TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティ映画『急に具合が悪くなる』の感想。ゲスト:自炊料理家・山口祐加さん26:54 7月7日 345再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次映画『急に具合が悪くなる』真逆の感想「リスク」を巡る映画の深い問いかけ鳥井が語る“正しさ”への息苦しさとは商業性と作家性の間で揺れる映画の側面嵐の「切腹」と日本社会の”祭り上げ”AI文字起こし(β版) # チャプター1 はい、では今日はゲスト回ということで山口優香さんに来てもらってます。よろしくお願いします。 お久しぶりです。よろしくお願いします。 自炊料理家の山口優香さんです。 はい。 長きを忘れました。 でも今日はちょっと別角度からというか、お互いのメインのジャンルでもない話をしようということなんですけども。 映画急に具合が悪くなるが今すごく大ヒット上映中みたいな形であって、それを山口さんにメッセンジャーでお勧めしてもらって、実際に見てきて、 2人で感想会やろうって話になって、今日セッティングされてるんですけども。 はい。 いかがでしたか?見てみて。 でも前提として、私はすごい良かったからオススメですよって話をして鳥井さんを見に行ってくださって、鳥井さんの感想は、ごめんなさい否定派ですって返ってきて、 それでもいいですかって言われて、全然いいですよって言って、肯定派否定派が2人ともいる対談って面白いんじゃないっていう話で。 しかもお互いの信頼関係がないと、お互いの言ってることをある意味否定することでもあるので、その関係を築けてるからこそできるって意味でもいいんじゃないかって話をしました。 本当に僕もそう思ってて、もしこの関係性じゃなかったらきっと話すと危ういテーマなんだろうなっていう感覚もあったので、なるべくなら安心感のある中でお話ししたいなって思ったし、 僕もあんまりこの映画について自分自身で発信しようとは思ってなかったんですよね。好きな人が多い映画でもあるからそこをわざわざ否定しに行く必要もないし、だけど山口さんとの対話という中での自分の否定的なというか苦手だった意見みたいなものがちょっとこぼれ出るぐらいだったらそれはOKかなっていうふうに思って、この収録望んだイメージですね。 まず前提として私は急に具合が悪くなるを観光されたぐらいに読んでいて、その本を読んで私は自分のために料理を作るの編集者をこの人がいいって決めたんですよ。 だから急に具合が悪くなると私が書いた自分のために料理を作るっていう本があってその編集者同じなんですね。 急に具合が悪くなるは初めて聞く方のためにざっくり原作の話をしておくと、人類学者の女性と哲学者の女性、どちらも大学で教えているような先生の2人が登場人物です。 その哲学者の方ががんを患っていて、そのがんにかかったところから生きるってなんだろうとか、合理的な選択ってなんだろうとか、医療ってなんだろう、治すってなんだろうみたいな、人生とはみたいなすごく大きい問いを2人で往復書館も10回、合計20通重ねていくっていう本なんですよね。 これを原作として映画になったのが今回浜口龍介監督で公開されているっていうことなんですけど、だから原作はノンフィクションで、映画はもちろんフィクションになるわけで、 それがどういうふうに映画化されるかってなった時に、本当にその原作から絶対に外しちゃいけないエッセンスっていうものだけは抽出して、それをもう本当に物語に、ある意味フィクションに作り変えて映画化されているものなので、 原作と映画が同じっていうふうにしてみると、多分全然違うじゃんっていう印象を抱くと思うんですけど、原作を読んでいると、2人の往復書館で話されていた話題みたいなのが全体に散りばめられているという構成だったんですよね。 で、私が見ていて面白いなぁと思う、本当にものすごいいろんなテーマが詰め込まれた映画だったと思うので、 なんだろうな、話せばキリがないっていう感じなんですけど、私は原作にも今回の映画にも通じる話として、リスクの話がすごく印象に残っていて、 生きるっていうことで、常に死ぬリスクを伴っているじゃないですか。 