TOPエンタメ映画・本荒木博行のbook cafe近内悠太と贈与を改めて考える対談/CQ BANKの活動を通した気づき33:13 3月14日 4,308再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次CQ BANKの挑戦と贈与の核心「返せない」恩送りの真意とは親子の非対称な「贈与」の実体験30年かける贈与の時間軸とビジネス「ヒンメルなら」エゴなき贈与の哲学AI文字起こし(β版) # お品書き アラキル域のブックカフェ、3月14日版になります。 さて、今日のお品書きです。 今日はですね、また近内ゆうたが来てくれまして、 ちょっと近内続きですね、また京都オフ会の話もちょっと溜まってるんですけれども、 そのうちお親やしますが、 今日はですね、私がね、エヴァンジェリスト的にやっていますC級バンクの話、 実は近内ゆうたも関わっておりまして、 彼とともにですね、ちょっと改めてその文脈になぞらえて、 雑魚論をお話をしたいなと思っております。 そして、コメント返しは絵本カフェの2日目。 今日の1曲はですね、再びマッシュアタックのメザニンという曲をお届けしております。 ということで最後までお付き合いください。 # 初めのあいさつ ハローということで皆さんおはようございます。3月14日土曜日の朝になりました さあ昨日今日とねちょっと僕は家族旅行ということでね まあもう4人で家族4人で旅行行くっていうのも なんかもう これで最後かなぁなんてあの思うとちょっと寂しいんですけれども はい あのそんな旅行しておりますはいということで今日も頑張ってまいりましょうそれでは本編スタートです # CQ BANKもよろしくね! さあ、今日はですね、また近内ユタをお招きしております。よろしくお願いします。 今日はですね、キャンプの話は2日やりましたけれども、 ちょっと僕が関わっている、VoicyではC級バンクの話、関西電力が新規事業として極めてユニークなチャレンジというか、面白いチャレンジをしているところのお手伝いをしているわけなんですけど、 実は近内ユタも思想的な影響を与えていて、それを本にするんじゃないかという噂も聞きましたので、その辺を今日は雑談ガテラ聞いてみたいなと思っておりまして。 僕のところにもお話が来て、関連の社員の方が今お友達なんですけども、売ると買うの外側にある営み。僕、本1冊目の世界は贈与でできている。贈与、贈り物っていうのは、まさに売ると買うからはみ出るところ。 あげる、もらうっていうのって、まさに売る、売る、買うじゃないわけですよね。まさにそういう売ると買うの外側みたいなモチーフをすごい重要だと思ってくれて、日本各地にそういう売ると買うの外側で行われている営みの場所が日本各地、世界中いろいろあるんだろうけども、そういう日本各地のところを僕が回って、 そこにはどういう力学、どういう思い、なんでこういう場があるのかっていうのを、僕が売ると買うの外側にある言葉、贈与とか、あるいはケアとかいうものを、僕のルポルタージュじゃないですけど、巡りながら、そこで僕が見聞きしたものに、僕が言葉を当てていくという。それを本にする。 ちょっとオファーをもらって、視線抜刀というかアクセントをしながら、今ちょっと書いてるっていうところですね。 いやちょっとその話聞いてみたいんだけれども、ちょっと前段をお話しすると、関連の人、極めて思想的だよね。 合理的なビジネスパーソンというより、短期的にどういうふうにそれを設けるかということではなくて、思想を広めたいとか、ビジネスを通じて考え方を世の中にいかに浸透させるか。 今まさに贈与というキーワードが出たんだけれども、売った買ったが我々の資本主義の中で大前提になってるわけなんだけど、いやそれだけじゃないよねっていうのは、まさに近内さんが世界は贈与でできているっていう本でも書かれていたことだと思うんだけれども。 やっぱりね、僕もこのプロジェクトに関わりながら改めて思うのは、贈与みたいな言葉って、寄付するだとか、やるんすかみたいな話もあるんだけれども、大前提として、もらっちゃってるっていうことの認識をいかに持つかなんだよね。 そうなんですよ。僕今回、岡山県の上山っていう場所のエリアだったかな。