんな話でした 今日の一曲は違法人久保田崎はいお届けしております ということで最後までお付き合いください # 初めのあいさつ はい、おはようございます。11月10日月曜日の朝になりました。ちょっとね、喉やられております。気をつけないと、かなりね、喉が荒れておりますが、はい、風邪かなぁ。 今日はですね、あの、ちょっとね、もうずっと、何年ぐらいだろうな、4、5年やっている、「藁を手に旅に出よ!」通称藁旅のリアル授業があります。 社会人1年目の皆さんにね、藁旅セッションやるということなので、はい。 はい、ということでね、楽しみにしております。はい、ということで今日も頑張ってまいりましょう。それでは本編スタートです。 # キュレーターの力がすごかった それでは恒例のアートカフェのお時間でございます。 いつものお仲間ですが、静香さんとマイさんになります。どうぞよろしくお願いします。 よろしくお願いします。 ということで、今回は先日Voicyのメンバーもご一緒の企画でしたけれども、 上野の東京都美術館でしたっけ。 東京都美術館でしたっけ。 ご本店、家族が繋いだ画家の夢というサブタイトルがついておりますけれども、 そちらにですね、みんなで行って、その後鑑賞会まで、鑑賞会というか対話会っていうのかな。 そうですね。 そこまでやってきた内容を、展覧会の内容も含めてシェアできればなというふうに思っております。 ということでよろしくお願いします。 よろしくお願いします。 もうめちゃくちゃ雨が降ってた日でしたね。 マジで降ってたね。 ちょっと稀に見るくらいの大雨の中で行きましたが。 上野公園からちょっと距離がある美術館でしたよね。 そうでしたね。 ちなみにこの展覧会は、家族がっていう言葉があるみたいに、ご本家が受け継いできたファミリーコレクションに焦点を当てているっていうもので、 100年後の人たちにも自分の絵を見られるみたいな、見てほしいっていうことを期待した、 ヴィンセントの夢を、意思を引き継いで家族が守ってきたコレクションみたいな、そんなテーマの展覧会でした。 そうでしたね。 東京の前は大阪でやってたんですよね。 大阪が最初? そう。大阪が最初なんですよ。今回のこの展覧会って。 大阪の一律美術館がリニューアルして、そのリニューアル展がそこでやって、ごっほでやって、 その後で東京に来て、この後年明けから名古屋みたいな、そんな感じのスケジュールの展覧会です。 ということで、ごっほはいつもいろんなところでやってますけれども、 今回はそういう意味ではファミリーであったり、ごっほ美術館みたいなものが一つのテーマだったというところで、 だからごっほの絵だけではないっていうのがね。 そうでしたね。 特徴だったと思いますけれども。 フロアが三つに分かれていて、一番初めのフロアに入った時は、 ごっほは本当にその中で一枚だけしかないみたいな感じでしたもんね。 そうそう。めちゃくちゃじらされましたね。 じらされました。ごっほが登場するまで、あれ、あれ、まだまだ来ないみたいな感じで見ていて、 ようやく2階に来て、ごっほがたくさんあって、 3階に行くと、今度はまたちょっとごっほ少なくなるみたいな感じの構成でした。 そうだね。最後の方、俺も時間がなくてはほぼ見れてないみたいな感じでした。 駆け足でしたか。 駆け足でしたけれども。 まゆさんいかがでしたか? えーと、私ですか? あなたです。あなたしかいないでしょ。 私ですよね、まゆね。 え、ざっくり? ざっくり。 ざっくり。 んー、なんかあの、よう、その家族がつないだっていう意味で言うと、 弟の妻の力量。 今まで全然、弟はよく聞いてたんですけど、 手紙やりとりしてるとかずっと支えてて、 弟すごいって思ってたんですけど、 ビジネスの才覚というか、ごっほを今のごっほにたらしめたのは、 弟の妻のよう、本名何だったかな、よう、愛称ようでしたよね。 そう。 ヨハンヌみたいな名前でしたよね。 ヨハンヌみたいな名前。 彼女がなんかすごい数を、なんかどのくらいのごっほの作品を売ったらいいかとか、 どういうところにいくつくらいの数のごっほの作品をなんか飾ってもらったらいいとか、 なんかすごい計算しながらごっほをプロデュースした、 なんかほんとね、プロデューサーなんだなっていうふうに思いながらちょっと見ました。 