そういうことも本のテーマだし、映画のテーマでもあったし、何かをするってことは常にリスクが伴うんですけど、 常に日本人的なリスクヘッジを始めると、何でもやらない方がマシとか、 怒ってないけど先にルールを決めておくとか、そういうことが大嫌いなんですよね。 という意味で、なんだろうな、映画の中にもリスクがあるからやらない方がいいんじゃないか、みたいなセリフとかがいろいろ出てくる中で、 でもそれでもやってみるみたいな、何か起こった時に失敗かもしれないけど、 その失敗から学んで変えていこうよっていう、なんかその姿勢みたいなものは、 現代社会って言ったらちょっと主語が大きいかもしれないけど、 かもしれないかもしれないで、どんどんどんどん自分のいる島が削られていく、 というか狭くなっていくような現代社会において、やってみることってすごく価値があるよねっていうことを、 私はメッセージとして受け取って、それはすごい嬉しかったなって思ってるという感じです。 なるほど。あの映画の中で結構確かにリスクみたいなものは一つ大きなテーマとしてあったし、 なんかそれが日本じゃなくてフランスという舞台でやってるからこそ、 余計に日本とのズレみたいなところとかも表現にあったなって思うんですけど、 ネタバレも全然あってもいいと思うので、ネタバレ気にする方はこの後聞かないで、 見た後にぜひ聞いて欲しいんですけど、映画の中のどの辺りのシーンで具体的にそのリスクみたいなところをぐざっときましたか? 最初の演劇のシーンで2人が開口するシーンからですか? うーんと、主人公のフランス人の方の方が介護施設で働かれていて、そこの一番施設長みたいな仕事をしていて、 マリー・ルーっていうんですけど、そのもう一人の日本人の登場人物のマリと出会うきっかけになる自閉症を持った男の子と出会うシーンも、 トラムから自閉症を持った男の子が外を走っている様子を眺めて終わりでよかったのに、 ほっとけなくなるみたいな、彼をケアすることでケアした人物の周りの人たちが、 日本人の感覚がすると余計なことをするなとか、そういうことを言い始める可能性もあると思うし、 自分の予定に遅れるリスクとかもあったかもしれないし、 だけど彼女は彼男の子と一緒にいるっていうことを決めたのも出会いのきっかけとしてすごくあったと思うし、 あとはマリーが自分の癌が進行したら一瞬かもしれないって話をして、 日本に残る選択肢もあったけど、介護施設にマリールーに今最後を世話してもらおうということで、 単純に考えれば言語が通じづらい環境に行くとか、親戚がいない環境に行くっていうことは多分彼女にとってリスクなはずなのに、 医療って命に関係するから、言語ってものすごく大きな壁だと思うから、 でも自分が居心地のいい方を選んだっていう方、 命が長く延びるかどうかっていうことより、今自分の魂がどっちがいいかっていうので選択しているところとかもリスクの話だなって思ったし、 あとは介護施設で認知症とかを持った方々がカフェをするっていう時に、いろんなリスクを伴うからやめた方がいいっていう看護師の看護室長と、 それでもやりましょうっていうことで結果的にやることになるんですけど、やっぱりやるってことを選べる素晴らしさっていうことは思いますよね。 確かにそうですね。 基本的に迷ったらやるみたいなことがちゃんと一本筋が通って貫かれている映画ではありましたよね。 それはどっちもマリルもマリンも自分の人生の選択としてやらないっていう風に決めるんじゃなくて、むしろやっていくっていうところ。 その中で開けていく物語っていう美しさみたいなものが本当に描かれてたなっていう風に思うので、それは確かにそうですよね。 鳥井さんは何に引っかかったんですか? いやー難しいな。だからこれずっと本当に今日山口さんとこの話が決まるって、自分なりに言葉にしなきゃいけないんだろうなって思ってたからずっと考えてたんですけど、 何なんでしょうね。やっぱり一番最初に思った感想は本当にこの今の人分地ブームというか人分地の盛り上がりみたいなものと、 本当にいわゆるケア論みたいなもの。それは女性がケアするみたいな文脈の中で生まれてきたケア論みたいなものとかの流れとかとも、 そういうブームみたいなものの本当に極地だなというか、ずっと正しかったなと思ったんですよね見てて。 