TOPライフスタイルメンタル・心理学研究者がそばにいるくらし#623【国場さんと対談】美しさについて本気出して考えてみた1:04:49 2025年3月30日 160再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次国場さんとじんぺいの対談、開幕美しさの本質に迫る探求調和:美の根源的な要素とは東洋と西洋の美意識、その違い美の探求は続く、新たな視点AI文字起こし(β版) # 対談楽しかったです! おはようございます。心理学者のじんぺいです。 普段は心理学の論文を紹介するチャンネルをやっております。 本日は国場さんとの対談のアーカイブをお送りしたいと思います。 1時間ほど美しさとか 神体とか宗教とか 教育の話はそんなに出てないか まあそんな話をさせていただきました。 結構 なんかあの来てくださってたマッチャさんとか あとは横で聞いてたね僕の妻が 国場さんの話面白いっていうねいう風におっしゃってた やっぱりそうだよねと思って聞いておりました なかなか話し尽くせるテーマではないし国場さんがこれまで探求してこられた 数十年というね 歳月の積み重ねがあると思いますのでそれは今後ともね 対応していきたいなと、これ大歓迎の努力になるかわからないですけども していきたいなというふうに思いました ずっとねこう研究のことを出会った時からサポートいただいていて 本当にこういい出会いをさせていただいたなと国場さんと思っております また引き続きよろしくお願いします そんなとこですかねえっと対談がひとまずこれで終わりかな ちょっと4月はバタバタしそうではあるんですけども 美味しいは細々とね続けていきたいと思いますので引き続きどうぞ よろしくお願いいたします ではアーカイブお聞きください # 美しさについて本気出して考えてみた ちょっとお待ちください。 勝子、すぐ2階行って。 もしもし、ごめんなさいね。ちょっと家の中でやってるので。 ちょっとお待ちください。 アットホーム感が素晴らしくいいです。 怒った声聞こえました?ごめんなさい。 大丈夫です。怒ったようには聞こえなかったです。 急に郵便屋さんが届いて。すみません。失礼しました。 家族いると話せない内容なので。 そんなことないでしょ。 いやそんなことあります。 ちょっと話してきます。進まないので。 初めまして。くにばと申します。 長く美について今まで考えてきたんですけれども、 たぶん鳴嶼総盟はお話が終わってから対談の中で、 静和里さんとお話の中でご理解いただけると思うので、 早速美についてお話したいと思います。 話しましょう。 はい。いいですか。もう一人がたいていいですか。 どうぞ。 今回の対談の話があったときに、何を話せばいいかなと思ったんですけども、 以前より美って何なのかわからないとか、 人によって美しいって基準が違ってて、 なんでもあるよねみたいなことをよく聞きます。 美しいという感覚は、みなさん共通なのに説明しようとするとても難しい。 私なりに美について考えてきたことをお話ししようかなと思ってます。 まずは感染な美、西洋的な美と不感染な美、日本的な美についてお話したいと思うんですけども、 静和里さんと以前にボイシーで対談された前野孝史先生のボイシー、 前野夫妻の幸福学の3月27日の放送で、 前野先生が、感染な美と不感染な美について話されていました。 今日の放送はわびさびでした。 そうですか。聞いてなかったそれ。 聞きます。 実はごめんなさい。原稿があるんですよ。 僕があまり間入らないほうがいいですか。 はい。話しにくいです。 対談なんで、僕が突っ込まないとと思いながら聞いたんですけど。 ザーッとお話ししてから。 じゃあ聞きますね。 クリマーさんらしいな。 慣れないのでごめんなさい。 どうぞどうぞ。いいですよ。 感染な美っていうのが、前野先生のところでは、ベルサイユ球原を例にとっておられました。 左右対称、シンメトリーな美といえば、 感染な美ということをイメージしやすいと思います。 それに対して不感染な美は、 ジェンデラルに例えられたように、 非対称でシンメトリーな美のことを言います。 わびさびなども日本的な美の様式かなと思います。 日本的な美として特に非対称をイメージしやすいのは、 生け花かなと思っております。 以前にテレビで生け花の家元の笹岡隆法先生が話されていました。 シンメトリーであるけれどもアンバランスではない、 という説明が、不感染な美、日本的な美のことを とてもわかりやすく説明されていると思いました。 非対称であっても調和は取れているという意味になります。 対称・非対称の違いはあっても、どちらもバランス・調和が取れている。 どうも美には調和が必須のようですというのが私の考えです。 私がその調和というものに意識を向けたきっかけは、 実はコーヒーなんですけれども、ブレンドコーヒー。 もともとあんまりコーヒーは好きではなかったんですけども、 結婚して妻がコーヒー好きだったものですから、一緒にコーヒーを飲むようになりまして、 いろんな喫茶店でコーヒーを飲むようになったんですけども、 あるときブレンドコーヒーを頼んだところ、非常においしかったと。 飲んでいるうちにふと思ったのが、自分が何においしいと思ったのかという疑問だったんです。 