TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティ『千と千尋』のカオナシは、なぜ千尋の隣にスッと座っているのか? ゲスト:おのじさん②19:20 2025年2月10日 1,058再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次学校共同体のあり方とは?永遠の同伴者とは何か?生贄の必要性とは?欠落感と向き合う方法とは?カオナシが示すメタファーAI文字起こし(β版) # チャプター 1 はい、今日も引き続き小野寺さんに来ていただいています。小野寺さん、よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 前回は共同体の変遷みたいな話の流れから、小野寺さんの学校の先生としての立場として、 今の学校にある昔から残しておきたい共同性と今の社会のズレみたいな話を聞かせてもらったんですけど、 それがものすごく良かったので、前回聞いていない方はそちらから聞いてきて欲しいんですけど、 何かそれを踏まえて、今小野寺さんが思う学校の共同性みたいなものに対しての、何かありますか? 共同性、そうですね。いや、分かんないんですけど、 でもなんか、この間話したこと、本当に子どもたち自身からしたらどういう風に感じているかとか思っているかっていうのは、 多分全然いろいろあると思うので、何だろう、本当に私から見えているというか捉えているところなので、 何だろう、なんとも、なんですけど、でもなんか、そこを、何かこう、多分会社とかもそうだし、きっと家族とかもそうだし、 学校もそうだけど、何かそこを、何かこう、お互いに一緒に考えていこうよっていうか、何かこう、引き受け合っていこうよっていうわけじゃないんですけど、 何か引き取り合うじゃないけれど、一緒に持っていこうよみたいな感じのところが、何かこうあったらいいなって、ずっと考えていて、 で、何だろう、その共同性みたいなところも、何かその、学校は学校だけで完結するんじゃなくてとか、家族は家族で完結するとかじゃなくて、 そこを何かこう、半分こう開きながらも、何かこう一緒に、その、やれたらいいなみたいな感じのことはすごい思っていたり、 今、新しいものがいろんなものが出てたりとか、できてたりするところも、とてもすごく素敵だなって自分自身も思ったりするし、 それをこう、何か一緒に何かできるみたいなところを模索できたらなって思ってました。 うーん、何かそれをみんな他人任せにしちゃってますもんね、今ね、何ていうのかな、 自分のメリットは取りたいけれども、そうじゃないデメリットの部分は、何か見て見ぬふりをしたいし、 どっかにこう、自分の視線の中から無くしたいし、何かそれでよそに放りたいんだけど、 でもそれをすればするほど、何だろうな、どんどん自分が欲しいものとはずれていくみたいな感覚ってあると思ってて、 で、今回この小野寺さんの対談のときに一番最初にくださったテーマも、かわいさよさんの永遠の同伴者の話をしましょうっていうふうにおっしゃってくださって、 で、何かそれは本当にここにつながってくるなと思うんですけど、 あの話って、かわいさよさんは、永遠の同伴者を見つけるためには、生贄を欲するって話をしてたんですよね。 何か、ただただ自分が欲しいと思っているような共同体だけじゃなくて、 そうじゃないく、生贄をちゃんと差し出さないと、その永遠の同伴者みたいなものが現れてきません、みたいなことをおっしゃっていて、 何か僕はそこがすごく印象に残ってて、何かこの話をしていきたいなっていうふうに思うんですけど、 そもそも今回この永遠の同伴者の話を小野井さんがしたいというふうに思った理由みたいなところをちょっと聞かせてもらっていいですか。 はい。理由としては、鳥井さんのブログの中の家族関係を考えるみたいな、 はい、家族さんの本ですよね。 家族さんのブログを書いてた時に、何だろう、すごい何度も読んでて、 でも何か結構その永遠の同伴者っていうのを、本も読んだんですけど、 何か全然ピンとこなくて、でもすごいずっと引っかかってて、 これが何かすごく大事なんだろうなって思ってて、 その永遠の同伴者っていうのが人ではない、 人でもあるし、その存在だったり場所だったりそういうものでもあるみたいなことを話してて、 これ人じゃないんだったら一体全体何になるんだろうなっていうことをずっと考えてたんですよね。 それでちょっと今回、なんかここはすごい話してみたいなって、 最近ちょっと家とか家族っていう文脈でも、結構鳥井さんもブログだったりとかサロン内でもあったので、 ここをちょっと一緒に考えられたらなって思ってました。 はい、ありがとうございます。 