第2083回「丁寧に調える礼拝」2026/9/20
13:07
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■管長日記「丁寧に調える礼拝」
https://www.engakuji.or.jp/blog/40769/
■YouTube
https://youtu.be/jZp-cABYDho
■note
https://note.com/engakuji/n/n69eaff7dea2f
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
-------------------------------------------------
先の第二日曜日は、いつものように日曜説教でした。
いつものようにと申しましたが、変わったこともありました。
始まる時間を遅らせたことであります。
長年にわたって九時から始まっていましたが、九時半からとしました。
これは行列のためであります。
円覚寺の開門が八時半からで、九時からの日曜説教のために、大勢の方が門の前に並んでくださるのです。
これが多くなりすぎて、地元の方からもなんとかしてほしいというお声をいただくようになりました。
そこでいろいろ考えて、日曜説教の始まりを三十分遅らせることで、混雑を緩和させたのでした。
それに合わせて、法話のあとの坐禅も多くなりすぎていたので、居士林に会場を移して行うようにしたのでした。
もっとも居士林の方が狭いので、無理な話でありますが、先着80名ということにしたようでした。
当然坐ることができない人が多く出てしまい、これはまた検討の必要があります。
試行錯誤しながら、工夫しているところであります。
日曜説教では、怨親平等について話をしました。
九月になると、円覚寺の総門の下には、「開山忌」という大きな駒札が立てられます。
十月三日に開山忌が行われることを示すためのものです。
開山忌は、円覚寺の開山仏光国師のご命日の法要であります。
お亡くなりになったのは九月三日ですが、一月遅れの十月三日に法要を行います。
円覚寺では一年で最も大きく、最も大切な法要であります。
来月に開山忌を控えて、日曜説教でも仏光国師の話をさせていただこうと思ったのでした。
怨親平等は、「敵・味方の差別なく、平等に慈悲の心で接すること。」であり、「敵も味方もともに平等であるという立場から、敵味方の幽魂を弔うこと。」であります。
仏典では『大智度論』や『華厳経』などに「怨親平等」という言葉を見ることができます。
ただそれらは敵味方の供養というよりも、身内も他人も平等に接する慈悲を説いています。
元寇が終わって敵味方を平等に供養したのが仏光国師であります。
もっとも日本には、それ以前に敵味方を供養した例があります。
平安時代に謀反を起こした平将門、藤原純友を朱雀天皇が供養しています。
平将門と藤原純友の反乱は、「承平天慶の乱」と呼ばれるものです。
将門は承平年間に東国で同族間の私闘を続け、九三九年(天慶二)常陸国府を襲撃して公然と朝廷に反抗するに至りましたが、翌年藤原秀郷や平貞盛のために敗れて亡くなります。
純友は西国で海賊討伐を命ぜられていましたが、九三九年自ら海賊を率いて朝廷に反抗し、九四一年に敗れて亡くなったという事件であります。
朱雀天皇は、天慶九年に村上天皇に譲位され、この乱で命を落とした官軍賊軍の兵士達に厚き同情を寄せられました。
天慶十年(九四七)三月二十八日に、比叡山延暦寺の講堂に於て、一千人の僧を請じて、大供養を行われたのでした。
その時に上皇は、「官軍と雖も賊軍と雖も、共にわが王民である。」という趣旨を述べられて、亡くなった将門や純友の御霊も供養されたのでした。
この供養の願文には、直接怨霊をおそれるという言葉は見られませんが、この頃は死者の御霊化をおそれていた一面もあろうかと察します。
仏光国師の場合は、『華厳経』の慈悲の教えに基づいて、
「前歳及び往古、此軍及び他軍、戦死と溺水と万衆、無帰の魂、唯だ願わくは速かに救抜し、皆将に苦海を超えることを得、法界了に差無く、怨親悉く平等ならんことを」と法語を述べて供養されています。
意訳しますと「前年の戦い、さらには遠い昔からの戦いにおいて、我が軍も敵の軍も、戦って命を落とした者、水に溺れて亡くなった者、その数知れぬ人々の、帰るところのない魂を、どうか速やかに救い出してください。すべての者が苦しみの海を超えることができますように。仏の真実の世界においては、もはや何の隔てもなく、怨みある者も親しい者も、敵も味方も、ことごとく平等となりますように」という願いであります。
そんなお心を大事にしたいと申し上げたのでした。
その日はそのまま引き続き、仏日庵の法話に参りました。
