TOPトーク専門家毎朝の思考教育の議論を自分の体験だけで語る危うさ08:45 23時間前 2,749再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次大学の変貌:学生たちの真面目な実態危うい教育論:個人体験語りの落とし穴誰もが語る教育:知られざる盲点とはミクロとマクロ:教育議論の多角視点時代を超越?「体育教師嫌い」の謎AI文字起こし(β版) # 教育の議論を自分の体験だけで語る危うさ おはようございます。 沢木敏直です。 政治経済、社会、いろんな話題がある中で、教育の話は定期的に大きな議論になっていくテーマなんだけど 僕は自分が子供いないせいもあって、最近の学校教育がどうなっているのかとか 大学受験がどうなっているのか全然知らないんだよね。 唯一設定があるとすると 何年かに一度ぐらいは大学の授業を頼まれることがあって そうすると、最近の大学生ってすげーなっていつも思うのは出席率がむちゃくちゃ高いですよね。 ほとんど欠席しない。 あと眠っている学生もあんまりいない。みんな一生懸命聞いてくれている。 逆に休校とかすると 学校の方から怒られたりとかして 佐々木さんお願いだから歩行をちゃんとやって 講義の回数を減らさないようにしてください。 月曜日とかの授業をやると、月曜日って 祝日の代休になることが多いじゃないですか。 代休だからいいかと思って休んでいると 祝日であっても授業をやってもらわないと必要な講義数に足りないのとか言われて しょうがないから祝日も出てきて授業をやるはめになったりとかね。それでもちゃんと学生さんが来てくれるんだよね。 みんな真面目だなと。やっぱりちゃんと授業料払っているんだからその分の元は取らなきゃっていう感じもあるんでしょうね。 あと最近の大学生って割にファッションも地味だなぁって感じがする。 昔って言っても2000年代半ばぐらいですかね。2010年ぐらいかなぁ。 あの頃の大学生って結構みんな ファッション華やかで派手で まあ今よりもずっと 教室に来ない学生も多かったし寝てる学生も多かったから どっちかと言ってもまだ大学が遊び終わるみたいな雰囲気があったんですよね。 ちょうどその頃ICU国際キリスト教大学っていうのが三鷹にあるんだけど あそこに授業を頼まれて行ったことがあって行ってみたら アメリカ文化の流れなのかみんな大学生はですねTシャツジーンズとかで割にシンプルな格好をしていて 全然おしゃれじゃない。やっぱICUってなんか アメリカっぽいなぁって変に感心したりとか。 それに比べて日本の大学ってめちゃくちゃみんなおしゃれだなぁと思ったんだけど でもあれから20年近く経ってみてみると 全体の大学生はねその当時のICUみたいに本当にシンプルなファッションで もう勉学に一生懸命 費やしてるって感じ。 昔ほど余裕がなくなったと言えばそういうことなんでしょうね。 ドロップアウトする余裕はもはやないので頑張って大学でちゃんと単位を取って 就活力入れて優勝役を選ばないと社会から崩れ落ちてしまう こぼれ落ちてしまうっていうそういう不安はみんな持ってんじゃないかなと思う。 いずれにしよう大学生にありようってのはそんなに変わってんだなぁと思うんですよ。 だからおそらく見聞きしてないし全然接点もないんだけど小学校とかね 中学校高校もずいぶん違うんだろうなぁと思う。 でもインターネット上とかでそういう教育の話題が盛り上がったりとか あるいはアベアプライムとかで教育の話を取り上げたりする時があって そうすると結構多くの人が 自分の教育を受けた体験で物語を語るってことに気づいた。 例えば僕ぐらいの世代の人だと 大学なんて遊びに行くとこでしょうって言ってる人がいまだにいたりするわけですよ。 それもう違うって言ってるんだけど 頭の中には大学は遊びに行く場所であってっていうのがすり込まれちゃってる。 確かにね僕が大学生だった1980年代なんて本当に 大学行かない方がかっこいいみたいなところがあって 実際僕も行かなかったわけなんですけど 僕が通ってた噂だなんて中退1流、留年2流、卒業3流なんてよくわかんない言葉もあって 中退する方がかっこいいみたいなね。 それでかっこいいと思ったからじゃないんだけど 僕自身は中退というか中退届も出してないんで単なる助成金ですよね。 授業が払わなくなって。 それで学歴は高卒なんだけどそれでもいいじゃんという感じでここまでやってきたわけなんですが 今の大学の雰囲気と当時の中退かっこいいみたいな 大学なんか行かない方がいいんだ、一日中マージャンしてればいいんだっていう のとは全然違う感じになってきてるんだよね。 だから自分の体験だけで教育を語るっていうのはあんまり良くないよなと思う。 でも一方で教育って義務教育も受ければ 教育を受けていない人って今の日本にはほとんどいないわけですよね。 