コーヒーは苦いものですから、いろんな味があるにしても、 苦いものにおいしいと感じるのはどこか。 そのときに、あ、これはブレンドコーヒーのブレンド具合だと。 和食で言うと塩梅ということはありますが、塩加減、そういったもの。 ちょうどいい具合の調和が取れたところ。 この調和を実はおいしいと思ったんじゃないかなというのが、調和に関心を持ったきっかけです。 ただ注意が必要なのが、日本では和をもって唐突し、仲良くするイメージがありますけれども、 調和というのはそういうものだけではなくて、例えばスポーツで例えるとテニス。 テニスでは互いに相手を倒そうと攻撃を繰り返しますけれども、 レベルが同等だといつまでもラリーが続きます。 観客は熱狂します。 これも調和のひとつだと思います。 和する、仲良くするだけでなく対立もまた調和になるということです。 前の先生は放送の中で、完全な美は飽きると話されていましたが、 私は飽きるというよりも、干渉し続けられない、見続けられないようなものかなと思っております。 完全な美には、時間が止まった感覚、ちょっと難しい絶対性とか永遠を感じることがあります。 それに対して不完全な美は、アーシンメトリーで左右に違いがあることによって、 視点の移動、変化というものが起こります。 そこに時間の流れというものが生まれるのかなと。 人間も生き物ですから、時間の中に存在しています。 静止した永遠の美は、短い時間であれば見ていられる、接しられますけれども、 長い時間見てると、やはりちょっとつらくなります。 それに対して不完全な美のほうは、変化とか非対称のおかげで、 絵の中に時間が流れる、それが人に寄り添うとか、 長く鑑賞できる、見続けられるということにつながるのだと思います。 もちろん、永遠を伴う完全な美も、変化を有する不完全な美の、 どちらも素晴らしいものなので、優劣はないと思っていますが。 また、この不完全な美、この時間の流れの中にこそ、 柴田さんの言う曖昧というものが、重要なファクターをはらんでいるんだと、 それも思っております。 話を戻しまして、調和バランスのことですが、 特にバランスについて考えると、自然と中心というものに興味がわきます。 左右対称とか考えていくと、それを突き詰めていくと、 どうしても真ん中真ん中、中心中心という意識が芽生えてきます。 そこで中心とは何かと考えてみると、 例えばですけれども、玉ねぎの皮を剥いていくと中心には何もありません。 人の体でいうと、体の中心にはタンデンがあると言われますが、 実際にはタンデンという器官とか臓器はないです。 中心にはどうやら物質のようなものはないと。 けれどものではない何かがあるのを感じます。 利とはその何かに触れることではないか。 その何かはとても大切で貴重なものではないかと、私は思っています。 神社やお寺で人は手を合わせます。 世界中のさまざまな宗教で、神や仏に向かうとき人は手を合わせて中心を作ります。 そのとき大切な何かに触れてるのではないかなと。 ひそかに個人的に思っております。 さて初めの問いに戻りまして。 美しさが話題になるときに困るのは、人によって美しさの基準が違うということですね。 私は個人的に、優しさと強さと正しさが揃うとき、 美しいという感情が芽生えると考えています。 これは本当に個人で考えていることです。 その中で、正しさについては、農家学の研究で、 美と正しさには関連があるということがわかってきました。 正しさということを注目して考えると、 誰もが異なる価値観や正しさを持っているんだから、 それに伴って美しいと感じる基準も、 皆さん異なって当然だと思います。 音楽や絵画などの感覚美、感覚的に美しいと感じる感覚美や、 機械やスポーツなどの機能美、機能的な肉体美、 それから進化による生物の美、数学の美など様々あります。 今熱戦が繰り広げられている航空薬でも、 高校給仕の汗と涙に美を感じます。 それも純粋な高校給仕の姿に胸を打たれることで生まれるものだと思います。 それぞれが自分が正しいと思う方向へ心が動くのだと思っています。 たまに誤解や行き過ぎもあるかもしれませんけれども、 結論として美は正しさを含んでいます。 美しいものに触れたとき、人は自らの正しさとか価値観が認められたような感覚を味わいます。 知らず知らずにそれによって自己肯定感が上昇していきます。 これも美のウェルビーング効果の一つではないかと思っております。 みなさんも美しいものに触れ、自己肯定感を増し増しにしましょう。 以上です。 というわけで、しつわりさんにはぜひとも美で世界を救う、 曖昧で世界を救ってほしいと思いますというところで終わります。 ありがとうございます。 どこから行きましょうかね。 突っ込みどころがありすぎるので。 突っ込みどころというか、もっと深掘りたいところがたくさんあるようなところは思うんですけど、 緩く入っていくために、なぜ国馬さんはこういうことに興味を持ったのかって聞いてもいいですか。 はい。 興味ですね。 おそらく幼少の頃から、うっすら興味はあったんだと思うんですけども。 意識するようになったのは、高校時代ぐらいですかね。 そういう美とか芸術とかデザインとかに興味を持って。 能力とか環境とかでそういう方向に進めなかったので。 