本当そこを考えてみたいっていうふうにおっしゃってもらえるのがめちゃくちゃ嬉しくて、 まず前提から共有しておくと、僕が書いたのが2024年、去年の6月ぐらいに 心理学者河合駿さんの家族環境を考えるっていう、今から約40年ぐらい前に出た本なんですけど、 それの中に出てきた永遠の同伴者っていう言葉に結構ピンときて、それをブログに書いたんですよね。 河合駿さんはその中で何を言ってくれてるかっていうと、そもそも日本人っていうのは一神教の西洋人とかとは違って、 自分がアイデンティティを保つためにはカタカナの家、家みたいなものによって規定されていたと。 そもそもこの長い歴史の中で、宇宙の中で生まれてきて、自分みたいな存在みたいなものが圧倒的に不安定な存在であると。 その不安定な存在として生まれてくるんだけど、どうにかしてそれを落ち着けようと、永遠の層の中に埋めるっていうふうに河合駿さんは言うんですけど、 自分がこの宇宙に生まれてきた意味合いというか、アイデンティティを確立するために何か対象となるものが必要となって、 それが西洋においては一神教の神様で、神と私という存在の中で、自分の中が永遠の層の中で仮に位置づけられる、仮押さえされるみたいな感覚があって、 日本人の場合はそれを家でやってきたんじゃないかっていう仮説なんですよね。 だけど近代の人っていうのは、そういう家とか家計みたいなものを何か所にしてきて、それのものが貢献的で古いっていうふうに壊してきたからゆえに、 今、ものすごく不安定な状態にいると。 だからいろんな心理的な不安だったりとか、非公だったりとか、家族の崩壊みたいなことが起こるよねっていうことで、 だから今の日本人は永遠の同伴者みたいなものを新たに見つけ直さなきゃいけないっていうことをおっしゃっていて、 でもその本の中では永遠の同伴者が何かってことは一切言ってくれてないんですよ。 そういうものが必要だよねとしか言ってくれてなくて、それは次の世代を生きる人たちが見つけていくものであるみたいな言い方をしていて、 その次に、でも多分生け贄を代償として必要とされるんだよねみたいなことも言ってくれているっていうことでこの話につながっていくんですけど、 この話は僕本当にその通りだなと思っていて、永遠の同伴者っていうとどうしても人みたいなものを想像しがちだと思うんですけど、 多分その人であることではないと思うんですよね。 家っていうのも共同体としての家っていうものはあり得るけど、それは別に何か個人ではないわけじゃないですか。 法人とかそういった概念と近くて、ある種想像された共同体ではあるんだけど、 そういうものを真ん中に置くから、僕らはその真ん中に置いたものを見ながらお互いに助け合っていけたりとか、 手を取り合って協力していけるよねっていうことだと思うので、 じゃあ次のこの永遠の同伴者って何になるんだろうってことは、多分僕らも考えていってちゃんと作っていかないと、 過去の先祖たちにも申し訳が立たないし、これから生まれてくる子どもたちにも拠り所がなくて、 何より自分たちにとって拠り所がないまま死んでいくってこの恐ろしいタリアみたいなことだから、 ここを考えたいなって思ってたって感じなんですよね。 合ってます? 合ってます。はい。 そうですね。なので、ここは鳥井さんはどんな風にイメージっていうかあるのかなって思って、 それは今日ちょっと。 そうなんですよね。難しいですよね。 この時に河合早さんの本の中にあったのかな。別の本かもしれないですけど、 民族学者の柳田邦夫の先祖の話っていう本があって、その本の中に出てくるある田舎のおじいさんの話をするんですよ。 それは何かっていうと、自分自身は死ぬのが怖くないと。 じゃあなぜ怖くないかっていうと、自分自身もご先祖様の一員になって、 自分の末裔たちから祈られる存在になるから、自分はご先祖様になれるから怖くないんだみたいな言い方をするっていう。 やっぱりそれも家の中に自分を位置づけるから、決して死も怖くないし、 先祖代々この守ってきた家を大事にしようっていう意識が働くみたいなこと。 だけど今の日本人はそういったものに対して違和感ばっかり残ってきて、 もっと物理的な仏欲だったりとか金銭欲みたいなものに行き過ぎて、 多分それを試したのが80年代から90年代、2000年代前半くらいまでだったと思うんですよね。 分かりやすいところでいくと、糸井重達さんの保護日とか、 政府の世存文化とか、欲しいものが欲しいわじゃないですけど、 自分たちのものとしての豊かさみたいなものを今日実際にできれば、 そこに新しい永遠の同伴者みたいなもの、心の拠り所みたいなのが立ち会われるだろう、 っていうふうに多分思ったんだと思うんですけど、 でも蓋を開けてみたら、より虚無感というか孤立感が高まるだけっていうところも、 多分見えてきてるのが2000年代の、2020年代とか今だと思ってて、 だから何かここが何かっていうのは本当に分からないです。 