TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティAIは暴くことはできるが、弔うことはできない。09:57 8月12日 257再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次AIが変えた関係断ち切りの儀式儀式なき別れが残す心の空白AIの本質「暴く」と「包む」の対比宙に浮く感情のAIへの皮肉な帰結失われた「悲しむ形式」の先にAI文字起こし(β版) # チャプター 1 こんにちは。鳥井 博文です。 働くをテーマにした台場型オンラインコミュニティ マセイサロンを運営しています。 さて、本日のお題は AIは暴くことはできるが、弔うことはできない というテーマでお話ししてみたいと思います。 今日も昨日ブログに書いた内容です。 それでは早速本題に入ってきますね。 今日は昨日の続きのような内容になります。 昨日のお話は、AIがあらゆる関係の 体質コストをゼロにしていく世界線においては それでも解除をしなかった関係性だけが 本当の関係性になるというのはそんなお話でした。 ただ、あの話を語り終えた後に 一つまた別の問いが残ったんです。 昨日の話っていうのは、いわば立ち切らずに残ること それがこれからは大きな価値になるよっていう話だったというふうに思うんです。 でも当然僕らは実際に関係を 断ち切る場面もあるわけですよね。 そして立ち切ること自体は悪ではない。 昨日も語った通り、それは間違いなく救済でもあるからです。 だとすると本当に考えるべき問いっていうのは 立ち切るかどうかもそうなんですが それ以上に僕らはこれからどう立ち切ればいいのか その立ち切り方のマナーや節度の方も 同じぐらい大きな大切な問題になるんだろうな っていうふうに思ったんですよね。 で、改めて考えてみるとGmailのワンタップが消し去ったのは 体質コストだけではないなっていうふうに思ったんです。 切断のその過程や時間そのものも同時に一緒に 消え去ってしまったんだろうなって思い出してみてほしいんですが あの面倒なメルマガやサブスクの解除手続きの最後には 必ずしばらく引き止めるページみたいなものがいくつか続いた後に ご利用ありがとうございましたのページが表示されていました。 あの小さな問答なんかも含めてよくよく考えると あれっていうのはささやかな別れの儀式だったわけですよね。 実際かつての関係性の切断においては多くの場合そんな儀式が伴っていました。 会社を辞める時の送別会や挨拶回りなんかもそうですよね。 同僚への引き継ぎなんかもそうだというふうに思います。 また離婚の場合においては2人の長い話し合いの後にお互いの家族にも挨拶をし 離婚届を役所に出しに行くそんな道のりなんかがあったはずなんです。 このように関係の終わりにおいては必ず時間と形式が伴っていた。 むしろ時間と形式を伴わせることでしか僕らは関係を本当の意味で終わらせることができなかったんだろうなというふうにも言えそうです。 どれだけ終わった関係であってもやっぱり一度会ってある程度お互いの気持ちを揃える時間を作った上で 別れるという作業が必要であったはずです。 それをLINEやメールなどで一方的に別れの言葉だけを伝えることは非常に失礼な態度だというふうに見なされる。 儀式をしようがしまいが起きる結果は一緒なのにです。 だから合理的な判断をしがちな人ほどもう結果自体は決まっているんだからっていうふうに 会うことを時間の無駄だと言って拒みがち。 僕も若い頃はまさにそちら側の人間でした。 じゃあなぜそんな周りくどい作業や時間が人間には必要だったのか。 その理由についてはつい先日このボーイシーで配信をした 僕らはいつまでもにふくせばいいのかがわからないという配信会の中で詳しく語ったつもりです。 儀式っていうのは人々の気持ちを同じにするためのものではなくて 絶対に揃うはずのない心を持った人間同士のその時間の方を一度だけ合わせるためのものだったと 言い換えると気持ちの整理ができたから次へ進むわけではないわけですよね。 気持ちの整理ができていなくても社会や個人というのは次へ進まなければいけないからこそ 儀式という既成事実の方を先に打ち立てたんだと。 つまり儀式が先に立つから気持ちが後からついてくるというそういう構造です。 先日のボーイシーの配信ではこの話をお葬式や自粛といったいわば大文字の死を題材に語ったつもりです。 でも今回の gmail の一見で気づいたのはこの話というのは特別な死別の場面だけの話ではなかったということなんです。 逆に言えば僕らは日々小さく死んでいるわけです。 会社を辞めるということはあの会社の一員としての自分が一つ死ぬということです。 学校を卒業すれば学生としての自分が死ぬし、一つの恋が終わればあの人の隣にいた自分自身が死んでいく。 言い方を変えれば僕らは日々小さく生まれ変わり続けているというふうにも言えそうなわけですよね。 そして本来生まれ変わるにはそのたびに小さな弔いが必要だったんだというふうに思うんです。 死んでいく自分や相手をちゃんと見送るためのその時間と儀式が必要だった。 そう考えると世の中に張り巡らされていたあの無数の面倒な手続きみたいなものの意味合いがまるで異なって見えてきます。 社会はいたるところにそんな小さな弔いの装置を埋め込むことによって僕らの無数の生まれ変わりみたいなものを体感することができていて、 その都度見送ってくれていたんだというふうに思うんですよね。 でもAIが用意してくれたワンタップの断ち切る行為、その切断というのはこの小さな弔いをすべて見事スキップしてくれます。 そして社会的に正しい手続きだけは本当に一瞬で完了してくれる。でもその時に感情の区切りはどこにも用意されていないわけですよね。 