じゃあもう、頭の中で想像しようと考えようという方向で考えていったわけですね。 本当にその趣味と言いますかね。そういう部分です。 なんかその、趣味だよね。趣味だけど。 すごいだから、僕よりもよっぽどいろんな本をご著書を読まれていたりとか。 国馬さんの情報源がほんとすごいなっていつも思ってるんですけど。 なんなんでしょうね。 やっぱり気になるからそこまで動けるのか。 その情熱の傾け方が僕はすごい興味深いなって思って、 いつもお話しさせてもらってるんですけど。 知りたいってことなんですよね。 そう。好奇心ですよね。好奇心で。 私の周りにいまだかつて、こういう話ができる人が誰もいなかった。 だから数年前にしつわりさんに出会うまで、誰にもそういう会話ができなかった。 一人で本当に。 40年ぐらい前には、こういったことを学びたいと思っても何の手段もないです。 本もないので、そんなにこういったことを。 実はそのときに美学という言葉も僕は知らなかった。 ああ、そうなんだ。 そういうことを、情報として教えてくれる人は周りに皆無なので、 一つ一つ自分が美しいと思うものに触れていく。 美術館に行ったり、それこそ何かにテレビを見たりとか。 そういう情報だけですね。 まだインターネットもまだ発達してないので。 それが時を減るにつれて、いろんな情報が入ってくるようになって、 今は本当に天国のような状態です。 久倉さんとたびたび話してますけど、 最近はこういうテーマで雑誌の特集を組まれたりとか、 多いよねみたいな話をしてますもんね。 ちょっと怖いぐらいですよね。 時代がついてきますね。 時代がついてきたら、そのうち追い越されるだろうなと思ってますけど。 誰にも話さずにずっと頭の中で考えてきたら、 美について考えるって言っても、なんか頭おかしくなっちゃいますけどね。 どっかで書き出したりとかって考えなかったですか。 書くは書いてたのか。 書いては捨て、書いては捨てですね。 捨てるのか。もったいないなって思いますけどね。 論文とかも捨てほしいぐらいだけど。 いやー、恐れ多いことですよ。 ああねー。 本当に研究者でもなんでもないので、基礎的なものが積み重なってないですし、 本当にツギハギだらけとかいろんな情報を集めてるだけなので、 ひずらいさんにもお話してるときも、 本当に勝手なこと、妄想を伝えてるだけなので。 いやいやいや。 迷惑だろうなと思いながら、お話してますけど。 研究はいつも妄想から始まりますよ。 あとはもうちょっとね、型に入れたらいいだけだと思うので、 すごい面白いなと思いながら聞いておりますが、どうでしょうか。 どこから行きましょうかね。 調和の話は面白かったですね。 コーヒーの話、聞いたことなかったの。 コーヒースタートだったんですよ、調和の日付は。 そうですね。 もともとコーヒー飲めなかったんですよ。 そいつ面白いですね、まず。 妻が結婚したときに、結婚する前からブラックでコーヒーを飲む人だったんで。 やっぱりちょっと格好悪いなと思って。 頑張ってブラックのコーヒーを飲むようになって。 かわいいですね、それが。 そうするとあるときに本当においしいコーヒーというのが出会って、 おいしいなと初めて思って。 なんで今までおいしくないと思ってたものが急においしくなったのかなと思ったときに、 ブレンドした具合によって調和が取れてるというか、ハーモニーがあるというか。 それだなと思ったときに、それ大事なことなんだなと思いましたね。 国場さんの説で言うと、調和は必須条件っていうことですか、美の。 そうですね。 これちょっとね、今まで従来和美サビについてよく話されて、不足の美だとか不完全だとか言ってるんですけど。 この間もメッセージでやりときましたけど、 リキューさんですよね、あのお茶の店も。 もう不完全な茶番全部をいいと言ったわけじゃない。 その中からこれはって光るものを見つけて、これはすごいぞと。 それをこれはすごいですよという、社権に提示したわけですよね。 そのときに社権の人は、それを見てただの茶番だと思う人もいれば、 リキューさんと同じように、これはすごいものだっていう光を見出す人が出てくる。 この光が見出す能力が僕はセンスだと思ってるんですよね。 個々の東西はみんなそうだと思うんですけど、 なんでもかんでも今日もちょっと描こうかなと思いながら、描けなかったんですが。 〇〇の美ってあるじゃないですか。 〇〇のいっぱいありますね。 はい。 あと大輩の美っていうのもありますし。 何でしょうね、あまりいい言葉が出てこないですけど。 〇〇の美ってなったときに、美っていうのは〇〇の美しさなんです。 それは形容詞なんで、〇〇自体が美しいわけじゃないです。 〇〇が美しい状態になったものを〇〇の美なんです。 そうですね。 当たり前といえば当たり前なんですけど、混同始発ですね。 確かに。 わびさびも、古くなったらなんでもいいかって言ったらそういうわけではなくて、 その中に何かしら美を感じさせる、輝くようなものがあっていうのが何かと、私は調和だと思います。 調和という言葉も、さっきも申しましたとおり、 仲良くするみたいなイメージができて、それは嫌だって言う人も、 やっぱり私もいっこられましたんで、調和的なものは嫌いだとかね。 