TOPビジネス経営・マネジメントナカハラジオ:中原淳の「ひとづくり・組織づくり研究所」あなたには「まったく違う未来」があったかもしれない:「反実仮想」の思考をためす09:41 10月18日 397再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次「もしも」の思考が示す人生の分岐点人生を分けた最初の大きな決断とは東大から阪大へ 大阪での運命的な出会い安定を捨てたキャリア選択の真意理想を追求し立教大学へ移籍した理由AI文字起こし(β版) # あなたには「まったく違う未来」があったかもしれない:「反実仮想」の思考をためす 中原ジオ。中原隼の人作り・組織作り研究所 パーソナリティの立教大学教授中原隼です。 このポッドキャストは、人に作り、組織作りの研究者である中原隼が語るポッドキャストになっています。 2種類のコンテンツがありまして、1つ目はテープレコーダーで言えばA面。A面ではアカデミックな内容を語ります。 一方B面。B面こちらではねアカデミックな様子は全然なしです。 日常のエピソードなどを語っていきたいと思います。 今日はどっちかというとB面だね。ゆるゆるトーク。 はい。 あなたには違う未来があったかもしれない。 反実仮想の思考を試すっていうテーマですね。 反実仮想。反対の反に実、実。 実家の実。あと仮に思うですね。反実仮想です。 これは非常にシンプルな話でね。 もしもあの時にあの決断をしていなかったら今の自分は絶対ないだろう。 そんなことを考えることですよね。 もしもあの時にあの決断をしていなかったらどうなってだろうかってことを考えるのはこの反実仮想です。 まあほら歴史にイフ、もしもはないってよく言うじゃない。 もしもはないんだけどね。あの時あの決断をしていなかったら自分の人生変わってた、違ってた みたいなこと結構あるんじゃないのかなと思うんですね。 起こり得たけれども実際には起こらなかった状況を推定するというのがこの反実仮想ということになるのかなと思います。 まあ遊びよ。 でね自分のこう人生を振り返ってみて私自身ですよ。 いくつかのね多分ね反実仮想ポイントあるなぁと思いましたね。 考えてみてね。 まあでも大抵の場合ね私はねその時ね自分の心に従ってきた。 他人からいろんなフィードバックやアドバイスいただきました。非常にありがたかったけれども 実を見るとそれ反なんだろう。それとは逆のことをやっちゃってるなぁみたいなところがあるのかなぁ なんて思います。 まず絶対私にとって一番大きなポイントになったら北海道出るっていうところですよね。 18歳で北海道出て東京の大学に入ったんですけれども、まあこれはですね結構な決断でした。 まあ親とかはね、あのなんだろう 北海道の大学でいいんじゃないって言われて、やっぱ北海道人だからね。土産子ですから。 あんまりね内地に行くっていうのは、あんまりねよろしくないことっていう風に言う人もいたわけよね。 まああとお金もなかったね。 私の実家そんなお金あるうちではなかったので、まあなんもない地なんて行かんでいいべさーってな感じな感じでした。 でこれ東京の大学に行きます。まあ理由はね当時付き合った彼女と一緒にいたかった。 まあその子も東京出てきたからっていうのもまあ多分一番の理由だったような気もするけれども。 まあでもね、やっぱこう北海道出たいってのありましたね。 結構あのもう少し広い世界に行けないのかなぁみたいなのは当時思ってた気がします。 まあこれでねもし北海道に行ったら私たぶん全然違う人生だったんだろうなというふうに思うんですよね。 よく親父が言ったのはね、北伝に入れとかね。 あるいは新聞社員じゃないか、北海道新聞ありますけどね。 そういう会社に入ったのかなぁなんてことを今は考えます。わかりません。どうなってたかは。 2番目のポイントはですね、認知科学。 まあ学習ですよね。思考とか認知とか学習という分野に進んだことかなと思います。 これはですね、選んだというよりはあのなんだろう、残念な感じなわけよ。 東大で言うとですね、1、2年生の成績でその後の専門のどこに行くかというのは決まるみたいな仕組みがあってですね、私は当初臨床心理学を志望しておったのですが、 当時臨床心理学ブームでして、私ですね、落ちてしまったんです。 まあダメだべさ。いやダメだべ。 中国語とかはね、ほとんどDだし、D、Cだし、 まあね、英語っつってばかみでできるやついるからね。 だからね、まあ落ちちゃいました。 一つ考えたのが臨床、臨床いいなぁと思って健康系の健康科学系のところに行こうかなぁなんて思ったんだけども、 まあ最終的にですね、認知科学、学習の分野というのを選んだ。 まあこれは結構デカいですよね。 もう絶対臨床にいたら僕ここにいないじゃないですか。 ね、それはすごい大きい決断だったのかなぁなんて思います。 3番目大きかったのは多分大学院ですね。大学院は私、東大ではなくてですね、 当時通ってた東大ではなく大阪大学大学院に行くんですね。 まああの当時の指導教員の先生、東大の指導教員の先生が、 あと10年また2年だって言うんで、お前もう違うとこ行けみたいな。 マジか?みたいな感じでしたけどね。 まあ色々うよ曲折あって大阪大学大学院で、まあ教育工学っていうね、 教育かけるエンジニアリングの分野っていうのがあるっていうのを聞いてね、 行こうかなと思って。 