TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティ本当に何かをやるというのは、惨めに混乱して骨の折れること。08:45 2025年4月9日 571再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次惨めな混乱と骨の折れる作業とは?好きなこと vs 本当にやるべきこと村上春樹の言葉が示す真の挑戦報われない努力の先にあるものとは?救済と家族、そして和製サロンの役割AI文字起こし(β版) # チャプター 1 こんにちは。鳥井博文です。 働くをテーマにした対話型オンラインコミュニティ 和製サロンを運営しています。 さて本日のお題は本当に何かをやるというのは 惨めに混乱をして骨の折れることというテーマでお話ししてみたいと思います。 今日も昨日ブログに書いた内容です。それでは早速本題に入ってきますね。 好きなことを仕事にしたいとはよく聞くお話です。 でも僕は好きなことなんてものはいつでもやめられるっていうふうにも思うんですよね。 大好きで夢中になれるものなんてそれ故に意外といつでも簡単にやめられるっていうふうに思うんです。 引力としては実はそれほど強くはない。 好きで得意なことってのはやってていいよっていうふうに言われたらいつまでもやっていられる類のものであって 最愛の人だったりとか子供が声をかけてきたらスッと手を引くことができるようなもので また一人の時間ができたら時間を忘れて取り組んでしまえること。 それが好きで得意なことだというふうに思います。 つまり新職を忘れて取り組めるという言葉みたいなものは意外と脆いというふうに思うんです。 実際にはその対象から離れて新職ができているわけですから。 そうじゃなくて散々に絶望させられていてもなおどうにかして希望を抱きたくなってしまうもの。 そのようなものの方が本当は人間にとって引力が強いものなんじゃないのかなっていうふうに僕は思うんです。 これは言い換えると嫌でも何度も立ち上がるざるを得ないもの。 挑まざるを得ないもの。 そしてこれはずっと一貫しすぎてるというふうに思うんですが 僕はそのような事柄に対して取り組む人にこそ全力で応援したいなというふうに思うし 自分のできる限りの力を用いて勇気づけなんかをしたいなというふうに思っています。 逆に言うと好きなことをやってる人は好きにやっていればいいっていうふうにも思うんですよね。 それ自体がとっても幸せなことなんですからこちらが応援する義理なんかもないなと好きなことをやって なおかつ他者からの応援や支援を同時に求めるっていうのはなんだか丘と違いにも感じてしまいます。 本当に応援をしてほしければだったらもっと楽しそうに魅力的にやれっていうふうに思うんですよね。 いつもこのボイスの中で礼事するようなトムソーヤのペンキ塗りのやり方なんかを見習えっていうふうな話なんですよね。 好きなことほど新足を楽しむことができて他人から見ても楽しそうに見えるから人はその楽しそうな雰囲気につられて協力しにやってくるわけです。 好きだけれど別に楽しそうじゃないものに人は決して引き付けられない。 なんで私はこんな好きなことに熱中をしているのにみんな付き合ってくれないのというのは単純にその姿自体が楽しそうでもなんでもないからであって魅力的じゃないからなわけです。 きっと本当の幸福っていうのはそういう好きなことじゃないというふうに思うんです。少なくとも僕はそうじゃないというふうに思っている節があります。 もっともっと実際にはめんどくさいものだし苦手意識なんかもあるし何なら本質的には憎んでいたりもするものだというふうに思います。 僕にとってはそれがコミュニティという概念そのものだという話は以前もこのボーイズの中で語ったことがあります。 でこの点今日のタイトルにもある本当に何かをやるというのは惨めに混乱して骨の折れることだよというようなセリフっていうのは 村上春樹さんがダンスダンスダンスという小説の中で33歳の主人公が13歳の少女に対して静かに伝える言葉なんです。 13歳の多感な時期の少女が演技が上手な映画俳優に感化をされて新しいことを学び始めたくなった時にそっと起き手紙のように語りかけるような言葉なんですよね。 これが本当に素晴らしい助言だなというふうに思うんです。 惨めに混乱をして骨の折れることが本当に何かをやるということだし、そして実際にそうやって取り組んでみてもそれはすでに取り返しがつかないほどに失われてしまっている場合がほとんどなわけですよね。 つまり、惨めに混乱をして骨が折れた結果として必ず報われるというふうには限らない。