第2075回「人と比べないための三つの方法」2026/9/12
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■管長日記「人と比べないための三つの方法」
https://www.engakuji.or.jp/blog/40739/
■YouTube
https://youtu.be/PyQVXqfr1Fo
■note
https://note.com/engakuji/n/n0fe8a2095340
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
-------------------------------------------------
先日は須磨寺で、小池陽人さんのご法話を拝聴しました。
まずはじめに人と比べることが苦しみを生み出すのだと話してくださいました。
そこから比べないための具体的な方法を三つ教えてくださいました。
これは小池さんがご自身の体験から見出された方法であります。
こういう方法を見出されるということは、まず自らが真摯に仏道を求め続けて、実践し研鑽を積まれて、比べないためにはどうしたよいかを求めていらっしゃるからであります。
ご自身が見出された方法ですから、とても説得力があるのです。
その三つとは、一つ目は「足の裏」、二つ目は「自己を彫る」、三つ目は「感謝」なのです。
小池さんは今年大峯山の奥駈修行に行っておられました。
これはたいへんな難行であることを聴いています。
小池さんも命がけだったと仰っていました。
小池さんは毎年大峯山での修行をなされていますし、もともとサッカーをなさっていて足には自信があったそうです。
ところが五日分の重い荷物を背負って山道を歩き続けるのですから、なんと初日の終わり頃に、右膝を痛めてしまったというのです。
膝を痛めるというのはたいへんなことであります。
しかも初日ですからこれから何日も歩かなければならないのに、どうしようかと不安になったそうです。
その時、先達の方から「足の裏に意識を向けてみろ」と教えられたそうです。
地下足袋を通して地面を踏みしめる足の裏の感覚を大切にするのです。
そこで翌日から足の裏を意識して歩いたそうです。
すると不思議なことに、なんとか最後まで歩き通すことができたというのです。
その時に思い出したのが、坂村真民先生の「尊いのは足の裏である」という詩だったのでした。
小池さんは真民先生の「尊いのは足の裏である」という詩を朗読してくださっていました。
坂村先生は詩の中で「足の裏的な仕事をし、足の裏的な人間になれ」と説かれていますが、これは仏教でいえば「陰徳」にあたると小池さんは説かれていました。
人が見ているから善いことをするのではなく、誰も見ていないところで、自分の務めを黙々と果たしていくことです。
そこには、人と比べる必要がないのです。
小池さんはみんなに「今日出かける前、足の裏を撫でてから出かけた人はいらっしゃいますでしょうか」と問いかけられていました。
私は毎朝真向法を行いますので、その第一体操の折に足の裏をさすって感謝をしています。
これは比べないことの第一だと思いました。
二つ目は「自己を彫る」ということでした。
これはどういうことかなと思って聞いていました。
仏師の山高龍雲先生の話をなされていました。
山高先生は仏像を彫っているうちに、やがて自分が仏像を彫っているのではなく、仏さまから「こう彫りなさい」と教えられるような瞬間が訪れるというのです。
彫っているうちに仏師の意志はなくなり、仏さまがこう彫りなさいというご指示があって、その通りに仏師は体を動かしていく、この瞬間が仏師として一番楽しい時間なのだというお話でした。
石の彫刻家の舟越保武さんも「石を彫ることは自己を彫ること」と仰ったそうです。
作るのと彫るのとでは違うのです。
小池さんは、私たちは自分を「作ろう」としていると言います。
もっと知識を得たい、もっと能力を身につけたい、もっと評価されたい。
そう思うと、足りないものばかりが目につくのです。
そして、あの人にはあるのに自分にはないと、人と比べ始めてしまいます。
しかし「自己を彫る」と考えたらどうでしょうかと小池さんは語りかけます。
足りないものを付け加えるのではなく、よけいなものを削ぎ落としていくのです。
