TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティ【対話】古民家の魅力って何だろう?ゲスト:建築設計士 黒木さん・イケウチ 益田さん1:04:58 2025年3月24日 569再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次古民家の魅力とは何か?黒木さんと探る丁寧に紡がれる空間と人の繋がり古民家再生、その難しさと喜び100年、200年…時を超える魅力古民家の未来、そして継承への思いAI文字起こし(β版) # 【対話】古民家の魅力って何だろう?ゲスト:黒木さん・益田さん 今日はゲスト会ということで、建築設計師の黒木さんと池町が肉の増田さんに来ていただきました。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 今日は、小民家の魅力ってなんだろうということで、この3人で対話していきたいなというふうに思うんですけれども、 まずは増田さんの方から、今日このきっかけを作ってくださった増田さんなんで、ぜひ自己紹介とともに、 今日の意気込みというか、ぜひいただけると嬉しいです。 ありがとうございます。自己紹介させてください。私は池内オーガニック、今治のタオルのメーカーで、 鳥居さんからよく名前は出てくることが多いかなと思うんですけど、池内オーガニックで営業の統括をしています。増田と申します。 鳥居さんとは、私、なんでやってんにゃろうっていうポッドキャスト番組を、 池内オーガニックと坂の途中っていう有機野菜の会社さんの代表と一緒にポッドキャスト番組をさせてもらってるんですけど、 そこのディレクションを鳥居さんにお願いしたりだとか、 いろいろ企画で困った時とかにすぐにトントンってするのが鳥居さんというところでお付き合いさせていただいてます。 せっかくやしみんなで集まってお話ししたいねっていうところで、 今日来てくださっているのが建築設計士の黒木さんです。 黒木さんと私はどれくらい前から仲良しなんやろうなと思って、 いろいろ自分のメッセンジャー、一番初め何年からつながっているのかなと思って見てたら、 2013年にメッセンジャーが始まって、 でもその前から多分、顔見知りというか、知り合いではあって、 ただすごく本当に私にとって面白い人で、いろんな魅力があらはる人で、 生き抜きのタオルのことも愛してくださっているので、 すごく今はウチプチのイベントとかにも来てもらったりとかして、 この前も気持ちいい空間とタオルのお話を東京スタバでイベントしたりだとか、 そこでお話ししてもらったりだとかで、本当にいろんなことを相談もするし、 家族みたいな人やなというふうに思っている。 お父さんみたいな、お兄ちゃんみたいな、そんな方やなというふうに思っています。 はい、ありがとうございます。 この講師の中では本当に何度も生き抜きのタオルともご紹介しているし、 何でやっているんだろうも結構お話ししているので、知ってくださっている方も多いかなと思いますし、 黒木さんのお話も僕は勝手にさせてもらっていて。 そう、この間びっくりした。 どれですか? 黒木さんの魅力を語るっていう。 はい、小野寺さんと一緒にやったやつですね。 こんなことあると思って。 聞かせていただきます。 ありがとうございます。すみません。 マザービーが多かったですね。 いや、あれも本当にたまたま偶然というか、 小野寺さんと定期的にゲストから出ていただいてやっているんですけど、 小野寺さんがイベントの感想をお話ししたいというのと、 黒木さんのお話にすごく感銘を受けたらしいと思って、 じゃあそのお話ぜひしましょうということで話させてもらった感じなんですけど。 自分でどう、自分が考えたり動いていることがどういうふうに映っているかという機会というのはなかなかないので、 そこをそういうふうに捉えてもらっているんだというのは改めて大事だなと思いましたね。 最初照れくさいかなと思ったけど、むしろそっかいろんな見方あって、 幸運のことを言ってくれているんだというのはありがたいなと思いましたね。 あんまりだってね、お友達とかだったら普通にしゃべったりするけど、 この前のイベント来てくれた人がああいう感想を声で残してくれたりすると、 そういうふうに見えていたんやとかって気づきになりますね。 本当にそうですね。 確かに、イベント来てブログを書いてくれるとか、 SNSでシェアしてくれるとはまた違う感想の取り方ですよね。 そうです。 ありがとうございます。黒木さんから簡単な自己紹介というか、 開けられているお話とかぜひいただいていいですか。 僕は建築設計士という形で、 今日は小民化の話というのもあるんですけども、 15年ぐらい前から各地の小民化再生のプロジェクトにずっと関わらせてもらっていて、 最近はちょっと拠点が京都なので京都の仕事が多いんですけども、 もう十数年間は各地にほとんど飛び回っているような状態で、 街づくりのプロジェクトのディレクションだとか、デザインなんかをさせてもらっていました。 なので改めてこの15年ぐらいの小民化の移り変わりだとか、 魅力って何だろうなということを振り返る今日がまた機会になるというのは、 僕にとっても大事で嬉しいなとは思っていますので、 東京でまたこうやって顔合わせて話ができるというのはいいなと思いますね。 ありがとうございます。 僕自身も黒木さんが手掛けられた小民化だったり、 泊まらせてもらったり見学させてもらったりということをよくしているんですけど、 本当やっぱり素晴らしい建物がいっぱいあるなというふうに思っていて、 ぜひ黒木さんとは、今小民化に興味を持っている方もすごく多いと思いますし、 自分らしくリノベーションして、 自分の暮らしをそこで作っていきたいと考えている若い人も増えていると思うので、 その人たちにも向けて小民化の魅力ってそもそも何だろうねみたいな話ができたらいいなと思っていて、 増田さんいかがですか?小民化の魅力。 私が語るんですね、小民化の魅力まずは。 そうですね、本当に黒木さんといろいろな地方の黒木さんがされたお宿さんだったりに、 うちのタオルを入れてくださることが多かったりとかして、 うちのタオルがとにかく似合うなっていつも思います。 ほんまに似合うなってなんでやろうと思った時に、 うちのタオルもすごく丁寧に作られていて、 黒木さんは丁寧にその場所だったりその土地だったりそこの空気だったり、 丁寧に付き合いを重ねた春から、 だから黒木さんが作られる空間に入った時に、 まず丁寧さを感じるんですよね。 