TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティ生きるついでに、本を読む。09:14 2024年4月11日 881再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次生きるついでに読書?その真意とは読書家たちの意外な共通点とは?目的?手段?読書の新しい定義村上春樹と養老孟司の知見から紐解く読書が人生を豊かにする魔法AI文字起こし(β版) # チャプター 1 こんにちは、鳥井博文です。 働くをテーマにした対話型オンラインコミュニティ 和製サロンを運営しています。 さて本日のお題は、生きるついでに本を読むというテーマでお話ししてみたいと思います。 今日も昨日ブログに書いた内容です。 それでは早速本題に入っていきますね。 読書の向き合い方っていうのは本当に人それぞれだよなっていうふうによく思います。 僕がこれまで出会ってきた喫水の読書好きな方々は、明らかに読書を目的としながら本を読んでいるような印象です。 生まれながらにして本を読むのが大好きで、本に対していつだって夢中になれて、本を読むことそれ自体に喜びがある感じです。 本を読むために生まれてきたみたいな感覚を語る人も少なくないなぁと。 彼らは客観的に見ていても本当にそのように思わされます。すごく楽しそうなんですよね。 僕も本を読むこと自体は好きなんですが、体感としては全くそこには追いつかない。 僕が本格的に本を読み始めたのは20歳を過ぎた頃からでした。 読書それ自体が好きかと問われれば、多分その答えは彼らと比べた場合においては明らかにNOになってしまうなというふうに思わされる。 そうすると今度は、読書は目的ではなくあくまで手段だという話になっていきます。 つまり何か明確に個人の叶えたい夢や野望があって、そのためのノウハウやシステムを理解するために先人たちの知恵を吸収するのだというふうにです。 経営者の中で読書家を自負する方々はこちらのタイプが多い印象です。 そして一時期までは自分もそちらのタイプだろうなというふうに思っていた節もあります。 ただ30歳を過ぎたあたりからそれもそれでなんだか全然違うなというふうにも思い始めました。 理由はうまく説明はできないんですけれども、そうやって読んでしまう本のつまらなさみたいなものに気づいてしまったんでしょうね。 この時に自らの行き場みたいなものを完全に失ったような感覚があって、結構はっきりと絶望したことを今でも思い出せます。 養老武さんが書かれた本を片っ端から読み始めたのもちょうどそれぐらいの時からだったというふうに記憶しています。 なんだか自分が読書に対して求めている感覚、それに近いものを養老さんはうまく言語化してくれていることが多いなというふうに漠然と思っていたからだと思います。 そして先日もご紹介したことのある養老さんの生きるとはどういうことかという本を読んだ時に、とても腑に落ちる読書に関するお話が書かれてありました。 それが今日のタイトルにもあるように、生きるついでに本を読むというスタンスなんです。 養老さんは歩きながら本を読むことが多く、その理由について語られていました。 以下本書から少しだけ引用してみたいと思います。 なぜ歩きながら本を読むのか。 読書にひたすら専念するためである。 でも歩いてるじゃないか。 そのどこが専念か。 そこの説明が難しい。 逆に言えば、静かに座って読書することが私には信じられないのである。 そんなことは私にはできない。 それをやると逆に気が散ってしまう。 そもそも私は静かに座っていられない。 体が動き出してしまう。 講演の時は演覧場を歩き回る。 貧乏ゆすりは長年の癖である。 世に読書家は多い。 その人たちにとって読書はおそらく自己完結的な行為なのであろう。 つまり普通は本を読むこと自体を目的として本を読むのだと思う。 私はそれができない。 だから何かをするついでに本を読むことになる。 ちょっと中略して、生きるために本を読む。 それなら高級だが、私の場合はどうも違うように思う。 私は生きているついでに本を読むのである。 本はそれに大変向いている。 さていかがでしょうか。 これは本当に膝を打つような話ですよね。 生きるついでに本を読むっていう、これにまさに尽きるなっていうふうに僕は思わされました。 ものすごく絶妙な感覚みたいなものを本当に非常に上手に言語化してもらったなっていう感覚です。 多分この曖昧な感覚みたいなものは他の表現では言葉にならないだろうなと。 先日配信したボイシーの中で村上春樹さんのノルウェイの森や海辺のカフカを歩きながらじゃないと読めないんだって話をしたばかりなんですが、 それはまさにこの感覚なんですよね。 僕自身の読書の半数以上がオーディオブックが中心なのもそれが理由なんです。 文字通り本当に歩きながらじゃないと本が読めないし聞けないんですよね。 ここで話が少し逸れてくるんですが、最近そんな村上春樹さんの小説を聞きつつ、 同時並行的にその制作秘話やドキュメンタリー部分も改めて知りたくなって、 職業としての小説家という、あの有名な本のオーディオブックも聞き返しています。 この本も何度聞いても面白いです。 この本の中で村上春樹さんが小説家になりたいという風に願う人に向けた話の中で、 たくさんの脈絡のない記憶、そんなガラクタを集めてキャビネットの中にしまっておくといいというようなお話をされていました。 そして小説を書く際におけるそのガラクタの扱い方について、 誰もが知る映画ETでわかりやすく説明してくれる部分が非常に印象的でした。 