それが彫ることなのです。
人からどう見られるか、人からどう評価されるか、そんな執着を一つ一つ削ぎ落としていくと、もともとそこにあった本当の自分が現れてくるのではないでしょうかと仰っていました。
そこで弘法大師の言葉を紹介されていました。
「夫れ仏法遥かに非ず、心中にして即ち近し。真如外に非ず、身を棄てて何くにか求めん」という言葉です。
仏さまの世界は、どこか遠くにあるのではありません。
私たち自身の中にあるということなのです。
彫るというのは、よけいなものを削り取って中にあるものを掘り出していく営みだと思いました。
そして三つ目は「感謝」です。
これは実に単純なことですが、私はとても大切だと小池さんは仰います。
私たちは心から何かに感謝している時は人と比べていないというのです。
聞いていてなるほどその通りだと思いました。
今日も一日生きることができた、人と出会うことができた、こうして皆さんと同じ時間を過ごすことができたと、「有り難い」と感謝した時には、誰が上で誰が下とか、誰が得をして誰が損をしているかという比較の心から離れているというのです。
まず第一には足の裏のように、人知れず自分の務めを果たすこと、それから余計なものを削ぎ落とし、自己を彫るということ、そして、今ここにあるものに感謝することの三つです。
小池さんは最後に比べる心は、簡単にはなくならないでしょうと仰います。
しかし、この三つを大切にして暮らしていけば、人と比べる苦しみから少しずつ自由になっていけるのではないかとお示しくださいました。
最後に読まれた東日本大震災の直後、当時小学五年生だった菊田心くんが書いた詩「ありがとう」も心に染み入って、有り難いご法話でありました。
そのあと私の拙い話となったのですが、小池さんが比べないことだと説いてくださったあとですので、安心してお話させてもらいました。
横田南嶺
https://www.engakuji.or.jp/blog/40739/
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https://note.com/engakuji/n/n0fe8a2095340
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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先日は須磨寺で、小池陽人さんのご法話を拝聴しました。
まずはじめに人と比べることが苦しみを生み出すのだと話してくださいました。
そこから比べないための具体的な方法を三つ教えてくださいました。
これは小池さんがご自身の体験から見出された方法であります。
こういう方法を見出されるということは、まず自らが真摯に仏道を求め続けて、実践し研鑽を積まれて、比べないためにはどうしたよいかを求めていらっしゃるからであります。
ご自身が見出された方法ですから、とても説得力があるのです。
その三つとは、一つ目は「足の裏」、二つ目は「自己を彫る」、三つ目は「感謝」なのです。
小池さんは今年大峯山の奥駈修行に行っておられました。
これはたいへんな難行であることを聴いています。
小池さんも命がけだったと仰っていました。
小池さんは毎年大峯山での修行をなされていますし、もともとサッカーをなさっていて足には自信があったそうです。
ところが五日分の重い荷物を背負って山道を歩き続けるのですから、なんと初日の終わり頃に、右膝を痛めてしまったというのです。
膝を痛めるというのはたいへんなことであります。
しかも初日ですからこれから何日も歩かなければならないのに、どうしようかと不安になったそうです。
その時、先達の方から「足の裏に意識を向けてみろ」と教えられたそうです。
地下足袋を通して地面を踏みしめる足の裏の感覚を大切にするのです。
そこで翌日から足の裏を意識して歩いたそうです。
すると不思議なことに、なんとか最後まで歩き通すことができたというのです。
その時に思い出したのが、坂村真民先生の「尊いのは足の裏である」という詩だったのでした。
小池さんは真民先生の「尊いのは足の裏である」という詩を朗読してくださっていました。
坂村先生は詩の中で「足の裏的な仕事をし、足の裏的な人間になれ」と説かれていますが、これは仏教でいえば「陰徳」にあたると小池さんは説かれていました。