だからうちのタオルはすごく似合うんだなって思ったりもしてます。 鳥井さんも一緒に京都の稲町にある小民化という、 小民化ですね。 船屋と言われる建物を黒木さんがディレクションされているんですけど、 そこに一緒に行きますよね。 あの時もだし、あと岡山県の福屋という高橋市ですね。 赤いベース柄の街。 あそこで鳥井さんも一緒に泊まった時に感じるのが、 本当にドアを開けてまず小民化を見て、 わあすごいここに京都もあるんやって思って、 ドアを開けたらものすごく素敵な空間が広がっていて、 スプライだったり、あとはちょっとした一輪挿しに入っているお花だったり、 本当にすごい素敵な空間。 とにかく素敵。わーってなる。 そういう空間で、まず黒木さんと行くと、 鳥井さんも気が張ったと思うんですけど、 建物の説明がついてくるじゃないですか、ツアーみたいな。 屋根がこうでね、この梁は昔こうでね、 そういうお話を聞きながら、 まずは建物を思う存分楽しむ。 楽しむ時間があった後、地元の人たちみんなでお食事会をしていると、 さっきまで一輪挿しで、わあすごい素敵と思っていたり、 室内だったり、両部だったり、いろんなものがお話に集中できるから、 見えへんくなってしまうというか逆に。 素敵な空間にいることっていうのはわかっているんだけれども、 そのお話、一個のテーブルでみんなで集まったお話を始めると、 そこの空間にいることを忘れるくらい夢中になって、 だから全員が家族みたいになるって思っていて、 なので黒木さんも鳥居さんも私の中ではもう家族、ファミリーみたいな、 なんかそんな気持ちになりますよね。 朝、あそこで泊まって朝おはようってみんなで言うだけで、 それぞれの部屋から出てきて言うだけで、 私も顔とかも全部すっぴんになって、 パジャマのままおはようみたいな感じにすぐになれるっていうのは、 初めて会った、それこそモンちゃん、モンさんとかも、 一気に家族になれるみたいな、 あの空間がすごく私は不思議だと思うし、 あれは普通のホテルとかで泊まっても、 朝食会場でおはようっていうのも、 それはそれですごく素敵なことだけど、 なんかあれは本当に不思議な空間、不思議な時間だなっていう、 そこがなんかずっとそこで生活が営まれてきたのか、 何百年、百年、二百年とか、 何がそうさせるんだろうなと思うけど、 ずっとその建物の中にいろんな今までの時代の人が暮らしてきて、 そこで同じように遠隔なのか、 囲みながら話をずっとしてきたのが続いているのかなっていうのは、 なんか私は思ったりしてて、そこが魅力かな。 確かにそうかもしれないですね。 なんかこう入った瞬間からちょっと落ち着く感じもあったりとか、 やっぱりそれは新宿のホテルにはない魅力ですよね。 だからこそなんかそこの染み付いている匂いというか空気みたいなものに 思い出されながらお互い家族みたいな雰囲気が、 疑似家族的な雰囲気が出てくるっていうのが、 本当その頃だなと思います。 それで夜にいっぱい根性というか、いっぱい喋れちゃうというか、 素直になれるというか、 なんか黒木さんが京都で携わっているところで、 昔豆どん屋さんの建物があって、 いまだにコロコロコロって豆が出てきたりするんですって。 トトロのどんぐりみたいですね。 だからやっぱり丁寧にってさっきも言いましたけど、 丁寧にバトンをもらって丁寧にバトンを渡す、 みたいなところにあるんやろうなっていう。 昔からの人並みの人たち。 100年前も同じようにみんな集まってお茶したかったやろうし、 それが私らも今してるんだろうなって思ったり。 10年後、20年後、 じゃあまた別の人たちがそこでお茶をしたりするんだろうなと思ったり。 確かにほんとそうですね。 それです。 もう出ましたか答えが。 出ましたね。 開始後。 でもそういうことじゃないかなと思いますね。 コミカの魅力って言葉で、 僕もなかなか答え探しにくいなと思うんですけど、 一つは古びないっていうことが自分でいつもあって。 もう100年経ってるから、 10年、100年とか200年とか、 一番僕が関わって古いものは270年なんですけど。 270年って何時代? 江戸の江戸古。 江戸古。 だからもう10年経ったとか20年経ったとか、 もう古びないんですよね。 ただそこにまだいてくれるかどうかだけの話で、 新しいものは古びたりだとか、 時代によって流行りがあったりとか、 空間ってそういうものが一番象徴的に残るんだと思うんだけど、 コミカに関わらせてもらって、 僕のデザインだとかインテリアのテクニックじゃなくて、 古いもの磨いたらこんななりました、 みたいなことが一番ポイントじゃないかなと思って、 僕がかっこよくデザインしましたとかっていうことではなくて、 みなさん磨いて掃除したらこんなになりました。 やっぱりかっこいいですよねっていうところに、 そこにもともとあったものが、 今の現代にもう一回ちょっと使いやすく浮き出てきた、 みたいな形だから緊張感もなくて、 コミカっていうかミンカなんでね、 お家なんでみんなが集っておはようって言って、 当たり前のことがもう一度行われたときに、 ちょっと新鮮だったりするんだと思うんですけども、 それがみんなに染み付いてるから、 抵抗なく家族みたいになるんですよ。 別荘を借りてみんなで泊まりに行きましょうって、 ちょっとなかなかピンとこないけど、 コミカ泊まりに行きますかとかって言うと、 そこにちょっとハードルの低い家があって、 でも泊まってしまうと、 誰かのお家でゆっくりしてるみたいな、 居心地があるので、 コミカっていいなって思いますね。 京都だったら京町屋って言って、 コミンカとあんまり言わないんですけど、 もともとお商売やってるお家が、 前の部分で商売やってる、 後ろで住んでるとかって、 でもやっぱりその町屋で一緒に泊まったりする人たちとは、 なんか仲良くなったというか、 やっぱりその一時印象的だなって今でも思ってるので、 そういうものが各地のプロジェクトでできたらなっていうのは、 ずっとあったので、 今松田さんが言ってくれた、 はるこさんが言ってくれた、 そこでなんか感じたみたいなのは、 やっぱり一番僕も嬉しいし、 しっくりきますね。 魅力って空間っていうよりも、 その時間みたいなところがコミンカなんかなと思いますね。 いわゆる劣僧的なちょっとラグジャリというか、 非日常を味わいに行く空間と、 コミンカに行った時に生まれてくる、 家族的な繋がりみたいな感覚って、 具体的にというか、 どのあたりからそれが出てくるんですかね。 何か意識されてることあるんですか。 