以下で本書から少しだけ引用してみたいと思います。 ETの中でETが物置のガラクタを引っ掻き集めて、それで即席の通信装置を作ってしまうシーンがあります。 覚えていますか? 雨傘だとか、電気スタンドだとか、食器だとか、レコードプレイヤーだとか、ずっと昔見たきりなので詳しいことは忘れたけれど、 ありあわせの家庭用品を適当に組み合わせてササッとこしられてしまう。 即席とは言っても何千光年も離れた母性と連絡を取れる本格的な通信機です。 映画館であのシーンを見ていて僕は感心してしまったんですが、優れた小説というのはきっとああいう風にしてできるんでしょうね。 材料そのものの質はそれほど大事ではない。何よりそこにならなくてはならないのはマジックなのです。 ちょっと中略して、いくらマジックを使うと言っても何もないところから実体を作り出すことはできません。 ETがひょっこりやってきて、悪いんだけど君の物置の中のものをいくつか使わせてくれないかなと言ったときに、 君とも何でも好きに使ってくれとさっと扉を開けて見せられるようなガラクタの在庫を常備しておく必要があります。 さていかがでしょうか。このマジックの部分の話は本当にハッとさせられるようなお話ですよね。 最近、LLCのトークンのコミュニティ内でも話題になっていて、 ウムコさんが丁寧に解説されていたブリコラージュの発想なんかにもきっとつながるような感覚のように思います。 ここで読書の話に戻すと、読書それ自体が目的の人はそのガラクタにこそ心を奪われているから、 それを並べ立ててガラスケースに入れて綺麗に飾って陳列をし、毎日それを眺めているようなイメージです。 でも僕はそんなコレクターでもマニアでもないんですよね。 キャビレットの中にしまわれているそんなガラクタに対しては特段興味があるわけでもない。 一方で読書が手段だっていう人は明確な問いや解決したい課題が先にある。 ガラクタはあくまでツールであって明確に最初から収まる場所みたいなものが決まっている。 そんな部品を探しているような感覚なんです。 どちらも決して間違っているわけではないはずです。 ただ僕はどちらもなんだか違う感じがしたんですよね。 僕はどちらかといえば生きるついでに本を読んでいたらなんだか集まっちゃったという感じに近いんです。 強いて言えば先日ボイスの中でお話しした内田達郎さんの人間的秩序が保たれるための仕事みたいな話において、 だったら俺がやりますよみたいなふうに機嫌よく手を挙げて、そこで何かを作る必要に迫られる。 そんな場合にその時にガラクタの中からいろいろと引っ張り出してきて、そこに立ち淡いてくる魔法それ自体に興味があるんだ。 そんな感じなんです。 ここは非常に分かりにくい話でごめんなさいというふうに思っているんですが、どうにか伝わっていたら嬉しいです。 具体的には例えばトークンエコノミーの可能性や革新性の話についてブログを書いている最中に、 ついつい思い出してきて引っ張り出してきたくなる、そんな知識や自らの実体験、そんなガラクタみたいなものを集めたくて本を読んでいるような感じです。 そしてそこに自然と勝手に立ち淡いてくるマジック的な感覚を自分自身が本当に楽しみにしているような感じです。 つまりまとめてみると目的がないわけでもないですし、手段にしすぎるわけでもないんです。 それが僕の思うまさに生きるついでに本を読むという感覚なんですよね。 養老さんとは少し趣旨がずれてしまうかもしれないんですが、僕はそう感じています。 今日はこの部分がうまく伝わっていると本当に嬉しいなというふうに思うんですが、いかがでしょうか。 魔法といえば今だとすっかりとソウソウのフリーレーンを想起するというふうに思うんだけれども、 あの漫画もなんだか似たような主題を描いているなというふうに思わされます。 具体的には魔王や魔族を討伐するために磨かれたような魔法は手段としての魔法です。 キャラクターでいえば電剣あたりがそれに当たるかと思います。 一方で魔法の中の魔法を極めることも同時に描かれていますよね。 それはキャラクターでいえばゼリーみたいな存在です。 でもそのどちらでもない生きるついでに、そして旅をするついでに本を読む魔法を集めるというような感覚です。 しかも何の役に立つかわからないくだらないガラクタのような魔法を集めるんですよね。 なんだかあれこそまさに目的と手段の淡いみたいな物語だよなというふうに思いながら僕は眺めています。 でもこの観点からすると読書は単に知識を吸収するためだけの行為ではなくて、 人生を豊かにするための一つの手法であるということもはっきりとしてくるのかなというふうに思うんです。 まだまだうまくは言えないんですが、このあたりの直感的な感覚みたいなものが皆さんにも少しでも伝わっていたら嬉しいです。 さて、今日のお話は以上となります。 いつもこのボイシーを聞いてくださっている皆さんにとっても、今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなっていたら幸いです。 それでは今日はこの辺で。また明日。 もっと見る #村上春樹 #養老孟司 鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!09:141.チャプター 1コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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