TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティ一貫性にこだわり過ぎると、逆に不安定になる。09:50 2024年1月10日 657再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次言葉が創り出す「現実」とは?一貫性へのこだわりがもたらす不安定性ボラティリティの許容が安定を生む?曖昧な境界線こそが自然の姿?言葉の力と現実の乖離に苦しむ現代AI文字起こし(β版) # チャプター 1 こんにちは、鳥井博文です。 働くをテーマにした対話型オンラインコミュニティ 和製サロンを運営しています。 さて本日のお題は一貫性にこだわりすぎると 逆に不安定になるというテーマでお話ししてみたいと思います。 今日も昨日ブログに書いた内容です。 それでは早速本題に入ってきますね。 僕らは言葉をとても便利な道具として扱っているかと思います。 そしてあまりにも言葉が便利であるが故に言葉が作り出した現実を 本当の現実だと誤認してしまうようなこともしばしば起こりがちですよね。 例えば男女の違いについては非常にわかりやすいかと思います。 この点養老武さんは自らの解剖学の知見と比較しながら 男と女は自然が連続しているだけのはずなのに 僕らが言葉を用いてしまっているから それらが完全に切れているように感じてしまっているというふうに語ります。 この考え方がとても膝を打つような話だったので 養老武さんのこう考えるとうまくいくという書籍から少しだけ引用してみたいと思います。 男とか女という言葉を使うと自然のものが切れてしまうのです。 しかし実際には自然は連続していて切れ目はありません。 それがあたかも完全に切れてしまうように思うのは私たちが言葉を使うためです。 私は解剖学をやっていましたが、解剖では人間をバラバラに切り それに胃とか腸とか腸にもさらに大腸小腸直腸などと名前をつけますが 実際には切れ目のない一本の管です。ではどうして切るのかというとまさに名前をつけるからです。 このように名前をつけると私たちは言葉の世界に生きていますからものが綺麗に切れてみれる。 さていかがでしょうか。つまり言葉があるから男女には明確な違いがあるように捉えられて その間はスパッと切れているように感じられるだけであって 実際のところそれは幻想というか言葉が作り出したフィクションに過ぎないはずなんですよね。 その境界線というのは本当はもっともっと曖昧であるはずなんです。 よく言われるようにスペクトラムで明確にここからこっちが男で ここからこっちが女という国境のようなものは存在しないわけですよね。 そして僕はいつだってこの曖昧な部分の方にしっかりと目を向けていきたいなというふうに思っています。 言葉に惑わされることなくです。なぜなら今日のタイトルにもあるようにそんな言葉の一貫性みたいなものにこだわると逆に不安定になってしまうからです。 世の中を安定させたくてみんな言葉を用いて一貫性みたいなことを持たせようとして薬器になっているはずなんですけれども むしろその一貫性にこだわるせいで逆に不安定になってしまっているような状態です。 それは本末先頭だなというふうに僕は思うんですよね。ここは今日本当に強く強調したいポイントです。 この点に関連して年末年始に読んでいた富野法則という本の中に出てきたナシム・ニコラスタレブがかたとされる ボラティリティを受け入れるためのヒントのお話が個人的にはとても学びになりました。 ちなみにナシム・ニコラスタレブは過去に何度かご紹介したことがありますが、不確実性とリスクの本質をテーマにした書籍ブラックスワンや 反脆弱性を書いたアメリカ人の思想家であり作家でもあります。さて以下で本書から少しだけ引用してみたいと思います。 作家のナシム・ニコラスタレブはボラティリティを受けるためのヒントとして毎日勤務先から午後6時ぴったりに帰宅する人の例を挙げている。 この人がこのパターンをしばらく続けていると、たとえ5分遅れただけでも家族は安否を心配するようになる。 一方、毎日午後5時半や6時半など6時前後に帰宅している人の場合、よほど遅くならない限り家族は心配しないだろう。 このように一貫性にこだわりすぎると逆に不安定になってしまう。さていかがでしょうか。帰宅時間においてある程度の遊びやズレがあって、 そこにボラティリティのようなものが存在するからこそ、家族も不安にならずに待っていられるわけですよね。 つまりそこに一貫性を持たせようとしないから逆に安定するわけです。 この富野法則の本の中では、これが投資におけるボラティリティの話につながっていくんですが、 これは社会のありとあらゆる現象、そして現代のポリコレ論争なんかにもそのままつながっていく話だなというふうに思いながら僕は読みました。 ここで完全に余談なんですが、先日NHKで放送されていた平安時代サミット2024 平安時代は本当に平安だったのかという年史特番で、時代という概念についてとても面白い言及がなされていました。 平安時代や鎌倉時代など、僕らは時代を区切ってそれぞれの特徴について言及するんだけれども、 実はそもそもそれはおかしい話なんだと。確かに言われてみると、もともとは全て一つ流れであるはずですよね。 例えば、江戸と明治の比較においても、江戸は○○で明治は○○だったみたいなふうに、 時代ごとにその違いを僕らは言葉で表現しようとしてしまいますが、でも実際にはそんなにスパッと切り分けられる話ではないですよね。 