第2073回「秘仏」2026/9/10
13:14
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■管長日記「秘仏」
https://www.engakuji.or.jp/blog/40737/
■YouTube
https://youtu.be/UL79Ow03PMo
■note
https://note.com/engakuji/n/n92731cbfdb90
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
-------------------------------------------------
先だって東京国立博物館の「空海と真言の名宝」展に行って、三十三年に一度しかご開帳されないという秘仏を拝ませていただきました。
三重県の観菩提寺の十一面観音様であります。
観菩提寺では、この仏さまを本尊として観音悔過の法要を行っているのだそうです。
三十三年に一度、三重県の観菩提寺に行かないと拝むことができないお仏像を間近で拝ませていただけるのですから、有り難いことだとしみじみ思いました。
観菩提寺は、三重県の伊賀市にあって、奈良東大寺の実忠和尚により開創された由緒ある真言宗のお寺であります。
この観音悔過の法要は、実忠和尚が創始したという伝承があるようです。
東大寺二月堂の修二会、いわゆる「お水取り」は、よく知られた行事であります。
二月堂の本尊である十一面観音様に、僧侶たちが世の中の罪を一身に背負って懺悔し、国家安泰等を祈る祈願法要であります。
悔過というのは罪過を告白反省することで、仏様を礼拝して身口意の罪過を発露懺悔し、五穀豊穣などの利益を求める儀礼を悔過法と言います。
実忠和尚が二月堂を建て、この修法を始められたそうであります。
観菩提寺はお水取りにも関わりのある実忠和尚のお寺なのです。
秘仏を拝ませていただいて、「秘仏」について考えてみました。
そもそも「秘仏」とは何か、岩波書店の『仏教辞典』には、
「厨子の中に秘蔵され外から見えないようにした仏像。
七俱胝仏母所説准提陀羅尼経などに典拠がある。
密教の盛行につれ平安時代以降多くなった。
秘仏とする理由は、その仏像の霊験が強く特別の尊崇をあらわすため、または歓喜天などその尊容から衆目の誤解を招く恐れがあるためなどの理由に基づく。
また従来、仏の専有空間であった仏堂内が鎌倉時代以降、人間の参入する空間となったことから、堂内に仏の空間を確保するため、厨子を設けたことにも関係がある。
秘仏であっても一定の周期なり期日を選んで厨子を開け公開することがあり、それを開帳という」
と解説されています。
『七俱胝仏母所説准提陀羅尼経』という経典に基づいているのだそうです。
真言宗で説かれる六観音の中に准提観音という観音さまがいらっしゃいます。
准提仏母とも申します。
准提は清浄という意味があると言われています。
この准提観音が、七倶胝仏母とも申し上げるのです。
『七俱胝仏母所説准提陀羅尼経』の終わりに、
「その像を清浄な室に安置して、秘密に供養しなさい。布で像を覆っておき、念誦を行う時だけその覆いを取り除いて、仰ぎ礼拝し供養する。念誦が終わったならば、再び布で覆い、決して他人に見せてはならない。」という意味の言葉があります。
これが秘仏のもとになる考えだというのです。
ただこの経典に書かれているのは、密教修法のために描いた准提仏母像を、伝法を受けた行者が秘密に供養するという意味であり、今日秘仏といっているように、寺院の本尊をふだんは直にお参りできないようにして、何十年かに一度開帳する、というのとは異なります。
岩波書店の『仏教辞典』には、
「なお、法隆寺夢殿の救世観音が明治の初期にフェノロサらにより白布がとられたのは名高い」とも書かれています。
明治一七年(一八八四)夏、アーネスト・フェノロサが岡倉天心らと法隆寺を訪れ、政府の調査権限を背景に夢殿の厨子を開け、救世観音像を包んでいた布を取り除いて、その姿を確認したことを言っています。
夢殿中央の大きな厨子について、法隆寺の僧侶から「二百年以上開けられていない」と聞き、フェノロサはぜひ開けたいと申し入れました。
ところが寺僧たちは、開ければ祟りがあり、地震によって寺が破壊されるかもしれないとして強く反対した、とフェノロサは記しています。
最終的に寺僧を説得して、厨子が開扉されたのでした。
東京国立博物館の『空海と真言の名宝』展の図録には、「秘すれば花?―秘仏のヒミツを説くー」というコラム記事があります。