そう言われたので、確かに。 そのときに、そこからどう解釈するかって5年ぐらいかかったときに、 あ、そうか。別に調和っていうのは予定調和だけではないんだということで。 結局調和してるものの中心にあるものが、結局光って言いますかね。 センスで見出す部分だと。 というのが今の現状ですね。私の考えと。 いやー面白いです。 調和をもうちょっと言語化したいですよね。難しいんだけども。 国場さんともお話ししてたと思うんですけど、 よく心理学とかで使われる、逆融字の曲線みたいなのがあるわけですが、 これ図してできないのがすごいボイシーで難しいと思うんですけど、あるじゃないですか。 あれってだから、例えば皆さんもちょっと想像していただきたいんですけど、 グラフがありますと、縦軸が例えば美しさでもなんでもいいんですけど、美しさだとしましょう。 横軸が何がいいですか。曖昧さでもいいですかね。曖昧さでもなんでもいいんですけど、 そういうグラフをイメージしたときに、簡単に言うと曖昧すぎてもいけないし、 曖昧じゃなさすぎてもいけない。 どこかに逆融字曲線のピークになるような曖昧さが存在しているよね、みたいなことって、 ちょっと調和を言ってるのかなって思ったりするんですけど、これはどうですか。ちょっと違う? なんでしょうね。もうひとつ考えていたことがあって、 このピークというのが、ギリシャの哲学でいうと、 秩序、統合、調和された。 調和って言葉を使うとややこしいですね。 秩序が整った状態と混沌した状態の、その間にあるのが曖昧さだと思うんですね。 僕ら人間は、混沌した状態と統合した状態の、秩序だった状態の中に、 上下の2極間を行き交うだけではなくて、くるくる回る存在だと僕は思ってるんですね。 サイクルというか。 そのサイクル自体が動いてますから、曖昧さをはらんでると。 人間って、先ほども完全な美とか不完全な美のところで言いますけど、 永遠とか静止した状態には一瞬しか行けないんですよ、たぶん。 本当に止まってしまったら死んでしまうので、感覚が。 かといって混沌でも本当にどうしようもないような状態にならないように、 人間は、そんな状態になったら死んでしまうのでならないように。 その間の狭間に生きてる存在。 ちょうど狭間って言葉はいい言葉だと思うんですけど。 狭間いいですね。 その狭間を、僕は状態として見るときに曖昧だよっていう感じなんですね。 それを貫く、てっぺんのところにあるのが中心であり、一番上が光っていうか。 何かしらわからない光的な感じを受けるようなものですね。 純粋とかいう形になるかもしれないです。 これはどれくらい伝わっているのか、どれくらい伝わっているのか難しい。 でもよくね、僕と国間さんはこんな話ばっかりしてて、楽しいなと思うんですけど。 今日はね、オーディエンスの方というのはぜひ共有したいなと思って。 ぜひお仲間になっていただくと、私の寂しさが減りますので。 そうですね。 混沌とした状態と秩序の状態があって、 曖昧さも重要だなっていうのは分かるし、美が関係してるってこともすごく分かるけども。 ちょっとコメント来てるから、披露。 抹茶さんありがとうございます。 美しい絵の課題ですね、この対談面白いです。 ありがとうございます。 そうなんだよね。 なかなか広げ方が難しいなと思うんですけど。 だから、僕が興味あるのは、ちょっと話が逸れるかもしれないですけど、 文化的な違いみたいなこと。 和美・サビモンっていう話もあったし、前の先生の放送、僕はまだ聞けてないですけども。 その完全な美っていうことと、比較みたいなことをやられてたのかなと思うんですけど。 混沌と秩序みたいな話は、結構文化を越えてそのルールで説明できそうかなと思います。 国馬さん。ちょっとまた難しいな、これも。 どう思いますか。一回聞いてみよう。 あ、そう思いますね。 ね。 わりと普遍的かなと思いますね。 例えば、よく西洋と東洋の対比と言いますけど、東洋の代表格で中国です。 中国の諸の文化の中で、真摯と正正のという二つの用語があって、 片方が整ったもの、片方が非対称と言いますかね。変化のあるもの。 そういう言葉自体がもう書道の中にあるんです。 だから中国もそういうものを古くから考えてあるので、普遍的かなと思ってます。 これって、それこそヨーロッパ的な美学で言うと、いい例があったりするんですかね。 ヨーロッパですか。 中国とか東アジアだと何となくわかるんですけど、ヨーロッパ的な美学でもそういう混沌、秩序。 秩序寄りなイメージがあるんですけど、混沌。 やっぱり秩序寄りですよね、基本的には。西洋は。 やっぱり宗教的な、キリスト教文化っていうのが広いですから。 やっぱり一神教的な感覚で作られてますよね。 そうですよね。 そうすると対照的な建物とか、整った文字とか、 そういうところに上から下まで整っていくと言いますかね。整備されていく。 わりと一神教・多神教っていうのは、あんまりそういう見方するのはよくないと思うんですけど、 そういう部分もあると思いますし。 前もちょっとお話ししましたときに、 宣教師が日本に来たときに、自分たちのキリスト教を広めたいから、 既存の日本にある宗教施設を自分たちが乗っ取ろうと思ったときに、 日本の寺院が非対称だったものですから、もう許せないと。 