第2086回「秋の水と空」2026/9/23
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■管長日記「秋の水と空」
https://www.engakuji.or.jp/blog/40785/
■YouTube
https://youtu.be/Ia8akp5GAyY
■note
https://note.com/engakuji/n/n443598487e7b
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
-------------------------------------------------
秋の気配も深まり、「落霞孤鶩と斉しく飛び、秋水長天と共に一色」という句を思いました。
色紙に「秋水長天と共に一色」と揮毫してみました。
これは王勃の作った一句です。
王勃は「初唐の詩人。字(あざな)は子安。若くして才をうたわれたが、早逝した。「滕王閣序(トウオウカクのジョ)」という文章を作ったことで有名。」と『広辞苑』に解説されています。
『広辞苑』では六四九年のお生まれで、六七六年に亡くなっていますので、二七歳ということになります。
「滕王閣」とは「中国江西省南昌にある滕王(唐の高祖の子元嬰)の築いた楼閣。王勃に詩があり、画題としても有名。岳陽楼・黄鶴楼と並んで江南三大名楼。」というものです。
王勃という方は、非常な早熟の天才で、若くして朝廷に仕えましたが、文章が原因で職を失ったり、罪に問われたりしたようです。
決して順調な官僚人生ということはできません。
さらに父の王福畤も、王勃に関係する事件のため交趾方面に左遷されたと伝えられています。
「滕王閣序」は、そうした王勃の人生の挫折を背景に作られていると言えます。
王勃は「滕王閣詩」に、
滕王の高閣 江渚に臨み
佩玉鳴鑾 歌舞罷む
と詠っています。
滕王の高楼は川辺にそびえているが、しかし、かつてここに響いた華やかな歌舞の音は、もはや絶えてしまったという意味です。
栄華と衰亡とを対照させています。
王勃は父を訪ねるため、交趾へ向かう旅の途中で南昌に立ち寄ったと伝えられています。
その時、洪州都督の閻伯嶼(えんはくしょ)が滕王閣で盛大な宴会を催していました。
秋の宴であったとされます。
そこで参会者たちに文章を作らせることになり、王勃が「滕王閣序」を書いた、というのが伝統的な説明です。
「滕王閣序」は長い文章ですが、前半では、土地と宴会の素晴らしさを華麗な対句で描いています。
そして滕王閣から秋景色を眺め、
落霞と孤鶩と斉しく飛び
秋水、長天と共に一色
という一句が出てきます。
鶩は、あひるや野鴨などの水鳥を表す字です。
夕霞は一羽の水鳥とともに飛び、秋の水は果てしない空と一つの色になっているという意味です。
ところがそのあと
天高く地迥(はる)かなり、宇宙の無窮なるを覚ゆ。興尽き悲来たり、盈虚の数有るを識る
という句が出てきます。
天は高く、地は遥かに広がり、宇宙の果てしなさを覚える。
楽しみが極まれば悲しみが訪れ、満ちることと欠けることには定めがあるのだと知るというのです。
宇宙の悠久と人間のはかなさを詠っています。
王勃は更に、
関山越え難く、誰か失路の人を悲しまん。萍水相逢うも、尽く是れ他郷の客。
と詠います。
関所や山々を越えてゆくのは難しい。
道を失った者を、いったい誰が悲しんでくれるだろう。
浮草と水とが偶然出会うように、ここに集った者たちは、みな異郷にある旅人なのであるという意味です。
そして
嗟乎、時運斉(ととの)わず、命途舛(たが)うこと多し
時の巡り合わせは思うようにならず、人生の行く手には思いどおりにならないことが多いと嘆きます。
しかし、
老いて当に益々壮んなるべく、寧ろ白首の心を移さんや。
窮して且つ益々堅く、青雲の志を墜とさず。
と詠います。
年老いても、ますます意気盛んであるべきで、どうして白髪になったからといって志を変えようか。
苦境にあればあるほど、いよいよ志を堅くし、青雲の志を失ってはならないというのです。
そこで詩を詠います。
滕王の高閣 江渚に臨み
佩玉鳴鑾 歌舞罷む
畫棟、朝に飛ぶ 南浦の雲
朱簾、暮に捲く 西山の雨
閒雲潭影 日々悠悠たり
物換わり星移る 幾度の秋ぞ
閣中の帝子 今何くにか在る
