第2044回「比叡山と鎌倉新仏教」2026/8/12
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■管長日記「比叡山と鎌倉新仏教」
https://www.engakuji.or.jp/blog/40635/
■YouTube
https://youtu.be/mmBi9Ru7BgY
■note
https://note.com/engakuji/n/n4a618144e883
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
-------------------------------------------------
伝教大師最澄は、十九歳で比叡山に入り、そして願文をお作りになりました。
祖師方には、願文をお作りになっておられる方がいらっしゃいますが、伝教大師の願文は格調高く素晴らしいものであります。
悠々たる三界は純(もっぱ)ら苦にして安きこと無く、擾々(じょうじょう)たる四生はただ患いにして楽しからず。牟尼の日久しく隠れて慈尊の月未だ照さず。
という一文から始まります。
意訳しますと、
果てしなく広がるこの迷いの世界は、すべて苦しみに満ちていて、心安らぐことがありません。
生きとし生けるものは、さまざまに生まれ変わり、生死を繰り返し、ただ悩みや患いを抱え、まことの楽しみを得ることがありません。
お日さまの如く輝くお釈迦様はすでに遠い昔におかくれになり、未来に現れる弥勒菩薩というお月さまは、いまだ世を照らしてはいません。
という意味であります。
その中で伝教大師は、自らのことを
愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下(ていげ)の最澄、上は諸仏に違い、中は皇法に背き、下は孝礼を闕(か)けり。
というのです。
意訳しますと、
愚か者の中でも、この上なく愚かな者であり、狂った者の中でも、この上なく狂った者であります。
俗塵にまみれた一人の僧侶であり、最も劣った最澄であります。
上を見れば諸仏の教えに背き、中を見れば天皇の治める国の法に背き、下を見れば親に対する孝行や礼節を欠いているのです。
という意味であります。
ご自身を厳しく見つめられています。
それでさらに、
伏して願わくは、解脱の味い、独り飲まず、安楽の果独り証せず。法界の衆生と同じく、妙覚に登り、法界の衆生と同じく、妙味を服せん。
と述べられています。
意訳しますと、
謹んで願うことは、解脱の味わいを自分一人だけで味わうのではなく、安楽という悟りの果実を自分一人だけで得るのでもありません。
あらゆる世界のすべての衆生とともに、この上ない悟りの境地に達し、すべての衆生とともに、その尊い法の味わいを味わいたいのです。
という実に崇高なる菩薩の願いであります。
比叡山にお参りすると、伝教大師のことを思います。
延暦寺にお参りしていると、大きな看板があって、「比叡山が生んだ高僧」というのが書かれていました。
拝見してみると、慈覚大師円仁、智証大師円珍、聖応大師良忍という祖師方の名前が見えます。
良忍は融通念仏宗の開祖であります。
そのあと法然上人、栄西禅師、親鸞聖人、道元禅師、日蓮聖人、一遍上人が書かれています。
そして慈摂大師真盛がございます。
真盛は天台宗真盛派の祖であります。
鎌倉新仏教という言い方がされるのですが、それは法然上人の浄土宗、親鸞聖人の浄土真宗、一遍上人の時宗、栄西禅師の臨済宗、道元禅師の曹洞宗、日蓮聖人の日蓮宗の六つ宗派を言います。
それぞれが比叡山とご縁があるのです。
法然上人は十五歳で比叡山に登り、天台教学を徹底して学ばれています。
そのうえで学問や難しい修行だけでは末法の人々は救われないと考え、阿弥陀仏の本願にすべてを任せる専修念仏を説いたのでした。
その弟子である親鸞聖人もまた二十年近く比叡山で修行を重ねています。
親鸞聖人もまた、自力修行の限界を痛感して法然上人の門に入り、浄土真宗を開かれたのであります。
栄西禅師も比叡山で天台教学を学んだ後、二度にわたって宋に渡り、臨済禅を日本に伝えています。
道元禅師もまた幼くして比叡山に入りましたが、「本来仏であるなら、なぜ修行するのか」という大疑を抱き、後に宋へ渡って曹洞宗の如浄禅師のもとで修行して禅を伝えました。
日蓮聖人も十二歳で清澄寺に入り、その後比叡山で天台教学を深く学びました。
その学問を基礎として、『法華経』こそ末法唯一の教えであると確信し、独自の宗旨を打ち立てたのであります。
さらに一遍上人も天台教学との深い関わりをもち、そのうえで念仏による時宗を興しました。
このように、鎌倉新仏教の祖師たちは、それぞれ異なる教えを説きましたが、その出発点には比叡山で培われた天台の学問と修行がありました。