そうなんですよね。 実はテオはごっほとほぼ時を経ずして亡くなっているので、 ごっほは売れない画家として一生を終えましたけど、 だからテオもそういう意味では、ごっほが売れる姿はほぼ見ていないと。 そうですよね。 ごっほは生前1枚だけ売れたっていう感じだったんですよね、ほんとに。 1枚だけしかも25万円くらいっていう金額だったみたいですよ。 だからほんとに、ほんとに多分全然売れなくて、 だけどね、ごっほって27歳で画家になるっていうふうに志して、 そっから10年間で亡くなっているので、 10年間ほんとにテオからの仕送りでずっと暮らすみたいなね、そんな感じの画家ですもんね。 いやでもさ、そう考えるとすごい不思議じゃない? なんつうのかな、今ね、ごっほ展とか企画されて、 これから絵を語りますけれども、結構我々もインパクトを受けているわけじゃないですか。 ごっほの筆の力とか、すげえなとか思ったりするわけじゃないですか。 でも、それは売れてるから僕らはすごいって言ってるのかもしれんわけでしょ? つまり、例えばヨウがいなかったら、もしくはテオがいなかったらでもいいんだけど、 あれだけの絵を描きながら埋もれていて価値を見出されないみたいな状態だったかもしれず、 それがたまにその美術館の中に一点ぐらいあったとしても、 ごっほ?誰これ?みたいなスルーしちゃうみたいなさ。 何を僕ら干渉してるんだろう?みたいな気になったりもしますよね。 確かに。時代的に言ったことですよね。当時受け入れられなくて、 全然人々が欲しいと思わなかった絵を、 なんで今私たちはこんなに熱狂しているのかの理由が、 ごっほの絵そのものをめっちゃいいと思っているのか。 つまり、ヨウがちゃんとマーケティングをしたというか、 ちゃんとそういう手紙とかもセットでストーリーを作って売り出したという側面が書かれていたわけじゃないですか。 それで、こういう絵があるんだ、こういう価値があるんだって言って、 そこに名声がついて、タカネがついて、その後に僕らはその絵を見ているっていう部分があるじゃない。 どうなんだろうね。素で見たらやっぱりすごいって思うのかななんていうのも、 ちょっと思っちゃったりしました。 なるほど。 3人の意見が違いそうで面白い。 ちなみに今回でも見てみてどうでした。 ごっほってことは一応前提にはあったけど、 多分そこでそんなに私たちって見始めるとき下駄を履かずに見始めるような感じもするので、 フラットに入ってみて、ごっほの作品向き合ってみてみたいので。 僕は当日も語りましたけれども、やっぱりなんていうのかな、 本当にその筆の力強さというか、ちょっと見入られるような感覚があって、 ごっほの作品全てではないんですけれども、 やっぱりその中でも特徴的な自画像とかがありましたけど、 なんかやっぱりすげえなとは思いましたよね。 そして、あとやっぱりなんだろうな、しかもそれは写真で見てたらわからない。 実際写真で見たこともある絵でしたけれども、 本当に生で至近距離で見たときに、すごいゾゾゾっとしたっていうのがあって、 これはだからごっほじゃなくてもそう思ったのかな、よくわかんないんだけど、もはや。 なるほど、なるほど。ごっほじゃない人が同じ絵を描いてたとしたら、同じような感情になったのかどうか。 そう、そこがね、もはやわからないよね、なんか。 ただ、正確なタイトルは画家としての自画像っていうね、1887年の絵ですけれども、 この絵の前ではしばらく立ち尽くしましたね、やっぱり。 これ聞いてらっしゃる方にも共有したいんですけど、 私そのとき新木さんと結構近くで見てたんですけど、 急に新木さんの空気感がもう全然ガラッと変わって、 なんかグッと入り込んでらっしゃる感じなのと、 なんか多分メモみたいのちっちゃいの取り出して、ちょっとメモされてましたよね。 なんかすごい引き付けられてるというか、 そっち側に入っちゃってるみたいな、そんな雰囲気を感じてました、隣で。 これね、目がすごい特徴的な絵なんですよね。 