変える時というか、 イノベーションする時に、 それが残り続けるためには、 やっぱりこれがなければいけないとか、 ここのあたりを大事にしてるみたいなのってあるんですか。 そうですね。 いろんな町に行かせてもらってるので、 京都から行って、 京都を出してはいけないと思ってるので、 その町のその民家とか、 その町並みに残ってる建物の特性って何だろうなっていうのは、 たくさん見させてもらったり、 時間的にもかけて、 物件的にも見させてもらう機会があるので、 そこで自分の中で整理していくんだと思うんですね。 これだっていう答えを見つけるというよりも、 何かここに似合うのは、 こういうことなのかなっていうのは、 僕一人で見ないんですよ、その建物は。 行政の人と一緒に行ったり、 その町で何か関わろうとしてる人たちと一緒に見て、 僕の視点ではこれすごいですね、 これいいなって言ってるけど、 でも僕と同じところにみんなが反応してるわけじゃないんですね。 こんな僕は当たり前だし。 だけど同時にこう見えるのかとか、 なんかそこでその建物を改めて、 みんなにとっては久しぶりに見た町の人たちからすると、 もうちょっと置き去りにされたようなものも、 そういうプロジェクトで関わると、 久しぶりに見てみたら、 そう言われたらすごいなとか、 同じところに価値を感じたり、 あるいは僕と違うところに価値をお互いに感じあったりする時間で、 僕の中でチューニングをしていて、 建物と向き合ってるっていうよりも、 この町の人たちがなんか最終的に、 やっぱこれこれっていうものってどうなんだろうなって、 多分そっちと合わせて空間作りをやってるので、 なんか一人で建物をずっと通っても、 多分答え出ない方が良かったんだろうなと思いますね。 というか作ってる最中に、 他の人たちの目線とかもしっかりと取り込みながら作ってるから、 そこに家族的繋がりみたいなのが生み出されやすくなりやすい。 なんとなくみんなのものに、 町の人たちのものになるのが、 うちの家だとか、 うちの町の家だみたいになってるんじゃないかなと思うんですね。 綺麗にかっこよく作って、 かっこいいのできました。 これも一つの形かもしれないんですけども、 僕ができれば関わる人たち、 公共のプロジェクトがほとんどだったので、 その関わる人たちがこれこれ、 僕たちの作ったものはこれだとか、 俺たちがやったみたいなところになってるのが、 自然にこれまでやった古民家を、 新たにもう一度使い続けるものに、 自然にシームレスにそこに持っていけると、 手を加えるのも彼らができるし、 使い勝手悪かったら直すのも多分できると思うんですけど、 かっこよくやるやり方は多分みんな設計師も知ってるんですけど、 その後触るやり方ってあんま教えてくれないんですよね。 なかなか触れるように持っていっておくと、 本当はこうしたかったんだよなっていうのが、 5年後出てきてやり始めるみたいな。 そういうのが家であり、 家の魅力をそのまま本当に形にしてるのは、 そういうところかなとは思いますね。 確かにそうですよね。 家って完成して引き渡しですけど、 そこから住み始めてやっと家になっていくっていうところがあると思うので、 その余白が残ってるっていうのがすごく大きいと思うんですよね。 やりきっちゃうと、もう触っちゃダメみたいな。 ここも綺麗に塗ったから触っちゃダメ。 汚れたらどうしたらちゃんと塗り替えてみたいになると、 もうちょっとおぎおぎおきしないとダメじゃないですか。 デザインされた空間。 新しく作った小民家プロジェクトみたいな。 でも新旧をあんまり恐れずに、 ここはもう古いけど良さもあるし、 ここだけ塗るねみたいな。 お金できたら塗ろうとか。 でもそういうのをいっぱい入れておくと、 触り方をみんな想像できちゃうんですね。 自分たちのものにどんどんなっていくのが、 家らしさなんだろうなと思うので、 できればこのプロジェクトではそっちを言葉にしないんですけど、 こうやって振り返ると言葉にしていいかなと思うんですけど、 それを仕掛けって言うとちょっと嫌じゃないですか。 結果そうかなと思います。 完成させてないんやね、きっと。 自分の中では完成って思ってるけど、 ミッションとしてはね。 ミッションとしては完成やけど、 そこからやっぱり手が加わっていったりとか、 そこに入ってくる人たちがいたりだとか、 それこそが私結構ほんまに魅力やなと思うのが、 黒木さんが作られる空間に入ると、 建物を勝手に壮大なことを思ってるんやけど、 建物が続いていくために、 自分もそこの一員になれたみたいな、 ユミって言ってること分かります? 泊まりに行くことによって、 また一日そこの建物が生き延びるじゃないけど、 それが一員になれてるなっていう、 このコミュニカが続いていくためのというか、 私たちは外からお邪魔しますって言うと、 そこの空間を大事に大切に保存というか、 大切に繋いでいらっしゃる方が お帰りって言って迎えてくれる。 そこにやっぱり入ることで、 自分も仲間になれたというか、 次に渡せることができるようになったっていう気が すごいするのが、 関わってる感じがすごいするんです。 それは一番僕にとっては嬉しいですね。 建物の魅力とかデザインがあって言ってもらうより、 一緒に大事にしてもらえるみたいな 人が増えるっていうのは残るじゃないですか。 かっこよくても使いにくかったり、 人が変わったら価値観が変わる。 だとやっぱりまた大きく触らないといけないけど、 磨いたらこんなの出てきましたって、 もっと磨いていいのとか、 このままでいいじゃんっていう、 なんとなく完成形じゃなくて、 普通にたかが家がっていうところが僕の中であって、 でも残ってきた家ってすごいなと思うし、 できれば壊さずに次の代までは、 この30年くらいは使えるようにしておくと、 また次の人がこうしたいなとかって言って触って、 ずっと来たものだから、 その形で渡せるようにしたいなと思うので、 触れるように改修をしたいなと思ってます。 そこがコミュニカの魅力、 つくろいを許す空間がコミュニカの魅力かなと思いますね。 受け渡していくときの一員になれるみたいな感覚って、 多分コミュニカに泊まりに行くときすごいあるなと思ってて、 いわゆるホストゲストじゃないじゃないですか、 もっとそれを大事にしてきた人と、 共にそれを大事にする営みに参加させてもらうみたいな、 ちょっとお邪魔させてもらう感覚みたいなのもありますし、 ただお金払って終わりじゃなくて、 それでも気になる存在にもなっていくし、 その辺りがコミュニカと一般的なホテルとかとの違いにもなってくるんですかね。 