第2041回「ほほえみに思う」2026/8/9
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■管長日記「ほほえみに思う」
https://www.engakuji.or.jp/blog/40593/
■YouTube
https://youtu.be/Q6ysC2euvGk
■note
https://note.com/engakuji/n/n970a4e24f006
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
-------------------------------------------------
ほほえみというのはいいものです。
ほほえんでいられるということは幸せだと思います。
先日静岡市宝泰寺様で、「今日一日笑顔でいよう」という題でお話をさせてもらいました。
その折、宝泰寺の前住職である藤原東演和尚より、御著書『幸運になる笑顔の法則』という本を頂戴しました。
読んでいるととても勉強になる良い本であります。
その中に二人の青年の話がありました。
一人はいつもお寺の手伝いをしてくれている青年です。
「いつ仕事を頼んでも、にっこり微笑んで「かしこまりました」と実に気持ちがよい返事です。」と書かれています。
その青年の姿や表情が思い浮かぶようです。
さらに、「その青年の明るさが伝播するのか、多少こちらがイラついていたり、気持ちが落ちているときでも彼の笑顔ですぐに心が落ち着き、元気になります。きっと知らず知らずわたしの顔もほころんでいるのだと思います。」
と書かれています。
平沢興先生が、「顔は自分のもので、ひとのもの」と言われたように、自分の顔ではありますが、その顔、表情は常に人に向けられていて、出会う人に大きな影響を与えていくのです。
ある方が「そんなにいつもニコニコしていたら疲れない?」と聞いたそうです。
そうしたら、「わたしにはこれしか取り柄がないのです」と答えたと書かれています、
東演和尚も「この青年のさわやかさは、笑顔から生まれてくることは間違いありません。」と書いてくださっています。
それからもう一人の青年の話が続きます。
宝泰寺さまに坐禅に来ていた青年で、とあるセールスマンのお仕事をなさっているそうです。
入社した頃から上司に「おまえ、暗いな」といつも言われていたそうです。
販売数も伸びなかったようで、自信を失ってゆきます。
もう限界かと思い詰めていたある日、ある先輩から、「鏡を見て微笑の顔作りをしたほうがいいよ」とアドバイスをうけました。
その青年はなんと、さっそく鏡をいくつも買ってきては、手当たり次第に気づいたところへ取り付けたというのです。
玄関・リビング・キッチン・寝室・廊下・トイレまで。
そして鏡と目があったら、即にっこり笑う練習をくり返したというのですから、笑顔になる努力をされたのです。
初めは家族から、不審に思われてしまうのですが、めげずに一月、二月、三ヶ月と続けました。
そうするとどうなったかというと、青年の顔も生きる姿勢にも革命がおきて、みるみるうちに業績もあがったという話なのです。
まさに笑顔の功徳というべきでありましょう。
先日の宝泰寺さまでの法話の折に、私は会津八一の和歌を紹介しました。
「夢殿の救世観音に」という題で、
あめつちに われひとりゐて たつごとき このさびしさを きみはほほゑむ
という和歌です。
この和歌は、奈良の法隆寺夢殿の救世観音を拝んだ時の感動を詠ったものです。
救世観音というと、これは、長い間秘仏として厨子の中に安置されていたのです。
明治十七年(一八八四)、岡倉天心やアーネスト・フェノロサらによって開扉され、その神秘的なお姿が広く知られるようになったのでした。
「あめつちに われひとりゐて たつごとき」さびしさとは何でしょうか。
誰にも分かってもらえぬさびしさ、所詮人間は一人生まれて一人死んでゆかねばならないさびしさ、人間の存在の根源にあるさびしさです。
会津八一ご自身のさびしさでもありましょう。
そのさびしさを解消してほほえむのではなく、忘れてほほえむのでもなく、そのさびしさを見つめ受けとめてしずかにほほえむのです。
