TOPエンタメ映画・本荒木博行のbook cafe『「聴く」ことの力』鷲田清一225:25 2022年2月8日 11,767再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次人の声に宿る感情と存在心の内に残る声の不思議コーチの問いかけが導く内なる声現代社会の目標設定と自己の矛盾主体的な生き方を模索するバランスAI文字起こし(β版) # タイトルコール あらきる行きのブックカフェ。この番組は、自分の頭で考える読書の執筆者であり、書籍予約サービスフライヤーのアドバイザーを務めるあらきる行きがマスターとなり、本からの学びを楽しむカフェです。 # 初めのあいさつ みなさん、おはようございます。 2月8日、火曜日の朝になりました。 さて、きょうもきのうに引き続きまして、 橋滝岡津さんの聞くこととしての、聞くことの力ですね。 臨床哲学資論、こちらをお届けしたいと思います。 きょうの語りはですね、ちょっと僕の中であんまりまとまってない中で、 この中の一節について感じていることをちょっと語ってみようかなというふうに思います。 この音声サービスをですね、聞いている人にはちょっとですね、 何か感じることがあるんじゃないかなというふうに思うんですけど、 音響的存在としての人ということですね。 ちょっとなんかタイトルだけ聞くと難しいように感じるんですけれども、 そんな難しいことを言うつもりはありません。 音ですね。 そこについて考えてみたいと思います。 では、いきましょう。本編スタートです。 # この放送は『IT/Web業界に強い 転職サイトGreen』の提供でお届けしています この放送は、実は火曜日に最もスカウトが来やすい転職サイトグリーンの提供でお届けしています。 # 「音響的存在」としての人 それでは聞くことの力です。 この中で気になったフレーズがあったので、ここをちょっと深めていきたいと思います。 それは第6章にあるんですけれども、音響的存在としての人ということですね。 これは何かというと、 音について、人の語りについてなんですけれども、語りというのはとても不思議な行為だよねという話があるわけですね。 ネルロ・ポンティという、身体をベースにした哲学を深めたフランスの哲学者がいるんですけれども、 彼が知覚の現象学の中でこんな風に書いてるんですよね。 喉の収縮、舌と歯の間からの吸うという空気の放出、我々の身体を使うある種の使い方が、 突然一つの象徴的な意味を授与されて、我々の外部に向かってそういう意味を支持するようになる。 このことは浴場の中から愛情が浮かび出てきたり、人生の初めの取り留めもない運動の中から意味を持った諸差が浮かび出てきたりすることより、 以上に奇跡的でもなければ、それより少なく奇跡的でもないということですね。 ちょっとわかりにくい言葉だったかもしれないんですけれども、 どういうことを言わんとしているかというと、我々は何らかの感情とか気持ちだとか意思を持つわけですよね。 それを音に託すわけですよ。 例えばここで言った喉の収縮だとか、舌と歯の間からの空気の放出みたいなこと。 不思議な行為ですよね。 嬉しい、悲しいとかっていう時に、もちろん体で表現するっていうこともあるんですけれども、 楽しかった、嬉しかったっていうことで表現するわけじゃないですか。 その時の行為というのは、具体的にちょっと遡っていくと、本当に音を出すという行為に還元されていくわけですよね。 その時の音のちょっとした舌の使い方、口の開き方、喉の押し出し方、 そういう筋肉だとか、そういう動作によってその感情というのが音説になって、 そして空気の振動を伴い相手の耳に行くという、 何がアホなことを言っているんだ、そんなの知っているわいって感じなんだけれども、 とても不思議ですよね。そこの中に自分の感情が音響となって乗って相手の耳に届き、 そしてその届いたものが相手の脳に入り、そして理解をされるという構造になっていく。 これはとても不思議な行為で、私の分身、もしくは私そのものが空気の振動になって、 その人の耳に届くみたいな、そんな風に捉えてもおかしくはないわけですよね。 