第2069回「冒険」2026/9/6
11:57
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■管長日記「冒険」
https://www.engakuji.or.jp/blog/40726/
■YouTube
https://youtu.be/TrLLOpfCAwU
■note
https://note.com/engakuji/n/n180079bc4e4a
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
-------------------------------------------------
八月最後の日曜日は、鎌倉エフエムのラジオに出演していました。
ごきげんラジオという番組であります。
毎回いろんなテーマがあって、そのテーマについてお便りをいただいて、番組の中で読んで紹介するのです。
今回のテーマは、「冒険」でありました。
なんでもその八月三十日というのは冒険の日なのだそうです。
一九七〇年八月三〇日に、あの有名な植村直己さんがマッキンリー単独登頂に成功し、世界五大陸最高峰の山々を制覇したのでした。
一九八九年八月三〇日には堀江謙一さんが世界最小の小型ヨットで太平洋横断に挑戦して成功した日でもあるそうです。
いろんな冒険があるものです。
「冒険」という言葉は『広辞苑』で調べると、「危険をおかすこと。成功のたしかでないことをあえてすること。」という意味が書かれています。
「冒険するだけの価値はある」「その企画は冒険だ」という用例がございます。
まさに字の通りで危険を冒すことが冒険であります。
ラジオを聞いてくださっている方からはご自身のいろんな冒険の体験を書いて寄せてくださっていました。
子供のころに防空壕に入ってみるという体験を書いてくださっていた方もいらっしゃいました。
私も子供の頃、家のすぐ近くに防空壕が残っていて、親からはそこに入ってはいけないと言われていたのですが、中に入ったものでした。
こんなことも危険を冒す冒険でありました。
番組中で、初めて一人で旅をしたのはいつですかと村上信夫さんに問われました。
はじめて一人で旅をするというのも、ひとつの「冒険」と言えるのでしょう。
私は思い出すと、中学生の頃に和歌山県由良町の興国寺に参禅に行ったのが、はじめての一人旅でありました。
他にも奈良の薬師寺に一人で写経にでかけたこともありました。
三重県の朝日町にある合掌園に行って内観の修行をしたことも一人で出かけたのでした。
これは高校生の頃でありました。
「冒険」という言葉を聞いて思い出したのが、釈宗演老師の言葉です。
仏典や語録にはあまり「冒険」という文字を見ないように思います。
釈宗演老師が『宗演禅話』の中に「臘八示衆」という文章を書かれています。
その中に、
「見ずや、釈迦世尊、雪山六年冒険的卓躅を。」
という一文があります。
お釈迦さまが難行苦行六年に挑まれたのは冒険的なことであったと表現されているのです。
「卓躅」とは、すぐれた足跡、すぐれた行跡という意味ですから、お釈迦さまの六年にわたる苦行を、冒険的な行跡と表現されているのでしょう。
たしかに命をかけての苦行に挑まれたのですから、危険を冒す行いであります。
天台大師のお師匠さんに慧思という方がいらっしゃいます。
南岳大師とも呼ばれます。
中国天台宗第二祖でいらっしゃいます。
「北斉の慧文禅師に就き法華経による禅定の境地(法華三昧)を体得し、また般若思想の実践者でもあり、般若・法華などの諸大乗経の講説につとめる」と岩波書店の『仏教辞典』には解説されています。
この方について『景徳伝灯録』巻二七に記述があります。
意訳すると「衡山の慧思禅師は武津の人で、俗姓は李氏であった。
頭の頂には肉髻のような盛り上がりがあり、牛のようにゆったりと歩き、象のように落ち着いた眼差しをしていた。
幼いころから慈悲深く寛容な人柄であることが、郷里の人々の間に知られていた。
ある時、夢の中にインド僧が現れて、世俗を離れて出家するよう勧めた。
そこで両親に別れを告げ、仏道に入った。
具足戒を受けてからは、常に坐禅に励み、食事は一日一食だけとした。『法華経』などの経典を千遍も読誦した。
また『妙勝定経』を読んで禅定の功徳に感嘆し、ついに発心して、教えを求めるべき師友を尋ねるようになった。」ということが書かれています。