棚田を再生、めちゃくちゃ限界集略みたいになってるんですよ。そこにわりと都会からの移住者が結構若い世代、30代40代が増えていって、そこに放棄されちゃった棚田、今ザスコとか竹、竹林とかになっちゃってるんだけども、それを再生させようっていうプロジェクトをやってる場所にも行ったんですけど。 僕、なんでこんな棚田を再生させようとこの人たちは思うんだろうってときに、一つは棚田が美しいっていうのもあるんだけども、もっと上の世代の人たちが残したものを受け取ってしまったっていう。もうお返しができない。 お返しができないから、じゃあどうするかっていうと、次に残し続けるっていう、最初の人たちがやっていた思いを受け継ぐことぐらいしかできないっていう。だから僕、今回それもちょっと文章の中で書いたんですけど、恩送りって言い方するじゃないですか。 A4ワード。何かをもらったら、返さなくていいよ、次に誰かにあげて。これ僕、すっごいこのモチーフ嫌いだったんですよ。何でかっていうと、もらっちゃった、返さなくていいんだってライトな感覚が軽いじゃないですか、これ。 恩送りってどうやって発動するかっていうと、もう恩返しすることができない。もう返せない。どうしたらいいんだろうってときに、次に受け取ってくれる誰かがたまたま現れた。 恩返しはもうできないんだけども、そのもらったものを次に繋げることぐらいならできるっていう、この罪の意識っていうか、これが倫理的になると思うんですよね。 だから、もう返せないっていうキーワードが僕、今回ちょっと執筆しながら出てきて、あ、そうか、贈与ってもう返せないって思うから、一生懸命生きようとか、あの人にこの姿を見てもらえるように頑張ろうみたいに一生懸命生きて、それが誰かに贈り物にさらになっていくんだろうなっていうのが、今回ちょっと僕の贈与論がアップデートされたとこでしたね。 なるほどね。あとね、僕ちょっと、これも似たようなこと、本書いてたかもしれないんだけど、最近の活動でちょっと思ったこと、うまくまとめて欲しいんだけどね、僕、あの、学生時代ね、高校時代、敬語式高校というところでラグビー部に入ってやってたわけです。 で、そっから30年たち、息子が同じ敬語式ラグビー部に入り、頑張ったわけね。で、それで、まあいろんな親としてさ、やらなきゃいけないこと実は結構あって、あの、頑張ったわけよ。 で、その時初めて気づいたんだよね。自分の親が自分に対して何をしてくれたかっていうことにね。で、まあもちろんね、その時に、高校時代の時に親に感謝してなかったかというと、そんなことはないんだが、初めて人にそういうふうにペイすることによって、自分が受け取ったものの重さに気づくみたいなね。 これをやってくれてたんだ、やるようになってからようやくわかるっていうね。 そうそうそう。なんかそういう非対称性ってすごくあるような気がするんだよね。やっぱり。 大事なのは非対称性なんですよね。ビジネスって対称的じゃないですか。対等的というか、ギブアンドテイクというか、あるいはね、売ると買うって、まさにエージェントとエージェントが対等ですよね。リールができるって対等じゃないですか。 そう、やっぱりその非対称性とかあれば、そうそうそうそう。一方向的というかね。 そう。 田中さん、自分が親の側というか、保護者としていろんな世話をしたりする中で、すごいちょっとびっくりしたってことなんですか。 びっくりした、びっくりした。 これ気づかなかったけど、この風景を見てたんだみたいな。 そう。だからね、なんか変な感じがあって、子供とかがありがとうみたいな感謝の言葉とかね、むしろいらないと。 そういう言葉で感謝を返したつもりになってほしくはないわけよ。 もちろん言ってほしいんだよ。言ってほしいんだけど、なんかこれで返したっていう感じはなくて、お前も子供持って、別に四季抗ラグビーフじゃなくてもいいんだけど、なんかやってごらんって。 そうしたときに初めて僕に感謝しようと思うよっていう、別にそういう言い方はしないけど、なんかそんな感覚はあるんだよね。 だからずっと持っててもらいたいって。 持っててもらいたい。払ってほしくないのよ。 それがいつか次元爆弾かのように、いつかドカーンと炸裂してほしいなみたいな。 