でも何か分からないけど立ち止まってもいられないから、 自分自身でコミュニティを運営してみて、 QI型は多分今間違ってるなとは思いながらも、 でも何かなってことを考え続けることは大事だなっていうふうに思っているというのが、 まさに今って感じですね。 ちょっと次のチャプターいきますね。 # チャプター 2 はい、という感じなんですけど、いかがですか? はい、なるほど。 なんか、そうですね、でも、なんか、その前に言ってたのは、なんか僕は、なんか、そのー、なんていうのかな、草を、なんだろう、なんか、そのー、なんていうのかな、 仮に取るわけじゃないけれど、なんか、これ全然違かったら違うって言ってくださいね。なんかその盛り上がってたら、なんかこう、溝をかけるじゃないけれど、なんだろう、なんかそういう、両方のことをやってるみたいな、 あー、はい、うん。 なんていうのかな、ことをやってるみたいな、なんていうのかな、例えば、盛り上がってたらちょっとなんかこう、進めるじゃないけれども、なんかそういうことをしてるみたいな話をされてて、 はい。 なんかその、和製サロンっていう場所を、なんかある種、居場所とは考えてないみたいなことを話されてたかなーって思ってて、えー、なんだろう、ある種、なんだろうな、神社と思ったら違うけれどみたいな、そういうなんか感覚があるみたいなことを若干話せたことがあって、 あー、ありましたよね、みたいな感じのことを思ってて、なんかそれを聞いた時にも、なんかこう思ったのが、なんか私の中で、この永遠の同伴者っていうのが、なんか透明で、なんか鏡みたいな存在っていうか、なんかその空っぽみたいな、なんかブログにも書いてあったんですけど、 はい。 たぶん小学生くらいまでやってたと思うんですけど、水を変えてて、で、なんだろう、まあ、わかんないけど、手を合わせて、で、なんか今日も頑張ってきますみたいな感じのことを言って、学校に行ってたなーと思ってて、で、あの時の感覚っていうのって、なんか別に、誰もいるわけじゃないじゃないですか、誰もいるわけじゃないんだけれど、 なんかこう、自分のことを、たぶん私は父親とかが、なんか何か大会とかで緊張するみたいな、試験とかあったりとかする時に、なんかこう、大丈夫だよ、今まで頑張ってきたから、ちゃんとおじいちゃんとかおばあちゃんが、なんかこう、見守っててくれるから大丈夫だよ、みたいな感じのこととかも、言われたりみたいなこともあって、なんだろうな、なんかあの、その手を合わせる感覚っていうんですかね、 なんかその、特に何かないけれども、そういう、なんかこう、水を変えて、手を合わせる、で、そこになんかいろいろ自分の中でも、こみ上げてくるものとか、なんか向き合うものみたいなところとかが、こう、現れてくるっていうか、なんかそういうのはすごくあったなーって思ってて、なんかそういう、なんだろうな、ある種、その永遠の同伴者っていうのは、なんかこう、 それが、時間だったり、存在だったり、場所だったり、わからないけれど、なんかこう、透明なものなのかなーっていう風に思ったんですけど、どう思います? いやー、ほんとそう思いますね。なんかあの感覚を今の時代に言ってしまうと、なんだろうな、非科学的であるとか、なんだろうな、もうそういう宗教とかじゃないからって話になりがちだと思うんですけど、でも、そこには確かにあったものっていうのもあるじゃないですか、一方で。 なんか僕も、自分の祖母はものすごく信心深い方で、毎日その仏壇にも神台にも手を合わせるって人だったんですけど、なんかそれを見てる両親、父と母は、やっぱりそこ、なんかどっか白い目で見てたんですよね。 白い目っていうか、いつの時代引きずってんだよみたいな感じだったんですけど、でも、それを見て僕も、父と母が言ってるんだからきっとそうなんだろうって勝手に思い込んでて、なんかその、僕が感じていたその父母の信心深さに対する神秘性っていうか、 なんかこう、意見の根みたいなものを、なんかその親がそう言ってたから多分あれは違うんだろうって思って蓋してて、なんかそれが20年30年経ってきて、やっと今、なんかあれも一つの大事なことだったんだなって思える。 なんか自分の個人の意見として、親がどう言おうと自分はそう思うみたいなことをやっと思えるようになったなーっていうのはなんか最近あって、なんかあの感覚みたいなものを、今そのまま持ち出してきても誰も共感しないだろうけど、 ああいう重要性みたいなものを、なんか新しい形で見えるかできないかな、見えるかっていうか、その永遠の同伴者みたいな言葉を置くかどうかわからないですけど、その真ん中にある無色透明だったりとか、空っぽのものを立ち上がらせることができないかなーみたいなことはすごい考えてるんですよね。 