この悪魔の建物だと本国に報告書という偽りがあるらしいので。 ちょっと本当っぽいですけどね。めちゃくちゃありそう、そういうこと。 キリスト教文化としては、対称的なものを唯一の神の居場所だというふうにしたかった。 日本ではそういうふうにはなってなかったということで。 西洋の考え方はそこまで徹底してたのかなという思いをそのときはしました。 なるほど。ってことは、さっきの話に戻ると、 混沌であるっていうことは、そんなに重要視されてないと思いますか。 混沌であるということは、キリスト教的な感覚というのは、 私もキリスト教ではないのでわからないですけど、 おそらく道徳的に不死太らだと思われてるんだと思うんです。 だからそれは道徳的にダメだよと。神の教えに反するよと。 正しく生きなさいと。 いわゆる悔い改めようという感覚につながるのかなと。 納得感は僕はあるんですけど、 結構やっぱり、宗教の話になるの面白いなと思って、美の話からスタートして思ってるんです。 僕はすごくそう思ってるし、それは今キリスト教の話が多かったけども、 日本でも同じで、やっぱり神道的な価値観とか仏教的な価値観とか、 結構影響してるなって思うんですけど、 美学の中ではそういう議論あるかもしれないですけど、 自分でやってる心理学の領域とかだと、あんまりそういうふうに考える人って多くなくて、 何なんでしょうね。 ヨーロッパで学問してる人が多いから、あまりにも当たり前すぎて、 そこが原因というか、影響してるんだよってことを言っても、 言ってもというか、そもそも言い出す人がいないってことか。 だから僕はそういうことを言いたい。 国馬さんの感覚すごく分かる。 たぶんキリスト教とかの影響が大きいだろうなっていうのは思うけど、 みんなキリスト教だから言いすぎだけど、それは広く普及しすぎてると、 そういう問題意識になる人って少ないなっていうのは感じますね。 こっち来てからも特に感じますね。 どうぞ。 宗教的なことと心理学のことで考えると、 フロイトの時代、ユングの時代にちょっとキリスト教の影響が薄れたというか、 ちょっとそれから科学の力っていうのがその時代に、ニュートン以降ですね。 いろんな西洋で科学が果たして、神様は絶対ではないなと。 人類の力でみたいな、うまく言えないですけどそういう感覚が起こって、 ちょっと神と距離を置いた時代に心理学とか、影響があるのかなと。 それでいて、難しいですよね。 そういう時代の中で培われた学問だから、あまり宗教的なものを入れたくないと。 フロイトなんて、おそらくキリスト教的にはちょっと受け入れがたいような。 そりゃそうですね。 続けていいですか、この話。 どうぞ。 この間話題になってますけど、ヒルバー・アフクリンとのペンが日本でやってます。 抽象絵画のパイオニアだったみたいな話になってるんですけど、 彼女が、ユング・アッグライと時代が同じなんですね。 そのときに人知学とか、まず神知学ですね。 ドイツ中心になった神知学。 その後、ルルフ・シュナイターが起こした人知学。 そちらのほうにヒルバー・アフクリン・トンが傾倒していくわけなんですけれども、 その時代がちょうど、キュウリ夫人がラジウム放射線を発見した時代とか、 本当にいろいろ科学が発達した時代で。 同時に社会不安が、第一次世界大戦が終わって不安の時代で。 そういう時代にあって、ヒルバーはああいう絵を描いたんですけども、 同時にカンディンスキーとかモンドリアンもそれに接触して、 特にモンドリアンは、神知学に入会したのかな。 どうも私が思うに、抽象絵画というのが、 私も昔から抽象絵画なんとなく好きだったんですけど、 実はスピリチュアルなものとのつながりがあるんじゃないかなっていうのが今ちょっと思ってまして。 その時代に、実は日本から日本の文化が注目されてる時代でもあるんですね。 特に書道の中の、書道を抽象的に見るようなものも、フランスあたりで広く広がっていて、 どうもその抽象絵画と書道、それからスピリチュアルな神知学・人知学も、 日本の禅、そういったものが接触を受けてるんですね。 ヨーロッパとアメリカで。 そういう時代があったんですね。 それにプラス、科学的なものが入り込んでる。 その背景を見ると、ついこの間気がついたのが、あ、これ宮沢賢治だと。 あ、そこで宮沢賢治。 そうなんですよ。そこで宮沢賢治を。 宮沢賢治ってあんな名作を作ったのかなと思ってたら、 そういう時代背景が日本にもダイレクトに入ってきてて。 そういう神様とか宗教的なもの、信仰的なもの、科学的なもの。 そういったものが賢治の中で醸成されてたのかなと。 そうやって見ると、文章の中に入ってるものがちょっと読み解けるのかなと。 おそらく宮沢賢治の研究者はそういうことまでやらされてると思うんですけども。 私の最近の発見ですね。 なるほど。面白いですね。 いろいろと観点がありましたが。 そっか、だから抽象画の、最初はスピリチュアル的な、 まあ抽象画だけじゃないかもしれないですけども、 もしかしたらアートのアイディアがスピリチュアル的なものと結びついてるのはすごくあり得ると思うんですけど。 なんかそもそも面白いなって思ったのが、 当時は抽象画っていうものが生まれるまでは、 印象派とかはもうちょっと先にあったのかもしれないですけど、 基本的にはやっぱり題材を書くと。 