TOPエンタメ映画・本荒木博行のbook cafe玉三郎の語る「風」とは何か?/『玉三郎の「風を得て」』真山仁さん対談235:56 2025年11月29日 4,072再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次玉三郎が語る「風」を通じた自己像型を超え「フー」を醸す舞台人の哲学観客を魅了する玉三郎のプロ意識とは精神的危機が生んだラフマニノフ不朽の名曲固定された自己を解き放つ物語の再構築AI文字起こし(β版) # お品書き あらきひろゆきのブックカフェ、11月29日版になります。 さて、今日もですね、昨日に引き続きまして、真山陣さんとの対談ですね。 タマサブローの風を得て、という作品ですね。 こちらの対談の2日目になります。 コメント返しは先週の近内ユタさんとの対談の2日目。 そして今日の1曲はですね、ラフマニノフのピアノ競争曲第2番をお届けしております。 ということで最後までお付き合いください。 # 初めのあいさつ はい改めまして皆さんおはようございます11月29日土曜日の朝になりました さああっという間になんか寒くなり11月も終わりを迎えつつあり そしてあっという間に12月ということで年のせ今年は私は全く年のせい感がないのは なぜかというと年末にすごい大きなイベントがあるからですね 花園というなのでなんかもうバタバタしていて なんか 年末モードみたいなそんな感じになるのがちょっとね 先になりそうな気がしております はいということで今日も頑張ってまいりましょうそれでは本編スタートです # 「風」と「流儀」の違い はい、それでは対談の2日目に入りたいと思います。 昨日に引き続きまして、真山神さんになります。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 はい、文芸春秋からですね、9月30日、 玉砂風呂の風を得てという作品が発売になりましたけれども、 非常に評判だという話も聞いております。 そうですね、おかげさまで。最近小説よりはるかによく増えていますね。 本当それは玉砂風呂さんのおかげだと思いますけど、 割と感想をいろんな方から寄せていただけるんですけど、 やっぱり前半の玉砂風呂さんのおいたちに驚く方もいらっしゃいますし、 後半に漢字一文字を玉砂風呂さんに与えて、 それで彼が思うことをずっと語りながら、それをひもと見ていくみたいな、 禅問答みたいなものが全体の3分の2ぐらいあるんですけど、 その両方を読んでいて、やっぱりこれって日本の文明論じゃないのとか、 いろいろおっしゃってくださる人がいて、正直ですね、 書いていた時にそうなればいいなって思っていた以上の、 深い読み方をされている方が大勢いらっしゃったっていうのは、 やっぱり書き手にとって一番嬉しいのは、 そういう風に深く読んでくださるんだっていうのは、 小説でも何でもそうですけど、大変嬉しいものなので、 そういう意味で久しぶりにそういう嬉しい感想をたくさんいただいている感じがします。 その中で、今回のタイトルにもなりました風、風邪ですよね。 風を得てというタイトルにもなっておりますけれども、 こちら、タイトルの見つけられた意味であった、 これは風死花伝の中で風を得てという教えがあるというところが文中にもありましたけれども、 これをタイトルにした意味であるとか、 ここの風ですよね、風ということを、 玉砂風呂さんの生き方みたいなところもぜひ聞いてみたいと思うんですけれども。 なるほど、難しい問いですね。 ちょうど玉砂風呂さんに最初、結局この本は電気ではないんですけど、 いずれ電気を書く気はないかって言われた時に、 ロングインタビューを3、4日長時間やった中で、 ちょうど2015年、10年くらい前ですね。 その時に彼が非常に風死花伝にハマっていたとか言っていらっしゃって、 そういう心の持ちようみたいなことに、 どうすればそこに行くかなみたいなことを考えていらっしゃった。 年齢的にも決して若い世代ではないので、 それで私も解説期の花伝書を読みながらいたり、 そこで何を吸収されているのかよくわからなかったので、 いろいろ聞いてみたんですけど、 本人も言葉としてなかなか言わないけど、 言っていることがよくわかるみたいなことを言う中で、 花伝書の中にも増えていて、すごく有名なフレーズなので、 玉山郎さんは確かに風みたいな人だなと。 