だから、語りにはテクスト、これは語られた言葉、つまり内容だけでなく、テクスチュア、 語る言葉、つまり言葉のキメがあると考えると。 誰かの声にはその人に特有のキメがあるのであって、繰り返してそれに触れているうちに、 その人の存在はほとんど声に還元されていると言っていいほどになる。 人によっては顔を思い出すことができないのに、声の感触だけはありありと覚えているということもあるということなんですね。 つまり人は音響的存在なのであるという風に、ここでこのタイトルである音響的存在、 これはメルロポンティが言っている音響的存在。 これ、そうだなと。 聖文って、詩文じゃなくて聖文みたいなものがあると言いますけれども、 この声というのは本当に唯一無二のものであって、 誰もこれにさせることはできるかもしれないんだけど、本当に真似をすることはできないということで、 私自身の語りというのは、私以外の何者でもない。 そして、この微妙な音響、振動というのには、私の感情であるとか、 そういうものがパッケージとしてフリーズドライされて、そこに埋め込まれているのであるという、そういうことですね。 不思議な行為ですよね。 そしてそれを聞く、単なる音の揺れなんですけれども、 それが人の心に届くという行為って、改めて冷静に考えてみると不思議な行為だなというふうに思うわけなんです。 そしてですね、先日ちょっと私ね、不思議な、そしてありがたいツイートを拝見したんですけれども、 それは何かというとですね、本を書きました。 自分の頭で考える読書という本を書いたんですけれども、 それを読んでくれた方がですね、ちょっと正確には忘れたんですけれども、 普段、僕のボイシーを聞いてくれている方ですね。 その方が僕の本を読んでですね、その本を読んでいる間、 まるで荒木さんが語っている、その語りを聞いていたような印象でこの本を読みましたと。 新しい読書体験でしたみたいな、そんなことをおっしゃってくれたわけですよ。 なるほどなぁと思って、つまり僕のこの性も、この感情を含めた語り口というものが、 その人のどこかに、心のどこかに残っていて、 そしてそれが僕のテキストを読んだ時に、 レンジで解凍されたみたいな感じで、それがまた浮き上がってきて、 その音声とともにその本が語られていたということが書かれていて、 これは本当に面白いなと思ったわけですよね。 そう考えてみると、私個人というのはどこにいるのかみたいな、 そういうツイートを見ながら感じたわけなんですよ。 私はひょっとしたら声かもしれないわけなんですよ。声なのかもしれない。 声を語っている主体がいるような気がするんですけれども、 この流れ出た音声そのものが私自身という可能性もあるわけですよね。 そしてそれが広がっていって、それぞれの人の心にいると。 それがまた再び何かの刺激によってまた活動を始めるみたいな、 そんなことなのかもしれないなというふうに思いました。 僕自身もそうやって、声が自分の心の中に住んでいる人というのはやっぱりいるわけなんですよね。 時としてその人の語りが自分の内面で語り始めている。 そういうことっていうのはあるわけなんですよね。 だから人と対話するっていうのはそういうことなのかもしれないというふうにも感じています。 今僕はラジオ的な音声の話をしていますけど、必ずしもそういう話ではなくて、 対面で普通に話している友達だとかパートナーとかいるわけじゃないですか。 その人が内面化するっていうことってありますよね。 それは何かというと、さっきの話じゃないけど、 音声が自分の心の中のヒダのどこかに隠れていて、とある瞬間それがアクティブになる。 そうするとアクティブになった瞬間その人の声が自分の脳に届いて、内面で語られている。 対話しているみたいな。そんなことって多分あると思うんですね。 だから声が持つ力っていうのは本当にまさに自分の分身みたいな。 分身なのかその声そのものが自分なのかってわからなくなるぐらい、 その時の感情だとか気持ちみたいなものがフリーズドライされて届いているというふうに言えるのかもしれない。 