今風に言えばパフォーマンスや成果を得られるわけではないというわけです。 でも僕はそういう物事に取り組んでいる人こそが最終的には救われるというふうにも思うんですよね。 で、たとえそうやって報われずにバッドエンドを迎えた人であっても好きなことだけをやっていた人には決して到達できなかったところ、そんな境地に到達できるというふうに思うんです。 もちろんそこは何か別に魅力的な場所でも何でもない。ただただ一点の場所に到達するというだけに過ぎないというふうに思うんです。 いわゆる一般の人々が想像するような天国とか極楽浄土とかそういう場所では全くないというふうに思います。 で、どうしてもこの時に僕はアミザノ本願の話ばかりになってしまうんですけども、例えばそれが絶対たりきだとして絶対たりきというのはそうやって逃げるもの、絶望するものの下にしか本当の意味では訪れてくれないわけですよね。 それが神談のいう悪人正義の話にもつながるというふうに思うんです。 そうやって逃げて逃げて逃げ尽くした先にしかアミザノ本願や絶対たりきというものは私のもとには訪れてくれないわけですよね。 禅の言葉である煩悩則母大の意味なんかもきっとここにあるというふうに思うんです。煩悩というのはそれすなわち母大なんだと。 成果や結果として報われるわけではないけれど必ず救われるっていうのはそういう意味でもあるんだろうなと。 このあたりは非常にわかりにくい話をしてしまっている自覚はあるんですが、でもとても大事なポイントだというふうに思っています。 この時にはもはやネガティブな出来事を無理やりポジティブな解釈に変換するまでもない。 そうやって何でもかんでも面白がらなければいけないというふうに自分自身を調教するような必要さえもないというふうに思うんです。 ネガティブな言葉、ネガティブなまま受け止めればいいだけだというふうに思うんですよね。 好きなことという人間的な快楽、それ自体が駆動芸になっていない状態というのはまさにこのような状態だというふうに思います。 僕は皆さんにはそういうものを是非とも見つけて欲しいなというふうに願っています。 和製サロンというコミュニティというのはそういうものを見つけて一人一人が真摯にそのことに対して取り組める場所だというふうに思うんですよね。 そしてそのお互いの取り組む姿勢によって言葉はなくても姿勢でもってお互いが励まし合える場所として役立っていたらこれ以上ない喜びだなというふうに思うんです。 一方で自分の好きなことは好きないように好き勝手にやってて欲しいなと。 そもそも自分の好きなことなんて普通に生きていれば自分で見つけられるものですし、それさえも自分で見つけられない人のためのオンラインコミュニティや支援サービスなんて今無限に存在しますからね。 和製サロンという場というのはそうじゃなくて本質的には大嫌いで、でもそれに取り組まないとなぜか自分の人生が始まっていかない。 そうやって私自身が勝手に感じ取ってしまっているものと丁寧に向き合ってほしいなというふうに思います。 他人からは思いっきり首を貸し切られてしまうし全くもって理解されないんだけれども、それこそ自分の剛性や魂がそう囁くものに対して世間のしがらみから離れて取り組める場所として存在していてほしいなと。 普通の家族とか普通の仕事、普通の生活、普通の暮らしとか、そんなありとあらゆる普通の観念みたいなものから解き放たれて、勝手に取り組んで勝手に惨めに混乱をして、勝手に骨が折れて周囲からは徹底的に哀れんだ目で下げすまれる体験をしてほしいなというふうに思うんです。 でも僕はそんな時でも決してそのことに対して真摯に取り組むあなたのことを決して見捨てたりはしないよというふうに思うんですよね。 だから猛烈になんでなんだよというふうにイライラをしながらも、そこに対して思う存分自らの力を発揮してみてほしいなというふうに思っています。 繰り返しにはなってしまうんですけれども、好きなものには好き勝手に取り組めばいいし、家族にご飯だよというふうに声をかけられたらスッとやめればいい。 実際そうやってやめられるわけですから。そしてご飯が終わって家族サービスなんかも終了して、家族が穏やかに眠りについた瞬間からまた気持ちを新たにして時間を忘れて取り組むもの。 それが好きなことであって、それが見つけられたことは本当に素晴らしいというふうに思います。 そんなものがちゃんと見つけられたらおめでとうというふうに思います。 でもそうじゃなくて、家族にも迷惑をかけて嫌われることも分かっているし、自分もその対象自体が嫌いだというふうに思っているのになぜか離れずにはいられないことは何か。 