しかも風になびく側ではなく、風を吹かせる側の人であり、 収束がないっていうところも、 結局風のように通り過ぎていくんですけど、 あの風って何だろうって、そういうふうに思うみたいなこと。 そういうのが彼の魅力なのかなっていうのがあって、 このタイトルを付けたんです。 本人にあまり説明なく、こういうタイトルにしたいって、 いいタイトルねって言われました。 実際その風という漢字一文字を、 そのご本人にも答えてもらって、 単行本にする時にも投稿してもらったんですけど、 風っていう言葉のやり取りが本人と一番良い、 二人の対談みたいなことができたっていうのを言われたっていう意味では、 玉山郎さん自身が風のような人なのかなと。 彼はそこの風っていう中では、風の話よりも、 もうちょっと流儀と風の二つをおっしゃったと思うんですけど、 そこは彼の生き方の真髄なのかなって気がしますね。 いやこれも僕もすごいめちゃめちゃ深いなと、 勝手に色々な解釈をした部分でもあるんですけど、 例えばね、真山風とかね、なんとか風みたいな、 そういう風に言われる風の話だと思うんですけど、 風は個性とか気質などに置き換えられるかもしれません。 いえ、もっと柔らかで掴みどころのないものだと私は理解しています。 他者からイメージされる風を自覚するのは難しいことでもありますが、 その人の生き様にとってはとても重要なのです、 という下りがここに書かれておりますけれども。 これ本当に結構、先ほど執着みたいなキーワードもありますけれども、 結構大事なコンセプトだなと僕自身も思っていてですね。 最近の世の中とか、最近の世の中に限らずですけど、 自分らしさみたいなことをすごく定義しようとする人が多くて、 それを定義したから逆にそこに執着して苦しむ人っていうのが、 なんか結構いるような気がするんです。 だから本当は、いわゆる風のようなものなのに、 風を定義しようとするとやっぱり苦しむわけですよね。 だって形がないものを無理やり固定化させるっていうことに、 そこになんか苦しみが生まれるっていうような状況だと僕は思うんです。 だから風ってすごくいいメタファーだと思っていてですね。 だから風ってどこからどこまでが風ですかとか、 風の形を定義するっていうのは本来無理なことですよね。 だからこのキーワードってすごく大事だなと。 ある種風っていうのは風のようなものだっていう風に捉えた瞬間、 ちょっと力が抜けるし、 自分らしさっていうのはその瞬間瞬間に湧き出てくる風のようなものだと思えば、 いいんだなっていう風に改めて思った部分でもあったんです。 多分今の荒木さんのことと全く同感なんですよ。 よく言うアイデンティティ探し、自分探しが多分いまだに流行り続けてると思うんですけど、 実は自分って自分には一番見えないもので、 他人のことは批判できても自分のことを自分批判できる人ってほとんどいない。 自分は見せたい自分がおそらく流儀と呼ばれてたりとか、 さっきおっしゃった私ってこういう人じゃないですかって、 まず相手に自分を押し付ける人、今すごい多いんですけど、 聞いてそういう風に見えないんだけどって人が多い。 だから見てほしい自分と隠したい自分っていう間が多分本当の姿で、 それが多分風なんですよね。 よく料理とかでなんとか風って言いますけど、あれも多分風ではなく流儀で、 お母さんの味噌汁の味こそが風で、 そこが料理、レシピをガンガン説明し始めた段階で風じゃないみたいな、 この微妙さが多分日本人の心の原点な感じがするんですよ。 そこを言語化できるってすごいと思いません? だからそんな話が出てくると思わず言ったんですよ。 風のような人だなと思ったから出したんですけど、 なんて読むのってまず言われて、風でもいいんでしょって言うんですけど、 風を得てってタイトルだし、風だとどうですかって言ったら、 ちょっと待ってって言われて言い出したのが流儀と風っていう詩が出てきて、 僕すごいそこ行くかって思ったのは、あの時のやっぱりやり取りが一番面白かったですし、 ここにやっぱり玉桜ならではの自己分析力と、 自分をどこまで見つめてきた人なんだろうかっていうのが非常によく分かりつつ、 これこそ私たちが妙にどっかに自分を探しに行ったり、 青い鳥探すことではない大事なことですよっていうのがあるのかなって思いました。 