慧思は師について法を受け、昼も夜も心を集中して、夏安居の坐禅修行に励んだのでした。
更に「しかし夏安居が終わっても、なお自分には本当に得たものがないと感じていた。
慧思は深く恥じ入り、力を抜いて身体を壁にもたせかけようとした。
ところが、背中がまだ壁に触れない、その瞬間、豁然として悟りが開けた。
そして「法華三昧」という最上乗の法門を、一念のうちに明らかに悟った。」
と書かれています。
やがて慧思のもとには多くの修行僧が集まるようになったのでした。
更に伝灯録には「北斉の天保年間、慧思は弟子たちを率いて南方へ向かった。
折しも梁の孝元帝をめぐる戦乱に遭遇したため、ひとまず大蘇山にとどまることになった。
しかし、自らの命を軽しとし、仏法を重しとする者たちは、互いに連れ立って危険を冒して慧思禅師のもとへやって来た。そして山林を埋め尽くすほどに集まった。」と書かれています。
「自らの命を軽しとし、仏法を重しとする者たちは、互いに連れ立って危険を冒して慧思禅師のもとへやって来た」という所の原文は、「生を軽んじ、法を重んじる者は相ともに険を冒して至る」となっています。
冒険という言葉は、経典や語録にはあまり見えないのですが、危険を冒してでも仏法を求めるという意味で使われています。
そんな祖師方には及びもしませんが、振り返ってみれば、私の一人旅というのは、興国寺への参禅であったり、薬師寺での写経であったり、合掌園での内観であったり、中学、高校の頃から、すべて仏法を求めての旅であったことに気がつきました。
もっとも安全な日本のことなので、これはとても「冒険」といえるほどのものではありません。
横田南嶺
https://www.engakuji.or.jp/blog/40726/
■YouTube
https://youtu.be/TrLLOpfCAwU
■note
https://note.com/engakuji/n/n180079bc4e4a
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
-------------------------------------------------
八月最後の日曜日は、鎌倉エフエムのラジオに出演していました。
ごきげんラジオという番組であります。
毎回いろんなテーマがあって、そのテーマについてお便りをいただいて、番組の中で読んで紹介するのです。
今回のテーマは、「冒険」でありました。
なんでもその八月三十日というのは冒険の日なのだそうです。
一九七〇年八月三〇日に、あの有名な植村直己さんがマッキンリー単独登頂に成功し、世界五大陸最高峰の山々を制覇したのでした。
一九八九年八月三〇日には堀江謙一さんが世界最小の小型ヨットで太平洋横断に挑戦して成功した日でもあるそうです。
いろんな冒険があるものです。
「冒険」という言葉は『広辞苑』で調べると、「危険をおかすこと。成功のたしかでないことをあえてすること。」という意味が書かれています。
「冒険するだけの価値はある」「その企画は冒険だ」という用例がございます。
まさに字の通りで危険を冒すことが冒険であります。
ラジオを聞いてくださっている方からはご自身のいろんな冒険の体験を書いて寄せてくださっていました。
子供のころに防空壕に入ってみるという体験を書いてくださっていた方もいらっしゃいました。
私も子供の頃、家のすぐ近くに防空壕が残っていて、親からはそこに入ってはいけないと言われていたのですが、中に入ったものでした。
こんなことも危険を冒す冒険でありました。
番組中で、初めて一人で旅をしたのはいつですかと村上信夫さんに問われました。
はじめて一人で旅をするというのも、ひとつの「冒険」と言えるのでしょう。
私は思い出すと、中学生の頃に和歌山県由良町の興国寺に参禅に行ったのが、はじめての一人旅でありました。
他にも奈良の薬師寺に一人で写経にでかけたこともありました。
三重県の朝日町にある合掌園に行って内観の修行をしたことも一人で出かけたのでした。
これは高校生の頃でありました。
「冒険」という言葉を聞いて思い出したのが、釈宗演老師の言葉です。
仏典や語録にはあまり「冒険」という文字を見ないように思います。
釈宗演老師が『宗演禅話』の中に「臘八示衆」という文章を書かれています。
その中に、
「見ずや、釈迦世尊、雪山六年冒険的卓躅を。」
という一文があります。
お釈迦さまが難行苦行六年に挑まれたのは冒険的なことであったと表現されているのです。