できるだけ正確に書くみたいなことが求められていたときから、 なんでああいう抽象画になったんですかね。 なんでなんだろうね。どう思います? ひとえさんが好きだった絵はターナー。 ターナー大好き絵。 ターナーのね、猛狼としたような風景の美しい絵がありますよね。 あれは一応偶像化って言いますかね、風景画とされてますけど、 実はあれがその後の印象派とか抽象画の発想の元になってるらしいです。 聞いたことがあります。 出しというよりはダメですね。私みたいに知ろうとかね。聞いたことがあります。 人間の感情といいますか、そういったものも表していきたいっていうのが、 もっとその前の時代からあって、 単純に正確にものを書いていくっていうだけではなくて、 何かしら音楽とかも影響があるのかもしれないです。クラシックとか。 なるほどね。 いやーそうですね。確かに。 じゃあターナーのことをもうちょっと僕は学んだらいいのか。 なんかすごいヒントかも、それ。 印象派はどうもターナーの絵を見て影響を受けてるっていうことを、 何かに呼んだことがありますね。 ちょっと気になるな。 時代的に印象派とかよりちょっと前ですもんね、ターナーのほうが。 前です。前です。 面白いですね。 なるほど。ちょっとこれはいいな。 僕もターナーのことをもうちょい知りたいなって思ってたから。 もともとその印象派ができた、出てきた発想の元は、 写真、カメラっていうものができて、正確に写すものができてしまったんで、 もうそれをしてたら職業画家として成り立たないので、 そこから印象派とか抽象派、抽象派絵画とか、野獣派とかキュビズムとか。 今や現代美術アートになってますけれど。 確かに。面白いですね。 ちょっとだけコメント読もうかな。 先ほどのボラスさんの話ですね。 ちょっと前なんですけども、とても深い考察で興味深い話です。 中心の光的なものに触れるものを美と感じるという表現が素敵です。 そうですね。これいいですよね。 栗間さんの、やっぱりそれこそ感性だと思うんですけど。 ということですが、どうでしょう。 バックグラウンドとしては、僕が合気道をしてるということがあります。 合気道はなんで始めたかというと、 30代後半に、美というものについて少しわかってきたときに、 美しいものを鑑賞するためには、自分の外にあるもので鑑賞するじゃないですか。 それを受けて、美しいと思うんだけれども、 これってダイレクトに自分の体で感じられないかと思ったときに、 体を動かすとか体で何かしたときに、 ダイレクトにもこの状態美しいなと思えるものを探したんですけども、 そのときに方向に上がったのが二つで、 一つが合気道で、もう一つが能なんです。 能学で。 それで合気道を始めて、 合気道ですると中心というものを常に求められますので、 中心というものを長年感じてきて、 中心という感覚を得ることが少しずつできるようになってきたという状態ですね。 やっぱりうまくいけば、いい感じだなって受けますし。 能についてはちょうど先週体験会に行って、 いかに難しいものかというのを知りました。 美しさを考えたときに、合気道に行ったっていうのは、 やっぱりこれは国場さんの一つのガーニングポイント感ありますよね。 そこがすごいなと思うんですよね。 純粋に合気道をしてる人からしたら邪道ですよね。 確かにそうですね。 合気道の会長の上柴大先生は、おそらくそういった感覚を持っておられたと思います。 そういうお言葉もありますので。 いいですね。 上柴大先生は大本教です。 あ、そうだよ。 そこにも宗教が絡んじゃってる。 表現が難しいんですけど、やっぱりあったんだろうな。 ちょっと聞いてみたいのは、合気道をやってこられて新しい真理に発したみたいな瞬間はありますか? どういう真理ですか? これは本当かもしれないというか。 ちょっと問いを変えると、美の探求に逆立ったこととかってどういうことですか? っていうのを聞いてみたいなと思ったんですよね。 それはいっぱいありますね。 視覚芸術的に言うと造形と言いますかね。 三次元にあるものとか。 まず調和不調和とか、状態の階層と言いますか。 そういうものもありますし、崩れるっていう形。 それから何かと何かが結びつく感覚とか。 そういったものは、造形物として客観的に触るのではなくて、 自分の体で感じることができますので。 説得力があると言いますか。 常に腹落ちする素晴らしい先生にご教授いただくと、 本当に素晴らしい経験ができると言いますか。 そういうところでは、合気道はいいかなと思いますけども。 この身体を通じて感覚的なものを言語で教えてくれっていう、 今の僕のオーダーはだいぶ無茶振りだなと思ったんですけど。 結構難しいですよね。 実際に手を取って、こういうことだよってやりながら言葉で説明することは難しくはないですけど。 私は言語化することが好きなのでしますけど、 通常の合気道してる方に、これどうしてこうなるんですかって言っても、 さて何でしょうって言われると。 私は理屈っぽいので、一つ四つの説明ができるように心がけてますけど。 そういう活動をしておられる方もおられて、 今もそういう方と一緒に教えてもらいながらやってるときもあります。 福島さんと京都でお会いしたときも、僕は合気道の技を一発かけられて、 はい。 