そうですね、ちょっと玉桜さんの言葉が深すぎるので簡単に理解したというのもちょっとあれなんですけど、 例えば真山さんの世界とかでも記者にね、若手記者にいろんなことを教えられて、 その塾にも私同席もさせていただいてますけど、ある種流儀みたいなね、ここで言ってる流儀みたいな、 言語化できて伝承可能な部分っていうのもやっぱりありますよね。 それは体に叩き込むことは大事なんだけれども、 それは入り口の入り口であって、本当のライターとしてはそこから先に言語化できない何かがあって、 だからレシピみたいなものは渡すことはできるんだけど、 じゃあそれで味が再現できるかっていうとそんなことではないという、 そこの部分がすごく大事な話なんですよね、ここね、たぶんね。 だからレシピっていうのは、例えば取材したり、ビジネスマンだとスペックとかマニュアルとかって言葉を控えられるんだと思うんですけど、 でもやっぱり我々物書家は業間をどう醸し出せるかっていうのが一番重要で、 業間を醸し出すにはスペックの数が少ない方がいいんですよね。 つまり相手の想像力を換気させられるか、たぶんそれが夫婦だと思うんですよね。 タモサブロンの普段身を置いている場所で例を挙げると、 歌舞伎って型の世界だって言われますよね。 歌舞伎の演技っていうのはそれぞれの役の型があって、その型を覚えることによって演技が役になりきれる。 だからあんまり稽古しなくても型をたくさん覚えることによって、 その舞台でちゃんとその役が務められるって言われる。 だから型はまず覚えなさいっていうのが若手の最初の稽古の一番大事なところなんですが、 タモサブロンよく言うのは型ができても役にはなれないって言うんですよ。 器であって、器の中に思いや魂を入れないと本当の舞台で生きているわけじゃない。 やっぱり今すごく若手が注目されているのもあるのもあるんですけど、 若手にすごく望むのは型ができて初めてこれから本物の演技をするっていう思いを考えると、 どういう思いを、どういう魂を込めるかっていう。 本当にもっと熱心になってほしいっていうのは、本人もオープンに言ってますけど、 私は頻繁に言っている、まさにそれがフーを醸し出すものなのかなと。 だからそれは本人がよく分かっているんで、フーの大事さとか。 普通の人からすると、語らない、佇まいみたいなもんですよね。 それが多分人間性に出てくるんだろうなと。 いくら取り繕っても優しいように見えるけど信用できない優しい人と、 言葉数は少ないんだけど、非常にその人の人間性が出てくる優しさっていう、 何かがあるっていうところを多分、濱澤郎がフーだと言ってるんだろうなっていうのは、 多分多くの人にとっても、すごい生きる時の苦しさがそこでなくなると思うんですよね。 パクあるべしっていう必要がなくて、それぞれの人には自分の肉体という器があって、 特技や不得意なものがあるんだけども、 それを踏まえて生きているあなたが、自分のことを美しに大事にすることによって、 あなたの中から醸されるものこそが、あなたにとって個性なんじゃないの? っていうことを多分言ってるんだろうなと。 それは全く私も同感です。 多分荒木さんが感じたのも、そういうところなんじゃないんですよね。 うーん、まさにそうだと思います。 だから、人間って成長の過程で誰かに憧れるみたいなフェーズってあるじゃないですか。 これってすごく大事だと思うんですけど、一方で憧れる人には絶対になれないという現実もありますよね。 だから、憧れるっていうのは、ある種自分のそういう風に型というか器を形成する過程なんだけど、 その中身を入れるのはやっぱり自分自身でしかなくて、 そこにある種開き直り、この人にはなれないんだと思ったら、 じゃあ自分がどうそこに思いを注ぐかみたいな、そういう開き直りみたいなものが出てきて、 この往復で人間って成長するんじゃないかななんて僕は思っていて、今の話を聞いてました。 