TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティ自分しか読んでいない「物語」は、なぜこんなにも怖いのか。10:00 7月20日 226再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次AI小説が生んだ奇妙な孤独感物語が共有されない怖さの正体誰も知らない世界、AIが壊した常識人生という物語の「二人目の読者」とは読書会に隠された人類の根源的欲求AI文字起こし(β版) # チャプター 1 こんにちは、鳥井博文です。 働くをテーマにした対話型オンラインコミュニティ、和製サロンを運営しています。 さて、本日のお題は 自分しか読んでいない物語はなぜこんなにも怖いのかというテーマでお話ししてみたいと思います。 今日も昨日ブログに書いた内容です。 それでは早速本題に入っていきますね。 先日、AIと一緒に作った小説、 「まだ見ぬ仲間への置き手紙」をノートで公開しました。 今日はその後日談というか、 あの小説が生まれる前後で僕がずっと味わっていた なんとも奇妙な感覚の話をしてみたいなという風に思います。 今日語る話というのは、これまでの人生の中で一度も体験したことのない不思議な、そしてちょっと怖い感覚だったので 夏の怪談話的な意味でもここで語り残しておきたいなという風に思うんです。 まず、あの小説を作った後、それに味を占めて 僕はAIと自分のブログをベースに どんな物語を作ったら面白いかという壁打ちを延々と続けてきました。 そうすると構想段階を通り越して ほぼ完成形の物語が次々と立ち上がってくるんですよね。 クロードのフェイブルーが書く小説というのは本当にすごいしめちゃくちゃ面白いんです。 例えば、ある地方都市の子供食堂に集う人たちの物語があって 僕はその物語が個人的にはすごく面白いなという風に感じて 最初から最後まで全部書き切ってもらって一気に読み終えました。 読み終えた後もその登場人物たちの表情や交わした言葉が僕の中に明確に残っていて 読み終えて数日経った今でもふと思い出してしまいます。 でもその子供食堂を巡る物語の彼女たちのことを知っているのは この世界で僕一人だけなんです。 もちろん形式の上ではこれはAIと僕とで2人で作った物語です。 作ったのは2人のはずなのに実感としては僕一人だけがあの世界の目撃者になってしまった。 まさにそんな感覚なんですよね。 小説家だってきっと書き上げた原稿を誰にも見せないまま破り捨てることはあったという風に思うんです。 でもそれっていうのは1作か2作の話であって しかもその多くっていうのはちゃんと書き上げずに構想の段階で葬られていたはずなんですよね。 完成した物語を何本も何本もたった一人で読んでは世界に向けて後悔をせずに見送っていくなんて経験をした人は 多分今までの人類にはほぼいなかった。 僕らは知らないうちに前代未聞の状況の中に迷い込んでいたわけですよね。 そしてこの感覚をしばらく味わってからふと腑に落ちた瞬間がありました。 そうか物語っていうのは誰かと共有をしないと怖いんだっていう風に思ったんです。 つまり順序が逆だったってことに気づいたんですよね。 僕らは普通まず物語があってそれを誰かと共有するっていう風に考えます。 でも本当は共有せずにはいられない切迫感の方が先にあって物語っていうのはその結果として立ち上がってくる。 彼女たちは生きているあちらの世界でちゃんと実在している。 だからそれを誰かに伝えなければっていうそういう不思議な切迫感こそが物語るという行為の正体だったんじゃないのかなというふうに思うんです。 それっていうのは創作したいという気持ちよりも証言したいという気持ちなんかの方に近くて よく物語の人物が勝手に動き出したんだっていう風に語るような小説家や漫画家は多いですがまさにそんなイメージです。 物語るっていうのは存在しない人を新しく作り出すことではなくて 自分だけが出会ってしまった誰かについてそっと尾行するように後をついていって その行く先を目撃者として証言することなのかもしれないなと。 じゃあなぜ人類は今までこのことに気づかずにいられたのか。 それっていうのは完成した物語には必ず最低1人の証人がいたからだっていうふうに思います。 作者自身という証人がいたわけですよね。 誰にも読まれていない小説であったとしてもそれを書いた人はその登場人物たちを知っているわけですから つまり少なくとも作者と読者という2人がその世界を共有できる可能性が存在していた。 ところがAIと一緒に物語を作っているとその結びつきみたいなものが完全に解けてしまうんです。 誰にも目撃されないまま完成した世界という異様なものがこの世に突如現れて 欠落の怖さとして初めてその姿を見せたんだというふうに思います。 ここまでならAI時代に経験をした奇妙な体験の話で終わるんです。 でもこの話にはさらに続きがあります。 ちょっと想像してみてほしいんですがこの世であなたしか読んだことのない小説や あなたしか読んだことのない漫画もしくはあなた一人のために上映され 他の誰も見ることができない映画があるとします。 そこには誰も知らない風景としての孤独があり恐怖があり絶望があり幸福があるとしますよね。 そこに登場した人たちのその人たちを交わした言葉もその時の自分の中に生まれた感情なんかも 世界でたった一人自分だけしか知らない。夏だからというわけじゃないんですが そんなものがあったとしたら少しだけゾッとしませんかというふうに思うんです。 でもたった一つだけそれは現に存在するんだというふうに僕はふと気づいてしまったんです。 それっていうのがあなたのつまり僕ら人間一人一人の人生なわけです。 