こういうことだと言うね。 すいません。酔っ払ってたもので。 すいません。誤解はないといけないんですよ。 投げたりとかそんなことはしてませんから。 痛い思いをさせたこともないので、誤解もないように。 一回ちょっと手を貸してっていうぐらいのもんで、やっていただいてね。 あれもすごい確かに、合気道って本当に不思議ですよね。 やられるとすごい分かるというか。 なんか力が全く入ってないですよね。クリマさんにはね。 その技をかける方には。 あれはなんかすごいですね。 押し倒されたとかそういうことでも全くないんですけど、 ちょっとずらされた感じなんですね。 形。形の力って言うとややこしいんですけど。 中国憲法で言うと形っていう言葉を使うんですけど、形によって作用する。作用ですね。 この形になったらこういうことが起こるよみたいな。 そういうふうにしていくだけのことで。 なかなかいいですね。 ご意識でこれやってるのがすごい面白いなって思うんですけど、ちょっとコメントもう一回いきましょうかね。 松田さん、西洋の宮殿の庭は秩序ある感じ、中国も割と対照性ありそう。 宮殿内とか広場とか。 水木側は非対称なイメージ。 流れあるかな。 うーん、なるほど。 どうでしょう、国馬さん、このコメントは。 いや素晴らしいです。そのとおりだと思いますね。 中国の懐の深さですよね。 整備された工程、工程なんですよね。 整備された庭とか宮殿とかが左右対称で作られてるのは。 大元は儒教といいますかね、教えの中で。 これもやっぱり一つの陰陽五行説あたりから発生してる。 一つの始まりからすべてが整うというような。 ギリシャのプラトンの国家論とか、ちょっと似てるかなと思うんですけども。 そういう、神様がいて皇帝がいてみたいな。 そこからすべてが整っていくっていうような世界観を表してるんだと思います。 プラトンもそういう形で国家論してるのかなって思ったときはあります。 国家論はあんまり深く勉強してないんでわからないですけど。 ただ、プラトンも失敗しましたし、 中国のそういうやり方も長く続かないのは、 やっぱり何もかも締め付けると。 一つのものとして静止した状態。 永遠に近づこうとするようなものをすると、歪みが出てくる。 やっぱり人間は生きてるものだなというところに私はいつも落ち着くんですけどね。 水木側はやっぱり仏教的と言いますか、 どこかしらそういう先人思想のほうから言ってますから、 出てたちが違うのかなって思いますね。 それが日本では禅のほうに言ってますけどね。 僕がちょっと思ったのは、今の話とかも、国の単位で何かを作ったりとか、 まあ国じゃなくてもいいか、人が作るとそうなるけど、 自然の中で対照性ってないんじゃないかなって思うんですけど、 水木があって自然を描くことがほとんどあったから、 非対照になっちゃうんじゃないかと思うんですけど。 そういうことではないですかね。 いや、それもあると思います。 先人思想ですから理想郷ですよね。 ああ、まあそうですね。 理想の世界っていったときに、 現世をモデルにした理想郷について描いておられるのかなという。 そういう感じですかね。理想ですから。 見栄えは現実の自然と同じですけども、 先人思想で言うと主治肉林と言いますかね。 先人にとっていい状態のものの世界ですよと。 だけども川に流れてるのはお酒でみたいな。 そういうことなのかなとかも思ったりもするんですけど、ちょっとわからないですけどね。 ありがとうございます。 もうひとつ。 死体の育育に一時期ハマっていました。 高学校がゼロ歳児の頃、人治学とかそこで聞きました。 なるほど。 ということですけども。 新治学がそもそもあったんです。 ヨーロッパのほうで。 キリスト教で科学と結びつこうというような動きの中で新治学が結成された。 最初は研究家みたいなものだったと思うんですけど。 そこからだんだん時代が進むにつれて、東洋の考えと言いますかね。 東洋的な思想を取り入れようとして、 そのときにルドルフ・シュタイナが、もともと新治学の幹部だったけれども、 人治学を自分で創設をして別れていったと。 ヒルマン・フクリントはもともと新治学の中で熱心な会員だったけれども、 最終的には新治学の中の権力争いを見て嫌になって、 もともと知っていたシュタイナのほうに向かったということですね。 ヒルマン・フクリントの前にもある女性の方がおられて、その人も絵を描いてるんですけども。 それ以前に新治学のほうで、日本でも思いは生きているっていう本で、 この間古本で国会図書館のデータで見つけてみてたんですけど、 そういう絵があって、抽象的なものを、 私からするとちょっとデタラメなんかなと思うぐらい、 この色はこうで、この形はこうで、みたいなことが書いてあるような本があります。 そういうものを見て、自分たちの絵の中に活かしていったのかな。 ヒルマン・フクリントはもともと絵の勉強をずっとされていた美術のエリートでしたら、 今回もやはり脚を浴びてるんだと思います。 その影響が、おそらくゲスタルト新治学のほうにもその絵の影響はあるのかなと。 それはその絵を見た瞬間にビビッときて、 あ、これゲスタルト新治学の考え方はよく似てるなと。 