まさにその通りだと思いますね。 だから、やっぱり芸術とか全てのジャンルにおいてそうですけど、憧れを持っている人ってすごく伸びると思うんですね。 やっぱり真似しようとするんで、問題はどこかでこの人と私は違うんだって分岐点を見つけなきゃいけなくって、 そこまではとにかくがむしゃらに背中を追いかければいいんですけど、 背中を追い続ける人は多分個性がなくなっていくんだと思うんですね。 ここで自分らしさ、私はきっとこうしないっていうのがあって、そこができるかできないかっていうのが一つやっぱり、 その人から殻を破るって言葉がありますけど、殻を破る重要なポイントで、 その入り口であることは確かに憧れではあるんですけど、 その憧れをどうやって自分が理解しながら越えていくのか、 その時はもしかしたら辛いものかもしれないんですけど、 そこから先は比べるものがないものを目指すっていうのが、多分本当に風を持っている人なんだと思いますけどね。 玉桜さんっていうのは、ある種完璧主義者みたいなイメージもあるんですけれども、 取材していて、ここはやっぱり完璧だなとか、逆に言うとそのギャップみたいなことを感じたとか、 その辺感じられたことはありますか? 基本的に、舞台の上で言い訳するようなことは絶対したくないんで、 体調万全、とにかく、例えば年齢によって枯れしていくみたいなこともありますけど、 そういうことを含めて、やっぱり本人はそんな焼きはしている気はないし、常にベストでやっぱりする。 例えば、舞台に入る前に準備であり、終わってから筋肉をほぐさないといけない、年齢とも筋肉をほぐさないといけないみたいな、 そういうフィジカルな部分はもう徹底的に追い込んでますし、 迷いのない人なんですよ、とにかく。 だから、その完璧主義って周りが何を言おうと、本人がここまではできて当然で、 それを超えることができるから舞台に立つみたいな感じですね。 だから、エネルギー充電120%ないと舞台には立たないっていうところが、 だから本人がもうこういうお役はやらないって言ってる理由は、 もう自分はこの役に、準備万端以上の準備ができるのがいろんな意味できつくなってきたから、 ちょっともうこの役は難しいと分析をしているようなところがあるので、 なので、ギリギリしているぐらい完璧主義ですよ。 本当にそれに関しては言い訳しませんね。 ただ、ただ、ただ、私には手を抜けとよく言います。 だから何でもかんでも、何でもかんでも100%でやったら潰れちゃうでしょって、本人は。 まあ、本当はオッドがはっきりしているので、こういうふうになって、 自分でリラックスするときは徹底的にリラックスするし、 好きなものって言っても外ではあまり出ないですから、 桜とかすごい好きなんで、例えば桜の花咲いているときは、 例えば歌舞伎座であるいは南座で行って、その舞台を務めた後に、 必ず少し遠回りをして、車の中から桜が見えるようなところとか、 何なら少し公園に行って桜を見るとか、そういうことは申しまないですね。 だからその辺の温豆腐みたいなことを、私はできていないとよく叱られます。 あなたは120%起きている間中、自分のしたいことしかしていないから、 一生懸命やるっていうのではなくて、 一生懸命やって、そんなの絶対どこかで電池切れるからやめなさいって、 すごいよく言われます。 それは僕はもう前山さん見てて思います。 本来はそういうことはない。 でもまあ多分、休まなきゃいけないっていう、 強い自分に対する自制は、それは多分サロンの影響ですね。 もう会うたびに言われます。もっと休め、もっと休めって。 働きすぎで、そんなに働いて、そんなに有名になりたいのかって、 怒られることがあるんです。 有名になりたいから働いてるわけじゃなくて、 出版事業もいろいろあって、 これくらいちゃんと頑張って働かないと、 回らないんですって言うと、本人は、 それはすればいいねって言いますけど、 それでも休めってすごい言われます。 早朝とかにメール送ったら、絶対何回かそれ続いていると、 何時間寝てるか宣告しなさいってやることがあります。 だから彼の場合は、ちゃんと寝てベストを尽くす。 あなたの場合は、ずっと起き続けて、 ずっとベストを尽くせるわけがないんだろうって言われます。 