さっき和製サロンの話と絡めてくださったので、和製サロンで何やりたいかっていうと、80年代90年代っていうのは、たぶんその個人の中にある共同体が失われているという欠落感みたいなものを埋める形でやってたと思うんですよ。 物で。物とか何かそういった儀式めいたこととか、パーティーとか、晴れの日としてのレジャーとして、この欠落感をどうにかして埋めようみたいな感じでみんなお金使ってたんだと思うんですけど、でもそれじゃ埋まらない欠落がやっぱりあるよねっていうところで、なんか僕はこの欠落とそのまま向き合うことみたいなことがすごい大事なんだろうなと思ってて。 なんかその心地の中にあるその欠落をどうにか見てみるふりとか、無理に埋めようとするんじゃなくて、ただ隣にいるものとして認識できないものなのかなっていう。それっていうのがきっと永遠の同伴者みたいな、千と千尋の中でいう顔なしみたいな存在で千尋の横にすっといるみたいな。 最初はよくわかんないものとして怖かったし、自分を襲ってきたりもするんだけれども、そうじゃなくて、最終的にはすっと横にいるじゃないですか。なんかあれって僕、永遠の同伴者を獲得したものの一つのメタファーとして言えると思うんですよ。なんかああいう感覚みたいなものを、皆さんそれぞれ個々人が得られていくためにはどうすればどんな場があればいいのかとか、どんな体験とか、どんな他者との交流があればいいのかみたいなところを考えて、湯婆婆としての役割を果たしたいなって。 なるほど。書いてありましたもんね。そのブログの中にも、なんていうか、その欠落と向き合うことというか、その欠落、村上春樹さんの言葉を引用されていて、その欠落それ自体が自分自身であることみたいなところはものすごく刺さったなぁと思って。 私もある一定の時までは、自分自身のこういうところを直してこういう風にしようとか、それにすごいどうにかしてこうしようみたいなところがすごくあったんだけれども、今でもできてるかどうかは全くわからないんですけど、それそのものを受け入れていくっていうか、 向き合うっていうか、そういう風にそれそのものを見るというか、それをやっていくことの方が難しいことではあるけれども、それがあるからこそ考えられたこととかいろんなことがあって、それをなかったことにしたくないなとか、 それをなくして、見ないようにして、私こうですとかじゃない方でやっていくことなんだろうなっていうのは、ここ数年でちょっと腑に落ちたなと思うことがありました。 そうなんですよね。だからなんかそれがちょっと不気味なものでもあるから、なかったことにしたいとか、見なかったことにしたい。その見なかったことにするために、より脅迫的なことを求めていくっていうことだと思うんですよね。もしくは刺激的なジェットコースターみたいな人生を求めていってしまうんだと思うんですけど、でもそれをすればするほどむしろ追われてくるような存在でもあると思うんですよ。 本当に顔なしでそういうふうに描かれているなと思うんですけど、なんかあの感じからすっと横にいるだけの存在で、別にお互いに干渉し合うわけでもなく、なんかただ隣にいたいよねっていう、銀河鉄道の夜みたいな電車の中に2人が座っているシーンあるじゃないですか。なんかあのイメージなんですよ、僕としては。 なるほど。いや、めっちゃわかりやすいですね、顔なしのメタファー。 よかったね。 顔なしのメタファー、なるほど。 なんかいろんな人が、もちろん宮崎駿さんだって、その前には宮沢賢治の銀河鉄道の夜からもメタファーとして描いてきているだろうし、なんかいろんな人があの重要性みたいなことを手をかえしなおかえ言ってくれてるなって思うんですけど、なんか僕らはそれを受け入れられなくて、先んだ先んだって言っちゃうっていう、なんかそこの難しさですよね。 なるほど。 いや、なんか永遠の同伴者がすごいだいぶ具体的になってきたなっていう。 本当ですか。 はい。 じゃあ今日も一応目的はちょっとでも果たされた感じですかね。 はい。 じゃあ今日はそんな形で永遠の同伴者について話してみました。ありがとうございました。 ありがとうございました。 はい。 もっと見る鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!09:421.チャプター 109:382.チャプター 2コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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