TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティ「大和魂」を信じられない僕らは、もう語り部になり始めている。09:45 8月9日 267再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次現代人が大和魂を信じられない理由歴史の当事者だけが持つ身体感覚僕らもすでに「語り部」になり始めているAI以前の当たり前を記録する重要性記号設置する形で体験を残す意味AI文字起こし(β版) # チャプター 1 こんにちは、鳥井博文です。 働くをテーマにした対話型オンラインコミュニティ、和製サロンを運営しています。 さて本日のお題は 大和魂を信じられない僕らはもう語り部になり始めている というテーマでお話ししてみたいと思います。 今日も昨日ブログに書いた内容です。 それでは早速本題に入っていきますね。 先日このVoicyの中でも取り上げた今公開中の映画 本当にとっても面白い映画でした。 令和の戦争映画の中で一番好きな映画といっても過言ではないくらいの傑作でした。 で、前回は総力研究所は人力AIだったんじゃないかという視点の話を語ったんですが 実はもう一つ見ながらずっと気になっていたことがありました。 それはベテラン軍人たちを演じているベテラン俳優さんたちの演技についてです。 国村純さん、江口陽介さん、佐藤浩一さん、皆さん本当に素晴らしい演技で圧巻としか言いようがありません。 でも見ながらどこかほんの少しだけうさんくささのようなものを感じてしまった自分がいたんですよね。 決して演技が下手だという話ではないんです。 むしろこれ以上ないほどに抜群に上手い。 だからこそこの違和感ってのは一体何なんだろうかっていう風に 映画館を出た後もずっと考え込んでしまいました。 ちなみに若手エリートたちを演じている俳優さんたちには全く違和感を感じませんでした。 彼らが劇中で信じているのは客観的なデータであり物量の比較であり合理性だからです。 つまり極めて現代的な価値観なんですよね。 現代を生きている若手俳優さんたちは自分たち自身の価値観をそのまま素直に延長していけば あの役柄にたどり着けるんだろうなという風に思うんです。 だからこそあんなにも自然というか普通に見えたんだという風に思うんですよね。 ではなぜベテラン軍人たちの方はどうしてもうさんくさく見えてしまったのか。 しばらく考え続けて僕がたどり着いた仮説というのは 現代を生きる世代においては大和魂を現在系で信じることがもう原理的に不可能だからなんじゃないかという風に思ったんですよね。 これっていうのは俳優さん個人の内面がどうこうという話ではありません。 俳優というのは本来自分が信じていないものだって演じられる職業のはずですから 殺人犯を演じるために殺人を実際に経験する必要はないし 王様を演じるために本物の王様である必要なんか全くないなと同様です。 でも今回の違和感の正体っていうのはそういった行為自体の話ではなくてもっと大きな世界像の方なんですよね。 僕らは大和魂という言葉の意味なら十分によく知っています。 歴史系の本も読めるし当時の新聞も軍事の日記なんかもネット上でいくらでも読める時代ですからね。 今ならAIに当時の資料を人間以上の量で読み込ませることだって簡単にできてしまって そんなAIに対して大和魂って何?って聞けば僕らに本当に分かりやすく教えてくれというふうに思うんです。 それでも物量で圧倒的に劣っていても精神力によってもしかしたら勝てるかもしれない。 いや絶対に勝てるんだ。なぜなら日本には大和魂があって神数が含んだからという考え方が 必ずしも口頭無形には聞こえなかったそんな世界を僕らはもう生きることができないわけです。 なぜならもう惨憺たる日本の敗戦の結果を現代人は完全に知ってしまっているからですよね。 答えを知ってしまった人間ってのはまだ答えのわからなかった時代の今みたいなものを もう一度生き直すことはできないんだというふうに思います。 この点、認知科学の世界に記号設置問題という言葉があります。 以前もご紹介したことがあるというふうに思うんですが、言葉の意味っていうのは 別の言葉の定義をぐるぐると参照しているだけでは成立しなくて 最終的にはどこかで身体的な経験に結びついていて、つまり設置していなければいけないというような問題です。 AIが出てきてから頻繁に語られるようになった話でもあるというふうに思うんです。 身体を持たないAIは記号設置していないんだと。 それを踏まえて考えると、あの映画で起きていたことはある意味で 時代の記号設置問題だったんじゃないのかなというふうに思うんですよね。 記号は残る。ただその記号が本当に意味を持っていた生活世界の方はもう完全に失われてしまっていて 僕らには当時の身体感覚を持つことができないんだと。 さらにそう考えると、最近戦争関連の本なんかをまた読み漁りながら語り部の方々のお話を見聞きしていて 感じていたことの意味なんかも少しだけはっきりとしてきました。 戦争については本当に膨大な資料が残っています。 それでも体験者ご本人の話を聞くことの価値みたいなものは決してなくならないわけですよね。 なぜかといえば語り部の方々が伝えてくださっているのは何が起きたかだけではないからなんです。 歴史の当事者だけが持っているというのは事実そのものではなくて その事実が置かれていた当たり前の身体のその感触の方だったんだというふうに思います。 それっていうのはあれほどのベテラン俳優さんたちでさえも完全には埋めきれないものなのかもしれません。 でも当時を生きた方々はそれを今も身体感覚の中に明確に持っていらっしゃるわけですよね。 ここまで考えてきて不意に怖くなったことがありました。 