そこに「厨子などに納め、扉や帳を閉じることで直接拝観が許されない仏像を「秘仏」と呼びます。秘仏は、そこに存在する仏像が見えない状況を人為的につくりだすことですが、厳密な定義がありません。事情はさまざまなのです。
たとえば、毎月の縁日や毎年御開帳されるケース、十二年・三十三年・六十年といった周期で開扉・開帳される秘仏がある一方、誰も拝観したことのない長野・善光寺や東京・浅草寺の本尊のように厳重に秘される絶対の秘仏もあります。
歴史的には、寛平二年(八九〇)頃の『広隆寺資財交替実録帳』に京都・広隆寺の本尊薬師如来像を厨子に納め施錠していたと記すのが日本における秘仏の最古の同時代史料ですが、それ以前の秘仏の歴史や秘仏化の過程と理由は必ずしも明らかではありません。」
と書かれています。
いつ頃から秘仏があったのかは定かではないようです。
ここに浅草の観音さまや善光寺のご本尊は、絶対の秘仏だと書かれています。
浅草の観音さまは、推古天皇三六年(六二八)にご示現されたと伝わっているそうで、大化元年(六四五)に勝海上人が定めた秘仏の制が掟として守られてきているのであります。
『七俱胝仏母所説准提陀羅尼経』に説かれているように「念誦の時だけ覆いを取り、終わればまた覆い、慎んで人に見せてはならない」というのは、密教的であると思います。
密教が伝わる以前から秘仏とされていたという伝承を持つ仏さまもありますので、必ずしもすべてを密教の影響だけで説明することはできませんが、秘仏の成立には密教的な教えも深く関わっているように感じます。
禅宗の本山などではあまり秘仏は見かけないようです。
いつもあたりまえに拝むことができると、有難みを感じなくなる一面もあります。
世阿弥は「秘すれば花」と言いましたが、あえて仏さまのお姿を秘することによって、かえって真の仏さまとは何かを参究させようとしているのかと思うのであります
横田南嶺
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最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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先だって東京国立博物館の「空海と真言の名宝」展に行って、三十三年に一度しかご開帳されないという秘仏を拝ませていただきました。
三重県の観菩提寺の十一面観音様であります。
観菩提寺では、この仏さまを本尊として観音悔過の法要を行っているのだそうです。
三十三年に一度、三重県の観菩提寺に行かないと拝むことができないお仏像を間近で拝ませていただけるのですから、有り難いことだとしみじみ思いました。
観菩提寺は、三重県の伊賀市にあって、奈良東大寺の実忠和尚により開創された由緒ある真言宗のお寺であります。
この観音悔過の法要は、実忠和尚が創始したという伝承があるようです。
東大寺二月堂の修二会、いわゆる「お水取り」は、よく知られた行事であります。
二月堂の本尊である十一面観音様に、僧侶たちが世の中の罪を一身に背負って懺悔し、国家安泰等を祈る祈願法要であります。
悔過というのは罪過を告白反省することで、仏様を礼拝して身口意の罪過を発露懺悔し、五穀豊穣などの利益を求める儀礼を悔過法と言います。
実忠和尚が二月堂を建て、この修法を始められたそうであります。
観菩提寺はお水取りにも関わりのある実忠和尚のお寺なのです。
秘仏を拝ませていただいて、「秘仏」について考えてみました。
そもそも「秘仏」とは何か、岩波書店の『仏教辞典』には、
「厨子の中に秘蔵され外から見えないようにした仏像。
七俱胝仏母所説准提陀羅尼経などに典拠がある。
密教の盛行につれ平安時代以降多くなった。
秘仏とする理由は、その仏像の霊験が強く特別の尊崇をあらわすため、または歓喜天などその尊容から衆目の誤解を招く恐れがあるためなどの理由に基づく。
また従来、仏の専有空間であった仏堂内が鎌倉時代以降、人間の参入する空間となったことから、堂内に仏の空間を確保するため、厨子を設けたことにも関係がある。
秘仏であっても一定の周期なり期日を選んで厨子を開け公開することがあり、それを開帳という」
と解説されています。
『七俱胝仏母所説准提陀羅尼経』という経典に基づいているのだそうです。
真言宗で説かれる六観音の中に准提観音という観音さまがいらっしゃいます。
准提仏母とも申します。
准提は清浄という意味があると言われています。
この准提観音が、七倶胝仏母とも申し上げるのです。
『七俱胝仏母所説准提陀羅尼経』の終わりに、