なんでかっていうと、自分もそうだったから、今ありがとうとかめっちゃ感謝されたくないっていうか、そんなリアルタイムで受け取ってありがとうって言われたら、自分が受け取って与えたものがちっちゃかった気がしちゃうというかね。 30年もずっと体の中でぬくぬくと温まっていた何かがパッと花開くっていう。 ジェネレーションって30年って意味ですけど、1ジェネレーションぐらいかかるんですよね、像寄って。 そうだよね。 自分が誰かにやった行為というかが相手にとって意味を持つまでに30年ぐらいかかるって、まさにこれビジネスタームで言うともうダメダメじゃないですか。 今耕したものこれいつ回収できるんですか。30年後っすかね。でも30年後でゴブゴブっすかねみたいな。 半年以内に確実にリターンだとかっていう世界と、像寄ってマジだから食い合わせ悪すぎるんですよね。 確かにね。 30年後に気づいてくれるかもしれないぐらいの。 でも人類ってそうやって生きてきたんですよね、20万年ずっと。 そうなんだよね。だからその時間間隔だとか因果の広さみたいなものを、ビジネスの場でどうチャレンジするかっていうのがちょっとCQバンクのね、かなりこのネジ外れたチャレンジなんだけど。 チャレンジングのとこですよね。 だから僕はやっぱりそういうマインドセットってあるよね。 荒木さんが今回ますます荒木さんの中でもこれが贈り物っていうか、親は自分が17歳18歳の頃これをしてくれてたんだって今この年になって、自分の息子さんがそれぐらいの年になった時にやっと気づくみたいなことってあるし、 たぶん荒木さんの中で強烈なリアリティ。誰が何と言うとそういう気持ちになるんだよ人間は。 説得力を持ってた荒木さん経験したと思うんですけど、そういうことってあるよっていうのを、世界中の人口の10%ぐらいが思うようになったら世界は変わると思うんですよね。 いやまずそう思うよ。 だから僕はその人口を増やすっていうことが僕の信念っていうか、そのための理念的な言葉とか具体例とかをあてがっていくと、みんながだんだんこれのことを言ってたのか。 それは例えばそういうチャレンジングなビジネスのCQバンクみたいなものって大事だねっていうふうに人が増えれば、リターンはあんまり明確な、他のビジネスと明確なリターンっていうことじゃないのかもしれないんだけども、 いや人間にとってこれ大事だから僕これに一挙かみますよとかちょっと出しますよっていう人は絶対潜在的にいると思うんですよね。 ほんとそうだよね。だからCQバンクではそれを銀行っていうと金利みたいなわかりやすい、まさにリスクとリターンのバランスする方程式みたいなところで生産しようとするんだけど、 めぐりとかいう面白い造語を作りながら、その因果関係をちょっとバグらせていくっていうのがね。時間軸も含めて。 そうですね。バグの中に実はいい進化というか、バグを排除するっていうときにいいバグと悪いバグがあって、会話とかも楽しいのってたまにバグるときっていうか、 でもこんな話するつもりなかったのにっていうときっていいバグだと思うんですよね。でも今まさに2人が喋ってるって感覚になったりする。 なんかあれ今日こんな話するつもりなかったんだけどちょっと会話がバグったからこそなんか会話がドライブしたねってこともあるから。 そうね。バグは仕掛けは必要ですね。 必要だよね。だからこれはキャンプの対談のときもあったけどさ、すごくわかりやすい脳的なね。脳と身体でいうと脳的な合理性みたいなところに支配されちゃうとバグがどんどん排除されていくけど、 そうするとパサッパサになるわけだよね。 養老滝さんがずっと農家社会とか脳じゃなくて脳ばっかりやる意味の世界で情報に満たされすぎてるって言ってることって多分そういうところと繋がるんだろうなと最近思うんですよね。 それでちょっとさっきの贈与の話でちょっと最近ね、すごいこれが大事なんだと思ったとき、贈与するってどういうことかってときに新木さんって自分が息子さんに贈与したってあんま感覚ないと思うんですよね。 親がやってくれたことと同じことをなぞってたら、贈り物をもらったことに気づいたっていうメカニズムじゃないですか。 それって僕、これのモチーフのアニメ漫画作品があって。新木さん、早々のフリーレンって見てます? いや、見てない。 