そこはそうかもしれないですね。 でも風刺花伝も、年齢による花の咲き方が違うみたいなことがあって、 特に置いてからの花っていうことの重要性とかも書かれておりますけれども、 玉砂風呂さんもそういう意味では、 ある種の肉体的な限界みたいな、 そういうところを感じてらっしゃる部分もあるのかもしれませんけど、 そこに対して、 聞いたんですけど、 税網は置いてからこそが一番美しい花だと言ってると。 だから家庭務省は酔ったんですよね。 それを全員否定されました。 そんなもん、花でもなんでもないって言うんですよ。 置いたら消えるのみっていうのが本人の哲学ですね。 でも置いは感じてますよ。 置いは感じてるんですけど、 いわゆるそこは税網と違うみたいな。 たっかんしないんですかって言ったら、 たっかんしても花ではないって言ってますね。 それは花と呼ばない。 そこはもしかするともう10年生きたら変わるのかもしれませんけど、 私が一番知りたかったのはやっぱり、 その多くの人にとって、 追えることってつらいことだけではなく、 追えることが一番のことだったら、 そこはなかなかうんって言いませんね。 ちょっと切れちゃったんですけど、 何に対してうんって言わないんですか? 何回繰り返してもですね、 本当は置いてこそ見えてくるたっかんこそが一番美しい花だって、 精神的な状態には普通に聞きますよねって言うんですけど、 本人はそこは花と呼ばないって言い続けてしまう。 多分何人か聞きますから、 いつかうんって言わせようと思ってますけど、 やっぱり本人からすると、 ベストを出会うってちゃんと、 やっぱり楽しむまで一つすごいところがあって、 観客がどう感じてるかってすごい気にするんですよ。 舞台っていうのは観客が、 世間の草を晴らし、 時間を忘れてもらうためにあるんだと。 それができなくなったら、役者としては終わりだとはっきり言うんです。 なるほど。 だから多分彼にとっての花っていうのは、 お客様が時間を忘れるための花であって、 自己満足のたっかんとかそういうもんじゃないんだと思います。 なるほど。 だからそういうのは言い訳になっちゃうってことなんですね。 そうです。 それは自分の花なんて思って、 客がこんな浮浜桜見たくないよっていうのを、 そんなとこまで集大を晒してやりたくないっていう風に思ってるんだと思います。 なるほど。 だからもう一枚浮浜桜です。 やっぱりね、そこはすごい大事だなと。 自己満で演劇なんて最悪だってずっと言ってますからね。 舞台を見てもらうためにやるものであって、 自分がこうでしょっていう演劇論をいくら振りかざしても、 見てる人がつまらないよね、心に響かないよねっていう演技は、 それはもう素晴らしくはなんともないって言ってます。 なるほど、そういうことか。 多分それは私が彼のバロメーターだと思います。 だから私は理屈で見ないんで、 心に響きましたみたいなことを、 やっぱりちゃんと言葉を持って説明してる間は、 大丈夫って思ってるんじゃないですかね。 なるほどね。 だから、75歳の人間国宝の玉砂風呂が、 やるっていう風に見られるっていうことは、 彼にとっては侵害なのかもしれないですよね。 侵害です。 国宝って呼ばれる言葉すごい嫌がってるんですから。 そうなんだ。 そんなもんで舞台に出てるわけじゃない。 そうなんですね。 そういう意味でも怪物ですよ、やっぱり。 価値観が全然違いますね、やっぱりね。 こんな贅沢して生きてるのに、 生きづらいとか言い切れますからね。 ずっと生きづらいって言い過ぎてますからね。 でも自ら命を断つっていうのはあり得ない。 そういうものは生きるものとしてダメだと。 さすがにそうしたらと思いますよ。 なるほど。 いや、ちょっと玉砂風呂さんの断片を、 ちょっと穴から覗き見た気がしました。 ということなんですけれども、 そんなことが書かれた、 玉砂風呂の風を得てなんですけれども、 最後にどうですかね、 どういう人に読んでもらうと良さそうですかね。 