現代に置き換えて考えてみると、平成と令和をシームレスに体験している現代を生きる僕らは、 その平成と令和の連続性の方をむしろはっきりと理解しているはずです。 でも、きっとここから100年から200年後の未来、僕らがこの世から完全に消え去った時の日本人にとっては、 今の僕らがちょうど江戸と明治をきっぱり分けて語ってしまうように、平成と令和の違いをまるで令和元年、つまり2019年に全てがガラッと令和式に変わったというふうに捉えてしまうはずなんです。 でも実際にはその令和式というのは、これからもっともっと改造高く決まってくるはずですし、 令和が終わるタイミングで初めてそこから速攻的に振り返った時に、令和とはこういう時代だったよねっていうふうに決まるわけですよね。 今2024年現在、令和6年になったこの年においても、令和の輪郭や境界線というのはひどく曖昧であって、どちらかといえばまだまだ平成の延長で、 なんなら昭和99年と言っても違和感がないぐらい昭和の延長線上にもあるかと思います。 このように時代という区分でさえも、実は境界線というのはかなり曖昧なわけですよね。 さて話を元に戻すと、じゃあ僕らはなぜ言葉で説明された時に、そこにリアリティを感じ取ってしまうんでしょうか。 このようなリアリティの実感程度はなぜ起こるのか。 再び養老武さんのこう考えるとうまくいくの内容に戻り、リアリティとは何かについて言及している部分から少しだけ引用してみたいと思います。 リアリティの翻訳は案外難しくて、リアルを現実的と訳すとどうもぴったりこない。 リアルあるいはリアリティという抽象名詞は、むしろ真善美と訳す方が正しいと私は思っています。 つまり正しい、いいとか美しいというのは非常に強い実感を持っていて、これも現実の一つです。 良い、いいことということの力が持つことは、戦前から生きてこられた方はよくお分かりのはずです。 大日本帝国天皇陛下万歳かは知りませんが、とにかくそういう抽象的な観念が人間を徹底的に動かすことは誰でもお分かりの通りです。 特定の信仰宗教でも全く同じで、なぜそういうものが人を動かすかというと、それが現実に変わるだけのことです。 さていかがでしょうか。僕はこの視点は本当に軽感だなあというふうに思いながら読みました。 何回も繰り返し読み返して、まるっと暗記してしまいたいくらいに非常に重要な指摘だと感じています。 つまりリアリティとしての真善美にこだわっている人たちの方が、実は圧倒的に言葉によって生まれたバイアスや重みづけに溺れてしまっているような状態なんだと思います。 養老さんはこの文章の後に、おそらく人間の世界の争いの最大の原因はこの辺りにありますというふうに書かれてありましたが、僕も本当にそう思います。 先ほどご紹介したタレブの話に当てはめてみると、6時ぴったりに帰宅することが真善美としてあるべき姿であるともし仮定したならば、 1分でもどちらかにずれてしまったら家族を不安にさせてしまうから、それは良くないことなんだみたいな話なんです。 でもそもそも自然界に6時なんてものはなくて、6時ジャストという60秒間の時間的隔たりを区切ったのも、あくまで人間の言葉や認知に過ぎないはずなんです。 でもむしろそれこそが現実となってしまっているこの矛盾が、僕はここが本当にいつも不思議でしょうがないなと感じてしまいます。 時間に置き換えると非常に間抜けな議論に思えるんだけれども、今似たような議論があちこちで散見されるのかなと。 特に人間は平等だという幻想にあまりにもとらわれすぎてしまっている気がしています。 リアリティにおける善というものが目の前の現実と完全に入れ替わってしまっている状態です。 それは他でもなく言葉の力によってです。 そして本来存在していても一向に構わないはずのボラティティの許容範囲を認めないことによって、現実とのギャップ、その乖離が誕生してしまって、そこに自分たちがものすごく苦しんでしまっている状態です。 淡いがそこに一切存在していないってわけですよね。 でも繰り返しますが、このようなふうな一貫性にこだわってしまうと逆に不安定になるわけです。 むしろ淡いや遊びこそが大切で、ここを理解することが今本当に大事だなというふうに思うんです。 一方で少しでも遊びが存在するとけしからんというふうに起こる人たちは本当に多い。 結局それは自分たちの首を絞めることに繋がってしまってるんじゃないのかなというふうに僕は思います。 ざっくりと大体これぐらいの間なら大丈夫というある程度の許容範囲が存在していることがきっと何よりも重要なんでしょうね。 だからこそ過去に何度も語ってきたように境界線は常に曖昧にする方向へと向かうべきなんだと思います。 人間が言葉で切り分けただけということに改めて気づいてほしいなと。 本当は全てが繋がっている。全ては同一平面上に存在しているんだと思います。 さて今日のお話は以上となります。 いつもこのボイスシーンを聞いてくださっている皆さんにとっても今日のお話が何かしらを考えるきっかけとなっていたら幸いです。 それでは今日はこの辺で。また明日。 もっと見る #養老孟司 #こう考えればうまくいく 鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!09:501.チャプター 1コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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