TOPエンタメ映画・本荒木博行のbook cafe『愛するということ』エーリッヒ・フロム226:20 2020年7月4日 7,908再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次愛は能動的な行為!その本質フロムが語る「与える愛」の思想松岡誠吾が解く日本文化の核心「客神」思想と「面影」の美学ボケとツッコミ、学びの言語実践AI文字起こし(β版) # タイトルコール あらきるゆきのブックカフェ。 この番組は、ビジネス書図館、世界盗賛図館の出筆者であり、書籍予約サービスのフライヤーにてアドバイザーを務める、 あらきるゆきがマスターとなり、ビジネスパーソンにおすすめしたい書籍の内容を紹介していく、そんなカフェです。 # 初めのあいさつ 皆さんおはようございます。 7月4日土曜日の朝になりました。 本当はね、私グロービスでも教員をしておりますけれども、 今日からですね、本当はアスカ会議というカンファレンスが京都なのかなってあったはずなんですがね、 この大規模イベントがコロナの影響で中止になりまして、 その代わりオンラインでやろうということになったようで、 私もですね、その夜の場でお招きをいただいて話すというそんな機会がありますが、 ちょっとまだテーマそのものというか、 集まってきた皆さんで一緒に考えようかなと思ったんですけど、 本についていろいろね、語ってみたいなというふうに思います。 どんな形になるのか、今から楽しみにしておりますけれども。 さてさて、今日なんですけれども、 昨日に引き続きまして愛するということですね。 昨日ですね、このね、お話ししましたけど、 今日はその延長ということで、 おそらく今日で一旦終わりにしようかなと思っておりますが、 ということで2日にわたる愛するということ、ぜひ楽しんでいってください。 それでスタートです。 # 愛は動詞である! それでは、エイリヒフロム愛するということを2日目お届けしたいと思います。 昨日はですね、愛ということに対して強制的な結合というキーワードからね、成熟した愛というのは2人で一つになることであり、 そして一つになっているそれぞれがしっかりと全体性を保っている、そんなようなことをお届けしたと思います。 今日はですね、ちょっとそこからまたさらに一歩進んでいきたいと思うんですけれども、またね、大事なポイントをちょっと読み上げながら深めていきたいと思います。 愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。その中に落ちるものではなく、自ら踏み込むものである。 愛の能動的な性格をわかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではないということができる。 はい、ということなんですね。愛は与えることなのであるということなんです。 そして落ちるものではなく踏み込むこと、つまり受動ではなく能動であるということを言っているわけなんですね。 さあ、与えるというのは何を与えることなんでしょうか、ということなんですけれども、そこに対してフロムはこう答えます。 人は他人に物質ではなく何を与えるのだろうか。自分自身を、自分の一番大切なものを、自分の生命を与えるのだ。 これは別に他人のために自分の生命を犠牲にするという意味ではない。そうではなくて、自分の中に息づいているものを与えるということである。 自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分の中に息づいているもののあらゆる表現を与えるのだ。 こういうことを言っていますね。自分の中に息づいているものを与える。それが愛という行為なのであるということなんですね。 これ、ある意味での矛盾というか、ここで言っているフロムの話というのは、ちょっとした逆転の発想が入っているんですよ。 何かというと、自分の中に息づいているものを与えることが愛である。 いやいや、そうなんだけどさ、その人を愛しているからこそ与えるんでしょ?自分の中に息づいている何かを与えるんでしょ? だから、愛があるからこそ与えるんじゃないの?って思っちゃったりするんだけど、フロムが言っているのはそれを逆転しているんです。 