一つはこれだけ映画の国宝で多くの人が 歌舞伎に興味を持たれたのであれば、 やっぱり本当に歌舞伎の中でずっと一線を張ってる方の 思いみたいなことを知りたいと思われたら ぜひ手に取ってほしいですし、 実はこれは今の日本ってどうなんだろうとか、 なんか生きづらいなって思ってるそういう人たちに、 なんとなくここの本の中でやり取りされていることの中に、 なんかもっと自分の中で自分を信じてあげて、 肩の力を抜いて生きるって言って、 こういうことなのかっていうのが、 分かっていただけるヒントがたくさんあるんじゃないかなと。 だから、歌舞伎は興味ないからっていう人にこそ 読んでほしいなと思います。 はい、その通りだと思います。 僕も歌舞伎見たことないんで。 国宝は見ましたけど歌舞伎は見たことないんで、 まさにと思いました。 ありがとうございます。 ということで、またでも前山さんの新刊も続くという噂を聞いておりますが、 またね。 12月に今度は野戸半島自身の小説を、 ここにいるよという小説を、 こちら東京新聞で連載していた作品が12月11日に出るんですが、 またぜひその時は荒木さんにもお付き合いいただいて、 その本の話もさせてください。 ぜひぜひ。 ということで、 2日に渡り、 玉砂風呂の風を得てですね、 書かれました前山神さんにお越しいただきましてありがとうございました。 ありがとうございました。 # 今日の一曲/ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」 それでは今日はですねラフマニノフのピアノ競奏曲第2番という曲についてお届けしたいと思います。 セルゲイラフマニノフですけれども1873年から1943年を生きたですねロシアの そして20世紀最高のピアニストの一人という風に言われております。 このですねピアノ競奏曲第2番ひょっとしたら皆さんは聞いたことがあるかもしれません。実はですね ポップスでよくカバーされているんです。有名なのはエリックカルメンというアーティストがオールバイマイセルフ オールバイマイセルフってやつですね。これはですね後にセリーヌディオンもカバーしております。 というねあのポップシンガーによってカバーされているんですけれどもカバーというかですねこの Aメロの部分がですね ピアノ競奏曲第2番の第2楽章のメロディーなんですよね でえっとなので すごいまあそこにも採用されるぐらいのキャッチーなメロディーがあるんですけれども このですねラフマニノフがこの曲を作る時がですねものすごい精神的な崩壊 まあいわゆる重度の鬱状態だったんですよね で曲が書けなくなっちゃうんですよ ところが彼はですねニコライダーリ博士という精神会の人に会って暗示をかけられ あなたは 競奏曲を書くとその曲は素晴らしい出来栄えになるという暗示をかけられてですねその治療が 高層しある種こうダムが溢れるようにですね 音場知ったわけですよね でそれで書かれたのがピアノ競奏曲第2番という この名曲になるんです これね全第3楽章になりますけれども まあすべていいんですまあ第2楽章がねオールバイマイセルフの原曲になっているんで有名 なんですけれども 第1楽章から第3楽章まで通して聞くとですねまた この音曲の重厚さがわかるんじゃないかなというふうに思います はいということでちょっとねオールバイマイセルフも合わせて聞いていただけるとはこんな アレンジしたのかみたいなこともわかるし聞いたことあるんじゃないかな多分ね はいということで今日はですねラフマニノフの ピアノ競奏曲第2番お届けしました # 頂いたコメントへのお返し はい、コメント返しは近渕優太さんの対談の2日目になります。 池涼さん、物体は個体ではなく液体であると考えた方が良さそうだなと思いました。 自分のアイデンティティはこうだ、こういうキャリアを積んできたからという仕事は向いている、向いていないとかと気に付けてしまうところがあります。 ひどくなると呪いにかかっているような人もたまに見受けられます。 自分の信じる物語を一旦液体に溶かしてみて、新たな形に再構築してみるような柔軟な物語の取り扱いを模索したいと思います。 もしかしたら蒸発させて機体にした方が良いような物語もあるかもしれないですが、と。 いいメタファーですね、本当に。そうなんだと思います。いろんな形で柔軟に捉えたいですよね、過去をね。 