人の世の苦しみや悲しみを見すえて、そのうえで静かにほほえんでおられるのが仏像であります。
中宮寺の菩薩半跏像や広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像などは、穏やかなほほえみをたたえておられるように見えます。
仏像のほほえみは、まず悟りの現れと言えます。
貪りや怒りなどの煩悩を超えた穏やかな表情がほほえみとなっています。
さらに我ら衆生への慈悲の現れであります。
『観音経』には「慈眼視衆生」という言葉がありますが、慈しみの眼で衆生をご覧になる表情というのは、ほほえみであります。
仏典に「熙怡微笑(きいみしょう)」という言葉があります。
和やかにほほえむことを表す言葉です。
東演和尚の本に出ている青年のように、あちらこちらに鏡を置くまではしなくても、まずは朝鏡をご覧になるときに、ほほえんでみる習慣をつけるだけでも違ってくると思います。
明るい顔でほほえむとまわりを明るくしますし、逆に暗い顔をしていると、まわりを暗くしてしまいます。
ほほえみとは、単に顔の表情のことをいうのではありません。
仏像のほほえみは人を思いやる慈悲の心が、おのずから表れた姿だと言えます。
私たちもまた、仏さまの静かなほほえみに見守られていることを忘れずに、ほほえんで暮らせるように歩んでゆきたいものであります。
横田南嶺
https://www.engakuji.or.jp/blog/40593/
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最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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ほほえみというのはいいものです。
ほほえんでいられるということは幸せだと思います。
先日静岡市宝泰寺様で、「今日一日笑顔でいよう」という題でお話をさせてもらいました。
その折、宝泰寺の前住職である藤原東演和尚より、御著書『幸運になる笑顔の法則』という本を頂戴しました。
読んでいるととても勉強になる良い本であります。
その中に二人の青年の話がありました。
一人はいつもお寺の手伝いをしてくれている青年です。
「いつ仕事を頼んでも、にっこり微笑んで「かしこまりました」と実に気持ちがよい返事です。」と書かれています。
その青年の姿や表情が思い浮かぶようです。
さらに、「その青年の明るさが伝播するのか、多少こちらがイラついていたり、気持ちが落ちているときでも彼の笑顔ですぐに心が落ち着き、元気になります。きっと知らず知らずわたしの顔もほころんでいるのだと思います。」
と書かれています。
平沢興先生が、「顔は自分のもので、ひとのもの」と言われたように、自分の顔ではありますが、その顔、表情は常に人に向けられていて、出会う人に大きな影響を与えていくのです。
ある方が「そんなにいつもニコニコしていたら疲れない?」と聞いたそうです。
そうしたら、「わたしにはこれしか取り柄がないのです」と答えたと書かれています、
東演和尚も「この青年のさわやかさは、笑顔から生まれてくることは間違いありません。」と書いてくださっています。
それからもう一人の青年の話が続きます。
宝泰寺さまに坐禅に来ていた青年で、とあるセールスマンのお仕事をなさっているそうです。
入社した頃から上司に「おまえ、暗いな」といつも言われていたそうです。
販売数も伸びなかったようで、自信を失ってゆきます。
もう限界かと思い詰めていたある日、ある先輩から、「鏡を見て微笑の顔作りをしたほうがいいよ」とアドバイスをうけました。
その青年はなんと、さっそく鏡をいくつも買ってきては、手当たり次第に気づいたところへ取り付けたというのです。
玄関・リビング・キッチン・寝室・廊下・トイレまで。
そして鏡と目があったら、即にっこり笑う練習をくり返したというのですから、笑顔になる努力をされたのです。
初めは家族から、不審に思われてしまうのですが、めげずに一月、二月、三ヶ月と続けました。
そうするとどうなったかというと、青年の顔も生きる姿勢にも革命がおきて、みるみるうちに業績もあがったという話なのです。
