TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティ何にでもなれる時代に、「今の自分」をやめられない。09:53 9月6日 276再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次AI進化と見過ごされる自己成長の差AI時代の挑戦が生む「自己」の固定化「できること」増大と失われる「自由」AIによる「改める心」不要の帰結とは仕事の価値証明と自己の役割の固定AI文字起こし(β版) # チャプター 1 こんにちは、鳥井博文です。 働くをテーマにした台場型オンラインコミュニティ、和製サロンを運営しています。 さて、本日のお題は何にでもなれる時代に今の自分をやめられないというテーマでお話ししてみたいと思います。 今日も昨日ブログに書いた内容です。 それでは早速本題に入っていきますね。 昨日、ChatGPTの新モデルAstraの発表を眺めながら、一つ不思議な現象にふと気が付きました。 新しいAIモデルが出てくると、昨日までできなかったことが、今日から新たにできるようになる。 これは本当に魔法みたいなお話です。 それ自体は嬉しいことですし、僕自身も今ならあれもできるかもしれないなというふうに、あれこれ想像が膨らんでいました。 でも、ふと我に返ってみると、この1日で成長したのは、AIの方であって僕ではないんですよね。 僕は何も学んでいないし、何も鍛えていない。それなのに次にやれることだけがどんどんと増えていく。 なんなら全くそれが捌ききれていないような状態です。 言うなれば、少年漫画のような成長物語の主人公が、自分自身は一切修行をしなくても、次のステージへと進めるようになってしまったみたいなイメージです。 そんな不思議な時代が今本当に着々と進行しているんだなというふうにしみじみ思ったんですよね。 このことは、きっとAI時代のインフルエンサーと呼ばれる人たちを見ていると一番分かりやすいと思うんです。 彼らが本当に売っているものは、AIで何かを実現すること以上に、 AIを使って何かに挑戦しているその自分の姿というようなリアリティーショーの方になってきたんじゃないかなと思うんです。 観客はその夢が叶う瞬間を見届けたくて応援をしている。なんだったら押し立つしているわけですよね。 でも発信する側にとっては、夢や目標の方が挑戦する自分を見てもらい続けるための、そんな舞台装置や手段になっていくわけですよね。 ここまでならAI以前からあった話です。挑戦する自分を見せて、それを消費にして生きてきた人は昔からたくさんいました。 武道館に出るとか分かりやすいですよね。 ただ従来と違うのは、本人が一切修行なんかをしなくてもその物語を更新できてしまうことなんです。 ここが本当に従来とは全く異なる点だなと思うんですよね。 新しいAIが出る度に、AIの方が勝手に賢く、そして強くなってくれて、 主人公は何も変わらないまま、今ならこれもできるかもしれないという風に、次の物語を簡単に始められてしまう。 しかもそれが数ヶ月おきになんです。 一つの夢が叶わなくても、次のAIの新モデルが次の夢を見させてくれる。 前の挑戦の結末を確かめるよりも先に、次の物語が淡々と始まっているわけですよね。 広げられた風呂敷は閉じられないまま、そして新しい風呂敷がまた淡々と広げられるということです。 夢を実現するためにAIを使っていたはずが、いつの間にか挑戦する自分でい続けるために、AIから新しい夢をもらい続けるようになるわけです。 ここで言いたいのは、彼らが嘘つきだとか、演技をしているとか、そういう話ではないんです。 多分本人はその度に本気でやりたくなっているという風に思うんです。 その誠実さとこの構造とが全く矛盾せずに両立してしまうところに、現代的な特殊性があるなという話です。 だからこそ不気味であって、世にも奇妙な物語みたいな怖さがあるなという風に思うんですよね。 ただ、ここまで語ってきて、少し自分自身にも問い返したくなりました。 夢が外からやってくること自体は別に悪いことではないはずなんです。 本との出会いとか、人との出会いとか、そうやって夢が一夜にして新たに生まれることなんて、いくらでも既存の社会の中にも存在していたわけですから、 たった一つ、たった一人との出会いによって、昨日までの自分では想像もつかなかったところへと導いてくれるような場合だってあるわけです。 外から来た、そんな夢だから偽物だなんていう風に言えるわけがないという風に思います。 AIに触れたことで初めて自分がやりたかったことに気づく場合だってたくさんあるという風に思うんですよね。 じゃあ僕自身が今本当に引っかかっていることは一体何なのか。 その辺りを最近ずっとモヤモヤと考えていたんですが、多分それっていうのは夢がどんどん変わっていくことではなくて、 それなのにその夢を語る自分の立場だけは全く変わらないという点なんだという風に思います。 何にでも挑戦することができる、でも挑戦していない自分にはなれないというような点です。 これっていうのは言葉にしてみると本当に不思議な言葉というか状態ではあるんですが、 でもこれっていうのは客観的に選択肢が増えているようでいて、本当に自由になっているんだろうかという風に思ってしまったんですよね。 この点少し前に、批評家若松英介さんの「大人のための宗教入門」という本の読書会をきっかけに、 この母医師の中で改める心としての戒心と回る心としての戒心の違いについて語ったという風に思います。 その時僕は改める心としての戒心を私という主語はそのままにして、その後ろに続く述語の部分だけを書き換えていくような変化だという風に考えていました。 今の自分より少しでも理想に近い自分になろうとする。それは大切なことなんだけれども、どれほどそうやって大きく変化したとしても、その中心にはずっと私がいるんだと。 