早々のフリーレンってヒンメルっていう人物がいるんですけど、例えばその周りのヒンメルが勇者なんですけども、他のメンバーたちとかね。 ヒンメルの後輩というか弟子というか、高校生の人たちがある人助けをしたり何かをするときに、なんであなたはこんな人助けをしてくれたんですかってときに、勇者ヒンメルならそうしたからだって言うんですよね。 つまり、ここにあのヒンメルという勇者がいたら、彼はきっと君を助けていた。でもヒンメルはもうここにいないから、私がその代わりにやっただけだっていう。ヒンメルが贈与をしたんだと。 あの時、私が自分がヒンメルにしてもらったことを、同じようになぞっている。身振りをなぞっているだけなんだっていう。これはすごく倫理的な言葉だなっていう。 私が君に何かをあげたんじゃないと。ヒンメルが私にそうしてくれたから、同じ身振りを繰り返しただけだっていう。ここにヒンメルがいたら、きっと彼はあなたをこうやって救っているはずだっていう。つまりエゴがないんですよね。 私はあくまで媒介、メディアであって、伝えるだけの人間であって、私の中をヒンメルが通っていったというか。ヒンメル性というかその贈与性が。人に物を教えるってそういうことだと思うんですよね。 なんで先生になろうと思ったんですかっていうと、憧れの先生が僕にもいてねみたいな。あの先生だったらこういう時にこういうこと言うんじゃないかなっていつも思うんだよねって。まさに、私のあの先生だったらきっとこういう時にこの人たちにこういうこと言うだろうなっていう。 私というものの認識を超えたものを伝えることができてると思うんですよね。勇者ヒンメルならそうしたからだっていう。いい言葉で。贈り物って贈与って人助けでやっていけばいいんじゃないかなと思うんですよね。 まあね、それがさっき10%みたいな話あったけれども、そういう前世を受け取ったという10%の人が出てくると、それがね、ペイフォワードでまた。 私が昔そういうふうにしてもらったからだ。同じ身振りを真似てるんだっていうふうに言って、どんどん広まっていくっていうね。もう返せないっていう感覚が。やっぱね、恩送りって酔いしれる人がいるんですよね。 いっぱいもらったものを、いっぱいみんなに配った私っていうような人間って思っちゃうって。これ何か好感じゃないですか。これって。 たしかに。 つまり、あげることで気持ちよくなっちゃうっていう。それによって救える人がいるからいいんだろうけど、僕はそれは贈与とはあんまり呼びたくなくて。 もう返せない。あの人がここにいたらきっとこうしていたはずだ。それをせめて私は再演する。もう一回それを演じるだけだっていうぐらいの倫理的な振る舞いが、僕は人間の姿として重要だと思ってるんですよね。 ある種のどっか後ろめたさみたいなのがあるみたいなね。 申し訳なさとかね。罪の意識みたいなものに裏打ちされてないと。僕はそこには疑問というか、何か。 人を利用して自分が気持ちよくなる。自分が人に何か与えられることができる人間だっていう感覚に酔いしれちゃうって、ちょっと嫌だなと思うんですよね。 だから別にそれは悪いことじゃないんだけどね。消費社会的には正当な、真っ当な行動だから。 それってあんまり広まらないと思うんですよね。 お返しもうできない。どうしたらいいんだっていう風に、このあせびとか、罪の意識がやっぱり人に何かを届けなきゃ、あるいは自分が自分として一生懸命生きなきゃっていう思いに繋がっていく。 もう返せないっていう感覚は大事かなと思うんですよね。 だからよくギブアンドテイクみたいな話あって、ギブが大事だみたいな話。でもあれも投下交換の話なんだよね。 ギブすると帰ってくるよって言っちゃってるんで。まささっきの荒木さんのね、保護者として部活のラグビー部のお世話をするっていうのって、まさに帰ってくるっていうか、もうもらってたものに気づくだけっていうかね。 もうリターンは別にいらんよと。いつか息子さんが気づいてくれたらいいなとか、あるいはそういうラグビーという文化とかね、あるいは部活という文化、あるいは式行の場所がそういう温かい場所になればいいなぐらいのね。 逆に言うともうリターンはすでにもらってますって感じなんですよね。リターンだけ先にもらっちゃったから、返すっていうことだけが残ってるみたいなね。 その感覚があると人に何かをしてあげようとかしなきゃって自然と思えると思うんですよね。