私はよく3年後のこの人に向かって話そうみたいなことを言ったりするんですけれども、 それは3年間のフリーズドライのパッケージを埋め込んでいる。その人の心の中にね。 そういう行為なのかもしれない。そんなふうにも感じた次第です。 ということで音響的存在という言葉ですね。 メロロポンティの言葉ですけれどもとても印象に残りました。 皆さんの中にも音響的存在、心の中にいる人いるでしょうか。 ちょっとそんなことも振り返ってみていただければと思います。 # 『世界最高のコーチ』 それでは今日のフライヤーのコーナーです。 今日はですね、世界最高のコーチ、個人の成長をチームの成果に変えるたった2つのマネジメントスキルという本になります。 著者はですね、ピョートル・フェリックス・グジバチさんですね。ピョートルさんということで、 フライヤーブックラボでも関わってくださってますけれども、 プロノイアグループの代表取締役ということで、はい。 えーっと、連続起業家であり投資家であり経営コンサルタントであり出筆者、ポーランド出身の方ですね。はい。 えーっと、朝日新聞出版から2021年12月30日に出た年末ですね。はい。出た本になります。 えー、そっか12月30日に本出せるんだ。すごいな。 えー、書店も大変ですね。 さて、えーっと、コーチングのお話なんですね。良きマネージャー、良きコーチであるということなんですけれども、 あのー、今日のね、本編の話の延長でちょっとこれを考えてみるとですね、 まあ、音響的存在という話をね、本編でさせました。メルロ・ポンティの話ですけれども、 このね、コーチがやることっていうのは、問いかけとフィードバックだということなんですけれども、 まあ、そういう意味ではですね、 こう、コーチというのは、その、影響を与える他者に対して、 その、音響的存在としての自分、その、問いかけ、フィードバック、 まあ、そういった声をその人の頭の中に残すという、 そういう存在なんじゃないかということを感じたわけなんでしょう。 つまりどういうことかというとですね、 常にコーチというもの、存在は、えー、自分の横にいるわけではないわけですよね。 四六時中コーチング受けているわけにはいかないということなわけですよ。 そうしたときに、えー、コーチングの時間を使って、 コーチがやることというのは、その、音をその人の耳の中に残しておくと。 で、いざその人が動こうと思ったときに、 その人の問いかけ、もしくはフィードバックが、えー、 その人の頭の中に響く状態を作っておくという、えー、 そんなことなのかなというふうに感じ、 まああのピョートリさんはそんなふうに書いてませんけれども、 えー、しかしですね、コーチがやるべきこと、問いかけとフィードバック、 この二つのスキルであると。 で、そこの、えー、問いのパターンだとか、フィードバックのパターンみたいなことを、 相手にこうインストールする。 インストールというのは、その音響をその相手の心のひだの中にね、 埋め込むことができれば、えー、 ま、心の中での対話はいつでもすることができるわけなんでしょう。 ね、あのー、そんなふうに感じた次第です。 はい。えー、ま、本当に良いコーチって、僕はそういう存在だと思うんですよね。 常に自分の行動に何らかの問いかけをしてくれる。 いないのにね。この目の前にいないのにさ。 あの、そういうことを問いかけてくれるみたいな、そんな存在でありますよね。はい。 ということで、ピョートリさんが書いたコーチングの本になります。 はい。えー、ぜひご覧いただければと思います。 今日のフライヤーは世界最高のコーチでした。 # 頂いたコメントへのお返し はいそれではコメント返していきます。今回は文学界の1月号ですね。 国文小一郎さんと大取の若林さんの対談でしたけれども 梨央智博さんですね。 お無沙汰しております。最近周りにも今まであまりマーケティング的に生きていた、辞めたいという人が いてハッとさせられました。常にマーケティング的な表現やものに囲まれて育ってくると 自分からのアウトプットもマーケティングになってしまっている 自分の本質が見えないということのようです。