高育さん、この令和にも学歴や年齢を聞いてくるクライアントがいます。私は全く下せないのですが、うちの誰と同じかなどと続く発言を考えると、自分の持つ物語に当てはめて写真に撮られ、私は殺されたのだなと思いました。 近内さんのどういう幼少期があってどういう器に焼き上がったのかというパワーワードは持ち帰らせていただきます。 確かにありますね、そういうの。ああ、あいつと同じ、みたいな。いやいや、同じじゃないって、みたいな。 ねえ、なんかそういうのあるよね。確かに面白い。 北村直文さん、私も私の周囲も決めつけで断定するような話ぶりをすることが多々あります。 今日の近内さんの言葉を借りるならホルマリン漬けにしている状態ですね。下せない感情はそれを感じるともやもやしますが、それこそが大事なのですね。 下せない気持ちの方が当たり前、分かったと断じることこそが思考停止なのでしょう。 何かを断定する前にちょっと待てよと問いを投げかける姿勢、下せない何かを探る姿勢、忘れないようにしたいです。 そうすることにより問いも深まりそうですね、ということで。そうですよね。 自分自身もやってるっていう自覚は大事かもしれないですね、本当に。 こういうことを僕らは避けようと思ってもやってしまうということなんだよね。 アキランさん、例えば適切か分かりませんが、ニュース上の凶悪犯罪者、犯行に至った経緯、そのナラティブを知りたくなることがあります。 動機不明、不可解すぎる事件は、興味ではなく得体の知れないものに対して、ストーリー理解では起き起こるもやもやを封じ込めたいからかもしれません。 しかしその奥は全く予想不可能な点の結びつき、とんでもないナラティブに心が張り裂けそうです。 まあこれはあの神の違法人の話だよね。太陽が眩しかったからピストルで人を殺しましたみたいな。意味不明みたいな。 まあね、そうなってしまうんだよね。 まみりんごさん、今日の一曲の曲名を冒頭で聞いてテンションが上がりまくりました。 懐かしすぎます。早速アマゾンミュージックで聴こうとしたら、アレクサに上手く伝わらずにかけてくれなかったので、YouTubeで聴き保存しました。 20年ぶりぐらいに聴いたかも。 イントロが流れてきた途端に、そうそう、この軽やかで爽やかなメロディーと懐かしく思い、一気に時が戻りました。 良い曲を思い出させてくれてありがとうございます。 これなんだろう。 ストーンローゼスかな。 This is the oneかな。 ちょっと覚えてないですけど、そうかな。 かつけいさん、会社でもプライベートでも家族に対してさえも下せないと思うことが多々あるので、バリバリの参加対象者だなと思いました。 ブックカフェの中でも最近物語の口座についてテーマになっているので、どちらかというと罪の方に意識が向いていましたが、近内さんのように改めて口の部分も大事にしていきたいですね。 職場やチームでそれぞれがどんな物語を生きてきたかをしっかり語り合う自己紹介の機会があれば、仕事がしやすくなるのかも。 本当にそうだよね。 罪の部分は最近よく語られるよね。 口と罪を行き来すればいいんだけど、どちらかに偏りがちだったりもします。 すならもとさん、以前仏教思想として自禁品を学んでできるだけ意識するようにしていると、下せないという感情を抱いた時に、でもこの人の幸せを願おう、この人にも何か理由があるのかもしれないと思うことができることがあります。 なかなか常々同じようには思えないのですが、相手の物語を考えるためには相手に対する愛だとか思いやりの気持ちを持つことが必要なんだなと感じます。 最近忘れがちだったので思い出させていただきありがとうございました。 まあでもそうだよね。 何かを、キーワードがあるとそこに立ち戻れたりするよね。 大事なことだと思います。 町田勝利さん、今日の独り言、あの人はこんな物語を持っているから、そう思うことでどこか安心する自分がいる。固定化することで心のざわつきは安定し、それはやがて安心に変わる。 そんなもんだと思いつつ、一度固定したものをもう一度解きほぐしてみるのも必要なことなんだろうな。 自分の中に固定化されたものを見つめ直すことで、消せないという感覚を見つけることができるのか、ちょっとやってみるかということで。 