あるいは一生懸命生きてるだけで誰かを救ってしまうみたいな。 助けるつもりなくて、だってこういうの楽しいじゃんってやってたら人助けになっちゃった。ちなみにこれソウソウの不利練のヒンメラのモチーフって、そういう台詞が出てくるんですよ。 魔王を倒す旅に出るんだけども、その途中で人助けとかめっちゃやって、周りのパーティーのメンバーから、なんでヒンメラは人助けとか全然違うことやるんだって言ったら、 そういう誰かを助けたり、こういうのが楽しいじゃないか、ダンジョンを攻略したら楽しいじゃんって言ってたうちに、魔王を倒していく、そんな旅にしたいんだ、そんな冒険をしたいんだ、みたいなこと言うんですよね。 魔王を倒すという最短ルートじゃなくて、それを楽しむ中で気がついたら、魔王を倒すみたいなことのミッションもできたらいいなみたいな、そういうようなモチーフがあって。 そうそうのフリーレンはマジでおすすめなので、ぜひぜひ見てほしいなっていう。すごく大事。動揺とかケアとか、人が人の思いを伝えるとはどういうことかとか、っていうモチーフがすっごくふんらんに入ってるもの。 なるほど。もうそろそろ終わりますけれども、本はいつぐらいに出るんですか。 本は当初は3月に出るという話で頑張ってたんですが、私がちょっとアクセントをしておりまして。今月中に原稿としては初稿が上がるので、5月とかになっちゃうのかなっていう感じ。 半年先とかではないですね。2ヶ月、3ヶ月先ぐらいには形に。理念的な僕のウルトカウの外側のいろんな日本の場所を回った本は、2ヶ月後か2ヶ月半後ぐらいかなと思っていただければ頑張ります。 ちょっとタイトルもまだこの先ですね。楽しみです。ということで、CQバンクもぜひよろしくお願いします。 はい、よろしくお願いします。 はい、近内さんでした。どうもありがとうございました。 ありがとうございました。 # 今日の一曲/Massive Attack「Mezzanine」 さあ、それでは今日の一曲ですけれども、 またまたMASHIVE ATTACKを もう最後にしますね。 当面MASHIVE ATTACKの話はしませんが、今日はぜひさせてください。 MASHIVE ATTACKのですね、メザニンというアルバムのタイトルでもあり、その中の一曲ですね、メザニンという曲をお届けしたいと思いますけれども。 1998年のね、メザニンというすごいアルバムから出たタイトル曲ですけれども。 ちょっとねぇ、もうさぁ、MASHIVE ATTACK、 意味わからないって人多いと思うんですけれどもね、この今日ご紹介するメザニンほど 多分ね、普通の感覚を持っている人からすると意味がわからない。これ音楽なの?っていう、 あのそんな感じだと思います。ちょっと聴いてみてください。僕はこれね、 お経だと思ってるんですよ。 本当にね、聴いてみるとお経に聞こえますよ。 お経サウンド。なんかね、メロディーがなくて、重たいリズムがあるだけなんです。 で、もう、呪文ですね。歌じゃないです。呪文なんです。 重低音と呪文。これですね、儀式とか瞑想とかそういうのに近い感覚なんですよ。 で、普通の人は別にお経を聞いてさ、なんか、エモく感じないじゃないですか。 なんだけれども、 何なんでしょうね。 この、近内ユウタとその身体勢の話しましたけれども、 何なんだろう。マッシュアタックのね、この ビートはめちゃくちゃ遅いんですよ。どの曲もね。 で、ゆっくりとズドンズドンというその重低音。多分ね、なんかこれ、昔から繋がっているその 呪術的な、 その僕らのDNAのどっかに残っているですね。 そういう、こう、身体勢に合わせたリズム感があるんじゃないと思うんですけれども、 まあ、こう、通常のポップスって、 メロディーラインがしっかりあるし、AメロBメロ、 それからブリッジ、サビみたいな、そんな感じに展開すると思うんですけど、 このマッシュアタックの曲、さらに言えばこのメザニンという曲は、 全くそれがないんですよね。 だから不穏なコードとリズムが延々と続くと。呪文みたいなことが、 永遠にこう、 ね、語られると。 何なんだろう、みたいな。 で、まあ、なんとなくでも身体が反応しちゃうみたいな、 そんな感じですよね。 