当日もその話をしましたけど、やっぱり目の周りの肌とか、 瞳そのものもそうなんですけど、すごく特徴的な描き方をしていて、 言ってしまうとですね、目の周りにその、なんかね、 磁力というか、なんていうのかな、 磁場みたいな描き方をしてるじゃないですか、ぐるぐる。 線がね、すべの跡が、一色じゃなくていろんな色ですべ跡が、 顔にいっぱい線が入ってるんですけど、 目は筋肉の筋みたいな方向性に線が入ってるんですよね。 それを磁場と表現してくれたんですね。 磁場に吸い込まれるみたいな感じがあって、 これはね、やっぱね、今も僕手元に図録があるんですけど、 図録見てもなんとも思わないっていうのは語弊があるけど、 あんまり気づかないっていうか、なんて言うんだろうな、 あの瞬間の感覚はやっぱね、本当に絵だからなのかなっていう感じはしましたね。 うん、うん、ありましたね。 なんか、やっぱり図録との差で言うと、 かなりこの絵の具の透明感みたいなものも大違いじゃなかったですか。 背景が薄いグリーンみたいな感じだったのと、 あと着てる服がブルーのジャケットみたいなの着てるんですよね。 そうですね。 どっちも結構透明感があって、すごく顔はシリアスだったりとか、 気難しそうな顔にも見えるような、ちょっと不思議な表情なんですけど、 なんか結構私はピュアさみたいなものとか、 なんでしょうね、純粋さとか、その透明感みたいなのを結構あの絵から感じましたね。 うん、そうですね。 だから本当、絵そのものの力っていうのはやっぱりすごく感じたし、 迫力とかね、やっぱり図録見てても、 もしくは最近はネットとかでもいろいろ見れますけれども、 全然伝わり方違うなっていうのが今回の改めての発見だったんで、 そういう意味で良かったですね。 あー、面白いですね。 なんか荒木さん、絵そのものの、 5歩ってやっぱり絵の具を結構厚く塗るとか、 筆跡が結構はっきりわかるように絵の具で塗ったのが残るような描き方をするから、 あれを本当に見ててどんどん引き込まれる感じがありますよね。 あともう一つ加えていい? はいはいはい。 これも当日語ったことではあるんですけど、 美術館展覧会の絵って一枚置きでは当然なくてですね、 そこに至るまでのシナリオがあるわけですよね。 我々が巡る絵を一枚ずつ見ていくわけなんですけれども、 やっぱりこの画家としての自画像の置かれている場所っていうのが、 僕にとっては非常に絶妙な場所にあってですね。 要するに前半というか最初の方は、 ゴッホじゃない絵が結構並んでいるわけなんですよ。 いわゆる前菜ですよね。 前菜がめっちゃ長いわけですよね。 結構フルコースぐらい前菜がね。 前菜にパスタとかちょっとした肉とか入っているぐらいの感じがあって、 これで腹いっぱいにしたかねえなみたいな、 そういうあれがあって、 ようやくゴッホが来たと思ったら、 ゴッホの暗い時代というか、 まだ色彩感がちょっとね、 ダークな時代から入って、 ホランダ時代ですよね。 ゴッホっぽいといえばぽいんだけど、 なんか知ってるゴッホじゃねえぞみたいな、 なんかそういう部分がありのの、 このフランスに行って、 この色彩を得て、 画家としての自画像ドーン!みたいな感じで、 すごいだからそのストーリーも含めて、 直撃者って感じだったんですよ。 ちょうどなんか、 ゴッホはオランダ生まれなので、 オランダで初め絵を描き始めて、 農民の人たちの暮らしをね、 けっこう土っぽい色でずっと描いていて、 その時に印象派が最先端で、 画家たちがいっぱい集まっているパリに移ってきて、 そこでちょっと印象派風の、 どんどんどんどん色が明るくなっていくっていう中の、 ある到達地点みたいな、 そんな感じ続けて見えましたよね、あの絵は。 自画像を見てからちょっと振り返って、 オランダ時代のゴッホの絵を見たら本当にもう、 黒!みたいな。 そうなんだよね。 確かに確かに。面白いですね。 いや、新木さんが今言ってたのって、 ゴッホの、 ゴッホかどうかが多分そうじゃなくてもグッと来た、 みたいな話をされてたじゃないですか。 