でもちょっとあんまり言い過ぎですけど、 その前のゲーテの思想っていうのはヨーロッパですごくあるんですね。 科学と技術を一つにして、あるいはゲーテさんは考えられたので、 そこから流れがあるみたいですね。 ロルフ・シュタイナもゲーテのことをすごい参考にしてたらしいので。 シュタイナのほうも、ずいぶん昔に何冊か本を読んだんですけど、 ちょっとわからなかったです。難しかったです。 今、国馬さんに言われた順番に検索しながら、 新治学と人治学の関係性みたいなことも、 僕は不勉強で全然知らず、 思いは生きているという本も、なかなか教室しか見えてないですけど素敵な想定だし、 勉強させていただいてるんですけども。 もう終盤というか終わりに来ているので、 なかなかまとめられるものではないんですけども、どうしようかな。 シュタイナの話だけ詳細化しようかな。 シュタイナはやっぱりドイツだとすごい学校も多いし、 結構そういうシュタイナの教育、 そしてアートって括っていいのかわからないけども、 子供の時からそういうふうに子供を育てていきましょうっていう。 育てるって言い方もしかしたらしないのかもしれないですけどあんまり。 そっか、今日の最後はシュタイナの話になるとは思ってなかったけども。 なんか僕の話をちょっとだけすると、 やっぱりアートとかも興味があるけど、教育もすごく興味があるから、 なんかこの辺りをもう少し栗場さんの力も借りながら勉強して、 研究に昇華できないかなという気持ちになり始めているっていう子ですかね。 栗場さんちょっとまとめられないですわ。 今は特にSTEAM教育って呼ぶんですかね。 S-T-E-A-Mというのが叫ばれてるので、とてもいいと思います。 ただ、ルドルス・フィフスタインのシュタイナ教育をそのまま持っていけるのかどうかっていうところがどうなのかなと思います。 実際に触れてないのでわからないですけれども。 そうですね。 日本にもやっぱり必要だと思います。STEAM教育は。 京都だったら京都南部にありますよね、シュタイナ学校が。 あんまり広がってる感はないですよね。 そう、あるみたいですね。京都にもいくつか。 幼児教育だったら、もうちょっとあるのかもしれないです。 ああ、そういうことか。 ひつまりお子さんが生まれるということで。 そうですよ。もうちょっとドキドキなんですけど。 シュタイナはちょっと面白いなって思いながら見てみたいなと思います。 せっかくだったらもうちょっと勉強したいし、もうちょっと研究とかしてみたいなと思うので。 ぜひ教えてください。 いやいやいや、教えてください。 クリマさんに前回、それこそコメントとかでクリントのこととか教えてもらって、 さらにそこのバックグラウンドにやっぱり宗教的なものとかスピリチュアル的なものがあるっていうことを聞くと、 僕は結構テンション上がりますね、やっぱりね。 これもうちょっと勉強したいし考察したいなって思う気持ちになったので。 ちょっとクリマさんもまたいろいろと教えてください。 こちらこそです。 ありがとうございます。 じゃあちょっと1時間になったので終わろうと思うんですが、 今日すごいたくさんの方に来ていただいて、 すいません、美しさについてって書くと、やっぱりどうですか? 皆さんも美しさ話したいですよね。話しましょうよ、一緒に。 クリマさんは美しさを考えてる人の中でも、もう生き切った人だと思うので。 ここまでマニアックな話は、なかなか多くの人には伝わるかどうか分からないんですけども、 美しさって人それぞれっていうのは、ちょっと科学する上では難しいところでもあるんですが、 でも人それぞれだからこそ、みんなが喋れるっていう、そういういいところもあると思ってるので、 ぜひこれからも僕とも話していただきたいですし、 ぜひクリマさんとも話していただければ嬉しいなと思います。 クリマさんにどうアクセスするのか、ちょっと難しいんですけども。 っていう感じですかね。最後、マッチャさんのコメント来ました。 クリマさんすごい。何でも深くご存知。 ちなみに、死体の教育が挫折して真反対の受験に入り始めてしまいました。 気になるわ、この真反対の方に行くっていうのは。 それはそれでね、蝶を取ろうとしたと思うんですよ。 まあ分かんないけど。 クリマさんどうでしたか、今日は。 すいません、最後。 すいません、本当に勝手にベラベラ喋って、嘘も本当も吐いてると思うんですけど。 ありがとうございました、本当に。 引き続き一緒に議論してもらえるととても嬉しいですし、 また京都に帰った際はよろしくお願いします。 お願いします、こちらこそ。ありがとうございます。 では、みなさん今日は聞いていただいてありがとうございました。 クリマさんもありがとうございました。 ありがとうございました。 もっと見る #心理学 #アート #調和 #芸術 #美しさ #美 #STEAM教育 #シュタイナー教育 #対称性 #芸術心理学 研究者がそばにいるくらし心理学者じんぺー01:531.対談楽しかったです!1:02:572.美しさについて本気出して考えてみたコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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