そうですね、本当その通りだと思いますね。 やっぱりここまで残ってきたものだから、 いろんなものがありますよ。 いろんな時代を経てここに来たものだから、 空間としてはホテルとか、 綺麗にカッコよく作ろうと思うと、 ある程度計算されて作れると思うんですけど、 コミュニカを改修しても計算通りいかないんですよね。 もともとの柱も梁も、 なるべく構造体に関しては無理させないようにしようとか、 予算も限られているけれども、 とてもコストがかかったりする部分もあるので、 なので、何でしょう、 邪質に入るみたいに、 パッと見ても、 要素がたくさんあると、 一律わからないじゃないですか。 全部捉えきれない。 パッと見て、すっきりカッコいい空間って、 分かったみたいな気になる部分はあるんですけど、 コミュニカって分かった気にならないんです。 見る場所によって全然見え方が違うし、 計算されてない余白みたいなものが、 勝手に出てきちゃうんです。 もともとあったから。 それが使っている中での魅力というか、 緊張感を持たせない、 無駄だということはないんですけども、 そういう空間作りになっている。 かかる人によって使い方が変わったり、 居場所が変わる。 ここに座りなさい、ここに座りなさいという、 計算されたカッコいい空間だと、 そこが一番いいよねってなると思うんですけども、 コミュニカってなるべくどこにいてもいいように、 僕は作りたいなと思っているので、 だから体制的に疲れたらこっちでゴロンとするし、 ゆっくりしっかり話したかったら、 こっちの椅子でみたいな、 自分で選ぶ場所みたいなのがコミュニカは、 僕は作りやすいなって思いますね。 マストさんは黒木さんの作られたコミュニカによって、 計算された余白とか、完成しきっていない感じとか、 関わる余白みたいなのがどこに感じられます? 具体的に。 そうですね。 さっき黒木さん言われたみたいに、 たぶんその建物には、 もう代々家族がいて、 その家族が旅立って行ったりだとか、 東京に行くとか、 みんなのそれぞれの人生でまた帰ってくるとか、 繰り返されてきた場所だと思うんですね。 だから、 本当に初めましての人とかも一緒に泊まるときとかに、 それが許されるというか、 みんなで円卓をたこんで、 全員で喋ろうっていうのではなくて、 一人は本を読んでたりとか、 違うソファーで、 それぞれの時間を許されるというか、 みんなでここで飲むし、 みんな集まって、 じゃなくて、 一人はテレビ気になるし、 上の部屋で本読むのか、 お庭見るのか、 みんな好き勝手で、 今からお風呂に行ってくるわみたいな。 それが許される場所だなっていうのはすごく思ってますね。 それは多分そういう暮らしが続いてきたから、 そこに入ったときにも、 みんなで暮らしを続けていけるかもしれないなと思います。 僕がみんなとずっと一緒にいるのが苦手なときがあるからかもしれない。 そうなんですか? 面白い。 みんなで話すのは楽しいけど、 ふと一人が疲れたって言って、 寝に行ったりとかしてくれたらいいなとか、 自分もそうできたらいいな、 それは本当にリラックスできている状態だと思うので、 みんなで喋るってレストランだとか、 そういう限定された場所では自動的にそうなると思うけど、 家ってどこでもダラダラしていいよみたいな。 家っていう役割を顧民家は果たしてもらえたら、 きっとまた帰ってくるとか、 おかえりみたいな扱いになるかなと思うので、 そこは意識していましたね。 どうしたらそうなるかは実はよく分かってないんですけど、 運営者がいるプロジェクトが多かったので、 そこに地元の人が運営するだとかっていうことは、 この顧民家の宿はこういうふうに運営してくださいというよりも、 みんながこれこれみたいな、みんなで作ったものだから、 もう言わんでも分かっていると。 京都の黒木に言われなくても、 一番分かっているのは自分たちだっていうことになっているんですね。 なのでこっちが迎えてもらうみたいなことになると、 よかったと思ってもみんなのものになっているから、 それはいいだろうこの家みたいに自分のものとして紹介してくれて、 いいだろうっていう人の話って僕は好きなんです。 この建物もいいだろうとか、この街いいだろうとか、 何もないけどこれいいだろうっていう、 ちょっとプチ島みたいな話って僕には心地よくて、 作ってもらって預かっているんじゃなくて、 俺らのもんだ、私たちのもんだ、みたいなものが、 やっぱり私が使ったり、次に私が使ったり、 大きな手を加えることも許されるみたいな、 大事に大事にじゃなくて思いっきり使ってもらえるものになるっていうのが、 顧民家の魅力かなと思いますね。 バラバラなことをしていても、 共にいられる空間っていうのは本当そうですよね。 顧民家の魅力として。 しかもそれが日本家屋の特徴なのか、 基本、可変性、自由であり、 しかもその細微っていうのは、 フスマぐらいのテンションじゃないですか。 音も聞こえるし、視界にも入るしみたいなことの中で、 でもそこでお互いの気配を感じ取りつつ、 でも別々のことをしているってことで、 共に空間にいられるっていう、 でも同じことに集中しなくていいみたいなのは、 すごい重要な点で、 多分それは西洋建築になると、 もっとちゃんと壁で仕切られたりとか、 重たい板で仕切られるんですけど、 そのためにリビングがあって、 みんなリビングに居ましょうになるわけじゃないですか。 部屋に入るときにはプライバシーの空間みたいな、 そうじゃない日本家屋の特徴ってありますよね。 そうですね。 やっぱりそんなに一人一人のスペースが大きくないから、 余計にそういう柔軟な場所が必要なんだろうと思うんですね。 ちゃんと個室があってゆったりとあって、 中にトイレもあってっていう空間であれば、 その中でフリーになれるかもしれないけども、 日本家屋、昔の家でもそんなにそこまで大きくないので、 みんなで泊まると、 ちょっと居場所限定されちゃうとちょっと窮屈なんですね。 でも寝室に行ったり、 玄関周りでちょっと外見たりだとか、 庭が見える縁側でうろうろすることで、 それぞれ交差をしているけれども、 自分の時間をどんどん使っているみたいなっていうのは、 なんかコミカというか日本家屋と。 あと同時に仕掛けとしては、 それを許すというかな。 僕はそこにライティングの役割があって、 なんかちょっとバッドどこも一応に明るくとかじゃなくて、 環境というか、 ここを座る場所、ここをくつろぐ場所みたいな、 ちょっとサインみたいなものも入れながら、 でも限定しないみたいなことで、 ライティングとかでそういうのはなんとなく誘導されるのかなと思います。 