十時半に日曜説教を終えて、十一時から仏日庵の法話であります。
施餓鬼の法要ですので、このように法要を行うことの意義についてお話をさせていただきました。
そして午後二時からは布薩であります。
五十名ほどの皆さんと共に二十七回の礼拝を繰り返して懺悔して戒の条文を読み上げます。
身体を動かしながら、身体をほぐしてから礼拝を丁寧に呼吸に合わせて行うようにします。
参加者の方からも「今日は足に自信がなかったのですが、丁寧に足を調えて頂いたら、しっかり足裏が意識でき、畳の目が感じられ、布薩にのぞむことができました。」というお声をいただきました。
今回は足のうらを丁寧に調えてゆきました。
そうして礼拝を繰り返すと、身心共にとても調いました。
調うと楽になって、疲れもとれるものです。
その前日は遅くまで禅文化研究所の夏季講座を務め、その日は朝早く起きて、法話を続けて二回行ったので、疲れていると感じていました。
それでも、布薩で礼拝をして身体が調うと、疲れも軽くなっていました。
疲れを取るには休むことも大事でしょうが、よく調えることによっても、疲れは和らぐものだと思いました。
いただいた感想の中に「だんだん参加者数が少なくなり、このまま減り続けるのではないかと心配しています」というお言葉もございます。
たしかに参加者の数は減っているようであります。
別に気にすることもないと思っています。
多ければ良いということもありません。
もっと少ない方が丁寧にできると思っています。
イス坐禅も今月から人数を減らすようにしています。
大きいことは良いこと、大勢が良いことという考えを私は持っていません。
変わらず丁寧に礼拝をして身心を調えて精進して参ります。
横田南嶺
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https://note.com/engakuji/n/n69eaff7dea2f
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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先の第二日曜日は、いつものように日曜説教でした。
いつものようにと申しましたが、変わったこともありました。
始まる時間を遅らせたことであります。
長年にわたって九時から始まっていましたが、九時半からとしました。
これは行列のためであります。
円覚寺の開門が八時半からで、九時からの日曜説教のために、大勢の方が門の前に並んでくださるのです。
これが多くなりすぎて、地元の方からもなんとかしてほしいというお声をいただくようになりました。
そこでいろいろ考えて、日曜説教の始まりを三十分遅らせることで、混雑を緩和させたのでした。
それに合わせて、法話のあとの坐禅も多くなりすぎていたので、居士林に会場を移して行うようにしたのでした。
もっとも居士林の方が狭いので、無理な話でありますが、先着80名ということにしたようでした。
当然坐ることができない人が多く出てしまい、これはまた検討の必要があります。
試行錯誤しながら、工夫しているところであります。
日曜説教では、怨親平等について話をしました。
九月になると、円覚寺の総門の下には、「開山忌」という大きな駒札が立てられます。
十月三日に開山忌が行われることを示すためのものです。
開山忌は、円覚寺の開山仏光国師のご命日の法要であります。
お亡くなりになったのは九月三日ですが、一月遅れの十月三日に法要を行います。
円覚寺では一年で最も大きく、最も大切な法要であります。
来月に開山忌を控えて、日曜説教でも仏光国師の話をさせていただこうと思ったのでした。
怨親平等は、「敵・味方の差別なく、平等に慈悲の心で接すること。」であり、「敵も味方もともに平等であるという立場から、敵味方の幽魂を弔うこと。」であります。
仏典では『大智度論』や『華厳経』などに「怨親平等」という言葉を見ることができます。
ただそれらは敵味方の供養というよりも、身内も他人も平等に接する慈悲を説いています。
元寇が終わって敵味方を平等に供養したのが仏光国師であります。
もっとも日本には、それ以前に敵味方を供養した例があります。
平安時代に謀反を起こした平将門、藤原純友を朱雀天皇が供養しています。
平将門と藤原純友の反乱は、「承平天慶の乱」と呼ばれるものです。
将門は承平年間に東国で同族間の私闘を続け、九三九年(天慶二)常陸国府を襲撃して公然と朝廷に反抗するに至りましたが、翌年藤原秀郷や平貞盛のために敗れて亡くなります。
純友は西国で海賊討伐を命ぜられていましたが、九三九年自ら海賊を率いて朝廷に反抗し、九四一年に敗れて亡くなったという事件であります。
朱雀天皇は、天慶九年に村上天皇に譲位され、この乱で命を落とした官軍賊軍の兵士達に厚き同情を寄せられました。