で、これに、 あ、なんかかっこいいかもとかいいかもって思ったら、 まあ、ウェルカムトゥートリップホップって感じなんですけれども、 なかなかね、あの、 それを共感いただける方がそんなに多くいないので、 人にもですね、いや俺、 マッシュアタックとか聴いてんだよね、とか言うのは躊躇しますよね。 だって、え、じゃあ何、どんな曲聴かせて、みたいなのを、 まあ、 それこそさ、 ヒゲ団とかさ、アイミョンとかさ、 なんだっけ、ほら、 グリーンアップル、ミセスグリーンアップルとか聴いてる人にさ、この曲紹介してもさ、 え?って、どんびきだよね。 ちなみに僕、アイミョン好きですよ。 ヒゲ団も結構聴きますし、 ミセスは聞いたことないんだけど、 うん、普通にJ-POP聴きますけど、 J-POPいいなと思う一方で、このメザニー、 超かっこいい、何このお経、みたいな、 そんな感覚をみなや様にも、ぜひともシェアしたい。 そんな気持ちで語りました。 もうしばらくね、マッシュアタックの話しませんので、 封印でございます。 ブリストルサウンドはね、ちょっとやるかもしれませんけれども。 はい、ということで、今日の1曲はマッシュアタックのメザニーをお届けしました。 # 頂いたコメントへのお返し はい、コメント返しは絵本カフェの2日目になります。 A子さん、マスターから共同体という言葉が出ましたが、自分も共同体を思いながら聞きました。 そしてそこからあぶれる人が出てくる、共同体から弾き出された人が、それでも生きる装置があった方がいいとか、 生きる支えみたいなことにも言及している2話の話を思い出しました。 最後が理想的に終わらず狼として生きていくという終わり方もリアリティがあっていいなと思いました。ありがとうございます。 これはね、確かにUNOさんの世界観とちょっと近いですよね。確かにね。 田中さん、違うからこそ楽しいという部分と、違うからこそ傷つくという両面の攻め合いの中で、少しだけ楽しいが上回っていればいいという人間関係の難しさ、 常に関係性が変わり続けるからこそ、そのバランスを自分自身がどう受け止めるのかにも繋がると感じました。 ガマ君とカエル君のお話は、その関係性の境界線を受け止めるヒントになるのかも。 違いに対して寛容になれる心の余裕を持ちたいです。 そうですね。確かにね。この関係性の境界線みたいな話ありましたけれどもね、すごいバランス感覚ですよね。 つなのもとさん、絵本自体は読んでないので分かりませんが、お話を聞いていて、気球のメタファーは自分なりの捕らわれ感から解放されて、 自由に自分を受け止められるようになったことを示しているのかなと感じました。 安心感を得るために誰かと同じでありたいと願っていた狼が、別に同じである必要はないということに気がついて、心が自由になったということを示しているように感じました。 絵本カフェ、毎回大好きで、その都度絵本ナビで絵本を購入させてもらっています。 今回も楽しみに待っています。 ありがとうございます。そう言っていただけると、磯崎さんも喜ぶと思います。ありがとうございます。 はりおさん、二人は友達大好きです。本屋さんでガマ君とカエル君のハンドタオルが売っていて、つい買ってしまいました。 いつも楽しみにしています。初コメントでした。ということでありがとうございます。 僕初めて接点を持ちましたけど、本当にいい世界観で、いいですね。ハンカチとかあったら買ってしまう気持ちがわかります。 あきらんさん、人前で恥をかく場面、あるいは笑われる経験、少しずつ世の中から減ってきているとしたら、 相手を傷つける行為は容認できませんが、全てにおいて安排思考で、恥をかくことで得られるかもしれない、人生の機会を奪っていないのか、そんな思いにふけてしまいました。 絵本といえば、今月100分で名人絵本特集ですね。 いやそうなんですよ。たまたまなんですけれども。 100回生きた猫だっけ?とか取り上げてましたよね。 ゆかさん、ガマ君とカエル君のお話は義務教育のどこかで何かの授業の教科書で出てきて、これはこういうお話ですよって学んだ気がします。 でも本当のところ正解はなくて、ガマ君カエル君の気持ちにも正解はない。 ガマ君が水着を着るのも、最後でみんなで笑われるのも、捉え方は見る角度で違うということですよね。 