で、私は、私が選んだ作品って、 当日もお伝えしたみたいに、 オリーブ畑っていう、 ゴッホの人生の中では、 終わりの時代の作品なんですよね。 地面が畑の土があって、空があって、 間にオリーブの木が植わってるっていう、 結構シンプルな構図の作品なんですけど、 それが土のところもすごい筆のタッチが、 はっきり見えるような描き方で、 空もかなりタッチが細かくて、 ちょっと狂気的なというか、 そんなタッチがあって、 真ん中のオリーブが、 空に向かって手を伸ばすみたいな、 祈ってるみたいなね、 そんな風に見える木があって、 絵自体もめちゃくちゃ迫力があったので、 私は結構グッと来たんですよ、 新木さんみたいに。 おお、みたいな。 掴まれたんですけど、 さあ、ゴッホが、 有名な耳を切る事件の、 後に描いてるっていうことが、 なんとなく人生を知ってるので、 その耳を切った後の、 精神状態のゴッホが描いているっていうところに、 なんか自分の中でストーリーを、 なんか、 なんていうんだろう、 孵化して、 よりこの絵がすごいみたいな、 ちょっとこの精神状態ギリギリの中で、 こういうこと描いてるんだ、 いやちょっともうたまらないみたいな感じで、 ちょっと見ちゃってたなっていうのは、 新木さんの話を聞きながらですね、 企画して感じました、 自分の見方として。 ストーリーが乗っかっちゃって、 乗っかっちゃってるんですよね。 乗っかっちゃって、 より感動したというか。 まあね、 全然そういう見方があって、 いいと思うんだけれどもね。 なるほど。 そうですね。 舞さんは? 私はなんか、 迫力の話に戻ると、 なんか参加してくれてた方の中で、 迫力ありすぎて、 なんか気持ち悪くなるほどだとかって、 なんかいうセリフって、 なんかそう、 それも本当に生が持つ力だなっていうか、 エタログには全然その迫力はなくって、 なんか気持ち悪いっていう、 いい感情だけじゃないのも含めて、 なんか五歩の凄さだなっていうのを、 思いましたし、 個人的にはなんか色? 五歩の形とか、 なんか筆使いもそうなんですけど、 なんかの、 色の、 可愛さ? ちょっとモネとかぶって本当申し訳ないんですけど、 なんか五歩が使う水色とか黄緑色の、 なんか絶妙なパステルカラー具合って、 今、 なんか本当この令和の今の女子高生が見ても、 めっちゃ可愛い色っていうんじゃないかなっていう、 組み合わせ? 多分この人物画とかの顔とかは迫力があって、 なんか可愛いとは多分違うと思うんですけど、 彼が普段使う色の組み合わせとかバランスとかって、 なんか本当、 五歩が有名じゃなかったとしてパッて今見ても、 みんな、 あ、オシャレって思う色かなーって気がします。 しかもちょっとね、 繰り返しの強調になったんだけど、 その色彩感覚って、 やっぱり、 その、 図録だとね、 なんかやっぱ違うんだよね。 色が。 わかります。 当日もさ、 ネットとかで絵をシェアしたりもしたし、 実際撮った写真とかもシェアした。 ちょっとやっぱね、 その、 なんだろう、 変わっちゃうんですね。 出なかったですね。 全然出なかったですね。 色がちょっとくすんじゃうっていうか、 沈んじゃうというか、 なんかあの鮮やかな、 なんかこう、 透き通るような雰囲気がやっぱり全然出なくなっちゃいましたね。 ねー。 うーん。 面白い。 あとでも私今、 前が言った、 あの、 いい感情じゃないっていう話が結構面白いなと思って、 なんか私たちって、 やっぱ五歩が描いた絵からもう100年ぐらい経ってるじゃないですか。 だから、 なんか激しい表現とかにも結構見慣れてるじゃないですか。 どんどん激しい表現もあるし。 でも、 なんかそれでもあれがちょっと、 ちょっと気持ち悪かったりクラクラするとか、 なんか嫌な気持ちにさせられるみたいな不安になるとか、 なんかそれって当時の人からするともしかしたらもっとそれが感じられたというか、 今でもちょっとアバンギャルドすぎる表現とかって、 いやいやいやちょっともうちょっとそういうの受け止めきれませんみたいなあるじゃないですか。 うんうん。 