正しい映画で正しさを当て付けられてるって言うと言葉としてよろしくないという風には思いつつ、 なんかそれを僕としてはちょっと見てて苦しかったなっていうか、若干面倒くさいなとも思わされたというか。 でも今これが今この国内において流行る、流行るんだというか、人気になるんだってこともすごく発想させられたし、 ともすれば1年2年ずれてればたぶんそんなに流行ってない映画でもあると思うんですよ。 それをなんで今っていうところとリンクさせられると思ったんですか? なんでしょうね。なんかもうちょうどよく分担してるからじゃないですか。 なんていうのかな。これがみんなでのコンセンサスを取りましょうって言ったらこの映画ってそんなに流行ってないような気がするんですけど、 でもこれを一つの界隈にものすごくぶっさしにいくみたいなことで、しかもある程度それは世界の、各国ではニッチかもしれないけど、世界全体で言えばある程度母数があるよねってなれば、 そういう文脈としての関連の受賞もありえるしみたいなところがいろいろあったんだろうなっていう感覚ですけどね。 僕が一番ぐさっときたのは、散歩してるシーンからすごい資本主義の話を突然し始めたじゃないですか。 ともすればホワイトボードを使って資本主義をやるじゃないですか。 ああいうのとかも全部言ってることは正しいんですけど、それを伝えたいことも分かるんですけど、あの正しさの息苦しさってなんだろうなとずっと考えちゃいましたね。 ここでその資本主義のマルクス的な抗議を始めるんだっていうところとかの違和感があったというか。 私もあまり資本主義が好きじゃないというか、お金がどんどん地価が上がっていって、小さい商売をして人たちが苦しんでいく仕組みとか全然好きじゃないんですけど。 でもかといって私たちは資本主義を手放すこともできなくて、先進国にいる以上常に加害者側に立たされているわけじゃないですか。 加害者であることをどれだけ拒んだとしても、それはもう日本に入れないみたいなことになっちゃうなと思ってて。 その仕組みの中で行きざるを得ないし、仕組みのことは好きじゃないし、でも恩恵は受けているしっていう矛盾は抱えていて。 しかもカンヌっていう映画祭っていうもの自体も、どういう仕組みでそれが成り立てて、どういうところからお金が出ているのか詳しくわからないけれども、資本主義の一個の枠組みとしてできているものだと思いますし。 完全に清廉潔白な、なんだろうな、ここが悪いって言えないぐらい綺麗な映画ってないと思うんですけど。 だからすごく両面性を持っている映画だなって思いますよね。 僕、この映画を見た後に記者会見の映画とか、映画の舞台挨拶の動画とかも合わせて見たんですけど、どっちの動画だったか忘れちゃったんですけど、見た人の感想が語られてあって、舞台挨拶の動画かな。 その時に紹介されていた視聴者からの言葉みたいなもので、視聴者というか観客の、見た後の人の感想の言葉みたいなもので、全人類がこの映画を見たら全ての境界線がなくなるのにみたいなことが語られてあって、しかもそれがすごく深くて素晴らしい感想だみたいなふうに舞台上では語られてあったんですけど。 なんかそういうところだぞっていうふうに余計に思うんですよね。そんなわけないじゃんっていうか、そういうふうにこっちの正しい側が思っちゃうからこそ、そしてこういう映画を強要するからこそ、今の世の中みたいな変化というか分断が起きているに、それをもう一回再生産する形というか、そこに拍をつけていく。 これを進めたくなってしまうような映画にも作られていると思うんですよ、意図的に。そういうところも全部ひっくるめて、なんか僕はちょっと違うなって思ったっていうか、それだけじゃ変わらない何かに今僕らはぶち当たってるはずなんだけどなっていう違和感が若干残ったみたいな感じですかね。 なんか難しいね、映画って。 映画作品っていうのは、それこそ資本主義の中で売れていかなければ残れないからこそっていうのもあると思うし。 レシピを自分のフィールドに近づけて考えると、売れる本を作りたいんだったらいっぱいレシピを入れてお得にするとかね。 