まさに笑顔の功徳というべきでありましょう。
先日の宝泰寺さまでの法話の折に、私は会津八一の和歌を紹介しました。
「夢殿の救世観音に」という題で、
あめつちに われひとりゐて たつごとき このさびしさを きみはほほゑむ
という和歌です。
この和歌は、奈良の法隆寺夢殿の救世観音を拝んだ時の感動を詠ったものです。
救世観音というと、これは、長い間秘仏として厨子の中に安置されていたのです。
明治十七年(一八八四)、岡倉天心やアーネスト・フェノロサらによって開扉され、その神秘的なお姿が広く知られるようになったのでした。
「あめつちに われひとりゐて たつごとき」さびしさとは何でしょうか。
誰にも分かってもらえぬさびしさ、所詮人間は一人生まれて一人死んでゆかねばならないさびしさ、人間の存在の根源にあるさびしさです。
会津八一ご自身のさびしさでもありましょう。
そのさびしさを解消してほほえむのではなく、忘れてほほえむのでもなく、そのさびしさを見つめ受けとめてしずかにほほえむのです。
人の世の苦しみや悲しみを見すえて、そのうえで静かにほほえんでおられるのが仏像であります。
中宮寺の菩薩半跏像や広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像などは、穏やかなほほえみをたたえておられるように見えます。
仏像のほほえみは、まず悟りの現れと言えます。
貪りや怒りなどの煩悩を超えた穏やかな表情がほほえみとなっています。
さらに我ら衆生への慈悲の現れであります。
『観音経』には「慈眼視衆生」という言葉がありますが、慈しみの眼で衆生をご覧になる表情というのは、ほほえみであります。
仏典に「熙怡微笑(きいみしょう)」という言葉があります。
和やかにほほえむことを表す言葉です。
東演和尚の本に出ている青年のように、あちらこちらに鏡を置くまではしなくても、まずは朝鏡をご覧になるときに、ほほえんでみる習慣をつけるだけでも違ってくると思います。
明るい顔でほほえむとまわりを明るくしますし、逆に暗い顔をしていると、まわりを暗くしてしまいます。
ほほえみとは、単に顔の表情のことをいうのではありません。
仏像のほほえみは人を思いやる慈悲の心が、おのずから表れた姿だと言えます。
私たちもまた、仏さまの静かなほほえみに見守られていることを忘れずに、ほほえんで暮らせるように歩んでゆきたいものであります。
横田南嶺
【鎌倉円覚寺】毎日の管長日記と呼吸瞑想
臨済宗大本山円覚寺
- 11:411.
ほほえみに思う
コメント

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鎌倉時代以降、固く閉ざされた扉。開帳すると直ちに天罰が下ると信じられてきた法隆寺の秘仏。廃仏毀釈の渦中、明治開国時に夢殿の扉を開き、千年の歴史を塗り替えた岡倉天心やフェノロサ。秘仏開帳で顕になる救世観音像の微笑みに何を見たのか。。その歴史小説「秘仏の扉」(永井紗耶子著)を読み進めていたところでした(驚)💦
自分の顔は鏡で見ることしかできませんが、自分の顔が見えないところでも「微笑み」は常に意識しておきたいと思います☺️ありがとうございます✨
一時期、口角が下がって不機嫌な顔になっている時がありました。顔全体で微笑もうとしなかったから唇が力んで食いしばったみたいになっていました。かえって酷い顰めっ面でした。
辛くても笑顔にするだけで気持ちが変わる、と何かで読んでから毎朝顔を洗ったらニッコリ😃するようにしていますが、微笑むのって難しいな、と思いながらやっています。
ありがとうございました。
→自分も好きな会津八一の和歌です。
ところで昨夜、益田裕介医師のYouTubeを見ていました。(小池陽人さんのYouTuber巡礼連載にも出てきた方です。)最近韓国に在住の日本人YouTuberが自死し、その様子を配信した動画が拡散しているそうです。著名人の自殺後は後追いが多い。阻止するには、気持ちを受け止めて傾聴する、呼吸を合わせて安心してもらうようにすると言う話でした。その話しぶりからも安心感が伝わってきました。
露草の花言葉は「なつかしい関係」「尊敬」だそうです。