私も超相対性理論での3人の対談を拝聴しながら、目に見えない信頼関係を感じ、素敵だなと思っています。 ということで、ありがとうございます。 超相対性理論の話ありましたけれども、なんか不思議な関係ですよね。 イケリオさん、グッドライフのように身近な人との人間関係が大事だとする本もあれば、やっぱり狼のように孤独との向き合い方を教えてくれる絵本もある。 改めて人付き合いって奥が深いなと感じました。 け、と言って潔く前に進む狼君に勇気をもらえた気がします。 いやー、本当そうだよね。奥深い。 け、っていうね。このセリフもなかなかですよ。 タカイクさん、やっぱり狼の狼は、うさぎやヤギなどと出会う過程で、自分と自分でないものについての理解を深める。 その経験を通して狼としての人生から自分なりのオリジナルな表情になっていく。だから描けない。 気球が飛び立つのは他者と自分の間に明確なバウンダリーを引いた瞬間を意味する、などと思いながら聞かせていただきました。 でもなぜ気球なのか、ピント小図でした。 ガマ君とカエル君懐かしいです。教科書の紙の質感と共に独特な絵が思い出されるものですね。 教科書あったんだ。俺も読んでたのかな。ちょっと記憶になくて。 教科書に載ってたらすごい良いよね。 カツケイさん、二人は友達。ふとした時に読みたくなる不思議なクセになる話ですね。 ローリアノルドの作品では知りたがり屋の小豚君が我が家のお気に入りです。 純粋な疑問や好奇心を大人にぶつける小豚君と、時にドライに時に温かく受け止める周りの大人のやり取りが子供との対話のかけがえのなさと、 もっと気軽に捉えてもいいと心が軽くなる作品集です。 こちらもガマ君たちの後にオススメです。 本当そうだよね。 心が軽くなるって書いてあったけど、悩んでる時に読むといろんなヒントをもらえるんだろうね。 松下さんです。 狼君の狼である需要の向き合い方。 ガマガエルさんの恥じらいからガマガエルなんだと笑われることへ需要していく姿に、私は笑えなかった、笑いたくなかった。 切ないけど自分を受け入れていく姿に感動したということで。 ガマガエルなんだと笑われるっていうことではなくて、水着がおかしいって笑われるってことだよね。 これは正しく言うと。 続き、松下さん。 何笑いなのだろうか。 微笑ましい恥じらい滑稽。 私だったらガマガエルさんに寒かったねって声をかけたいということですね。 これはいろんな捉え方あるね。 北山悠さん。 二人は友達、子供たちに読んでました。 ゲラゲラ笑う時もあれば神妙な顔することもあっていい思い出。 これは浄土教育にいいかもね。 何考えてたんだろうね、みたいなね。 松田勝俊さん。 今日の独り言、人と人とは分かり合えない。 だからこそ関わり合って対話しながら生きていくんだ。 そんな絶望を知るまでは悩み苦しんでいた。 なぜ分かってくれないのかと思ったり、自分のことを分かってくれる人はいないのかと思ったり、 過去の私は狼だったのかもしれない。 真っ黒い狼だったのかもしれない。 孤独感を感じやすい人はこれに非常に共感できるんじゃないかな。 そんな風に思います。 ということでコメント返し以上になります。 いつも皆さんありがとうございます。 # 終わりのあいさつ はい、ということで今日は近内ユタとね、造評論。近内ユタと語る造評論。またちょっとね、改めてという感じになりましたけれども楽しかったです。 ぜひ皆さん、支給番号よろしくお願いします。ということで今日はここまで。それではまたごきげんよう。 もっと見る #贈与 #CQBANK 荒木博行のbook cafeプレミアム放送配信中!00:511.お品書き00:312.初めのあいさつ19:503.CQ BANKもよろしくね!https://cqbank.kepco.jp/04:354.今日の一曲/Massive Attack「Mezzanine」https://music.youtube.com/watch?v=rpD-yf_vHYA&si=ivY5ocTpmmIFcJtH07:085.頂いたコメントへのお返し00:226.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう 町田和敏3月19日今日の独り言人と人との関わりの中でいつの間にか贈られているあれやこれや…気付いた時に思い出す記憶のあれこれ…気付くこともあれば気付かないこともある…世界はそんな贈与に満ち溢れている…返信 あきらん3月16日娘と私と親。