なるほど、そこがライティングとつながってくるんですね。 そうですね。 見せるものを照らすということじゃなくて、 なんとなく居場所、遠くを測りつければ広く感じるし、 全体が明るくすると距離は自分で測れちゃうけど、 それをさせないというか、 そこの調整みたいなもので、 よくわからないけど居心地いいわみたいな、 よくわからないようにしていることがあるかもしれないですね。 うちの東京ストア、京都のストアもそうなんですけど、 ライティング、今黒木さんにお願いしていて、 さっきお話しされていた、 その街に似合うことを見る、 さっきおっしゃっていて、 それは人を見ていたり関わる人を見ていたりというお話を黒木さんされていて、 うちのライティングもタオルを照らすというよりかは、 もちろんタオルを照らしてもらいたいんだけど、 タオルが主役やし、 でも私はすごい印象的で、 スタッフも今日も黒木さんに会って、 あの話は本当にキュンとしましたって言って、 すごい喜んでいるのが、 黒木さんはスタッフの顔をちゃんと見ながらライティングをするというか、 タオルが当たる光、 ここっていうのを自分でタオルを光らせて決めているんじゃなくて、 スタッフが目がちょっと、 このタオルめっちゃ綺麗になっている、 見えるとか可愛く見えるっていうのの顔を見て、 そこで止めるって言ったはずなんですよ。 そういうのってやっぱりそこに関わっている子たちとかね、 うちのスタッフたちのそこを大事にしてくれているっていうふうに思うと、 なんかますますその空間にいるのが楽しくなるというか、 スタッフもそういうところを街の関わる人を見ているっていうのは、 ライティングのスタッフを見ているっていうところにもつながるんやなと思って、 さっき聞いてました。 でもシンプルな話で、 その魅力を一番よく知っているのは誰かで、 その人が判断するのがきっと一番いいだろう、 それは僕じゃないっていうだけの話で、 建築っていう専門家であっても、 その建物の魅力をこれだって決める力はないと思っているんですね。 かっこよく作るとかじゃなくて、 その魅力何っていうのはやっぱりそこに関わっている人たちだとか、 住んでいる人たちだとか、 そこを生かそうとしている人たちの方がきっとよく分かっているから、 そこを見ながら関わるっていうのは、 それはしてきたことでもあるし、 自然な感覚かなと思うんですけどね。 少なくとも僕じゃないっていう、 そこの価値を決めるところはありますね。 しかもそこがスタッフの皆さんでもあるってところが素晴らしいんですよね。 池地代表とか、その魅力を一番分かっている人の その人のこの正解っていうものを作ろうとするんじゃなくて、 関わっているスタッフの皆さんとか、 その方々の笑顔を優先するから、 そこに居場所も生まれるわけじゃないですか。 居場所というか、関わりしろというか。 もし代表だけの正解みたいになっちゃうと、 すごい美しく完成度高いものになるかもしれないんですけど、 なんかどっかカミソリみたいな、 ちょっと手が切れそうな感じになってくるというか、 そこがいろんな人が関われるようになっているんだろうな、 そういうのを聞いて思いましたね。 路地に巻き込んでるっていうのはありますね。 自分の中でも関わるプロジェクトに関わる人の、 別にプロジェクトリーダーの人だとか、 行政の上の人に確認して聞くんじゃなくて、 自分の会議の中にいる若い人だとか、 あまり意見を言わない人にちょっといいですかって聞きに行くのは、 ちょっとプレッシャーを与えているのかもしれないなって思うことはありますけども、 あなたの意見が聞きたいだとか、 なんかさっき反応しましたけど、 どういうことですかっていうのは結構聞いてきたなと思うと、 声の大きい人の話じゃなくて、 言わないけど持ってる人の話がどれだけ引き出せるかなって、 それをこっちが預かれるかなって、 それでジャッジメントできれば、 きっとその人たちも、 あ、そうそう、そこなんだよなって思う人がいっぱい出てきて、 それはみんなのものに、どうせ僕が判断するものじゃないっていうふうなことって、 やっぱあると思うんですよ。 専門家が入ると、専門家が最終的に、 はい、正解決めちゃおうみたいなプロジェクトがあるんですけど、 僕あれはあんまりうまくいかないなと思っているので、 なのでコミュニティアの魅力、このタイトルをね、 僕が語るって、 コミュニティアの魅力はこういうもんです。 ここを大事に見てくださいね、 じゃないなと思ったんだけど、 トリさんと話すので、 そこはそこで砕けながら、 自分の中で思っていることが、 いろいろ話せるかなと思って、 トリさんはどうなんですか、 クロキさんの空間にいっぱい、 今までいっぱいありますけど、 箱立てもね、 魅力みたいなところってどこに感じたり、 今のお話ともつながるポイントですし、 毎回僕は思い出してしまうんですけど、 クロキさんが教えてくださった、 リビングというか、 今から見えるお庭の時に、 視点をあえてずらそうとするってお話は、 素晴らしいお話だなと思って、 お庭を見て一箇所特等席があるわけじゃなくて、 どこから見てもちょうどいいぐらいに見えて、 その視点がバラバラだから、 みんなが共にいられるんだよねって話をしてくださって、 それとか本当その通りだなと思っていて、 なんかここが一番特等席で、 ここからはあとは下がっていくだけってなると、 やっぱりそこを取り合ったりとか、 そこが中心になっていくじゃないですか。 そこに座った人がたぶんその中で正しい人になるし、 でもそうじゃなくても、 どこにいても同じように平等にそこを味わえるみたいなのは、 すごい良いことだなって思いますし、 京都の日本庭園のお庭とかもそういう風に作られているから、 なんか素晴らしい文化だなって思います。 言いました。 言いました。 それは、たぶん僕は奈良県の五条市っていうところで、 約270年ぐらいの建物の、 コミュニカル再生のレストランを作らせてもらった時に、 一番たぶん最初に思ったのかもしれないですけど、 遠いんですよね。 いろんな町から、京都からも何時間もかかるし、 奈良市からでも1時間以上かかったのかな、当時。 道もそんなに整備されていない。 整備というか普通の道だけど、 高速道路とかはちょっと遠かったので。 人があんまり歩いてなかったんですね、休みの日とかに。 地区300年、400年クラスのものが残っている町で、 300年クラスのものがゴロゴロあるみたいな。 