ここに彼が言っている愛の一つのメッセージが込められているんですよね。 愛というものが存在するかどうかなんていうのは関係ない。与えることが先に来る。それがすなわち愛になるということを言っているんですね。 これだから、彼がここで言っているのは常に能動的なんですよ。愛というものが存在するって、これ結構受動的な話じゃないですか。 愛情を感じるとか、これ感じるっていうのも受動的なんですよね。 そういう受動的なものを待っている限りにおいては、我々は人を愛することができないと言っているんです。 だから、愛というのは常に能動的なのであるということで、自分の中に息づいているものを与えなさいと。 そうすると、それそのものが愛という行為なのであるという。 だから、愛がもともとあるかどうかなんてどうだっていいんだと。 だからこそ、我々は全ての人を愛することができるという話にもつながっていくわけなんです。 そこに、我々でも与えるものがないと。お金もなければ何かもない。 いやいや、そんな大したこと言ってるんじゃないよ。物質の話なんかしてないよと。 あなたの中に息づいているもの。 例えば、喜びとか興味とか理解とか知識とか。 だから、私がこのボイシーで収録している行為というものは、皆さんに対する愛なんですよ。 これは愛の行為なんです。 まさに自分の中に息づいているものを与えている行為なんです。 毎日30分くらいやってますけれども、この行為そのものは愛にあふれているんです。 フロム的に言うと。 そうすることによって、人は他人を豊かにし、自分自身の生命感を高める。 それによってまた他人の生命感を高めるという、そういうことになっている。 これが最上の喜びにつながっていくという、この循環を彼は言っているわけなんですよね。 7つの習慣で、フロムの言葉を引用しながら、 あの本では、フランク・リン・コビーは、愛とは動詞であるという言葉を、確か僕の記憶が正しければ書いていたと思います。 愛は名詞ではない、動詞なのだと。 これね、確か記憶によればですね、私は自分の旦那だったか妻を愛することができませんと、 もはやそこには愛がないのですみたいな、そんな相談をコビー先生にするわけですよね。 その時にコビー先生が、このフロムの話を引用したかどうかも、もはや既に定かではないんですけれども、 愛とは動詞なのだと。そこに存在するものではないと。 だから簡単だと答えは、あなたが行動すればいいのであると。 常に能動的な動詞なんですよっていうね、そういうことをコビー先生は言うわけなんです。 その結果として、結果論として愛という名詞が生まれてくると。 常に動詞から始まり名詞になっていくのであると。 そう言ったかどうかはちょっと適当ですけど、そんなような話なのかもしれません。 なので、これもうね、多分フロムが言いたいことの本質ですね。 動詞であると。そして私たちは与えるものを持っていると。 だからそれを与えようと。それによって二人が一人になる。 コミュニティというものが生まれる。 その孤立とか恐怖という感情から、この愛という温かい感情に転換することができる。 それによって我々はこういう、ある意味全体主義であるとか、ファシズムだとか、そういったものを避けることができる。 そして引いては戦争を避けることができる。 だから彼の原点にあるのはまさに世界平和なわけですよね。 世界平和っていうのもこれは名詞なわけなんですけれども、 こういう大きな名詞も、要するに一人の動詞、能動的な働きかけによって実現できるのであるという、 そういう思想的な背景が、昨日話しましたけれどもね、 ナチスドイツを目の当たりにしたことによって、 彼はそういう結論に多分行ったのではないかなというのは、 これは完全な私の邪推というか誤読なわけなんですけれども、 そんなところがあるのかもしれません。 これは理屈としてわかるんですけれども、一方でやっぱり難しいですよね。 やっぱり愛せる人が愛情の対象かなみたいな、そういうところで考えちゃうんですけれども、 そこは能力であるということを彼は言っているんです。 能力なんです。 それは能力というのは何かというと、行動に一歩踏み出すというそこの話をずっとしているんです。 降ってくるものではないんです。 