比叡山が日本仏教の母山と言われる由縁であります。
一遍上人が比叡山で学ばれたかどうかは分かりませんが、岩波書店の『仏教辞典』には「はじめ天台を学び、のちに大宰府で証空の弟子の聖達について浄土念仏を習う。証空は法然の門下ではあるが、叡山天台の本覚思想に包みこまれた浄土念仏と同じく、一念信による弥陀との一体を主張した」と書かれていますので、天台の教学を学ばれたのだと察します。
本覚思想というのは、『仏教辞典』によれば、「あるがままの現象世界をそのまま仏の悟りの世界と見る」という教えであります。
もともと本覚は、あらゆる衆生に本来的に具有されている悟りの智慧を言います。
本覚とは、衆生に悟りの智慧が本来内在しているというのがもとでありましたが、それが内在的な原理ではなく、天台の本覚思想では顕在化しているものと考えられるようになって、現象世界がそのまま本覚の現れと見られるようになったのであります。
道元禅師などは、「本来仏であるなら、なぜ修行するのか」という疑問を抱いたのでした。
念仏の教えにも、法華経を信じてお題目を唱える教えにも、それぞれ異なる仕方ではありますが、比叡山で培われた天台教学との深い関わりを見ることができます。
人間が本来具えている仏性を、実際の修行を通して明らかに自覚することを重んじたのが禅であり、臨済の禅では、公案による参禅修行を重視しました。
坐禅をはじめとする日常の修行そのものに仏のあり方が現れると受けとめたのが、道元禅師の教えであります。
天台の教えがもとになって鎌倉新仏教が花ひらいたということができます。
横田南嶺
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最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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伝教大師最澄は、十九歳で比叡山に入り、そして願文をお作りになりました。
祖師方には、願文をお作りになっておられる方がいらっしゃいますが、伝教大師の願文は格調高く素晴らしいものであります。
悠々たる三界は純(もっぱ)ら苦にして安きこと無く、擾々(じょうじょう)たる四生はただ患いにして楽しからず。牟尼の日久しく隠れて慈尊の月未だ照さず。
という一文から始まります。
意訳しますと、
果てしなく広がるこの迷いの世界は、すべて苦しみに満ちていて、心安らぐことがありません。
生きとし生けるものは、さまざまに生まれ変わり、生死を繰り返し、ただ悩みや患いを抱え、まことの楽しみを得ることがありません。
お日さまの如く輝くお釈迦様はすでに遠い昔におかくれになり、未来に現れる弥勒菩薩というお月さまは、いまだ世を照らしてはいません。
という意味であります。
その中で伝教大師は、自らのことを
愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下(ていげ)の最澄、上は諸仏に違い、中は皇法に背き、下は孝礼を闕(か)けり。
というのです。
意訳しますと、
愚か者の中でも、この上なく愚かな者であり、狂った者の中でも、この上なく狂った者であります。
俗塵にまみれた一人の僧侶であり、最も劣った最澄であります。
上を見れば諸仏の教えに背き、中を見れば天皇の治める国の法に背き、下を見れば親に対する孝行や礼節を欠いているのです。
という意味であります。
ご自身を厳しく見つめられています。
それでさらに、
伏して願わくは、解脱の味い、独り飲まず、安楽の果独り証せず。法界の衆生と同じく、妙覚に登り、法界の衆生と同じく、妙味を服せん。
と述べられています。
意訳しますと、
謹んで願うことは、解脱の味わいを自分一人だけで味わうのではなく、安楽という悟りの果実を自分一人だけで得るのでもありません。
あらゆる世界のすべての衆生とともに、この上ない悟りの境地に達し、すべての衆生とともに、その尊い法の味わいを味わいたいのです。
という実に崇高なる菩薩の願いであります。
比叡山にお参りすると、伝教大師のことを思います。
延暦寺にお参りしていると、大きな看板があって、「比叡山が生んだ高僧」というのが書かれていました。
拝見してみると、慈覚大師円仁、智証大師円珍、聖応大師良忍という祖師方の名前が見えます。
良忍は融通念仏宗の開祖であります。
そのあと法然上人、栄西禅師、親鸞聖人、道元禅師、日蓮聖人、一遍上人が書かれています。
そして慈摂大師真盛がございます。
真盛は天台宗真盛派の祖であります。
鎌倉新仏教という言い方がされるのですが、それは法然上人の浄土宗、親鸞聖人の浄土真宗、一遍上人の時宗、栄西禅師の臨済宗、道元禅師の曹洞宗、日蓮聖人の日蓮宗の六つ宗派を言います。