なんか本当にそういう風に見えていて、 今の私たちが安全な立場から、 五歩の絵を見るのと、 当時の人たちがなんか結構近い距離で見るのとっていうところで、 もしかしたらすごく感情に訴えてくるものが違ったんじゃないのかなみたいなことも、 今のなんか前の話からもちょっと考えたりしました。 確かにね。 あんまりなんか、 こういう当時の人ってどこに飾るんだろうね。 こういう絵とかね。 五歩はやっぱり売れてないから、 五歩の絵は五歩の家に飾られてたんですよね。 自分の寝室にあのひまわりとかいっぱい飾ったりとかして。 カラスの飛ぶ麦畑なんてね、 あれちょっと家に置いたら。 家に置いたらね。 万年の有名な麦畑の上をちょっとスキツなカラスが真ん中辺に飛んでるっていう作品ですよね。 あとちょっとまた繰り返しになって申し訳ないんですけど、 この展覧会のキュレーターの方がどなたかちょっと存じ上げないんですけど、 やっぱりそのキュレーションの妙みたいなものはやっぱりすごいあるんだなっていうのは今回改めて学んだところでもあってですね。 ちょっとピンポイントで申し訳ないんですけど、 画家としての自画像ってね、さっきから何度も言ってるんですけれども、 その一枚前がですね、カワウソおじさんっていう。 いやいや、それ違いますよ。タイトルじゃないですよ。 聞いた人が間違えちゃうんでちょっとカワウソおじさん。 通称。 通称って言っても荒木さんしか言ってない。 荒木さんの通称です。 正式にはエティエンヌ・リュシアン・マルタンの肖像というですね。 ご本のお友達の肖像ですね。お友達とか通っていたカフェの店主という。 この大衆食堂の店主って、ちょっともうカワウソにしか見えないんだけど。 ヒゲが入っていてちょっと丸々した体型ですね。 ある種、暗黒時代からちょっとカラーが出てきて、その中でこのカワウソおじさんがブリッジになって、 どーんってご本の自画像が来るっていうですね。 並びをしているのが、僕にとってはたまらなかったですね。 たまらなかったところをもうちょっと聞いてもいいですか。 ちょっとなんかこう、このご本の自画像っぽいテクニックがところどころで見られるんですよね。 このカワウソおじさんの肌の描き方とかなんですけれども。 なんかね、ちょっとやっぱり、それほどインパクトがないんですよね。 そんなに筆感覚もそれほど大胆でもなく。 でもなんか、ん?ってなって、どーんってここに来るっていう。 ちょっとステップがあったからより見やすくなっているんですかね。 文脈が感じられるんですよね。 ちょっとこのブリッジがあるっていうのかな。 だからちょっとね、みんなもね、ここ行ったときね、ちょっとこう、 その音楽のサビとかあるじゃん。 サビがある前になんかそのBメロみたいな感じ。 AメロBメロサビなんだけど、Bメロがちょっとなんか、 あれになってサビだよねみたいな。 そういうなんか、このBメロのカワウソおじさんですね。 いいですね。ちょっとこれ聞いていった方が、 あ、これカワウソおじさんだねってどれくらいピンとくるかっていうのをちょっと知りたいですね。 絶対ピンとくると思う。会えましたね、カワウソおじさん。 多分みんな言うと思う、これ。 本当ですか。 と思いますけどね。 これもう一回行きたいな、なんか。 いいですね。 ちょっとね、週刊あんまり見れなかったっていうのもあるし。 これはいい展示だったな。 面白かったですよね。 ゴッホって今まで多分何回も何回もやられてるはずなのに、 さっき新木さんのキュレーターさんの、 これを機にキュレーターさんが連絡くださったら嬉しいですね。 新しいやり方でゴッホってまだ見せれるんだっていうか、 知らない物語ができてて、 後の話、ゴッホ後の話が、 サビ、Aメロ、Bメロ、前奏、サビ。 そうね、前奏があったね。 Aメロ、Bメロ、サビの後に最後の前奏じゃない方。 もう結構独特なオリジナリティがある構成だったのかなって。 確かに。エリック・クラブトンのレイラみたいな感じですかね。 レイラ最後がめちゃくちゃ長いんですよ。 全然違う感じになって。 伝わるかなって思って。 伝わらなかったけど、レイラ知ってるけどそうだったっけなみたいな。 でもいいんじゃないですか。 