檻外の長江 空しく自ずから流る
という漢詩であります。
滕王の建てた高い楼閣は、川のほとりにそびえている。
かつてここで華やかに鳴り響いていた玉飾りや鈴の音も、歌や舞も、今はもう絶えてしまった。
美しく彩られた棟には、朝になると南浦から雲が流れてきて舞い、
珠を連ねた簾には、夕暮れになると西山に降る雨がまとわりつくように見える。
空に浮かぶ雲はのどかに流れ、深い淵の水にはその影が映っている。
そのように日は悠々と過ぎてゆき、世の中の物事は移り変わり、星々も巡って、いったい幾度の秋が過ぎたことだろう。
この楼閣にかつていた滕王は、今はどこにいるのだろうか。
ただ欄干の外では、長江だけが昔と変わらず、むなしく流れ続けている。
という意味です。
「落霞と孤鶩と斉しく飛び、秋水長天と共に一色」という句は、大慧禅師が法語の中で使い、大燈国師も使われています。
これは異なるものが異なる姿のままで、しかも隔てのない一つの世界となっていることを表しています。
もともとは初唐の若き天才が秋の雄大な景色を描いた名文が、数百年後の宋代に大慧禅師に用いられ、更に日本の禅林では、大燈国師が用いられています。
「一と二」「同と異」という相対差別を超える心境を示す一句として使われているのです。
秋の空を眺めながら、こんな句を口ずさんでみたのでした。
横田南嶺
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最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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秋の気配も深まり、「落霞孤鶩と斉しく飛び、秋水長天と共に一色」という句を思いました。
色紙に「秋水長天と共に一色」と揮毫してみました。
これは王勃の作った一句です。
王勃は「初唐の詩人。字(あざな)は子安。若くして才をうたわれたが、早逝した。「滕王閣序(トウオウカクのジョ)」という文章を作ったことで有名。」と『広辞苑』に解説されています。
『広辞苑』では六四九年のお生まれで、六七六年に亡くなっていますので、二七歳ということになります。
「滕王閣」とは「中国江西省南昌にある滕王(唐の高祖の子元嬰)の築いた楼閣。王勃に詩があり、画題としても有名。岳陽楼・黄鶴楼と並んで江南三大名楼。」というものです。
王勃という方は、非常な早熟の天才で、若くして朝廷に仕えましたが、文章が原因で職を失ったり、罪に問われたりしたようです。
決して順調な官僚人生ということはできません。
さらに父の王福畤も、王勃に関係する事件のため交趾方面に左遷されたと伝えられています。
「滕王閣序」は、そうした王勃の人生の挫折を背景に作られていると言えます。
王勃は「滕王閣詩」に、
滕王の高閣 江渚に臨み
佩玉鳴鑾 歌舞罷む
と詠っています。
滕王の高楼は川辺にそびえているが、しかし、かつてここに響いた華やかな歌舞の音は、もはや絶えてしまったという意味です。
栄華と衰亡とを対照させています。
王勃は父を訪ねるため、交趾へ向かう旅の途中で南昌に立ち寄ったと伝えられています。
その時、洪州都督の閻伯嶼(えんはくしょ)が滕王閣で盛大な宴会を催していました。
秋の宴であったとされます。
そこで参会者たちに文章を作らせることになり、王勃が「滕王閣序」を書いた、というのが伝統的な説明です。
「滕王閣序」は長い文章ですが、前半では、土地と宴会の素晴らしさを華麗な対句で描いています。
そして滕王閣から秋景色を眺め、
落霞と孤鶩と斉しく飛び
秋水、長天と共に一色
という一句が出てきます。
鶩は、あひるや野鴨などの水鳥を表す字です。
夕霞は一羽の水鳥とともに飛び、秋の水は果てしない空と一つの色になっているという意味です。
ところがそのあと
天高く地迥(はる)かなり、宇宙の無窮なるを覚ゆ。興尽き悲来たり、盈虚の数有るを識る
という句が出てきます。
天は高く、地は遥かに広がり、宇宙の果てしなさを覚える。
楽しみが極まれば悲しみが訪れ、満ちることと欠けることには定めがあるのだと知るというのです。
宇宙の悠久と人間のはかなさを詠っています。
王勃は更に、
関山越え難く、誰か失路の人を悲しまん。萍水相逢うも、尽く是れ他郷の客。
と詠います。