「卓躅」とは、すぐれた足跡、すぐれた行跡という意味ですから、お釈迦さまの六年にわたる苦行を、冒険的な行跡と表現されているのでしょう。
たしかに命をかけての苦行に挑まれたのですから、危険を冒す行いであります。
天台大師のお師匠さんに慧思という方がいらっしゃいます。
南岳大師とも呼ばれます。
中国天台宗第二祖でいらっしゃいます。
「北斉の慧文禅師に就き法華経による禅定の境地(法華三昧)を体得し、また般若思想の実践者でもあり、般若・法華などの諸大乗経の講説につとめる」と岩波書店の『仏教辞典』には解説されています。
この方について『景徳伝灯録』巻二七に記述があります。
意訳すると「衡山の慧思禅師は武津の人で、俗姓は李氏であった。
頭の頂には肉髻のような盛り上がりがあり、牛のようにゆったりと歩き、象のように落ち着いた眼差しをしていた。
幼いころから慈悲深く寛容な人柄であることが、郷里の人々の間に知られていた。
ある時、夢の中にインド僧が現れて、世俗を離れて出家するよう勧めた。
そこで両親に別れを告げ、仏道に入った。
具足戒を受けてからは、常に坐禅に励み、食事は一日一食だけとした。『法華経』などの経典を千遍も読誦した。
また『妙勝定経』を読んで禅定の功徳に感嘆し、ついに発心して、教えを求めるべき師友を尋ねるようになった。」ということが書かれています。
慧思は師について法を受け、昼も夜も心を集中して、夏安居の坐禅修行に励んだのでした。
更に「しかし夏安居が終わっても、なお自分には本当に得たものがないと感じていた。
慧思は深く恥じ入り、力を抜いて身体を壁にもたせかけようとした。
ところが、背中がまだ壁に触れない、その瞬間、豁然として悟りが開けた。
そして「法華三昧」という最上乗の法門を、一念のうちに明らかに悟った。」
と書かれています。
やがて慧思のもとには多くの修行僧が集まるようになったのでした。
更に伝灯録には「北斉の天保年間、慧思は弟子たちを率いて南方へ向かった。
折しも梁の孝元帝をめぐる戦乱に遭遇したため、ひとまず大蘇山にとどまることになった。
しかし、自らの命を軽しとし、仏法を重しとする者たちは、互いに連れ立って危険を冒して慧思禅師のもとへやって来た。そして山林を埋め尽くすほどに集まった。」と書かれています。
「自らの命を軽しとし、仏法を重しとする者たちは、互いに連れ立って危険を冒して慧思禅師のもとへやって来た」という所の原文は、「生を軽んじ、法を重んじる者は相ともに険を冒して至る」となっています。
冒険という言葉は、経典や語録にはあまり見えないのですが、危険を冒してでも仏法を求めるという意味で使われています。
そんな祖師方には及びもしませんが、振り返ってみれば、私の一人旅というのは、興国寺への参禅であったり、薬師寺での写経であったり、合掌園での内観であったり、中学、高校の頃から、すべて仏法を求めての旅であったことに気がつきました。
もっとも安全な日本のことなので、これはとても「冒険」といえるほどのものではありません。
横田南嶺
【鎌倉円覚寺】毎日の管長日記と呼吸瞑想
臨済宗大本山円覚寺
- 11:57
コメント

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小5の時東京の叔母のところに行くのに新幹線に1人で乗りました。駅に迎えに来てもらったのでただ新幹線に乗っただけだし、行ってこいと言われて行っただけで自発的ではありませんでした。でも鮮明に覚えています。冒険って記憶に残りますね。
防空壕もお寺の近くにいくつかありました。入れないようになっていましたしちょっと怖かったです。
歳をとると冒険せず平穏な道を選びがちですが、危険が伴わない冒険は必要だと思いました。
ありがとうございました。
あとは私も「西遊記」😊 禅と冒険あまり聞かない取り合わせも鎌倉FMのおかげでですね〜鎌倉に冒険しに行きたい!
禅の学びの冒険を始めました😚
https://note.com/eggm/m/m75717aedd675
「振り返ってみれば、私の一人旅というのは、興国寺への参禅であったり、薬師寺での写経であったり、合掌園での内観であったり、中学、高校の頃から、すべて仏法を求めての旅であったことに気がつきました。」
→さすがは南嶺老師。「栴檀は双葉より芳し」ですね。地元かも知れませんが、新宮市から熊野本宮へ山本玄峰老師の足跡を訪ねたと言う旅もそうではないでしょうか?