TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティ一流のアスリートを通じて「超越的なもの」の面影に触れる。09:52 2024年6月26日 569再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次一流アスリートの異能性を探る超越的な力と宗教的機能河村選手のプレーに見る神秘性アスリートと社会の摩擦人間と神業の共存とはAI文字起こし(β版) # チャプター 1 こんにちは、鳥井博文です。 働くをテーマにした、対話型オンラインコミュニティ、和製サロンを運営しています。 さて本日のお題は、一流のアスリートを通じて超越的なものの面影に触れるというテーマでお話ししてみたいと思います。 今日も昨日ブログに書いた内容です。 それでは早速本題に入ってきますね。 今日はこのVoicyにしては珍しくスポーツのお話です。 先日放送されていた日本代表男子のバスケットボール強化試合であるオーストラリア戦をテレビで見ました。 2日間にわたる試合は本当に素晴らしいもので、いつもはハイライトを見て終わらせるにもかかわらず、 1日目のハイライトでは完全に問題なかったので、2日目は最初から最後までライブで全て見てしまいました。 1日目は1点差で負けて、2日目は同点で試合終了となり、どちらも本当に惜しい試合だったんですが、 今回はその中でも特にポイントガードの河村裕樹選手のプレーに本当に土着も抜かれました。 まだ23歳という若い選手ではあるんですが、間違いなく日本のバスケの歴史に名を残すトッププレーヤーの方だというふうに思います。 去年のワールドカップの時もそうでしたが、僕は彼のプレーを見て単なる感動という言葉では表現しきれない何かみたいなものを強く感じるんですよね。 それはもっと深く魂に触れるような体験であり、この感覚を言葉にするのは難しいんですが、あえて例えるなら 村上春樹さんの小説を読んでいる時に静かに涙が流れてくるような感覚にもとても近いんです。 もしくは皆さんよくご存知のシーンで言えば、スラムダンクの31巻で産能戦を見ている春子さんが涙するようなそんな感覚にも近いのかなというふうに思います。 自分自身が小中高とバスケ部だったので、余計にそう強く思わされるんですよね。 この感覚の正体とは一体何なのか、今日はこの辺りの内容について深掘りしながら考えていきたいなというふうに思います。 さて、というのも最近、内田達郎さんと尺徹秋さんの対談本、「宗教の癖」という本を読み終えたんですが、その中に非常に興味深い議論がありました。 この本の中でスポーツ選手というのは、異界と繋がる異能の人であるというふうに語られてあったんですよね。 内田さんは、相撲の起源が神事であり、相撲鳥達の超人的な体格や身体能力がこの世ならざる者との繋がりを示す指標として解釈されていたというふうに語ります。 そして、現代のアスリートもまた異能の人であり、ある種の宗教的機能を担っているのではないか、みたいなふうに述べているんですよね。 また、アスリート達っていうのは、ホームを持ちながらも常にアウェイでの試合も求められる遊戯王の民であるというふうにも語るんです。 この視点に僕はものすごくハッとさせられました。言われてみれば確かにその通りだなって。 ただし、同時に内田さんはオリンピックのような大規模なスポーツイベントに対して違和感も強く表明をしています。 本来そんなふうに遊戯王の民、つまりノマドであるべきアスリート達がビジネスや経済合理性のような世俗的な目的のために利用されていることへの疑問を呈しているわけです。 これもまた強く共感するところだなと。 アスリートの本来の役割っていうのは、人々を世俗的な価値観から一瞬でも解放をして、異界との繋がりみたいなものを保つことにあるはずなんだと。 でも今は国別のメダル数を競い合ったりすることが重いなってしまっていて、スポーツの本質からはかけ離れているように感じられるっていうふうに語られていて、これも本当にその通りだなというふうに感じます。 とはいえ、この辺りの話っていうのはよく語られることでもあって、今日の本題はここからになります。 内田さんはさらに超一流のアスリートのパフォーマンスを見ると、これは人間技じゃないというふうに思わされるっていうふうに語ります。 そこには神に愛されているような、あるいはこの世ならざる者に憑依されているような人知を超えた者が顕現しているっていうふうに感じると。 このような超野種的なものに対する異布の念こそが、スポーツが古代オリンピアの時代から宗教儀礼に近いものとされてきた理由なんじゃないでしょうかっていうふうに語っているんですよね。 これはきっとその通りで、彼らの人間技とは思えないプレイを見ながら本当に涙がこぼれそうになってしまうその理由っていうのは、 彼らを通してそんな超越的なものの面影みたいなものに触れられるからなんだろうなっていうふうに思うんです。 そして彼らはこの超越的なものに対する異形の念に対する礼儀やそのための立ち振る舞みたいなものに対して忠実であって、 その行動を通して強く心打ってくるようなものがあるんだろうなっていうふうな気がしています。 例えば河村選手はコートに入る前には必ず深深とお辞儀をします。 他の選手はまずしないことなんですが、彼は必ずコートに向かってその空間に対してお辞儀をするんですよね。 このシーンが本当に毎回グッとくるんですが、このような行動を見ると、彼のような一流の選手にはその何かみたいなものは見えてるんだろうなっていうふうに思わされる。 自分には見えていなくても、彼らが何か特別なものと繋がっているかもしれないということを、 その彼らの姿を通して感じ取ることができるなっていうふうに思うんです。 