今日はここまでですけれども、 明日またいろいろ語りきれない話がたくさんありますので、 明日にも引き続きゴッホ展の話をしたいと思います。 ということでアートカフェ静香さん、まえさんでした。ありがとうございました。 ありがとうございました。 # 今日の一曲/久保田早紀「異邦人」 はいそれでは今日の1曲をお届けしたいと思います。 今日はですね久保田崎の違法人という曲ですね はいなぜか。まぁちょっとね懐かしの歌謡曲シリーズみたいな感じですけれども こちら1979年ですね はい えっと多分ですね聞いたことあるんじゃないかな知らない人もね だいぶ古い曲なんですけどちゃららららーちゃーちゃーちゃらららっちゃっちゃっちゃっちゃーってやつですね 子供たちがーってやつ 空に向かい もういいか えっとこれねー ちょっとびっくりしたんですけど すごいこうオリエンタルというか異国情緒あふれた楽曲じゃないですか 誰作ったんだろうなぁと思ったら 作詞作曲久保田崎なんですって すごくないですかしかもデビュー曲なんですよ やばいですよね いやこんな曲ってもう後にも先にも日本の歌謡曲市場で こんなエキゾチックな でもなんか日本人に馴染めるような 曲を作るって ないじゃないですか 全然この1970年代の日本の歌謡曲感がない そんな作品をいきなり突如として作ってしまい大ヒット なんですけど まあこれがいきなりヒットしちゃったから まあその後続かなかったってことなんですよね できすぎたデビュー曲で ある種こう神秘的な シルクロード的なマーケティングで強く打ち出しちゃったので それが故にですねその後まあこの曲そのものはあんまりその彼女のスタイルではなかった っぽいんですけど えっ ねぇ なんか まあそれが故にミスマッチを起こして そしてテレビ中心のバラエティ的な露出にも馴染まず 結局彼は彼女は あの 全然違う方向に 変化していくと いうことではい まあねえ違法人っていう 私はストレンジャーであるっていうことですからね まさにちょっとストレンジャー的な ヒットで すごいですよねいっぱいこの前なんかたまたまテレビでランキングやってて ちょっと目の端っこでチラッと見てたんですけどこの曲が何かのね 昭和時代の 歌かなんかのナンバーワンになってた 違法人がびっくりみたいなそんな感じだったんですけど まあでもそれぐらいインパクトのあった曲ですよね という曲でも知らない人いたら聴いてみてください懐かしい人も多いと思います 今日はですねあの久保佐々木の違法人お届けしました # 頂いたコメントへのお返し コメント返しは、効率の追及がバイアスの恩賞になるという配介でしたけど、高育さんです。 私が支援するクライアント先では、プロジェクトの管理プロセスや各プロセスに必要な資料の種類やフォーマットが高度に型化されています。 これにより効率化もそうですが、若手が対応しても一定の品質が担保されるようになっていて素晴らしいなと思っていました。 一方で、あるフォーマットの内容について特定項目の必要性を支援先に聞いた際、フォーマットになっているからと答えられチェックしたことがあります。 こう考えると、バイアスを壊す非効率を取り込むことは一定の鍛錬なのだと思いました。 そうなんだよね。人間怠けちゃうからさ、どんどんバイアスに凝り固まっていっちゃうっていうことでもありますよね。 めんどくさい話を入れていくってことです。 松下さん、バイアスの話大好きです。ありがとうございます。ということで、バイアスの話大好き。どういうことなんだろう。 はい、ありがとうございます。 北村直文さん、会議の議事録を整理して参加者に共有する役をなるべく勝手に出るようにしています。 めんどくさいのですが、これをすることで見落としに気づいたり、他人の意図が理解できたりと自分の学びになると感じます。 何でも楽に効率化することで見失っているものがたくさんあるのでしょう。 短期の非効率が長期の効率につながる。これは響きました。 めんどくささの中にちょっとしたやりがいを見出せれば占めたもの。 面倒からバイアスに気づけることはありますし、めんどくささを大切にするマインドを持ち続けていたいですね。 