一方で回る心としての方の戒心の方では、その生きる主体そのものが変わるし問われているわけですよね。 矢印がくるっと反転して、私が生きているというその前提そのものが変わってしまうこととして、回る心としての戒心を受け止めていたという風に思うんです。 今回の話もきっとこの2つの言葉で考えるとよくわかるような気がします。 これからのAIは新モデルが出てくるたびに、この述語の部分だけを書き換えて人間の代わりに、しかもその爆速で引き受けてになってくれるわけですよね。 私は動画が作れないから、私は動画が作れる絵。そして私は行動を書けないから、私は行動が書ける人間絵みたいな感じです。 その私自体は1ミリも動かなくていいままに、できることだけが新しいモデルが出てくるたびにどんどんと更新されていくわけです。 心を改めて努力をして、その先で手に入れるはずだったできる自分みたいなものを、心が変わらなくてもいくらでも先に手に入れられてしまうわけですから、 そういう意味では回る心としての戒心どころか、改める心としての戒心すらもうしなくていいわけですよね。 主人公が一切修行しなくてもいいというのは、まさにそういうことでもあるんだろうなあというふうに思います。 そう考えると、以前から何度かこのボイスの中でも語ってきた、キャラに居着くことの危うさなんかにもとてもつながってくるなというふうに思うんです。 あなたはそういう人ですよねっていうふうに期待をされて、その通りに振る舞えば振る舞うほど、数字や仕事なんかもどんどんと積み上がっていく。 最初はつながりを作るために、初対面の他者に説明しやすい自分のキャラとして、自分の一部分を少し強調して見せていただけだったというふうに思うんです。 でもそこに生活を支えるものがどんどんと積み上がると、今更別の自分になるのは随分割に合わないことになってしまうわけですよね。 単純に言って、コスパもタイパーもすごく悪いわけです。 やがて別の人間になってもいいというそういう自由よりも、今の自分に居着くこと、その方の合理性の方が圧倒的に勝ってしまうわけです。 AIの進化に合わせて夢を次々と変える人と同じキャラに居着く人、一見するとこの二つは正反対に見えるんです。 でも挑戦し続ける人というキャラなら、夢を変え続けること自体がそのキャラで居続けるための方法になるわけです。 変わっているのは術語の部分だけであって、応援される主人公というそんな主語自体は一ミリも変わっていない。 むしろ術語を素早く更新できるようになった分だけ、主語だけはますます固定化されていくわけですよね。 言うなれば、行動の幅はAIでどこまでも広がっているのに、その行動をする主体、その私の役割だけが動かせなくなってしまっているような状態です。 AIの進化によって何にでもなれる時代に、今の自分、つまり今のキャラに居着くことだけはやめられないわけですよね。 そして僕はこれが本人の中だけで済む話ではないというふうに思っています。 昨日ちょうどAIに仕事を奪われたライターの話がXに流れてきて、それに対して取材ができるライターや独自の視点を持ったライターは今後も生き残るみたいな声をたくさん見かけました。 僕自身も取材をする側の人間なので、その気持ちみたいなものは痛いほどわかるんです。 そしてライターの中でもどんな仕事が残りやすいかを考えること自体はとても意味のあることでもあるというふうに思うんです。 ただそこでモヤっとしたのは、誰かに起きた出来事がいつの間にか自分の価値を証明する、そんな話にすり替わっていたことなんです。 この仕事にはこんな需要が残りそうだ、そんな見通しから、だから自分には本当の価値があるんだ、みたいな、そんな自らの存在証明へと話が移っていく。 それはなぜかといえば怖いからですよね。自分もそっち側に巻き込まれてしまう可能性があるんじゃないかというふうに思うからです。 そして実際その線引きみたいなものだっていつまでそこに引いておけるかわからないわけですよね。 また数ヶ月ごとにはその線ごと大きな津波に飲み込まれてしまうかもしれない。取材をするライターだっていつかAIに置き換わる可能性はあるわけですよね。 それぐらいの間隔で今のAIは爆速で進化しているわけです。 その度に本当に価値がある仕事みたいなものを定義し直して、昨日まで一緒に働いていた人たちを線の外へ追いやっていいんだろうかというふうに思うんです。 ここまでの話をまとめてみると、自分の立場を守るために更新しているのがある時は夢であって、ある時は仕事の価値のその定義でもあるということです。 変えているものは違っていても自分は価値がある側だというふうに、そんなふうに立場を変えずに済ませようとしている点ではほとんど同じような構造なんだというふうに思うんです。 何でもなれる時代に今の自分だけをやめられない。それが今日一番この文章の中で語りたかったことですし、 現代のジレンマでもあり、この時代の末恐ろしさだなというふうに思うんです。 ただここで一つどうしても残る問いがあります。そうやって新しい挑戦を語り続けることができなくなった時に、僕らは一体どうするんだろう、どうなるんだろうということです。 明日はその問いから始めてみたいなというふうに思っています。 さて、今日のお話は以上となります。 いつもこのボイシーを聞いてくださっている皆さんにとっても、今日のこのお話が何かしらの考えるきっかけとなっていたら幸いです。 それでは今日はこの辺で。また明日。 もっと見る鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!09:531.チャプター 1コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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