言い換えると、そんな彼らの姿を見せてもらっていると、まるで官主さんや神父さん、お経を唱えているお坊さんのような宗教的職能者みたいなものを見ているような感覚にもなってくるんですよね。 スポーツ選手もまたこの世とあの世を繋ぐ特別な存在なのかもしれない。少なくとも僕はそのように捉えてしまうわけです。 でももちろん彼らの能力も常に完璧に発揮されるわけではないわけですよね。 つまり、この世ならざるものが上手く舞い降りてこない瞬間もあるわけです。 実際に今回も1日目の試合のほうの河村選手はボロボロでした。 でも2日目は別陣のようになっていて、神が勝っていたプレーが本当に連続して出ていました。 たった1日なのにえらい違いなわけです。 しかし、そのような不完全さみたいなものも含めて、余計に超越的なものとの繋がりや、その存在の有無みたいなものを感じさせてくれる構造になっているなって思うんですよね。 さて、当然ここから話というのは村上春樹さんの話とも繋がっていきます。 村上春樹作品もまた私たちを新感させる力を持っているのではないか、みたいな風に内田さんは語るんですよね。 以下で再び本書の続きから引用してみたいという風に思います。 内田さんの発言。 芸能が力を組み出すのは外部、異界、他者からです。 芸能は人間的な活体系の外から需要を得て、それによって例外的な魅力を発揮している。 芸能の民というのは、内と外を過境する異能者なんです。 村上春樹さんが作家は地下2階にまで降りていって、そこで見たものを書き記す得意な職能者であると書いていますけれど、本当にそうだと思うんです。 この世ならざるものとの遭遇の経験を物語るストーリーテラーという異能者は太古からずっと存在したはずなんですけれども、作家もまた現代におけるアバターの一人だと思います。 尺さんの発言。我々はこの世ならざる領域とこの世の領域の生き気にとにかく魅力を感じてしまうわけですね。 そこを見せてくれという思いがありますもんね。スポーツにしても芸能にしても文学にしても。 さて、いかがでしょうか。なんだか突拍子もない話だなというふうに思われてしまうかもしれませんが、 自分はここの部分を読んで、今までの自分の中にあった言葉にならない感情みたいなものをうまく言葉にしてもらったなというふうに強く感じています。 僕が心を打たれてしまうのは、アスリートや作家たちがこの世ならざるものの両動体になろうとしている姿そのものなのかもしれないなと。 これらの話を通して道田さんは本書の中で、修行というのは自分の能力を向上させるためにやっているのではなくて、 この世ならざるものが抵抗なく発現できるような両動体に自分自身の身体を仕上げていくためにやるのです。 だからこそ修行が宗教的なものに近づくのは当然のことなのですというふうに語っていたんですが、きっとその通りなんだろうなと。 この両動体としての機能、その伝導率みたいなものが限りなく100%に近い状態のことをきっとスポーツ選手たちはゾーンみたいなふうに呼ぶんだというふうに思います。 それは自覚無自覚関係なくです。ただここで非常に難しい問題にも直面してしまうなというふうに思います。 現代社会というのはこれらの異能の人たちをどうしても人間の基準で判断してしまうというところです。 万人皆平等という観念の元なんですよね。経済原理性に巻き込んでしまうのはまさにそうですよね。 両動体としてあちら側とこちら側がつながって文字通り神業みたいなものを見せてくれて、 それ故に大多数の人々の目を引き付けてしまい、心を掴んでしまう存在だからこそビジネスチャンスとして簡単に用いられてしまう。 本章の中でも大阪直美選手の話なども語られてあったんですが、以前このボイスでもご紹介したジャニーズ問題に関連して、 アイドルのシャーマン問題なんかももちろんここにつながってくるというふうに思うんですが、 この辺りは本当に難しい問題だなというふうに感じてしまいます。 彼らも人間なんだから人間の基準が適用されるのは当然というのはものすごくよくわかる議論だし、 人間的な道徳原理を選手たちに押し付けてしまう気持ちもわからなくもない。 もちろん村上春樹作品の中にもこの問題に対して考えさせられてしまうような登場人物が何人も登場していて、 例えば海辺のカフカに登場してくる中田さんや1984に登場する深襟などの存在がまさにそうですよね。 彼らは明らかにこの世ならざる者とつながっていて、その境界みたいな近辺にいるような人間なんですが、 同時にこの世の基準で彼らを縛ろうとする力学なんかも作中には存在していて、 そこにどうしても一般社会との間にハレーションみたいなものが起きてしまう。 でも今日語ってきたように、僕らが彼らの神業を通して、 あちら側のこの世ならざる存在とのつながりみたいなものを感じ取ることができるはずであって、 それは時に言葉にできないほどの衝撃や感動を僕らに与えてくれているわけですよね。 ここの塩梅みたいなものが本当に難しいなと。 彼らの才能を正しく理解し尊重しながら、かつ社会の中で適切に位置づけていくこと。 それが今の時代に生きる僕らに問われていることなんだろうなというふうに思います。 さて、今日のお話は以上となります。 いつもこのボイシーを聞いてくださっている皆さんにとっても、 今日のお話が何かしらの考える企画となっていたら幸いです。 それでは今日はこの辺で。また明日。 もっと見る #バスケットボール #日本代表 #河村勇輝 鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!09:521.チャプター 1コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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