ミスチルが名もなき歌で、愛はきっと奪うでも与えるでもなくて、 気がつけばそこにあるものって言ってますけど、桜井くんが。 フロムからしてみたら、桜井くん、それちょっと違うよと。 そこにあるもの、気がつけばそこにあるもの。 そんなものを探すから、みんな人は愛せなくなるんだって。 多分ね、フロムからディスられるんじゃないかなんて。 これもまた勝手なご読ですが。 ということで、愛の話をさせていただきました。 明日も行くかな。 今日この辺にしとくかな。 というエリフロム、愛するということでした。 # 『日本文化の核心』 さあ、今日のフライヤーのコーナーに行きたいと思います。 今日は日本文化の革新、ジャパンスタイルを読み解くという本になります。 著者、ご存知、松岡誠吾先生ですね。 編集工学研究所所長、一室編集学校校長ということで、 はい、誠吾先生、千夜千冊、とても有名ですけれども、 その誠吾先生がですね、その日本文化の革新という本を書かれました。 講談社ですね。2020年3月に出てますけど、 うん、ここの要約者レビュー冒頭からちょっとね、いい問いかけなんですけど、 日本文化の革新は何か。 そう聞かれて自信を持って即答できる日本人はほとんどいないのではないだろうかと。 そうですね、日本文化の革新は何ですか。 これ例えば海外行った時とかね、ひょっとしたら聞かれることってあるのかもしれませんが、 例えば能とか歌舞伎とか、相撲とか茶の湯とか、漫画とか、 そういったことがあるのかもしれないんですけれども、それはでも革新ではないですよね。 じゃあそもそも革新なんてものはあるのかという話になるわけなんですけど、 松岡先生はですね、あるということで、じゃあ何かということなんですね。 わびさびみたいなことをよく言われますけれども、 いやいやそのわびさびの本質というのは何なんですかという、 まあそれをですね、かなり抽象度高く考えるところに、 松岡正吾先生の特徴があるわけなんですけれども、 ジャパンフィルターということでね、そのための補助線がいろいろ必要だよっていう話をされてるんですけど、 まあこれね、なんか僕が話しちゃうより是非読んでほしいですね。 なんかもうようやく読みながらなるほどねと思ったんですけど、 神の話がね、冒頭してるわけなんですけど、 神って、一神教の文化っていうのは、 もともともう明確に存在する神なんですよね。 一方で日本の神っていうのは客神、つまりゲストの神として考えられていたと。 やってくる、そして帰っていくというね、 そういう神を我々の思想に持っているということなんですけれども、 そのルーツというのは柱にあって、柱ということを建てる。やりますよね、家建てる時とかね。 この柱というのを我々はとても大切にしてきたと、古事記から日本書紀から。 地震災とかでも柱を建てて、しめ縄を回して、みたいなことをやるわけなんですけれども、 これは何かというと、結界を作ることによって、その中に神を呼び込もうと。 先ほど言った客神ですね。神が来て、そして去る。 それを作ろうという、そういうことがルーツにあるということで、 要するに、こうやって来て、帰るという、その移ろいみたいなこと。 つまり、何か明確に定住しているものではなくて、移ろうもの、変化するものみたいな、 それが日本の根底に流れていく、いるのではないかと。 だから、面影という言葉が最後の方に紹介されてますけど、 面影とは、ある場所にずっと留まるものではない。 だが、思い浮かべようとしたり、匂いなどのきっかけがあったりすると、 実際のある以上の何かを伴って厳然する。 ないのにあるもの、それが面影である。 そういうことが書かれているわけなんですけれども、この移ろい。 なんかいいですね。 すごく、こんな表現で日本のことを語れたら、素晴らしいなというふうに思います。 私の言葉で語るよりも、ぜひ本をご覧いただくのがいいんじゃないかなというふうに思いますので、 今日お届けしたのは、日本文化の革新でした。 # 頂いたコメントへのお返し さあ、それではコメントを返していきます。 6月23日からですね、市蔵信也さん。 新木政、いつもありがとうございます。 勉強の哲学拝聴し、早速Kindleで覗いてみました。 すると、今までに比べてノリが悪くなってしまう段階を通って、 新しいノリに変身するという、時間がかかる深い勉強の方法です。 