ということで、本当に見失っているものがたくさんあるんだと思います。 本当に、いちいち考えるっていうことが大事なんだよね。やっぱり。 イケリオさん、資料を使い回しせずにその場に応じた資料にアップデートしていくこと。めっちゃ重要なんですが、作り変えるには結構パワーが要りますよね。 過去にその資料で成功した経験がある場合は特に。 非効率さを保つために自分なりに考えた答えは本気で体調管理に努めること。 どうしても疲れていたり、体のどこかの痛みがあると効率的にさらっと仕事を流したくなります。 元気があれば何でもできる、ではないですが、体調の良さをキープすることが意外に本質的な解決策かもしれません。 これはもう本当真を食ってますよ。本当に体調が全てだと言っても過言ではないと思う。本当大事。 かつけいさん、効率を追求しすぎて失敗した経験として、市販機計画の資料を早期しました。 とりあえず前回の構成を当初で、と考えて数字だけ入れ替えた資料で説明したところ、 その間に事業部の方針や上司の着眼点が変わっていて全く響かない内容で作り直したことがあります。 面倒だと思ってもたった3ヶ月しか経ってなくてもちゃんと見直してアップデートしなければ、と今回のお話でリマインドになりました。 本当そうですよね。 でも響かないという反応に気づけるっていうのが大事だと思います。 砂野本さん、本題と離れたところで気になったのですが、この放送の中でマスターがあえて儀式家と言われているのはどういう意図があるのだろうと聞いていました。 普通に考えると習慣家という言葉になりそうなのですが、あえて儀式家という言葉を使うところにやること自体に目的を置くという意味合いがあるのでしょうか。 以前にリチュアルという本を読んで儀式について考えていたせいもあり、私の考え過ぎなのかもしれませんが、もし使い分けた意図があればご教示くださいということなんですけど。 習慣家よりも儀式家の方がよりルーティン度合いが高いというかですね。 思考停止でも導入するみたいなそんな感覚がありますよね。 思考停止で思考を投入するという矛盾なのですが。 特段深い意味はないのですが、やらないとやばいという感覚の意味合いがあると思います。 アキランさん、本日社内会議で発言したこと、この新規案件は全体最適で考えると事務所でやらない方がいいと思う。これは新たな挑戦行為を捨てる発言だったのか。 生産性を隠れむいのにしてある意味怠けたりしていないのか。今日いただいた問いは最近私に突き刺さりました。 ちょっとねどういう文脈かわかりませんけれども、突き刺さったのであれば何よりです。 町田勝人さん、今日の独り言、自分が持つバイアスはもはや自分では認識できないぐらいのものだったりする。 毎日のルーティンの中にも自分では気づかないくらい凝り固まったものがあるのだろう。 認識の外にあるものを適度に取り入れていき、認識の外に自らを引っ張り出すことが大切なのかもしれないなと。 おっしゃる通りですね。認識の外に自らを引っ張り出す。 まあメタ視点って言いますけどね。すごい難しいですよねこれはね。本当に。 はい、ということでコメント返し以上になります。いつも皆さんありがとうございます。 # 終わりのあいさつ はいということで今日はですねアートカフェお届けしました。 またねあのリアルアートカフェやる予定なのでぜひぜひ皆さん あのウォッチしていただければというふうに思います。 案内はですね普通はフェイスブックグループでやっておりますのでね ちょっとねこのチャンネルのチャット機能というのがあるんでそこに入れたんですけど誰も反応が なく多分誰も見てねえんじゃねえかと思っておりましてねちょっとこのチャット機能 活用したいんだけどなぁ はいということで今日はここまでになりますそれではまたごきげんよう もっと見る #アート #ゴッホ 荒木博行のbook cafeプレミアム放送配信中!00:341.お品書き00:412.初めのあいさつ25:313.キュレーターの力がすごかったhttps://www.otona-art.jp/intensive/03:304.