それぞれが比叡山とご縁があるのです。
法然上人は十五歳で比叡山に登り、天台教学を徹底して学ばれています。
そのうえで学問や難しい修行だけでは末法の人々は救われないと考え、阿弥陀仏の本願にすべてを任せる専修念仏を説いたのでした。
その弟子である親鸞聖人もまた二十年近く比叡山で修行を重ねています。
親鸞聖人もまた、自力修行の限界を痛感して法然上人の門に入り、浄土真宗を開かれたのであります。
栄西禅師も比叡山で天台教学を学んだ後、二度にわたって宋に渡り、臨済禅を日本に伝えています。
道元禅師もまた幼くして比叡山に入りましたが、「本来仏であるなら、なぜ修行するのか」という大疑を抱き、後に宋へ渡って曹洞宗の如浄禅師のもとで修行して禅を伝えました。
日蓮聖人も十二歳で清澄寺に入り、その後比叡山で天台教学を深く学びました。
その学問を基礎として、『法華経』こそ末法唯一の教えであると確信し、独自の宗旨を打ち立てたのであります。
さらに一遍上人も天台教学との深い関わりをもち、そのうえで念仏による時宗を興しました。
このように、鎌倉新仏教の祖師たちは、それぞれ異なる教えを説きましたが、その出発点には比叡山で培われた天台の学問と修行がありました。
比叡山が日本仏教の母山と言われる由縁であります。
一遍上人が比叡山で学ばれたかどうかは分かりませんが、岩波書店の『仏教辞典』には「はじめ天台を学び、のちに大宰府で証空の弟子の聖達について浄土念仏を習う。証空は法然の門下ではあるが、叡山天台の本覚思想に包みこまれた浄土念仏と同じく、一念信による弥陀との一体を主張した」と書かれていますので、天台の教学を学ばれたのだと察します。
本覚思想というのは、『仏教辞典』によれば、「あるがままの現象世界をそのまま仏の悟りの世界と見る」という教えであります。
もともと本覚は、あらゆる衆生に本来的に具有されている悟りの智慧を言います。
本覚とは、衆生に悟りの智慧が本来内在しているというのがもとでありましたが、それが内在的な原理ではなく、天台の本覚思想では顕在化しているものと考えられるようになって、現象世界がそのまま本覚の現れと見られるようになったのであります。
道元禅師などは、「本来仏であるなら、なぜ修行するのか」という疑問を抱いたのでした。
念仏の教えにも、法華経を信じてお題目を唱える教えにも、それぞれ異なる仕方ではありますが、比叡山で培われた天台教学との深い関わりを見ることができます。
人間が本来具えている仏性を、実際の修行を通して明らかに自覚することを重んじたのが禅であり、臨済の禅では、公案による参禅修行を重視しました。
坐禅をはじめとする日常の修行そのものに仏のあり方が現れると受けとめたのが、道元禅師の教えであります。
天台の教えがもとになって鎌倉新仏教が花ひらいたということができます。
横田南嶺
【鎌倉円覚寺】毎日の管長日記と呼吸瞑想
臨済宗大本山円覚寺
- 13:271.
比叡山と鎌倉新仏教
コメント

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初めて触れる伝教大師最澄の願文。趣深く、冒頭から惹き込まれました。実直で人間味のあるお人柄に、不思議な親近感を覚え、大らかな御心を感じました。畏れ多い比叡山の厳格な高僧、最澄のイメージが少し解けた朝でした☺️
ありがとうございます✨
「比叡山が生んだ高僧」という看板自分も以前拝見しました。
慈覚大師円仁、智証大師円珍、聖応大師良忍、法然上人、栄西禅師、親鸞聖人、道元禅師、日蓮聖人、一遍上人、慈摂大師真盛
比叡山で教えを学び、多様に発展させた方々で圧倒されます。
弘法大師空海も、伝教大師と同じ時に渡唐され、その後の日本の仏教に大きな影響を残されましたが、比叡山はその後の学びの多様さが大きなものだと改めて思いました。
明日、比叡山に行って参ります。
お話、ありがとうございます(-人-)✨.゚・*..☆.。.:*✨.☆.。.:. *:゚
比叡山に参った時、高僧の看板と同じように私の仏像彫刻の先生がついて修行した松久朋琳先生の看板があって驚きました。嬉しかったです。
阿闍梨様と同じ道を歩くナイトウォークなど、開かれた催しも沢山ありますが参加できていません。
定年退職したらゆっくり行きたいお寺の一つです。
金融機関なのでお盆休みなし!行ってきまーす。
ありがとうございました。
自分が勤める学校の自治体は、数年前から「閉庁日」を設定したので、盆と正月は休みになり、ぼーっと気が抜けています。
比叡山は、ナイトウオークがあるのですか。参加してみたいです。
仏像彫刻を学んでおられるのですね。🪷🙏
宗教の違いですったもんだしてきた歴史のなか今でさえ戦争になっている…
宗派が違うと対立しているイメージですが、そもそも同じという言葉を聞くとなんだか安心です。