との言葉が目に入り、そのまま読み始めました。 最近壁にぶつかっている感があり、なんとなくそれを乗り越えるため、 乗り越えるヒントがあるのではないかと感じたからです。 自分も読み進めていますが、明日のマスターの話も楽しみですということで。 はい、ありがとうございます。 市蔵信也さん、新しいノリにチャレンジされているタイミングだと思いますので、 古いノリに対してノリが悪くなっている、そんなタイミングかもしれません。 このトランジションのタイミングって、いろいろな変調が出てくるんですよね。 古いコミュニティからは白い目で見られたりとか。 いろいろあると思うんですけど、ぜひその変化を楽しむ。 ぜひそうなって、そこの過程を楽しめると、ずっと変化することに抵抗がなくなるんじゃないかなと思います。 出雲さん、勉強の哲学、玩具的な言葉の効果について私も実感しています。 ブックカフェを通じて本などに興味を持つようになってから、日常的に使用していた言葉や言動の意味を振り返るようになりました。 言葉の新しい視点を得てから、頻繁に考えたり使用したりして、言葉を咀嚼していると感じています。 スルメのように言葉の旨味を味わい、別の言葉や意味付けをつまみ食いする行為が違うノリに移る過程と感じました。 改めて言葉を多面的に捉えて深く理解することと、その言葉を起点に別のドアを開ける喜びを感じました。 ありがとうございます。 平野さん、慶一郎さんの文人主義と合わせて考えると、新しいコミュニティではそのコミュニティで使われているような言葉を背伸びして使っていいわけです。 例えば、このブックカフェのコメントのところでは、あえてブックカフェで流れているような言葉を多用してみる。 あまり自分のものになっていないなぁという自覚ありつつも多用してみる。 まさに玩具的言語使用ですね。 それがある意味、勉強という言葉の扉を開いているそういう瞬間なのかもしれないです。 ありがとうございます。またコメントください。 ただ翼さん、勉強の哲学千葉雅也さん、ボケ型とツッコミ型の勉強法を教務学に聞きました。 ボケとツッコミを自分の解釈を言葉にすると、ボケ型の勉強法は発散、広げる、感性の要素が強いやり方です。 ツッコミ型の勉強は論理収束、まとめるです。 ボケ型で風呂敷を広げ、ツッコミで畳むという関係をイメージしました。 風呂敷畳人に着想を広げると、人によりどちらが得意不得意はあるかと思いますが、同じ人にも広げ人の要素、畳人の要素が混在しています。 勉強でも同じで、ボケとツッコミは両方持っておきたいですね。 風呂敷畳人の話を引用していただきました。 広げる、畳む。確かにね、ツッコミ型というのは畳む方なのかもしれないですね。 面白い、そうですね。 前も話しましたけど、私は圧倒的にボケ型で広げる方があれで、ある程度の解像度になっちゃうとね、 もっともっと新しい方に興味が移っちゃうっていう。 これは良いことなのか悪いことなのか、だからここ書いてる通り得意不得意みたいな感じなんでしょうね。 ありがとうございます。 ゆっちさん、他人とうまくやっていく。 人は話を聞いてくれる人と仲良くなりたいと思う。病院に行く人の理由の多くが話を聞いてほしい、話したいという意思を敏感に感じ取るというお話に大いに納得しました。 他人とうまくやっていくには、先月末あたりの心の対話25のルールで出てきた不完全なコミュニケーションを減らすことや感じさせにくくすることがポイントなのかなと感じました。 ということでね。 まあ、よく言われますよね、そういうキャバクラとかそういうサービスっていうのは、お金を払って話を聞いてもらいに行ってると。 これだから、病院ってね、話を聞いてもらってるみたいなところってあるっていうのがありましたけれども、そういうお酒を飲んでお金を払うみたいなところっていうのも、やっぱり話を聞いてもらうっていうね、そこの対価としてお金を払ってるっていう側面があるのかもしれない。 みんな、だから聞いてもらいたいわけですよね。 ということの裏返しとして、普段はコミュニケーションが不完全であるという、そういうことなのかもしれない。 ですね、完了してないってことなんですよね。 なるほど、ありがとうございます。 じょうさん、勉強の哲学拝聴しました。 