それは開発から、遅れたから残ったっていうことも、 各地のコミュニカルの町並みってのもあるんですけど、 残されたっていうよりも、開発されずに町が変わっていかなかったから。 結果が残ったけど、その結果が残ったものが今は大事にされたり。 だけどレストランを作るときに、やっぱり特等席できちゃうんですよね。 プランを普通にすると、ここは奥の座敷で今が見えるいい部屋ですっていうのはできちゃうんですけども、 わざわざ来てもらうのに、それは絶対ダメだと思う。 どの席も一番いい部屋、一番いい席にしないといけないなと思って、 どの席もその空間の魅力を順番に味わえて、 今度来たら、こんな席もあったんだみたいなことにしないといけないと思ったんで、 あえてその建物、道路からガラガラって入ったところ、一番広いスペースで、 そこにたくさん席が置けるんですけども、 そこから入らずに横に路地を作って、ずっと奥まで入って、 一番奥に、玄関でもなんでもないところに入り口を作って、 一番奥に入って、奥からどんどん前にまた出てくると、 一番さっきまで前にあった道路のところにあった空間が一番奥の部屋になるんですね。 開けたら道路なんですけども、ぐるっと回って大空間にワッと出てくると、 やっぱりこの豊かな空間、これ持ってるんだ、かっこいいなみたいにできたと思うので、 そういう意味では、特に地方のお店が少ないところに、 特の人を呼ばないといけないときには、わざわざ来てくれた人に、 全部いい席、特等席にしないと、これは絶対いけないな、 これは設計士ができることなので、そこを意識しましたね。 京都市内だったら、あんまり意識しなかったかもしれないですね。 また来れる店ならそうじゃなかったかもしれないけども、 なかなか行けないところだから、絶対その機会をいい時間にしてもらうと思ったら、 そこ大事だなと思って、それが15年くらい前かな。 そこからのいろんな勉強させてもらう機会はあったかもしれないですね。 素晴らしい工夫ですよね。 そういう創意工夫があったんだろうなって思いますし、 でも今って、一番特等席を分かりやすく作って、 そこをVIP席とかファーストクラスとかにしちゃって、 そこに一番お金払える人がいてもらって、 その人たちのお金によって、お祭りとか居場所とかを作りましょうみたいな話になってるじゃないですか。 でも本来はきっと、どこの特等席じゃないみたいな見せ方をしつつ、 みんなで作ってるってすごくあれですけど、 でもそういう考え方があったんだろうなっていうところから、 どんどんどんどん特等席的な思考の方が強くなっちゃってる感じがしますよね。 そうかもしれないですね。 でも建物の魅力って、やっぱりさっきコミュニカの中でね、 どこがいいっていうのはあんまりないっていうか、 それがそれぞれにあった方がいいと思うように、 残ってきた古い建物って、僕が計算通り完全にデザインして作ったわけじゃなくて、 あったものを活かして磨いてっていうことをすると、 やっぱりそれぞれ魅力と感じるところがかなり違うはずなので、 そこをうまく感じてもらうためには、 僕が計算してない部分をいっぱい残しておいた方がいいなと。 ただそれはちゃんとオペレーション上しっかり成り立つようにっていうところの、 あとバランス取るのは難しいところはあるんですけども、 来た人がこれこれとかっていうところは、それと違う方がいいなと思いますね。 勝手に評価してくれる。 それは設計の評価じゃないのがいいじゃないですか。 建物やっぱり古いの残せていいよねっていう。 かっこいい建物できましたね、じゃあ。 絶対ない評価な方が建物としては残っていくんだろうなと思いますね。 政田もそれは感じられますか? 結構いろんな方と黒木さん作った場所に何回か訪れる機会あるじゃないですか。 そうすると一緒にいた方とかも結構反応違ったりもするんですか? そうですね。みんな本当に何やろう。 すぐにその土地の人とも友達になれたりだとかっていうことがすごく自然に行われるし、 友達を連れて行きやすい場所ですよね。 行きやすいというか、自然に何度も足を運びたくなるんですよね。 あれはなんでなんやろうと思うと、黒木さんがよく、 僕にはふるさとがいっぱいあるんです。 ふるさとがいっぱいできるんです。 後藤列島だってふるさとだし、福岡だってふるさとだし、稲町だって。 そういう関わりを持ってらっしゃるから、 私たちも友達と行くとふるさとを感じたりとかっていうのもするのかなって思ったりもする。 ずっと今話を聞いてて、そこに関わる人とか、 その人たちがそこで営みを、バトンを繋いでいってっていうことのお話を今させてもらってますけど、 ずっと実は何年間か黒木さんと一緒に通ったプロジェクトがあって、 そこは小民家にちょっとずつ手を加えていって、 目的はこういうことがしたいっていう、小民家でこういうことがしたいっていう目的があって、 その目的に向かってずっと私はそれに近づくためにプロジェクトに関わってきてたんですけど、 最後小民家自体は手を加えられたことによって本当に素敵に綺麗になったんだけど、 いろんな事情があって、そこに関わる人がちょっと離れることになって、その小民家から。 そしたらその目的は、この小民家でこれをやりたいが目的だったのに、 そこに向かって入ってたのに、今はその小民家が、少し綺麗になった小民家がある、そこに。 でも関わる人が今、事情があっていないっていう状況になった時に、 私は結構ショックやって、その時に関わる人たちがここにいなくなるの?みたいなところでショックやったりもしたんですけど、 それを黒木さんに言った時に、 いや、お家とか小民家ってそうやってつながってきているよね、みたいな。 要はずっとそこに関わる人たちがハッピーで笑顔でずっと関わっているわけではなくて、 そういうふうに時間が空いている時も小民家は、人がいない時も小民家は経験をしていて、 だから、そうやって住んでもちょっと手を加えて綺麗になったから、またそこに魅力を感じる人が集まってきてくれるだろうし、 今ちょっと離れた人がまた戻ってくるかもしれないしっていうのを、 家は多分ずっと見てきているんですよね。きっと。いろんなことを見てきていて、 なので、それを聞いた時に、自分が見ているところって、家目線では見ていない。 この目標を達成することだけを見ていたから、そういう見方みたいなところもあって、 じゃあその場所にまたいつか友達を連れて、関わった場所なんだよって連れて行ける時がまた来るのかなと思ったり、 それを多分家は繰り返せる。建物は繰り返せるんでしょうね。 