その三者間の行って来いで、最近想いを巡らせています。未来に進めていく中、娘の成長と親の老いという両義性に、贈与という流れが姿として立ち現れ、少し感傷的に心を立ち止めてしまう感じがあります。1返信 かつけー3月16日親から受けてきた贈与に、子どもと接することで気づくというのは日々感じています。忙しかったり余裕がなくなって、子どもに優しくできなかった時に、自分はそういう扱いを受けなかったのにと申し訳ない気持ちになります。まだ両親は元気に暮らしているので返すことはできますが、自分に置き換えると子どもから恩を返してほしいと思う気持ちはないので、自分で気がついて、次の世代に対していい意味で悪戦苦闘して返してもらえればと思いました。1返信 たなか3月16日妻と会話した中で「子どもに対して色々やったことは、いつか大人になって気づいてくれればいいね」ということをお互いが思っていたことを共有しました。自分の経験にフォーカスすると、母親からは歯磨きや歯並びに対して口うるさく言われた記憶が。その結果が時間差で現れ、後悔につながる。その経験と結果を子どもにも同じように伝える。そんなやりとりも、受け継がれる贈与の鎖なのかなと思いました。1返信 タカイク3月15日最近娘と読んだ、星新一作品の中に「ある夜の物語」というクリスマスの話があります。気の毒な人の所にサンタが現れ望みを叶えようとしますが、望みを聞かれた人は自分よりもっと気の毒な人の所にいってあげてほしいと答えます。そして自分を想ってくれた人がいることに気づきます。またサンタが訪れた先では、これと同じことが繰り返されていきます。親でもない正体不明の赤の他人がやってくれたと気付く強烈さが、ジェネレーションという時間の長さを突破するヒントにならないかなと思いました。1返信 もっと見る
仕事が自然とできるようになる仕組みがあるんです/G-POPマネジメント実践講座 中尾隆一郎さん対談1 34分・昨日・ 2,281再生AI目次仕事が自然と進むG-POPの正体GPOP:日報を越える自己成長ツール目標達成を促す振り返り術の真価心理的安全性を育むGPOP会議の力急増する導入企業が語る成功体験
感情を爆発させた後に何が残る?/絵本カフェ『なきむしなきこちゃん』 『ほげちゃん』絵本ナビ編集長 磯崎園子さん対談2 35分・9月8日・ 2,993再生AI目次大泣き体験から紐解く感情爆発の意義ホゲちゃんが暴れる!怒りの感情を解放する感情爆発後に残る「空白」その正体とはTLCが彩る90年代R&B、栄光と悲劇アート作品に投影される主観と客観の対話
人と人との関わりの中で
いつの間にか
贈られている
あれやこれや…
気付いた時に
思い出す記憶のあれこれ…
気付くこともあれば
気付かないこともある…
世界は
そんな贈与に
満ち溢れている…
未来に進めていく中、娘の成長と親の老いという両義性に、贈与という流れが姿として立ち現れ、少し感傷的に心を立ち止めてしまう感じがあります。
忙しかったり余裕がなくなって、子どもに優しくできなかった時に、自分はそういう扱いを受けなかったのにと申し訳ない気持ちになります。
まだ両親は元気に暮らしているので返すことはできますが、自分に置き換えると子どもから恩を返してほしいと思う気持ちはないので、自分で気がついて、次の世代に対していい意味で悪戦苦闘して返してもらえればと思いました。
自分の経験にフォーカスすると、
母親からは歯磨きや歯並びに対して口うるさく言われた記憶が。
その結果が時間差で現れ、後悔につながる。
その経験と結果を子どもにも同じように伝える。
そんなやりとりも、受け継がれる贈与の鎖なのかなと思いました。
気の毒な人の所にサンタが現れ望みを叶えようとしますが、望みを聞かれた人は自分よりもっと気の毒な人の所にいってあげてほしいと答えます。そして自分を想ってくれた人がいることに気づきます。
またサンタが訪れた先では、これと同じことが繰り返されていきます。
親でもない正体不明の赤の他人がやってくれたと気付く強烈さが、ジェネレーションという時間の長さを突破するヒントにならないかなと思いました。