TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティ「いなくならないから」の倫理。09:41 昨日 199再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次「いなくならないから」が意味するもの時を経て深まる関係性の倫理とは「チーカ」が示す現代的安心感の源言葉を超え、信頼を育む時間の重み令和の時代が問い直す愛と関係性AI文字起こし(β版) # チャプター 1 こんにちは、鳥井博文です。 働くをテーマにした、多様型オンラインコミュニティ、和製サロンを運営しています。 さて、本日のお題は、「いなくならないからの倫理」というテーマでお話ししてみたいと思います。 今日も昨日ブログに書いた内容です。 それでは早速本題に入っていきますね。 この、「いなくならないから」という言葉は、浅井亮さんの小説「性欲の最後の方」に出てくる言葉であって、 今の時代の人と関わるための大切な態度が全て詰まっているような気がしています。 あなたのことは全てわかる。あなたの苦しみは私が取り除くんだ。」 そういうことまでを、この言葉は一切何も約束していないんです。 それでも、ただただ、「いなくならないから。」と何かを解決してくれるわけではないのに、 その言葉があることで、もう少し生きていけるような気がしてくる。 そういう関係性みたいなものがあるんだろうなあって思って、 ここ数年漠然とずっとこのことについて考えています。 今日はそんなお話になります。 この言葉というのは、少し不思議な言葉なんですよね。 未来について話しているのに、時間が経ってから振り返るときにも、深く受け取れるような言葉だからです。 あの人は本当にいなくならなかったな、というふうにです。 その時初めて伝わる、この言葉の意味というか、重みみたいなものがあるんだろうなあって思います。 昨日のVCの中では、チーカは群れずに群れたいの物語なんだと思うという話をしました。 それぞれが別の存在のまま、同じ気持ちや同じ反応を求め合わずに、それでも一緒にいたい、いられるような物語なんだと。 その話をもう少し考えてみると、チーカはこのいなくならないからの倫理の系譜の中にも連なるような物語なんだろうなあって思ったんです。 別々でいられることと、関係性が続いていること。 その両方があるから、あのチーカたちの関係性には、現代的な安心感を感じられるんじゃないかって僕は思うんです。 もちろんチーカの世界観みたいなものは、何も起こらない安全な世界ではないし、友情があれば全てが解決するような世界でもない。 だからこそ、分からないことやうまくいかないことがある中で、それでもお互いに関わるとする姿勢に、ものすごく強い意味が生まれてくるわけですよね。 群れずに群れたいと、いなくならないからの話っていうのは、別々のようでいて、なんだかこうしてずっと隣り合っているような気がするんです。 ちなみに、もちろんこのいなくならないからの感覚そのものが、浅井亮さんの小説性欲で初めて描かれたものではないというふうに思っています。 相手を理解しきれなくても、一般的な恋愛や家族の形に収まらなくても、それでも相手との関係性を続けようとする人たちの物語っていうのは、それ以前にもたくさん描かれてきました。 ただ僕にとって、性欲のこのいなくならないからの話っていうのは、その感覚をものすごく現代的に、そして鮮明にしてくれた言葉だなっていうふうに思うんです。 そしてそれと通じるような関係性の在り方が、今地域化という広く親しまいているような物語の中にも見事に花咲いているよねっていうふうに思うことが、ここで僕が一番強く強調したいことなんです。 この別々のまま関係性が続いているという安心感を、僕ら現代人は思っている以上に欲しがっているのかもしれないなっていうふうに思うんです。 ただここで気になってくるのが、いなくならないから、もう結局はただの言葉だっていうことなんです。 言葉ではいくらでも綺麗なことが言えてしまう。大切にするとか、ずっとあなたの味方だとか、誰かからそうやって言ってもらえたら確かに嬉しいわけです。 でも言葉に裏切られることもあることを僕らはもう十分に知っているから、それだけでは信じきれないところもあるわけですよね。 その言葉を聞いた瞬間に少し安心できることは確かにある。まだ何も起こっていなくても、明日を迎える気持ちだけがちょっと変わることだってあるっていうふうに思うんです。 ただその後にも無慈悲にも時間を続いていく。その時間の中でも相手はいなくならずに本当に実際に関わり続けてくれた。 そういう時間が積み重なったから、かつて言われたそんないなくならないからを思い出すと、同じ言葉なのに全く違う重さで響いてくるというか、届いてくる場面っていうことがあるんだって思うんです。 今の僕らが強く信じたいというふうに思っているのも、そんなふうに後から時間が追いついてきてくれるような言葉なのかもしれません。 ただこのいなくならなかったという事実だけではまだ何も決めきれられないようなというふうにも思うんです。 一緒にいることが当然というか必然であって、離れたいということ自体が責められるような関係性だって世の中にはあるわけですよね。 昭和の夫婦や家族なんてまさにその典型例だというふうに思います。 だから長く一緒にいたというその事実だけを見て、そこに深い愛情があったんだというふうに決めることはできないわけです。 いなくならないからが大切な言葉であり続けるためには離れることや関わり方を変えることも各人に自由に選べる必要性があるんだろうなというふうに思います。 それっていうのは誰にも頼らず生きることができることが条件だとかそういう意味ではありません。 それだと安っぽいフェミニズムに落ち込んでしまう。そうじゃなくて人は必ず頼り合うし関係が大切になるほど離れることにも痛みなんかも生まれてくる。 