来るべきバカ、ボケとツッコミなど出てくるワードが遊びの要素を含んでいて面白かったです。 勉強を広い意味で考えると、仕事とは違うコミュニティに入ったり、いつもとは違う本を読んでみたりして、そこで得た学びを使ってみることが一歩目だと感じました。 ボケとツッコミを一人でこなすお笑いモンスターに憧れはありますが、お笑いにも役割があるように得意不得意が必ずありますね。 ブックカフェやブックラボは、自分にとってボケの要素を鍛えてくれる場だと感じています。 ありがとうございます。 ブックラボという言葉が出ましたけれども、フライヤーの読書コミュニティなんですけれども、たくさんの会員の方に集まってもらって、みんなで読書会をしたり、パーソナリティのトークを聞いたり、とうとう盛り上がってきましたね。 ありがとうございます。ぜひ、ボケまくっていただければと思います。 田中さん、勉強の哲学一に拝聴しました。 道具的な言語と玩具的な言語を聞いて、アジアに言えば玩具的な言語で表現するのに適しているのかなと感じました。 そして、物を的確に表現するのに新たな表現を生み出すセンスは、ボケ型の学びがもたらすようにも感じます。 仕事だと専門分野に特化しがちなだけに、違う世界を知るボケ型の学びを意識したいです。 読書はボケにもツッコミにもなり得る勉強法とも言えますね。 これからもいろんなジャンルに手を伸ばしたいと思います。 まさにね、読書なんていうのは、いい感じでボケられますよね。 手軽にボケられる。 いろんな領域、旅することできますよね。 本当に何かをしっかり腰を据えて学ぶってなると、なかなかボケにくいんですけど、 本ぐらいの感じだったらボケやすいですよね。 ボケやすいですよねって何のことか、分かる人も、ブックカフェリスナー以外はいないと思うんですけど。 町田和俊さん、あらきマスター、いつもありがとうございます。 勉強の哲学、拝聴しました。 先日フライヤーの予約で取り上げられた際のコメント返して、 ネガティブな言葉をポジティブに使うというマスターの言葉に、 バカという言葉をネガティブな意味合いでしか捉えていない自分に気がつきました。 早速書籍を購入しましたが、まだ読み途中です。 今回の本編1,2を聞き、 自分の中でボケ的な横に繋がる勉強のきっかけになっているのが、 ブックカフェだったりフライヤーだったりするのかなと気づきました。 明日も楽しみにしています。 先程のジョーさんのコメントにもありましたが、 そういう意味ではフライヤーというサービス、ブックカフェというサービスも、 皆さんのボケの場になっているのであればとても嬉しく思います。 私が思う存分ボケれば、皆さんもその分ボケて、 新しい扉を開いてくれるということでもあると思うので、 できる限りいろんなボケの道を探りたいと思います。 一本旅山内さん、勉強の哲学を読み終わりました。 独特の言い回しの数々は、あえて玩具的な言葉を使うことで、 著者が私たちにノリの悪さをプレゼントしてくれるんだなと感じました。 本書の最後で難しい本を読むのが難しいのは、 無理に納得しようと思って読むからだとあります。 ノリの悪さをあるがままに受け入れて、来るべきバカになる。 実はそこ知れない本です。 そうなんです。そうなんです。 深みがありますよね。まだまだ語り尽くせていない。 多分2%も話せていないと思うので、 是非、天内さんみたいに本を手に取っていただけると、 いいんじゃないかなと思います。 ということで、コメント返しここまで。ありがとうございます。 # 終わりのあいさつ さあ、ということで、今日の放送はここで終わりです。 まあ、そろそろね、夏に入りますが、 なんかね、ちょっとまた怪しい空気になってきましたね。 楽しめる夏になるように、できることから頑張っていきたいと思います。 はい、ということで、今日はここまで。また明日。 もっと見る荒木博行のbook cafeプレミアム放送配信中!00:141.タイトルコール01:262.初めのあいさつ09:583.愛は動詞である!04:444.『日本文化の核心』09:365.頂いたコメントへのお返し00:256.