天慶十年(九四七)三月二十八日に、比叡山延暦寺の講堂に於て、一千人の僧を請じて、大供養を行われたのでした。
その時に上皇は、「官軍と雖も賊軍と雖も、共にわが王民である。」という趣旨を述べられて、亡くなった将門や純友の御霊も供養されたのでした。
この供養の願文には、直接怨霊をおそれるという言葉は見られませんが、この頃は死者の御霊化をおそれていた一面もあろうかと察します。
仏光国師の場合は、『華厳経』の慈悲の教えに基づいて、
「前歳及び往古、此軍及び他軍、戦死と溺水と万衆、無帰の魂、唯だ願わくは速かに救抜し、皆将に苦海を超えることを得、法界了に差無く、怨親悉く平等ならんことを」と法語を述べて供養されています。
意訳しますと「前年の戦い、さらには遠い昔からの戦いにおいて、我が軍も敵の軍も、戦って命を落とした者、水に溺れて亡くなった者、その数知れぬ人々の、帰るところのない魂を、どうか速やかに救い出してください。すべての者が苦しみの海を超えることができますように。仏の真実の世界においては、もはや何の隔てもなく、怨みある者も親しい者も、敵も味方も、ことごとく平等となりますように」という願いであります。
そんなお心を大事にしたいと申し上げたのでした。
その日はそのまま引き続き、仏日庵の法話に参りました。
十時半に日曜説教を終えて、十一時から仏日庵の法話であります。
施餓鬼の法要ですので、このように法要を行うことの意義についてお話をさせていただきました。
そして午後二時からは布薩であります。
五十名ほどの皆さんと共に二十七回の礼拝を繰り返して懺悔して戒の条文を読み上げます。
身体を動かしながら、身体をほぐしてから礼拝を丁寧に呼吸に合わせて行うようにします。
参加者の方からも「今日は足に自信がなかったのですが、丁寧に足を調えて頂いたら、しっかり足裏が意識でき、畳の目が感じられ、布薩にのぞむことができました。」というお声をいただきました。
今回は足のうらを丁寧に調えてゆきました。
そうして礼拝を繰り返すと、身心共にとても調いました。
調うと楽になって、疲れもとれるものです。
その前日は遅くまで禅文化研究所の夏季講座を務め、その日は朝早く起きて、法話を続けて二回行ったので、疲れていると感じていました。
それでも、布薩で礼拝をして身体が調うと、疲れも軽くなっていました。
疲れを取るには休むことも大事でしょうが、よく調えることによっても、疲れは和らぐものだと思いました。
いただいた感想の中に「だんだん参加者数が少なくなり、このまま減り続けるのではないかと心配しています」というお言葉もございます。
たしかに参加者の数は減っているようであります。
別に気にすることもないと思っています。
多ければ良いということもありません。
もっと少ない方が丁寧にできると思っています。
イス坐禅も今月から人数を減らすようにしています。
大きいことは良いこと、大勢が良いことという考えを私は持っていません。
変わらず丁寧に礼拝をして身心を調えて精進して参ります。
横田南嶺
【鎌倉円覚寺】毎日の管長日記と呼吸瞑想
臨済宗大本山円覚寺
- 13:071.
丁寧に調える礼拝
コメント

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日曜説法もいつか参加したい!
35年ほど前、ちょっと旅行はしたことあるんですが。
禅センターみたいな体型で座禅などもしているようです。
こちらにいらっしゃる機会がある時はご連絡くださーい!
会社員と違って朝会社に行ってそこで自分のペースで仕事をする、というのでなく、あちこちに出向かれて初めて会うたくさんの人と交流するのはお気を遣われる事が多いと拝察します。
体はクタクタなのに頭が興奮状態の時10分でもしずかに座ると楽になります。
『丁寧に』『整える』大事にしたいです。
ありがとうございました。
皆様台風お気をつけて🌀
ところで、昨日信州善光寺のお朝事に参加しました。内陣での天台宗、浄土宗の法要の後、見知らぬ老婦人が近寄ってきて「姿勢が良い」と褒めてくださいました。(尼僧かと思っていましたとのこと)南嶺老師のイス坐禅会にほぼ毎月通っている功徳かなと思いました。感謝致します。🙏
案内の善光寺先達の仕事にも興味を感じました。
十時半に日曜説教を終えて、十一時から仏日庵の法話であります。
施餓鬼の法要ですので、このように法要を行うことの意義についてお話をさせていただきました。
そして午後二時からは布薩であります。
→この日は日曜出勤でした。南嶺老師は、毎月の日曜説教→布薩だけでなく、佛日庵でも法話をされたのですね。🙏
布薩は心身が整う感じがするので、参加できる時は是非参加したいものです。
日曜説教は、週の初めに早速YouTubeで拝聴できました。🙏