その上で残ることだけを唯一の正解にはしないということです。 相手にも自分にも関係を選び直す余地がいつだってちゃんと残されてあること。 私はいなくならないと自ら差し出すこととあなたはいなくなるなというふうに強く求めることは似ているようでやっぱり全く違うはずですから。 だからいなくならないからというのは男女関係なく自分からそう差し出すことが現代における倫理の最小単位なんだろうなというふうに思うんです。 それを世間が本当に愛しているならば残るはずだみたいなふうにそんなふうに言い始めたその瞬間にこの言葉というのはまた人を縛るための言葉になってしまうような気がするんですよね。 そして人間は当然変わるわけです。万物留天するわけです。一生同じ価値観で同じ気持ちで同じように相手に接し続けられるとは一切限らない。 出会った頃にはできていたことができなくなってしまうかもしれないし逆に当時は想像もしなかったものに夢中になることだってあるというふうに思います。 だからいなくならない、私は絶対に変わらないというそういう宣言にはしちゃいけないんだろうなというふうに思うんですよね。 むしろ相手も自分自身も時間が経過したことによって変わった。以前のように頻繁には会わなくなったし支えていた側が今度は支えてもらう側になったという場合なんかもあるはずです。 それでもその度にまた新たに違う関わり方を模索し続けてきたその過程ですよね。 その過程を振り返ると同じ状態が続いていたわけではないのにその人との関係性はずっと変わらずに続いていたというふうに思える。 つまり変わり続けていたことで逆性的に何も変わっていないように思えるということです。 一生やり続けると宣言することと実際に一生やったというその事実の違いなんかにも非常に近いなというふうに思うんです。 そして僕にはここにこそ昭和と令和の物語の違いみたいなものもあるように思えるんですよね。 前者の威勢の良い覚悟みたいなものを描き続けてきたのが昭和の物語だとすれば後者のその事実としての日中を淡々と描き続けてきたのが令和の物語なんだろうなと。 ただここもまたややこしいんですがだからといって一生の終わりまで待たなければならないってなっても何も信じられなくなってしまうわけです。 そんなことを言ってしまったら人生の答え合わせが全員100歳前後になってしまいます。 そうじゃなくて今日までのこの時間の中にもすでにあの時もこの人はいてくれたというふうに思える場面が必ずあるはずなんですよね。 その時間というのはこれからどうなるかとは別にちゃんと残っているというか続いているということです。 そう考えると結婚や契約のようなものも少し違って見えてくるなというふうに思います。 契約があるから一緒にいるだけならそこに愛はないというふうには簡単には言えないわけです。 約束があるからこそ安心して相手に何かを預けられるという場面もありますからね。 ただその足場があれば関係が自動的に育っていくわけではないということが僕がここで強く強調したいことです。 好きだから関係性を結ぶというそういう従来的な順番はもちろんあります。 それが昭和的なわけですよね。 でも先にそばにいることを選びその反復を繰り返すことによってそれを後から愛と呼ぶこともできるんじゃないかってことです。 それが令和的でもあって今日僕が今ここで強く強調したいことです。 そういう順番も間違いなくあるんだろうなというふうに今だったら思わされますし、 この令和の時代にはそれが今ありとあらゆる角度から見直され発見されつつあるんだろうなというふうに思います。 そういう物語が今一気に増えているということですよね。 ただ続いてきた時間もまた相手を縛るためにはいくらでも使えてしまうのをまた落とし穴だなというふうに思うので、 ここも注意が必要だなというふうに思います。 これだけ長く一緒にいたんだからとか、あの時もそばにいてあげたのだからとか、 そうやって続いた時間をこれからも関係性が続くはずだという権利とか義務に変えてしまうと、また同じところに舞い戻ってきてしまう。 続けた側が恩を着せることも、そして受け取った側がこの人はこれからもいてくれるのが当然だろうみたいなふうにそういうふうに思うことも、 きっと気を付けなければならないことなんだろうなというふうに思います。 あの時いてくれたと受け取ることと、だからこれからもいるべきなんだというふうに求めることは全く違う。 そしてたとえいつか関係性が終わったとしても、それまでの時間が嘘になるわけではないということですよね。 いなくならなかった時間に愛を感じることと、いつかいなくなった人の愛を否定してしまうことは全く別の話なわけですから。 いなくならないからこの言葉を一度言えば魔法のように何かが完成するわけではないんです。 その後も未来にはわからないことはたくさん起こるし、お互いに変わっていってしまうことも世の必要ではあります。 それでも今日までを振り返ると、あの時もこの時もこの人は確かにいつも結果的に私のそばにいてくれた。 その事実だけで未来を保証してくれるわけではないんだけれども、 今日だけはもう少し相手を信じてみよう、そう思えるための足場にはなり得るんだってことでしょうね。 そうやって振り返った時に初めていなくならないからという言葉に宿る現代的な勇気の形があるよなというふうに思っています。 さて今日のお話は以上となります。 いつもこのボイシーを聞いてくださっている皆さんにとっても、今日のこのお話が何かしらの考えるきっかけとなっていたら幸いです。 それでは今日はこの辺で。また明日。 もっと見る鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!09:411.チャプター 1コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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