処理だけが終わって気持ちだけが行き場を失い、それが宙に浮いたままになる。しかも宙に浮くのは切る側だけではないわけです。 波風立てない切断というのは、切られる側から見れば気づかれない切断のことでもあって、ある日ふと連絡が来なくなったりするわけですよね。 何が終わったのかもわからないまま関係だけが静かに消えている。止め合いの機会が双方から同時に消え去るわけです。 これからのAI時代、僕らの人生にはこの自分の中で伴われなかった小さな死だけがどんどん積み重ねていくんだろうなと、 気持ちだけが宙に浮いたままの時間だけがどんどん増えていくんだろうなって、僕が本当に恐ろしいなってふうに思ったのはまさにこの辺りの話なんですよね。 AIエージェントによる切断にはその仮定すらないわけです。ユーザー側がAIに頼んだその瞬間に全てが終わってしまう。 ここに僕が最近ずっと考えていたことの確信みたいなものがあるなってふうに思いました。 それっていうのはAIは暴くことはできるんだけれども、弔うことはできないということです。ここに人間との大きな違いがあるなってふうに思ったんですよね。 じゃあそれは一体どういうことなのか。AIの本質っていうのは全てをめくることにあるというふうに思っています。 AI小説を書いてくれた僕のAIは、僕の膨大な600万文字のアーカイブと7年間を全てスキャンをして、僕の文章の癖を解析し繰り返し現れる 主題やテーマを見つけ出し、僕自身が気づいていなかったパターンまでを見事に指摘してくれました。 本人さえ自覚していない真意みたいなものを驚くほど上手にめくって推定してみせたわけですよね。 それは本当に驚異的な能力です。僕自身が毎日その恩恵を受けながらブログを書いています。 つまりAIっていうのは全ての影に様々な角度から光を当てられる、そんな知性なんですよね。 例えるなら真昼の太陽のような知性なんです。 でも先日映画地域観の光と影について語った時に、この太陽とは正反対の光のことを語ったというふうに思います。 新欄の協業審証の解説の中で知った、ガツアイザンマイという言葉です。 それっていうのは太陽の光ではなくて月の光なんですよね。 で月の光ってのは影を消さないし、影を意図的に暴こうともしません。 影を影のままそっと包み込むわけです。 そして弔いっていうのはまさにこの月の光の仕事だったんだろうなってふうに思うんですよね。 死んでいく自分にも、そして終わってしまったような関係にも必ず影があるわけです。 わだかまりや後悔、言えなかったことや最後まで許せなかったこと。 そして弔いっていうのはその影をめくって検証することではないということですよね。 影を影のまま包んだ上で、そこに区切りの線を引くことです。 暴かずに包んで終わらせる。 AIは影を無限にめくることができるわけなんですが、 でもこんな風に影を影のまま包むことはできないわけです。 だからAIってのは本質的には弔えないんだってふうに思います。 あとここでさらに厄介なことは、弔われないまま宙に浮いた気持ちを抱えたとき、 これからの僕らはそれを一体どこへ持っていくのか。 おそらくそれっていうのはAIのところなんですよね。 行き場のない気持ちを僕らはまたAIに話すようになる。 実際もうかなりそうなり始めていますよね。 AIは疲れず嫌がらず何時間でも話を聞いてくれるわけですから、 こちらの感情を解析して見事にそれを分析、言語化までしてくれる。 話を終えた後は確かに少しはスッキリするんです。 でもそれっていうのは弔いとより解剖なんかに近いんだろうなって。 宙に浮いた気持ちはさらにめくられて分類をされて、 説明されはするんだけれども、どこまで行っても包まれてはいない。 そしてここが一番皮肉な話なんですが、 弔いの形式を消し去っていくそんなテクノロジーと、 弔いの形式を失って浮いてしまった気持ちのその受け皿になるテクノロジーが、 全く同じAIだということです。 だからこそ僕らはますます依存するようにAIに話しかけるようになっていくんですよね。 そしてその分人間同士の別れの形式はますます不要になっていくわけです。 この循環が一周回るたびに僕らのAIへの依存度合いみたいなものは静かに、 でも着実に深まっていくはずなんです。 僕にとって必要のない関係を全部解除しておいてって、 そんな風にAIに深夜のテンションなんかでお願いをして、 翌朝全てがきれいに整備されたスマホなんかを眺めながら、 僕ら何にも感じていないそんな虚無な自分みたいなものに気づくはずです。 悲しくもないし、清々しくもない、ただただ何も感じない、本当に何もない虚無です。 先日の記事の言葉を改めて用いると、 そんな僕らは悲しみから自由になったんじゃなくて、 悲しむための形式を単純に失っただけだっていうふうに思うんです。 これは客観的に似ているようで、主観的には全く異なるなっていうふうに思います。 最後にまとめてみると、解除しなかった関係だけが本当の関係になる。 そして、ちゃんと止められた別れだけが本当の別れになる。 昨日の内容からここまで考えてきて、僕は今本当にそう強く信じています。 さて、今日のお話は以上となります。 いつもこのボイシーを聞いてくださっている皆さんにとっても、 今日のこのお話が何かしらの考えるきっかけとなっていたら幸いです。 それでは今日はこの辺で。また明日。 もっと見る鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!09:571.チャプター 1コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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