個人の精神性が徴用されるようになって 経済資本の尺度で拡大成長の中で無意識に統一化された目標に向かって きたのだと新たな気づきが生まれてきたのではないでしょうか。個人的に同性を見守りたいです。 これね本当そうですよね。なんか深い気づきというか、なんで自分はこんなに悪セクしてるんだろうと この資格も取らなきゃとか、こういう風に生きなきゃとか、あの人みたいになりたいとか なんかそれで頑張って生きてきて、そうやって成長している自分を正当化してきたけど ひょっとして自分の意思で動いてない私みたいなね。 なんかのマーケティングの広告に踊らされて生きているだけかもしれない。 自分の主体ってのはどこにあるんだみたいな。 こうそんな風に感じる人が 徐々に出てきているんじゃないかなというふうに思います。 いいんですよそういうのね一回捨てて ということからもう1回自分を再創出するということってとても大事なことだと思います。 高育さん、ここ2、3ヶ月の中をグルグルしているラットレースという言葉が出てきてギクリズしました。 自分のアウトプットの価値を認めようと2年前に転職したのですが、どのラットレースを走るか選んでいるだけじゃないかと思っている自分がいます。 そこにはギャップを生み出す尺度が存在します。そして尺度が早期させる。 尺度を早期させるのがイカゲームで語られたクソゲーの世界です。 多くの人が内心同様に考えていて自分らしくビーングが最近語られるのかもしれません。 そこにもマーケティングの力が潜んでいたりしてということで。 ビーングがなきゃダメですよみたいなね。 あなたビーングないですね。ビーングないとダメですよ。ビーングを得るためにはこういう本を買いましょうとか、こういう セミナーを受けましょうみたいな。 永遠のラットレースみたいなね。 まあ、ねえ、一回落ち着きましょうってことですね。 げんさん、様々に解釈できました。仕事における副業、テレワーク等の多様な働き方、 遊びにおけるサードプレイスとしてのコミュニティや多言語でのメディア視聴あるいは信仰など 自己肯定感は各世代やカルチャーによって見える風景が違うイメージですが、 私は常に学びを通して自分の半分外在化をさせることで、 仕事と遊びの流れを調整しているような気がします。 ズームバックして例えば株主を前提としない有限会社などは利益も求められないので 社会貢献向きなのかも60を超えての学び直しや企業もありなのかなぁと考え始めています ということでそうですね いやーもうね人間の成長って他者の存在ってやっぱ必要だと思うんですよ でも そればっかりに引っ張られているときつい辛い 見失うということがあって究極的にはバランスなんですね もう肉と野菜問題なんです究極的には だからマーケティング的思考がいらないということを言いたいわけではなくてバランスだよね ということなんですけどバランス崩している人が多いんじゃないかなっていうところですね スースーさん目標目的目標と目的目標と定年 現代社会において何よりも目的目標がその人の人格より優先されています まるでそのラットレースの中に強制的に入れられている状態ですね それ故に定年後その中から離れてしまうと生きる目的をなくし一気に吹けてしまうことは よくわかります障害学習ではないですが生きる目的を失わないよう 定年後も目標とできるものを見つけておきたいですねと そうなんですよねだから こう自分自身がでまぁ先日のね 相談カフェでもありましたけど問いを持ってそれを追いかけ続けているとそれがね その他者モードではない自分の裏庭にあると 裏庭に問いを育てているという状態がやっぱり大事なんだと思います はい出雲さん僕も重い悩み体調を崩したことがあります絶対的な目標とギャップ を達成できないストレスが心から湧き出て自分を否定し自分を恨むような感情です ひっきりなしに登場する目標は させるばかりで心が落ち着きませんね マーケット感覚と倫理観のバランスを自分の中で組み立て防御するしかないかも 知れません 改めてバランスって難しいと思いました まああの本当にバランス論の話ですねはい どっちかに偏るとねほんとバランス失ってしまう