全員が少なくとも小中学校ぐらいは行っている。 そうすると自分の体験の中に教育の強烈な体験というか記憶というのがあるわけだから それをもとにみんな語りたがるというのは確かにあるんだなというのは思うんですよね。 語りやすいテーマであるというか。 一方で例えば何だろうな、 産業分野とかだと自分の全く知らない分野の話なんか何も語れないじゃないですか。 突然僕が造船について語るって言われても、予備知識なければ造船について語ることなんかほとんど何もないわけで。 それに比べると教育って誰もが経験しているから語りやすい。 限りみんな自分の経験をもとに語っちゃうというのはあるんでしょうね。 これは前から僕が言っているミクロとマクロの両立みたいな話につながるわけで マクロというのは文部行政がどうあるべきかという話なわけですよね。 ミクロというのは学校現場で何が起きているかという話なんだけど 自分が実際に子供の頃どういう教育を受けたのかというのは ミクロの中でもさらにミクロのごく一部でしかないってことは考えなきゃいけない。 1960年代70年前の人だったら自分が子供の頃と今の子供たちとは全く違う教育環境になるわけだから 同じ教育現場の話でも全然違うよねっていう認識は持つべきだなと。 だからミクロにも幅があるっていう認識は持っておいた方がいいんじゃないかなと思うんですよ。 ちなみにいろんな教育の議論、インターネット上のやつを見てて 最近思うのは、でも一個だけ時代を越えて共通しているのがあるなって思うのがあって それは何かというとね、体育の教師嫌いな人が多いっていうね、僕も大嫌いでした。 山登りとか好きだし、ランニングとかバイクオーブとかそういう受給層級は好きなんだけど 球技とか機械体操はすごい苦手なんですよね。 ああいうのを学校の体育ってやらせて、しかもそれをできる人が笑うみたいな文化があって すごい嫌だったんだよね。 で、何かできない人に運動の楽しさを教えるのが本当の体育の授業の役割だと思うんだけど 何かできない人にますます体育を嫌いにさせるっていうのが 体育教師のやつってことじゃないかなって当時思っててですね。 特に大人になってから自分がその体動かすのが好きになってからますます思うようになった。 なんだあの時あの体育の教師って俺に運動の楽しさを教えてくれなかったんだよって。 っていうふうに思ってそういうのをたまに SNSに投稿したりすると結構現役の世代ぐらいの若い人たちから本当にそうですよねって反応が返ってくることがあって ああやっぱ今でも体育の教師ってそういうとこあるんだってね。 変に感心するというかまだ変わってないんだっていう諦めな気持ちも起きてあるとかして不思議な感じがします。 これを聞いて私はそんな授業してませんって体育の先生がいたら申し訳ないですけどね。 ではまた明日 もっと見る毎朝の思考佐々木俊尚08:451.教育の議論を自分の体験だけで語る危うさコメント感想・質問・応援メッセージを書こう Atom s11時間前昨日のお話からの続きみたいですね。プライベートを語ることは諸刃の剣というか。かつての私小説文学論のようです。返信 やすぅー18時間前なんと!大学生寝ないんですか。私は、パチスロ打ちに出て行っちゃって、目はギンギンだったけど。返信 回鍋肉20時間前このVoicyでも俎上に上る「公正な報道とは」とも通じると思いますが、例えば、あるラーメンの味をどう評価するかは自由ですし偏りも出ましょうが、アベプラも陥りがちだと思うのが、根拠も無く「産地偽装だ」と言ったり、「美味しい(不味い)と評価すべきだ」という決めつけではないかと教育でいえば、「日本は理屈を教えず丸暗記させる」というのなら教科書を持ってこいですし先日のGDPの回では、「問題ないと思ってはいけない」という風向きになりがちだったのが気になりましたこれもミクロとマクロのズレでしょうか返信 シュナイダー21時間前全国皆教育を受けているので語りたがる。教育現場に勤めていてそれは強く感じています。デジタル化によりこれだけ世の中が変わってきているのに、いまだ紙が大事というレベルの話が熱心に交わされています。自分の体験に繋がる過去を美化してしまうのは人間の習性なのでしょうが、「受験戦争」など特に自身がその時代である程度の成功をおさめた人ほど。それが日本の教育がなかなか変われないブレーキとなっています。返信 しゅうめい21時間前体育教師から走り方やら投げ方とか教えてもらった記憶はなく、運動神経の悪さも手伝って、体育は嫌いでしたね😅返信 もっと見る
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教育でいえば、「日本は理屈を教えず丸暗記させる」というのなら教科書を持ってこいですし
先日のGDPの回では、「問題ないと思ってはいけない」という風向きになりがちだったのが気になりました
これもミクロとマクロのズレでしょうか