これなかなかでしたよ。あの口悪いやつとかはね、 宮口とか言いやがって、超腹立つよね。大阪に失礼だ。 ほんとそう思うわ。 で、大阪大学大学院に行ってですね、ここでかい。 何でかっつうとここで妻と会ってるからね。 すぐは別に付き合ってないけれども、しばらくして付き合い始めて、妻と会ったのがここですから、 まさに今ここにいないというかね、今の自分では全くないところに行ってたのかなと思います。 大阪に移ったというのが非常に大きいテーマですね。 4番目ですね。 これも結局移動系なんだよな。移動モビリティなんだよな。 当時ある県の国立大学の助手の公募が出ていました。 私はもう博士になってたかな。 千葉の研究所でも新しい部門が立ち上がって、助手の公募が出てたんだけども、 あの程度で言うと、多分国立大学に行った方が良かったんですけどね。 僕は文科省の、なんていうんだろう、 福知県みたいな研究所ですね。そこの助手になりました。 これも周りからは結構、中原君、そんなさ、大講座制のちゃんとしたところの いい助手もいいんじゃないの?みたいに言われましたけどね。 なんか違うかなぁ?って思ってたんですよね。 千葉の研究所では新しい部門って言いましたけども、ここで始まったのがですね、 今の言葉で言えばオンライン大学ですよ。 そういったものを研究する部門というのが立ち上がるようなんですって。 じゃあここ行こうかなぁ?なんて言って、そこを選んだのは結構大きかったなと思います。 ここでね、たくさん基礎的な研究もできましたし、 あとここの間にフルブライトとかで留学することもできましたので、本当ありがとうございます って感じですよね。 感謝しています。 次に大きいのはですね、東大への移籍なんですけれども、 東大の移籍はね、皆さんが考えているほど安定ではなかったよ。 当時ここも新しいプロジェクトが始まって、東大がやるプロジェクトが始まって、そこで1年任期の講師ですよ、私。 1年任期の講師って言われて、まあ行きました。 いやーこれはね、もしその1年任期の間に採用試験とかあるんだろうけど、そこでまぁもしね、 ちゃんと継続できなかったらクビーじゃないですか。 これはもうかなりの緊張感あって行きましたよね。 もちろん研究もしていましたし、仕事めっちゃやりました。 で、次の年には助教授か、当時は助教授にあげてもらいましたけれども、 でもこの1年任期の講師の時期っていうのは、私にとってはもう冷や冷やな時代だったのかなというふうに思います。 最後はですね、立教大学への移籍ですね。 研究室9人とともにですね、9人の研究室の助教さんとかかな、 また研究員とかね、みんなで移籍しました。 これはあんまり相談しなかったけれども、 やっぱ賛否両論いろいろ言われるんだろうな、みたいなのは思ってましたよね。 そのまま東大に残るってこともあり得たんだろうけれども、僕はやっぱり リーダーシップ開発とか、あとは人材開発とか、そういうことに関する仕事をもっと広めていきたい みたいな思いはあったんで、これ移籍を決めました。 上さんにね、どう言おうかなーなんて言って、上さんに相談したんですけど、 順ちゃんの好きなようにすればいいんじゃないのって言われて、まあそっかーなんて言ってました。 これがなかったら多分今の私の仕事は多分全然違ったものになったんじゃなかったかなと思います。 まあいろいろ述べましたけれどもね。 まあ今日朝6ポイントって述べましたけど、毎日の意思決定の結局蓄積が今の自分になるんだよね。 だからまあ今日はあえて6つ述べたけれども、もし今この瞬間でもこの決定をしてなかったら、今の自分はいないっていうことになってくるとね、 1日1日やっぱ丁寧に生きていくことが大事なのかなぁなんていうふうに思います。 反日過剰のお話でした。何かご質問リクエストがあればコメントを書いてください。 フォローの方もよろしくお願いします。 じゃあ今日のオンエアはここまで。皆さん学びに満ちた1日を過ごしください。 そして人生は続く。中原次雄でした。 もっと見るナカハラジオ:中原淳の「ひとづくり・組織づくり研究所」プレミアム放送配信中!09:411.あなたには「まったく違う未来」があったかもしれない:「反実仮想」の思考をためすコメント感想・質問・応援メッセージを書こう いしぐろ10月18日「反実仮想」、わかります〜。自分自身の節目、岐路、転機を考えるとき、他者にも同様に節目、岐路、転機があり、これが一期一会や出会いの奇跡を生んでいるのかなと想像しました。ナカハラジオとの出会いに感謝です!1返信 立田 順一10月18日あなたには「まったく違う未来」があったかもしれない…。まるで「人生ゲーム」のようですね(もしかすると、「ナカハラジオ」の存在しない世界線があったのかもしれません)。ただし、「人生ゲーム」では未来をルーレットに委ねますが、実際の人生で意思決定をするのは私たちです。1返信
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ナカハラジオとの出会いに感謝です!
まるで「人生ゲーム」のようですね(もしかすると、「ナカハラジオ」の存在しない世界線があったのかもしれません)。
ただし、「人生ゲーム」では未来をルーレットに委ねますが、実際の人生で意思決定をするのは私たちです。