もちろんね完全に他者と縁を切った自分だけの存在になるというのもゴールではないはず なんですよね 他者と強調しながらも自分らしさというのを出していく ねこれってなんかすごく中途半端なものの言い方なんで いやどっちなんだよしっかりはっきり言ってくれよっていう話もあるんですけど まあ大抵の悩みというのはバランスの中にあるんだと僕は思っています ブライアンさん自分の頭で考え判断することが大切なのだと思いました 本屋に行けば全く逆のことをいう本が並んでいます 目標を持とうと言われたり目標なしの時間を持とうと言われたり そしてバランスを持とうと言われたりとか思えば尖りましょうとも言われる 結局そのそれぞれは一般的には正しいことで自分にとって正しいのかを自分の頭で判断 することが大切なのではないかと思います あの本ではほにゃららと言ってるが私はこうですと言えるようになりたいと思う まさに自分の頭で考える読書というテーマ ね他人の 頭で考えるっていうね ショーペンハワーが否定したようなそういうことにならないように そしてそれはですね大抵は違う矛盾っていうね もっとはっきり物事を言いましょう っていうのといやあんまりこう言うべきことは心の中に留めておきましょうみたい こっちがを言説に出会った時にどっちなんだよ そこから自分なりの答えを見出していくっていうのが大事なんですよねはい 町田勝さん健康とか生活習慣病に対する医療的介入にも通じる話だなと思って聞いて ました 例えば血糖値の増減に不安を抱く患者さんがいます 数値が悪化する度医師から提示される目標とのギャップに自己嫌悪を抱く方です 健康第一という世の中の流れがある中で医療従事者の役割とは 病気になりたいとは思わないが病気になることで気づくこともある その権利を奪っているのではないか人は老いれば何かしらの病を抱えます そうならないことが唯一絶対のものなのか そんなことを考えながら患者さんの声に耳を傾ける毎日ですということですね いやこれ本当にそうですね しかしこの話はこのはしださんの聞くことの力猫の臨床的哲学ということにつながる まさに臨床の現場に答えがあるということですね 北村直文さん私の先日のエネルギーを巡るたびの放送と 私はか先日のエネルギーを巡るたびの放送とひも付きました 時間を短縮することに人はまあエネルギーを継ぎ込んだわけですが マーケティングもこういった早回しに価値を置かれているのが多い印象です 早いことが素晴らしいこの価値観は世の中に浸透していてでもそれがそれで余裕がなく 苦しむ人も多い気がします 早さが求められている現代だからこそ一見無駄に思えるような遊びには人に余裕や 予約をもたらしてくれる価値があるのかもと考えました ねいやほんとそうで そう無駄に見えるような遊び そういうことってあるんですよ そこの価値に積極的に築きたいですね はいヨッシーさん現代の消費社会の話すごく共感できました勉強になりますというコメントですけど いやありがとうございますまあ多分皆さん似たようなところで悩んでいる方も多いような気がします はい ねっ まあこの放送がそれにちょっとで無視することができればと思っております はいということでコメント返し今日はここまでですありがとうございます # 終わりのあいさつ はいということで2日にわたる聞くことの力でしたけれどもいかがだったでしょうか まあこの本の全体というよりは本当に部分的なピックアップだったんですけれども 皆さんの参考になれば幸いですそして近々ですね 週末ホースコーチングに行ってきますので そこでも馬と 馬から聞くということもねなんかチャレンジできればというふうに思っております 今日はここまでまた明日 もっと見る #メルロポンティ #音響的存在 荒木博行のbook cafeプレミアム放送配信中!00:121.タイトルコール01:022.初めのあいさつ00:063.この放送は『IT/Web業界に強い 転職サイトGreen』の提供でお届けしていますhttps://www.green-japan.com/10:004.「音響的存在」としての人https://amzn.to/3rtYV7C04:015.『世界最高のコーチ』09:366.