「その像を清浄な室に安置して、秘密に供養しなさい。布で像を覆っておき、念誦を行う時だけその覆いを取り除いて、仰ぎ礼拝し供養する。念誦が終わったならば、再び布で覆い、決して他人に見せてはならない。」という意味の言葉があります。
これが秘仏のもとになる考えだというのです。
ただこの経典に書かれているのは、密教修法のために描いた准提仏母像を、伝法を受けた行者が秘密に供養するという意味であり、今日秘仏といっているように、寺院の本尊をふだんは直にお参りできないようにして、何十年かに一度開帳する、というのとは異なります。
岩波書店の『仏教辞典』には、
「なお、法隆寺夢殿の救世観音が明治の初期にフェノロサらにより白布がとられたのは名高い」とも書かれています。
明治一七年(一八八四)夏、アーネスト・フェノロサが岡倉天心らと法隆寺を訪れ、政府の調査権限を背景に夢殿の厨子を開け、救世観音像を包んでいた布を取り除いて、その姿を確認したことを言っています。
夢殿中央の大きな厨子について、法隆寺の僧侶から「二百年以上開けられていない」と聞き、フェノロサはぜひ開けたいと申し入れました。
ところが寺僧たちは、開ければ祟りがあり、地震によって寺が破壊されるかもしれないとして強く反対した、とフェノロサは記しています。
最終的に寺僧を説得して、厨子が開扉されたのでした。
東京国立博物館の『空海と真言の名宝』展の図録には、「秘すれば花?―秘仏のヒミツを説くー」というコラム記事があります。
そこに「厨子などに納め、扉や帳を閉じることで直接拝観が許されない仏像を「秘仏」と呼びます。秘仏は、そこに存在する仏像が見えない状況を人為的につくりだすことですが、厳密な定義がありません。事情はさまざまなのです。
たとえば、毎月の縁日や毎年御開帳されるケース、十二年・三十三年・六十年といった周期で開扉・開帳される秘仏がある一方、誰も拝観したことのない長野・善光寺や東京・浅草寺の本尊のように厳重に秘される絶対の秘仏もあります。
歴史的には、寛平二年(八九〇)頃の『広隆寺資財交替実録帳』に京都・広隆寺の本尊薬師如来像を厨子に納め施錠していたと記すのが日本における秘仏の最古の同時代史料ですが、それ以前の秘仏の歴史や秘仏化の過程と理由は必ずしも明らかではありません。」
と書かれています。
いつ頃から秘仏があったのかは定かではないようです。
ここに浅草の観音さまや善光寺のご本尊は、絶対の秘仏だと書かれています。
浅草の観音さまは、推古天皇三六年(六二八)にご示現されたと伝わっているそうで、大化元年(六四五)に勝海上人が定めた秘仏の制が掟として守られてきているのであります。
『七俱胝仏母所説准提陀羅尼経』に説かれているように「念誦の時だけ覆いを取り、終わればまた覆い、慎んで人に見せてはならない」というのは、密教的であると思います。
密教が伝わる以前から秘仏とされていたという伝承を持つ仏さまもありますので、必ずしもすべてを密教の影響だけで説明することはできませんが、秘仏の成立には密教的な教えも深く関わっているように感じます。
禅宗の本山などではあまり秘仏は見かけないようです。
いつもあたりまえに拝むことができると、有難みを感じなくなる一面もあります。
世阿弥は「秘すれば花」と言いましたが、あえて仏さまのお姿を秘することによって、かえって真の仏さまとは何かを参究させようとしているのかと思うのであります
横田南嶺
【鎌倉円覚寺】毎日の管長日記と呼吸瞑想
臨済宗大本山円覚寺
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コメント

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仏様は人が彫ったものですが、彫刻の先生は「彫ろうと思って手にした時点で仏様はすでにその木に宿っていらして、それを私たちが彫ることでお出ましいただく」とよくおっしゃいます。
今回、二間観音様はじめ、秘仏をたくさん拝することができました。御魂抜きをされていても思わず手を合わせてしまいます。
有難いの一言ではとても尽くせない空間でした。
ありがとうございました。
秘仏!人にさらせない事で老朽化を防ぐ為とか、なんとなくマーケティング入ってる?wみたいにも思っています(悪い意味ではなく)
どちらにしろ精神や文化継承の為の知恵でしょうか。
秘仏にこだわらない禅宗が受け入れやすいです。
でも地元近くの浅草寺のご本尊は見てみたいです!😆
8月から秩父札所巡りもしています。秩父札所は現在午年総開帳をしていて、すべての札所のご本尊の厨子が開けられています。🙏
先週末須磨寺の三者三様法話会に行った時に、南嶺老師が「秘仏」について落語家か講談師かという熱弁で語っておられたのも思い出しました。🙏