うん、そうですね。固定化したものを解きほぐす重要性。 はい、感じ取っていただけたようで何よりです。 はい、ということでコメント返し以上になります。いつも皆さんありがとうございます。 # 終わりのあいさつ はい、ということで、玉砂風呂の風を得て、前山さんとの対談でした。 まあ映画国宝を見てね、あの歌舞伎に興味を持たれた方も多いと思いますけれども ちょっとねその裏側がわかる そんな興味の持ち方でもいいのかなというふうに思っております。 はい、ということでぜひ楽しんで読んでいただければと思います。 今日はここまで。それではまた。ごきげんよう。 もっと見る #真山仁 #国宝 #坂東玉三郎 #玉三郎 荒木博行のbook cafeプレミアム放送配信中!00:291.お品書き00:422.初めのあいさつ25:353.「風」と「流儀」の違い02:524.今日の一曲/ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」05:495.頂いたコメントへのお返し00:306.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう かつけー2025年12月3日自分らしさや流儀のような固定された自己を追い求めず、風のように流動的な存在であることを受け入れたときに、しなやかな強さが滲み出てくるのかなと感じました。芸や生き方に対する強いこだわりをもつ玉三郎さんと、その玉三郎さんからもっと休めと言われるほどの仕事への情熱がほとばしる真山さんの固い絆を垣間見た対談でした。歌舞伎は学生時代に徹夜明けで友人に誘われ見に行って以来触れていませんが、「風を得て」と合わせてもっと知りたいと思いました。返信 町田和敏2025年12月3日今日の独り言私にも風というものがあるのだろうか…弱い私は私自身を型にはめ込もうとしてしまう…ときにそれで苦しくなることもあったなぁ…返信 すなのもと2025年12月1日流儀というと、型を大事にした固定的なものをイメージしますが、そうではない「風」という概念は、あまり意識していなかったですね。何となく出てくる自分らしさのようなものでしょうし、また、それは固定化されたものではなく、時や環境によっても変化していくと考えると、堅苦しくなくて良いですね。ガンダムの話の際の自分の取扱説明書のようなイメージとも重なるかもしれません。きちんとジャーナリングしていくことで、私風なところを見つけていきたいです。1返信 y-araki2025年11月30日「風こそ人間の本質」掴めないこと自体に本質がある。有ることと無いことの間に、本当の存在が「在る」んだ!と思い震えました。型をしっかりと身につける事も大事ですが、それを超えて、次に魂を込めるフェーズに入っていく。玉三郎さんの生き方の美しさ、それを真山さんが言葉にしてくださって感謝感謝です!ぜひ読ませていただきたいです。1返信 あきらん2025年11月30日強い意志を持って主体的に自ら切り開いて生きていくという考えと、世の中の自然現象や外部環境の変化にさらされながら生きていく実態。その中間にある生き方として、「風」という概念は、二極の間に漂うことができる、いいころあいの生き方にしてくれそうです。やがてそれが、「自分ふう」と呼べる時がきたらいいですね。1返信 もっと見る
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芸や生き方に対する強いこだわりをもつ玉三郎さんと、その玉三郎さんからもっと休めと言われるほどの仕事への情熱がほとばしる真山さんの固い絆を垣間見た対談でした。
歌舞伎は学生時代に徹夜明けで友人に誘われ見に行って以来触れていませんが、「風を得て」と合わせてもっと知りたいと思いました。
私にも
風というものが
あるのだろうか…
弱い私は
私自身を
型にはめ込もうと
してしまう…
ときに
それで苦しくなることも
あったなぁ…
型をしっかりと身につける事も大事ですが、それを超えて、次に魂を込めるフェーズに入っていく。
玉三郎さんの生き方の美しさ、それを真山さんが言葉にしてくださって感謝感謝です!
ぜひ読ませていただきたいです。