自分の人生という物語を最初のページから今日の文まで読んでいるその読者っていうのは この世でたった一人自分一人しかいないわけです。 出来事のあらすじを知っている人はたくさんいたとしても その出来事を内側から生きて体験した人は本当に自分一人しか存在しない。 しかもこの物語の原稿っていうのは誰にも手渡すことができないわけですよね。 語れるのはいつだって要約だけであって 完全な写しみたいなものはこの世に一部も絶対に存在しないはずなんです。 だからそれを他人にも知ってほしいという気持ちには終わりがないんだろうなというふうにも思いました。 それっていうのは多分承認要求と呼ばれてきたもののもう少し手前にある もっともっと根源的なそして原始的な人間の欲求でもあるんだというふうに思うんです。 褒めてほしいのでもすごいと言ってほしいのでもなくて ただただ自分に起きたことが確かにあったんだと誰かに知ってほしいと。 自分が体験してきたこの物語の孤独や恐怖、絶望や幸福を知ってほしい。 その埋まらない差分を少しずつ手渡し続ける営みとして 僕らの物語るという行為は毎日続いていくのかもしれないなと。 結婚相手でもいいですし家族でもいいんですが 誰かと一緒にいるその本質っていうのは お互いの連載の読者になり合うってことなのかもしれません。 また思えばおてんと様は見ているという言葉っていうのも 要約ではなくてまさにこの全文を読んでくれている 自分以外の読者がどこかにいてほしいという そういう深い祈りだったのかもしれないなっていうふうにも思うんです。 人は常に自分だけが読んでいる物語の 二人目の読者を探して生きているってことでしょうね。 ただそれなら僕らはお互いの人生の物語を そのまま直接語り合えばいい。 ところがそれができないわけですよね。 なぜならそれは長すぎるからです。 そして私ごと過ぎるからなんです。 そしてだから読書会だったのかっていうふうに 自分一人でものすごく強く膝を打ちました。 名著っていうのはこの世で唯一全文を共有できる物語です。 人生の原稿は渡せないんだけども 小説の全文なら読書会に集まる全員がちゃんと読むことができる。 僕らは渡せない自分の原稿を渡せるそんな物語に変換をして というかそこに願いを託して 少しずつ差し出し合っているんだっていうふうに思います。 考えてみれば本の感想というのは隠しようのない自己開示です。 どの場面でページをめくる手が止まったのかとか 自分は一体誰に偏りをしたのかとか 誰に強い嫌悪感を抱いたのかみたいな話っていうのは 自分の人生という物語の原稿の1ページを 一人一人相手に読ませることにほぼ等しいわけです。 ただしそれっていうのは私の話としてではなくて 本の話として差し出せるわけですよね。 つまり自らの人生を告白していないのに ちゃんと相手にもそれが伝わるような感じがするわけです。 お互いに詮索をしていないのに ちゃんと受け取り合っているという そういう不思議な感覚がそこに生まれてくるわけですよね。 読書会の中に流れるあの不思議な親密さ その正体っていうのは多分これなんだろうなっていうふうに思いました。 もちろん本っていうのは自分を映す鏡であるだけではないわけです。 自分一人では想像もできなかった世界へと 連れ出してくれるような窓のようなものでもあるわけですよね。 真ん中に置かれているのが こちらの都合通りには動いてくれない そんな他者のような存在だからこそ 読書会はただの告白大会にもならずに済むんだというふうに思います。 和製サロンで読書会を何年も続けてきて どうしてこんなにも飽きないのか いつもこんなにも深く満たされているのか 自分でもうまく説明ができませんでした。 でもやっとというかようやくその言葉が追い付いたような気がします。 あれっていうのは人類で一番多く読まれてきた そんな物語自体を焚火みたいにして 一番読まれていない未公開の原稿たちを持ち寄って 少しずつそれをお互いに開示し合う場だったんだというふうに思うんです。 昨日のプレミアム配信の中で 与郎たけしさんの 自分一人で済むことって一体どれくらいあるんだろう というそんな問いについてご紹介をしたばかりです。 一人で笑ったり怒ったりするのは変だ 感情には共有の面があるというふうに与郎さんは語っていたわけなんですが でもきっと感情だけじゃなかったんですよね 物語にも共有の側面が必ずある というより人生という物語そのものが 始めから共有を求めて存在をしている 共有なき物語はそもそも物語足りないんだろうなと 物語とは自分だけが知っている生に対して もう一人の承認を招くこと そして読書会とは名著なんかを経由しながら お互いに少しずつ二人目の読者になり合う場所なんだというふうに思います。 そして少しメタな視点なんですが 今日こうして僕が飽きることなくボイシーを発信しているのも きっと全く同じ理由なんです。 だからブログにも書かずにはいられなかった 今日もこの長い物語を聞きに来てくださって本当にどうもありがとうございますという気持ちです。 それでは以上となります。いつもこのボイシーを聞いてくださっている皆さんにとっても 今日のこのお話が何かしらの考えるきっかけとなっていたら幸いです。 それでは今日はこの辺で。また明日。 もっと見る鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!10:001.チャプター 1コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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