関所や山々を越えてゆくのは難しい。
道を失った者を、いったい誰が悲しんでくれるだろう。
浮草と水とが偶然出会うように、ここに集った者たちは、みな異郷にある旅人なのであるという意味です。
そして
嗟乎、時運斉(ととの)わず、命途舛(たが)うこと多し
時の巡り合わせは思うようにならず、人生の行く手には思いどおりにならないことが多いと嘆きます。
しかし、
老いて当に益々壮んなるべく、寧ろ白首の心を移さんや。
窮して且つ益々堅く、青雲の志を墜とさず。
と詠います。
年老いても、ますます意気盛んであるべきで、どうして白髪になったからといって志を変えようか。
苦境にあればあるほど、いよいよ志を堅くし、青雲の志を失ってはならないというのです。
そこで詩を詠います。
滕王の高閣 江渚に臨み
佩玉鳴鑾 歌舞罷む
畫棟、朝に飛ぶ 南浦の雲
朱簾、暮に捲く 西山の雨
閒雲潭影 日々悠悠たり
物換わり星移る 幾度の秋ぞ
閣中の帝子 今何くにか在る
檻外の長江 空しく自ずから流る
という漢詩であります。
滕王の建てた高い楼閣は、川のほとりにそびえている。
かつてここで華やかに鳴り響いていた玉飾りや鈴の音も、歌や舞も、今はもう絶えてしまった。
美しく彩られた棟には、朝になると南浦から雲が流れてきて舞い、
珠を連ねた簾には、夕暮れになると西山に降る雨がまとわりつくように見える。
空に浮かぶ雲はのどかに流れ、深い淵の水にはその影が映っている。
そのように日は悠々と過ぎてゆき、世の中の物事は移り変わり、星々も巡って、いったい幾度の秋が過ぎたことだろう。
この楼閣にかつていた滕王は、今はどこにいるのだろうか。
ただ欄干の外では、長江だけが昔と変わらず、むなしく流れ続けている。
という意味です。
「落霞と孤鶩と斉しく飛び、秋水長天と共に一色」という句は、大慧禅師が法語の中で使い、大燈国師も使われています。
これは異なるものが異なる姿のままで、しかも隔てのない一つの世界となっていることを表しています。
もともとは初唐の若き天才が秋の雄大な景色を描いた名文が、数百年後の宋代に大慧禅師に用いられ、更に日本の禅林では、大燈国師が用いられています。
「一と二」「同と異」という相対差別を超える心境を示す一句として使われているのです。
秋の空を眺めながら、こんな句を口ずさんでみたのでした。
横田南嶺
【鎌倉円覚寺】毎日の管長日記と呼吸瞑想
臨済宗大本山円覚寺
- 12:361.
秋の水と空
コメント

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『年老いても、ますます意気盛んであるべきで、どうして白髪になったからといって志を変えようか。』にちょっとドキッとしました。大した志もありませんが、もうボチボチ鎧を脱いで気楽にやっていきたい、という心境でしたので‥。ちょっと考えてみます。
それにしても王勃さんは27歳までにこんな詩を詠むとは!
ありがとうございました。
→南昌は江西省の省都です。交趾は?と調べて見ると、現在のベトナムのハノイ付近とか。唐代はハノイ付近も唐の版図だったのですね。
南昌の滕王閣
武漢の黄鶴楼
湖南省岳陽の岳陽楼
この3つは、江南三大名楼だそうです。いずれも唐代の有名な詩文に詠まれています。
中国では後世に破壊されても、名所旧跡を何度も再建します。滕王閣も然り。近代では1929年軍閥の争いで破壊されていて現在は1989年に29回目の再建がなされています。
台風前に黄梅院の内田老師が、台風のたびに山崩れがないように祈っていると、毎週のオンライン坐禅のお知らせメールに書いていました。
円覚寺は、谷底地形に建っています。近くの横須賀市でも大きな被害があったようです。ご無事だったでしょうか?
「落霞と孤鶩と斉しく飛び、秋水長天と共に一色」という句は、大慧禅師が法語の中で使い、大燈国師も使われています。....これは異なるものが異なる姿のままで、しかも隔てのない一つの世界となっていることを表しています。....「一と二」「同と異」という相対差別を超える心境を示す一句として使われているのです。
→台風前に秩父巡礼しました。その時霞んだ空と山の姿が一体に見えた景色を連想しました。
今日は秋分の日で境目ですね〜
「一と二」「同と異」という相対差別を超える
つながりを感じます。
良い一日をお過ごしください。