誰もいない時もあるし、また集まってきてくれる時もあるし、多分わかったはるから、 黒木さんはわかったはるから、人がいなくなった場所でもその場所を続けていくことができるようにしたはるんやろうなと思う。 時間軸の流しになるんだろうなと思うんですね。 その時にかかる人が手を加えてうまくいければいいんだけど、やろうとするとお金もかかるし時間もかかる。 今すぐやりたい時に触り出しても1年かかったり、お金かかったり。 でもそれが何かのきっかけでそういうものが手を加えられた時に次の人がやろうと思ったらすぐできるみたいな。 どこで建物の回収と人の関わり方ってずれながら多分生きてると思うので、 そのずれを失敗だとかうまくいかなかったっていう風には僕は見てなくて、 ずれていかない、ずれていくだけなんで。 本当にコンクリートのビルの中のテナント回収だったら1月で、2週間でとかでどんどん変わっていくかもしれないけど、 やっぱり何百年とかあったものってそうはいかない。 少しずつでも触っていけるという意味では、人がやると思うタイミングとずれながらもするしかない。 そこはあんまり心配ではないみたいなところがあります。 それは素晴らしい話ですよね。 いわゆる空き家問題みたいな話になると、人の手が入らなくなった瞬間に家はやっぱり朽ち始めるみたいなことを言うから、 なるべく人が入った方がいいみたいなことを言うじゃないですか。 でもそれともまたちょっと違う視点があるとですよね。 それは経験上、実際そうだったから、きっとそれでいいんだろうと思ってるんですね。 やっぱりそうだったんですよ。ずれてたんですよ。時間的には。 でも思い出とかはずれないで、関わる人がまた入ってきた。 その時には少し手が加えられているから、この建物の可能性みたいなものは本当に配慮ではなくて、すごく使えるかもみたいな。 認識のずれもいっぱいあるんですよね。関わる人の、街の人たちの。 何を触ってどうするんだっていう。 どれもがずれながらだから、そこにピタッと合うことはない。経験上僕もなかったので。 ずれながらでも進んでいけば、ちゃんと次の人が来て、次のプロジェクトにそこが使われてきたっていうのは、あとは経験していって。 そう。だから今そこちょっときれいになったことをやりました。 やって、次のプロジェクトが入ってきて、またそのプロジェクトが入ってきてっていう。 そこのつながりみたいなのに、うまくいかへん、うまくいかへんかったわけではないんですけど、目標にしてたことができひんくなるかっていうショックを受けてる自分が恥ずかしくなるというか。 なんか、そっかーみたいな建物はそれを受け継いで受け継いで受け継いで、今黒木さんに触ってもらったんやな、この建物はっていう感覚、感じがします。 なんか、前もよく言ってた、すごく古い建物を調査するときとかもあるって言ってて、誰も住んでへん、本当に廃屋みたいなところを調査するっていうことも言ってて、 ってことは調査するまで何年も人の手が加わってへん建物を見てはるわけで、だからそれが黒木さんが調査することによって建物はきっと、お、ちょっと僕買われんの?って多分建物は思ったりしてるんやろうなって思ったり。 見たはるからね、上から。見てるなって思う。霊感はないけど見てるなって思うから、残すために、使うためにですよっていうのはちょっと言っとかないと、誰が来たんやみたいなことはあるかなと思いますね。 なんか京都の町屋を最近またされて、黒木さんが、そこはゲストハウスになる、そこにもうちのタオルを置かせてもらうことになってるんですけど、そこの建物を初めて調査で入られるときに、 そのオーナーさんから聞いたのが、建物に入る前に本当に黒木さんがふかふかとお辞儀をして建物に。で、そのふかふかとお辞儀をした後、ちょっとずっと立ってはったと。 多分そこは、建物にご挨拶している、神事を見ているみたいな空気だったので、その間は黙ってたんですっていうオーナーさんが言われて、 私も一緒に通ってたプロジェクトで、蔵に入られる前に本当に同じ感覚だったんですよ。でも本人は覚えてはらないんですけど、そのときも盲導に入ってはるので、ふかふかとお辞儀をして、 なんか多分挨拶をちゃんとして、そこから一歩入らはるっていうことをしてはって、だからすごくそういう建物にもだし、そこの関わってきた人たちにもだし、すごく敬意を持って、その建物に。 怖いですよね。 怖いって言いますよね、黒木さん、怖いって。 歴史変えちゃうわけでしょう、きっとその建物。そう思うと、せっかく残ってきたのに、僕が関わったことによって寿命短くなる場合もあるし、でもそこにいるのは僕だから、すいませんけど、僕が関わらせてもらいますとは思うけどね。 怖いって言って入るのもね。 それは怖いね。 関わるのがね。 それはその威風の念とか敬意みたいなところは最初からあったんですか?それともやっていく中でそういうものが自然と短いなっていったみたいな感じなんですか? この話ちょっと以前したかもしれないんですけど、今ふっと思い出したのは、最初は国民化、後藤連島のプロジェクトだとかで、本当に置き去りにされた建物をどうやって残そうみたいなことで関わったんですけども、その続きぐらいでちょっと重なる時期で、さっきの奈良県五条市のプロジェクトに関わらせてもらって、 地区270年の建物の五条賢兵衛っていうレストラン、今でも活躍しているレストランなんですけども、そこの建物が完成してきた時に、もともとその建物のお住まいだった方のお手伝いさんかな、近い方がご高齢の女性なんですけども、来られて、入って来られたんです。 市の人が案内したのかな、あそこは綺麗になったということで。でも長くは来やだったので、所有者の方とかは僕は会ったことなかったんですけれども、完成間近ぐらいになった時に入って来られて、初めてオーナー、もともとそこにいた人に会ったんです。 五条レッドは誰もいなかったし、ここお殿様がいたんとこだよとか、普通に古い家だったんだけど、そこは来られて、入って来られて、その瞬間すごく怖くなって、どうしようと。 すごい変えちゃったみたいなことで、すごくがっかりされるのかなと思って、怖くなったんですね。 それは市のプロジェクトでもあったので、もちろん思いっきり触らないといけなかったんですけども、その方が入って来られて、上に小屋裏の方に階段を登って行かれる時に、もともと住んでおられた方の名前を呼びながら、帰って来たよって話をされながら上がって行かれて、 その時もすごいものすごいものに関わってるなと思って、本当に怖くなったのもあるんですけども、そういうことをちゃんと感じてプロジェクトに関わらないといけないんだっていうのを、かなり最初の15年くらい前のものだったので、そこはかなり初期に感じたものでしたね。 