売らなきゃいけない手前、自分が本当はしたくない努力をしなきゃいけないみたいなところがあると思うんですよね。 だから浜口監督も、商業性と自分の作家性みたいなところの接中案を常に考えなきゃいけない。 そのアウトプットとしてのこの映画だったと思うんですけど、彼がその作家性だけで作っていいってなったら、それはイフですけどどういう映画になってたんだろうとかも考えると面白いですよね。 この辺が商業映画として売れるところなんだろうなぁみたいなところも、キャスティングもそうだし、 フランスと日本というすごく文化では有名な2つの国がタッグを組んでみたいなところもそうだし、売れるようにいい意味で仕組んであるっていうのは感じますよね。 本当にそうですよね。だから僕らもこの3時間15分超えぐらいの映画ですけど、それを飽きずに最後まで見ることができるし、見終わった後にも色々考えたりとか、人と対話したくなるとか、そういうところにも繋がっていくんだろうなって思うので。 本当に素晴らしい映画なんですよね。だから僕は自分は苦手だったけど、でも苦手ゆえに皆さんにも見て欲しいなって思うし、それぞれにこの映画を見て自分は何を考えるのかっていう風に、 自分が考えるきっかけとしては本当に素晴らしいと思うので、ぜひ見て欲しいなっていう風にも思います。 そのパッケージの仕方の上手さみたいなところを僕はたぶん引っかかっちゃったって話であって、それは決して悪いことじゃなくて、むしろ届けていくための1つの手段として素晴らしいという風なもので、 たぶんこれは僕の問題なんでしょうね。1つね。だからそこはすごく感じる部分ではありましたけどね。 こういう映画でどういうキャスティングするかって本当に難しいですよね。有名人引っ張ってくればいいって問題でもないし、 なんだろうな、すごい浅はかな感想だけど、有名な映画監督の映画っていいって言いたくなりますよね。 それはあると思う。でも私は浜口監督の他の映画で全然わかんなかったなぁみたいなのもあるし。 映画っていうものがドラマーだと、どうしてももうちょっと、釣りって言ったらあれだけど、見たくなるみたいな、そういうものが必要な気がするんですけど、 映画ってそこれがそこまでなくても、本当に映画が好きな人が発見してくれるみたいなジャンルでもある気がしていて、 という意味で、商業的に成功してなくても、完成される映画っていっぱいあると思うんですよね。 よくそんなテーマで映画にしたな、みたいな映画もいっぱいあるじゃないですか。 そういうドラマってあんまりないっていうか。 という意味で、その時代の、その時代時代が切り取られているという意味でも、面白い差はあるなと思いました。映画っていうもの全体に対してですけどね、それは。 本当そうですよね。濱口監督自身が、ある種国民的映画監督になっているんだろうなっていうのも感じるし、それが、さっき言ったタラシタとか人文地ブームとうまく合わさって、そういう期待も全部背負い込んだ上での本作だったんだろうなというふうに思うので、 なんか僕自身、ドライブマイカーとか結構好きだったんですけど、今回は明確に苦手だなと思ったのは、なんだろうな、その新海誠監督とかの君の名はからの天気の小辺りまでの話と、その後に続く新海誠作品の違いみたいな話で、 本当に国民的になってしまったがゆえに、タラシタを描かなきゃいけないっていう方向に行っていくっていう感覚っていうのは、きっと誰もが持ち合わせるし、それは僕ら観客側というか、国民側がみこしを担いだ結果としてのそういう描き方にもなっていくというふうに思うので、 そういうところの、みこし担ぎ上げて無責任に祭り上げた結果、こういうものを作ってっていうところの、僕らの側の傲慢さに僕は何か迫撃する機会が多くて、監督自身のメッセージ性というよりかは、そういうところに入ってきてるからこその、今回の僕の中の若干のモヤっと感だったのだろうなっていうのも同時に感じるかな。 難しいですね。やっぱりその、期待されてるものが多い以上、いやちょっと話変わりますけど、嵐のラストライブを私生で見てたんですよ。 はい。 