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう Joseph.N2020年7月8日「愛は能動的な活動であり受動的な感情ではない」ギリシア語には愛という言葉が何種類もあり、また、歴史的背景からギリシア語がヘブライ語に与えた影響も大きい様です。そんなユダヤ系のフロムの原文を日本語に直訳したら「愛は愛ではなく愛である」の様な文になるんじゃないかなと。「愛」という日本語の限界が分かりにくくしている気がしました。「最初は小さな好意から相手に自分を与え始める。そして、いつか相手を愛する様になる」そんな単純な話で良いかなと解釈中です。返信 佐倉ユウキ2020年7月6日『愛するということ』マスターがついに愛を語る!二日目で、ほぼ期待通りに愛を振りまいてくださいましたが!!想定外にノリが良い!!! ヤバイ。『影響力の武器』。あるいは、ラーメン屋の呪い。 Artの訳は、芸術じゃなくて技術の方な気がします。一時停止したら再生ボタンが押せない。ぴえんぴえん。返信 いずも2020年7月5日愛の反対語は何かと問いますと、派生語の恋が浮かびます。愛と恋は双方向の思考の深さの違いに思えます。恋は何となく、頭と心を使っていて、小麦粉をこねこねして、美味しいうどんを作る過程に似ています。愛は動詞ですが、動作が無いように思えます。うどんを作ってくれる大将の心意気や、うどん屋の昔ながらの雰囲気のように思えます。物質的に愛を欲しい時は、孤独の時です。しかし、何かの度合いを二軸にして、いつ愛するかを考えましたが、孤独が無くても愛しています。頭をこねこねして、愛を深く考えたいと思いました。返信 いちぞうシニア2020年7月5日荒木マスター、いつも、愛をいただきありがとうございます。その愛を、自分の学びへとつなげ、自分も「与える」という愛を、与える側になりたいと思いました。こうして、「贈与」の循環が、広がっていくのでしょうね。改めて、マスターの毎朝の愛に、感謝いたします。返信 kida☆chi2020年7月5日荒木マスター、毎日学びを頂き有難うございます。ミスチル桜井君の下りに、ビビビッと反応しました。本題と逸れますが、高校生の頃に良く聞いていた桜井君の詞はとても小気味良く、けど絶妙に中性的な桜井君ならではの世界観だと、ザ・男子校所属の僕は当時強く感じていました(笑)。"気が付けばそこにあるもの"という原体験は未だ無く、フロムの"愛は能動的であり与えること"の方が、自分にとっては自然なものの様に思えました〜。返信 もっと見る
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ギリシア語には愛という言葉が何種類もあり、また、歴史的背景からギリシア語がヘブライ語に与えた影響も大きい様です。そんなユダヤ系のフロムの原文を日本語に直訳したら「愛は愛ではなく愛である」の様な文になるんじゃないかなと。
「愛」という日本語の限界が分かりにくくしている気がしました。
「最初は小さな好意から相手に自分を与え始める。そして、いつか相手を愛する様になる」そんな単純な話で良いかなと解釈中です。
マスターがついに愛を語る!
二日目で、ほぼ期待通りに愛を振りまいてくださいましたが!!
想定外にノリが良い!!!
ヤバイ。
『影響力の武器』。あるいは、ラーメン屋の呪い。
Artの訳は、芸術じゃなくて技術の方な気がします。
一時停止したら再生ボタンが押せない。ぴえんぴえん。
愛は動詞ですが、動作が無いように思えます。うどんを作ってくれる大将の心意気や、うどん屋の昔ながらの雰囲気のように思えます。
物質的に愛を欲しい時は、孤独の時です。しかし、何かの度合いを二軸にして、いつ愛するかを考えましたが、孤独が無くても愛しています。
頭をこねこねして、愛を深く考えたいと思いました。
その愛を、自分の学びへとつなげ、自分も「与える」という愛を、与える側になりたいと思いました。
こうして、「贈与」の循環が、広がっていくのでしょうね。
改めて、マスターの毎朝の愛に、感謝いたします。
本題と逸れますが、高校生の頃に良く聞いていた桜井君の詞はとても小気味良く、けど絶妙に中性的な桜井君ならではの世界観だと、ザ・男子校所属の僕は当時強く感じていました(笑)。
"気が付けばそこにあるもの"という原体験は未だ無く、フロムの"愛は能動的であり与えること"の方が、自分にとっては自然なものの様に思えました〜。