最愛の人々から憎まれてでも取り組みたくなってしまうことは何か。 これは言い方を変えれば、家族に対して迷惑をかけていない、家族からそれに取り組んでいるあなた自身が嫌われていない時点で、それは多分本当の転職ではないというふうに思うんです。 そしてその転職に取り組む無情のしんどさに対して、僕は静かに寄り添いたいなというふうに思うんです。 世界全体がたとえ敵になってしまっても、僕は全くその内容に共感できていなかったとしても、そのことに対して取り組まざるを得ない執着みたいなものは全肯定したいなというふうに思うんです。 だってそれだというふうに思うからです。それこそが本当に人間がこの世に生まれてきて取り組むことだというふうに思うからなんですよね。 きっと本当の家族なら、親族を憎みながらでさえも、それでさえ応援してくれるというふうに思うんですよね。 そして僕もそれを心から応援していきたいなというふうに思っています。 そうやって皆さんの本当の家族みたいになりたいというふうに願っているということなんでしょうね。 このコミュニティを通して、家族以上の家族のようなものを目指していきたいというふうに思っているんだというふうに思います。 この辺りは非常に誤解を受けやすい部分だというふうには思うんですけども、何とか上手に伝わっていたら本当に嬉しいなというふうに思っています。 さて、今日のお話は以上となります。 いつもこのボイシーを聞いてくださっている皆さんにとっても、今日のこのお話が何かしらの考えるきっかけとなっていたら幸いです。 それでは今日はこの辺で。また明日。 もっと見る鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!08:451.チャプター 1コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
罪や苦しみこそが、人間の言葉に重みを与えている。 10分・20時間前・ 143再生AI目次宗教と文学に共通する「苦」の問い「罪と後悔」がもたらす自己変革ドストエフスキーが示す人間の矛盾過ちの繰り返しから生まれる「快心」AIにはない人間だけが持つ「重み」
長年親しまれてきたIPは、格差社会のデオドラントになる。 10分・一昨日・ 208再生AI目次人気IPコラボが問いかける社会一等地の芝生に生まれる感謝の連鎖愛されるIPが消す格差の物差しIPがもたらす格差の「心地よさ」本物の優しさが問う社会変革への意志
葛藤するから、僕らはつながれる。 10分・9月18日・ 232再生AI目次未完成な思考を共有する意味とは葛藤が言葉に与える「重力」とはAI時代に問われる生身の葛藤の価値「奥」を探求する葛藤と自己変革人間だけが持つ「重力ある共感」の本質
あの頃のハリー・ポッターを、いまの僕らで読む。 10分・9月17日・ 251再生AI目次和製サロンが再燃、ハリー・ポッター愛スネープ先生が示す大人の解釈とは物語が引き出す個別具体的な記憶懐かしさの共有を超えた関係性構築AI時代に輝く「生きた記憶」の価値
FiNANCiEの激しく惜しいところ。「ゲームで遊んで稼げる」の先に、何をつくるのか。 10分・9月16日・ 288再生AI目次FiNANCiEのPlay to Earn構想トークン額面と現金化の現実FiNANCiEの真のメリットとは惜しい収益構造が招くジレンマ誰に贈れたかが嬉しい場所へ
AIが要約したことが、僕らの言ったことになる。 10分・9月14日・ 260再生AI目次Apple Watch新機能に見るAIの未来AI要約が変える会話の真実とは言葉にならない思考と会話の本質美しすぎる合理性が奪う「わからなさ」便利さのその先で何を失うのだろう
「いなくならないから」の倫理。 10分・9月13日・ 251再生AI目次「いなくならないから」が意味するもの時を経て深まる関係性の倫理とは「チーカ」が示す現代的安心感の源言葉を超え、信頼を育む時間の重み令和の時代が問い直す愛と関係性
自分のために存在していない人と、一緒にいたい。 10分・9月12日・ 265再生AI目次反応がないことにも覚える安心の正体自分と相手のままで共にいたい願望「ちいかわ」が示す関係性のロールモデル親しくなるほどに募る「反応」の要求無反応な相手を大切にできるかという問い
AIに仕事を任せるために、先人たちの面影を共に探す。 10分・9月11日・ 256再生AI目次iPhone Duo発表が示唆する仕事の形AIに任せる前に問うべき仕事の真意仕事の「繋がり」は誰が作ったのか?見えない「面影」を辿るAI時代の価値先人の「魂」をAIと共に未来へ繋ぐ