嵐って本当に綺麗な終わり方したなと思ってて、メンバー誰一人スキャンダルがなく、すごく仲が良くて、話も面白くて、歌も踊りもできて、 それで全員でゴールテープを着て、嘘みたいっていうか、こういうのを嵐が、何だろうな、 そういう物議を醸すようなことはできないっていうか、だからなんかものすごくやっぱり私たちが彼らにものすごいプレッシャーをかけていただろうなっていう気もするし、 大野さんはそれが嫌になっちゃったんじゃないかなっていう気もするし、だからこう、今世の中全体自体がものすごくカオスだし、戦争も起こってるし、 真面目に考えれば本当に心が引きちぎれそうになるようなことがいっぱい起こっているからこそ、フィクションの世界だったり、アイドルだったり、そういうものに過剰な綺麗さを求めてしまうっていうのはすごいある気がしたし、 嵐が本当にラストライブ終わった時に、なんか本当ここまでよく頑張ったねっていう気がしたっていうか、私はただただファンとしてっていうか、普通にみんな歌える私たちの世代はみんなカラオケで歌ってたような世代なんで、 ドラマも見てきて、音楽も聴いてきてっていう関係性でここまで来たけど、天皇の前で歌を歌うとか、オリンピックの歌を任されるとか、すごくこう、 本当はヘラヘラしてた人たちなのに、人気アイドルグループというすごく固い殻の中に私たちが閉じ込めてたんじゃないかなっていう気もするし、 それを内側から崩すことってすごい難しいと思いますしね。 本当に嵐は僕らが祀り上げた結果としてそこまで上り詰めたし、上り詰めた結果として解散という、これは本当に言葉を選ばずに言うと、ある種の切腹をしたというか、自分たちでの終わりを決めたわけじゃないですか。 というのは先輩グループとしてのSMAPとかTOKYOがあれだけの公開処刑をされて、あれだけ自分たちの本当に欲してない形で終わらせられたことを見た結果として、自分たちは綺麗に終わらせようっていう。 みんなで祀り上げた結果として、むしろ終わらせる結果に向かわせてしまったっていうところでもあると思うので。でも日本って本当にずっとそれをやってると思うんですよね。 今天皇の話も挙がりましたけど、天皇に求めることもそうだし、ずっとそうやって一人の人たちを祀り上げて自分たちには責任がないと言いながら、その人たちのせいにしてという言葉は良くないかもしれないですけど、 そうやって自分たちの晴れの日常を作っていた感覚はあると思うので、難しいですよね。映画とだいぶ話ずれちゃいましたけど、でも本当に嵐のあれは象徴的だったなというふうに同時に思うので。 そうじゃない中での、いろいろあるよねっていう、生きてればいろいろあるわなっていう、その感覚をどうやって互いに持ち合うかみたいなところはすごくあるなって。 それを見て見ぬふりをしていくと、どんどん正しさの方向に煮詰まっていっちゃうんだろうなっていうのも、山口さんのお話聞いててすごく感させられたので。 いやー、安倍監督のやつとかも本当そうですよね。 うんうん。 なんかもう、いたたまれないっていうか。 うんうん。 なんかもう、何が起こってたのか本当真相はわからないから、外野は黙っていればいいのに、やっぱその外野がうるさすぎるっていう問題っていうか。 うん。 暇なのかな。 本当ですよね。暇なのかなっていうふうに思っちゃうし。 でもそれをね、見ちゃう僕らもいるっていうところで、ちょっとそろそろ危うい話に入りそうなので、あれしましょうか。 しましょうか。 後半のプレミアムの方でこの話の続きは。 プレミアムの方では最初から話したい内容をちょっとお話ししてて、今山口さんがね、お子さんを生まれて今6ヶ月半でしたっけ。 3ヶ月半。 3ヶ月半かすいません。3ヶ月半経ってっていうところで、生まれる前の収録もしてたので、生まれた後はどうですかって話をちょっと払わって聞かせてもらえたらなっていうふうに思うので、そちらもぜひ合わせて聞いてみてください。 ありがとうございました。 はい、ありがとうございました。 もっと見る鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!26:541.チャプター1コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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