今日の一曲/久保田早紀「異邦人」05:165.頂いたコメントへのお返し00:356.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう かおる2025年11月15日聞き専、見る専人生で初コメです(最後かも)。思い立ってカワウソおじさんに会いに行ってきました。過去色んな所でゴッホの絵を見てきましたが、家族にフォーカスした視点を与えられたことで、新しいゴッホを見た気がします。作品を見るだけでなく、作者の家族に迫るとまた見え方や角度が変わるという体感が面白かったです。物事は全て見たいように見るし、感じたいように感じるから、敢えての見方や感じ方を受け取って没入することって大事ですね。リアルアートカフェ、いつか参加してみたいです!1返信 町田和敏2025年11月15日今日の独り言どんな偉人にも支えとなっている家族や友人がいる…偉人を取り巻く環境がその精神性に寄与している…人は1人では生きていけないのだから…当たり前だけどともすると忘れてしまう…そんな当たり前に目を向けていきたい…返信 かつけー2025年11月11日何となく画家と家族が結びつかないイメージがありましたが、ゴッホの創作活動や認知活動を家族が支えていた、という観点が面白いですね。絵の写真を見ても感じないパワーを実物を見ると強く感じる、というのはゴッホが絵に注いだ時間や気持ちが画板に込められているのかもと若干スピリチュアルなこともイメージしました。2返信 あきらん2025年11月10日ゴッホの精神性。人の何倍もの速さで成長し、若い肉体では支えきれず、溢れるエネルギーは絵画という手段で表現されていたとしたら…自画像が何となく老けた年齢で描かれているように見えるのは、彼の心の実年齢で描いていたから?残された家族は、義兄の作品に高い精神性から生まれる作風に価値を感じたのかなと、会場でそんな妄想。2返信 イケリョウ2025年11月10日絵を見ていないリスナーに対して、様々なメタファーや表現で伝えていただけるのがアートカフェの魅力ですね。コース料理の前菜やAメロ、Bメロ、サビという曲の構成に例えたり。特にBメロとしての「カワウソおじさん」って何?吉田戦車の漫画を思い浮かべ、爆笑しました。個人的には静香さんの「いとしのレイラ」のエンディングという例えが一番分かりやすかったです。それぞれの表現が合っているかどうか、ぜひ答え合わせに美術館へ行きたいです。2返信 もっと見る
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思い立ってカワウソおじさんに会いに行ってきました。
過去色んな所でゴッホの絵を見てきましたが、家族にフォーカスした視点を与えられたことで、新しいゴッホを見た気がします。作品を見るだけでなく、作者の家族に迫るとまた見え方や角度が変わるという体感が面白かったです。
物事は全て見たいように見るし、感じたいように感じるから、敢えての見方や感じ方を受け取って没入することって大事ですね。
リアルアートカフェ、いつか参加してみたいです!
どんな偉人にも
支えとなっている
家族や友人がいる…
偉人を取り巻く環境が
その精神性に寄与している…
人は1人では
生きていけないのだから…
当たり前だけど
ともすると
忘れてしまう…
そんな当たり前に
目を向けていきたい…
絵の写真を見ても感じないパワーを実物を見ると強く感じる、というのはゴッホが絵に注いだ時間や気持ちが画板に込められているのかもと若干スピリチュアルなこともイメージしました。
自画像が何となく老けた年齢で描かれているように見えるのは、彼の心の実年齢で描いていたから?
残された家族は、義兄の作品に高い精神性から生まれる作風に価値を感じたのかなと、会場でそんな妄想。
コース料理の前菜やAメロ、Bメロ、サビという曲の構成に例えたり。特にBメロとしての「カワウソおじさん」って何?吉田戦車の漫画を思い浮かべ、爆笑しました。個人的には静香さんの「いとしのレイラ」のエンディングという例えが一番分かりやすかったです。
それぞれの表現が合っているかどうか、ぜひ答え合わせに美術館へ行きたいです。