この人ががっかりされるかどうかってわからないんだけど、結果その方は残してくれてありがとうみたいなことでほっとしたんですけど、何も考えずに、その人たちのことは考えずに僕はプロジェクトに関わっていたので、そっか、いるんだ人が。守ってきた人がいるんだ。 うーん、そこで気づいて。 だからもうそこからはきっといて、だからといって大事に大事に丁寧にしすぎると次の人の重荷になるから、だからたかが家では思いっきり使えるようにしようみたいなことは変わらないんだけど、でもやっぱり過去にいた人がいて、今僕の前に関わらせてもらって、で次の人がいるっていうことをすごく意識してますね、今でも。 だから少なくとも僕の作品じゃないっていうのはやっぱりそういうところから意識してきたのかもしれないですし、それを全然決してスマートでかっこいいことでも全然なくて、関わり方のお話だと思ってるので、やっぱりそういうきっかけはいくつかありますね。 結果その後に関わったプロジェクトでも、オーナーさん出てきたり、オーナー面談みたいな、行政のプロジェクトなのに僕だけ面談があるみたいなことはありましたね、京都に来られて、どんな奴に関わるのかみたいな。 その話めちゃくちゃいい話ですよね。戻ってきた方は、中は全然変わってるけど、でもそこにはっきりと面影みたいなものを見たわけじゃないですか。繋がってるっていう感覚を抱いたわけですよね。 だからそれを残していくっていうか、その面影に敬意を払いながら残していく、変えていくっていうことは、たぶん実はすごい大事なことで、もっと心の問題っていうか、客観的に残せばいいって話でもないし、形を変えなければ何を置いてもいいのかっていうとそうでもないわけじゃないですか。 なんかその面影が尊重されたまま残ってるかどうかみたいなところがすごく大事なんだけど、今そこが一番ないが示されちゃってるっていう部分でもあるのかなって聞いててすごく思いました。 でも同時に、やっぱり僕の会社ルーフスケープっていう名前で設計事務所をやってるんですけど、屋並み、屋根並みですね。関わったプロジェクトのほかは建物をうまく活かそうだけど、やっぱり時代に合わせて思いっきり触れた方がいいなとも思っているので。 僕のミッションはこれまでやってきたこと通りなんですけども、そういう行政のプロジェクトでもあったので、そこの土地の建物を磨いたらこうなりましたと。なんかかっこよく作り直しましたではないって僕は思ってるんだけど、そうでなくても僕はいいと思っていて。 できれば屋根の形だとか、そのフォルムプロポーションみたいなものが残ると、そこの街並みがどんどん時代に合わせてうまく作り変えられているみたいなところで、ルーフスケープが残るようなプロジェクトにしたいな。 極端に言えばガラス張りの街屋になっても、でもフォルムは残っている、骨格が残っている。何十年後かに昔の街並みの写真を見たらよかった、それに戻そうよって言っても、骨格が残っていれば可能性はあると思うので、できれば柔軟にというか、結構軽やかに使っていいよっていう風にした方が、 行ったり来たりしながら、街並みみたいなものが価値があるよねってみんなが使えるかなと思います。 やっぱり骨格を残していくっていうのが多分日本家屋の特徴なんでしょうね。中がどうなるかっていうのはその時代の人たちが考えればよくて、その骨格をみんなで受け継いでいこうぜっていうことが、古民家の表す魅力の一つなのかなって思ったんですけど。 本当に思いっきりやるもんね。思いっきり床段気持ちいいみたいなのが、その時便利だってか、その時その時に断熱とかもしっかりしてみたいな、ドアも窓もピッチリとしまってみたいなこととかはめっちゃやるもんね。 古民家だから寒いの我慢しようとかっていうのは、それあってもいいんですけど、僕の中じゃなくて、快適でないと古民家忘れて楽しめないみたいな。入り口は古民家を楽しむけど、入ってるときはもう忘れて快適な空間にする。 それは暮らすように旅するっていうコンセプトで、暮らそうと思ったら、やっぱり無理したら暮らせない。 寒い時は寒いしね。 そこは大事だなと思って。それコンセプトかもしれないですね。 大事ですよね。やっぱり寒さと水回りと虫が出るみたいなのはみんな言うけど、ここは時代に合わせて変えていけばいいっていうところもあると思うんですよね。 あっという間に1時間過ぎてしまっていて、すごい良い話で盛り上がって。 ちょっと喋りすぎじゃないですか。 いやいやいやいや。ぜひ最後、今日やってみてお一言ずついただいてもいいですか。 今日はこの1時間ぎゅぎゅっとしていて、いつもこういうお話で気づきをいっぱいもらうんですけど、時間軸とか。 でもまた新たな気づきがあるので、同じ話でもその自分が今いる状況が違ったら違うように聞こえるんだなと思いながら、面白かったです大変。 ありがとうございます。 黒木さんもいかがでしたか。 今日のお話は自分にとっても気づきもあるんですけど、僕が関わらせてもらったプロジェクトに何回も見てもらったお二人だからこそっていうのもあるんですけど、同時にえらく褒めてもらった気もして、ちょっとこそばいな。 そんなつもりは全然ないですから。 いいんでしょ、褒めてもらえても。 でもなんか、どのプロジェクトも全部うまくいったとかっていうんじゃなくて、その時の役割は果たしたと思ってるんですけど、これがコミカですとかこれがいいんですっていうことではないなっていうのは、これからも意識してやりたいなと思いますね。 自分のものにならないように、僕のカラーをやっぱりなるべく消したいなとは思いますね。 僕も今日聞かせてもらって学びがあまりにもたくさんあって、そこに関わる人たちの顔色が明るくなるようなライティングとかもそうだし、関わる余白みたいな話とか、さっきの面影とか骨格を受け継ぐとか、 コミカに限らずにいろんなことに応用できる話が山ほどあるなと思ったので、この話はまた自分でも聞き返して反省するんだろうなと思いましたね。 ありがとうございました。 ありがとうございました。 では今日はこのあたしで終わりたいと思います。ありがとうございます。 もっと見る鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!1:04:581.【対話】古民家の魅力って何だろう?ゲスト:黒木さん・益田さんコメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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