人が見ているから善いことをするのではなく、誰も見ていないところで、自分の務めを黙々と果たしていくことです。
そこには、人と比べる必要がないのです。
小池さんはみんなに「今日出かける前、足の裏を撫でてから出かけた人はいらっしゃいますでしょうか」と問いかけられていました。
私は毎朝真向法を行いますので、その第一体操の折に足の裏をさすって感謝をしています。
これは比べないことの第一だと思いました。
二つ目は「自己を彫る」ということでした。
これはどういうことかなと思って聞いていました。
仏師の山高龍雲先生の話をなされていました。
山高先生は仏像を彫っているうちに、やがて自分が仏像を彫っているのではなく、仏さまから「こう彫りなさい」と教えられるような瞬間が訪れるというのです。
彫っているうちに仏師の意志はなくなり、仏さまがこう彫りなさいというご指示があって、その通りに仏師は体を動かしていく、この瞬間が仏師として一番楽しい時間なのだというお話でした。
石の彫刻家の舟越保武さんも「石を彫ることは自己を彫ること」と仰ったそうです。
作るのと彫るのとでは違うのです。
小池さんは、私たちは自分を「作ろう」としていると言います。
もっと知識を得たい、もっと能力を身につけたい、もっと評価されたい。
そう思うと、足りないものばかりが目につくのです。
そして、あの人にはあるのに自分にはないと、人と比べ始めてしまいます。
しかし「自己を彫る」と考えたらどうでしょうかと小池さんは語りかけます。
足りないものを付け加えるのではなく、よけいなものを削ぎ落としていくのです。
それが彫ることなのです。
人からどう見られるか、人からどう評価されるか、そんな執着を一つ一つ削ぎ落としていくと、もともとそこにあった本当の自分が現れてくるのではないでしょうかと仰っていました。
そこで弘法大師の言葉を紹介されていました。
「夫れ仏法遥かに非ず、心中にして即ち近し。真如外に非ず、身を棄てて何くにか求めん」という言葉です。
仏さまの世界は、どこか遠くにあるのではありません。
私たち自身の中にあるということなのです。
彫るというのは、よけいなものを削り取って中にあるものを掘り出していく営みだと思いました。
そして三つ目は「感謝」です。
これは実に単純なことですが、私はとても大切だと小池さんは仰います。
私たちは心から何かに感謝している時は人と比べていないというのです。
聞いていてなるほどその通りだと思いました。
今日も一日生きることができた、人と出会うことができた、こうして皆さんと同じ時間を過ごすことができたと、「有り難い」と感謝した時には、誰が上で誰が下とか、誰が得をして誰が損をしているかという比較の心から離れているというのです。
まず第一には足の裏のように、人知れず自分の務めを果たすこと、それから余計なものを削ぎ落とし、自己を彫るということ、そして、今ここにあるものに感謝することの三つです。
小池さんは最後に比べる心は、簡単にはなくならないでしょうと仰います。
しかし、この三つを大切にして暮らしていけば、人と比べる苦しみから少しずつ自由になっていけるのではないかとお示しくださいました。
最後に読まれた東日本大震災の直後、当時小学五年生だった菊田心くんが書いた詩「ありがとう」も心に染み入って、有り難いご法話でありました。
そのあと私の拙い話となったのですが、小池さんが比べないことだと説いてくださったあとですので、安心してお話させてもらいました。
横田南嶺
【鎌倉円覚寺】毎日の管長日記と呼吸瞑想
臨済宗大本山円覚寺
- 12:491.
人と比べないための三つの方法
コメント

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自分を彫る!彫っていませんでした!
足の裏には驚きです!ありがとうございます♪
陽人さんのこの日の法話、「人と比べないために大切なこと」= 一つ目は「足の裏」、二つ目は「自己を彫る」、三つ目は「感謝」
→須磨寺の三者三様法話会から、もう既に1週間なのですね。「時間過得真快!(=時が過ぎるのは本当に速い!)」
三つのどれも大切に心がけたいです。
今日は土曜出勤ですが、頑張ろうと思います。通勤の途中、陽人さんの「喫茶混沌」を聞こうっと😀。