「朝陽が年少の冬、私は仕事を辞める決意をしました」
そう話すのは、3人のお子さんを育てる元保育士の虹色の朝陽さん。
大好きだった仕事と家庭の間で葛藤した複雑な心境を、Voicyで語ってくれました。
音声でも聴きたい方は、記事最後の再生プレーヤーからお楽しみください!
幼稚園で言われた、忘れられない言葉
朝陽が2歳8ヶ月くらいの頃から4歳半くらいまでの約2年間、私は保育士として働いてました。パートだったので9時半くらいから3時くらいまで、平日に働いてました。朝陽が療育の日だけ一週間に一度お休みを頂いていて。土日も普通にお休みをいただくという感じでした。
朝陽が幼稚園を退園する時からずっと、自分の中にちょっとだけ引っかかっている言葉があって。以前通っていた幼稚園の先生から「お母さんのお仕事の復帰が早かったかもしれませんね」と言われたんです。
私が働いていた幼稚園は特殊な幼稚園でもあって、運動がメインだったんですけれども、ハードな課外活動もありました。スケートだったりスキー合宿だったり、他にはサッカーだったりバレー、バスケとか。いろんな分野のスポーツに力を入れている幼稚園でした。
そこは先生達の負担も大きかったりするんです。私も子ども達、朝陽や長男次男を夫に預けて幼稚園のスキー合宿に行くこともありました。私はそれが正直ストレス発散にもなっていたんじゃないかなと思ってます。きっと周りから見たら、子どもを見てあげてない親と思われても仕方なかったんじゃないかなと思います。
でも一方で、発達障害の子どもの親はどうやって働かなきゃいけないのかなと、当時はすごく気持ちがモヤモヤしていました。幼稚園の先生から言われた「お母さんの職場復帰が早かったですね」という言葉の意味を、私自身何度も何度も考えていて。すごく恥ずかしい気持ちがあったり、悔しい気持ちがあったり。
「私は子育てと仕事を両立できてない」と言われてるんだと、すごく胸に突き刺さりました。子育てで何かうまくいかないことがある度に「私が働いているからだ」「働いてるから朝陽が成長しないんだ」と、マイナスのことばかり考えるようになりました。皆さんは働いていて良かったとか、働かずに辞めて良かったとか、ありますか?
朝陽が幼稚園から保育園に転園した年っていうのは、私も職場の幼稚園を異動することになりました。自宅から朝陽を送迎し、異動先の職場までたどり着くのに1時間かかっていて。往復2時間送迎や移動に費やすのがものすごく負担だったんです。
「もっとこの時間が上手に使えるのに」って、毎日考えてました。
でも何とかやりくりしていた時、父の体調が悪くなって入院することになって。自営業だったんですが、入院したことによって仕事が溜まっていき、母も何もできない状態だったのでこの機会に保育士を辞め、家の仕事を手伝おうと思いました。
働いていることで子どもたちを見てあげられない後ろめたさもあったり、でも私も外で働いて、自分のお金は自分で稼ぎたいとかいろんな思いがあって毎日葛藤していました。でもそういった葛藤と父の入院が重なって、大好きな仕事だった保育士という道を辞め、実家でゆっくりと働く道を選びました。