頂いたコメントへのお返し00:307.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう 人、本、旅、あまのっち2022年2月18日声というのは、確かに不思議です。視覚は、個人のバイアスが相当影響するように感じます。見たいように見る。でも聴覚は、ありのままを聴いている感覚があります。予め想定することを許さず、波動をそのまま増幅し、感情として受け取るような感覚です。自分の声が誰かの中で生き続けるならば、死ぬのも怖くない気がしてきます。返信 オレンジショコラ@じゅわっと♪2022年2月13日声が「こだま」のように、自分の中で響き続けて、何度も背中を押してもらったことがあります!!!マスターの声も蘇ることが多く、「ござる♪」が口ぐせになりたしたよ📕返信 町田和敏(変な髪型をしたポンコツ薬剤師)2022年2月11日いやぁ、考えてみれば、不思議なことだなぁと改めて思うひと時でした。声を聴くことで、相手の体調や気持ちを推し量ることができる。もちろん、あくまでも推論ではあるものの、あながち外れるものでもない。同じテクストとテクスチュアでも、相手の声を受け取る人次第で、気持ちや感情の読み取りに違いが生まれるのはなぜなのだろう。当たり前のように行なっている行為を再考するきっかけをいただきました。『「聴く」ことの力』読んでみます。また、臨床哲学にも興味が湧きました。いつも気付きをありがとうございます。返信 のりぞー2022年2月10日絵本を音読している時の自分の感情の受け取り方が脳裏に浮かびました。ただペラペラとページをめくっていると、絵本は余白だらけで返って気づきや学びが軽くなってしまうと思いました。book laboの絵本のクラブで輪読して音声化しているのですが、感じ方がまるで違います。声に出して読むと、著者や挿絵の意図や感情が乗っかってきて、自分や他の人の語りでどんどん自分の内面が沸き起こり、まるで独りでアウトプットしていた時よりも多くの気づき・学びがありました。返信 きたむらなおふみ2022年2月8日つい先日「自分の頭で考える読書」読み終えました。今日の配信に出て来たリスナーさんと全く同じで「読書中に荒木さんが語りかける」ような感覚に陥りました。bookcafeの配信を聴き始めて約8ヶ月、ほぼ毎日聴いているからこそ感じられる不思議な体験でした。voicyのようなコンテンツが普及して、パーソナリティさんの声がリスナーの脳内に刻み込まれる影響は、自分が思う以上にあるのかもしれないと考えました。返信 もっと見る
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でも聴覚は、ありのままを聴いている感覚があります。予め想定することを許さず、波動をそのまま増幅し、感情として受け取るような感覚です。
自分の声が誰かの中で生き続けるならば、死ぬのも怖くない気がしてきます。
マスターの声も蘇ることが多く、「ござる♪」が口ぐせになりたしたよ📕
声を聴くことで、相手の体調や気持ちを推し量ることができる。もちろん、あくまでも推論ではあるものの、あながち外れるものでもない。
同じテクストとテクスチュアでも、相手の声を受け取る人次第で、気持ちや感情の読み取りに違いが生まれるのはなぜなのだろう。
当たり前のように行なっている行為を再考するきっかけをいただきました。
『「聴く」ことの力』読んでみます。
また、臨床哲学にも興味が湧きました。いつも気付きをありがとうございます。
ただペラペラとページをめくっていると、絵本は余白だらけで返って気づきや学びが軽くなってしまうと思いました。
book laboの絵本のクラブで輪読して音声化しているのですが、感じ方がまるで違います。
声に出して読むと、著者や挿絵の意図や感情が乗っかってきて、自分や他の人の語りでどんどん自分の内面が沸き起こり、まるで独りでアウトプットしていた時よりも多くの気づき・学びがありました。
voicyのようなコンテンツが普及して、パーソナリティさんの声がリスナーの脳内に刻み込まれる影響は、自分が思う以上にあるのかもしれないと考えました。