これっていうのは僕らにももう始まっているんじゃないかと。 僕は何度も語るように昭和最後の世代、昭和63年生まれです。 すでに昭和平成令和と生きてきてインターネットやAIが生活の前提ではなかった時代を まだ身体感覚としてギリギリ覚えているような世代です。 例えば分からないことがその日のうちに分からないままだったことや 知らない土地では本気で道に迷ったこと あとは文章を書くときに誰かに相談するという選択肢自体がそもそも存在しなかったことなど そんな身体感覚として今でもはっきりと覚えています。 100年後の人たちもAIを使わない生活を再現すること自体はできるはずなんです。 デジタルデバイスを置いて検索もせず生成AIにも聞かなければいいだけですからね。 でもそれは決定的に体験としては異なるわけですよね。 彼らは本当は聞けば答えが出てしまうってことを知った上で あえて使わないことを選んでるだけですから 知ってしまった後から知らなかった世界へとはもう二度と戻れないわけです。 そんな風に考えていくと語り部という言葉のイメージなんかも少しずつ変わってくるなと 今まで語り部と聞くと僕は年老いた戦争体験者の姿をずっと思い浮かべていました。 でも多分違うんですよね。 自分の経験した世界が過去になり始めた瞬間から 人は少しずつ語り部になっていくんだっていう風に思います。 実際に経験をしたことがあるっていうのはただそれだけで価値を生むはずですし その経験を語り継ぐ贈与や責務みたいなものも 同時に僕らはもう既に十分受け取ってしまってるんだろうなっていう風に思うんです。 ただし語り部にはそれ故に明確な作法なんかもあるはずなんです。 それっていうのはあの頃は良かったっていう風にマウントを取るように語らないことです。 戦争の語り部の方々の言葉が信頼されるのは 彼らが決して戦争体験によってマウントを取ってこないからですよね。 AI以前を語る時も全く同じであって あの不便さにも良さがあったなんていう風に言い始めたその瞬間に その証言っていうのはただの解雇主義の方に落ちてしまう。 不便だったことも退屈だったことも理不尽だったこともそのまま全て残していく。 語り部の資格っていうのは経験したことにあるんじゃなくて 美化せずに自身の体験を正直に語られることにあるんだという風に思います。 そしてもう一つ大事なことがあるという風に思うんです。 当たり前は当たり前であるが故に記憶されないということです。 記憶するなら今しかないということなんですよね。 AI以前の感覚っていうのは100年後に失われるわけじゃなくて AIを毎日使っている僕ら自身の中からもう静かに消え始めているわけです。 AIがなかった頃文章って一体どうやって書いていたんだっけってなってる人は すでにきっと多いはずなんです。 あとは一人で考えるって一体どんな時間経ったんだっけっていう風なことも ほんの数年前の自分のそんな感覚がすでに少しずつ思い出しづらくなってるっていう風に思うんですよね。 身体が忘れてから書こうとしてもそれはもう完全に遅いわけです。 この辺りっていうのは海外移住とか子育てなんかとも非常によく似ているなって風に思います。 そのある種の環境に置かれたからこそ生まれてくる被災体験のような感覚において その時に書かないと完全に忘れてしまうということですよね。 あれだけ鮮明かつ強烈な記憶でさえもそのタイミングで書き残しておかないと 本当の意味で書くことはもうできなくなってしまう。 チャンスの女神っていうのは前髪しかないってことは本当に強くこういう時に実感するなって風に思います。 というわけで最近また戦争の語り部の方々のお話を映像なんかで見聞きしながら マジで長生きしなきゃいけないなって風に本当に思ってます。 もし僕が100年後も生きていたとすればその時138歳という馬鹿げた年齢ではあるんだけれども ただ語り部になる仕事っていうのはそんな138歳になってから始まるわけではなくて 多分もうすでに始まってるんですよね。 そしてこうして毎日語り続けているブログやボイシーそのものが 未来から見ればAIが人間社会に入り始めた頃 一人の人間が何を考えながらそれを眺めていたのかという一時資料になっているかもしれないわけですから そして未来にはAIがその一時資料を元に僕以上に有弁に語ってくれるはずなんです。 僕はそれをおぼつかない老人の頭で追認をすればいいだけ 僕が僕の書いたことから生成された情報を追認しているその生身の身体がちゃんと現実に生きていることこそが大事なんだろうなって風に思うんです。 それっていうのは決して物語やフィクションではなくて 地続きの現実だったという実感を伴うわけですから だからこそ今から僕は自分の体験をなるべく記号設置するような形において 丁寧に書き残しておきたいなって風に思うんです。 今の時代の自分自身が本当に感じていること考えていることを真空パックするような形においてなんですよね。 時代が劇的に変化をしそれが前時代的だったって風に否定されて覆されることが分かっているからこそ 今からちゃんと自分の体験として書き残しておきたいなって風に思います。 さて今日のお話は以上となります。 いつもこのボイシーを聞いてくださっている皆さんにとっても 今日のこのお話が何かしらの考えるきっかけとなっていたら幸いです。 それでは今日はこの辺で。また明日。 もっと見る鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!09:451.チャプター 1コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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